2017-08

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第20

    11月21日

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    第19回の「ヤスの勉強会」の様子を一部アップロードしました。よろしかったらどうぞ!



    次回の有料メルマガの予告

    11月27日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、パリ同時多発テロの背後にあるイスラエルの関与について詳しく解説する。もちろんこうした情報が日本で紹介されることはない。実はイスラエルとEUの関係は悪化しており、イスラエルは大変に孤立化していた。どうもこれがパリ同時多発テロの背景のひとつになっていたようだ。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

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    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第20回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第20回のご案内

     「ヤスの勉強会」の第20回を開催します。やはり、「抑圧されたものの噴出」は勢いよく続き、世界各地でブラックスワンは発生しています。11月までに起こった変動を解析し、2016年の世界を展望します。

    【主な内容】
    ・パリ同時多発テロの隠された真実
    ・アメリカの本当の敵はロシア、中国ではない
    ・世界経済は本当に大丈夫なのか?危機の源泉
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

     よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:11月28日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

     いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    高松の講演会

    以下の日程で高松の講演会を行います。お近くの方はぜひどうぞ!毎回ディープな講演会をしています!

    日時  平成27年11月27日(金)18:30受付 19:00~22:00前後まで
    場所  高松生涯学習センター

    会場内の掲示板にて部屋の確認をお願いいたします。
    〒760-0040 高松市片原町11番地1
    電話:087-811-6222 FAX:087-821-8022
    会費   ¥5000/人

    講演会後、高島先生を囲んでの懇親会を予定しております。場所 未定ですが高松市内にて行う予定です。

    主 催  里坊会計事務所 里坊昌俊
    実行委員 有限会社ウエストフードプランニング小西啓介、ソニー生命保険株式会社 山下智幸、株式会社京蔵 京兼慎太郎、株式会社クリード インテグレーション平野伸英

    内容
    ・パリ同時多発テロの隠された真実
    ・アメリカの本当の敵はロシア、中国ではない
    ・中国が危機の引き金ではない?
    ・ロシアの隠された計画
    ・新しい意識を手に入れる


    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    12月6日と1月16日の2回、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第一回目のパートナーは有名ブログ「In Deep」の岡靖洋さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第18

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    西塚 今日は『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の第20回です。またヤスさんにお出でいただきました。今日もよろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス どうもどうも。カンパーイ!

    西塚 今日は缶じゃないんですよ。僕の合気柔術の先生は医師なんですが、アルミが溜まるということで、あまり缶ビールとか飲まないほうがいいという話がありまして。あまり気にしちゃいけないし、僕もガンガン飲んでますけど、一応聞いてしまったので、ヤスさんにアルミが溜まってもいけないかなと思いまして。ボトルからグラスで作ってます。

    ヤス いえいえ、さんざん溜まってるかもしれない(笑)。

    西塚 前回、最後にビリー・マイヤーの話になりましたが、その前に今週の気になるところをお聞きしたいなと思います。BPOのお話は知ってますか? 放送倫理関係ですが。

    ヤス ああ、文句つけたという。NHKにあまりにも政府が介入したといって。

    西塚 そうなんですよ。『クローズアップ現代』という番組でヤラセがあって、それに対する注意なんですが、自民党の人間がNHKの幹部を呼びつけて注意をしたと。それに対して不快感を表わしているわけです、BPOがですね。圧力だろうと。僕は、そのBPOを別の原稿でも触れたんですが、ちょっと気に食わなかったわけですよ。いろんな規制をしやがってと。しかし今回、BPOがそういう批判を思い切ってやった。僕は東京新聞ですけどね、結構大きく出てました。僕は、流れが微妙に変わったと言うか、そのことは何かの流れの一部のように感じているんですが、そのへんはあまり引っかからなかったですか、ヤスさんは。

    ヤス いや、引っかかりますよ。何かね、来年の参議院選挙は日本の歴史を変える結節点になりますね。どの勢力が政治の主導権を握るかによって、我々の生きてるこの日本という国家が、根本的に変わってくる結節点になると思いますね。安倍政権の背後にあるようなメンタリティは何かと言うと、ファシズムですよ。全体主義的なファシズムですね。国家こそ神聖なんだと。国家こそいわゆる万世一系の天皇に支えられた神聖な存在であって、その中に生きる国民は、実は住まわせてやってるんだと。

    西塚 この対談で何回も出ている田吾作、土人ですね。エリーティズム。

    ヤス そう。エリーティズムによる田吾作、土人ね。だから、田吾作、土人みたいな日本国民というのは、この神聖な万世一系の伝統的な国家の中に住まわせてやっているんだと。だからそれなりの義務を果たせ、といった感じしかないわけですよ。そのようなファシズム型の国家になっていくのか、そうでないような民主主義的な勢力が勝つのかといった、ある意味で結節点になると思いますよ。

    西塚 なるほど。そのひとつの現われが今回の安保法制に対するデモであり、ひょっとしたら、先ほどのBPOの幹部たちが、ちょっと関与しすぎだよと批判したっていう、そういう意識もそこに絡んでいる流れですね。

    「トラウマ」が戦争を回避させてきた

    ヤス 当然そうですね。やっぱりひとつの危機感ですよね。我々は、歴史の作り出したトラウマというのは、絶対無視できないと思うんです。たとえば、よく中国崩壊論が日本では喧伝されてますでしょ? 現在の中国は輸出主導型の経済から、内需依存型の経済へと構造転換しつつあると。これは相当、困難をともなう構造転換である。現在の中国のもともとの輸出型経済を担っていた企業は、いわゆる国営企業が中心ですよね。内需依存型の経済は、国営企業ではなくて、国民のちっちゃなニーズに応えられるような民間企業中心へとシフトしなくちゃならない。

    そうすると、国営企業の持っている既得権益を奪うことになる。国営企業は共産党幹部と深い汚職の関係で結び合って、ある意味で既得権益の集団を作り上げている。だから共産党の幹部のところまでいって、構造改革をやらねばならない。それはかなり困難がともなうと。その結果、中国経済はどんどんスローダウンする。スローダウンすると国民が反乱してくる。失業率も高くなる。国民がどんどん中国共産党に反乱を起こして、最終的には中国は分裂するんじゃないかといったような、中国崩壊論がまことしやかにささやかれてますけども、基本的にこれは全部日本人が作り上げた幻想です。まず、間違いなく外れるんですよ(笑)。僕は中国の専門家ではないですが、あまりにも中国の現状について知らなさすぎる。自分たちの作った幻想の中で、ただただ安住しているような人たちの作った論理だと思いますね。

    西塚 僕も目を啓かされました、ヤスさんによって。実はもっと習近平は合理的で、今の共産党をいかに維持していくか、それが中国の安定に関わってるということを冷静に見てるという話ですね。

    ヤス 中国共産党に対する反乱がなぜ起こらないのか。中国を分裂させるような政治的な反乱がなぜ起こらないのか。根底にあるのは、やっぱり中国人が抱えている歴史的なトラウマですよ。中国史は、1842年のアヘン戦争から1949年の中華人民共和国の独立までの107年間。107年間、植民地化であるとか、内戦であるとか、はっきり言って、ひとつの国の体裁をなしてないような状態におかれていた。その中で、1949年に中華人民共和国が独立して、一種の安定性を得るんだけども、ただ安定性を得てからもね、1950年代の毛沢東の失政によって三千万人ぐらいの餓死者が出る。それから1966年から文化大革命が始まって、極端な方向に走って国内が混乱する。本当に安定しないわけです。

    それでなおかつ中国が脅威であるということで、アメリカから封じ込め政策の対象にされるわけですね。国際社会から徹底的に孤立する。いつ中国が国際社会に復帰したかと言うと、1971年ですよ。そうすると、1842年から1971年までの長きにわたって、分裂だ、内戦だ、国際的な孤立化だってされてきてるわけですよ。その歴史的な共通体験が作り出すとんでもないトラウマというのは、中国の民衆に共有されてると思う。

    もし我々が強い中国政府をなくしたならば、我々の国というのは徹底的に分裂してしまうんだと。最終的にはいろんな国々の植民地になってしまうという、分裂に対するものすごいトラウマと怖れがあるわけですね。それは多くの中国人が、教育を通してもそうだし、おじいちゃんおばあちゃんの話を通してもそうだし、ずっと継続してきたトラウマだと思いますよ。このトラウマがある限りは、中国は分裂するはずがないんですよ、絶対。


    西塚 なるほど。僕は今のお話を聞きながら、ちょっと怖いなと思うことがひとつある。まず、ヨーロッパの30年戦争がありましたね。ものすごい悲惨な戦争のあとに、もう戦争はこりごりだということで、デカルトが出てきた。近代的な自我の萌芽ですね。それと中国では、アヘン戦争による民衆の疲弊感や恐怖感から、強い政府を求めるようになり、結果的にたしかに経済的には豊かになったので、みんなも一応納得している。あと、前回のスターリンとトロツキーの話もありますね。いわゆる世界共産主義革命をやるトロツキーと、スターリンの一国社会主義。それもヨーロッパとの戦争に疲れた民衆が、とにかく自分の国で安全、安定を求めたいということで、スターリンに落ち着いていく。

    そういうふうな大きな流れを見ると、今のヨーロッパが僕はちょっと怖いわけですよ。いわゆるISを中心に難民問題も含めて、右傾化している政府が多い。いろいろな国の選挙でもそっちに流れてるじゃないですか。そうすると、歴史の轍を踏むとすれば、ものすごい大きな戦争があって、そのあとに目覚めると言うか、安定するという流れに沿って言えば、これからヨーロッパででっかいことが起こるかもしれないわけです。そういう恐怖があるんですね。

    ヤス たしかにね。でも逆に言うと、トラウマがある限りはね、実は極端な社会変動というのはあまり起こらない。中国の国民の場合、長い間ずっとトラウマを共有しているわけです。だからトラウマを共有している限りはね、今言ったように中国が分裂するってことは、おそらくない。じゃあ、中国が将来ね、分裂したりすることはないかというと、そういうわけではない。ずっと遠い将来には、それはあり得る。それは、トラウマがなくなったときですよ。世代が変わって、トラウマの共有がなくなって、そしてなおかつ中国という国が経済的、政治的に絶頂期になったとき、そのときが一番ヤバい。

    西塚 何が出てきますか?

    ヤス 民主化要求運動であるとか、中国共産党そのものに敵対するような、極めて過激な政治運動が出てくる可能性がある。そういう過激な政治運動がどのような結果を招くのか。中国共産党を崩壊させてしまうと、場合によっては中国が分裂するといった、過去のトラウマのような悲惨な状態に陥ってしまうんじゃないか。そういった怖れがあるがゆえに、これまでは過激な政治運動ができなかったと思うんです。しかしもしね、経済的な成功によって、スーパー覇権大国として国際社会の中で認められて成功の頂点に立ったとしたならば、人々はトラウマを忘れていく。

    西塚 そうなるとまた違ったことになると。今、習近平が台湾総統と会談しましたね、馬英九ですか、まあ中国よりなので仲よくやりましたけども。でも民衆の中で強いのは、アンチと言うか、台湾はひとつの国の中華民国だっていうことですね。今日はまさしくミャンマーの総選挙ですが、どうなるかわからないけども、サン・スー・チーが勝つと言われてます。アジアのこうした流れは、ヨーロッパとはちょっと逆だと思います。右傾化してるヨーロッパの政府に比べると、むしろ民主化の方向じゃないですか。それは背景が違うんですかね。

    ヤス いや、そうなんですけどね、歴史のトラウマが何をもたらすかってことで見ると、面白いと思うんです。たとえば日本はどうだったのかと。我々はこの70年間、やはりあの太平洋戦争に負けて、原爆を落とされて、本当に国土が焦土と化したと。そのトラウマを共通体験として持ってるわけです。その共通体験のトラウマが前提にあったがゆえにね、何が何でも、どういうような状態になっても戦争はイヤだと。再軍備はイヤであると。だから、戦争とか、原爆とか、再軍備とかに対してのものすごい国民的なアレルギーがあったわけですね。そのアレルギーに抵触しない形で日本の政府が運営され、それが日本独特の平和主義をもたらしたんだと思います。

    その背後にあるのは、まさに歴史的なトラウマなんです。ただ、今日本で何が起こってるかと言うと、そのトラウマが消えつつあるということです。世代交代によって。戦争を知ってるような人たちが死んでいってる。どんどん亡くなっていく。太平洋戦争のトラウマというものを共有できる世代が、ものすごく少なくなってくるわけですよ。新しい世代というのは、全然そのトラウマを共有してないので、なぜ平和主義じゃないといけないのか、戦争になったっていいんじゃないか、日本が敗戦国だと言って、ずっと受け入れているのはおかしいのではないかと、トラウマというものをベースにしないね、さまざまな問いかけをするわけですよ。


    西塚 ある種、ブレーキと言うか、タガがはずれてくる。

    ヤス タガがはずれる。今どんどんどんどん、日本はタガがはずれてきてるわけですよ。タガがはずれた国家が一番怖いんですね。ヨーロッパもそうです。ヨーロッパの場合、やはりあの第二次世界大戦で焦土と化したトラウマがあるわけです。ヨーロッパの国に住んでるどの人たちにも、我々はナショナリズムに走った結果、あのような悲惨なことになったのだというトラウマがある。ナショナリズムがどれだけの破壊と戦争をもたらすかということを、身にしみてわかってるわけですね。だから、命がけでも何でもいいから、ナショナリズムを抜けなくちゃ駄目だと。それがいわゆるEUといったものが成功していく背景にあったのではないかと思います。非常に単純な言い方ですが。でも、おそらくですね、それがだんだん消え失せてきているところなんだと思います。

    西塚 今、EUもちょっと危ないですもんね。各国に還元されてきてるし、いわゆる難民問題が現実問題としてワッときたときに、やっぱり排除するってことで、ハタと自分の国とか、文化圏内というものを意識せざるを得なくて、もうEUがすっ飛ぶじゃないですか。そうすると、またさまざまなことが起こるんだろうけども。ということは、我々人類というものは、喉もとすぎればじゃないですが、結局同じことを繰り返していくという、そういうことなんでしょうか?

    ヤス そうですね。だから、トラウマといったものをきちんと精神的な傷としてね、精神的なひとつの遺産として受け継ぐしかないと思うんですね。

    勘に頼る危険性

    西塚 たとえば本に出すとか。トラウマは日本にもあって、生々しい記憶を持ってる人たちがだんだん亡くなってきた場合に、本には残りますけども、語る人がいなくなっていく。どうしても若い世代になるほど薄まっていく、感情移入できなくなっていくということですよね。それで、理屈だけで中国はとんでもないとか、韓国がとんでもないと言ったときに、アニメなんかもかぶせちゃえば、ひとつの物語が簡単にできちゃう。今、かなり危ないかなと思うんですけど。

    そのへんは、もうちょっと根本的な人間の勘とか、何かイヤな感じ? ヤスさんもおっしゃったように、今回の安保法制に対するデモの人たちが感じたような、何かヤな感じ、あの安倍のやり方はイヤだっていうような感覚のほうを信じたいんだけども、ヤスさんはおそらく、それをもうちょっと明文化したりとか、法則化したりとか、痛烈に認識するような、ある種のメソッドなりを確立しなきゃいけないんじゃないかというお立場かなと、勝手に思ってるんですけど。

    ヤス いや、お立場というか、何と言うかな、人の勘って一番あてにならない(笑)。

    西塚 それは面白いですね。僕は、勘が一番あてになると思うんですけどね、ただ危ういと…

    ヤス だったらね、現在の安倍政権に対する支持率が50%もいってない。やっぱり安倍政権のやってることを見てて、これが神国日本なんだと、美しい日本なんだと、この美しい日本という枠組みにお前らは従えと、上から目線でくるわけでしょ? それからNHKも全部コントロールすると。民放にもすごい圧力がかかると。我々が正しい美しい国家の枠組みを作ってやるという形ですよね。そのようなあり方に対して、おおッ!よくぞ言ってくれた!これぞオレの求めるものだという勘を持つ人が多いということですよ。

    西塚 勘なんですか。勘というのは、僕はわりと信頼をおいてるんですけれども。ヤスさんがいみじくもご指摘になさったね、全体主義に寄り添うこと、思考停止して依存するということは、実は気持ちがいいんだという見方がありますね。僕もそのとおりだと思うんです。だから僕の認識で言うと、自分の勘でこれはまずいなと、こんなことに従っちゃまずいとわかるときもあれば、思考停止して快楽に負けるときもあるな、というぐらいのことなんです。要するに快楽をとるか、勘にしたがってまずいと思うままでいられるか。でも、その勘自体はですね、それ以外に頼るところがないような気がするんです。

    ヤス 逆に、いわゆる全体主義の快楽の中に沈殿していく人はね、もう最初からこれは間違いないと思って沈殿していく人がたくさんいると思いますよ。勘で、ここだ!これは間違いない!と。オレの直感がそう言ってると。むしろ安倍的な全体主義に対して共鳴する人たちほどね、勘であるとか、直感を重要視するんだと思いますよ。理屈で考えない。

    西塚 ヤスさんのお立場とすれば、勘は狂いやすいんだから、むしろ強固な鉄のような論理に従ったほうが、まだギリギリ安全だというような感じですか?

    ヤス まあ、感性ということも信用できないんですよ。その場その場でガラガラ変わるので。自分が感性とか勘とかというものでつかんだものの内容を、一回やはり徹底的に理屈で精査しないと駄目ですね。

    西塚 疑う。

    ヤス 疑う。徹底的に疑わないと厳しいと思いますよ。

    西塚 それは同感ですね。よく言われるように、考えるな、感じろってありますね。考えなくていいという。それに対して、感じるのが一番まずいので、まず考えろと。まず思考だろうという立場もあります。でも、その「考えよう」の論理の危険性は、黒が白になるということなんですよ。いろいろ論理を展開していくと、本当に黒が白になっていくということが、理屈の世界では簡単に起こる。その危険性を僕は思っていたので、やっぱり直感というのは大事だなという言い方をしてたんですけど、前は。今のお話だと、その勘自体も実は危ないという…。

    ヤス 危ないですよ。勘とか直感が、そのままでパッと正しい結論に導くということはあり得ないと思うんですね。やっぱり思考というものを通してみないと。だから、どうやったら考えられるか。考えるってどういうこと?ということですが、これはいいか悪いか、まあ悪いんだけどもね、やはり日本の教育に一番欠けてる部分があるとしたら、考え方を学ばないということですね。

    たとえば、ひとついい例があるんですけど、絵の教育ってあるじゃないですか。日本の小学校でも中学校でも、みんなで美術館いったりする。いろんなところに絵画がある。先生がちょっと説明して、さあ、どう感じるかな?って、いきなり聞くわけですよ。どう思う?美しい?とか。どう思う?って聞かれたら、そりゃ、ああ、美しいとかね、ああ、なんか寂しい絵だとか、何か悲しいとかね、そういう感性的な表現にしかならないんですよ。

    西塚 あるいは、何も感じませんとか。

    ヤス 何も感じませんとかね。フランスって違うことやるんです。絵というのは文学と同じで、理解するものであって、解釈を学べと言うんです。だから、絵の中の意味をつかむための教育をやるわけですよ。絵の構図はこのようにできてて、実はこの絵の中に重要な配置がこうやってあると。この配置の構図は、こうこうこういう意味だと言ってね、意味を読み取る訓練をするわけですね。あなたはこの絵からどういう意味を読み取ったか、と言うわけです。それで、なぜそのような意味を読み取ったのかを説明せよ、って言うわけですね。それが、ある意味で考えるということの訓練になっていく。

    西塚 なるほど。それ面白いですね。僕なんかわりと正反対だったし、画家も完全に僕の趣味なんで、たとえばダリなんてのは嫌いなわけですよ。もう、あざとくて、僕なんか見てらんないんですね。天才なのかもしれないですけど。むしろ、分析できないもの。あるパワーみたいなもの。パワーなんて言うと、インチキくさいですけどね。とにかく圧倒されるもの…あ、絵で思い出しましたが、前も言ったかもしれませんけど、典型的な今の僕の話の例としては、ダ・ヴィンチの絵が上野の美術館にきたんですね。あれは「受胎告知」でした。天使ガブリエルが跪いて、マリアに受胎を告げるという、あれなんです。

    ものすごい混んでたし、アンビエントな音楽が流れてて、牛歩のように進んでいくんですよ、絵の前まで。薄暗い雰囲気で、ああ演出しやがってと、僕は斜めに見てるわけです。だんだん近づいてきて、まあパッと見て帰ろうぐらいな感じなんです。一応見ておこうかなと、せっかくきたんだからと。見た瞬間、パッと見たときに、ちょっと固まっちゃったわけですね。言葉では表現できないんだけれども、ものすごく感動した。感動と言うか、打たれたわけですよ。カミさんといたんですが、どうなったか自分でもわからないわけですね。

    それで、あまりこう言うと何ですが、ダ・ヴィンチの気持ちがわかったんですよ。「受胎告知」の天使の羽があるんですね。羽の上部に肉肉しいところがあるんですけど、ここが一番苦労したっていうのがわかったんです。ただ、それは僕の幻想だと思います。妄想なんだろうけども、まあそういう感受をしたわけですね。しばらく動けなかった。何だこれはと。それで茫然としてて、カミさんとあとで上野で飲んで、実はこうこうこうだったと、あれは何だかよくわからない、と言ったら、ひと言、それは感動したということなんじゃないのかと言われたんだけども、もしあれが感動だとすれば、僕は初めて感動したと思ったんですね。

    そういう、まあ絵で思い出したわけですが、先ほどの分析ということで言えば、たとえばダ・ヴィンチだったら、遠近法であるとか、いわゆる黄金分割とかありますね? そういう話ではなくて、バーンとくるほうの話なんですよね、それとはちょっと違う話ですか?

    ヤス ただ、感動するのはいいと思うんですね。ただ、いったい何に感動したのかという意味にこだわるべきだと思うんです。

    西塚 そこなんですよね、僕はわからないんですよね。

    ヤス それは、やっぱり一回、絵の構図とか何か、絵の意味を構築しているストラクチャーをちゃんと勉強して、それから、なるほどこの絵っていうのはこういうような構図でできてるのかと。そこまで分析して追いつめたときにね、自分が何に反応したのかということを具体的にわかってくると思うんですよ。

    西塚 なるほどなあ。そういう知的な作業が、やっぱり必要だってことですねえ。

    ヤス だからそれは、言ってみれば直感とか感性すべてに言える。だから自分が直感的に、感性的に反応したものというのは、まず、言い方悪いかもしれないけどね、たいてい信用できないんですよ。たいてい間違ってる(笑)。したがって、自分が反応したようなものを、なぜ反応したのかということを、やっぱりまず分析的に思考で考える。そうしたときに、雑居物、ノイズが排除できる。

    西塚 ヤスさんは今、間違ってるという言い方をしましたけども、僕の言い方に変えちゃうと、直感でいいんですけども、その判断が自分にとっていいものなのか、悪いものなのか、ある直感に従ってそっちの方向にいこうとするんだけど、そっちが果たして自分にとって本当にいいのか、どうなのか、っていう意味ですよね?

    ヤス もっと言うとね、思考という部分を通して精査しないと、自分が直感で感じたもの、自分は何に感じたのかっていうね、対象がよくわからないと思うんですね。直感だけでは漠然としてて、何となくって感じで。

    西塚 僕なんかまったく、さっきのダ・ヴィンチの話ではそうですね。全然わけわかんないですもん。何に打たれたのか、わからない。

    ヤス わからないでしょ? 興味ありません? 自分が何に打たれたのか。

    西塚 ありますね。

    ヤス 自分が打たれたものの核心をつかんでみたいと思いませんか? 

    西塚 つかんでみたいですね。

    ヤス 僕はつかんでみたい(笑)。

    西塚 つかんでみたい。それが何かの構図なのか、子どものころから持ってるトラウマ、自分ではもう無意識に抑圧したものが、そこに何か描かれてたのか、というような話にはなるかもしれない。

    ヤス そこで、ある意味で極めて大きな自己発見になるかもしれない。だから何か私見て感動しちゃった、だけではわからないんですよ。

    西塚 それで終わらせちゃいけないということですね。

    ヤス そうそう。やっぱり感性はすごく重要だし、直感も重要なんだけども、いろいろな論理とか思考とのバランスって極めて重要かなと。

    西塚 そこは、そのとおりだと思います。そのバランスなんですね。論理だけだと、またおかしなことになるじゃないですか。感情に裏打ちされた、あるいは感情を乗り越えたうえでの論理とかではなく、ひたすら教条主義的になっていくと、またこれはこれでものすごくひどいことになっていくわけで。理屈だけで虐殺につながる。感情ではなく、本当に僕は論理だけで人を殺せるんだと思うんですね。感情では逆に殺せなかったりとか、あるいは感情のほとばしりで殺すってことはあるかもしれないけど、論理による虐殺が一番怖くて、論理が大量殺人なり破壊をもたらすんだと、僕は勝手に思ってるんですけどね。

    トラウマの“タガ”がはずれて噴出するもの

    ヤス そうですよ。論理って何かと言うと、人間を抽象的に見るという眼差しですよね。具体的に生身を持ってる人間ではなくて、人間をある意味で抽象的に見るという眼差しだと思う。ちょっと、このことを含めてトラウマの話に戻りますけど、やっぱりヨーロッパは、ナショナリズムを生み出した苦しいトラウマを忘れつつあると思うんですね。トラウマを乗り越えたと思った成功体験が続く場合に、そのトラウマを多くの人間が忘れる。

    ヨーロッパに関しては、ある意味ではナショナリズムを乗り越えたEUの成功であって、まがりなりにも、今はそうでもないけど、EUによってかなりの程度、経済発展が確立されたんだと。そして現在のEUの枠組みというのは、超国家的な共同体が厳然として残っていて、ちゃんと機能するものであると証明された。そのような成功体験が長く続くと、人々はかつてのヨーロッパが持っていたナショナリズムの狂気を忘れるんですね。

    じゃ日本はどうだったのか。日本もそうですよ。1945年から70年ぐらい経ってて、高度経済成長もそうだし、バブル期の成功もそうです。それから、失われた20年なんて言っても、まがりなりにも経済大国の中の低成長ですよね。そのようなある意味安定した成功体験の中で、我々はかつての狂気が何を生み出したのかというトラウマを忘れ去った。そうするとね、過去の歴史と同じ轍を踏むんですね。

    そのようなトラウマという視点から中国とかロシアを見ると、中国のトラウマはまだまだ新しいんですね。1966年の文化大革命だし、その次のトラウマは1989年の天安門事件だし(笑)、かなりトラウマが新しいわけですよ。まだ国民が共有してる感情と認識に訴えかけることによって、ひとつの国家を統治できる。

    ロシアはどうだったかと言うと、ソビエトの崩壊ですよね。1991年じゃないですか。それによって、マイナス14%の逆成長をするわけですね。食えなくなる。それは大変なトラウマですよ。いわゆる強力な国家をなくした場合、我々は食えなくなるんだという、ものすごいトラウマですよね。現代の危機というのは、我々がリソースとして使えたような、歴史のトラウマを使い果たしつつあるということじゃないかなと思う。


    西塚 使い果たしてる…

    ヤス いや、ロシアとか中国に関してはいいんだけども、特に日本とかヨーロッパが過去に培った、第二次世界大戦以降のね、そのトラウマのリソースは、だんだん枯渇しつつあるということだと思うんですね。

    西塚 今のお話は、要するにトラウマはあるんだけども、むしろ徹底的に直面してですね、トラウマはトラウマとして見つめたうえで、みんな日本人なら日本人が乗り越えていかないといけないものなんだけども、経済的な繁栄によって忘れ去っていくと。それが高度経済成長期の場合は、逆にそれがジャンプの材料だったかもしれないけど、どんどん忘れちゃう。でもトラウマは残ってるわけじゃないですか。それが、何かの弾みでまたムクムクと盛り上がってきてですね、また同じことが繰り返されるよっていうことかと思うんですけど。違いますか?

    ヤス いや、そうじゃなくて、ムクムクとトラウマが盛り上がってくるならば、もう二度とあの戦争はイヤだというトラウマですよ。二度と原爆は落とされたくないと。もう二度と、戦争のせの字にも関わりたくないっていうトラウマですよね。

    西塚 ああ、そうかそうか。

    ヤス それが忘れ去られてきてると。

    西塚 ああ、なるほどなるほど。そういうことですね。要するに、日本も戦争せざるを得なかった。いろんな理屈はありますよ、アジアを守るとかいろいろありますけども、戦争にいかざるを得なかった大もとにある、感情なり何なり、戦争に駆り立てるものではない話ですよね、それは。戦争体験として、あれは二度とイヤだという人たちが、もうどんどん亡くなっていくということですね。そうか、そういう意味ですね。

    ヤス そうです。どんどん亡くなってきて、もう二度と戦争はイヤだという共通体験がだんだんなくなってくる。

    西塚 なるほど。そうした意味ではトラウマのリソースがなくなりますね。

    ヤス なくなる。そうなんです、トラウマというリソースがなくなる。

    西塚 そういう意味ですか。わかりました。

    ヤス そうすると、戦前の歴史といったものを美化してくるんですよね。すごくロマンチックなものにして、日本がアジアを解放するための戦争が太平洋戦争だったのではないかとかね。

    西塚 小林よしのりなんかもそういうこと言いますけどね、漫画家の。影響力もでかいわけですから。安倍なんかも、それ持ってきますかね、今後。

    ヤス 出てくるでしょう。

    西塚 憲法改正までいきたいんでしょうから。

    ヤス 参議院選挙で過半数をとった場合、憲法改正までいくと思いますよ。

    西塚 まあ、先のトラウマというのは、個人であれ、その集合体である国であれ、やっぱりかなり大きな原動力のひとつにはなると思うので、ヨーロッパはもうそのリソース、要するに第二次世界大戦、ヤスさんがおっしゃったように、戦争は二度とイヤだというものが、日本と同じでなくなってきていると。

    ヤス と思います。ナショナリズムがどれだけの狂気を巻き起こしたかというような悲惨な体験。それがやっぱりだいぶなくなりつつあると思いますね。

    西塚 それで今、一番危ないっていう。

    ヤス 一番危ない。ヨーロッパも日本も、かなり危ないと思いますね。そのトラウマがなくなって、リソースを使い果たしたときが危ないと思いますね。

    西塚 そのときは、何が必要でしょうか? 何か危ないぞ、このままだと危ないぞという危機感を持ったときに。

    ヤス トラウマがなくなってくると、今までトラウマによってせき止められてきた集合的な感情が、逆に吹き返してくる。その集合的な感情は何かと言うと、過去の歴史で大きな悲惨を招いた集合的な感情です。極端な民族主義であるとか、極端なナショナリズムとか、そういった極端なものに対する集合的な感情といったものが、一気にワーッと出てくると思うんですね。

    そのような極端な集合的な感情、極端なナショナリズム、極端な民族主義といったものに、あるブレーキをかけて防波堤になってきたのがトラウマなんですけども、そのトラウマがなくなってきたら、そういう極端なものが噴出してくる。集合的な津波のような感情となって出てきますよ。今、日本がそうですよね。

    西塚 ちょっと唐突かもしれませんが、宗教ってありますね。イスラム教でも仏教でもキリスト教でもいいんですが、各個人が、それぞれの理由はあるんだろうけども、あるトラウマがあるとするじゃないですか。男でも女でも、虐待されたとか、社会人になったんだけど、会社の中で挫折したとか、いろいろ傷つくと。それがトラウマになってなかなか生きづらくなったときに、ちょっと宗教とか、ある仲間とかですね、そこに救いを求めていくわけですね。あるいは極端にグールに帰依することによって、トラウマを忘れられる。そして自分の役割を見つけてしまうというようなことがありますよね。

    それは、かつてヤスさんがおっしゃったように、宗教がかなり大きな救いの装置として機能してたということですね。イスラム教もキリスト教もおそらくそうですよね。でもそれ自体が今、ものすごく危ない話になってきているわけです。そうすると、トラウマをどうやって救っていくのか。個人的にやるものなのか、あるいは仲間といろいろ解消しながら、克服して乗り越えていくのものなのか。そのあたりはいかがですか?

    ヤス ちょっとその歴史の話をすると、トラウマがあるがゆえに、実は肯定的なブレーキとして働いてたってことですよ。そのトラウマのリソースがだんだん使い果たされてきたので、歴史そのものに歯止めが効かなくなってくるってことなんですよ。

    何に歯止めが効かなくなってくるかというと、過去に大変な悲惨と破壊を巻き起こしたような感情の流れですね。極端なナショナリズムとか、民族主義。自分の民族がですね、世界のどの民族よりも一番優秀な民族であって、世界をリードする使命を持っているといったようなね。そのようなことをみんな信じたがってるわけです。

    自分の生まれた国こそが、まさに神によって選ばれた国であってね、我々こそが神に選ばれた民であるってことね。そのような選民思想って、どの文化にもあって、みんな信じたがってる。ただ、それを信じたときに、どれだけの破壊と悲惨を作り出してきたのか。そういうトラウマが現実にあったので、そのような感情に対しての歯止めになってたってことですね。

    西塚 僕の言い方がちょっと悪かったんですが、僕は個人のことを考えちゃうんですね。個人に還元していった場合、さっき僕が言ったようにいろんなトラウマがあって、それを乗り越えるための装置、宗教じゃなくてもいいんですけど、何かに入っていく。そしてトラウマを忘れていくわけですよ。

    本来はトラウマがあったんだけど、それを忘れて、ある宗教に入ったりとか、ある人に帰依した場合に、自分は本来こうだったんだと、要するにさっきヤスさんがおっしゃったように、国が突出していくように、個人もとんでもないところにいってしまう。そういうことを考えると、ヤスさんの話を僕なりに言い換えると、個人は、自分で抱えてるトラウマと直面してるほうが、まだ歯止めになるっていう話になりますよね。

    ヤス そうですね。

    西塚 どこかに帰依したり、何かの集団に吸収されるよりは、まだ安全という言い方もできるじゃないですか。

    ヤス できますね。

    西塚 すごく苦しいかもしれないんだけど、自分のトラウマとずっと向き合ってるほうが歯止めになってるんで、とんでもないほうへはいかないという話になりませんか?

    ヤス そうです。個人でもそうだと思う。ただ、社会、国家というものを考えてみると、もっとそうだと思いますよ。トラウマというのは当然、裏表と言うかな、いろんな意味がありますので。一方では極端なもの、過去に自分自身は極端に悲惨な歴史的な体験を引き起こしたというような感情に対する、ひとつの歯止めとしてのトラウマが働くと同時に、もうひとつは、過去に自分たちを苦しめたそのトラウマを作り出した、そうした対象に対する復讐心という形でも働きますよね。必ず復讐してやるというね。

    西塚 その解消の仕方として、自分が持ってるトラウマをもたらしたかに見える対象の殲滅ですよね。

    ヤス そうそう。対象の殲滅ですね。

    西塚 そいつがいなくなればオレのトラウマは解消するんだ、というような発想ですよね。おそらくそうではないと、僕は思いますけどね…

    ヤス そうね。だから「ヤヌスの鏡」じゃないけど、ある意味でふたつの側面があります。トラウマがあるがゆえに、ある意味で歴史の悲惨を繰り返すような極端な感情は抑制されてた。しかしながら、もう一方のほうのトラウマの果たす役割は、自分を傷つけたものに対する過剰な復讐心を同時に持ってるわけですね。

    西塚 そうなると、やっぱりどうしても中庸、中道という発想になってきて、自分のトラウマをちゃんと理解して、こちらにいけば復讐になるし、こちらにいくとそれを忘れて違うところに突っ走る、その両方があるということを、絶えずずっと認識し続けるという中道の道が重要になってくる。

    津波に飲み込まれない「個」であれ!

    ヤス 中道の道は重要だと思う。それから今、我々がどういうような歴史的な時代に生きているかというと、歯止めになっていたトラウマがだんだんと薄れてきている時代です。その結果ですね、極端な民族主義もいいんじゃないかとか、極端なナショナリズムの何が悪いのと。そしてもっと言うと、極端な復讐心もいいんではないかといったような、今までタブーとされてきたさまざまな感情に対するタガが、はずれ始めたってことなんですね。

    西塚 正当化し始める。

    ヤス そうするとヨーロッパでも日本でも、アメリカでもそうですけども、そういうタガがはずれて、極端な感情が集合的なレベルで出始めているってことですよ。それは恨みであるし、極端なナショナリズムであるし、極端な民族主義である。そういう感情は個人レベルで出てくるわけじゃないんですね。社会全体の集合的な感情として、津波のようにして出てくるわけです。津波ですよ、これ。ボーッと生きてると、その津波に流されるんですよ。

    西塚 巻き込まれるということですね。

    ヤス 巻き込まれないためにどうしたらいいかと言うと、やっぱり個人であるってこと。徹底的に個人であるということです。民族と一緒にならない。国家とは一緒にならない。ちょっとでも一緒になると、本当に津波に巻き込まれていきますからね、僕らはね。

    西塚 あと重要だと思うのは、情報とか、冷静な目と言うんですか、たとえば津波でも、海の水平線見てて、何かあそこがざわめいてるなとか、あれ何かヘンだぞ、だんだん大きくなってきたなという目があれば、これはヤバいかもしれないと高台に登れるじゃないですか。その水平線を見ないで、こっちでドンちゃん騒ぎをしてれば飲み込まれる、というようなイメージに近いですよね。

    ヤス そうですね。ただね、感性と勘だけに頼っていると簡単に流される。

    西塚 なるほど。僕はじゃあ流されるかもしれない(笑)。

    ヤス いや、朝起きたらいきなり変わってますよ、人間って。なんかテレビを見たら、あれなんか変わったな、これ大好き!ってスイッチが入っちゃったら、終わり(笑)。そのぐらい簡単なんです、人間の感情って。勘とかね。そうすると、その歯止めになる、自分は絶対に流されないぞ、という歯止めになるものは何かと言うと、個人としての意識の高さでしょうね。

    西塚 そうですね。そこが悩ましいところで、勘って言っちゃいけないかもしれないけど、違和感とか、要するにちょっとヘンだぞっていうね、理屈じゃない、論理的ではない何かが、自分に知らせてくれる何かがあるわけですよ。それを勘って言っちゃうと、ひとくくりになって危ないかもしれないですけど、でももう、そこに従うしかないようなものと言いますか。

    理屈ではこっちにいったほうがいいんだけど、でも何かイヤだという勘、感じでもいいですけど、それはヤスさんは危ないし、あてにならないとおっしゃいましたけどね。僕はまだね、そこにあてになるものもあったりすると思うんですよね。そうすると、勘でも何か当たるか当たらないかみたいなくだらない話になっちゃうと違うんですが、僕はうまく言えませんが、何かあると思うんですよ。


    ヤス ちょっと話しを変えるとね、個人の極めて高い意識を堅持してれば、それはあり得ると思う。ただそれは、個人としての意識を徹底して堅持してないと、正しいと言うかな、自分を守るような勘はなかなか働きにくいんじゃないかなって感じがする。

    面白い例があるんです。プリンストン大学かどこかの心理学の実験だったと思うんですけど、学生ボランティアを100名ぐらい募るんですよ。その学生ボランティアにはこういうことを言うんですね。君たちはこれから、心理学の学説を変えるための極めて重要な実験に参加するんだと。お金もちゃんと与える。私の実験に協力してくれるということは、歴史的偉業に参加するということなんだぞと言われる。

    どういう実験かと言うと、ひとりひとり学生がある部屋に通される。部屋には、1から10までのボタンがついた机がある。この装置から電源コードが向こうにいる裸の男の体についてるんです。1は弱い電流、10はすごく強い電流だと。そして、私が言うとおりにボタンを押してくれって言われるのね。中に男性がいるんですね。まず1のボタン押してと言われて、1のボタン押すと、微電流が流れて男性がウッて苦しんでる。2のボタンを押してって言われると、もっとワーッて苦しむんですよ。3のボタンを押すともっと苦しむわけね。

    西塚 拷問みたいですね。

    ヤス それでどこまでのボタンを押せるかっていうことで、君ね、じゃあ4のボタンを押して、5のボタンを押してと、だいたい4か5ぐらいにくると男性がワーッ!とすごく苦しみ始めるので、もう私は押せないと。そのときに、何で押せないんだと。君はね、この歴史的な実験に協力することを誓ったではないかと。金をもらったじゃないか。これは君の仕事で、君は押す責任があるんだって言われる。それで、何パーセントの学生が10まで押したかなんです……ほとんど全員です。

    10まで押すと、ウワーッ!!って苦しむわけですね。学生のほうは、さっきの勘っていうところから見たら、勘のレベルから言えば良心の呵責ですよ。もうたまらないと。これはとんでもないことをやってると、おそらく思ってると思う。でも押しちゃう。

    西塚 勘と言うか、感情ということですね。

    ヤス 押しちゃう。この実験の中身を種明かしすると、ケースの向こう側の男というのは役者。別に電流も何も流れてるわけじゃないんですね。調査の対象になってたのは、100人の学生なんです。どこまでボタンを押せるのかと。そこではっきりとした結論が出たのは、どうも責任と役割と役職、この3つを与えられれば、人間はあらゆる残虐なことができる。すなわち、個人を捨てるわけですよ。責任と、役割と、役職というのは、個人を捨てるわけです。

    西塚 すごくよくわかります。でもヤスさん、そうするとね、その役職、役割、義務を与えられた場合に、個人を捨てられると。要するに10を押しちゃう。だとすれば、逆に言えばね、感情的な個人であるほうが安全とも言えませんか?

    ヤス そうです。勘というのは何かと言うと、感情的な個人であり、普通の個人の中から出てくるわけですよ。ただ、その感情的な個人というのは、弱い。役職とか役割を与えられたら、簡単に個人なんてなくなってしまうんですね。ロボットのような、兵士のような状態になるわけですよ。

    たとえば、サラリーマンの人たちだってそうですよね。どこかの企業の課長になってリストラを命じられると。自分が本当に親しくしてきた同僚とか部下を切らねばならない。サラリーマンの美学じゃないですけど、自分の与えられた責任と役割においてこいつを切るんだ、これがオレの仕事だから切ると。でも個人的な感情ではやりたくない。しかし切らざるを得ないといって、実際切るわけですよね、ほとんどの人たちはね。

    組織の中の役割とか、立場とか、役職とかといったものによって、個人といったものは食われてしまって、崩されていくわけです。じゃあ、そうならないためにはどうしたらいいかと言うと、いっさいの役職を突き抜けるくらいの強烈な自己ですよ。

    西塚 個人ですね。個。

    ヤス 私はどんなところでも個でいると。

    西塚 さっきの話につなげちゃうと、そこまでの個である場合、そこまでの個人、自立した個人である場合は、勘はいいわけですね?

    ヤス いいですね。

    西塚 そういうことですね。わかりました。

    ヤス そうです。だから、勘だけというのは駄目ですね。そこまで強烈な自己意識といったものをはっきり持ってないと、勘ってのはあてにならないというか。

    西塚 全部自己責任で、全部自分で責任をとるという痛烈な認識があったうえでの勘だったら、まあいいって言うか、逆に言えば、勘は本来そうあるべきだって話ですね。

    ヤス そうですね。だからもっと言うと、自分は個人であって、たまたまお金を稼ぐためにそういう役職とかね、仕事をやってるけれども、最終的に決断を迫られたら、すべての役職と責任を全部自分は投げ捨てると。個人に生きるという覚悟ですね。

    西塚 そうですね。そう思います。

    ヤス だから問題は、かなり強固な個人としての意識が、極端な民族主義であるとか、ナショナリズムであるとか、集合的な感情の津波から、自分を守るってことになると思うんですね。

    自己の再実感

    西塚 そうなると、冒頭に申し上げたビリー・マイヤーの話がありましたが、彼の書籍は強烈に個であるということを徹底的に言ってますよね。僕はそれしか感じないわけです。とにかく個であれ、個人であれと。自分に降りかかる、おそらく人は死ぬんでしょうけども、それまでに関わってくる現実というのは、全部自分の責任であるからこそ、自分で現実をクリエイトしていくんだという、その痛烈な意識をとにかく持てと。すべてに関してですよね。というふうに僕は受け取ってるんです。そうすると、全部僕の中では話がつながってくるんですけども。

    ヤス ええ。そのような集合的な津波のような感情にね、どうやって抵抗したらいいのか。ちょっと話を戻すと、今我々が生きてるような時代というのは、トラウマというリソースがだんだん枯渇してきて、今まで多くの歴史の悲惨を繰り返したような、集合的な感情といったものが再活性化してくる。おそらくそれは極端な民族主義とか、ナショナリズムというタイプのものだと。じゃあ、それに対してどのようにして抵抗していったらいいのか。

    1930年代のまだヒットラー政権のとき、ユングは個性化という言葉を出したんですね。何かと言うと、人間とは個なんだと。人間というのは、人生の中でユニークな個人として生きることを、魂のひとつの衝動として持っているんだと。そのユニークな個人として生きたいという、その衝動に従って生きるのが一番いいんだってことを言うわけですよ。そのようにして、当時の極端なナショナリズム、極端な民族主義といった流れに抵抗しようとした人だと思うんですね。

    ある意味で我々は、これから同じような立場になるんだと思います。やっぱりどこかで抵抗線を張らねばならない。それは、自我なのかと。個人を支えるのは普通の自我なのか。あるいはユングの言うようにね、我々ひとりひとりの個性化と言うか、個人としてユニークに生きたいという衝動があるから、その衝動に従ってさえいれば大丈夫なのか。おそらくそんなものではない。もっと高度なものが求められる。


    西塚 だと思いますね。僕の浅はかな知識ではあまり言えませんけども、その自我というのは、要するに自分の外に絶対的な神なり、絶対的な存在があるということがないように、自我とか自分というものも孤立してあるとは思わないわけですね。とにかく相対的なもの、ある大きなエネルギーの中での相対的なものとしか捉えられない。要するに、連関してくるし、セパレートできないっていうことですよ。

    そういう認識で、じゃあどうやって生きていったらいいのか、あるいは社会生活を営んだり、人間関係を取り結んでいけばいいのか。それをみんなで考えていかないといけないし、それはむしろ僕は面白いと思うんですけどね。たぶん、昔からやってきたんだろうけども、結局はドンパチやっちゃって、おかしくなって、また忘れたころに新しくピュアなものが出てくるんだけど、今またおかしくなってきて。ある説によればこれで7回目だってことですが、実際じゃあ、それを延々と我々は繰り返すのか、というところに今きている。で、どうするんだ?って話ですね。

    ヤス そうです。だから、その歯止めになるのは、単純な自己意識ではないだろうと。単純な自我ではないだろう。おそらく自我だけではね、集合的な感情に飲まれたときって、ものすごい快感がありますから。その快感の中に簡単に持っていかれますよ。

    西塚 ヤスさんが前回おっしゃったように、要するに30年戦争を経て、それで自我を打ち立てたデカルトが出てきた。でも、今はデカルトじゃ駄目なんだと。

    ヤス 駄目なんです。そう。

    西塚 近代的な自我とか、個人であるとかでは駄目だと。その次のパラダイムシフトが必要なんだと。そこに今直面してるわけであって、どうやって模索するか。いろんな人たちがいます。ましてやある種、逆行するようなスピリチュアル的な集団も出てくるだろうし、個人も出てくるだろうけども、そういう中にあって何を試金石にしたり、基軸にしていくか、あるいは少なくとも基軸だと思って、みんなで考えていくのか。そういうものが必要になってきますね。そういう意味で、僕はビリー・マイヤーの書籍がそのひとつであると思っているわけです。

    ヤス 僕も同じ意見です。僕は本が好きでたくさん読むんですけども、やっぱりその中で僕はビリー・マイヤーってすごく大きな発見だと思うんですね。彼はプレアデス星人とのコンタクティーだということなんですが、そういう存在があるかどうかはわからない。あるかどうかはわからないんだけど、ビリー・マイヤーの本の哲学的な質の高さって際立ってますよね。

    西塚 いやあ、際立ってますね。

    ヤス 間違いなく際立っている。ビリー・マイヤーの本の中で力説してるのは、実は宇宙全体を創り出した創造的なエネルギーというのが存在すると。これは神ではない。これは自然法則、宇宙全体を創り出したいわゆる自然の法則であると。我々ひとりひとりの人間というのは、実は創造という巨大な宇宙的なエネルギーの、ある意味でちっちゃな小片みたいなもので、それが我々の本体を形成してる。それが本来的な自己なんだと。

    そのうえにですね、それとは相対的に分離したところで、物質的な自我、物質的な自己、物質的な意識がある。物質的な意識は、この世の中で自分のさまざまな傾向を作り出してきた自己意識なんだと。ただ本体である、いわゆる我々の本来の自己は、宇宙的な意味での創造のひとつの分離と言うか、分かれたひとつのちっちゃな小片であり、物質的な意識とは基本的に違う。

    その本体にある自己は、絶えず物質的な意識に語りかけてる。本来である自己、創造といったものに早く気づいてくれと、絶えず語りかけてきてる。言ってみれば、自我による個人の設定ではなくてね、本来的な自己、強烈なエネルギーを持つようなひとつの自己として、我々が我々自身といったものを、もう一回個人として実感し直さなければならない。

    西塚 まったくそうだと思いますね。だからデカルトであり、カントであり、たとえばカントは認識を限定したわけですね、空間と時間というもの以上に還元はできないと。でも、その還元できないということも、それは変わり得るというところに今きてる。

    すみません、僕の流れがいつも悪くて、ビリー・マイヤーからいきなりいきましょうと言いながら、時事問題の話をつい引っ張ってしまうんですけど。次はもう、時事問題は10分ぐらいにして、いきなりビリ・マイヤーの話にいったほうがいいですね。

    ヤス いいですよ。だから今、我々のパラダイムシフトって何かと言うと、自己の内部にある超越的な本来的な自己、それをいかに実感するかですね。それが、我々の持つ新しい精神性の本来あるべき道だと思いますよ。それが抵抗になる。

    西塚 わかりました。次回、またよろしくお願いします。どうもありがとうございました。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

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    コメント

    毎回非常に興味深く読ませていただいています。今回は感性と理性の話にとても考えさせられました。

    ビリー・マイヤーについては、偽写真疑惑によって信頼できない人物であると思っていたので、ヤスさんがそれほど高く評価されるのは異様な感じもしているのですが、写真が偽造であったとしても、メッセージそのものの良いところだけを採用すればいいというお考えなのでしょうか。

    私の場合、細部でインチキをする (もし写真転用による偽装が事実であればですが) 人は大きなところでも根本から間違えているのではないかという疑いを簡単には捨てられません。

    ご意見を賜われれば幸いです。

    てづかさんへ

    こんにちは。ヤスです。ご投稿ありがとうございます。ご質問にお答えしますね。

    ビリー マイヤーのことは僕もとてもよく分かります。実は僕も最初はUFO写真偽造疑惑もありましたので、キワモノを見るような感じて見ていました。世間に溢れているUFOコンタクティーのファンタジーだと思っていました。

    一方、マイヤーのUFO写真偽造疑惑を激しく告発している英文のサイトを読むと、なにがなんでも貶めてやるというちょっと偏執狂的なものを感じ、違和感を持っていました。その結果、こうした議論に巻き込まれてもつまらないかなと思い、マイヤーにはほとんど関心を持たなくなっていました。

    ところが、2年ほど前くらいでしょうか、マイケル.ホーンという人物が開設しているマイヤーの英文のサイトに掲載されているマイヤーのエッセーなどを読むようになりました。すると、その内容はことのほか知的な水準が高く、ちょっとした驚きでした。その後、日本ではほとんど知られていないマイヤーの膨大な著作のいくつかを読むようになった次第です。内容の説得力と知的な高度さには目をみはるものがありました。僕は、個に内在する超越的な力の存在をどのように言語化すべきか考えているのですが、マイヤーの本はそれを言語化する方途のひとつを与えているように感じました。

    したがって、UFOコンタクティーとしてのマイヤーにはさほど関心があるわけではありません。マイヤーは、UFOコンタクティーとしての側面のみが大きく取り上げられ、その他に価値のある側面がすべて切り捨てられてしまった人物ではないかと思っています。ですので、ブログではこの切り捨てられている本来のマイヤー側面に焦点をあててみたいと思います。

    でも、てづかさんのおっしゃるUFOコンタクティーとしての側面をどう受け止めるかはマイヤーの信用を確保するうえでも大きな問題ですよね。これからの対談でしっかりと取り上げたいと思います。

    ありがとうございます。

    ヤスさん、大変ご丁寧なご回答をどうもありがとうございます。

    今日の記事を拝読し、コメントをさせていただいたあと、ビリー・マイヤーの多くの著作を翻訳されている明瀬さんのサイトにあるマイヤー自宅訪問記を読みました。
    http://homepage3.nifty.com/honyaku/essays2/billy.html

    明瀬氏もマイヤーのコンタクティーとしての側面 (特にコンタクトの真偽) にはあまり関心を持っておられないようで、さらには哲学への注目をあつめるためにわざと偽造写真を混ぜたのではとの推測まで述べられており、私には興味深い記録でした。

    英語からの重訳ではなく、ドイツ語からの直なので、その点も彼の翻訳には関心を持ちました。

    又聞き情報で安易にキワモノ扱いして切り捨てていた態度を反省した次第です。

    つぎからの酔っぱらいmeetingも楽しみにしています。どうもありがとうございました。

    てづかさんへ

    早速のご返事ありがとうございます。また、貴重な情報もいただきありがとうございます。ゆっくりと読んでみますね。

    私も試行錯誤を続けておりますが、やはりマイヤーの哲学的な部分に焦点を当てることが、今後さらに混沌としてゆく世界に大きな意味があるのではないかと考えております。今後ともよろしくお願いします。

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