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    2023-10

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第17

    11月3日

    第19回の「ヤスの勉強会」の様子を一部アップロードしました。よろしかったらどうぞ!



    次回の有料メルマガの予告

    11月6日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、次の金融危機の引き金になりそうな国について書く。それはだれも注目していないカナダであった。それとともに、アメリカのシェールオイルブームの現状についても書く。最後に、ビリー・マイヤーが提唱する未来を変えるための瞑想法について書く。前回の続きである

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

    amazonで注文

    shinkan.jpg

    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第17回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第20回のご案内

     「ヤスの勉強会」の第20回を開催します。やはり、「抑圧されたものの噴出」は勢いよく続き、世界各地でブラックスワンは発生しています。11月までに起こった変動を解析し、2016年の世界を展望します。

    【主な内容】
    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・中国とアメリカの衝突の可能性は?
    ・世界経済は本当に大丈夫なのか?危機の源泉
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

     よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:11月28日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

     いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    高松の講演会

    以下の日程で高松の講演会を行います。お近くの方はぜひどうぞ!毎回ディープな講演会をしています!

    日時  平成27年11月27日(金)18:30受付 19:00~22:00前後まで
    場所  高松生涯学習センター

    会場内の掲示板にて部屋の確認をお願いいたします。
    〒760-0040 高松市片原町11番地1
    電話:087-811-6222 FAX:087-821-8022
    会費   ¥5000/人

    講演会後、高島先生を囲んでの懇親会を予定しております。場所 未定ですが高松市内にて行う予定です。

    主 催  里坊会計事務所 里坊昌俊
    実行委員 有限会社ウエストフードプランニング小西啓介、ソニー生命保険株式会社 山下智幸、株式会社京蔵 京兼慎太郎、株式会社クリード インテグレーション平野伸英

    内容
    ・見えてきた集団的自衛権の招待
    ・あまりに多い経済危機の引き金
    ・中国が危機の引き金ではない?
    ・ロシアの隠された計画
    ・新しい意識を手に入れる


    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    12月6日と1月16日の2回、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第一回目のパートナーは有名ブログ「In Deep」の岡靖洋さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第17

    spi151

    西塚 皆さんこんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の、えーと17回(10月18日)になりますねえ。いつものとおりヤスさんにお越しいただきました。よろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス カンパーイ! どうも。

    西塚 何か今週は、気になることありましたか?

    BRICs諸国とアメリカの国債の下落が加速する

    ヤス いや、いっぱいありますね。まだ報道されてないけど、経済がちょっとヤバくて。メルマガに詳しく書くつもりなんですけど、新興国からの資本逃避が激しいんですよ。これは、資源価格の低落、新興国の多くは資源産出国なんです。特にBRICsなんかではね。BRICsの中でも資源産出国から資本の逃避が激しくなってる。その一番大きな理由は、世界経済全体の減速にともなう商品価格の低落ということなんです。

    西塚 デフレってことですか?

    ヤス デフレですね、一応。商品価格がどんどん安くなってくると、資源輸出に依存した新興国はかなり大きな余波を食らいます。その結果、経済の先行き不安が生まれて、どんどん新興国から資金の流出が図られる。それで、ちょっと怖いなと言われてるのが、ブラジルとマレーシアと南アフリカなんですね。これから資本の流出が相次ぐと政府困ってくる。そういう新興国の政府はですね、国債を発行しながら、財政をまかなってるわけです。各国が発行した国債は償還しなければならない。償還しなくちゃならない資金は、新規国債発行によって償還すると。その国債が売れなくなってきてるんですね。新興国からの資本がどんどん逃避することによって、売れなくなってる。もし本当に新規国債を発行しても売れないとなってくると、過去に発行した国債の償還ができなくなるわけですから、極端なことを言えば、デフォルトにもなりかねないんです。

    最近ですね、IMFが特別専門家会議を開催した。新興国が相当ヤバくなってきてると。もし新興国のどこか破綻した場合、デフォルトを起こした場合は、もうIMFしか実質的に資金援助して助ける団体がいない。しかしながら、ここまで新興国がたくさんね、危機的状態になると、IMFの資金が尽きることにもなった。じゃあ、IMFはどうやって対処していけばいいかということを話し合う。そういう会議を開いてるんですね。ある意味で、けっこう厳しい状態にあると。

    西塚 BRICs関係の危なそうな国は、中央銀行がお金を刷ることができない国が多いんですか?

    ヤス いや、お金は刷ることはできる。

    西塚 たとえば日本の場合、自国通貨建ての国債なので破綻はありえないという話がありますね。中央銀行が、日本なら日銀がお金を刷ればいいだけなので、まったく問題はないと言うんです。そうじゃない場合は危ないと言うか、ほかに買ってもらわないといけないので。新興国はみんな中央銀行をちゃんと持っていて、自国の通貨は刷れるというのであれば…

    ヤス はい。ですが、ほとんどの新興国はドル建てで国債を発行しているのですよ。ドル建ての国債だと国際市場から国外の投資家に販売できるのでいいのです。もちろん、自国通貨建ての国債も多くの新興国は販売しています。二本立てですね。しかし自国通貨建てだと、投資家はその国の通貨で国債を買わなければならないので、自国通貨の価値が上昇するんですよ。これは輸出に依存する新興国にはマイナスです。また、ドル建て国債の金利は米国債の低い金利が基準になりますが、自国通貨建て国債だとドルのような信用度がないので、金利は高くせざるを得なくなるんですよ。すると、新興国の金利負担が増えてしまうんですね。というような理由で、どの新興国もドル建て国債の依存度が高いんですよ。

    西塚 なるほど。僕は経済オンチですけど、中央銀行があれば、中央銀行が買いますよね、国債を。   買い支える。民間銀行が買ってもいいんだけど、それを中央銀行が買うみたいな感じですね。日本の場合、そうじゃないですか。だから、どういうことなのか…やっぱり、信用の問題なのか…

    ヤス こういうことなんです。たとえば、日本ではなく新興国の状態だとしましょう、ブラジルでもどこでもね、政府が国債を発行している。それを中央銀行がだいたい買うと。それで市中に現金をばらまくということはやる。また、中央銀行が買った現金によってですね、政府が財政を何とか切り盛りするという関係にあることは事実なんですね。それは日本のみならず、どの国でもやってることです。

    ただね、日本と大きく違うのは新興国の発行している国債のかなりの部分はドル建てだということなんですよ。これを中央銀行が買い支えるためには中央銀行が十分なドルを保有していなければなりません。自分でドルを刷るわけにはゆきませんからね。ところが、多くの新興国の中央銀行は買い支えるだけの潤沢のドルは持っていないんですよ。

    もちろん新興国は自国通貨建てでも国債を発行していますから、この部分は中央銀行が買い支えることができます。ただ、日本のようにほとんどの国債が日本国内で買われているのとは異なり、新興国の国債は、国際市場で販売されている。おそらく国債の過半数の保有者は、外国人投資家なんです。

    そうするとまず、海外で国債を販売するでしょ、販売したときもし、これからの経済の先行きが不安だとなったときに、国債が売れないわけですね。ドル建て国債は中央銀行が買い支えることはできないので、価格は大きく下がる。すると国債は売れない。売りが売りを呼ぶ。

    また自国通貨建て国債にしたって、海外の投資家が売り浴びせると中央銀行でも十分意対応できなくなる。もちろん、自分の国の通貨があるんだから、自分の国の通貨を発行して払えばいいだろうと。理論的には可能なんですよ。可能なんですが、大変なリスクを負う。もしそれをやった場合、大変なインフレになります。インフレになるし、国債を販売によって払うのではなくて、通貨を印刷機でプリンティングして払ったとなってくると、その通貨に対する信用力がいきなりなくなるわけですね。だから、中央銀行による自国通貨建て国債の買い支えには限界があるんです。やたらめったらに出来るものではない。

    一番健全な方法は、新規に国債を発行して販売し、その代金で過去の国債を償還するという方法なんですが、国債が売れなくなるとそれが出来なくなるのですね。

    西塚 そうですね。

    ヤス こんな状況だと、政府も中央銀行にも資金がなくなってくる。経済がどんどん悪化するのに、それを阻止するだけの政策を実行することができない。すると、通貨がどんどん安くなる。安くなってどうなるかと言うと、国内がすごいインフレになってくるわけですね。このインフレがクセ者で怖い。たとえばインフレ率が利益率を越えると、まあ我々は資本主義経済にいますから、資本主義経済のもっとも重要なものは利益率です。企業の利益率よりも、銀行の利子率のほうが高かったら、誰も投資なんかしないわけですよ。

    もっと言うと、インフレ率が利益率よりも高い状態というのは、物を買い占めてですね、それを3ヶ月間くらい倉庫に寝かして売ったほうが儲かるということになるわけです。そしたら経済全体の循環がストップしちゃうんですよ。すごいインフレになってくるとね。そうするともっと資本が逃避する。もっとインフレになる。資本がどんどん逃避して、もっと通貨価値が下がる。通貨価値が下がると、もっとインフレになると、手がつけられない状態になる。

    西塚 そうなると戦後の日本みたいに、物の価値がものすごく上がって、物々交換、まあ社会不安ですね。内乱までいっちゃう可能性もある。

    ヤス 実はね、これが破綻という状態なんです。このときは政府にもお金がないので財政破綻している。

    西塚 なるほど、そうなる可能性が相当ある。

    ヤス IMFによると、将来的にそういう可能性を見越した上で、現在も専門家会議を開いているということです。

    西塚 そういうことですか。その報道は海外メディアですか?

    ヤス 『ブルームバーグ』とかね、『フィナンシャル・タイムズ』とか、もう平気で出てますけど。日本国内ではほとんど出てないんじゃないですかね(笑)。あともうひとつね、今日のニュースですけど、アメリカ国債が史上最大の売り(笑)。

    西塚 ヤバそうですね。なんでそうなっちゃったんですか? きっかけと言うか。

    ヤス ひとつはですね、米国債の売りを仕掛けたのは中国なんですよ。実は日本国債の売りを仕掛けてるのも中国。

    西塚 仕掛けてる…要するに弱体化させようってことですか?

    ヤス いやいや、そういう政治的な意図じゃなくて、もっと経済的な、合理的な理由から売ってるんです。どういうことかと言うと、中国経済が減速しています。中国経済というのは、2009年にですね、2008年のリーマンショックがあってから、長い間金融危機が続きますね。その金融危機が続いたときに中国が何をやったかと言うと、大経済刺激策をとるんです。50兆円ぐらいですかね、日本円に換算すると、それぐらいの財政出動をして、企業の倒産を防ぐわけです。それでほとんどゼロ金利状態にして、どんな企業でも銀行から自由にお金を借りやすい状態にする。それで企業の倒産を防ぐことによって、失業率を低く抑えたんです。

    西塚 あれはある種成功と言うか、よかったですね。

    ヤス よかった。その結果失業率が低く抑えられて、中国経済は実はスローダウンしながらも、10%近い経済成長率を維持できた。それによって、世界経済が牽引されたという、まあ2008年、2009年、2010年ぐらいの時期ってそうだったんですね。ただ今、その余波に困ってるわけです。本来、それで倒産すべきような企業がほとんど救済されてしまったので、今の中国というのは、そうした企業による過剰生産の状態にあるんです。莫大な商品が市場に溢れている状態。その過剰生産された製品の圧力によって、中国がデフレ下にあるという状態なんです。それがスローダウンのひとつの大きな原因でもあるんですけど。

    いずれにしろ中国は、経済がだんだんスローダウンします。今度は人民元が、普通にほっとくと下がってくるわけですよ、ガーっと。人民元安に一回火がつくと、これは中国経済の先行きがヤバいねとなって、もっと人民元が安くなってくる。人民元というのは、基本的に中国政府がある範囲内に収まるようにレートを管理してる。ドルのレートの変動幅の2%の変動幅に収まるように管理しているわけです。だからそれ以上下がらないんですよ。

    実際は、市場では人民元をどんどん売る。売る圧力が強い。しかし中国政府は、何が何でも2%の範囲内に管理しなくちゃならない。そうすると、ドルを売って元を買うわけですね。ドル売り元買いの操作をするわけです、中国の人民銀行は。そのドルの資金をどこから得るかと言うと、米国債を売ってドルの資金を得て、得た資金で人民元を買う。そうやって人民元を買い支えて、いわゆる人民元を2%の幅のレートの範囲に収めようとしてる。

    西塚 難しい話ですが、僕の理解で言うと、要するに元が下がっていくので、ドルも下げて、人民元も2%幅に抑えていくというようにも聞こえるんですが…

    ヤス ドルを下げると言うか、ドルの価値というのは、国際的な市場、外国為替市場での需要と供給で決まりますでしょ? ドルに対する元の価値というのは、需要と供給がどれくらいあるかで決まってくるんですね。

    西塚 米国債を最大に持ってるのは中国ですね。その中国が売っちゃうと、全体的に下がるじゃないですか、アメリカ国債の国際的な価値が。

    ヤス そうです。

    西塚 そういうことで、ドルも信用をなくしていくのかなと思ったのですが…

    ヤス そこまで直接的ではないですけど、今中国がやってるやり方、すなわち人民元を買い支えるためのドル資金を得るために、米国債を売ってドルを得て、そしてそのドルを売って人民元を買うという操作ですね。この操作はやはり相当続く可能性があるんです。そうするとこれからは、米国債は下げの圧力が加わりますよね。市場の方向としては。どんどん米国債はこれから下がるようなことになって、下げが下げを呼ぶといった循環になってくると。

    西塚 それが、ふたつ目の経済的な懸念材料ですね。

    エリート主義の官僚と土人の日本国民

    ヤス まあ、ほかにもいっぱいありますけどね。アベノミクスに関しては、ストラトフォという、これも僕のメルマガに詳しく書こうと思うんですけど、CIA系のシンクタンクですね。そこはめったに大胆な予測しないんです。非常に控えめな保守的な予測しかしないんですけど、そこがですね、アベノミクスは2017年で終わりだろうという予測をハッキリ出してきた(笑)。アベノミクスに対する評価は、極めて低いですね、海外的に見るとね。

    西塚 僕なんかの素人でも、今回の安保法制が通ったあとに「新3本の矢」と言いましたけども、それでGDP600兆円、3%成長ですか? 何の根拠もないと言うか、何なんだろうなと。もう駄目ですね。

    ヤス 1億総活躍社会(笑)。

    西塚 何を言ってるかよくわからないし、前回の話じゃないですけど、安倍さんがね、よ   くわからないと言うか、ときどきそういう疑問が出てきて、ヤスさんにもお聞きするんですが、官僚の描いた絵なのか、本人の思ってることなのかが、よくわからないんですね。安倍さんがよくわからない。幼児性とかナルシズムとか、違う側面の話はこの間もしましたけ、何を考えているのかが、よくわからないんです。美しい日本はわかりますけども、天皇を上においた、要するに立憲君主制の国をちゃんと作りたいのか、何なのか。

    ヤスさんもずいぶん前に簡単におっしゃってましたが、戦前の日本に持っていきたいんだというな話ですよね。それもちょっと、緻密じゃないというか、漠然としてるじゃないですか、安倍さんの頭の中がおそらく。だから、何をしたいのかよくわからないんです、正直ね。

    ヤス 何をしたいか、端的に言うとね、自分たちの支配層の既得権益の維持ですよ。

    西塚 それだけですか? 

    ヤス うん。

    西塚 それだけなんですか…

    ヤス ただ、その既得権益の維持ということの中身は、現代の支配層が日本国民を統治する、統治機構そのものを維持するってことですよ。

    西塚 じゃあ前回みたいに、田吾作とか土人とかの話につながってくる話しですか?

    ヤス そうです。田吾作と土人ですよ。

    西塚 …にしておきたいという。

    ヤス しておきたいし、彼らの目線って、やっぱり日本のエリート主義者の目線とだいたい同じだと思うんです。たとえば東大法学部とか出ますでしょ。東大の法学部を出た人たちが、それこそ左系のリベラルにいこうが、官僚になって、どちらかと言うと右寄りの思想的な傾向にいこうが、または政治家になってね、たとえば安倍さん的な感じのイデオロギーの志向へいこうが、基本的には共有している前提の認識があるってことです。それは、国民は土人であり、田吾作であるという認識です。そのようなバカな国民を管理するためには、やはりそれなりの統治機構を上から押し付けねばならないと。そのような統治機構によって日本国が統治されない限り、この国家は存亡の危機に陥るのだ、という認識ですね。

    主権在民というのは、国民にすべての決定権を預けるということですね。あらゆる権力の上に国民をおくという。これはとんでもないアイデアなんだと。これは、西洋民主主義という特殊な条件下で可能になる。しかし、欧米人のようにね、成熟した精神構造ではないんだと、日本国民というのは。もともと田吾作なんだと。土人なんだと。感情のおもむくまま、感情が露出した思考力のない国民なんだと。この国民に、ある程度幸福感を享受させて、それで矛盾なく国を統治していくためにはね、やはり我々が絶対的な統治の権限を担わなくちゃいけない、という認識ですよ。

    西塚 なるほど。わかりました。今のお話でいくと、自分たちは絶対正しいだろうし、バカな国民なので、それを導くためには優秀な我々がちゃんとしなきゃ駄目だと。そういうふうに安倍さんは思ってるんですね。

    ヤス 安倍さんは思ってると思いますよ。

    西塚 官僚ではなく。

    ヤス 官僚とやっぱり同じような意識だと思いますね。要するに今までは、天皇制国家であるとか、そういうイデオロギー的なことを出さなくても、それは可能だったんです。いわゆる戦後の民主主義として与えられた体制を、うまい具合に骨抜きにしながらね、最終的には官僚層と自民党を中心とした支配権力が、上からの統治を行なうことができた。それで問題なかった。

    ある程度の経済成長が十分達成できて、多くの国民が未来にね、より高い自分の生活水準を享受できるという確信、またそのような現実がちゃんと見えてるときというのは、国民は誰も文句を言わない。したがって、民主主義という体裁を守りながら、基本的には全部骨抜きにして、上からの統治権力を維持することができたという状況だったんです。

    西塚 今回のあの、ヒゲの隊長とあかりちゃんじゃないですけど、安保法制に対してみんな声を上げたことは、ある種想定外だったんでしょうが、でもなおかつ、やっぱりあいつらはバカなんだ、わかってないんだ、と思ってるわけですね。

    ヤス そうです。中には物知りな国民がいて、彼らの先導によってね、バカな国民が実は操られることがあると。それでとんでもない方向にいくと。

    西塚 という認識ということですか。自分たちの政策なり何なり、それが間違っているという方向には頭がいかないんですかね。

    ヤス 我々は当然、統治権力者として間違うことがある。間違った方向に国民を導くこともあるかもしれない。しかしながら、バカな国民に対しては、優越した統治権力が必要なのだと。我々が統治するという、この体制そのものが間違ってるはずがないんだと。

    西塚 システムとしてそうだと。あくまでもエスタブリッシュメントとバカな国民、というその構造は変わらないということですか。

    ヤス そうです。日本の場合、すごく怖いのは、最近だいぶ変わってきたと思いますが、そうした政府に対するリベラルな側も、同じ考え方のエリートに率いられてきたということです。我々が啓蒙してやるんだと。我々がこの国民を教育してやるということですよ。

    西塚 朝日新聞みたいなものですね。

    ヤス だから、結果的にいくとこ同じだったということなんですよ。左右のエリートは、相互に互換性があったということですね。

    西塚 本当ですね。今思いましたけど、そうすると一見対立しているような右と左のエリートたちは、目線が同じなので、バカな大衆バカな国民という目線だから、簡単に結託しますよね。

    ヤス そうです。簡単に結託するし、今まで右だったヤツが左にもいくわ、左のヤツが右になり得る。

    西塚 それはもう最悪の構図ですね。大衆がたまったもんじゃないという意味でも最悪なんですが、その誤謬性というんですか、上の人たちは、自分個人は間違うかもしれないけれども、このシステムは完全なんだという。これはどう解釈したらいいのか。自分は駄目だけども、宗教で言えば、この何とか教は偉大なんだという、そういう話しかもしれない。

    ヤス ある意味で、日本というものに対する非常にクールな見方が、僕は全体にあるんじゃないかと思いますね。じゃあ国民で何かできたのかと、今まで。大きな国民運動が下からせり上がってね、それで何か実現ができたということが、この国の歴史としてあったのかということですね。

    西塚 中沢新一さんなんかに言わせると、一向一揆くらいだという話がありますね。一向一揆の蜂起は革命的なものだったかもしれませんが、ほかはないでしょう。明治維新という話もあるけど、あれはちょっと違いますからね。

    ヤス 細かく見るとけっこうあってね、自由民権運動なんかもそうですよ。下から上がってくる革命の契機は、たくさんあるんですね。ただポイントは、そのような革命とか大きな運動が下から上がってくる契機はたくさんあったんだけれども、それがいったんですね、エリート的な思想の主導者に率いられると、本来の改革の力というのがだいぶ薄まってしまう、ということなのではないかと思いますね。

    だから今まで、日本の市民運動と言われているもの、いろんな運動があって、僕は評価すべきものがたくさんあると思うんですけど、ただそういう市民運動の中にも一部ね、やっぱりエリート主義的な運動が必ずあるし、そのエリート主義的な運動は、まず成功しないのではないかと思いますね。

    西塚 僕は、このヤスさんとのミーティングの中でもけっこう言ってたと思いますが、どうも感情的なところに目がいって、エリート主義でも、仲間になったときに排外的になったり、排除するわけですよ。そういう精神的な、構造までいかないかもしれませんが、感情的な流れがどうしてもあるというふうに思うわけです。たとえば連合赤軍のリンチとかですね、あれは見てると、別にエリートがゆえのどうのこうのではなくて、感情じゃないですか、嫉妬とか。それは何か規律があるんでしょう、その組織内では。でも、それを持ってきて気に入らないヤツを処分するに近いですよね。

    そういうものは、原理原則ではなく、ひょっとしたらイスラムのですね、ジハディストたちが持ってるものよりも、もっと幼稚で、イジメにつながるような、下らない感情だと思うんですね。それは、国家の体制に対抗しようとしているような組織でも、そういった幼稚な精神構造に支配されてて、殺人まで犯してしまう。本末転倒と言うか、それは自滅していく。その根本には、幼稚性、個が確立してもないし、お互いに共依存にある関係、おそらく精神医学上の病理的なものに近いような構造があるのではないかと、ちょっと思っちゃうわけです。そっちのほうに興味があるんですね。

    要するに、ヤスさんが言ったような、そんな立派なものじゃないという感じなんです(笑)。エリーティズムというよりは、感情的な幼さなのかなと。僕は、自分のことと照らし合わせても、そう思います。そこが問題なような気がする。スピリチュアリズムまでいかないにしても、そこに関係してると思うんです。また散漫になりましたけど。

    ヤス おそらく、その感情の問題というのは誰にでもあると思うし、特に日本の中で、感情が露出した人ってすごく多いと思うんですね。

    西塚 いわゆる感情的な人ってことですか?

    ヤス 感情的な人。喜怒哀楽が露出するという。その自分の喜怒哀楽と言うかね、自分の感情ですべてのものを決定するというタイプって、すごく多いと思うんです。論理的な思考であるとか、論理的な判断というのが、なかなか成立しにくいタイプの人たち。情に流されやすい、情で判断するというような、まあ日本人の一般的な気質の一部なのかもしれないという感じはします。それはある意味で、官僚層にとっても同じなのかもしれない。官僚でも政治家でも、日本人であればどの水準の、どの社会システムの中のどのレベルの日本人とっても、みんな同じような特質を示すんじゃないかと思うんですよ。

    西塚 そうか。前の福田(康夫)総理にしてもですね、新聞記者でしたっけ? 突っ込まれて、私はあなたとは違うんです!という発言がありましたね。あれも子どもっぽいですし。

    ヤス だから、それは日本人であればみんな同じく持っているような幼稚性で、それがひ   とりひとりがおかれた様々な社会的な文脈で発揮されると思うんです。ただ問題は、それとね、それが発揮される社会的な文脈というものは、やっぱりちょっと違ってると思います。社会的文脈というのはシステムです。

    たとえば、あるエリート主義の世界観を共有してる日本の支配層がいて、日本人というのは田吾作だからね、上から自分たちこそが日本人を統治すべきなんだと作り上げた統治権力の構造がありますでしょ。民主的じゃない統治権力の構造がある。そのような統治権力の構造の中で、細かく個人の単位で見たときにね、お互いに感情の諍いとか、たくさんあると思うんですよ。ただ、そのシステム自体は、感情的なものが作り上げたものとはちょっと違うということなんです。

    西塚 なるほど、見えてきました。前回、安保法制を絡めたお話がありました。僕はどうしても感情的で、それこそ僕が幼いのかもしれないですけど、ヤスさんが強調したのは、日本の戦後70年間において、西洋的な自我があったかと言えばそれはないだろうと。でもそういうことではない。

    今おっしゃったような、システム自体の問題ですね。まずは、守られていたんだと。今回の安保法制に反対することにしてもですよ、天安門みたいにいきなり戦車がきて、みんなを潰したりはしないわけですね。それは憲法で保障されているからで、要するにできないことになっている。まず、そうした憲法が一応あるという。今、踏み躙られようとしてるかもしれないけど、とにかくあると。それによって実は支えられてきていて、アメリカの庇護だろうが何だろうが、そういうことではなく、基本的なシステム、大前提として、社会的に個人が尊重されてきただろうと。その前提で享受してきた平和があった。

    今回のアンチのアクションは、単純に戦争反対とかですね、我々が戦争に狩り立てられるというようなことではなくて、今までたしかに安穏と生きてきたかもしれない国民たちが、どうしてそれができてきたのかということを考え始めたということ。頭パッパラパーでも、とにかく安全で何とか食えて、くだらないことを言って過ごしてこれたじゃん、その大もとは何だったのか、ということですね。

    実は憲法だったんじゃないか。だとすればそれを守って、自分たちでこの楽さ、ユルさを続けていきたいなら、どうしたらいいのか、今回ヤバいかもしれないと言っても、それを考える好機にはなった、それもかなりでっかい好機だということを、ヤスさんおっしゃりたかったのかなと。今さらのようにそがわかってきて、なるほどなと思いました。今のお話でも、そのエリート主義、まあエリートたちの間にもいろいろあるかもしれないけれども、システムの問題だという、そういうお話なんですね。

    ヤス そうです。要するにね、日本のエリートたちというのは、今の我々のユルい国民の生活を守ることができた。その前提にあるのは憲法であることは間違いないんですが、そのエリートたちのひとつの視点から見たときにはね、そうした憲法の大枠を守りながらも、国民の主権在民を徹底的に骨抜きにすることよって、上からの統治権力を現行の憲法の範囲内で推し進めようとしてきた人たちではあると思うんですね。

    問題はですね、どうも経済成長もだんだんかつてのようにはいかなくなってきたし、我々国民もですね、将来に明るい生活が待ってるというふうには思えなくなってきた。そうすると、だんだん文句を言い始めるわけですよ、多くの人たちがね。それからシステムそのものが何でこんなにうまくいってないのかと、システムの根拠を問い始めるわけです。

    今までの憲法の枠組みを守って、それで高い経済成長の保障を探りながらね、なおかつ上からの統治権力をずっと維持していくという、これまでの統治権力構造を維持できなくなってきたときにですね、彼らの上からの統治権力を維持するために、別の憲法の枠組みが必要になってきたということなんですよ。

    西塚 今回、その憲法自体も解釈改憲みたいなことができちゃうという危険性も出てきて、憲法自体も意味がなくなってきだして、どこそこの昔の第三国みたいな独裁政治になってしまうんじゃないかという不安もありますけどもね。だから、システムを変えれば、全部変わっちゃうということに気がついてきた。じゃあ、我々がユルいまんまいけるような、確固としたシステムを作っていく、どこに穴があるかも含めて、考えていこうということですね。

    ヤス だと思うんですよ。基本的にはやっぱりそういう流れだと思います。今、西塚さんがおっしゃったように、前回喋ったことの続きですけど、いわゆる戦争を起こさせないようにということもひとつありますけれども、戦争法案だってこともひとつありますけども、それ以上にですね、我々のこのユルい、大好きな日本ですよ(笑)、このユルさがいいんですよね、競争もあんまりしなくてもいいしね、このユルくて何となくボーッと生きられた日本の前提とは何だったのかと。前提ってよくよく見てみると、実は憲法の存在だったということだと思います。

    システム温存のために何でも利用する官僚たち

    西塚 僕もウカツと言うか、浅はかだったなと思いますね。空気と同じようなもので、普段享受してるとわからないんですね、存在がね。脅かされたときに初めてわかる。たとえば空気がなくなると言われたら、みんなアワ食うわけで。ちょっと大げさな例えですけど、憲法がおかしくなるよってときに、みんな皮膚感覚で、今言ったように空気がなくなるに近いような感覚で、何かヤバいぞ感じた。あらためてそう思いましたね。

    そこで強引に結びつけるわけじゃないんですが、いわゆるスピリチュアル文化が片やありますね。別に今に始まったことじゃなくて、ずっとあった。70年代のユリ・ゲラーのときもあったけど、ときどきブームになって、本が売れたりするということが今までもあったけれども、僕は今回はどうもそうじゃないのではないかと思います。いわゆる3.11の震災、2011年あたりからその流れが強まってきて、ある種の傾向とか、いくつかの流れ、日本大好きだとか、あるいは自己改造型とかですね、僕に言わせればいくつかあるのですが、わりと太い感じの流れになってきてて、ここにきて商売とかビジネスにも絡んでくると思うんですね。

    そこで僕は、何かわけわかんないことにならなければいいなと、浅知恵で考えてはいたんですけど。今のお話、憲法がおかしくなるかもしれないという安保法制の問題とも絡んで、スピリチュアリズムが絡んでくる可能性とか、危険性って何かありますか?

    ヤス 危険性はあると思います。僕は可能性も危険性も両方あると思いますね。ひとつの危険性は何かと言うと、スピリチュアル系の流れとしてね、日本という国家を神聖視するというひとつの流れがあるわけです。それは日本にもともとある、たとえば日月神示であるとか、伝統的とまでは言わないけれども、日本にずっと存在するような、神国日本を讃えるような日本独特のスピリチュアリズムがあるわけですね。それがだんだん強くなってきたような気がしますね。そのような日本独特のスピリチュアリズムに関わっいくと、まさに日本こそがね、世界を救う使命を担った特殊な国であるといった、そのような事実に対して覚醒することこそが、まさにスピリチュアリズムの眼目であるというようなことを喧伝する流れがひとつあると。そういうことがどんどん強くなってくると思います。

    西塚 先ほどのエリート主義の、国家版みたいなものですよね。危ないですね。

    ヤス 基本的に同じです。ただ、おそらくですね、安倍の背後にいる官僚たちのエリート主義というのは、日本を特殊だとは思っていない。あまりにも日本人は田吾作である、アホなんだと、日本の特殊性をそこに見出していると思う。だからと言って、じゃあ日本がすばらしい国かと言うと、そういうわけではない。

    西塚 ああ、そこは決定的で、僕はそこをちょっと確認したいんですけども、ということは僕の理解で言うと、エリート主義の人たちは、自分が優秀だと思っている。だからみんな大衆はバカだと。自分が優秀、あるいは我々、たとえば東大法学部を出た我々が優秀なんであって、あとはバカなんだ。だから我々に任せておけと。自分は間違うかもしれないけど、ほかの同僚は大丈夫だと。このシステムは間違いないと言ったとすればですよ、そうやって敷衍させていくと、日本は大丈夫だ、ほかの国はバカだということにつながりませんか? そういう意味では、僕はすごく似てると思うんですよね。

    ヤス ほかの国はバカだ、日本は偉大だというのは、それはナショナリズムですね。それは、ちょっとうまく言えませんけどね、エリート主義の場合どこに向けられるかというと、それは日本国民に向けられるわけですよ。日本国民に対して我々は極めて優秀なんだと。そしてバカな国民がいるがゆえにね、彼らを率いてね、豊かにさせて、幸福な生活を享受できるようにするのは、我々なんだと。だから我々にすべて任せて、我々こそにすべての統治権力を集中させるきなんだと。それと、日本そのものがすばらしい国であるということは、ある意味で対立した考え方なんですね。彼らのエリート主義の中から見ると、日本そのものが偉大な国で、神の国かというと、彼らはそう思っていない。

    西塚 あ、そのエリートからは出てこないんですか、その発想は。

    ヤス 出てこない。

    西塚 そこ、面白いなあ。

    ヤス 戦前がそうだったんです。日本の戦前の憲法からいくとね、国家神道は宗教ではないとされてたわけですよ。宗教ではないので、国家神道、いわゆる天照大神を祀るであるとか、伊勢神宮にお参りにいくであるとか、あれは宗教行為ではないと。宗教行為ではないがゆえに全国民が強制されたわけですね。

    西塚 なるほど。

    ヤス ここがポイントだよね。宗教行為でないがゆえに全国民が強制されると。それで一応、建前として信教の自由を保つ。いわゆる国家神道に対して礼拝をする。国家神道を敬っていればね、個人個人がほかにどんな宗教をやってても自由だという建前の明治憲法だったんですね。

    西塚 明治憲法は信教の自由は謳ってましたか?

    ヤス 謳ってます。当時、明治憲法がかなり意識したのはヨーロッパの憲法なんですよ。ヨーロッパの憲法の中で、まあヨーロッパおよびアメリカの憲法ですね、そこで言論の自由、信教の自由というのはひとつの骨子になってますから。その中である程度許された。ある程度とは何かと言うと、国家神道をまず敬ったという前提のもとで、個人個人はどんな宗教に入っても自由ですよってことなんです。

    国家神道は宗教ではないということなんです。じゃあ、国家神道そのものは、内容はどんなもんだったかというと、それこそ天孫降臨の神話ですよ。いわゆる神武天皇からの万世一系のね、天皇によって創られた神聖国家であるということです。どこまでいっても日本は神によって創られた神聖国家であるというところが、国家神道の中心に据えられている中身ですね。

    じゃあ、当時の国家エリートがそれを信じていたのかなんですよ。たとえば一等兵、二等兵だとか、戦場の現場にいってるような将兵は、それを信じていたのかもしれない。神の国であると。天皇がまさに神の子であると信じていたのかもしれないし、それは国民の多くが強制された信仰だったかもしれない。じゃあ、たとえば海軍大学とか陸軍大学とか、それから東大の法学部であるとか、その官僚たちがそれを信じていたのかですよ。これっぽっちも信じていない。彼らの理解の中では、国家神道というのは、国家を統治して経営するための、実は都合のいいイデオロギーにしかすぎない。ツールなんだと思ってるわけです。天皇自身がひとつのツールなんだと思ってるわけです。

    ツールと思っているがゆえに、当時の美濃部達吉の「天皇機関説」というのがあるんですが、いわゆる天皇は機関であるという、それに対して、特に軍部の非常に大きな反発もありましたけど、天皇機関説がエリートたちにすんなり受け入れらていくというのは、そういう背景があったからだと思います。だからエリートたちが日本を神の国だと信じているかと言えば、まったく信じていない。偉大な国とかではない。それは国を統治して、富国強兵でね、将来欧米と列すべき強国になっていくために、この国の持っている国民のリソースをすべて出して、そしてなおかつ国を統治していくための、これはイデオロギーなのだ、というような見方だと思います。

    西塚 あくまで、いい言い方というかですね、彼らに対してよく判断すれば、頭がいいがゆえにですね、その宗教とか、わけのわからないオカルトチックなものには引きずられないで、すごく冷徹な、冷静な判断をした結果、我々がこの愚かな国民を導いていくしかないし、戦後のシステムは我々が構築していくべきだというようなことを、本当に信じ込んでいる、しかもそれが日本のためになると、本気で思っているということですね。

    ヤス そうですね。そうするとね、彼らから見て、日本国といったものをうまく統治するために、ナショナリズムが必要であれば、ナショナリズムをとことん利用したい。

    西塚 そこには、この国が好きだからというのはないんですか? それとも自分の既得権益のためだけなんですかね。

    ヤス この国が好きかどうかはよくわからないですね。おそらくね、そういう感情では動いていないと思う。

    西塚 もちろん、家族がいたりもするでしょうから、少なくとも安寧で、安全で、平和的に過ごすためには、我々が必要だし、知恵と力が必要なんだと。家族もそれで、ずっと安泰なのだ、そのために我々官僚がちゃんとして…ということですかね。

    ヤス 我々がやはり官僚としてこの国を率いて、田吾作をね、バカな国民を導いて、どんなバカな国民であっても、それなりに幸福な生活を送れるように、我々がそのシステムチェックをきちんとやって、この国を導いていくと。

    西塚 こんな話も聞きました。かつてはですね、官僚の既得権益を守るために、官僚が描いた絵があるわけですね、それに逆らう総理大臣もいるわけですが、それはアメリカなんかと結託して、その総理大臣を追い出すとか、失脚させるなんてこともあったぐらいだけど、今はかなり密接に安倍さんとやっている。それはなぜかと言うと、人事権を握ったからだと言うんです。内閣人事局ができたからだと。

    要するに官僚自体もですね、派閥とかあって、目指すは事務次官ですよね、基本的に事務次官なんだけども、もう自分は無理だと、そのラインはないと。外務省なら外務省で、あのグループでこの人が次の事務次官で、次はこの人この人というふうにある程度わかっている。でも今はそうではなくて、安倍さん自体が人事権を強い形で持ってるので、自分が安倍さんに取り入ったら、いきなりポッと一本釣りで事務次官なっちゃうかもしれないという可能性が出てきたらしい。そういう期待が官僚たちの間で蔓延し始めた。そうすると、安倍さんを支えようとするわけですね。

    どうしても人間の性として、安倍さんがやりたいようなことを最初に感知して、それを差し出していくということになる。こんなものあります、あんなものありますと。その結果として、安保法制もできあがったという話も一部あるくらいですが、となると、僕に言わせれば、それってただの出世主義じゃんとなるわけですよ。日本のためでも何でもなく、エリートの我々が優秀だからというものでもなく、単純に出世したいがために、政府に擦り寄っていく。だとすれば、今の官僚自体も劣化したのかなということです。

    ヤス ああ、なるほどね、たしかにね。ただ、そのエリート主義とは何かと言うと、安倍さんも含め、現在の自民党の政治家もそうだし、名だたる官僚、主たる官僚もそうだし、官僚システムそのものにね、内在化された制度の意識だと思いますよ。そのような意識の持ち主じゃないと、官僚にもともとならないということだと思います。

    西塚 なるほど、そういう話ですか(笑)。

    ヤス そうそう。そこの、同じ意識を持ってる連中の間の競争なわけです。だから、官僚が出世競争をやるにしろやらないにしろ、官僚の眼差しと安倍さん眼差しは、そのエリート主義という前提ではね、ほとんど違いがないんだろうなと思いますね。

    土人たちの戦略的な迎合主義

    西塚 前回、土人の話がありましたね。浅田彰が最初に言ったそうです。昭和昭和天皇が崩御したときに、みんな皇居前にいって頭を垂れる。それを見て浅田彰が評した表現だそうです。日本人は土人だと。酋長が死んで、あるいは王様が死んで、そこにいって頭を垂れる、これは土人の国だと。それで大塚英志はさすがに土人はないだろう、これはひどいな、それは言いすぎだよ浅田さんと思ったんだけど、ここにきて、ああやっぱり日本人は土人だって言い方をしたのが、宮台真司との対談のこの間の話なんです。

    先日、身近なところで、カミさんは違うわよと言うんですが、洪水がありましたでしょ、ものすごい洪水。あのときに、僕は東京新聞をとってるんですが、最終面に「東京どんぶらこ」という特集があるんですね、これは面白いんです。東京のあちこちのいろんなテーマを取り上げる。僕は東京新聞は好きなので、とってるんですけどね。その「東京どんぶらこ」が一時休載したんです。それは、何かの都合か、緊急ニュースが入ったからかもしれませんが、僕の感覚だとおそらく自主規制、自粛だろうと。東京どんぶらこ…たしかにまあ、わかりますよね。

    昭和天皇のとき、下血が報道されてマスコミも自粛ムードになった。有名な話で、トヨタ・セフィーロのCMに井上陽水が出ていて、「お元気ですか?」というフレーズが口パクになってしまうという。そういう自主規制、自粛をわりと日本中で共有してましたね。華美なことは慎もうとか。僕はそういうことは、今はあまりなくなってきたんだろうなと思ってましたが、「東京どんぶらこ」の休載告知を見た瞬間に、それを思い出したんです。

    その心の性はどういうものなのか。それは、奥ゆかしい日本人の気の遣い方だという言い方もできます。あまりことを荒立てなかったり、ちょっと控えましょうっていう、いい美意識の表れなのか、あるいは過剰なのかというのは、難しいじゃないですか。僕は基本的に過剰だと思ってるわけです。ヤスさんは個人的なご感想として、どう思われますか?

    ヤス 今のは、浅田さん、宮台さんの例ですね、昭和天皇崩御のときの。またもうひとつ、その土人の例としてよく使われるのは、マッカーサーに対する例があるんですよ。たしかね、約50万通の手紙がマッカーサーに送られた。『拝啓マッカーサー元帥様』という本が出てますけど、それからジョン・ダワーというアメリカの有名な歴史学者が書いた『敗北を抱きしめて』という本の中にもですね、44万5千通ぐらいのマッカーサーに対する賛美のレターばかりが送られたと書いてある。その内容を紹介してるんですが、マッカーサーのことを曼荼羅に描いて、毎日拝んでますというの
    があるんですね(笑)。

    西塚 要するに、日本を救ってくれた人みたいな感じですか? ありがとう、感謝という。

    ヤス 感謝して、拝むわけですよ。今までね、日本に原爆を落として、東京大空襲で首都を全部焼いて、日本の都市という都市のほとんどが空爆されてね、そこまでされた相手に対して拝むというのは、これは土人だろうという(笑)。

    西塚 僕は個人的にはそう思いますね。ヤスさんはどんなふうに思われますか?

    ヤス 僕はちょっと違った見方をしています。たとえばアメリカでね、9.11になったときに、アメリカ人は頭がおかしくなるわけですよ。みんな国家の一部になってしまって、どこにいっても、「USA! USA! USA!」と怒鳴りまくるわけですね。

    西塚 メディアも先導する。

    ヤス メディアも先導する。『ニューヨーク・タイムズ』みたいな知的なメディアも一面全部、星条旗ばっかりになるわけですね。もう一日でそういうふうになるわけですよ。それが土人じゃないのかということです。

    西塚 ああ、なるほど。9.11のときに、どこだったかなあ、いいかげんなことは言えないけど、3大ネットワークがありますよね、『ABC』だったかな? 意外と追随はしないで、大量破壊兵器があるかどうかも含めて、検証したほうがいい的な…

    ヤス そうそう。ABCですね。

    西塚 要するに、中立的な意見をちょっと言っただけなんだけども、ものすごく叩かれて。しかも親会社のディズニーかなんかまでいっちゃって、ディズニーのボイコットまでいくんで、これはもう無視できないということで、追随したという話を聞いたことあります。

    ヤス そうそう。そうです。

    西塚 と言うことは、それだけの圧力があって、そうなっちゃうわけじゃないですか。これはちょっと別のテーマで、今日はやりませんけども、ヤスさんの言うところの、そうなるともう止まらない、渦でもいいんですけども…

    ヤス そう、止まらない。

    西塚 津波でもいいんですが、それでいっちゃったという、9.11は。だから、そこの話なのかな。

    ヤス まさにそうです。アメリカなんて言っても、9.11なんてその典型的な例で、まあ、ああやって一気にスイッチが入ると、集合無意識の津波と化してしまうわけですよ。

    西塚 日本人に限らないわけですね。

    ヤス 限らない。だから、それは土人じゃないのか、ということなんですよ。

    西塚 そうか。じゃあ、今は違うかもしれませんけど、宮台さんとか大塚英志とか浅田彰の当時の見方というのは、やっぱりどちらかと言うと自虐史観に近くて、日本人に対して、世界に対する逆コンプレックスみたいなものがあって、だからむしろそれを証明している、つまり西洋を崇めてたんでしょうね、彼らはおそらく。

    ヤス そうね。だから言ってみれば、西洋がね、自我が自立した個人によってでき上がってるとか、理性によって管理されてる民主主義なんてやってんのか、なんですよね。じゃあ中身見てみろと、アメリカで何が起こってるのか(笑)。

    西塚 9.11のときでもう、それは語るに落ちましたね。そのとおりですね。みんな右へならえだったわけだから。同じですね、日本とね。

    ヤス 職場でね、僕の友だちが何人かいましたけど、当時ブッシュ大統領のことをちょっと批判したら、いや批判でもない、私は民主党支持だからと、それでクビですよ。

    西塚 本当ですか? 解雇ですか?

    ヤス うん、クビです。自分の上司がそれを聞いててね、もう君はこの国の国民としてふさわくないって言ってクビですよ。

    西塚 要するに、非国民ってことですよね。

    ヤス 非国民ですよ。そんな雰囲気ですね。

    西塚 そうか。アメリカでもそうなるのか。

    ヤス そうですよ。日本のほうが、むしろ過激じゃなかったということだと思いますよ。だからね、日本人のやり方ってこうなんですね。たとえば、その天皇陛下の崩御のときにね、土人に見えたかもしれないけれども、まあこのぐらいやっておけばみんなから責められないから、このぐらいやっておこうかって程度のものなんですよ。たとえばね、金正日が死んだときに、ウワーッて泣くでしょあれ(笑)。演技かなんか知らないけどね。ああいうことを日本人がやったかと言うと、やってないわけです。じゃあ、天皇陛下が崩御したから悲しいと言いますが、あんまり悲しいとみんな思ってないわけですよ。ただ一応、このぐらいやっておいても、まあ世間的に失礼とも見なされないからいいだろう、という程度なんですね。

    西塚 当時、『朝まで生テレビ』があって、テレビが叩かれて、西部(邁)あたりが、みんなもう金太郎アメみたいに取ってつけたような、お葬式みたいな番組ばかりやりやがってと言って、テレビが叩かれたんですよ。そこに出てきたTBSとか各局の代表的なキャスターたちは、やっぱりそれはほかの局を見てね、自主規制をすると。それはどういう意味かと言うと、お葬式にいってみんな黒いネクタイをしてるのに、自分だけ赤いネクタイはできないだろうと、そのぐらいのもんだというようなことを言ったんですね。だから、それはある種当たってたのかもしれない。

    ヤス だと思う。だからね、そのぐらいに抑えてるってことが、僕はそれこそ健康だと思いますよ。はるかに健康だと思う。

    西塚 なるほど。それはちょっと恐れ入りました。僕もちょっとまだ過激と言うか、偏向がありましたね。

    ヤス だからね、今回「東京どんぶらこ」でもそうだと思うんですね。このぐらいに抑えておくと非難を受けないだろうなっていう、やっぱり日本人特有の感情に対する適応力の豊かさだと思うんですね。

    西塚 むしろ冷静な判断とも言えるという。

    ヤス 冷静な判断です。

    西塚 なるほど、すみませんでした、それは僕はやられたなあ(笑)。僕はちょっとカーッときて、何なんだよ、東京新聞まで自主規制しやがって、と思うこれがヤバいですね(笑)。

    ヤス いや、そんなことない(笑)。たとえば、マッカーサーの手紙に関しても、僕は同じような感じなんですよ。マッカーサーに手紙を出してね、曼荼羅に描いてね(笑)、それを拝むっていうのは極端なんだけど、マッカーサーに対してたくさん感謝の手紙を出すと。それね、自分の心からの感謝であるかどうかってわかりませんよ。このぐらいのことを日本国民としてやっといたら、まあ悪いことはねえだろうなっていう程度。占領軍って何者かわかからないわけですから。占領軍という恐ろしいものに関してね、自分たちが極めてマイナスを被るというリスク、弾圧されるかもしれない、そのようなリスクをできるだけ緩和するための、事前の措置としてやってるということだと思いますよ。

    西塚 可能性はあるかもしれないですね。まあ一部には、熱狂的に頭がパッパラパーになっちゃって、ありがとうになったかも知れないけど、一応そうやって様子を見るって言ったら何ですけど、とりあえずは戦略的な迎合、おもねり、いざとなったら本当に竹ヤリを持っていくかもしれないですしね。

    ヤス そうです。だから、戦略的な迎合ですよね。そこに、何かのプリンシプルと言うか、原理性がないと言ったって、原理そのものを見出すこと自体が間違ってますよ。なぜかと言うと、だって(笑)、ひとつの感情に対する適応、必死の適応のやりかたなんだから。

    西塚 ある種のフレキシビリティも言えるわけですね。

    ヤス フレキシビリティですよ、それ。

    西塚 わりとあの、ヤスさんの、ときどきですけど、日本人として、大衆というふうにくくっちゃうと、わりとこう非難と言うか、批判という側面が強いのかなと僕は勝手に思ってたんですけど、両方見てらっしゃるというのがわかりました。

    ヤス いや、そうなんです。

    西塚 僕のほうが、ネトウヨっぽいなあ(笑)。

    フレキシビリティをなくした現代日本

    ヤス いや、そんなことない、そんなことない(笑)。だから、僕は一番注意しなくちゃならないのは、エリート主義だと思うんですね。それは、左右、リベラル、どこにしろそのエリート主義がはびこってますので。エリート主義にもっていくと、何か本質を見誤るわけですね。だから日本人というのはね、いい意味でも悪い意味でも、極めて冷静な判断のもとで行動していくという側面があるんですね。それは、有利か不利かですよ、基本的には。

    西塚 それは、損か得かとは違うんですか。

    ヤス 同じですね。損か得か、有利が不利かで判断するわけです。このように自分たちが行動してくと一番得である、有利であると。一番有利な合理性のもとにスッと動くわけです。

    西塚 それ自体は、善悪を言ってもしょうがないけども、ヤスさんどう思われますか?

    ヤス たとえばね、何かの強烈なプリンシプルがある場合、ひとつの原理性があって、その原理性のもとにね、反抗したり、迎合したりという、批判的な精神のもとに批判しようとする場合は、一応カッコよく見えるんですけど、場合によってはものすごいリスクを負うわけですよ。

    今、我々は、原理で闘ってるような人たち、フランスの労働者であるとか、フランスの人権活動家であるとか、メルケル政権にね、国是となってる原発政策を転換させて、反原発に歩み出させたいわゆるドイツの国内の反原発運動であるとかね、ヨーロッパ、またはアメリカの人権闘争であるとか、そういったものをたくさん見てるわけです。その原理による闘争っていうものを。間違ってるものは間違ってると。我々の原理からしてみれば、必ずそれは是正せねばならないと闘うわけです。しかしながら、同じ原理に基づく闘争というのは、いろんなところにあるわけですよ。イスラム原理主義だってそうです。まさに原理に基づく闘争じゃないですか。北朝鮮は一番原理主義的な国家ですよ(笑)。原理で物事を判断する人たちが多いわけですよね。

    原理で物事を闘うことは、まさに原理に合わないものを是正してく上で、大変な闘いとリスクを強いられるわけです。命がけの闘いになるかもしれない。それはすごく大事なんです、局面としてはね。しかしながら、その原理性の根底が、たとえば宗教的な原理性である場合は、泥沼の闘いの中にに入っていくことになる。キリスト教だってそうだしね、イスラム教のイスラム原理主義だってそうだし、宗教的な原理性というのは、大変な闘いになっていく。言ってみれば、原理で闘うということ、その根本の原理が何なのかということ。それをよく見ないと、原理で闘うことすべてがいいかというと、そういうわけではないということですね。

    西塚 よくオポチュニスト、機会主義者というのは、わりと揶揄される対象だったじゃないですか、ずっと。何だ、それってただの機会主義じゃないか、とかですね、わりと揶揄されるような言葉、ネガティブな言葉だったと思うんです。要するに、ご都合主義ですよね。ということが、あたかも悪いかのように言われたけども、ある面、原理主義、何かこう筋が通ったことを通すということは、いいときもあるけど、もちろん危険性もある。ご都合主義とか機会主義でも、いい加減でその場逃れのこともあるけども、場合によってはものすごくフレキシビリティを発揮した、すごく実用的な、実践的な、効率のいい、有効的な手段とも言えるってことですね。

    ヤス そうです。だから我々、日本人の一般的な特性として、そのフレキシビリティですね。そのフレキシビリティを日本人が発揮してるときって、国が一番発展してきてるんではないかなと思います。

    西塚 なるほど。それは何でもモノマネしちゃうとか、何かやられちゃっても忘れちゃって、迎合してると言うけども、今ヤスさんがおっしゃったようなことで言えばそうですよね。全部取り入れて、融通無碍に取り入れて、それをまた、すごく実践的な、その時代に合ったものとして、加工なり発展させて、みんなを幸せにする。

    ヤス そうですね。だから、戦後の日本が発展してるときにね、日本人が発揮してたフレキシビリティって大変なものがありますよ。今まで敵だったアメリカの植民地になるわけですから。ある意味で、植民地になりながら、最大限の経済発展をするというね、最大限の経済発展が可能になるように適合していくわけです。原理にこだわってたらそのような適合ってできないわけですよ。

    西塚 詳しいことはわからないけど、生物学的な意味で全生物、地球上の生物がもし生き残っていくとすれば、やっぱりフレキシビリティのはずであって、そういった意味では、日本人の対処の仕方というのは、ひょっとしたら世界200カ国近くある中で、ある種のモデルとしては、かなり研究されるべき面白い国民であり、国であるかもしれませんね、そういった意味では。

    ヤス 今、ちょっと面白い本を読んでて、『愛国の技法』と言うんですね。戦前のポスター集なんですよ。戦前、ビジュアルでね、どんなふうに愛国心を盛り上げていったか、たくさん見れるんです。ここまで鬼畜米兵って叫んでたのに、戦争が終わったら、一気にワッと変わるわけじゃないですか。それはね(笑)、ある視点から見たら田吾作だし、土人なわけですよ。原理がいっさいない。こいつは何だ?と思うわけですけど、逆に原理に囚われたときのリスクを考えて適応してるわけですよね。それはね、冷酷なと言うか、非常にクールなリスク判断がないとできないわけです。

    西塚 逆に庶民も含めて、そういう明確なリスク判断なり視点があったかというと怪しいかもしれませんが、皮膚感覚とか無意識のうちにそういう行動ができるような人が多いってことですかね。

    ヤス まあ、そうですね。そのようなことが、基本的な原理となっている。だから我々がよく「時代」とか言いますね、時代なんて言葉がありますでしょ? 時代って何かと言うと、何に適合すべきかというのを表すための基準線、そういう言葉です。時代という言葉にはそういうことが込められてる。今はそういう時代じゃないから、とかね。

    西塚 たとえば、僕はやはり人間はそんなに変わらないと思うので、日本人だけじゃないだろうと思うんですね。日本人が、わりとそういうことをほかの国と比べてできてきたということは、おそらくヤスさんがおっしゃるように、何かシステムがある気がします。アーキテクチャがある。日本人がアプリオリな形でフレキシビリティを発揮させるような、とたえば遺伝子を持っているとかということではなくて、それでもいいんですよ、結果的にそうだったということでもいいんだけど、その前に、日本独特の何か構造なりシステムがあるのかもしれません。

    ヤス そうですね。知の維持の仕方だと思うんです。日本でよく哲学がないと言われてますけども、抽象的な世界観をことごとく拒否してきた民族ですよね。どうも日本独自の抽象的な世界観ってなかなかない。たとえば朱子学、江戸の国学の時代ですけど、朱子学と儒教がどんどん入ってくる。特に朱子学は極めて原理主義的な世界観ですよ。世界とはこうあるものだと体系的に説明する。それに対して、当時の国学者たちは、真っ向から否定するわけですね。

    その結果、たとえばでき上がってくるのは、本居宣長的な直感主義ですよね。世界観なんかないと。物事の本質なんかないんだと。見てるままがそのままなんだと言うわけです。見てるものはみんな滅びていく、どんなものでも、やっぱりなくなっていく、それをね、自分が滅びゆくものを見て楽しんでいく、というのが心なんだという形で、目に見えるものそのものの中にしか本質性がない、その裏側に理念なんかないと否定していくわけですね、全部。言ってみれば、高みの論理から考えないというある知の態度、知の持ち方がひとつあったと思います。僕はそれは極めてユニークだと思う。なぜ我々はそのような知の持ち方、知の態度を選んだのか。これは極めて興味深い問題だと思うんです。

    西塚 ひょっとしたら、プリンシプルがあるように思われている極右的な作家に三島由紀夫がいましたね。彼の最後の四部作は、結局は最後はポツンと庭があるだけなんですよ。空虚で終わるわけですね、僕の読み方だと。何もなかったという終わり方じゃないですか。そこにも通じるような気がして、個人的にもそれは面白いテーマだと思いますね。スピリチュアリズムまでちょっといかなかったですね、今日も。

    ヤス 今の日本というのは、プリンシプルがないこと、原理がないこと、田吾作であることが危機なのではないんですよ。田吾作じゃなくなってきてるってことなんですね。考えなくなってきたか言うと、そういうわけじゃない。フレキシビリティをなくしてきたんです。

    西塚 逆にね。硬直してきた。

    ヤス 硬直してきた。

    西塚 それが一番危ない。

    ヤス 一番危ない。

    西塚 それは一部、安倍とか官僚であって…

    ヤス 日本国民全体がフレキシビリティをなくしてきたということですね。

    西塚 ああ、じゃあ反旗を翻したデモにしても、あれもある種のプリンシプル…

    ヤス あれはいいんです。あれは、我々みんなが本当に考えるようになった。このまま流れに任せておいたらヤバいので、やっぱり変換させなくちゃならないという、ひとつのフレキシビリティだと思いますよ。我々がフレキシビリティをなくしてきたことは何にかと言うと、世界認識です。たとえばね、第二次世界大戦の戦時中、アメリカは鬼畜米兵、敵だったわけじゃないですか。その敵にやっぱり負けたと。それから次の主人はアメリカになった。アメリカになったという現実、ああ、これからの世界はアメリカねっていうことで、簡単にそこで折れて全面的に受け入れて適合していくわけです。一気にこっちだッ!と言って適合していく。すごいフレキシビリティ。それで発展していく。

    今は何かと言うと、実はアメリカじゃないね、なんですよ、世界はね。もう中国だね、なんです。もしかしたら韓国だね、中国だね、アジアだね、なんですよ。徹底的に日本はそれを拒否するわけです。かつての、いまだ30年前の硬直した世界観の中に、ワーッとしがみついてる日本人がいかに多いかということですね。それはね、怖いことだと思います。

    西塚 ああ、そういう意味ですね。だからもっと我々は、アメリカに原発を2発も打ち込まれて、やられちゃったにもかかわらず、フレキシビリティを発揮してですね、発展してきたあのときを取り戻すというか、むしろあれでアジアに戦略的に迎合してですね、戦略敵にリーダーシップをとっていくべきだって話ですね。

    ヤス そうそう。そうするべきです。中国のほうに主軸が移ってきて、明らかに世界経済、世界政治の中心点になりつつある。ロシアもそうだと。嫌韓とか嫌中とかね、クダラないことを言うのは、あれはフレキシビリティをなくしたっていうことの証拠ですよ。

    西塚 おっしゃるとおりですね。中国には洗国があります、洗う国ですね。だから逆にこっちが戦略的におもねって、いい気持ちにさせて、何だか知らないけど日本文化で、昔の満州みたいなもので、だんだんこっちから侵食して(笑)、むしろ乗っ取っちゃうと言うと言葉が悪いけども、染めちゃえばいいんですよ、日本文化で(笑)。

    ヤス そうそう、そういうことをいくらでもできるわけですよ。そういうようなフレキシビリティをなくしてしまったということ。ある意味でナショナリスティックな原理主義的硬直性でいく、これは今我々が滅びに向かっているという証ですね。

    西塚 だとすれば、神道を中心としたある種の、まあカルトと僕は言いたいんだけども、言わないにしてもスピリチュアル系の集団なり、傾向というのはかなり危ないですね。

    ヤス 危ない。

    西塚 足を引っ張る方向ですね。次回そのへん突っ込んでいいですか?

    ヤス いいですよ、突っ込んでください。

    西塚 今日はもう時間もあれなんで、どうもありがとうございました。

    ヤス いえいえ、こちらこそ、どうもどうも。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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    原理主義と敗北と現実逃避と、、

    千葉県、茨城県の一部の自治体での、
    甲状腺異常の増加はチェルノブイリよりも早い見たいです。

    http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008

    日本国ですが、もう敗戦間近ですね。
    ソ連対日参戦みたいに、今のような米国追従ならばロシア軍に介入されたりしないのでしょうか。
    福島第一原発の放射能により北海道と日本が分断されそうですし。


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