2017-04

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第13の1

    10月5日

    次回の有料メルマガの予告

    10月9日、午前0時10分に配信する次回のメルマガは、ロシアのシリア空爆に連動した中国軍の動きについて報告する。まったく日本では報道されていないようだが、重要な動きだ。エゼキエル書の予言に似てきたのかもしれない。また、集団的自衛権強行採決以降の海外の日本のイメージについて紹介する。やはり思った以上に悪化している。知っておくべきことだと思う。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

    amazonで注文

    shinkan.jpg

    今回はちょっと更新が遅くなった。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第13回である。その前半だ。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第19回のご案内

    「ヤスの勉強会」の第19回を開催します。やはり、世界は一層流動化する方向に向かっているようです。今回の勉強会は9月・10月変動説を総括し、2015年末から2016年の世界を展望します。

    【主な内容】
    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・全体主義のファシズムに向かう日本とその危険性
    ・大きな戦争の火種になりかねないシリア
    ・スピリチュアリズムの向かう方向

    よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:10月31日、土曜日
    時間:1時半から4時半前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

    いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    健幸カレッジ

    10月7日、四谷で「にんげんクラブ」の「健幸カレッジ」で講演を行います。普通の講演会では話すことのないスピリチュアルな話を多く話するつもりです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第13の1

    ojaji131

    西塚 『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』です。今日(9月20日)は、13回になります。今回もまたヤスさんにおいでいただきました。今日もよろしくお願いいたします。カンパーイ。

    ヤス こちらこそ。はい、カンパーイ。

    安倍政権の暴挙!

    西塚 まあ、これは話さなくてはいけないかなあと思いますが、昨日、19日ですか、例の安保関連法案、11法案が通りましたね。参議院の本会議で可決されました。これに関してヤスさん、何かひと言ありますか?

    西塚 安保法案そのものの中身に入ると細かくなるので、基本的なポイントだけ言うと、まず、あれは違憲であることは間違いない。少なくとも、憲法学者の95%くらいが違憲であるということを表明して、どう読んでもあれは違憲ですよね。

    民主主義のシステムとは何かと言うと、憲法というものの大きな根本的な定義に係ってくるんですが、国民が政府を管理するシステムを民主主義というわけです。国民の力によって、横暴な政府の権力を抑え込むということが必要になんですね。それを可能にするのが憲法なんです。だから、憲法は何か国の最高法規で、いわゆる刑事訴訟法であるとか、民法であるとか、そういうものの上に立つね、何か大枠のルールであるというような感じで読んでると思うんですが、実は憲法の位置が違うんですよ。憲法とは、国家権力の横暴から国民の権利を守るための法規なんです。

    じゃあ、その憲法だけでね、政府の横暴であるとか、たとえば官僚の横暴な権力の使用であるとかいったものが、憲法だけで担保されてるのか、保障されてるのかというとそうではない。多くの政治家、与野党問わず、全員のコンセンサスが存在している。ある意味での常識があるわけです。こういうことはやめようねと、これをやっちゃうと国家権力の横暴になって、憲法が骨抜きになるから、これはやめようねという、いくつかのポイントがあったんですね。

    たとえば内閣の解釈による解釈改憲はやめようと。それをやってしまうと、狂った内閣が出てきて、本来違憲である内容を内閣だけで解釈して、それを押しつけることになると。それは権力の横暴だから、それはやめようと。もうひとつは、憲法を擁護するためのいろいろな機構があります。最高裁判所もそのうちのひとつですが、内閣にある内閣法制局もそうです。内閣法制局というのは、政府がやってることが憲法に違反してるかどうかを監督するための機構で、この内閣法制局長官は、人事権は内閣にあるんだけど、手は出さないでおこうねと。

    西塚 安倍が替えちゃいましたね。

    ヤス そう(笑)。内閣法制局長官は、中立性の高い人物にしておかなくてはダメだと。これがふたつめでしょ。第三にあったのは何かと言うと、公共放送に対する介入なんですね。公共放送を、現政権が内部に入って操作してしまうと、それは公共放送に対する権力の介入である。そうすると政府の暴走が止まらなくなる。それはやめようということだった。これは政治家全体のある了解として存在していたということなんですよ。

    なぜそうなのかと言うと、今まで言った、たとえば解釈改憲が可能になる、内閣法制局長官の首をすげ替えられる、公共放送への介入が可能になる。とち狂った政権がそれを全部やると、最終的にその政権の意向を実行するのは誰なのかと言うと、官僚なんですね。そうなってくると、とち狂った政権のみならず、官僚の権力が手がつけられなくなるわけです。だから、これはやめようね、といったいわゆる政治家全体に共有されている空気のような常識が、この70年間あった。これをぶっ壊したんですね。

    西塚 ぶっ壊しましたね、見事に。官僚をチェックするために政治家がいるはずなのに。今回の内閣法制局長官も、あれは要するに、安部が今回の安保法案の改正にノーと言わないヤツをおいたということですよね。

    ヤス そうそう。お友だちにすげ替えた。

    西塚 許されないですよ。

    ヤス 許されない。それで、明らかに違憲であることを解釈改憲するということは、これはやってはならない。これもやりましたね。安保法制そのものは全部そうだし、集団的自衛権もそうです。それから第二にですね、今おっしゃったように、内閣法制局長官の首をお友だちにすげ替えた。それからNHKの理事長もやはり、お友だちにすげ替えた。

    西塚 籾井ですね。

    ヤス 籾井ね。全部お友だちにすげ替えるわけです。これをやっちゃ、民主主義じゃなくなるだろうと。

    西塚 そこで僕は思うのですが、国会議員は内閣総理大臣の安倍だけじゃなくて、ほかにもいくらでもいるわけですよ、自民党にも。今回の総裁選の安倍の再選を見てもですね、総裁選が機能していない。野田聖子が出ましたが、派閥政治の解消としてやってきたある種の結果なのかもしれませんが、安倍に対抗するヤツがひとりもいない。そうすると安倍の言うとおりになるという、ある種の恐怖政治、キム・ジョンウンと同じですよね。

    ヤス そう。たとえば、イギリスでもアメリカでもフランスでもドイツでも、どんな民主主義国家でも、ああなる危険性があるわけですが、それは憲法だけによって全部定めるというのは不可能なわけです。そうすると、憲法の定める憲法の精神に従って民主主義が機能するように、内部のチェック機構が二重三重四重にも、五重にもあるわけですよ。そういうチェック機構の中にはね、いわゆる政治家の常識として共有されるという部分もあるわけですね。

    西塚 常識のみならず、第三者機関みたいなものがしっかりあるわけですね。

    ヤス しっかりあります。どの国でも内閣法制局みたいのがやはりあるわけです。憲法裁判所という名がついてるところもあります。だから、ああいうことをやっちゃ、ある意味ナチスと同じ手口になります。基本的にナチスと同じ。

    西塚 今回、まったくそうだと思いました。

    ヤス ナチスは、ワイマール憲法というもっとも民主的な憲法の中で定められてる総選挙で、どんどん大きな党派になって政権を取った。それで何をやったかと言うと、ワイマール憲法という民主的な憲法の枠組みの中で、全権委任法を可決するんですね。明らかに違憲である法律を圧倒的多数で可決することによって、政府を乗っ取るわけです。

    西塚 ヤスさんがさきほどおっしゃったことは、憲法は六法全書にあるような意味での法律ではなく、その上に立つ、法律というよりはある種の理念だということですよね。

    ヤス あれは理念です。そうです。国の形だということ。

    西塚 それで、何となくコンセンサスがとれているようなものがあるのに、それを踏みにじって、超えて、安倍が今回ぶち壊した。でも実際、合法的と言えば合法ですもんね。

    ヤス そうです。違法性はないですね。絶対的な違法性はない。ただし、これをやっちゃおしまいだということ。

    欧米人の「個」と日本人の「個」の違い

    西塚 そこ、どう思われますか? 僕は、前に落語の話やドラマの話が出ましたが、それ言っちゃあおしまいだよという、寅さんのような、ある種のコンセンサスがある。ジャン・ジャック・ルソーの一般意志のようなものがありますよね。それが、ヤスさんがおっしゃるように、ドイツの例に絡めた国民の集合無意識がすごいネガティブなものとして出てくる、といった話にも繋がるかもしれませんが、それとは別の一般意志、コンセンサス、常識的なもの、良識というものに、寄りかかりすぎてきた結果だとも言えませんか、今回は。

    ヤス 寄りかかった結果、これだけ大きな反対運動が起こったということだと思うんですね。

    西塚 ああ、そっちのほうですね。

    ヤス だから、これをやっちゃおしまいだというのは、たとえば職場という環境があるとする。対立する上司と部下がいる。それで、お互いにすごく憎み合ってるからといって、その場で殺し合いはしないでしょう。それをやっちゃおしまいだ(笑)。相手を個人的に傷つけるようなことを言うのも憚られますよね。それを言っちゃおしまいだと。

    やはり仕事の上の対立というのは、職場という環境だったら、仕事の上で対立を処理するうまい具合のやり方があるわけですよ。ちゃんとしたね。みんながコンセンサスを持ってるやり方がある。当然、どの現場でも、職場でも、対立があるのは当たり前ですから。だったならば、それを最小限の矛盾で解決しようといったような、解決のひとつのメカニズムがある。

    国家というのもそうなんですよ。憲法を守るためには、これとこれとこういうような常識があるよねと。

    西塚 前回までのお話の中で、日本人に限らないんですが、民族的なトラウマも含めて、寝た子を起こして、とんでもなく暴走する可能性がある集合的な意識下に眠っているものがある。それが今回は、図らずも安倍の子どもじみた狂態と言うか、無謀な振る舞いによって、実はいい面のほうが出てきてという気がするんですね。

    普通の学生や主婦が、ああやってデモにいく、といったこともそうでしょうし、今まで意識もしてこなかったものがあぶり出されてきた。新聞を見てたら高橋源一郎がいいことを言ってました。僕はブランショは読んだことがないのでよくはわかりませんが、ブランショが共同体について言ってるらしく、理想的な共同体は一時的な共同体だと。テンポラリーなものだと。何か問題が起きたときに、みんながバーッと集まって協議する。そしてうまく解決したら解散する、といった一時的な共同体ということを言ってるらしいんですね。僕は知りませんでしたが。今回はそれに近いと言うか、いきなりわき上がってきたような気がして、それは日本人のある程度良質な部分、何かおかしんじゃね?みたいなものが、安倍のあの暴挙によってあぶり出されて、今のこの運動に繋がっているということは、僕はこれはいいことなのかなと思うんです。

    ヤス いいことですよ。

    西塚 反面、松原照子さんが昔の書籍で書いた、地獄の道に日本国民を連れていく安倍という、あのフレーズをどうしても思い出してしまうんですが、あれは数年前からヤスさんが、こういうものがあるとおっしゃってたのを僕も聞いて、そのお話も当時しましたが、本当にそうなりましたね。ただ、あれとはちょっと違う展開かなと。違うラインが出てきた、というふうに僕はとらえたいと思ってますが、そのへんはいかがですか?

    ヤス おっしゃる通りだと思いますね。たとえば、日本が1945年に敗戦してGHQがきた。それでマッカーサーがですね、トルーマン大統領と関係が悪くなって召還されるんですが、召還された後にですね、上院の公聴会があるんですよ。いわゆる日本の占領政策がどういう塩梅だったのかというヒアリングがある。そこで、日本人とはどういった存在かという問いがある。それに対してマッカーサーは、ドイツ人はいわゆる成熟した大人であるのに対して、日本人は12歳の少年のようだと言ったんですね。

    12歳の少年のようだと言った根拠はどこにあるかと言うと、実は「個人」がないということだったんですよ。我々は明治維新以降、長い間そうだったと思うんですけど、欧米と決定的に違う点は、ひとつの社会が、それぞれ孤立した自我を持つ個人によって作られているという実感がないことなんですね。アングロサクソン系の社会観というのは、社会というのはひとりひとり自立した個人の集まりによって形成されているということです。

    ちょっと話が飛びますけど、自立した個人、バラバラの個人によって社会ができ上がってるんだけれども、ひとりひとりの個人はめちゃめちゃワガママだと。そういうワガママな個人によって社会ができ上がってるんだったら、社会なんかまともにできようがない、という発想があった。そこからホッブスの「リバイアサン」という発想になってくるんですね。それと同時に、アダム・スミスの「神の見えざる手」もある。いや、いいんだと。個人ひとりひとりがワガママで、勝手に欲望の命ずるままに生きてていいんだと。それでも神の見えざる手という、需要と供給のバランスの法則性が働いていて、市場はバランスすると。その市場にまかせておけば、経済というのは需要と供給が絶えず、いわゆる均衡した地点までいくのだということを説いた。本当にワガママで、自分のことしか考えない個人でも、社会や経済を構
    成することが可能だということを証明した思想だった。

    重要なのは、そうした思想の遺産として、個人が社会を作ったならば、いつでも作り変えられるだろうということです。みんな集まって抗議もして騒いでルールを変えれば、社会なんかはいくらでも作り変えられるという発想が根源にあるんですね。それが個が社会を作るということのひとつの発想だと思いますね。

    西塚 なるほど。その後たとえば、ルソーの思想を受けて、フランスで言えばフランス革命が起きて、結局はロベスピエールも独裁政治に入っていくわけですね。そこで社会的な規範というか規制が必要だということにもなったと思いますが、近代以降は、さきほどおっしゃった、個は自由でいいんだけども、資本主義が高度化していくと富が集中してきますね。

    そこで、前回おっしゃったような富の再分配に関しての思想として、アメリカで言えば、リバータリアニズムと民主党左派の差が出てくる。大きな政府で富の再分配を公正にやっていくというものと、いやいやそんなもの介入させないで、共同体でやるんだと。そこで分かれていくということが、個の自由の先にはあって、どうもおかしなことにもなっていく、という気もするんですが…

    ヤス そうですね。だから今、我々がいる地点というのは、話を戻せばルソーの言うね、一般意志ですね。一般意志は何かというと、勝手なワガママなバラバラの個人が討論してれば、いわゆる一般意志という特殊な集合的な理性が生まれると。その集合的な理性にまかせておくと、まさにアダム・スミスの神の見えざる手と同じような感じで、いわゆるバランスのいい社会ができ上がってくるんだという発想ですよ。

    それが、近代の啓蒙主義の原点にあったことだと思うんです。ただ、おっしゃる通り、今生きているのははるかにその先にある社会。すなわち、神の見えざる手、それは言ってみれば市場原理主義、それから一般意志といったものに全面的に依存しても、バランスのいい社会なんてできなかったと。結果的にすさまじい格差をもたらす。やはり不安定な、均衡を欠いたよう社会になってしまったんだと。じゃあ、それを是正するための何か普遍的なルールがどこにあるのか、というところで今、やはりいろんな思想的な議論がされてると思います。
     
    ちょっと日本の話をしますと、欧米の場合は、どういうような原理がベストなのかと考えたときに、絶えず戻ってくるレファランスとポイントがあるんですね。それはやはり「個」なんですよ。アダム・スミスであり、ジャン・ジャック・ルソーであるといった、あのポイントに戻ってこざるを得ない。そこから、もう一回考え直そうよ、ということになるわけです。

    西塚 今回、戻ったと思いますね。

    ヤス なぜかと言うと、個が社会を作ってるという実感が、今でも18世紀から変わらずあるということなんです。問題は、日本の場合、その実感が根本的にない社会だということです。この社会というものが、自立した自我を持つ、孤立した個人の集合ででき上がってると考える人は少ないと思うんです。

    西塚 それは、どう考えられますか? たとえば明治以降、近代的な自我が出てきて、要するに、夏目漱石がイギリスにいってぶったまげる。そこで戻ってきて、私とは何かと。それまで集団的な熱情とか、情熱とかに溶け込ませていた自我がですよ、いきなりそこで出てくるわけですね。近代的自我というやつです。特に戦後、そういう自我が検証されて成長することもなく、またある種、高度経済成長の中に埋もれていってですね、お金を稼げればいいし、ちゃんと食えればいいんだと、まあアメリカの庇護のもとなんでしょうけども、ずっと戦後70年間やってきて、ここで初めて、ちょっと待てよ、ということになったと思うんです。それはヤスさんが言うところの個の目覚めなんですか、それともまた違う現象なんでしょうか?

    ヤス 個の目覚めだと思いますね。ただ、我々の歴史の文脈からつかまなくてはならないと思うんですね。我々に近代的な自我の目覚めが本当にあったのかと。私小説の自我が近代的自我だったのかと言うと、ちょっと違う。

    西塚 ああ、なるほど。

    ヤス おそらくね、夏目漱とか、北村透谷とかね、あの明治の私小説の内面から見たら、たしかに近代的自我なんですが、あれは言ってみれば、巨大な異質な文化の海の中に浮かぶ、ちっちゃな小島みたいなものなんですね。たとえば、ヨーロッパの近代的な自我はどういうものかと言うと、みんな近代的な自我を持った個人ですから、いわゆる隣の人も同じような自我を持ってる。そうすると、同じように、社会そのものがね、いわゆるバラバラな孤立した個人によって作られてるという実感を共有している。そういう実感を共有してれば、じゃあ、社会を変えようよと思えば、簡単に変えられるわけですよ。これちょっとおかしくない? おかしいよね、じゃあみんなで集まってデモやろう、抗議しようとなる。

    ドイツの憲法の基本法典の中には抵抗権がちゃんと書かれてるんですね。選挙と同じような意味を持つと。みんながおかしいと思ったら、社会なんかいつでも作り変えられる、国家なんかいつでも作り変えられるというタイプのもの。政府とか国家というのは、ちょっと抽象的な言い方をすると超越性を持たない。個人から自立した特殊な実体ではないわけですね。いつでも、スクラップアンドビルドできるというタイプのものです。

    一方ですね、いいか悪いかでは全然ないんですが、今、自立した個人が、バラバラな個人が社会を形成するというね、認識とか思いを持ってる日本人は少ないと思います。日本人にとっての社会は何かと言うと、個を超越した存在なんですね。それは、お蔭様であり、お天道様であり、やっぱり個を超越した実体的な存在であって、個人の力ではどうしようもない。なぜ、どうしようもないものに感じるかと言うと、我々一人ひとりが個人としての実感を持ってないからだと思うんですよ。何か個を超えたね、巨大な超越的な実体から、ずっとヘソの緒で繋がっている。自我ではなくて「個我」とでも言うのか、ひとりひとり辿ればみんな同じ大本にいくんだけども、それからずっとヘソの緒で繋がっててね、かりそめに分化してるといった実感の仕方ですね。

    西塚 スピリチュアル系で言う「分け御霊」みたいなものですか?

    ヤス そうそう、そんな感じ。分け御霊でいいと思います。

    西塚 日本にはヨーロッパ的な近代的自我がなかったとして、江戸時代でもいいですけど、江戸時代にはそうした自我がないんだけれども、ある種文化的にはですね、ものすごい世界に誇るべき文化を、国際都市になってもおかしくないくらいの文化を形成していましたね。もちろん士農工商もありますが、それぞれの階層の中で優れた、洗練された文化を持っていて、一応共存してた。あまり大きな事故もないし、都市もきれいで、外国人のルポルタージュでも絶賛されてますね。何だここはと、奇跡的な都市だといったような言い方をされてます。そのときに、もし個がなかったとすれば、なぜそういうものが築けたのか。

    これからは国際社会にならざるを得ないので、どんどん地球は狭くなり、鎖国とかですね、共同体的に縮小したところでしか、ある種のユートピア的な共同体は営めないということなのか。将来的には、地球規模の、グローバルな意味で個を尊重し合った、尊厳を認め合ったような社会ができるのかどうかという…あまり大きな問題にする必要はないですが、そのへんはいかがですか?

    ヤス 人間の実感の仕方として、たとえば自我であるか、個我であるかということですが、個我であるから高度な文化は築けないかというと、全然そうじゃない。おそらくね。個我とういうのはなかなか、うまい具合に説明できませんけども、どういう感覚かと言うと、たとえば江戸時代の人たちの自己認識、これは現代の我々にかなり通用するところがあるんですが、一番大事なのは先祖なんですね。先祖崇拝。

    ラフカディオ・ハーンが「神国日本」という本を書いてるんですね。これは1904年に書かれた本で、名著です。GHQが日本を占領するときに、日本人のメンタリティがどういうものかということを分析するために、一番参考にした文献だと言われています。それは、個がない世界とはどういうものかというのを、描写しつくしてるんです。ラフカディオ・ハーンの本来もっとも学術的な思想書でありながら、日本ではほとんど評価されてないんですよ。読みたがらないんですね、日本人は。自分の鏡ですからね(笑)。

    そこにはっきり書いてあるのは、日本人には、自我の意識がないんだと。じゃあ、どのようにして感じるかというと、自分は祖先から長く繋がった鎖のひとつの輪だと。そして祖先が自分に課した義務を行なう。いわゆる自分が、家系に属してる者としての義務をすべて行なう。祖先に礼拝をして、祖先から与えられた土地を耕作して、子孫をどんどん増やして、そして次の世代にバトンタッチしていく。そうしたら自分は、死後ね、同じ祖先の霊として祀られて、末裔から信仰の対象としてもらえるという意識なんですね。

    西塚 ラフカディオ・ハーンの話でいくと、僕はつい文学的に考えちゃうんです。それは、いけないかもいしれないんですが、ハーンはコンプレックスがあった。片目が見ないとか、いろいろコンプレックスがあって、たぶん西洋ではなかなかこう、生きにくかった人だと勝手に思ってます。日本にきて、日本人と結婚して、帝国大学で英語教師をして、夏目漱石の前任者ですね、それで日本は何とすばらしいのだろう、ということも含めたものを感じながら、おっしゃる本も、読んでないですが(笑)、書いていったということだと思うんです。

    そこには、彼の自己のですね、自分なりの、あいまいな言い方になりますが、彼のアイデンティティに関する問題もあったと思うんですね。それが日本の文化とある種マッチングしてですね、住んで、西洋的な理性もあるでしょうから、そういう論文も書く、というような見方をしてました。それをよく読んでないから、あまり言えないんですが、そうした何となく漠然とした見方があって、『耳なし芳一』のような一連の文学的な作品も書いていった。

    どうしても僕は、個人的な感情とかトラウマとかに還元しちゃうような、思考の性癖があるんですね。ヤスさんとは違っちゃうかもしれませんが、個人的な問題と言いますか、そのへんはどう思われますか? それはそれで影響はしてるんだけども、そういうものは取っ払っちゃって、あれはすぐれた論文であり、論理的な部分を抽出して、そこを見るべきだという…

    ヤス いや、見るべきだし、僕は西塚さんの理解で全然いいと思うんですね。『神国日本』を読んでよくわかるのは、あれはまさにですね、ラフカディオ・ハーンの自己発見の書なんですよ。

    西塚 ああ、そう言われると僕はわかります。

    ヤス すなわち何かと言うと、日本を否定してるわけではなくてね、実は日本の、その祖先に繋がってる自分を自我ではなくて、個我として感じ、祖先という長い系列を形成するひとつの鎖の輪として、自分自身を自覚する。個人を超えた超越的なものと絶えず繋がっているという実感、その実感を実は我々西洋人は忘れてしまったのではないか、ということなんですね。

    西塚 ああ、なるほど。そうか、そういう本なんですね。

    ヤス そうそう。だから、それを遅れてるとかね、いわゆるアジア的なものであるとか、異質なものとして見るほうが間違ってるんだと。あの文化というのは、まさに我々自身が忘れてしまった最も重要なものをね、実は内包してるような文化なんだというような理解の仕方なんですよ。

    社会はいくらでも変えられる

    西塚 だとすれば、一足飛びに明治からここに飛んじゃうことになりますが、ついこの間まではその中にいた日本人が、また違う何かを取り戻したのか、目覚めたのか…

    ヤス 終身雇用制とか企業共同体というのは、やはり日本の明治以来の文化によって、江戸期からもそうですけどね、やはり日本文化になじんだものだと思うんですね。会社というのはもともと日本人にとって何かというと、家だった。それが、いわゆる先祖という概念はなくなったとしてもね、先輩から脈々と繋いできたひとつの輪の中のひとつになると。住友銀行って昔ありましたけども、住友マンになるんだと。トヨタならトヨタマンになると。じゃあ、そのトヨタマンになるって何かと言うと、祖先ではなくて、先輩からずっと受け継がられた、いわゆる企業の伝統を担うような一部になるわけですね。まさに輪になるわけです。それは、やはり日本人の自己認識の方法として一番マッチした方法だったんではないかと思うんですね。

    何が言いたいかと言うと、これは別に悪いというわけじゃない。個を超えたある意味で超越的な実体に多くの人間が繋がってると感じる。感じてるがゆえにね、まあ非常にいい面というのは、過剰な自己主張を抑えるわけですよ。

    西塚 ことを荒立てないんですね。

    ヤス どの現場にいってもね、多くの人間が最大限の満足ができるような、一番いいバランシングのポイントを探るってことをやるわけですね。みんながそれをやる。だから、どの現場にいっても、それなりに全員がコンフォタブルに感じて、嫌な思いをしない、ひとつのバランシングポイントでまとまった、ひとつのバランスが現出するわけです。飲み会でもそうだし、職場でもそうだし、どこでもそうだと思いますよ。それは我々の美徳だと思いますね。ただ、裏面もあります。

    我々一人ひとりは個我である、社会全体というのは、我々の個人の決定権を超えた超越的な存在なのであると。我々は何もできない。何かできるとしたら、その超越的な存在が変化したときに、変化の方向に適応するために敏感に態度を変えていくこと。というような感じの諦めの思想ができる。だから、社会が改革するべきような対象には見えないんですね、基本的には。だから、社会があるひとつの方向に変わったら、時代が変わったんだと言って一緒に同じ方向に走っていく。また別の方向に変わったら、やはり一緒の方向に走っていく、という形の態度ができ上がって
    くる。

    その態度の結果、どんなに間違ってると思っても、社会を改革するということを断念するわけですよ。断念したらやはり、それは文句になりますよね(笑)。飲み屋なんかで文句になる。ぐじゃぐじゃと言って。それをマスコミが取り上げて、マスコミもぐじゃぐじゃ言うわけですよ。そうしたら政治家がね、一身命を賭して改革をします!みたいなことを言うわけです。そしてガス抜きをやる。しばらく経ってみたら、まったく何も変わらない。同じ世界になってるわけですね。といったような感じの、これは現在の我々の文化に内在したひとつのカルマですね。欧米の改革型の文化とは違いますよ。ただ、今回のことで明らかになったのは、カルマを乗り越え始めたということです。

    西塚 本当にそういうことですね。安保法制の公聴会にしても、あの形骸化はたぶん欧米ではありえないんでしょうね。ものすごい力を持ってるらしいじゃないですか。それが日本じゃ、セレモニーみたいになっている。これから違憲訴訟にも入っていくと思います。すでに準備に入ってるようですね、地方の市議会議員などを中心に。

    ヤス あとね、面白いのは、刑事告発までいく。

    西塚 あ、刑事ですか? 安倍に対するですか?

    ヤス 憲法98条ってあるんですよ。あきらかに違憲であることを閣議決定した場合は、これは憲法違反であるとはっきり書いてありますね。刑事告発するのは一番いいと思いますね。

    西塚 それは面白いですね。僕は、今回は実質、憲法改正に近いと思います。条項の解釈の違いのように見えますが、本来は憲法の改正に近くないですか。集団的自衛権の解釈のことですが。本来なら衆参両院の三分の二以上から、国民投票で過半数をとらなきゃいけない案件ですよ。レファレンダムまでいって、そこで決めなければいけない案件だと思います。それを一内閣が解釈した解釈改憲になってしまった。

    それとは違う意味で、ヤスさんの大きなテーマのひとつである、民族的な集合無意識にも繋がる話で、わりとデリケートな問題も入っているので慎重に検証しなくてはいけないかなと僕は思いますが、取りあえずは今、声を上げ始めたと言うんですか、ああいう運動という言葉は僕は好きじゃないですが、動きというのは、僕は同意します。

    ヤス やはり大きな意識の転換になると思いますよ、本当に。ひと言で言うと、社会は変えられるものだと。自分たちでルールを変更して、いかにでも変えられるという認識に多くの人が目覚めた。だからまさに、民主主義の覚醒ですよ。

    西塚 今日はそこまでお話しできるかどうかわからないですが、個も同じじゃないですか。自分は日本人に生まれてどうのこうの、こういう環境があって、こういうところに勤めてどうのこうの、ということに縛られるのではなくて、自分を変えられるんだということに繋がると思います。

    ヤス そうですね。

    西塚 そういう意識にまで、たぶんいくと思います。それに乗っかったスピ系のまあ、商売とか、カリスマも出てくるだろうし、第三者機関じゃないですが、内閣法制局みたいなチェックと言ったらヘンですが、そういう場はやはり必要になってくるという気がしますね。

    ヤス そうそう。

    西塚 ちょっと話しがトっ散らかってきました。酔っぱらってきました(笑)。

    ヤス いえいえ、どうぞ(笑)。

    続く

    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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