2017-05

    『酔っぱらいオヤジの『Spiritual Meeting』第11回の2

    9月18日

    ヤスです。私がとても尊敬するサイキックの方から以下のメッセージが届きました!私も想念を送るので、ぜひみなさんもどうぞ。この方はまだ未来は変えらるといいます。ただ、もし集団的自衛権が通るととんでもない未来になるとしています。以下がメッセージです。

    いま大変な時期です!集団的自衛権は絶対に通してはなりません。日本は大変なことになるのが見えます。多くの人の想念が集まれば大変な周波数になります。安倍首相は大変に自己性愛の強い人です。とんでもない人物です。決めさせてはいけません。このビデオの「牛」の位置にいるのが安倍首相です。



    そのようにイメージして、法案を断念するようにいま想念を送ってください!

    よろしくお願いします!

    メッセージの続きが来ました!

    「大きな集団的な、集中したバイブレーションを想念として送ってください。イメージしてがんばりましょう!創造の力は本来建設的なものに使います。ですが今回は、創造的な力を想念で安倍首相を引き下ろすために使います。これは結果として建設的なことですからOKです」

    要するに、安倍首相を引き下ろすように集中して集団的な想念を送るということですね。がんばりましょう!


    9月15日

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

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    今回も早く更新できた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    有料メルマガの予告

    このメルマガでは9月から10月初旬にかけて変動を予想する情報を多数紹介してきた。やはりそうした情報にあるような出来事が多数起こってきている。9月18日の午前0時10分に配信される次週のメルマガでは、なにが起こっているのか詳しく紹介する。

    今回の記事

    今回も早く更新できた。今回は対談の第11回の2である。前回の続きだ。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第18回のご案内

    「ヤスの勉強会」の第18回を開催します。世界経済が新たな危機に向かって動いているようです。2015年の終わりから2016年にかけて非常に多くのことが起こるはずです。これを徹底分析します!

    【主な内容】
    ・いま経済危機に向かっているのか?
    ・これから具体的になのが起こるのか?
    ・資本主義の歴史的な変質
    ・生き延びるためにどうしたらよいか
    ・スピリチュアリズムの向かう方向

    よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:9月26日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

    いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    健幸カレッジ

    10月7日、四谷で「にんげんクラブ」の「健幸カレッジ」で講演を行います。普通の講演会では話すことのないスピリチュアルな話を多く話するつもりです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第11の2

    spi102

    依存性からの脱却

    西塚 あと、また取っ散らかっちゃうかもしれませんが、今日、新聞を見ていても思ったのですが、全体的な日本人の意識の流れとしては、おそらくいい方向へ向かっているのではないかと思うのです。それをある種、象徴的に裏付けるというふうに僕には思えるんですが、電気事業ですね。東京電力とか関西電力とか中部部電力とか、今、解約がどんどん進んでいて、もう止まらないんですね、3.11以降。

    ヤス ええ、大企業、法人を中心にですね。

    西塚 それが半端じゃないんですよ。コンビニでも、ローソンとかが、新電力にどんどん切り替えていくわけです。新電力は、ヤスさんに解説してもらいたいくらいですが、工場の余剰電力ですよね。それを安く分けて売るってやつです。ローソンですら、年間3億くらいだったかな、節約になる。来年、2016年にはそれが一般家庭にも入ってくる。僕なんかまっさきにやりたいと思いますが、安い電力でいいんですから、そうした流れがですね、電気自動車でも、フリーエネルギーでもいいんですが、どんどん意識の流れがそっちに向っていくと思うんです。そうなると、この間、お話しした『エクサスケールの衝撃』(齋藤元章著)という本がありましたね、あの世界に繋がっていくんじゃないかと思うのです。

    ヤス 僕はね、それは正しい方向だと思うんですね。電力に関しては、発電事業もする企業があるでしょ? 川崎重工とか三菱重工とか、そうした企業はたいてい自家発電能力を持ってるわけですよ。自分たちのところでどんどん電力を生産できる。だから電力会社に頼らなくてもいいという構造を持っている。3.11以降、法改正があって、企業が作る電力を売ることができるようになった。そしてそれを買う法人がどんどん増えていった。

    西塚 そうですね。その充蓄電池の開発、技術がどんどん進んでいる。

    ヤス 僕は、『エクサスケール』の本は面白いと思うしね、全然異論はない。テクノロジー的にはそうだと。ただ、支配勢力がどこまで許すかってことなんですよ。

    西塚 それは許さないでしょうね。相当な抵抗勢力になるだろうし。

    ヤス だから、どこまで闘っていけるかという闘争の問題に落ち着く。電力にしろ、エネルギーにしろ、最終的に我々、一般的な庶民の手に取り戻すためにはどうしたらいいかと言うと、庶民レベルで闘うしかない。

    だから、これをやってあれをやってと、全部おまかせにして、でも私たち迷惑かけられるの嫌だから、お金はかけないでねと、これはムリなんです。だからどこかの部分で我々の意識が覚醒してね、全部自分でやるんだと、おまかせ意識を全部なくす、というところまでいくのか、そうではなくて、今まで通りね、あんたにおまかせで、ずっと国家依存、政府依存の状態で続けていくのかと、そこがカギになる。

    一般家庭、市民をベースにして、エネルギーを自ら使えるようにするとか、NHKを拒否するとか、市民メディアを勝手に自分たちで作って、勝手に情報を発信するとか、やろうとすればいくらでもできるような素地ができ上がってくるような、そうした意識へと今、進化してきてると思うんですね。

    ただ問題は、そうした進化する側に立つのか、いつまで経っても親方日の丸に依存し続けるのか、その選択の問題なんだと思いますね。

    西塚 ヤスさんがおっしゃってたように、アメリカはとんでもない国だけれども、オルタナティヴ・メディアもあるし、何をするかわからない連中もいると。だから怖いから、政権の中枢にいる人間は強権を発動させる。日本人はそうした反骨精神もなくて、羊のようにおとなしいから、支配もしやすい。その結果として、アメリカのような混乱もない、という言い方もできますね。

    ヤス そうですね。そのかわり、政府が亡びる、国が亡びると同時に、国民も亡びる。だから、我々はどういう歴史的な過程にいるかと言うと、今ね、QEといったような巨大な金融緩和、公共投資、政府の支出によって、何とか維持されてる。中央銀行の巨大な金融緩和によって、かろうじて成長したような体裁を維持されている。そうした現代資本主義国のシステムが崩れてるわけですよ。

    崩れていくと同時に、僕がメルマガによく書いている、超階級社会へいくのか、違った国家形態を我々は目指すのか、といったようなね、現代の先進資本主義国の国家の形態のあり方が問われる時期が、これからくると思います。

    西塚 そうですね。ヤスさんはどう思われます? 予言者じゃないですから、結論は出せないかもしれませんが、ヤスの立場としては、こうなるとこういうラインにいくし、もしこういうことがあれば、こっちのラインにいく、ということを見定めたいと言うか、その可能性を見たいというお立場ですか? それとも、このままいくと、こうなるぞ
    と…

    ヤス まあ、警告はしたい、というほうですね。予言やなんかは好きで、まあ見てるわけですが、やはりすべて決まっているという予言はない。いくつか、可能なシナリオの上を歩いていると思うんですよ。どれを選択するかというのは、まずオープンであると。たとえば、超階級社会の方向へ絶対的にいくかと言えば、そういうわけじゃない。ただ、このままほっとくと、いく可能性があるぞと。そういう危機感は、我々一人ひとりが自覚せねばならない時期にきたなと思います。

    集合的な熱情から距離をおく

    西塚 ヤスさんはかなり昔から、感情の動きとか、ちょっと尻尾をつかまれると、渦があるとすると、巻き込まれちゃうぞと言ってましたね。個人であろうが、集合意識でもそうですね。その渦に巻き込まれたら、これはなかなか逃れられないと。

    ヤス 逃れられない。怖いですよ。

    西塚 よっぽどのことで、ハッと気づいて、退けるならまだいいですが、具体的な例で言えば、普通に海に手漕ぎのボートで出ていって、渦があって、面白そうだなと。怖そうだけど、楽しそうだなと入っていくんだけれども、入っちゃって、自分の必死の努力でそこから出られる余地があるときは、まだいいですが、ちょっと深みにはまるともう、何もできなくなる。

    ヤス 何もできない。だから、自分の感情に対して距離を置くというのは、すごく重要です。

    西塚 個人でもそうなんですから、人間の集団というのは個人の集まりだから、集団にな
    るとパイもでかくなるし、現象としての混乱もでかくなる。

    ヤス そうです。集合的な感情的な昂ぶりってあるでしょ? たとえば、スポーツかなんかで、ワーッ!と叫ぶ、あの昂ぶりです。あれはいいんですけどね。あれよりももっと大規模なものが、社会の随所で見られるようになるってことですね。

    西塚 そうですね。オリンピックでもサッカーでもいいですが、あのワーッ!いうのは、解消しますからね、その場で。そうじゃないもの、たとえば民族的なものも含めて、脈々と延々と、古代からも含めて、繋がってるものなどに関係してたりすると、これは、ちょっと心して、ちゃんと認識して対処していかないと怖いですね。

    ヤス 怖いです。たとえばヒットラーのね、ニュルンベルクの党大会は毎年やってましたけど、膨大な数の人が集まる。ヒットラーの演説に酔いしれるわけですね。酔いしれて、「ジーク!ハイル!(勝利、バンザイ)」というね、掛け声で忠誠を誓うわけですよ。そのときに、あの雰囲気の中にのまれないでいるというのは、すごく大変なことです。

    ナショナリズムであるとか、国粋主義であるとか、そういう人間の集合的な感情を捕えて、滔々とした長い流れを作ってね、破滅へと人間を導いていく感情の流れというのは、ひと言で言うと、気持ちがいいんですよ。

    西塚 うーん、わかる気がしますね。

    ヤス 要するに、理性を自分で中断させる、思考停止する。考えることをやめる、というところで生まれる気持ちよさ。

    西塚 ジェットコースターみたいなもので、ウワーッ!と、スリルがあって怖いんだけど、楽しいじゃないですか、あれは必ず戻ってくるからいいけど、あれが行きつく先が奈落の底だったら、それに乗った場合にはもう逃れられない。

    ヤス ひとつ、ある意味、いかに気持ちいいか知っておくことも重要なんですね。

    西塚 なるほど。経験、体験。

    ヤス 思考停止とか、集合的な感情に身をまかせるということは、「個」である自分自身の放棄ですよ。個人で生きるということは、やはり自分で物事を考える、物事を見て、自分で判断しなくてはいけないんですが、そうした意味で「個」の放棄ですね。「個」を放棄して、「個」の向こう側にあるような全体的な「何か」に一致するということです。

    西塚 それは本当に難しい問題だと思いますが、いわゆるスピ系で言うところの、「個」はない、とか、もともと「全体」の一部である、とかありますね。でも「個」の大事さはある。かと言ってエゴで、オレがオレが、他はいっさい関係ない、オレが楽しければいいんだ、というのとも違うエゴですね。その違いをどうするのか、その違いを含めて、見る目がなければいけない。ヤスさんがおっしゃったような俯瞰の目、客観的な目が必要で、それは感覚的なものではなく知的なものですね。

    ヤス 知的なものですよ。だから簡単に言うと、我々はね、人間として体験可能なものを全部体験し尽して死ぬ、という人はいないと思うんですね。悲しさという感情を体験するし、幸福という感情も体験する。自分の子どもに対する愛情という体験もするだろうし、当然、恋愛という感情も体験する。様々な、人間として体験可能な感情、体験可能なものがあるんだけど、それらすべてを体験し尽して死ぬという人はいない。

    たとえば、ナショナリズムを体験しなくてもいい世代っているわけでね。我々は長い間、ナショナリズムという感情の昂ぶりを体験しないできた。また、宗教的な恍惚感というものも体験しないでくる人間がほとんどだと思うんですね。体験しない領域の感情というのは、なかなか想像できない。想像できないものが、いきなりひとつの体験として自分にやってくると、無防備になるんですよ。絶対に流される。一気にバーンと持ってかれるということですね。

    西塚 今のお話を聞いてチラッと思いましたけども、たとえばバブル期の石原慎太郎の『「NO」と言える日本』とかですね、今で言えば「嫌中」「嫌韓」みたいな、ちょっとした反日感情にイラッときてる連中が、強権的な発言をする人に従って、ある種の日本人のアイデンティティを確認して気持ちよくなるという…そういうものがインプットされてる。『「NO」と言える日本』の売れ方を見ても、あのころはバブルで、アメリカのコロンビアをソニーが買ってみたり、アメリカからも相当非難されてましたが、日本はもっと主体性を持つべきだという石原慎太郎の主張に、僕に言わせれば幼稚な論理ですが、気持ちよくなった人が大勢いるわけですね。そうした要素は日本人に入ってるんでしょうね。

    ヤス たしかに。『「NO」と言える日本』は、日本に対して誇りを感じたい、ということの裏返しであるということですね。日本人としての自己をきちんと、強く主張したい。

    西塚 そこに気持ちよさを感じた人が、相当いたということでしょうね。

    ヤス いたと思う。ただ、今の「嫌韓」とか「嫌中」と言われてるものは、あからさまにナショナリズムですよ。

    西塚 ナショナリズムですかね?

    ヤス ナショナリズムって、あれくらい排外的なものですよ。

    西塚 僕の言葉で言うと、レイシズムに近い感じがするんですが…

    ヤス レイシズムですよ。ナショナリズムってレイシズムですよ。

    西塚 あ、そうですか。

    ヤス 基本的には。ナショナルなものを何を根拠にするかでしょう。民族を根拠にしないナショナリズムだってひとつある。たとえば、アメリカみたいなところは多民族国家だからそうですね。ただ、日本のナショナリズムって必ずレイシズムですよ。民族の偉大さということを根拠にしたナショナリズムが、日本独特のもので、日本的なものです。従って、それは他民族の排除ということとセットになる。

    今回、「嫌韓」「嫌中」で発見したのは何かと言うと、いわゆる民族を根拠にしたナショナリズムであってもなくてもいいんですが、ナショナリズムは気持ちいいということです。なぜかと言うと、初めて自己を放棄できる対象ができたんですね。大手を振って自己を放棄できる。大手を振って判断停止をしていいと。だから、その気持ちよさを体験した世代が出たてきた、ということじゃないかと思いますね。

    西塚 そうなると、以前の話にも出たように、そういうところに依存せざるを得ないような、悩みとか、苦しみとか、内面に抱えてる個人的な、細分化された悩みを持ち始めたというような心性と連関してる話ですね。

    ヤス 連関してる。だから最終的には、マスの宗教教団というのは、個別的な悩みはなかなか救いきれない。すると個別的な悩みを持ってる人たちって、それで純化するわけですね。純化して、一応スピリチュアル系にもいく。スピリチュアル系にいくんだけど、「3分解脱」みたいな方法はめったにない。だいたい詐欺的なものに引っかかったりするわけです。そうすると、悩みを抱えて生き続けざるを得ない自分自身そのものを、持て余すわけですよ。

    西塚 そうですね。これはヤスさんの造語ですけれども、「スピリチュアルジプシー」にいくか、あるいは何と言うか、ガチガチのナショナリズムに入っていく。

    ヤス そうです。悩みを持って生き続けざるを得ない自分自身を持て余してしまって、これを自己放棄するんですね。自己放棄する一番いい方法が、「個」の放棄によって、集合的な熱情の滔々たる流れの中に没入するという方法ですね。

    西塚 その方法として大きく分ければ、スピリチュアリズムにいくか、ナシナリズム…まあ日本の場合は神道とか絡んできて、ちょっとスピってますけども、でも大きく言うと、国にいくか、個人的な神様か天使にいくか、という話ですか?

    ヤス だと思いますよ。ある意味で、神様、天使、3分解脱みたいな方法でうまくいって、自己放棄するという人もいると思います。超越的な何ものかに抱かれて自分が溶け込んでしまう、というような形で、悩みを抱えた自分自身と距離感をとれる、相対化できる、というひとつの方向があると思います。もうひとつの方向は、集合的な感情、熱情の中に自分が溶け込むことによって、やはり自己放棄する。

    西塚 ある種の没我に入って、苦しみから逃れられる。

    ヤス それを継続する、同じ感情の体験をずっと継続するためには、やはりナショナリズムによる排外的なレイシズムの行為をずっとやり続けると。

    西塚 映画とかでときどき観ますけど、アメリカにもけっこうありませんか? そういう…

    ヤス いや、アメリカはすごいですよ! だから、「個」というものを人間が超え出したときに、あらゆる害悪が始まるんです。

    西塚 じゃあ、わがままでKYでどうのこうの、というほうがまだいいですか?

    ヤス わがままでKYというのは、とてつもない暴力とかは、あまり起こさないでしょ? 

    西塚 まあ、実害としては大したことないですね。ちょっと迷惑で、うっとおしいヤツとか、場が白けるとか、そのくらいかもしれません…

    ヤス 個のレベルで起こったとしても、犯罪どまりですよ。いろんな犯罪を起こすかもしれないけども、非常に多くの人間を巻き込むような、社会運動といったものは起こらないと思うんですね。

    イデオロギーと「個」

    西塚 そうなると、やはりイデオロギーですね。

    ヤス イデオロギーの怖さって何かと言うと、「個」を超えて、人間が集合的な感情に没入しますでしょ? そうすると、「個」というものを振り返る必要性がなくなる。思考停止状態になってもいいと。その思考停止状態になった限りでね、今までの個人の悩みから解放される。集合的な感情に身をまかせると気持ちがいいわけですね。集合的な感情に身をまかせることこそがね、実は正義なんだということで正当化するのが、イデオロギーなんです。

    西塚 今のヤスさんの話で言うと、イデオロギーは個人的なことから発することになりますね。

    ヤス そうですね。個人的なことというか、「個」を飲みこんでいく。

    西塚 ちょっと言葉が足りなかったかもしれませんが、自分にいろんな悩みがあるとするじゃないですか。それを超えるために、あるイデオロギーを見つけて、「個」をなくすくらいにのめり込む。仮に間違っていて、害悪をもたらすようなイデオロギーでも入っちゃうことがある。その大もとは何かと言うと、苦しい自分から逃れたいということ。個人的な、個別的な、小さいときのトラウマかもしれないし、直近のものかもしれません。

    とりあえずその嫌なことから逃れたいというときに、ハタとしがみつくもの、嫌なことをなかったことにできるくらいに、強い魅力、惹きつけられるものがあって、それが強ければ強いほどしがみつくから、検証ゼロでのめり込んでいく、といった構造がある。となると、個人的な悩みのほうを解決しない限りは、いくらでも起こりうるということになります。

    ヤス そうです。だから幸福な人間というのは、あまりナショナリストにならないと思うんです。「嫌韓」「嫌中」みたいなものにダーッと走る連中、ネトウヨとかいるでしょ? たとえば「リア充」って若い人が言ってますけどね、本当にリアルの生活が充実してて、ちゃんとガールフレンドもいてね、安定した仕事も持ってて、自分が将来追い求めるためのきちんとした目標も夢もあってね、それなりの給料もあって生活に満足している、といったような人たちというのは、そんなところへはあまり走らない。意味ないんですよ。「個」を放棄する動機がないんですね。

    エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』を書きました。自由といったものがいかに人間に苦しみをもたらすか、その自由から逃れるために、実は人間というのはファシズムを求めていくんだ、全体主義を求めるんだ、といった論議だったんですけど、ある意味では、それと同じような原理がまだ生きてるわけですね。「個」で生きるということの「重み」と「苦しみ」。それを逃れるために、集合的な感情に身をゆだねてしまう、自己放棄してしまう、ということになってくると思います。

    西塚 「個」で生きる辛さというのは、当然、そのときに生きてる社会環境とか、回りの家族でも友だちでもいいですが、そうしたものに絡んでくる。そこから、ある種の解決を導き出すためには、それらと向き合うことでしかできない。だから、正しい人間同士の関係性とか、営みとか、立ち居振る舞いも含めてですね、そういうところにまでいきつくんじゃないでしょうか。まず、そこから解決していかないと。

    ヤス そうです。だから言ってみれば、「個」のベースで幸福であれば、ヘンなものには走りませんよ。最大のブレーキになりますよね。

    西塚 あるイデオロギーに走って、私は幸福なんだ、オレはこれでいいんだ、生きがいを見つけた、と言っても、死なない限りはどこか途中で、これはやはり違うんじゃないか、ということにはならないんでしょうか。

    ヤス イデオロギーに身を預けた場合?

    西塚 場合。

    ヤス いやそれは、目が覚めない場合だってありますよね。

    西塚 そのままいっちゃう可能性もありますよね。

    ヤス いっちゃう可能性のほうが大きいと思います。いわゆるナショナリズムのイデオロギー、排外主義、レイシズムのイデオロギーだとして、そのイデオロギーが決定的に破壊されるというか、破壊されざるを得ないような状態に陥る。たとえば実際に戦争になって、自分が人を殺してみてね、それで死体を目にしたときに我に返る、ということはあると思うけれども。

    西塚 前のヤスさんの言葉にも繋がるんですけれど、イスラムの話でしたが、そうしたことが自分の使命であると信じ込んだ場合、これは後戻りできないですよね。

    ヤス できない。

    西塚 これはどう考えればいいのかな。そういう人たちが増えてきた場合、どうしようもないですよね。

    ヤス すごく難しいですね。どこかの段階で、リアルな「個」の実感に戻っていかなくちゃダメだし、「個」の実感をいかに回復させるのか、という問題だと思いますね。

    西塚 現実には、もうちょっとバリエーションがあるんだぞ、ということですね。

    ヤス 個人として生きるということに、ひとつの充実感とか楽しみがあるという…「個人」であるという事実を、かなりリアルなものに感じるということ。

    西塚 健全なバリエーションをいかに広げていくか、ということに関わってきますね。

    ヤス たしかにね。だから「個」を中心にした世界の描写って、すごく重要ですよ。ただ、私小説って普通、暗いじゃないですか? 暗くて悲惨なものが多い。だから「逆私小説」みたいなものがたくさんあっていいと思いますね。

    西塚 ああ、なるほど。

    ヤス 「個」で生きるということがいかに充実するのか、「個」で生きるということが、どういうような人生を自分に約束するのか、もっと言うと、「個」で生きるということ自体がどういう体験なのかってことですね。「個」として自分を体験して、「個」として生きるということが、どういうような深い体験になるのか、それをポジティブに描き尽くす小説とか文学があってもいんじゃないかと思いますね。

    西塚 そうですね。新しい小説ですね。

    リアルな「個」の生き方とは?

    ヤス だから当然、その中で「個」でいるというときに、必ず自分の否定的な内面と向き合わざるを得ないということです。「個」を放棄してね、集合的な感情に身をゆだねた場合というのは、自分の否定的な感情とも向き合う必要性がなくなるわけですよ。そのぶん、無化される、救われる、ということになると思います。

    ただ、「個」というものに留まった場合、必ず自分の否定性と向き合う。向き合う局面が出てくる。そうしたときに、否定性とどうやって堅実に向き合うか、ということですね。その否定性が当たり前の体験なんだということ。体験してもいいんだということ。体験することによって、その中から何かポジティブなものをつかまえていく、ということ。そういったものを、ある体験領域として開拓するようなね、言葉とか文学は、僕は必要だと思いますよ。

    西塚 それは素晴らしいですね。となると、お手本とか、模倣とか、人間は何かがあってそっちにいくじゃないですか。ああ面白いなと。これからは、それらを打ち立てていくとか、書いていくとか、提示していくということは、面白いし新しい。

    ヤス たとえば、80年代の初めにあった『なんとなくクリスタル』(田中康夫著)。当時、読んだことがあるけど、別にすごい文学作品というわけじゃないんですけどね、ただ、いいと言えばいいんですよ。何かと言うと、「生きる」ということがどういう体験であるのかということを、もう一回、ある意味で再解釈した小説なんですね、あれは。

    西塚 僕はあれは読んだことがなくて、当時も偏見の塊りだったんで、言葉もバブル的な意匠に絡められたカタカナばっかりで…

    ヤス そうです。何が言いたかというと、そのようなブランド物に身を固めてね、ブランド物をひとつの記号として使いながら、自己表現していく。そのようにして生きるという体験が、どういうものであるか。それは、ちっちゃな四畳半でひとりでね、自分の否定性とずっと向き合うみたいな体験とは違うわけですよ。

    西塚 違いますね。『神田川』とは違う(笑)。

    ヤス 「個」のね、違った意味でのポジティブなひとつの体験領域だと思いますね。

    西塚 ひょっとしたら田中康夫というのは、そういった意味では、当時を象徴する「個」のあり方のバリエーションを提示したのかもしれない。

    ヤス だと思う。今ね、インターネット社会に生きてて、これだけ「個」といったものがあって、様々なバリエーションが出てきてるようなんだけども、僕は文学を全然読まないから何も言えないんですが、文学にしろ、表現にしろ、「個」といったものを対象にした体験領域って、ほとんど開拓されてないんじゃないかと思うんですね。

    簡単に言えば、こんな生き方がある、こんな生き方もあって、あんな生き方もあると、
    それを単なる生き方として出すのではなく、それがどういう体験なのかということ
    ですよ。

    西塚 どういう体験なのかということを、作家なりが検証するいうことですか?

    ヤス 検証するということ、または想像して書いてもいいんですね。極めてリアルな体験として想像して書いてもいい。たとえば、サラリーマン的な体験ってあるじゃないですか。毎朝6時半とか7時に起きて、満員電車に乗って、仕事をやって、成果を求められて…

    西塚 帰りに同僚と飲んで、ちょっとホッとする時間もあって。

    ヤス 家庭は基本的に安定している。収入もあって、ちっちゃな家があって、といった感じの、そのひとつの「個」としての体験ですよね。1960年代に山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』という本があったんですが、あれはまさに勃興時の戦後の日本のサラリーマンの…

    西塚 いやあ、あれは感動的でしたね。あれで直木賞を獲った。

    ヤス 普通にどこでもいるような人の平均的な生活。それがどういう人生の体験なのかということを、非常に深く突っ込んだ作品だと思うんですよ。

    西塚 映画にもなりましたね。小林…なんだったかな。

    ヤス 桂樹。

    西塚 桂樹だ。ちょっと意外でしたが、『江分利満氏』とか、山口瞳とか読まれてたんですね。

    ヤス 読んだ。僕は映画のほうを観て感動して、それで本をチラッと読んだ。あれは、人間の生き方というのを体験する、ひとつの体験方法なんですね。あのようなやり方で体験したという。

    今、我々は、こういう生き方がある、ああいう生き方があると、いろいろあるんですが、特定の生き方をした場合、それがどのような体験を人間にもたらすのかということ、そのバリエーションをどんどん表現する。言ってみれば、女性カメラマンとして、ひとりで生きていくという生き方もあるわけですよ。それがどういう体験なのか。

    西塚 最近、ケーブルで海外のドラマを観ることがあるのですが、アメリカのドラマというのは、日本の比じゃないですね。とにかくうまくできてます。役者もうまいし、あれを観たら、今の日本のドラマは観られない。本当に学芸会以下。脚本から役者から、全然違います。

    それはおいとくとしても、人生自体をステージとして見た場合、実人生をどう生きていくか。自分の可能性ですね、どういう役割を演じていくか、ということに繋がっていくと思うんです。いろいろなバリエーションがあるわけですから、自分がどのバリエーションで生きていくかということですね。ダーッといく人も、お前、それだけじゃないよと、こんなこともできるじゃないか、それうまいじゃん、そっちもやってみたら?という話ですね。

    ヤス そうです。だから、いろんな体験が可能なんだということです。人間としてね。

    西塚 陳腐な言い方をすれば、人間は無限の可能性を秘めている、ということになっちゃうんですが、そういうふうに評論家的にまとめるのではなく、実際にリアルな実生活でできるということ。

    ヤス できる。たとえば明治の20年代くらいまでに私小説というのができるでしょ? 日本でね。私小説が生まれて、何を発見したかと言うと、自我といったものを中心にした体験のあり方を発見するわけですね。柄谷行人じゃないけども、自我といったものを中心にして、主語にして、いわゆる自分の体験を描いた場合、どのような体験となって現れたのかということです。

    西塚 あの時代、翻訳のせいもあったかもしれませんが、「私」といったことが入ってきたときに、俯瞰の目ができたんですね、日本人に。それまでもあったんでしょうが、僕は詳しくは言えませんが、全体性に溶け込んだ「個」といったものに対して、明治以降、俯瞰の目が出てきた。近代、欧米によって。

    ヤス それででき上がってきたのは、孤立した「個」。その「個」によって、自分の持っている否定的な宿命と全部向き合わざるを得ない。そこには、やはり悲劇もあれば、ある意味で喜劇もある。
     
    現代の我々は、それに匹敵した大きな転換点になっていると思うんですね。当時の明治の20年代、30年代の「個」ではないんですよ、おそらく。「個」ではあるんですが、インターネットないしはラインでも何でもいいですが、簡単に他者と安易に繋がれるようなタイプの「個」ですね。

    西塚 そうですね。実体験と言いながらもちょっと違いますからね。生身ではない。

    ヤス うまい具合に言葉にならないんですが、現代という時代に生きている我々の「個」としての体験。「個」として生きるとはどういうことで、どういうような体験可能な領域があるのか、それを赤裸々に表現していくことは、やはり必要なことだと思います。

    西塚 もっと生々しいもの。前にニューアカの話も出ましたけども、浅田彰が言うわけですね、都市を見てみろと。ちょっと次元を変えれば、地下鉄や下水道などのインフラがあって、ものすごい重層的な構造によって、東京なら東京という都市が成り立っている。人間自体もそうだろうし、人間関係もそうだろうということですね。

    こういう話にしても何にしても、実は重層的であって、いろいろな関係性がある。それが、あるとき生々しく出てくる。それを体験することを通してでしか、リアルな「個」というものは、なかなか自分でも検証できないんじゃないかなと思います。じゃない
    とマスメディアとか、インターネットの情報に簡単に乗っかって、オレはこれだ!オレはこれでいく、オレはもう嫌韓だ!と…(笑)。

    ヤス 簡単に言えば、「個」の厚みを経験するということですね。自己発見の連続なんだってことですよ、人生そのものが。

    西塚 あるスピリチュリストが言ってましたけどね、昨日と同じ自分じゃなくていいという話がある。それは個人的にはわりと気に入ってます。ずっと今まで自分はこうだと思っているものにしがみつく、そういうものがあってもいいんですが、そうじゃなくてもいいということですね。自分が昨日と一緒じゃなければ絶対にいけない、ということでもないよと。

    僕は、ヤスさんとお付き合いしていて思うのですが、ヤスさんはそのような人だという気がしていて、そのへんのフレキシビリティがポリシーなのかなくらいに感じてたんですが(笑)。

    ヤス そうそう、いつも流れるように生きてる、ほんと。僕の場合は、流れるように生きてて、自分の中から何が出てくるのかと、日々、体験すること自体が面白いという。

    西塚 面白い。ある意味、自分を体験する。何やるのかなこいつは、みたいな目ですよね。何ができるのか。

    ヤス たとえば、朝起きたら、どういう衝動を持つのか、あの本を読みたいとか…

    西塚 あれ食いたいとか(笑)。

    ヤス あれ食いながら、あの本読みたいとかね、そういうようなもんです(笑)。

    西塚 わかります、僕もわりと近いです(笑)。

    ヤス ちょっと話を戻すと、集合的な感情の昂ぶりといったものが、今後どんどん強まっていく時代に入っていく。それに対して抵抗しなくてはダメだと。なぜかと言うと、集合的な感情の昂ぶり、だいたいそれはレイシズム、ナショナリズムが多いんですが、そういうものに身をまかせて幸福になった試しなんかないんですよ、人間って。

    西塚 嫌なものしか残らないですね。

    ヤス せいぜい戦争の勝利だと。戦争の勝利って何かと言うと、多くの人間を殺したあとでの勝利ですよ。

    西塚 それはやられますよ、またあとで。

    ヤス やられます。それが人間を幸福にするかと言えば、全然そうじゃない。そういう集合的な感情に抵抗しなくてはならない。集合的な感情に抵抗するための一番重要なものが、「個」を充実させることだってことです。徹底的にね。

    西塚 わかりました。次回、そんへん、スピリチュアル的なことも絡めながら、ヤバい話も入ってくるかもしれませんが、よろしいですか?

    ヤス はいはい、ヤバい話はたくさんありますので。

    西塚 今日はありがとうございました。

    ヤス いえいえ、こちらこそ、どうもどうも。

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    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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    筆者にいとこがスピリチュアル系のカウンセラーになっていたのを最近知ることとなった。以下にリンクする。よろしかったらどうぞ。

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