2017-05

    歴史と身体 新しい歴史的時代の始まり2

    4月29日

    今回はいつになく早く更新できた。いつも記事を読んでくださっている読者の方々に感謝する。

    ツイッターを始めました!

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    「ヤスの勉強会」第2回のご案内

    対話型のセミナーの「ヤスの勉強会」の第2回目を開催します。内容は第1回の続きで、「集合無意識の変動と社会の動き」の相関関係を詳しく見ながら、今後の予測を組み立てます。話す内容は、は4月に入りましたらどんどん書いてゆきます。

    主な内容(講演会が近くになるとどんどん加筆します)

    ・われわれの集合無意識の内容とはどんなものか?
    ・これからどんなブラックスワンが解除されるのか?
    ・5月は正念場、強い情念の波がヨーロッパを覆う
    ・集合無意識の解除はどこに向かうのか?
    ・おそらく中国は分裂しない。むしろ統合力が強化される
    ・日本の近未来は?

    よろしかったらぜひご参加ください。セミナーの詳しい内容は近くなったらお伝えします。

    日時:5月17日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

    いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    高松の講演会

    以下の日程で高松の講演会を行います。お近くの方はぜひどうぞ!今回の講演会は面白くなりそうです!

    日時  平成25年5月23日(木)18:30受付 19:00~公演開始
    場所  高松テルサ  

    テルサ会場内の掲示板にて部屋の確認をお願いいたします
    〒761-0113 香川県高松市屋島西町2366-1
    Tel: 087-844-3511   Fax:087-844-3524

    会費   ¥3000/人

    講演会後、高島先生を囲んでの懇親会を予定しております。場所 未定ですが高松市内にて行う予定です。

    主 催  里坊会計事務所 里坊昌俊
    実行委員 有限会社ウエストフードプランニング小西啓介、ソニー生命保険株式会社 山下智幸、株式会社京蔵 京兼慎太郎、株式会社クリード インテグレーション平野伸英

    内容
    ・TPPの決裂後の日本経済はどうなるのか?
    ・ウクライナは想像以上に危険、世界的な金融危機は?
    ・中国とアメリカの現状、日本の報道とはまったく異なる
    ・驚異的な新しいテクノロジー、ドローンによる配達システムとはなにか?
    ・新しい意識の出現
    など


    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    新刊本です!ハンク・ウエスルマン博士との対談が収録されています!ぜひどうぞ。
    koufuku

    また本が出ます。すごく面白い本だと思います。よろしかったらどうぞ!

    日本、残された方向と選択~緊急分析!! 近未来の予測・予言を大解明!
    houkou

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    お知らせ

    5月21日、ウエブボットの報告書の最新版が発表になりました。いま詳細な要約の作業を続けていますが、これまでのように「予言解説書」のような体裁で出すことはしないことにいたしました。詳細な要約はすべてメルマガに発表いたしますので、最新報告書の内容を知りたい方は、メルマガを購読なさってください。

    次回の有料メルマガのご紹介

    今週のメルマガは、オバマ大統領の訪日で注目されたTPPと、尖閣諸島への日米安保の適用に関して詳しく解説する。すでにツイッターに書いたが、「尖閣諸島が日米安保の適用地域である」という表現は、尖閣諸島で有事が発生すると米軍が出動して日本を守ってくれるかのような印象を与える。

    しかし、日米安全保障条約やその他の条約、そして米軍高官の発言を見ると、有事の際、米軍の出動はあり得ないことは明白だ。今回のメルマガは、このからくりを解説する。

    次に、ウクライナ情勢の最新情報を掲載する。下手をすると、予想を越えた危機にも発展しかねない。

    最後に、ビリー・マイヤーが2013年、7月に体験した最新のコンタクト記録を掲載する。前回の続きである。実に興味深いことが書かれている。


    今回の記事

    今回は前回の続きである。「歴史と身体」の2回目である。この構想を元に、これから本にしてゆくつもりである。

    グローバリゼーションに文化が逆襲する時代


    さて、これまで書いてきたことは特に珍しいことではない。一般的には、「文化の違い」の一言で済ませてきたことだ。身体に刻印された集合無意識の「世界の感じ方」などともって回った表現をしなくとも、「文化の違い」の一言で説明できるのではないかと思うかもしれない。

    だが、そうではないのだ。この事実を「文化の違い」などというあまりに一般的な言葉で形容してしまうと、これから我々の目の前で起こる可能性のある多くの出来事を理解することがまったくできなくなってしまうのだ。これから起こってくる現実の荒々しさを理解するためには、「文化の違い」などというあまりに一般的な語句ではまったく追いつかないのだ。

    それというのも、グローバリゼーションに対する抵抗の有力な一形態として文化の逆襲が、これから多くの予想できない出来事の背景になる可能性があるからだ。

    グローバリゼーションにはさまざまな側面がある。人権や言論の自由などの価値が普遍化し、これが世界的に拡散するという側面もある。

    しかし、やはりグローバリゼーションのもっと強い牽引力になっているのは、市場経済と競争原理に基づく経済モデルが一般化し、この原理を前提にした世界経済のシステムに、それぞれに独自な特徴をもつ地域経済が飲み込まれて行くという経済のプロセスである。各国が独自の制度とシステムを放棄し、市場経済の一般的な規則が普遍的に適用されるシステムに移行すればするほど、世界から投資が流入し、国は発展するというのがグローバル経済のルールだ。

    市場経済と競争原理で経済を運営するモデルは、その出自がアングロサクソン系の国々にあるとしても、経済一般のルールを表現する普遍的な原理だと考えられ、それを生み出した文化の出自が問われることはない。

    だが市場経済と競争原理の経済モデルは、明らかにアングロサクソン系の文化を前提にしないと出てくることが基本的に不可能なモデルだ。市民革命を経て析出された個が自立した主体として連携し、民衆の側から国家を作り上げた歴史的な経験を通過した国々は比較的に少ない。20世紀以前では、すべて北西ヨーロッパと北米に限定される。1980年代以降になって、台湾や韓国で成功しているものの、市場経済、競争原理、民主主義の3点セットのモデルは、やはり北西ヨーロッパと北米由来のものである。

    それ以外のほとんどの文化は、家父長的な全体性のシステムに個が埋め込まれ、全体的な組織の庇護のもとに民衆の生活が営まれる秩序が大多数を占めている。国家や会社組織を拡大家族の延長として偽装した日本や、プーチンのような強い家父長的な指導者を求めるロシア、東欧、南欧、中東などはみんなそうだ。自立した個人ではない。

    これらの地域では、開発独裁とも呼ばれる独裁色の強い国家を建設して資本主義を導入し、高い経済成長を実現したが、市場経済、競争原理、民主主義の導入は国家によって周到に管理され、全面的に導入されることはなかった。個人を庇護下におくあらゆるタイプの家父長的な組織性が、社会のあらゆる部面で活動していた。こうした社会では、自立した個人を前提にする秩序が幅をきかせることはなかった。

    伝統的な組織と制度を破壊するグローバリゼーション

    しかし、1990年代から本格化したグローバリゼーションでは、この状況は根本的に変化した。経済の金融部門があまりに肥大化し、実態経済をはるかに圧倒する規模の投資資金が世界市場を駆け巡ることになった。その結果、市場から投資を引き付けることができた国は成長し、そうではない国は凋落する傾向がはっきりとしてきた。

    そのため、それぞれの国の政府の体制や会社組織が、市場経済、競争原理、民主主義のモデルに適合した開かれたシステムであるかどうかが問われた。そうでない国からは投資が逃避し、日本など長期的に低迷する国も現れた。

    このような状況のため、グローバリゼーションのトレンドに乗るためには、その国の文化に根差した伝統的な体制と組織のあり方を放棄し、もともとアングロサクソン系の国由来のグローバル化したモデルの導入を、いわば強制された。

    もちろんこれは、文化に異物が侵入してきた状況だ。庇護を当たり前のように提供していた家族主義や家父長的なシステムは崩壊し、どの国でも自立した個人の判断と裁量を前提にしない機能しない自己責任型の制度と組織に移行した。日本の終身雇用制の崩壊はこの典型である。

    一般的にこの現象は、グローバリゼーションがもたらした、先進国における中間層の崩壊と格差拡大として理解されている。もちろんこの理解は正しい。間違っている点はまったくない。

    だが、注意しなければならないのは、グローバリゼーションの進展はもたらしたものは、中間層の崩壊と格差拡大という、経済的な指標で計ることができるいわば量的な問題だけではないということだ。それは、自立した個人を前提にし、容赦の無い競争を強いるシステムを無理に強要されることに対する身体的な拒絶反応と悲鳴という、質的な問題でもあるということなのだ。

    ということでは、問題の根ははるかに深い。おそらく格差や機会均等という社会的な問題を緩和させたところで、異物を受け入れることを強要された言葉にならない身体的な不快感はかならず残る。おそらくそれは、慣れ親しんだ社会のなかで自分のいる生活世界が、経験したことのない異物に侵食され、消滅して行くという喪失感である。

    もちろん、グローバリゼーションがもたらす生活水準の上昇速度が早く、この喪失感が沸き起こる余裕すらない急速な経済成長の時期には、グローバリゼーションの生活世界への浸食作用は生活の豊かさの実感に覆い隠され、比較的に目立たなくなる。日本などの一部の例外を除き、1990年代の始めから金融危機が始まる直前の2007年くらいまでは、まさにこのような時期であった。

    しかし、一旦経済が低迷すると、これまで成長の陰に隠蔽されてきた、異物の侵入によって生活世界が浸食されるという実感は頭をもたげ、再度経験されることにる。

    身体に刻印された文化への回帰の欲望

    家族主義や家父長主義の組織に保護された環境のなかで、相手の気持ちに最大限気を使い、メンバーの間の調和した「和」を保つコミュニケーションの方法から、相手を容赦なくやり込める規制の無い自己主張のコミュニケーションへと移行することは、大変な苦痛を伴うことだ。身体は緊張してきしみ、体内に異物を無理に取り入れるときに感じると同じような強い拒否反応が込み上げくる。「もうやめてくれ!」と身体が悲鳴をあげる。

    こうしたコミュニケーションの形態が常態化した組織に適応できたものはよい。おそらく、自立した個を前提にしたコミュニケーションのスタイルの教育を、語学と一緒にどこかで受けた人が多いはずだ。

    しかし、そのような機会をもたない大多数の人々は、新しい環境への適応に失敗する。そして、没落する中間層の仲間となる。

    何度も言うようだが、これは、グローバリゼーションの進展による中間層の没落や格差拡大という、すでに一般的に認識さている社会現象を意味しているだけではない。もちろん、これが途方もない変化を意味していることは間違いない。

    しかし、ここでなんとしても指摘したいことは、グローバリゼーションが引き起こした変化は、なによりもまず文化的な現象であるということだ。そして文化が、我々の身体に深く刻印された「世界の感じ方」という感性次元のものが中核にあるとするなら、生活世界から、我々が慣れ親しんだ触感や肌合いが奪われ、我々の感性が拒絶される他者の世界へと、疎外されることを意味するのだ。中間層の没落と格差の拡大という現象は本来内包する主観的な現実の変容は、このようなものである。

    それはおそらく、三島由紀夫が民族主義へと回帰するきっかけとなった外国で実感した「違和感」と同じものだ。またそれは、アンゲロプロス監督が「アレキサンダー大王」で描写したギリシャ民族のカルマ、つまり、意味の形式的で普遍的な産出系には到底解体されることのない、身体化した文化の再帰的なパターンが明らかに存在していること実感したときの「違和感」と同じものに違いない。

    この「違和感」は「世界の感じ方」の「違和感」であるだけに、身体的なものである。そしてこの「違和感」は、アングロサクソン系の文化に源流をもつ市場原理主義のモデルを、グローバリゼーションの過程で強要されたすべての国々の人々が、心の奥底で感じる「違和感」だ。

    経済が停滞し、「違和感」に耐えたいわば代償として享受が約束された、生活水準の上昇による物質的な豊かさの保証がなくなるにつれ、この身体的な「違和感」は、かつて自分たちが慣れ親しんだ「世界の感じ方」へと回帰する強烈な願望となって現れる。それは、かつて偉大であった国家や家族主義的な組織への郷愁、また伝統的な価値観への称賛、そしてかつての「世界の感じ方」ができる共同体を再建する運動となって現れる。日本で起こっている「昭和30年代ブーム」もそうしたもののひとつだ。

    ナショナリズムであってナショナリズムではない

    これは「世界の感じ方」への回帰の願望だ。もちろんこの回帰願望のもっとも典型的な政治的表現はナショナリズムだ。かつての偉大な民族と国家の記憶を思い起こし、国家への忠誠を改めて確認しながら、国家への結集力を高めるべきだというイデオロギーだ。

    格差社会の拡大で没落した中間層が強い国家に保護を求め、かつて安定していた生活世界の回復を要求し、伝統的な価値への回帰を希求するのはしごく当然のことだ。この結果、右翼や極右の民族主義への共感が広まる理由は分かる。これはいま、ヨーロッパを始め、世界各地で起こっていることだ。

    だが、格差が単に経済問題ではないと同じ理由で、これも、ナショナリズムという政治的な水準だけではカバーしつくすことができない身体的な深さをもつ。もはや説明するまでもないだろうが、それは、ねじれてしまった身体を元に戻せという叫びのようなものだ。かつての「世界の感じ方」を前提に体験していた世界の手触りを、もとに戻せという要求である。

    いま我々がいる地点、文化の逆襲の開始

    高い経済成長を保証したグローバリゼーションの時期は、終わりを告げようとしている。拡大した格差と没落した中間層だけが残った。

    おそらくこれから、「世界の感じ方」を回復させる身体レベルの反乱が起こる過程に入った可能性がある。一度このスイッチが入ると、荒々しい逆襲のエネルギーが解除され、歴史の流れを思っても見ない方向に引っ張るブラックスワンの役割を果たす可能性がある。

    この過程は荒々しいものにならざるを得ない。なぜなら、感性的なレベルの世界にねじれを感じており、実はこのねじれの解消を求めていることに、我々の多くは無自覚だからだ。無自覚である以上、いざこのエネルギーの放出が始まると、コントロールが効かなくなる。

    このエネルギーの解除がどのような状況をもたらすのか象徴するような事件が、最近起こった。それはウクライナ危機である。

    ウクライナとロシアの民族的なトラウマ

    ウクライナ危機は、親ロシア派のヤヌーコビッチ政権がEU加盟を要求する反政府抗議運動に打倒され、ウクライナ民族主義者を含んだ西欧寄りの政権ができたことがきっかけだ。

    暫定政権に反発したロシア系の住民は、クリミアを含む東部の自治権拡大やロシア併合を望み、激しい抗議運動を始めた。国民投票でクリミアのロシア併合が決まると同時に、東部の10都市でロシア系住民が組織した民兵が政府の庁舎を占拠している。東部地域の独立に近い自治権の拡大が認められるまで、占拠の解除には応じないとしている。

    しかしこれは政治的なきっかけに過ぎない。対立の根ははるかに深いところにある。

    抗議運動に結集しているロシア系住民や、これを背後から支援しているロシアには、アメリカとEUの西欧に対する根強い敵愾心がある。ウクライナ危機は、もともと存在した強い敵愾心が、外に現れた出来事だった。いわばウクライナ危機は活火山の噴火口であったにすぎない。これは政治的に重要な出来事だが、もともとマグマは、噴火直前の危機的な水準まで溜まっていたのである。

    ロシアの敵愾心は、特にアメリカとイギリスに向けられている。その理由には歴史的な背景がある。1991年のソビエトの崩壊後、ロシアは米政府系のコンサルタント企業の手で、社会主義経済の抜本的な構造改革を実施した。非常に短期間の間に資本主義経済の導入を進めなければならなかったロシアにとって、他に選択肢はなかった。市場経済、競争原理、そして民主主義のいつものモデルが純粋に導入された。

    だがその結果は悲惨極まりないものであった。旧ソビエトが国家として有していた資産のほとんどは、米国系多国籍企業やオリガルヒと呼ばれるユダヤ系財閥の独占するところとなり、ロシア経済はマイナス14%の成長という途方もない状況にまでなった。平均年齢も、ソビエト時代の73歳から59歳まで急激に下落した。

    ソビエトの特徴の権威主義的で抑圧的ではあったが、家父長的で国民を保護していた旧来のシステムは、社会のあらゆる領域で瓦解し、容赦のない競争を個人に強いる市場原理が跋扈する社会になった。グローバリゼーションの席巻である。ロシアの政治的、軍事的弱体化はアメリカのもっとも関心のあるところだったし、市場原理主義の導入で巨額の利益をあげたのは、アメリカの多国籍企業であった。

    ロシアが西欧にもつ恨みと敵愾心は、こうした経験が背後にある。ロシアは西欧によって収奪されたと感じている。ロシアが力強く復権したいま、アメリカとEUに対する恨みにはすさまじいものがある。

    だが、ロシアの恨みのみを強調するわけには行かない。状況はもっと複雑である。西欧寄りの西部ウクライナがロシアに抱く恨みもすさまじい。

    1930年代、ウクライナ西部は若い社会主義国家のソビエトに食料を供給する穀倉庫として位置付けられた。スターリンによるあまりに急速な重工業化の推進を支えるために、西部ウクライナが生産した穀物のほとんどすべては、ソビエトに収奪された。西部ウクライナでは深刻な飢餓が襲い、餓死者が続出した。

    1941年にナチスとソビエトが開戦し、ナチスが西部ウクライナに侵攻すると、ウクライナ西部の民族主義者はナチスを解放者として迎えた。ソビエトの支配から解放され、独立したウクライナ国家を作る手段としてナチスを利用しようとしたのだ。その結果、彼らはナチスのユダヤ人とポーランド人の虐殺に積極的に加担した。

    したがってウクライナは、ウクライナ民族主義者のロシアへの恨み、ロシア系住民のウクライナ民族主義者への恨み、ユダヤ系のウクライナ民族主義者への恨みと、民族と社会集団の歴史的なトラウマが重層的に重なる地域である。そのなかで、おそらくもっとも新しいトラウマは、西欧に国家を解体されたロシアの憎しみと恨みである。

    「世界の感じ方」と一緒になって生きるトラウマ

    ところで、ウクライナを旅した多くのジャーナリストが同じような印象を抱くという。ロシア系住民が多い東部では、どの都市もソビエトや帝政ロシアから受け継がれたような、壮大なモニュメントのような建築が通りの両側にそびえ、あたかもロシア国内に入ったかのような錯覚さえ抱くという。

    一方西部ウクライナはこれとはまったく異なる。どの町も通りにはオープンカフェや小さな洒落た店が並ぶ、一見パリを思わせるような町並みだという。

    そして、東部のロシア系住民と西部のウクライナ人では、この町並みの違いが象徴しているように、気性もメンタリティーも根本的に異なるという。

    これらのことはなにを意味しているのだろうか。答えは明らかだ。おそらくウクライナの東部と西部では、身体に刻印された「世界の感じ方」がかなり異なっているということだ。したがって、世界はこうあるべきだという秩序の認識が大きく異なる。それは、アンゲロプロス監督がギリシャの民族性に見いだしたカルマチックな再帰的なパターンや、三島由紀夫が強い違和感を通して見いだした日本人性が象徴するものと同じだ。

    これらの、元からある世界の身体的な感受性の相違と一緒になり、さらに、それと分かち難く結合しながら、歴史の悲劇を象徴する民族的なトラウマが身体感覚として生きられることになる。歴史は遠い記憶に残る過去の出来事ではない。ウクライナ人とロシア系住民が出会うときにいつも感じる「異質性」と「違和感」の感覚を通して、過去の歴史の記憶が呼び覚まされ、強い嫌悪感となってよみがえってくる。

    ロシアの感じる恨みの正体

    これはとても根が深い。簡単には解消しない問題だ。これは、西欧に国家を解体されたと信じるロシアも同じことだ。おそらく、1991年から欧米によって開始されたグローバリゼーションで導入された市場原理主義による国家の解体は、ソビエトという国家のみならず、帝政ロシア期以前から延々と続く、家父長主義と全体主義の心地よい恩情と保護の伝統を解体した。
    だがこの解体は、アンゲロプロス監督が、構造主義が提唱する意味産出の普遍的な形式に、ギリシャの民族性に内在する再帰的なパターンの解体に抵抗したように、もともとあった「ロシア的なもの」が身体を無理にねじ曲げられるような苦しみを感じ、「ロシア的なもの」に内在している「世界の感じ方」の復権を、西欧に対する恨みとともに心に深く誓ったはずだ。

    ロシアは、かつてのソビエトの栄光とプライドを忘れることができず、ソビエトの復活を果たそうとしている報道されている。たしかにそのような表現方法もある。だがこれは、プライドの復活という意識的な自我の問題ををはるかに越えた、身体のねじれの解消という動物的な反射反応の問題なのだ。ねじれのエネルギーが解消されると、それはすさまじいものになる。

    文化の逆襲の激しさ

    さて、ウクライナ危機などの出来事がひとつにきっかけとなり、これから世界各地で解除されるエネルギーとはこうしたものなのだ。したがってそれは、冷静な戦略と計算に基づく計画的なエネルギーの放出となならない。ある出来事がきっかけとなり、溜まっていたマグマが予想できないかたちでいきなり噴火してくるようなものだ。

    グローバリゼーションによるあまりに異質な市場原理主義に対する強い「違和感」も、中間層の没落と格差の拡大があったとしても、経済成長の加速で豊かになる可能性がある間はなんとか耐えることができた。しかし、もはやグローバリゼーションが失速し、豊かさの可能性を保証せず、格差の固定と異質なシステムの永久化をもたらすようになると、これまで集合無意識に抑圧していた怨念は爆発し、かつて存在し、身体的に慣れ親しんだ「我々の世界」の回復要求運動となって現れる。それは、「ロシア的なもの」「中国的なもの」、そして「日本的なもの」の復権を叫ぶ声だ。

    もちろん、いまのウクライナとロシアに見られるように、この「民族的なもの」の復権は、民族や社会集団が蓄積している集合的なトラウマの記憶を呼び覚ます。そしてこれが、新たな対立を生じさせる「社会的断層」として機能する。

    これから我々は、強いエネルギーの爆発を世界各地で見ることになる可能性がとても大きい。いまはこのような時代に入ってしまったのだ。

    どうやって抵抗するのか、個性化の道

    これは、1930年代の民族主義が荒れ狂った当時のドイツによく似た状況になるかもしれない。まだナチスが危険な極右政党としてドイツでは非合法であった1928年、深層心理学者のユングは、「私は金髪の怪物が目を覚ます夢を見た」と言った。この「金髪の怪物」とは、ドイツの民族神話「ニーベルンゲンの指輪」に登場する「戦いの神」の名前である。ユングは、ドイツ人の集合無意識に内在している第1次世界大戦敗戦の恨みの感情が競り上がり、恨みのはけ口を戦争に求める方向に向かいつつあることを予感したのだ。そして、ヒトラーが政権を奪取してから3年後の1936年、ユングはこの「金髪の怪物」に「ヴォータン」という本来の名前を与えるに至った。

    グローバリゼーションの原則に伴い、いままさに我々の「ヴォータン」が目を覚まし、世界を席巻する直前の状況にいる可能性がある。

    ではユングは、このあまりに荒々しいエネルギーの解放にどのように抵抗しようとしたのであろうか?

    抵抗の過程でユングが発達させたのが「個性化」の概念である。「個性化」とは、独自な個人としてユニークに生きたいという願望と欲求が高まり、どの本来個人の集合無意識に内在している「自己元型」が姿を現す過程だとされている。

    「自己元型」とは自我のことではない。「自己」は「SELF」と大文字で標記され、「自我」とは区別される。「自己」とはまず、意識と無意識の対立と矛盾を乗り越えさせ、両者が統合したバランスのよい包括的な自分自身を生み出すための超越的な力である。

    その超越的な力は、チベット仏教の曼陀羅や、多くの宗教の神の像に象徴されているとしている。

    しかしこうした統合作用は「自己」の限定された側面に過ぎない。「自己」が作動すると、これに合わせてシンクロニシティーの力が発動し、「自己」の目指す方向に現実の世界を大きく変更する。つまり「自己」とは、思ったような現実の世界を生成する、それこそ際限の無い「生成力」のことである。

    ユングが「自己」の性質をこのように規定できたのは、集合無意識の「自己」のレベルでは、客体と主体の区別は喪失しており、実は主体から独立しているように見える客観的な世界は、実は存在しない。客観的な世界とは、「自己」の超越的な力が生成した対象に過ぎないとユングは見ていたからだ。この主客の区別が喪失している世界の原初の姿を、ユングは「ウヌスムンドス」と呼んだ。

    人間の「自己」の普遍的な内在性を見たのはユングが初めてではない、東洋および西洋の神秘主義には代表的な感覚である。

    19世紀初頭のアメリカに生き、アメリカ精神革命を担った代表的な哲学者であるエマソンは著書「オーバーソウル」で次のように言っている。

    「魂が人間の理知を通じて呼吸をするとき、それは才能となり、人間の意志を通じて呼吸をするとき、それは徳となり、人間の情の中を流れるとき、それは愛となる。この純粋な性質を、すべての人間はいつかは感じるようになる。それを言葉で言い表すことはできない。あまりに微妙なものであるから。それはとらえどころがなく、計り知れないものだが、それが私たちの中に充満し、かつ私たちがその中に包含されていることに、私たちは気づいている。人間の内側にはあらゆる霊的存在があることを、私たちは知っている」

    「自己」が客観的世界そのものの生成者であるとすれば、「自己」は計り知れない大きさをもつに違いない。それはエマソンの「それはとらえどころがなく、計り知れないものだが、それが私たちの中に充満し、かつ私たちがその中に包含されている」という表現がぴったりくる存在であるはずだ。それは、あれだ、これだというように、人間の限定された知覚や認識力では把握し尽くすことのできないほど巨大で、また神秘である。

    この「自己」のとらえどころのなさを、釈尊の最後の経典である法華経の「無量義経徳行品第一」は、次のように形容する。

    「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず 方に非ず円に非ず短長に非ず 出に非ず没に非ず生滅に非ず 造に非ず起に非ず為作に非ず 坐に非ず臥に非ず行住に非ず 動に非ず転に非ず閑静に非ず 進に非ず退に非ず安危に非ず 是に非ず非に非ず得失に非ず 彼に非ず此に非ず去来に非ず 青に非ず黄に非ず赤白に非ず 紅に非ず紫種種の色に非ず」

    現代語に訳すと次のようになる。

    「その仏身の存在は、有でなく、また無でなく、因でなく、縁でなく、自他でなく、方でなく、円でなく、短長でなく、出でなく、没でなく、生滅でなく、造でなく、起でなく、為作でなく、坐でなく、臥でなく、行住でなく、動でなく、転でなく、閑静でなく、進でなく、退でなく、安危でなく、是でなく、非でなく、得失でなく、彼でなく、此でなく、去来でなく、青でなく、黄でなく、赤白でなく、紅でなく、紫種種の色でない」

    「その仏身」つまりは「自己」の姿は、有でなく、また無でなくというように、人間の知覚と認識の能力を越えた存在なのである。「自己」のとらえ難さを法華経hこのように表現する。

    そして、この「自己」が現実を生成しているとうの主体であるとするなら、客観的な世界の変革はさほど難しいことではない。内面に宿している「自己」が作動すると、世界は一気に変わる。日蓮は、この「自己」の変革力を作動させるものこそ、「祈り」であるとして、「祈祷抄」に次のように述べた。

    「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」

    現代語に訳すと次のようになる。

    「たとえ、大地をさして外れることがあっても、大空をつなぎ合わせるものがあっても、潮の満ち干がなくなることがあっても、太陽が西から昇るようなことがあっても、法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にないのである」

    これは、「自己」すなわち「仏」のもつ現実の途方もない改革力と、その力によって個人の想念が現実を生成することができる(つまり「願いが叶う」)ことを明確に述べている。

    また、「自己」の力の躍動は、現代のユング派の深層心理学者の治療風景のなかで日々観察できるという。

    多くの精神疾患の原因は、患者が過去に受けたトラウマが原因だ。ユング派でもフロイト派でもそうだが、患者がトラウマの原因となっている出来事を思い出し、それを追体験することで、トラウマの記憶に固着している心的なエネルギーが解除され、トラウマの解消に向かうとされている。その解消が進むにしたがって、精神障害の症状も出なくなり、回復に向かう。

    しかし、このプロセスは容易ではない。医者が患者の記憶を呼び覚まし、トラウマの原因となった出来事の迫ると、転移と逆転移という現象が出てくる。転移とは、例えば幼少期に父親の性的な虐待にあった女性がその記憶を呼び起こされると、目の前にいる医者を父親として思い込むように、患者が医者をトラウマの原因となった加害者であると信じ込んでしまう現象である。また逆転移とは、医者も自分が患者の本当の加害者であるかのように思い込んでしまう現象だ。

    転移とは逆転移が起こるということは、トラウマの解消に向けて過去の出来事を呼び覚ます過程は、患者と医者による大変なドラマが展開してしまうことを意味する。女性の患者は、自分を虐待した父親と錯覚している医者にありったけの憎しみをぶつける。一方逆転の状態に医者も、過去に引き起こしてしまったあまりに大きな過ちを涙ながらに謝罪し、許しを乞う。

    ユング派の医者は、カウンセリングがここまでくると、なにかが起こるのだという。患者は父を許すことでトラウマを解消し、急速に回復する。また医者も、自分の内面の気づかなかった心のありようを気づき、人間として深まり成長する。

    しかしなぞなのは、なぜこれで直るのかということだ。両者がトラウマ劇を演じただけではないのか。それでなぜな直るのだろうか、不思議ではないのかとユング派は言う。この方法で直るとということは、治癒とヒーリングもたらす絶大な力が人間の内面にもともと宿っており、カウンセリングの転移と逆転の過程がいわばスイッチとなって、その力を作動させたのではないかという。

    日常で「自己」の存在を実感することは難しい。だが、シンクロニシティーを通して我々は、その力と存在にいつでも気が付くことのできる位置にいる。ユングによれば、固有のユニークな存在として生きたいという衝動の「個性化」の過程を、個人として真摯に生き抜くことこそ、「自己」に出会い、「自己」の作動に向かうプロセスだとしている。

    個性化の過程による抵抗

    そして、この「個性化の過程」を生き抜くことこそ、荒れ狂う集合的な「金髪の怪物」である「ヴォータン」に1930年代に抵抗する方法であるとした。民族や社会集団の津波のような集合的な感情の高まりには飲み込まれてはならない。どこまで行っても最後まで「個」であれ。そして、「自己」の力を体現すべく、「個性化の過程」を真摯に個として生き抜くことだ、ということだ。

    ナチスの狂気が激しくなるにつれ、ユングの「個性化の過程」の理論は精密さの度合いを増して行った。独自な「個」による「全体」への抵抗だ。

    では我々の抵抗は?

    これがユングの抵抗の方法であった。いま我々は、ユングに時代と類似はしているものの、基本的には異なる時代に生きている。集合的な民族主義がこれから世界各地を津波のように襲うという点ではかなり類似している。

    だがそれは単なる民族主義ではない。世界を席巻したグローバルな市場原理という、形式的で普遍的な世界のあり方を恨み、我々の身体に刻印された質的な「世界の感じ方」の回復へと向かう衝動と、その衝動が刺激し呼び覚ました「社会的断層」としての民族のトラウマは一緒になり、すさまじく激しいエネルギーが解除される時期に生きているのだ。

    このエネルギーはまさに我々の身体に宿るものだけに、内部から津波のように我々を襲う。それは、意識的な自我や理性ではもはやコントロールできない津波のような衝動だ。世界各地でこれから始まるこのエネルギーの発散は、大変に激しいものになり得る。

    おそらくそうしたものには、ユングの言う「個性化の過程」を生きるだけでは、十分な抵抗力にはならないだろう。自分が狂わないように。自分を保護するのが限界かもしれない。

    これから我々に真に必要になってくるのは、「自己」の本源的な改革力、エマソンが「とらえどころがなく、計り知れない」と表現し、日蓮が「祈りのかなはぬ事はあるべからず」と言った本源的な改革力である。これをしっかりと実感し、そうした個人が現実を実際に変える力をもつことを確認しなければならないのだ。

    普遍と特殊

    ところで、「自己」とはとことん普遍的な存在である。文化や民族によって「自己」の存在性が異なるということはまずない。それは、個の内部に宿る客観的世界の際限の無い生成力である。それは民族や社会集団の固有な世界に生きることではない。むしろ、その反対である。「個」の内面の奥深い部分に生きている本来的な普遍性に生きることが、我々の存在の集合的な水準で起こる津波のような荒々しさを飼い馴らし、それを乗り越える方法である。

    しかしこのように見ると、大変に面白いことに気づく。文化と民族に固有な質的世界を回復する激しい衝動に抵抗するのは、普遍的な「個」に内在する力に目覚めるということだ。

    おそらくこれは、これまで我々が深く固定されていた存在の集合的な水準を乗り越えることの要請である。やはり、現実を生成しているのは民族や社会集団ではない。普遍的な「個」に内在する力なのである。

    とりあえず、ここで一旦筆を置く。

    続く

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