2017-09

    日本に関する思考実験3

    5月11日

    いつものように更新がめちゃめちゃ遅いが、いつも読んでくださっている読者の方々には感謝する。

    お知らせ

    講談社のサイト、プロジェクト・アマテラスに作品の投稿を求められました。以下のサイトで読むことができます。「試論、そもそも予言とはなにか?1」です。画面右側の「このプロジェクトの投稿」から見ることができます。よろしかったらどうぞ!

    未来はどうなるのか
    http://p-amateras.com/project/61

    新しい本の紹介

    「神霊の世界に覚醒して」サンドラ・インガーマン、ハンク・ウエスルマン著、高島康司、豊田泰士訳

    shaman02

    このブログでも何度も紹介したことのあるシャーマンで人類学者、ハンク・ウエスルマン博士の名著、「Awakening to the Spirit World」の翻訳が完成した。2010年にアマゾンで1位になった本である。

    本には、シャーマンの世界をトランス状態で経験しやすくさせるCDが付いている。本は、CDの使い方と、シャーマンの世界で体験する内容の解説書だ。筆者もCDを聞いて見たが、聞ききながら寝ると、たしかに多くの夢を見て、会ったことのない多くの人物が現れる。興味深い体験だった。

    よろしかったらぜひどうぞ!

    新しい本の紹介

    また新しい本が出ます。今度は様々なサイクルに注目し、コルマンインデックス以後どのようなことが起こるのか解説した本です。ブログやメルマガの内容を大幅に加筆修正しました。

    コルマンインデックス後 私たちの運命を決める 近未来サイクル

    cycle03

    よろしかったらぜひどうぞ!

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。3日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    前々回の有料メルマガのご紹介

    前々回は、ある読者の方から紹介された実に興味深い遠隔透視のプロジェクトについて解説した。

    それは、応用数学者、コートニー・ブラウン博士のユニークな遠隔透視の研究である。博士はこの研究を通して見ることのできた、2013年6月1日の光景について詳しく述べている。

    米国では、これまで遠隔透視はいくつかの異なる機関によって独自に研究されてきた。もっとも有名なものは、このメルマガで何度も紹介したことのあるエド・デイムス少佐も指導教官であった米陸軍遠隔透視部隊である。その他にCIAとDIA(国防総省情報局)でも同じようなプログラムが実施されており、現在も継続中のようだが、米陸軍遠隔透視部隊のようには公開されていないので、実態はよく分かっていない。

    一方、これらの組織を退職したリモートビューワーの集団が存在しており、さまざまな地域で独自の組織やネットワークを立ち上げている。彼らは専門的な訓練を長年受けたいわばプロのリモートビューワー達だ。

    コートニー・ブラウン博士のプロジェクトは、こうした人々と協力し、遠隔透視の存在を科学的に証明することを目標にしたプロジェクトだ。

    ブラウン博士によると、未来を見通す遠隔透視の実験を繰り返した結果、的中率はかならずしも高くないことがはっきりした。規模が異なっていたり、予想とは異なった種類の出来事が起こったりと、予想された出来事と実際に起こった出来事との間には開きがあった。

    ブラウン博士は、このようなことが起こるのは、宇宙はパラレルワールドのような状態になっており、異なるタイムラインが複数存在しているからではないかと考えた。そうすると、いま我々がどのタイムラインにいるのか特定できない限り、未来の出来事を正確に遠隔透視することは難しいことになる。

    一方、初期の条件を変えてやることで、異なったタイムラインの未来を遠隔透視することが可能であることが分かった。この方法でいくつかの異なったタイムラインを検出してみると、どのタイムラインでも避けることのできない共通の出来事が存在することがはっきりした。世界の9つのロケーションを選び、それらの場所が2013年6月1日、正午にどのような状態にあるのか複数のタイムライン上で見て見ると、一様に共通した光景が得られた。


    まず、木星と火星の間で小惑星のような物体が爆発する。これが引き金となり、巨大な太陽フレアが発生し、地球を直撃する。地球では巨大な津波と大地震、そして火山噴火が一斉に起こり、特に沿岸部の地域は壊滅し、生き残った人々は内陸部に移動するといった光景だった。

    かなり恐ろしいイメージだが、ブラウン博士は、これが実際に起こる未来の出来事である確証はないとしている。遠隔透視が未来予測の手法として科学的に使えるようになるにはまだまだデータが不十分だとして、将来の研究に期待している。

    なお、かなりショッキングな内容なので、ブラウン博士が公開している2013年6月1日、正午の具体的な光景はメルマガだけで紹介した。

    前回のメルマガ

    前回は、これから始まるヨーロッパの混乱について詳しく解説した。

    これまでヨーロッパ各国の政権は、中道左派、ないしは中道右派の政党が担当していた。どちらの政党も1992年に締結され、EU統合の基礎となっているマーストリヒト条約の精神を共通の理念にしている。

    1)各国が国境をなくして地域共同体にまとまると、どの国でも経済の成長が促進される。

    2)各国か自国のアイデンティティーにこだわるナショナリズムは過去の時代のものになった。それぞれの国は欧州という巨大な国の州のようなものだ。

    一方、極右と極左は、この理念を否定し、反対に、1)国境の確保と失われたナショナルプライドの回復、2)移民排斥、3)EUとユーロ圏離脱を基本的な目標としている。

    極右と極左はどの国でも少数野党に過ぎなかったが、フランス大統領選挙、ギリシャ議会選挙、そしてドイツとイタリアで行われた地方選挙で大躍進した。ヨーロッパでは、2012年と13年に選挙が目白押しだが、選挙が行われるたびに極右と極左が躍進し、EUの統合が難しくなる局面が出てくる。

    いまギリシャでは、中道右派と左派が惨敗し、EUが支援の条件としている緊縮財政に強く反対する極左の政党が大躍進し、危機的な状況になっている。6月に再選挙が決定されると、ギリシャのユーロ圏離脱も秒読み段階になる可能性がある。

    だが、ギリシャ国債は大部分すでに欧州中央銀行によって買い取られ、銀行もあまり保有していないため、ギリシャがユーロ圏を離脱しても大きな混乱はないだろう。

    最後に、ヨーロッパに関するもっとも新しい予言を紹介した。

    今回の記事

    今回は、1カ月半ほど前の3月23日に書いた、「思考実験1、いったいわれわれはなにものなのか?」の続きである。記事が長く、また、書いてから時間がたっているので全文を掲載することにした。以前に記事を読んだ方は、前半を読み飛ばし、「強靭な適応力」の箇所からお読みいただきたい。

    思考実験、我々に起こった変化

    これは、試行錯誤を重ねながら書いているまったく未完成なアイデアの草稿である。これから内容は大幅に変化する可能性が十分にある。いまの段階で書いたものをとりあえず掲載する。

    3月23日に掲載した部分

    一般的な認識

    現在の日本は長期的に低迷しているが、その原因と現状は一般的に次のように説明されている。

    超高齢化社会に伴う労働人口の減少で国内市場が縮小してデフレが常態化したため、その分、海外市場に活路を見いださなければならなくなった。だが、中国などの新興国の追い上げで日本の御家芸であった製造業は競争力を喪失し、日本の成長の牽引力が失われた。

    他方、環境のこのような根本的な変化にもかかわらず、官僚組織は省庁の利害の維持と拡大に最大の関心があるため、戦後、高度経済成長の実現のために設計され、既得権の原泉と化している旧態依然とした制度にしがみつき、必要な規制緩和など新しい環境に適応するための制度改革を怠った。

    制度改革は、省庁の利害と既得権に対抗できる強い政治主導が実現しない限り実行できない。だが、どの内閣も省庁にからみ取られてしまい、結局は省庁の利害が貫徹した政策に変更させられる。国民はこの状況に怒り、制度改革を実行して日本の低迷をくい止めることのできる政治家を探し、政治家と内閣を次々と取り替える。

    このような認識だ。

    不十分な認識

    もちろん、こうした認識が間違っているわけではない。6年ほど前までは、銀行で処理が一向に進まない不良債権が銀行の経営を圧迫し、貸し渋りや貸しはがしが横行したため、実体経済を押し下げているとの認識が一般的だった。

    この見方では、日本の製造業は競争力を失っておらず、不良債権さえ処理できれば日本は再度成長軌道に乗れるとしていた。このような見方と比べると、製造業の競争力の喪失にこそ低迷の原因を見いだす最近の認識は、大きな進歩であるとも言える。

    だが、すでに日本の低迷は20年続いている。このような認識だけで、この長期の低迷の原因を説明することは難しいのではないだろうか?

    なぜなら、労働人口の減少による国内消費の落ち込みや、新興国の追い上げによる主力産業の低迷という事態は、どの先進国も経験している共通した状況であり、日本だけの特殊な事情ではないからだ。他の先進国は、低迷しながらも、それなりに新しい環境に適応し、ある程度の成長を確保している。なぜ日本だけがこれほど長期間低迷し続けているのか説明できない。

    もちろん、政権の中枢にまで食い込んでいる省庁の利害と既得権が必要な制度変更を阻害していることは事実だ。これは日本に特徴的な要因だ。

    だが、それにしても、バブルが崩壊してからすでに20年も経つのに、なぜいまだに官僚の既得権を打破できないのだろうか?なぜ、変化した環境に適応できる新しいシステムのデザインが実施できないのだろうか?当然、このような疑問が頭をよぎる。

    小泉政権の改革

    たしかに、2001年から2006年までの小泉政権は、既存の制度の根本的な改革や、既得権の打破、そして大規模な規制緩和を「構造改革」の名のもとに実行しようとした。

    この改革で、不良債権の処理が進み、また製造業に契約労働が導入されたため賃金は下落した。その結果、製造業では経営の条件が改善し、新たな成長軌道に乗ることが期待された。日本の製造業復活のシナリオだった。

    しかし構造改革は、当初のイメージとは大きく異なる結果に終わった。大幅な条件の改善にもかかわらず、製造業の低迷に歯止めをかけることはできなかった。製造業はさらに低迷し続けた。

    また、金融分野の規制緩和は、ハゲタカファンドなど、企業を利益の対象として売買する金融取引を拡大させただけで、日本の金融産業の成長にはほとんど結び付かなかった。

    結局、小泉改革は、新たな環境へ適応できる新たなシステムの提示とデザインには失敗した。最終的に小泉改革は、セイフティーネットの縮小や、製造業への派遣労働解禁による極端な格差の拡大など、あまりに大きいマイナスを作り出して終わった。

    既得権の存続

    もちろん小泉改革以後も、公共の組織のあらゆる分野にはびこる既得権は、そのまま存在している。省庁が既得権の維持と拡大を優先に決定を行う状況はほとんど変化していない。

    簡保の宿を信じられないような価格で買おうとし、未遂に終わったオリックスなどが典型だが、内閣諮問委員会に結集した一部の企業への国民資産の投げ売りや、財務省への権限の集中などで、既得権は排除されるどころか、既存の集団から新しい集団に移行するだけの結果に終わった。既得権は、小泉改革で消滅するどころか、逆に強化されたとも言える。

    この既得権を維持し拡大するための構造がいかにすさまじく、徹底したものであるかは、3.11と原発事故、そしていまも続いている放射能漏れがもっとも象徴的に暴き出している。

    それらは、官僚と電力会社、政治家が作った原子力安全神話の大ウソ、天下りポストを提供する電力会社と経済産業省の癒着、原発の監督機関であるはずの原子力安全・保安院における経済産業省の官僚支配、報道機関に役員を送り込む電力会社の支配などである。

    既得権の維持と拡大は、すでに日本の公共のシステムの機能に組み込まれてしまっている。この構造が日本にとっての危機であることは間違ない。これを排除できるシステムの構築なくして、日本の再生はない。

    危機と国民の怒りの集団行動

    ところで、日本は幾度となく危機を向かえている。明治維新や敗戦はそうした危機だが、比較的最近の歴史でも実は危機は何度もあったのだ。

    どの危機にも特徴的なことは、危機のたびに国民は怒りをあらわにして立ち上がり、政治の方向性に大きな影響を与えたことだ。

    1950年代に大変な盛り上がりを見せた労働運動では、終身雇用制の慣行を広い産業分野に定着させ、その後に続く高度経済成長の基礎になった。60年代の安保闘争は岸内閣を倒し、次の池田内閣で高度経済成長計画を立案させた。また70年代の公害闘争は、公害の実質的な解消に向けての数多くの規制を実現させた。どぶ川と化していた神田川は、いまでは魚が住む川に変わっているが、こうした変化をもたらしたのは行政が公害を規制したからだ。

    このように、国民の怒りの直接行動が政治の方向が大きく転換するきっかけとなり、日本の将来の決定に大きな影響を与えたことは間違いない。

    この事実を見ると、既得権を打破し、根本的な制度変更を実施するためには、かつてのような国民の本格的な怒りに基づく直接的な行動がどうしても必要になるはずだ。

    特に、3.11以降、日本は待ったなしの危機的な状況にある。そのような状況においてさえも明らかになるのは、省庁の既得権の維持と拡大に3.11を利用する官僚やこれと癒着した原子力産業の実態だ。この構造を根本的に打破できるのは、国民の直接的な怒りの表明しか道は残されていない。

    すでに多くの日本人が怒っている。しかし、ものすごい怒りを抱えているにもかかわらず、日本人は怒りを行動として直接的に表現できないでいる。

    なぜ我々は、50年代の労働運動や、60年代の安保闘争、そして70年代の公害闘争のときのように怒りで行動できないのだろうか?国民の怒りの集団行動があったならば、いまの危機的な状況は変化しているはずである。

    なぜ、我々は怒り行動できないのだろうか?

    我々自身の心理が引き起こす矛盾

    我々が怒りで行動できない理由を考えると、意識されていない事実を認識しなければならなくなる。それは、いまの危機を作り出している最大の要因は、実は我々自身だという事実だ。

    このように言うと驚くかもしれないが、当たり前のことを指摘しようとしているだけだ。現代日本人の社会的現実にかかわる方法と態度が、既得権を打破できる指導者の出現を不可能にさせ、また、新しい環境に適応したシステムの実現を阻んでいる最大の原因だということだ。

    不行動の原則

    この態度とは、集団的な直接行動を通して社会的現実を変更することを放棄する態度のことだ。日常と社会的現実の分断を受け入れ、なにも行動しないことを選択する態度と言い換えてもよい。つまり、不行動の原則である。

    日本では、他の国々のように、正しいか間違いかという倫理的な基準で集団的な行動をすると、「片寄った考え方」、「左翼」などのレッテルが貼られ、社会的な行動は封殺される。いかなる場合でも、社会的現実を変革する直接行動は、不適切と判断され、行動を謹むように言われる。なんらかの行動を通して社会の現実の変革を試みるものは、日常の安定の破壊者として排除される対象になる。

    刻印された心理のかたち

    この不行動の原則が一般化している理由は、我々の心理に、「何をやっても変わらない」という強い諦念が存在しているからだ。この諦念を共有し、社交的な会話では直接行動を呼びかける話題には一切触れないのが、日本では成熟した社会人とみなされる重要な条件である。

    もちろん3.11以降、このような余裕は許さない切迫した状況にある。この状況を打破するためには、我々が直接行動に訴えて、政府機能の中枢が既得権を最優先するグループにコントロールされ、実質的に機能不全を起こしている状況を変革しなければならない。そうしなければ、日本という国の継続さえも危ぶまれる状態に追い込まれることは間違いない。

    それはだれでもよく分かっている。しかし、直接行動を一瞬でも真剣に考えると、「何をやっても変わらない」という思いが、心の底から込み上げてくる。この思いが一度込み上げると、すべてのエネルギーが失われ、とてつもない諦念が身体を駆け巡り、現実を変革する力が失せてしまうのだ。

    こうした心理は、多くの日本人が共有しているものだ。したがってそれは、特定の宗教やイデオロギーを信じた結果として形成されたものとしては考えにくい。個人の思想や信条にかかわりなく、日本人であれば身体的に起こってくる自然な反応だからだ。

    とするなら、この心理を形成したものは、我々が日常行っている当たり前の行為の中にこそあるはずである。繰り返される日常の行為を通して踏み固められ、身体に刻印された反応であればこそ、意思ではコントロールできないほど強い力を発揮する。ボールが顔に向かって飛んでくると咄嗟に避けようとするが、それと同じくらい咄嗟の自動化された反応なのだ。そうではないと、社会の現実を変えるために動こうとするときに沸き起こってくるこの諦念の強烈さは説明できない。

    すべてがゲームのように進行する

    刻印された諦念の心理と、社会的直接行動を否定する不行動の原則を前提にすると、どんな社会的な問題もショーと化してしまう。それはこんなふうに上演される。

    まず、なんらかの政治スキャンダルや政治的な問題が明らかとなる。それは、政治家の不祥事、談合、癒着、公共組織の私物化などであったりする。

    そして、マスメディアの追求で、問題の背後には原因となる同じ構造が発見される。それらは、省庁の省益拡大と天下り先の確保を意図した官僚の暗躍、政務を官僚に依存し官僚に支配される政治家のあり方、そして公共の利益そっちのけで党利党略に奔走する政治家の行動などである。

    裏の事実が明らかになると、観客である国民の対応も決まっている。決まり切ったブーイングの嵐である。「いまの総理じゃだめだ」、「国民のことを考えるリーダーに変えるべきだ」、「官僚機構の改革こそ必要だ」、「政治利権を根絶しないとだめだ」、「党利党略の政治家は去れ」などである。どの野次も耳にタコができるほど聞いたものだ。どこの酒場でも聞ける。

    そして、こうしたブーイングが国民の間から激しく起こるたびに、謝罪とともに当事者が処分される。その後は「政治改革」、「制度改革」などあらゆるタイプの改革がスローガンとして掲げられ、その実行を約束する政治家の決意の発言が相次ぐ。「私は身命にかけて実行して見せます!」、「改革はかならず実行します!」などと連呼する声が聞こえる。

    さらに数カ月もすると、我々は同じ演目の上演に飽きてしまいブーイングの嵐も改革の連呼もピタッと収まる。すると、なにごともなかったように事態は進行し、だいぶ後になってから、結果的には状況は何も変わっていないことが明らかになる。そのときには新しい演目が上演され、観衆は同じブーイングを繰り返し、政治家も同じ決意を連呼しているというわけだ。

    これは、はじめからすべての筋書きが決まった演劇だ。社会的な現実は、演劇のシナリオに合致するようにマスコミの手によって様式化され、それに対する人々の反応もパターン化される。

    そして、いつものように出発点に戻り、政治家の首を付け替える。「真のリーダーはいつ現れるのか?」という変わり映えのしない声が空虚にこだましている。盛んになるのは「リーダーシップ論」だけである。

    これが、社会的現実を変革する直接行動の断念を前提に、現実とかかわる我々の態度が生み出す状況なのだ。つまり、すべてが様式化した演劇のようなプロセスと化してしまうということだ。

    この悪循環をすでに20年は繰り返している。この空虚な行為を我々はいつまで続けるのだろうか?

    生み出され続ける無変化の日常という幻想

    このプロセスでは危険な幻想が生み出される。結局、社会的現実の提示がショーと化す限り、次第に忘却が進みリアリティーが失われてしまう。この結果、現実的であるはずの日常を生活者として生きることが、社会的な現実から目を背け、危機感をマヒさせることになる。

    これは、日常の現実に生きることが、実は凄まじい幻想の世界に生きることになるというパラドックスを生むのだ。このプロセスが生み出すものは、日常的な現実が無変化のまままったりと続いて行くという日常幻想の継続である。

    日本に生きる我々の多くは、この日常幻想にいわばからみ取られたような状態にあると言ってもよい。放射能漏れなどのような、どんな社会的な危機が起ころうとも、テレビはいつものお笑い番組やグルメ番組を流し続け、街のショッピングセンターには家族連れが買い物し、場末の酒場ではいつものサラリーマンが仕事の愚痴を言っている。こうした無変化の日常に籠もると、外部で何が進行していても、すべてが幻影のように見えてしまう。

    これが不行動の原則が生み出した日常幻想の姿だ。これにからみ取られると、社会的現実に対するリアルな現実感覚は喪失してしまうのだ。この喪失は、さらに不行動の原則を強化し、社会問題ショーの上演を通した同じ循環を繰り返す。これは大変に危険なことだ。

    諦念の基礎にある世界の感じ方

    「なにをやっても変わらない」という諦念は明らかに我々が共有する心理のかたちである。だが、そもそもこれを作り出しているのはなになのだろうか?

    先にも書いたように、諦念を生み出しているものは、人が意識して信じている宗教やイデオロギーではない。基礎にあるのは、個人を越えて広く共有されている我々の「世界や社会の感じ方」にほかならない。

    これは「感じ方」であって「見方」ではない。「見方」は、多かれ少なかれ、個人の信念や好みに基づく選択を通して形成される。したがってそれは、意識化できることに特徴がある。日本は自国の文化を守るためにグローバリゼーションの波には乗らず独自の道を歩むべきだと考えようが、反対に、早急にグローバリゼーションに日本が対応してゆかないとこの国は滅んでしまうと考えようが、どちらの見方をするにせよ、自分がそのような見方をしていることを自覚している。そして見方を意識できる限りで、見方の変更や、対立した見方をしている相手と妥協することができる。

    一方、「世界や社会の感じ方」はほとんど意識されることはない。また自覚されるときは、強い感情的な反応を伴って表出する。それは、はっきりとした形を現すことなく、多様な意見や見方の基底部に存在しながらも、身体感覚を介して我々を世界につなげる様式だ。

    このように書いても、なかなか分かりにくいに違いない。我々とは距離のある他の国の例を見ると分かりやすい。

    たとえばアメリカだが、最近評判になったサンデル教授の「ハーバード大学熱血教室」にも登場するように、非常に幅広い政治的な意見と見方が存在する。キリスト教の価値を絶対視し、政府の個人の自由に対する介入を最小限にすることを主張する保守主義者がいる一方、社会の格差と歪みを是正する政府の所得再配分の機能に期待し、より平等な社会の実現を目標にするリベラリストも存在する。

    彼らの社会に対する見方は真っ向から対立する。

    保守主義者は、格差や貧困などの社会問題も基本的には個人の自己責任だと考える。なので、たとえば金持ちの寄付で社会保障を運営するというように、社会問題の多くは国民一人一人が是正に責任を負う社会を理想とする見方だ。一方リベラリストは、社会問題の是正を個々の国民の行動に期待するには無理があると見る。格差などの社会問題の原因は、拝金主義などのような行き過ぎた個人の行動にある。これを是正しより安全な社会を構築するためには、個人の自由が行き過ぎないように、政府が個人をある程度コントロールする社会こそ理想だと考える。

    どれだけ話し合おうとも、社会に対するこの2つの見方が一致点を見いだすことはない。どこまで行っても平行線だ。

    しかしながら、この2つの社会観がどれほど異なっていようとも、両者はある「世界の感じ方」を共有している。それは、「社会は自由意思を持ち自立した個人の集合体である。そうした個人によるディスカッションを通して社会は構成されている。したがって、社会的現実を作り出しているのは人間の行為であり、どんな社会的現実も人間の行為で変更できるはずだ」という実感である。上の保守主義者とリベラリストの相違は、どのような社会を構成すべきかという認識の相違であり、基底部にあるこうした実感の相違ではない。

    これは、身体レベルに刻印された感じ方だ。この実感に違反するようなことが発生すると、意識のコントロールではどうすることもできない強い感情的な反応を伴って、「根本的に間違っている」という実感が表出する。

    アメリカ人は、人権が制限され少しでも独裁制の匂いのする政治体制には感情的に耐えられないのも、社会に対するこうした基本的な実感が身体に刻印されているからだ。一度この実感が表面に出てくると、理性的な対話はほとんど不可能となり、荒々しい感情のぶつかり合いになる。

    「世界や社会の感じ方」とはこのようなものだ。外国の例を見るとイメージがつかみやすい。

    では日本人の「世界や社会の感じ方」とはどのようなものだろうか?おそらく日本人のそれは、「社会は自由意思を持ち自立した個人の集合体である」とするアメリカ人の実感の対極にあるものだ。

    我々は世界や社会を、個人をはるかに越えた生きた有機体のように実感している。それは独自の意思と法則で変化している全体的ななにものかである。

    そのような全体性から見ると、それぞれの個人は全体性の表出にしかすぎず、自我として自立した存在ではない。それはむしろ個我と呼んだほうがよい存在だ。自我が、自由意思を持ち、周囲とかかわりながら社会を創出する主体者だとするなら、個我は、全体的ななにものかと紐帯でつながりながら、かりそめに個人として分化している淡い存在だ。

    しかし、我々が感じるこの全体的な存在は一神教の超越神ではない。超越的な神のような、言葉を使って全体的な存在を明示することを我々は拒んだ。なぜなら、真の全体性は、表出した個我にすぎない人間の言語で定義すると、存在の広大さは失われ、存在が穢れてしまうとおそらく我々は感じているからだ。言葉で明示するのではなく、象徴的に示唆することを通してそれを「感じてもらう」以外にないような存在だ。「お天道様」とか「お陰様」、また「世間様」や「ご先祖様」という言葉が象徴するのはこうしたものだ。

    おそらく日本人は、意識するとしないにかかわらず、世界や社会の存在をこのようなものとして実感しているに違いない。

    してみると、不行動の原則の背後にある「なにをやっても変わらない」という諦念がなぜ沸いてくるのかよく分かる。日本人にとって社会の現実は、背後にある超越的な存在が作り出したものとして実感される。我々自身もこうした全体の一部である。全体性がある方向へと変化する場合、個我でしかない個々の人間は、変化の方向をいち早く感じ取り、それに合わせて一緒に変化することができるくらいで、ましてや、人間の意志で全体性には働きかけ、変化を押し止めたり、方向を変更することなどできるわけがない。特にこれを、個我の欲望という利己的な目的のために変更するのは許されない行為であり、不適切だ。

    おそらくこうした感じ方が、社会的な現実を変えるための直接行動を考えると、「何をやっても変わらない」という思いが心の底から込み上げ、とてつもない諦念が身体を駆け巡る理由なのだ。それは、最初から負けが決まっている不適切な行動だ。

    5月11日の追加部分

    強靭な適応力


    このように、個人的な自我に基づく抗議や直接行動は日本では強く抑制される。だがこれは、視点を変えると、環境の変化に対する日本人の強靭な適応力の源泉にもなっていることに注目しなければならない。

    現実は背後にある超越的な存在が作り出したもので、我々自身もこうした全体の一部でしかないと実感されるとき、個我によって現実を変えることが断念されるだけではない。超越的な全体性が動いたと判断すると、変化の方向に取り残されないために、人々が一斉に同一方向に動き出し、変化した環境に適応する集団行動が可能となるということも意味している。


    超越的な全体性は、「時代」「流れ」「とき」などとして象徴的に認識される。一度「時代」や「流れ」が変化したと見れば、政府や官僚、そして個々の国民に至るまで、それこそ一斉にこれまでの原理や原則をかなぐり捨て、プラグマティックに環境の変化に適応する努力が始まる。

    一方、超越的な全体性には、本来あるべき調和の取れた秩序の感覚が付随している。この秩序は、それぞれが個我の欲望に走ることなく、分をわきまえて行動し、やるべきことを行い、人様の迷惑にならないように、きちっと生活していると、超越的な全体性が人間のそうした行動に応えるかのように自然と具現する調和の秩序だ。

    もしときの政府や支配層が、「きちっとせず」、「やるべきことを行わず」、自分たちの集団の利害のみを露骨に優先した「人様の迷惑も顧みない」ように行動し、その結果として本来あるべき公共の調和を混乱させていると判断されたとき、人々は容赦のない怒りを政府や支配層に向けて爆発させ、方針の変更を強く迫った。特に、政府や支配層が「その座に座る資格のない人々」であると見られたときは、怒りの表出は一層激しいものになった。

    歴史を通して見ると、決して頻繁ではないが、歴史の結節点となるような時期には人々は激しく怒った。怒りの結果として、既存の制度の枠組みは変更され、新しい社会と経済の環境によりよく適合したシステムに置き換わった。

    戦前の疲弊する農村で激発した暴力的な騒動の嵐は、当時の政府を動かした。そして、GHQの農地改革を先取りするかのような、寄生地主制を解体して小作農を自営農に転換し、豊かにする農業政策を実現させた。これにより国内の市場は飛躍的に拡大し、昭和9年以降の高い経済成長がもたらされた。

    また、戦後の昭和20年代に激発した首きりに反対する労働争議の嵐を通して、最終的には終身雇用制、年功序列、労使協調の雇用慣行が作られ、高度経済成長とバブル期に頂点を向かえる日本型経営システムの礎となった。

    さらに、70年代の激しい公害反対運動は、有毒ガスや工場廃液の排出を厳しく規制する多くの法律や、国に支援された自治体単位の環境回復プロジェクトを実現させ、当時の公害とは無縁な現在の生活環境を実現させた。

    このように、かつて我々は、環境の変化を「とき」や「時代」の変化として感じ取り、それに機敏に合わせるように一気に適応するか、または、既得権益や権力闘争などで政府や組織がまともに動いていないとき、怒りを露骨に爆発させてすぐに問題に解決を図るように迫り、その時代に適合した新しい制度やシステムを生み出していった。

    これが我々の強靭な適応力であった。そしてそれは、我々のみならず、政府自らがそのような機敏な適応力を発揮した。明治以降の歴史から見えて来るのは、政府も国民も巻き込んだ「強靭な適応力」である。

    繰り返された危機

    日本という国家は、明治以来そのままスムーズに発展したわけではない。もちろん、敗戦による歴史的な断絶は最大の出来事であた。敗戦が日本にとって本質的な危機であったことは間違いない。

    しかし、明治以来、危機は幾度も起こり、国も社会もそれこそ髪を振り乱しながら、激変する環境にその都度大胆に適応してきたというのが、日本の近代から現代までの歴史であったのではないかと思う。むしろ、国や社会が安定していたときの方がはるかに短いという印象が強い。

    たとえば試みに、明治期から現代までの歴史を簡単に概観してみると、そのことがよく分かる。

    明治期の状態

    1)明治初年から明治10年代


    国家の形が定まらず、農民の土地所有を前提に沸き起こる人民主権と国民参政権の保証を求め、明治維新の徹底を主張する自由民権モデルと、上からの近代国家形成を模索するも、模範とすべき国家モデルが定まらず混乱する政府とが対立した時期。明治政府は薩長がクーデターで奪取した正統性のない政権と見られており、国内でも不平士族による内乱が激増。

    2)明治20年代

    明治憲法の制定と帝国議会開催により、富国強兵を実現できる国家モデルが定まる。日本は世界経済のシステムに、軽工業の供給国として組み込まれる。一方、西南戦争によるインフレを終息させるために実施された松方デフレが深刻な不況を引き起こした。これにより農民は疲弊して地主に土地所有が集中したため、自作農は大きく減少し、小作農が増加する。江戸期以来自立していた農村共同体は解体する。

    3)明治30年代

    1890年代から産業革命が勃興する。都市は解体した農村共同体の過剰労働力人口を受け入れる受け皿となるが、共同体の解体から都市のスラム化が急速に起こる。これは、労働力の析出に伴う個人化を促進させ、社会的な道徳の喪失と犯罪率の極端な上昇を招く。社会全体が危機的な状況になる。

    4)明治30年代後半から40年代

    このような危機的な状況に直面し、日清日露の両戦争で出現した国家意識の高揚をテコにして、天皇を頂点とする天皇制国家として再編成する。国内の反抗などもここに至って減少し、国家として安定してくる。

    明治期の歴史を概観すると、明治維新が目指した天皇制国家としての国のかたちは、やっと明治40年代に
    なって安定したのが分かる。それまでは、体制の政治的な不安定性や経済危機を背景として起こる内乱や暴動、一揆、そして社会不安などがいつも起こっており、国や社会が安定しているとはとても言える状況ではなかった。西南戦争以降、内戦だけが起こらなかっただけだ。

    大正期から昭和初期

    大正期


    1914年から1919年まで続いた第一次大戦による欧米各国の生産力の低迷で、繊維などを中心とした日本の軽工業は輸出産業として飛躍的に伸び、これにけん引されて、日本は長期の好景気に入る。普通選挙の要求から、大正デモクラシー運動が始まる。

    好景気を背景として、都市には早期の消費文化が誕生する。

    大正末期から昭和5年くらいまで

    関東大震災、金融恐慌と昭和恐慌


    大正12年(1923年)、関東大震災が起こる。東京の首都機能は実質的に崩壊してしまう。震災で立ち行かなくなった企業の倒産を回避するために、政府は企業が出した大量の手形を引き受ける。また銀行も手形を引き受けたが、結果的には大量の不良債権となる。これが引き金となり、預金の取り付け騒ぎが発生し、多くの銀行が倒産。金融恐慌が始まる。

    浜口内閣は、金本位制に戻ることを目標に不況下で徹底した緊縮財政政策を採用する。これが裏目に出てかつてない深刻な不況に直面する。1929年、これと同じタイミングで、ニューヨーク発の恐慌が発生する。

    農村は疲弊し、娘の身売りが横行。国内ではテロ、要人の暗殺などが多発し、社会は騒然となる。

    これから戦後の変化と激動を書きたいが、あまりに長くなるので次回以降にしたい。

    バブル期の変化

    結論から言うと、日本の近代は激動の時代であった。たしかに安定した国際関係のもと、戦後は相対的な安定期に入った。

    だがそれでも、ドルショック、オイルショック、公害問題、70年代の深刻なスタグフレーションなど多くの困難な時期があった。そしてやはりどの時期にも、政府も国民も強靭な適応力を発揮し、問題を乗り越えた。

    だがバブルが崩壊したあたりから、様子が変わってきた。我々の内面で何か根本的な変化が起こったようなのだ。

    今回は不完全な尻切れトンボのような記事なった。次回以降に詳しく書きたい。

    続く

    新しい本の紹介

    また新しい本が2冊出ました。表紙はセンセーショナルですが、中身はけっこうまじめです。これまでのメルマガや雑誌の記事の内容に一部加筆し、修正した内容です。いま日本は大きな転換点になっています。世界の現状を踏まえ、現在の日本の立ち位置を確認するにはよい本ではないかと思っています。よろしかったぜひどうぞ!

    elen

    shihaisha

    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書かせてもらっているが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

    筆者のいとこのブログ

    筆者にいとこがスピリチュアル系のカウンセラーになっていたのを最近知ることとなった。以下にリンクする。よろしかったらどうぞ。

    ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

    本の出版のお知らせ

    今度、また講談社から英語の本を出した。筆者も強く感じているが、やはり英語は仕事では必須となりつつある。しかし、実際に英語を使う相手は欧米人とは限らない。中国や韓国なのどのアジア出身の人々も多い。そのような状況のなか、この本では普遍的なコミュニケーションの手段としてのグロービッシュに注目し、これをマスターする方法を解説した。英語に関心がある方にはぜひお勧めしたい!

    日本人が「英語ペラペラ」を本当に実現できる本 (講談社+α文庫)

    eigohon

    また本が出ます。前著の続編にあたる本です。今度は今のシステムのつっこんだ解説と将来の予測です。よろしかったらどうぞ。

    「支配ー被支配の従来型経済システム」の完全放棄で 日本はこう変わる コルマンインデックス未来予測[2020年までの歩み] (ヒカルランド)

    nihonn

    また本を出版しました。今度は徳間書店からです。今回は、このブログの内容を大幅に加筆修正し、未来予測を行った本です。よろしければぜひどうぞ!

    未来予測コルマンインデックスで見えた 日本と経済はこうなる(徳間書店)

    koru

    今回、講談社から英語本を出版しました。通勤途中に電車の中で軽く読める本です。ちょっと英語に興味がある人はぜひどうぞ!

    通じる英語 笑われる英語

    eigo

    「いったい世の中どうなっているんだ!こんな時はマルクスに聞け」(道出版)

    体裁としては「資本論」の解説書のような本だが、マルクス礼讚の本ではない。われわれはこれからなんとしてでもサバイバルして行かねばならない。そのための状況認識のための書として有効だと思う。よろしかったらぜひどうぞ!

    marx

    このブログの基本方針

    このブログの基本方針を掲載しました。記事をお読みになる前にかならず一度はお読みになってください。

    基本方針リンク

    読むとくドットコム

    筆者がコンサルティングにかかわっている会社が子供用の国語音声教材の提供を始めた。子供用だが、実によい名作がmp3の音声ファイルで聴くことができる。大人の心の琴線に触れる作品がとても多い。よいサイトだと思う。よかったらどうぞ!

    読むとくドットコム

    友人の飲み屋

    筆者の友人の一人が飲み屋を始めました。こちらもよろしかったらどうぞ!

    ナイトクルーズ51

    驚異的な前世リーディングサイト
    遠い記憶・前世からの約束

    前世リーディング問い合わせ電話番号
    080-3128-8600

    筆者の友人の作家のブログ

    茶房ちよちよ
    駒村吉重のブログ。いつもの飯、酒、より道、脱線、思いごと


    便利な学校検索サイトです!

    海外子女.com

    投稿に関しては以下の方針に従い、どうしても必要な場合以外は削除しないことにしておりますが、他者の人格を傷つける不適切な表現がある場合は例外とし、予告無しに削除し、投稿禁止にする場合もあります。

    意味産出の現場としてのBBSやブログ

    また、私はいま日本で起こっている変化を以下のようにとらえております。もしよろしければこちらもどうぞ。

    いま何がおこっているのか?

    ヤスの英語

    よろしかったらクリックをぜひ!↓



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ:歴史と予言 - ジャンル:学問・文化・芸術

    コメント

    Japanese

    国民の寿命は長くなったが、内閣は短命である。
    政治に継続性がなくて困っている。
    大臣の資質を問う者は多いが、それを選ぶ国民の資質を問う者はいない。

    試験は、成績で序列順位を定めるためのもの。
    選挙は、得票数の結果で序列順位を定めるためのもの。
    世界の頂点を目指すのか。それとも、どんぐりの背比べか。

    この世は仮の世。
    まっとうな世の中は、この世の外にある。











    On May 5, 1952, General Douglas MacArthur testified before a US Senate committee by saying:

    “Well, German problem is a completely and entirely different one from Japanese problem. The German people were a mature race. If the Anglo-Saxon was, say, 45 years of age in his development, in sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature. The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years.”



    インド人は、前世・(現世)・来世の内容を瞑想から得ている。
    英米人は、過去・(現在)・未来の内容を経験に基づいた考察から得ている。
    日本語には時制がなく、過去・現在・未来の三世界はない。
    ‘我々は何処から来たか’、そしてまた、’どこに行くのか’ の考えはない。
    あるのは現在ばかりである。実況放送・現状報告の内容ばかりである。刹那の内容は永遠のものと見えている。

    過去と未来に空白な世界がなければ、非現実の内容を考えて補う余地もなく、またその必要もない。
    だから、日本人は ‘考える人’ にはなれない。子供の時のように無哲学・能天気の人のままでいる。
    日本人には、世界観がなく、実況放送・現状報告の内容は、「世の中は、、、、、」形式で語ることになる。


    時制のない言葉で語ると、実況放送・現状報告の内容になる。
    つまり、目先・手先の内容ばかりを語ることになる。
    現実構文の中では、非現実の内容は語れない。それを語れば真っ赤なウソになる。


    日本人には意思がない。だが、恣意はある。
    これは、子供の状態と同じである。
    意思は、未来時制の内容である。
    日本語には時制がない。

    意思がなければ、罪もない。
    死刑執行人には罪がない。
    意思を示せば罪もある。
    殺意があれば、殺人罪に問われる。

    意思を示す人は、当事者になる。
    意思を示さない人は、傍観者になる。
    我が国は、世界にあって世界に属さず。

    日本人は、問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力 (腹芸) はもっている。
    問題を解決する能力がないと、無力感・閉塞感にさいなまれる。

    成案の人も完全ではない。だから、議論により矛盾するところを改めて成案に磨きをかける必要がある。
    成案の人は、公言を好む。成案の人は、議論を好む。矛盾のない論旨を理解してもらいたいからである。
    腹案の人は、’お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか’ と言っている。
    腹案の人は、談合を好む。小言を好む。双方の恣意の摺合せをしたいからである。

    腹案の人には、具体的な解決策はない。
    だが、消去法により、相手に言いがかりをつけている。
    ‘ああでもなければこうでもない’ と力説する。
    議論は、まだまだ尽くされていない。
    どうやら、相手から譲歩を引き出すことが解決策のすべてであるとの錯覚を起こしているようである。

    意思を示さなければ、責任感もわかない。
    日本人には、意思がない。
    我が国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。
    とかくこの世は無責任。

    英語の責任は、自分の意思で問題を解決すること。
    意思のない人は、問題解決の適任者ではない。

    意思のあるところに解決方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
    意思がなければ、解決方法はない。
    座して死を待つことになる。

    自分に必要なものを自分自ら獲得するのが親鳥の態度である。
    自分に必要なものを親に知らせて獲得してもらうのが幼鳥の態度である。
    日本人には意思がないので、他力本願・神頼みになる。
    自ら望むことなく危機に陥る欠点がある。


    日本人は、目先・手先に神経を集中することができる。
    細工物が上手で、仕上がりのセンスも良い。
    それで、技術立国としての存在価値を示している。
    ただ、12歳の大人である点が問題なのである。

    日本人には、リーズン (理性・適当・理由) がない。
    リーズナブルな (理性ある・適当な・理由になる) 判断ができない。
    リーズナブルな判断は個人に基づく判断内容であるから、日本人の得意とする実況放送・現状報告の延長線上にはない。
    だから、日本人は個人的な理性判断に欠けている。

    現状の上に、さらに外国からの尊敬が得られる手段を獲得することができるならば、われわれ日本人は鬼に金棒である。
    その目的を達成するには、英米流の高等教育が近道である。これにより、リーズンが獲得できる。
    彼らの大学の高等教育の中身は、大人になるための英語の再教育である。日本語には、このような再教育はない。

    だから、英米で高等教育を受ければ、格別の苦労もなく得られる結果である。
    英米の高等教育機関では論文 (thesis) を書かせる。論文を提出すれば、哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph. D.) の夢は実現する。
    我々は、この一点に教育の努力を集中して自己の改善を図るべきである。

    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
    http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

    やれやれ

    コメント欄に長々と自分の主張を書くな!自分のブログがHPで書け!読みにくいし迷惑だ!

    なぜそうなっているかは、生活保護の史上最高の受給率による。
    結局、お上にたよると何とかしてくれているという現実の生活が、問題を見なくさしている。
    いずれ、国が持たなくなったとき、やっと目が覚めるのです。

    やすさん みなさん こんにちは

    興味深い記事をありがとうございます。

    一番目の方のコメントを拝読させてもらって、何か勘違いをされていると想う。

    やすさんの記事を拝読させてもらっている内に、現在の日本人は、WW2前の日本人ではなく、支配組織によって創られた傀儡であると言うこと。しかし、思考は洗脳、刷り込みをされていても、魂には蓋をされただけだから、蓋を取れば、本来の創造的日本人が覚醒すると言うことです。民族を変えるには60年必要と言う事が言われていますが、まさしく、現在の我々の時代が当てはまります。50~70年代の闘争は、まだWW2前の日本人の心(息吹)が残っていたのです。現在は、徹底的な洗脳、刷り込みにより変貌しているのが実態です。

    しかし、この時期も必要な期間であったと想う。「遠い記憶・前世からの約束」のファーメモリーさんの記事にもあるが、一大変革期において、現在の期間は過渡期的な期間であり、ワンクッション置く為の緩衝期に当ると想う。

    欧米的な競争社会でなく、画一的(没個性的)能力主義的な社会でもなく、其々の個性が重視される社会の到来に向けての準備期間では無いかと想う。この事で必要なものは、競争意識、優越感、劣等感意識ではなく、「人と違って当たり前」と言う感覚を取り戻し、違いを認め合い、其処から、新たな創造が産まれると言う認識が出来る社会。この社会は、新たな意識で創り上げられる物であり、これまでの意識では基礎さえ創れないものであると想う。

    認識として、これまでの競争、グローバル意識を捨て去る事が必要になる。「人との違いを認める」事の大切さは、自然の多様性と同じで、重厚間溢れる世界を創り上げると想う。画一的、没個性的な薄っぺらな世界では無くてね。マスコミによる誘導にも、多くの方が反発を感じはじめ、隠されてきた真実が明るみに出始めています。だからこそ、思考の基礎をこれまでの競争社会常識に置くのではなく、「違いの中からの創造」に置くべき時に来ているのでは無いかと想う。今の若者達(新人類)に期待するところですね。

    お調べください

    文中のオリックスがカンポの宿を買った・・・という部分はあの落札は未遂に終わり、買えていないはず。

    検察の犯行動機

    検察の不正をいち早く指摘したあのブログが、
    再び検察にモノ申している。
    見え見えの犯行動機、知って知らぬふりの増すゴミ報道
    だが、お天道様はしっかりと見ている。
    あの日(6/8)はやがて来る。どうする日本!

    http://blogs.yahoo.co.jp/martingood0323


    ヤス様
    Courtney Brown博士の遠隔透視の記事、ありがとうございます。
    楽しく読ませていただきました。
    次回も期待します。
    この予知にはデイムス少佐のように時系列徴候予知情報はないのでしょうか。
    各種予言事象の日時は当てるのが難しいようですが、
    時系列はかなりそのままのことが多いようです。
    2013年は大変な年になりそうです。
    そうでもなければ狂った世界は変わりそうにありません。
    もっとも予言は公開すると変化する性質があるので、プラスかマイナス方向にずれると思いますが。
    日本に5月の災害がどれだけ予言通りに起こるかを見守りたいと思います。
    今年は3.11のような大地震はないようです。

    リーダー待望中毒

    >おそらくこうした感じ方が、社会的な現実を変えるための直接行動を考えると、「何をやっても変わらない」という思いが心の底から込み上げ、とてつもない諦念が身体を駆け巡る理由なのだ。それは、最初から負けが決まっている不適切な行動だ。

    直接行動をするためのリーダーを待ち望むとそういう人たちの集団で依存が発生したり、だれかをカルト的に信仰してしまい危険が伴う。
    リーダーを待たずにやみくもに行動を始めたつもりになると、行動の起こし方がわからないからただのミクシィやツイッター中毒になる。

    いつまでも病んでいるしかない仕組みに生きているんだよね。

    聖なる予言ガイドブックを久しぶりに読んでみた。(ジェームス・レッドフィールド)
     全てはエネルギーであるからにして、エネルギーをいかにして高めるかが重要なのではないかと思った。
     国レベルでも、エネルギーが低くなると自分達の国のエネルギーだけでなく他国から奪わないと、豊かになれないと思うため、戦争や原発が導入される。
     いかに、国としてエネルギーを高めるかということ。
     そこには自給自足してエネルギーを、自分で作り出すことができるという方向の考えが国としても必要なのでは?
     日本人的には、自給自足して、ネットワークを作って同じ考えの人が力を合わせて固まりで、意見を打ち出すほうが有効であると思いました。
     みんなと同じでないと不安だったり、変化を恐れ今までと同じでないと秩序が乱されるということで意見を言っても余程強くないと潰されます。
     日本の長所と短所は表裏一体です。
     私達の未来はシビアな状況ですが、作っていくのは私達です。
     明るい未来を作るのは私達。
     命が大事で、もっと大事なのは魂。
     魂が大事と思っていれば、これから何がおきても怖いことはないのではないでしょうか。 

     補足ですが、放射能はシュタイナーで言うエーテル体(生命エネルギー)に影響を及ぼすそうです。
     エーテル体に、いいことは規則正しい生活や、この世が善であり美しいと感じることだと聞きました。
     この世は、美しい。
     この世は愛で満ち溢れている。
     悪に見えるものは、ただエネルギーを欲していて、愛が不足しているため過剰にエネルギーをとろうとしているだけなのかもしれないと最近思っています。
     ヤスさんいつも応援しています
     
     

    5月20日ごろ

    ヤスさん、お忙しい中、更新有難うございます。

    どなたもまだ書き込まれていないようなので。
    メキシコの著名なUFO研究家のヘイミー・モサンが第16回国際UFO会議上(2007年)でミステリーサークルの
    解析をしました。それによると、この5月20日には金環食だけでなく、プレアデス星団も太陽の反対側で全く同時
    に一直線にならぶそうです。
    この時に、モサン氏自身も、地球上で一体どのような事が起るのかは予想できませんでしたが、非常に重大な
    事態なのだそうです。(メソアメリカの翼を持つヘビである「スター・ゴッド」の再来か?)
    更に16日後の6月6日には金星が太陽の表面を通過します。これもまた重要なことのようです。
    ただし、これもまた彼自身にも、実際に地球上でどのような事が起るのかは予想できませんでした。
    興味のある方、マヤのカレンダーに詳しい方はどうぞ。

    http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=tEMnuXqfGYc

    胸騒ぎの喘ぎ

    金融崩壊が近づいてきた気がします。
    やはり2012.12月なのでしょうか・・・
    まやかしのアメリカ・イギリスを中心とした金融政策がもはや限界にきている気がします。
    やはりロシア(プーチン)は真実を知っている気がします。
    それと前後して、プレート変動もしくは磁極転換が起きる・・・
    昨今の海洋生物や鳥類の異常死の拡大がもの語っている気がします。

    日本政府って大丈夫??じゃないよな・・・
    民主党も自民党も政局しかないアンポンタン集団だから・・・
    真実の情報が多分入っていない単なる道具集団・・・
    白川総裁
    小沢さん
    なんとかしてくだされ!!

    一種の他人任せね

    なんとかして「くださる」強いリーダーを待望する(依頼する)事に中毒になっては危険かも?

    一歩間違うと、偉大で強く、民主的手段で選ばれたアドルフヒトラーみたいな強烈な人物を崇拝したりして。

    オバマが勝った時も、その勝利にポーっトして思考停止・エアポケットに嵌ったアメリカ人がいっぱいいたように思うけど。

    コメントの投稿


    管理者にだけ表示を許可する

    トラックバック

    http://ytaka2011.blog105.fc2.com/tb.php/242-cd003d66
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

    ところで何で国民が天皇にへえこらしなきゃいけないの?俺「こんちわーっす」って言ったらどうなるの?

    1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/05/11(金) 18:18:47.74 ID:Z9UT1KGR0● ?PLT(12223) ポイント特典天皇陛下の強い意向で… 両陛下あす仮設住宅訪問天皇・皇后両陛下が12日から仙台市...

    «  | ホーム |  »

    私はペット殺処分ゼロを応援しています!ピースワンコ・ジャパン

    まぐまぐ大賞2016

    メルマガ登録 月840円

    メルマガ登録・解除
    未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ
    >> サンプル
    詳細ページへ
    powered by まぐまぐプレミアム
     

    WEB検索

    Google

    プロフィール

    ヤス

    Author:ヤス
    普通の中年のおやじです。

    他の活動:ヤスの英語

    ※注意
    投稿欄としての本来の機能を維持するため、本ブログの管理人が内容としてふさわしくないと考える投稿は、予告なく削除いたします。また、投稿する方自らが自粛していただければ幸いです。

    最近の記事

    最近のコメント

    月別アーカイブ

    カテゴリー

    フリーエリア

    リンク

    このブログをリンクに追加する

    ブログ内検索

    RSSフィード

    フリーエリア

    ヤスの本

    翻訳・監修本

    「神霊の世界に覚醒して」 shaman02

    ハワイの長老が語り伝える先住民族の聖なる知恵 bowl

    社会分析

    望みなき時代の幸福論 koufuku

    日本はこう変わる コルマンインデックス未来予測 nihonkawa

    「マルクスに聞け」(道出版) marx

    コルマンインデックス後 私たちの運命を決める 近未来サイクル cycle03

    コルマンインデックスで見えた日本と経済はこうなる koruma

    語学教育

    日本人が「英語ペラペラ」を本当に実現できる本 (講談社) pera

    通じる英語笑われる英語 tsu

    きちんと伝える英語 tsutaeru

    英文社内メール例文集 shanai

    実践 英文ライティング入門 bizw

    音声読み上げソフトで練習する速読即解英文リーディング sokudo

    「確実に意志が伝わる英会話」 kakujitsu

    ビジネスレター実用フォーマット bizletter

    英会話「英訳」トレーニング cd

    ネイティブはゼッタイ使わない nat

    ビジネスコミュニケーション

    論理的会話トレーニング ronri

    知的論理トレーニング chiteki

    対談本

    宇宙の設定を読み解く[BlackBox]超予測 black

    日月神示の緊急未来予測 hitsu01

    日月神示のサバイバルガイド hitsu02

    フリーエリア