先々週まで体調を崩していたが、新型インフルエンザでも夏風邪でもなかった。なんとアレルギーであった。だが、なんとかこうして更新できたことを感謝したい。これも読者があってこそである。
本の出版のお知らせ

「いったい世の中どうなっているんだ!こんな時はマルクスに聞け」高島康司著
定価¥ 1,470 道出版
体裁としては「資本論」の解説書のような本だが、マルクス礼讚の本ではない。われわれはこれからなんとしてでもサバイバルして行かねばならない。そのための状況認識のための書として有効だと思う。よろしかったらぜひどうぞ!
予言解説書10の有料配信
「予言解説書10」が完成した。配信をご希望の方は筆者に直接メールしてください。これは7月20日に配信された「来るべき未来の形 0巻1号」の詳細な要約である。
今回のALTAのレポートは、いつものように「ドルの死」や「ハイパーインフレーション」「食糧危機」そして「革命」などのいつものテーマの他に、「豚インフルエンザ」そして「環境異変と気候変動」の具体的な描写に多くのページが費やされている。環境異変の引き返すことのできないプロセスに入ったということのようだ。ご希望する方は筆者まで直接メールをください。
info@yasunoeigo.com
有料メルマガのご紹介
今週は引き続き新型インフルエンザワクチンについて考察した。新型インフルエンザの死亡率は0.5%、新型ワクチンの効果は推定30〜40%程度、副作用発生率は0.01%〜0.13%程度だろうと言われている。ちなみに一般のインフルエンザは、死亡率0.1%で副作用発生率と効果は同程度だろうという。これを見ると、ウィルスが強毒性に進化しない限り、新型インフルエンザもそのワクチンもびっくりするほど怖いものではないことが分かる。
だが、その社会的影響は別な話である。いまアメリカとイギリスでは新型ワクチンの接種を拒否する運動が盛り上がりつつあり、全英の看護士にアンケートを取ったところ、その3分の1は接種の拒否を表明した。またアメリカでも、天然痘のワクチンの開発に携わった科学者のチームが、自分たちは今度のワクチンは接種しないことを表明した。一方、ミシガン州、アリゾナ州、アイオワ州などではワクチンの強制接種を義務づける「強制接種法」が相次いで可決されている。
このような動きに合わせて、強制接種を拒否する大規模な運動が各地で発生する可能性が出てきた。今週はこのような内容を詳しく解説した。
日本に関して3
公務員の給与が高いというのはどういうことか
前回の記事で述べたように、日本の公務員の数は他国に比べてかなり少ない。これは日本の官僚が作成したデータではなく、大学が取りまとめたデータである。
では日本の公務員の給与はどうであろうか?われわれの中には公務員の給与は高いというイメージが強い。これも公務員数と同じ国際比較で見て見よう。下は2005年に大和証券研究所がまとめたデータである。

一見して分かる通り、国際比較では日本の公務員の給与はかなり低いことが分かる。国際平均より低い。
では、なぜわれわれは公務員の給与が高いというイメージをもつようになったのか。メディアの執拗なプロパガンダによって刷り込められた思い込みなのだろうか。
確かにそうした側面があることは間違いない。だが、日本の公務員の給与が高いというのは、民間の平均給与と比べて公務員のほうが高いということなのだ。つまり、官と民との乖離が大きいということだ。以下の比較を見てもらいたい。

世界平均では公務員の給与は民間のそれに比して1.37倍であるのに対し、日本は2.1倍とかなり高い。
だが、国際比較では公務員の給与が低いにもかかわらず、民間の平均給与よりもかなり高いというのはどういうことであろうか。それは、終身雇用の解体やそれに伴う派遣労働と非正規雇用の拡大に伴い、民間の給与水準が大きく下がったということを表していると考えられる。
確かに、日本の公務員の給与水準は、高度経済成長が終わってから民間のそれに比較して高めに推移してきたのは事実である。しかし、バブルが弾け、失われた10年、および小泉構造改革の時期に民間の給与水準が下落するに伴って官民格差が広まったということだ。

その意味では、単純に公務員の給与を下げるよりも、むしろ悪化した民間の労働条件を改善し、給与を上げるほうにもっていったほうがよいとの考え方も成り立つ。
公務員の給与の相対的高さの背後にある状況
確かに民間に比して公務員の給与が高いことは事実である。だが、これは公務員の給与を下げればよいというような単純な問題ではまったくない。
公務員の給与が相対的に高いというのは、バブルが崩壊後の90年代以降、日本を取り巻く条件が根本的に変化してしまったことの端的な現れなのである。
グローバル生産体制の確立と日本の敗北
前述したように、90年代の始め、遅くとも94年前後には国内の安い労働力を外国に解放した中国と、それまで日本製品に押されて国際的な競争力を失っていたアメリカ企業が結び付き、インターネットで生産拠点を結んだグローバルな生産体制が生まれた。
そして95年になると、拙著『マルクスに聞いて見よ!』でも詳しく解説した、アメリカを中心とするグローバルな金融システムが出現した。グローバルな生産体制を支えるアメリカ企業も中国企業も、この金融システムを通して莫大な投資の恩恵を受けることになった。そうした投資は、生産のさらなる拡大を可能にし、グローバなル生産体制をさらに発展させた。
すでに述べたように、日本はこの動きから取り残されたのである。その結果、中国製品や中国で生産されたアメリカ製品に負け、日本企業と日本製品は国際的な競争力を失ったのだ。少なくともバブルが崩壊する90年まではだれも疑わなかった「製造業大国日本」の姿は影の薄いものとなってしまった。
ほころびる戦後の社会システム
国際的競争力の後退の影響はあまりに大きかった。少なくとも以下の変化をもたらし、戦後60年間日本を支えてきた社会の前提が大きくほころびる結果となった。
国際的競争力の後退は経済成長の長期的な低迷となってすぐに現れた。低迷の長期化には、容易に進まない不良債権の処理も重要な背景になった。
このような状況で、終身雇用と年功序列を中核にした雇用システムを維持することは、企業にとって難しくなった。終身雇用は解体され、どの企業でも大規模なリストラが当たり前のように実施された。その結果、これまで安定した生活を享受していた多くの人々が、不正規雇用や派遣労働者などの不安定な立場に追いやられたのだ。
こうした雇用制度の変化に合わせて、サラリーマンの年収も年をおって低下した。

特に働く盛りの50代の年収の低下は大きかった。

そして、中高年のリストラはすぐに自殺者の増大となって現れた。毎年1万人以下だった自殺者が、一気に3倍の3万人を突破するようになったのは10年前の1999年からである。これには、97年から激しくなったリストラの大きな波が背景にあるといわれている。
このようなことが背景となり、今日のわれわれの知っている格差社会が誕生した。日本の格差は先進国でもかなり大きいほうになってしまった。
相対的に高くなった公務員の給与
周知のように、公務員の給与は市場原理では決められていない。民間との乖離がないように、人事院勧告という制度を通して政府が調整している。このため、終身雇用制が解体してリストラが進展し、民間企業の給与が大幅に落ち込んだため、相対的に公務員の給与や労働条件がよくなってしまったというのが現実だろうと思う。
したがって、日本の公務員の給与の相対的な高さというのは、90年代以降に日本が経験した社会的な激動の現れの一端だというのが現実だろう。だから、公務員の給与だけを下げても、おそらく何の問題の解決にもならないだろう。
公務員制度改革と公共圏の維持
では公務員制度改革が必要ではないかといえばまったくそうではない。改革は社会の公共圏の維持を目的に適切な公務員制度を目指して行われるべきなのだ。
そうではなく、もしわれわれが、いまでは無意味化した主要メディアのプロパガンダに乗せられて、公務員が多すぎるだの、公務員の給与を下げろだの、さらには公務員制度そのものの解体を喜んで支持するなら、われわれは徹底的に利用されたあげく、社会の基礎となる公共圏を自らの手で破壊してしまう結果となる可能性がある。
民営化利権の暴露と抵抗
先の記事で述べたように、もし民主党が長期政権を目指すのであれば、小泉構造改革の裏に隠されている巨大な民営化利権を暴くことがもっとも手っ取り早い。それは自公政権の闇を暴くことだろうし、さらに年次改革要望書や日米投資イニシアティブなどで日本を脅し、国民資産を吸い上げていったアメリカ(特にブッシュ政権)へとつながる真っ黒い闇の暴露でもある。
むろん、これまで民営化利権を享受していた勢力は、政権を失ったものの、いまだに強い影響力を保持している。自分たちの闇が暴かれることには命懸けで抵抗するであろう。
また、小泉構造改革を支持した主要メディアもこの一部であろう。その証拠に、年次改革要望書の存在はまったくといってよいほど報道されたことはない。
公務員バッシングの大合唱を煽ることは、民主党に秘密の暴露をやめさせるかっこうの政治的な攻撃手段になる可能性があるのだ。
政治的な攻撃手段としての公務員バッシング
つまりこういうことだ。民主党政権が民営化利権の本格的な暴露を始めると、かつての自公につらなる勢力は、すでに国民の感情的な了解ができている公務員バッシングを強烈に煽ることで、公務員や官僚制度の改革が遅いと民主党政権を強く攻撃し、われわれ国民の怒りの矛先を民営化利権から公務員制度へとシフトさせることで、暴露を実際に阻止することができるのだ。
公務員バッシングのネタにはことかかないはずだ。○○市の××職は、さほど働いていないにもかかわらず、年収800万円もらっている、○○市の職員の平均給与は高すぎるなど、公務員の給与水準は相対的に高いのだからこんな事例はいくらでもある。
しかし、こうした個別の事例に怒りをあらわにし、公務員制度の改革のみならず、その解体までも叫ぶなら、それは、○○市で自動車が死亡事故を起こしたので自動車はすべて解体すべきだと言っているようなものだ。そうした怒りは政治的にいいように利用される。「官から民へ」「規制緩和」のお囃子で踊ったわれわれである。こんどは「公務員解体」「官僚撲滅」の音頭で踊る可能性だってある。一度だまされれば二度、三度とだまされる。マスコミの音頭に乗せられ踊ってしまえば、民営化利権の暴露はどんどん遠のいて行くだろう。
公共圏の維持のシステムの大きな変化
何度も言うように、公務員制度は、公共圏の維持にじかに関わる領域だけに、高度な切開手術のような改革でなければならない。産湯といっしょに赤子も捨ててしまうようなことをするなら、取り返しがつかない結果になる。
実は公務員制度の改革が必要な背景には、これまでのやり方ではもはや公共圏の維持が困難になってきたという事実があるのだ。公務員制度を改革するなら、公共圏の新しい維持の方法が前提とならなければならないだろう。
公共圏の高度経済成長型中央集権的維持のシステム
これまで公共圏の維持は、公共投資の配分によって地域経済を選択的に活性化し、そうすることによって所得を平均的に再配分するという中央集権的な方法を中心に行われてきた。政府の公共投資の配分は地域経済を活性化させるため、雇用が伸び、その分所得も伸びるというわけだ。
これに伴い、地方自治体は政府が立案する産業、医療、教育、インフラ整備などあらゆる領域にわたる計画にしたがうことが義務づけられ、自治体の財源の多くは政府が直接供給した。そうして供給された財源には用途がすでに決められたものがほとんどであった。
このシステムでは、すべてが政府の意向にしたがって中央集権的に決定されていた。そうした政策的な決定は、政官財の関係者の密室の協議で行われるというきわめて不透明なものであったため、システム全体が、関係集団が利益を掠め取る草刈り場と化したことはすでに以前の記事で書いた。この腐敗したシステムに日本の公共圏に維持が依存していた。
しかし、こうした中央集権的なシステムがそもそも機能できたのは、政府に巨額の財源があったからにほかならない。高度経済成長が始まる1960年から、バブルが弾ける1991年まで、浮き沈みがあったものの日本経済の成長率は先進国でも抜きん出た高さを誇っていた。税収は毎年伸び、政府には確たる財源が保証されていた。
公共圏の中央集権的な維持のシステムは、このような高い経済成長に裏打ちされた余裕のある財源を前提にして初めて可能となるシステムであった。
困難となった成長モデル
90年代の失われた10年で明らかになったのは、低成長経済の元では、高い経済成長を前提にした公共圏の中央集権的なシステムはもはや維持することは不可能になったということだ。
ましてや、世界経済のシステムが中国などの新興国の勃興で根本的に変化したので、製造業の伸びを主軸にしたこれまでの日本型の成長モデルは成り立たなくなった状況ではなおさらである。これにともない、公共投資や地方財源の保証、さらに終身雇用など、これまで公共圏の維持を支えていたシステムを維持することは困難になった。
その後の小泉構造改革で、市場原理を導入して公共圏の維持を行おうとしたが、それは完全に失敗した。極端な格差と民営化利権という闇を生んで終わった。
今後も難しい経済成長
では日本は今後経済成長の軌道に戻ることは可能なのだろうか?難しいのではないかと思う。先週の日本版ニュースウィークなどは、説得力のある経済成長戦略が欠如しているとして民主党のマニフェストを批判しているが、今後の日本で高い経済成長がそもそも可能なのかどうかが問題なのだ。
拙著『マルクスに聞け!』でも述べたように、世界経済のシステムは何度も転換してきた。そして世界経済を主導する中核となる国家も変化してきた。一つの覇権国の時代には限界があり、かならず新しい新興国にとって変わられるというのが歴史のパターンであった。イギリスがドイツとアメリカに、そしていまアメリカが中国に席を譲るというように変化してきたのだ。
ところでどの国の経済にも、成長の段階的な発展のパターンがあると考えられている。どの国も軽工業を主軸にして世界経済と関わり、その後、重化学工業、そして耐久消費材と機軸となる産業が発展したあと、新しく出現した新興国と入れ替わった。そして成熟した国は、製造業から金融産業に主軸を転換し、世界経済の発展を金融的に支えるというのが一般的なパターンであった。19世紀後半から今世紀初頭のイギリス、金融資本主義大国となっている現在のアメリカなどはその典型的な例だ。
このような段階的な発展パターンは日本にもそっくり当てはまる。特に戦後はそうだ。繊維などの軽工業に特化した50年代から60年代前半、重化学工業が主軸となった60年代後半から70年代、そして耐久消費材産業が本格的な主軸となったバブル期の80年代から90年代初頭と典型的なパターンを踏襲した。
この流れからすると、90年代後半以降は、日本は金融産業をベースにして世界経済、ならびに中国を中心とした東アジア経済圏の発展を支える金融資本主義へと移行するはずだったのかもしれない。しかし、日本は製造業モデルの呪縛から脱することができず、これは実現しなかった。小泉構造改革の規制緩和も、結局は日本の金融機関が外資の金儲けの対象となっただけで、失敗に終わった。この不可能性が、失われた20年の長期的な不況の一つの大きな背景だった可能性が大きい。
しかし今後も、香港、シンガポール、上海など有数の金融センターを抱えるアジア圏で、日本が金融システムの中心となると考えるにはどうしても無理がある。
ということは、製造業も金融産業もどちらを中核とした成長モデルも、今後は描くことは難しいのではないかということだ。
むろん、中国や他のアジア圏の国々の成長に強く牽引されて日本が成長するという、現在の形の成長は今後も可能である。しかしそれは、あくまで他の国の成長に完全に依存するという非自律的な成長であるので、それを日本型成長モデルというにはあまりに心もたない。
極端な言い方をすると、1950年には朝鮮戦争の勃発で一時的な朝鮮特需が起こり、日本は3年間の好景気に沸いたが、非自律的経済発展という意味では、中国経済への完全依存はこれと似たような側面がある。朝鮮戦争の終結とともに朝鮮特需は消滅し、日本は不況のどん底に落ちたが、いまではこれと同様に中国経済の状況いかんで日本の成長も大きく落ち込んでしまう。
これは、いち早くオイルショックを克服し、他の先進国がマイナス成長を記録していたにもかかわらず、プラス5%前後の成長を継続した70年代や、世界経済全体の不況にもかかわらず、高成長で爆走していた80年代など、おもに設備投資による内需の喚起で力強く自律的に成長していた日本経済とはまったく異なる状況である。こうした他国まかせの他律性は成長モデルとよぶことは困難だろう。
経済成長という概念の不可能性
しかし、もっと根源的な問題がある。つまり、そもそも経済成長などということが、日本のみならず世界で可能なのかということだ。コルマン博士は、最近の論文で以下のように述べているが、これは正しい可能性がある。
「現在われわれのいるギャラックティックアンダーワールド(第8サイクル、1999年1月〜2011年10月28日)の目的は技術の発展や経済の成長を目的にしたサイクルではないということだ。そうではなく、これまでわれわれの経済システムが矛盾を引き起こしてきた地球環境や他の生物種に配慮する全体的な視点を獲得することのなである。いまメディアの報道はいつこの不況が終わり、成長が回復するのかと持ちきりだし、オバマ政権の政策もその方向に向けられているが、マヤカレンダーから見ると、経済成長などということが今後可能となるのかどうか疑ってかからなければならないだろう」
さらに次のように続ける。
「では経済成長がもはや存在しないとするなら、今度はどのようなシステムが出現するのであろうか?そのように聞くかもしれない。これから起こることは、過去5000年間人類が経験したことにない持続可能な経済への移行なのである。それは、環境と人間とが分裂していないそれこそ高次元のエデンの園のような、いまの時点では把握することはかなり困難状態への回帰であろう。いま持続可能な経済への移行を唱えている世界の指導者はいない。また、経済成長がもはやあり得ないという事実を認識している人もほとんどいない。経済成長が不可能となった現実に直面すると、さまざまな国で絶望した人々による社会不安が増大することだろう。権力的な階層構造の組織は崩壊することだろう。
では持続可能な経済は出現するのだろうか?マヤカレンダーにはこの問いに関する答えはない。なぜなら、それはわれわれが将来行う選択と、どのようなものを創造するかに依存して決まってくるからである」
いま世界経済は金融機危機を克服し、成長軌道に再度戻る可能性も指摘され始めている。だがこれは、アメリカを始め、各国政府の巨額の経済刺激策によって、深刻な恐慌に突入してもおかしくない世界経済が下支えされているからに過ぎない。経済刺激策に息切れが出始めたとき、世界経済はコルマンがいう経済成長が不可能な現実に直面させられるのかもしれない。
もし、そうであるなら、有効な成長モデルを描くことができず、右往左往している現在の日本の姿こそ、世界の将来を先取りした姿かもしれないのだ。とするなら、もしわれわれが日本で公共圏を維持する根源的に新しいスタイルを見いだした場合、もしかしたらこれは世界をリードするシステムになる可能性すらある。
公共圏の低成長型地方分権的維持のシステム
ではどのようなシステムになるのだろうか?それはまだ分からない。だが、一つはっきりしていることは、高度経済成長を前提にした中央集権的なシステムでは公共圏の維持はもはや難しいということである。
少なくとも新しいシステムは、低成長か、または経済成長がほとんど期待できない状況においても、社会が生き残るベースとなる公共圏を安定的に維持できなければならないということだ。
はっきりしていることは、マニフェストで地域主権の強化を打ち出している民主党は、中央集権的システムの限界を理解しており、これを地方分権的システムへと分散化する方向で改革を推し進めようとしているということである。つまり、地方には使途の縛りがない財源を一括して与えるかわりに、公共圏を維持する責任を地方に委譲するというわけだ。
コミュニティー単位の公共圏
しかし、これを経済成長がほとんど期待できなくなった状態で実施するのである。当然、政府が地方に委譲する財源も大きくはないだろう。限定されたものにならざるを得ない。
すると、公共圏の維持の責任をまかされた地方自治体は、行政サービスをさらに下の市や町にまかせるという具合に、公共圏の維持の単位が最終的には地域コミュニティーまで降りて行くという結果になる可能性が大きい。
むろん、小さな地域コミュニティーに、すべての行政サービスを代行する力はない。とするなら、NPOなどを通して地域住民を積極的に巻き込んだ住民参加型のシステムに最終的にはならざるを得ない可能性が強い。
民主主義でしか機能しなくなるシステム
これはどういうことかというと、いままで政府が中央集権的に管理していた公共圏の維持が、行政サービスを受ける住民自らの参加で維持されるという、いわば地域コミュニティー全体が村落化したようなシステムになるということだ。おそらくこうしたシステムでは、意志の決定は住民参加の直接民主制になる可能性が大きいのではないだろうか。
公務員制度改革と新しいシステム
公務員制度の改革は、単に公務員の数が多いから減らすだの、民間との給与の格差が大きいから減らせだのというような単純なものではない。社会が生き残るためには公共圏はなくてはならないものだ。これから中央集権から地方分権、そして地域コミュニティー主体のシステムへと大きく変貌を遂げてゆくはずである。この出現しつつある新しいシステムに合致した公務員制度が必要なのだ。
新しいシステムはWebbotの「広域自足経済圏」か?
このように見て行くと、一つおもしろいことに気付く。新しいシステムの中核となるこのような地域コミュニティーは、SOCとかBogcomと呼ばれ、Webbot予測が描写する「広域自給自足経済圏)」と非常によく似ていることである。これまでのALTA報告書の中から抜き出して見る。ここで時期の指定があるが、おそらくあまり意味をなさないと思うので無視していただきたい。
・ これらの地域は、既存の資本主義システムからいち早く抜け出た自立可能な共同体の構築に成功したからである。こうした共同体は「ボグコム(bogcom)」と呼ばれるようになる。その成功が賞賛される5つの共同体は1000マイルという、国民国家の独立性を脅かすに十分な規模にまで成長する。2009年秋には国民国家はほとんど国民の信頼を失っており、こうした自給自足的共同体の興隆にはなすすべもない。
・現在の死につつある資本主義システムとはまったく異なる人間主義的な経済のシステムが台頭する。
・革命はアメリカのみならず世界各地に広がる勢いを見せる。一方、EUに属するこれまで低開発諸国とされていた5つの地域が、メディアで成功した地域としてもてはやされるようになる。これらの地域の成功は、それぞれの地域の1000マイルの範囲に及ぶ。
・2009年の秋から2010年の冬にかけて、人々は国民国家の幻想やかつての資本主義システムには見向きもしなくなる。
・ 当初、民衆は政府や権力、そして支配エリートに対して無関心を装う態度をとる。彼らは生活の必要性にしたがい、ただ淡々と資本主義を抜け出た自給自足的なライフスタイルへと移行するだけである。こうした革命には暴力は当初伴わない。
・初めて国境を越えた国際的な自己組織集団(自給自足的共同体)が誕生する。しかしながら影の支配勢力は、こうした自己組織集団を敵対視し、これにテロリストのレッテルを貼ろうとする。
・足共同体としての「自己組織集団(SOCs)」は成功するが、当局は逆にこれを「その場に踏みとどまり社会を再建する行為」として賞賛し、その成功を利用しようとする。当局や主要メディアはこれを、「郊外型農業」「小規模企業」「隣近所の協力組織」などと呼ぶが、そうした名称は政府が作ったものである。その内実は「自己組織集団(SOCs)」だ。
このようなWebbotが描くイメージは、まだまだ今のわれわれの現実から見ると遠いような気がする。だが、経済成長が困難になりつつあるいま、公共圏を維持するこれまでとは根源的に異なるスタイルが必要になることは事実であろう。それは明治以来の中央集権的な国家像の一大転換を迫るものとなろう。
さらにそれは、コルマン博士のいう「過去5000年間人類が経験したことにない持続可能な経済への移行」という人類史的な動きともシンクロしている可能性すらある。
そしてこうした転換の端緒が、今回の選挙で成立した民主党政権によって切られることになるなら、われわれはまさにいま新しい歴史を作る新しい力の作動を目の前で目撃しているかもしれないのだ。
危険はないのか?
ではこうした方向にわれわれはスムーズに進むのだろうか?危険はないのだろうか?
いまの段階ではむしろこの方向を阻む危険の方が大きいだろう。一つは小泉構造改革の民営化利権をむさぼっていた勢力の死に物狂いの抵抗である。この闇が明らかにされることを恐れ、公務員バッシングのキャンペーンを、こうした勢力の一部でしかないマスコミを使って開始し、あたかも公務員制度を民主党政権が守っているかのような幻想を作り上げて政権を激しく攻撃し、闇の暴露を阻止する可能性がある。もしわれわれが、郵政選挙のときのように、マスコミの音頭に合わせて一緒に踊ってしまうと、闇の暴露が阻止されるだけではなく、激しい国民の反発の対応に追われるため、地方分権などの改革も大幅に遅れるか、頓挫させられる可能性すらある。
そして次は、現在の中央集権的システムに既得権益をもつ官僚層などの抵抗である。あまりに長くなるのでここでは詳しく理由は書かないが、現在では前者に比べ勢力は弱く、さほど大きな問題ではないのではないかと考えている。これに関してはいずれ書きたい。
だが、最大の障害となるのはわれわれ自身のメンタリティーかもしれないのである。
「あんたにおまかせ」メンタリティーと宗教的原理主義組織
われわれ日本人には「あんたにおまかせ」メンタリティーが強く染みついていると前回の記事に書いた。要するに、「全部まかせてめんどうを見てもらう」という依存心が強いメンタリティーである。
おそらくこのような消極的なメンタリティーが強い場合、住民の積極的な参加を前提にした公共圏の維持の方法はうまく機能しない可能性がある。なぜなら、この新しいスタイルは、住民が地域の公共圏を主体的に維持・管理するという、自己管理型の積極的な行動形式を必要とするからだ。そうではない場合、行政サービスを維持するために地域ボランティアが必要だが、人数が十分に確保できないので、行政サービスを部分的に停止しなければならないということも起こってくるかもしれない。
そのような状況に入ってくるのが宗教的原理主義組織である。彼らは「あんたにおまかせ」メンタリティーによる住民不参加で機能しなくなった地域コミュニティーに入り、不足する人員を提供する。また、自分たちが中心となり、行政にかわるさまざまなサービスを積極的に提供する。
そのような方向に進むと、日本のさまざまな地域で宗教的原理主義組織が強化され、それによって政治がコントロールされるというような状態にもなりかねない。最近も各選挙区で大量の候補者を擁立した宗教組織が出現したが、彼らも地域コミュニティーに根付いた活動に焦点を絞ると、かなり急速に拡大し、選挙で議席を確保する可能性も出てくるだろう。
宗教原理主義組織のメンバーは、自らの信奉するイデオロギーの実現に向かって献身的な努力を惜しまないので、地域ボランティアとしては格好の人員である。
80年代終わりからアメリカで起こったこと
実はこうしたことは80年代のアメリカで実際に起こったことだった。
80年代の後半から行われたグローバリゼーションによる市場開放と、アメリカの金融資本化により、国内の製造業は大きく落ち込み、90年代にはその多くは中国に生産拠点を移してしまった。
この結果、地域社会の要となっていた中産階級は没落し、それにともない地域の税収の落ち込みから十分な行政サービスの提供が困難となった。
そこに入ってきたのが、キリスト教原理主義団体が主催する各種のNPOであったのだ。彼らは献身的な仕事ぶりで地域の信頼を勝ち取り、支持の基盤を広めていったといわれる。
2006年、福音派のキリスト教原理主義教会を取材した映画「ジーザスキャンプ」がアカデミー賞にノミネートされた。彼らの多くはホームスクールというスタイルで、学校には行かず高校まで家庭で教育された後、キリスト教原理主義大学および大学院にそのまま進学する。
ジーザスキャンプ
ビデオでは日本人のコメンテイターが「卒業後は教会の事務員になる」と言っているがこれは間違いである。卒業後、彼らのほとんどは1)連邦政府や州政府の公務員、2)アメリカ軍の将校、そして3)キリスト教原理主義NPOの職員となって、原理主義のイデオロギーの実現に専心することが期待されるのである。このような運動の結果、自らもキリスト教原理主義者であるブッシュのような人物が大統領となる地盤が形成されたのである。
個人の自立心が強いアメリカでそうだったのである。われわれが「あんたにおまかせ」メンタリティーを克服して積極的な自主性を身につけない限り、このようなことは日本でも起こる危険性は十分にある。
やはりわれわれの主体的な選択
このように見て行くと、やはりコルマンの発言を改めて思い出す。
「では持続可能な経済は出現するのだろうか?マヤカレンダーにはこの問いに関する答えはない。なぜなら、それはわれわれが将来行う選択と、どのようなものを創造するかに依存して決まってくるからである」
われわれに何ができるか?
民主党政権のもとで、これから大きな変動がくることは間違いなさそうである。上記した危険を避けるためにも、当面はわれわれには以下のことができるように思う。
1)まずテレビを消す。一切見ない方がいいが、見るのだったら番組を選択すること。民放のニュースとバラエティー番組は一切見ないこと。洗脳される。
2)情報は基本的にネットで集める。
3)試しに自分の選挙区の政治家にメールを送ったり、政治家のブログに投稿してみる。政治の話でもなんでもよいから人間関係を作っておく。すると、政治の動きが当事者の目で分かったり、情報が速く手には入ったりする。(ちなみに筆者が送ってみたが、結構速く変事がきた。また相手の政治家がスピリチュアル系だったりしてはまることもある)
4)名目はなんでもよいから、飲み会などをやり、信頼できるお友達の輪を広げておく。
いまのところはこんな感じだろうか。いずれにせよ、リンゼーのサイクル理論では日本の2009年と1945年はシンクロしている。はっきりしていることは、われわれは国家の形の新しい出発点に立ったということだ。
これで「日本に関して」のシリーズを終える。このエッセーは大幅に加筆修正し、一本のエッセーとして改めて公開する予定である。
正夢の研究者
9月3日のCoast to Coastに著名な正夢の研究者であるロリーン・ネイデル博士が出演し、正夢に関して非常に興味深い発言をした。以下がその重要な部分の要約である。
・大きな出来事が発生する前に多くの人々が似たようなイメージの夢を見ることは非常に頻繁に起こる。記録された実例は非常に多い。
・そのもっとも代表的なものは、9.11同時多発テロ発生以前に多くの人が見た夢だった。
・非常に多くの人が、大きな大都市の中を歩きながら灰が空から降ってくる、タワーに突っ込む飛行機、タワーから人がたくさん落ちる、鳥が突っ込む光景などの夢を9.11が起こる13カ月前から見ていた。
・また、夢ではないが、子供がブロックでタワーを作り、そこに飛行機をなんどもぶつけて遊んでいたと多くの人が報告している。
・このように、夢は人間の集合無意識のメッセージを伝えていると思われ、その内容は比較的に正確であろうと思われる。
・9.11のように、最近非常に多くの人が類似した夢を見たと報告してきている。それは雲の夢である。
・それは核爆発のようなきのこ雲ではない。雲は暗くて高度は低く、普通の雲とは明らかにパターン異なっているという。夢では恐ろしく不吉な感じがする。
・司会者のジョージ・ノーレイは、やはり多くの聴視者から、経済破綻とは異なる不吉な事態が迫っているような予感がするとの声が寄せられているという。
・ネイデル博士によると、この不気味な雲の夢は、ポールシフトや地理の変化のような極端な環境異変ではないかという。
・夢が正夢であった場合、それは2カ月から3カ月で実現する場合が多い。
ここでネイデル博士はポールシフトについて言及しているが、7月末、アメリカの著名なスピリチュアリストであるドランバロ・メルキゼデク氏がネットテレビで特集番組を放映し、マヤ長老評議会のドン・アレハンドロ神官から得られた情報を改めて確認した。これはこのブログに投稿してくれたmangetsu330さんから紹介された情報である。
特集番組の内容は、昨年の6月5日にこのブログに書いた記事の内容とほぼ同じであった。時間がたっているので、一部再掲載する。
昨年の6月5日に書いた記事
2012年12月21日に何が起こるのか?
・ドン・アレハンドロ氏によると、この特定の日に何かが起こることはないという。
・マヤカレンダーのメッセージとは、ホピ族およびマヤ長老評議会が確定した終末期の開始時期(2007年10月26日)から7年間(2015年まで)に時間の窓が開き、この期間にポールシフトが起こるということだ。
・それは、すでに現在起こっている地球磁場のシフトのことではない。地球の南極と北極が逆転する物理的なポールシフトのことである。
・地球の磁場は500年前よりもはるかに弱くなり、また磁場移動も頻繁に起こっている。14年前からは、旅客機が飛行するとき、いちいち北の位置を確認することが必要になっているくらいだ。
・このような地場の変化は、北極と南極が逆転する物理的なポールシフトが発生する前兆現象である。
・最近、ヒストリーチャンネルでポールシフトの特集が組まれたが、そこに出演した多くの科学者がポールシフトの発生が近いことを認めた。
・かつてアトランティスにいたマヤ族は、1万3千年前と2万6千年前の2度、ポールシフトを経験した。この時の経験はマヤ族の部族的知識として蓄えられている。
・今回、マヤ長老評議会として本を出版することを決意した理由は、1)このマヤ族の知識を世界と共有し、2)ポールシフトが実際に起こった際にうろたえないよう多くの人を準備させることにある。
・物理的なポールシフトが起こると、それは人知を越えた破壊をもたらすはずだ。われわれが知っている最大の地震はマグニチュード9くらいだろうが、ポールシフトに伴う地震はマグニチュード20などという想像を絶した規模になるはずだ。
・だが、どれほど巨大な変化に見舞われようとも、それを恐怖してはならない。これは、人類が精神的に次の段階に移行するためには避けて通ることのできない過程だからだ。
・ちょっとしたことに気をつけ、準備することで生き残れる可能性はずっと高くなる。マヤ長老評議会が出版する本にはこうしたなくてはならないアドバイスを書いておく。
・ポールシフトを生き残る人間はすでに選ばれている。こうした人々は、本人は偶然と思ったような出来事の重なりで結果的には救われるだろう。死のうとしても死なないのだ。
・ところで、移行後に訪れる新たな世界は、歓喜して喜ぶようなすばらしい世界になるはずだ。これまでの世界とはまったく異なっている。
・現在の地球は、人類の進化段階が低くあまりに残虐だったため、宇宙的なコミュニティーから隔離された状態にいる。だが移行後、この隔離状態は解除され、人類が宇宙的なコミュニティーの一員として受け入れられるようになるだろう。
・2009年4月、マヤ族やホピ族を始め全世界の100の諸部族が、私の自宅があるアリゾナ州セドナ市に集合し「次の段階への移行の儀式」を行うことになっている。
・この儀式によって、実際の移行ははじまるはずだ。この儀式で何が起こるのか私もまったく分からない。
以上である。多くの人が見ている雲の夢が正夢なのかどうかは分からない。また、正夢だとしてもこれが何の夢なのか分からない。Webbotにも類似した記述があるが、その紹介は後に譲る。
続く
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