マヤカレンダー(7)
だが、意識進化の予定表などというものが本当にあり得るのだろうか。あり得るとしたのなら、それはどのようなメカニズムに基づいたものなのだろうか。コルマンはこうした疑問にも彼なりの方法で解釈してみせる。
コルマンの解釈
コルマンはその著作やエッセーの中で「Cosmic Plan(宇宙の計画)」や「Divine Plan(神の計画)」などという言葉をよく使っている。これらの言葉からはコルマンが「神」のような超越的な実在の存在を主張したがっているかのような印象を受けるかもしれない。たしかにそうした側面もあるにはある。だがコルマンの意図は、そもそも意識の進化などということがなぜ可能になるのか、その背後に潜むメカニズムの解明だと思われる。
ケツァルコアトル

すでに解説した通り、マヤカレンダーは9つのサイクルで構成されているが、どのサイクルも、事態が変化し新しい状態が創造される7つの「Days」と、古い秩序のより戻しによって変化が押し止どめられる6つの「Nights」でできている。変化のDaysと押し戻しのNightsというわけだ。DaysとNightsはそれぞれ交互に続きながら、一つのサイクルに込められた進化のテーマが完成する。これがコルマンの解釈である。
コルマンがいうには、古代マヤ神話の中に登場する「ケツァルコアトル」こそ「Days」を支配する神の姿だと主張する。
神話の中のケツァルコアトル
ケツァルコアトルは、広くメソアメリカで信じられた、人々に人心供養をやめさせた平和の神である。(※実際マヤではククルカンとよばれるが、コルマンはケツァルコアトルを使っているのでここではそれにしたがった)その名はアステカのナワトル語で「羽毛ある蛇」を意味している。また、ケツァルコアトルは白い顔の男性とも考えられ、「セーアカトル(一の葦の年)に復活する」と宣言してアステカを立ち去ったといわれている。そのことから、16世紀初頭にスペインのコルテスがメキシコにを侵略したとき、1519年が一の葦の年だったため、アステカ人達は白人である彼らをケツァルコアトルの再来かと思い侵略を許してしまったということだ。
実際のケツァルコアトル
だがコルマンは、神話の解析から、マヤ人はケツァルコアトルを人の形をした人格神とは考えられてはいなかったと主張する。ケツァルコアトルは、創造的な光りないしはエネルギーそのものとして理解されていたのではないかと考える。
それは、マヤカレンダーのスケジュールにしたがい、定められた時期がくると作動するスイッチか、または意識を進化するために放出されるなんらかのエネルギーのようなものであった。その意味でコルマンはそれを、「Cosmic Light(宇宙の光)」とか「Divine Light(神の光)」などと形容している。
テスカトリポカ

では「Nights」はどうなのか。やはりマヤやアステカの神話の中に、これを支配する暗いエネルギーの存在が見いだせると主張する。それは、テスカトリポカだ。
テスカトリポカは 夜の暗闇を司るとされる神の名だ。それは「煙を吐く鏡」の意味だといわれる。復讐や懲罰の神でもあり、畏怖される夜の神であったとされる。この神はしばしばジャガーで象徴されるが、それはジャガーの斑点が夜空の星を連想させるからであったという。
コルマンは、マヤ人はやはりテスカトリポカも意識進化を押し戻し変化を抑止してしまう暗いエネルギーとして考えていたのだと主張する。
そうするとマヤカレンダーのサイクルでは、ケツァルコアトルの創造的な光りとテスカトリポカの暗いエネルギーが絶えず相克しながら意識の進化が達成されるということになる。それがマヤカレンダーだ。
世界樹

ではケツァルコアトルやテスカトリポカが宇宙的なエネルギーの名前だとしても、それらの作動をつかさどっているものはなんなのだろうか。それらのエネルギーはある日突然と放出されるのだろうか。「Days」と「Nights」は交互に出現する。ランダムにでてくるわけではない。だとするなら、その規則的な表出をコントロールしているものは何なのか問われてしかるべきだ。
コルマンによると、それをコントロールしているのが「世界樹」である。世界樹は、マヤの神話のみならず、マヤのいたるところで遺跡として発見されている。それは一見すると十字架を思わせる形をしている。
世界樹は、世界ができる前から存在し、東西南北の四つの方角を定めた世界創造の木とされている。

続く
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