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    2015-12

    酔っぱらいオヤジの「Spiritual Meeting」第25回

    12月26日

    ウエブボット最新版の配信

    明けましておめでとうございます。ヤスです。今年もよろしくお願いします。

    リクエストが非常に多かったコンピューターの未来予測プログラム、ウエブボット最新版の配信を再開いたします。「ヤスの備忘録」の対談相手の編集者、西塚さんの会社、「五目舎」から配信される「五目通信」に掲載されております。一部、2000円だそうです。ご希望の方は「五目通信希望」のタイトルで以下のメルアドからお申し込みください。

    お申し込みアドレス
    info@gomokusha.co.jp

    五目舎
    http://gomokusha.co.jp/

    まぐまぐ大賞2015、政治経済・国際情報部門で第2位になりました。ご推薦いただきありがとうございます!

    まぐまぐ大賞2015 -政治経済・国際情報部門
    ここをクリック!

    ヤスの勉強会第20回の様子です。音が小さいので、音量を最大にしてご覧ください。



    次回の有料メルマガの予告

    1月1日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、前回の続きであるロシアとアメリカの間に存在している歴史の闇に埋もれたトラウマについて書く。3回目である。次に、2016年に何が起こるのか予測する。すごい年になりそうだ。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

    amazonで注文

    shinkan.jpg

    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第22回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第21回のご案内

    ヤスの勉強会」の第21回を開催します。やはり、パリの同時テロ、ロシア軍機の撃墜など予想を越えた事件が相次ぎ、世界は一層混沌としてきました。今回は2016年を本格的に展望します。

    【主な内容】

    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・ロシアと欧米、そしてトルコとの対立の行方
    ・超社会主義に向かう道
    ・日本の今後と未来
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

    よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:12月26日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

    いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    1月16日、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第二回目のパートナーは前世リーディングの高橋善則さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第25回

    oyaspi23

    西塚 みなさん、こんにちは。「酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting」の今日(12月13日)は第25回目ですね。25回と言うのも…

    ヤス いやあ、すばらしい(笑)。

    西塚 また今日もヤスさんにおいでいただきました。よろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス カンパーイ!

    西塚 前回、後半はビリー・マイヤーの話をしましたが、けっこう評判もよかったということもあって、ヤスさんともビリー・マイヤーのことをもうちょっと突っ込んでやろうという話になったんですけど、その前に今週の気になることもお聞きしたいんですが、フランスの地域議会選挙ですか? 国民戦線が第一党になったという。ISがヨーロッパでテロを起こして、これからまたテロ続くんじゃないかってことで基本的に各政府が右傾化していってですね、民族主義的な、ナショナリズム的な方向になっていったというその影響かなと思ってたら、実はそうじゃないと。

    ISの影響と言うよりはむしろフランスの経済なんだと。ものすごい格差だし、食えないし、いいかげんにしろってことで国民戦線に流れた。パーセンテージを見ても、投票した理由は経済問題で、ISのテロ問題よりもちょっと上回ったという記事を読んだんですが、そのへんはやはりそうなんですか?

    EUのグローバリゼーションの弊害

    ヤス いや、どんどんルペン党首のね、国民戦線のような極右政党が拡大するという基調は21世紀に入ってからずっとなんですよ。特に大きな転換点になったのはリーマンショックとか、ユーロ危機であるとか、PIIGSによる国債の破綻ということで、ヨーロッパ経済全体がかなりスローダウンしてきてからです。国民戦線的な経済モデルといったものがかなり人気を集めるようになった。

    グローバリゼーションですね、ユーロ圏というのは。そのグローバリゼーションの恩恵のある国とない国で、けっこうはっきり分かれるわけですよ。恩恵のある国の内部でも、恩恵を受けないような低所得層の人たちがたくさん出てくるわけですね。だんだんヨーロッパの経済がスローダウンしてくると、全員に経済成長の恩恵ってゆきわたらないわけです。明らかに格差が拡大していく。

    1999年にユーロが導入されて、2002年にユーロ通貨が発足する。だから1999年から、まあ2007年ぐらいまでというのはある意味でEUの黄金期です。ヨーロッパ全体の経済成長率がかなり高かった。グローバリゼーションの過程の波に乗ったということですね。ちょっとEUの話になりますが、何でEUの統合が行なわれたのか。その背後にある事実と言うか論理って、われわれはなかなか理解できてないところがあるんです。たとえば第二次世界大戦の血で血を洗うようなナショナリズムの大戦争があって、二度とああいう戦争を起こさないためにね、ヨーロッパ全体が共同体にならなくちゃいけないといったような、ある意味政治レベルからの理想主義が前提となったと。

    日本でもよく使われる論理はだいたいそういうことだと思います。確かにそういう政治的な理由もひとつあります。でも経済的な理由も大きいんですね。けっこうしたたかな計算だった。欧州が世界経済の中心になるためには、世界の製造業がどんどんヨーロッパのほうに移転してこなきゃダメだと。そうするために大きな機動力になるのは安い労働力なわけですよ。東ヨーロッパ社会主義圏が崩壊したので、東ヨーロッパの安い労働力を全世界に開放して、それをひとつの梃子にしながら外部の資本をどんどん招き入れて製造業の拠点になろうとしたプロジェクトだったんです。

    1989年に天安門事件がありますでしょ? 天安門事件があってから1991年までは中国は欧米の制裁にあうんですね。それで一般の市場から締め出されるんですよ。経済は本当にマイナス成長する。それで1991年にね、日本の口利きもあって経済制裁が解除されて、また中国がグローバル経済に復帰してくるんですね。

    そのときに、新しく復帰した中国のおいしいところと言うかエンジンになるのは、鄧小平の判断で安い労働力を売ろうということだった。それがEUが拡大する時期とけっこう一致してんですよ。もともとのEUの案は、東ヨーロッパの安い労働力を開放して外資と言うか外の製造業をどんどんEUに招き入れて、それでEUをもう一回世界の工場の中心地にしようとした政策だったと思います。そういう政策がひとつのモチベーションとしてあった。

    ただ、やっぱりリーマンショック以降、なかなかそれがうまくいかなくなる。その結果、ヨーロッパ内でもひとつひとつの国で格差が出る。経済減速するにしたがって格差がどんどん拡大してくる。それで低所得層の人を中心とした新たな経済モデルを模索する。

    それは何かと言うと、やっぱりEU並みのグローバリゼーションはダメだと。そうではなくて、ひとつひとつの国が単一の経済を持って独立したほうがいいんだと。だから外部から安い労働力が入ってこないようにまず障壁を作って、それでひとつの国の経済の中で国民をちゃんと食わせていこうではないかと。そうじゃないとわれわれはもっと貧乏になってしまうぞという意見があって、それがやっぱり背景にありますよね。

    西塚 国民戦線が第一党になった背景には、まさに今おっしゃったことがあると思います。国民自体もですね、要するにアンチテロと言うよりも、むしろアンチグローバリズム、アンチアメリカらしいんですよね。こんな格差を作りやがってと言う、ある種のルザンチマンみたいなものが国民戦線を押し出しているだけで。単純なナショナリズムではなく経済の問題だもあるというのは、そういう背景があったんですね。

    ヤス ただしね、それがナショナリズムと渾然一体化するんですよ。たとえば2002年から
    2007までEUがうまくいってた時期は、やっぱり極右の政党は全然伸びてないんですね。それぞれの国の、たとえばフランスとかドイツの議会で議席を1パーセントも獲得できてないんですよ。

    西塚 豊かだったからですね。

    ヤス 豊かだった。しかしながら、そういう極右政党は確実にいつの時期にも存在していた。何を言ってたかと言うと、自分たちの文化の独自性を守れってことだったんですね。

    グローバリゼーションというのはふたつですよね。ひとつは市場原理を過度に導入した社会。あともうひとつは、欧米型・西洋型の民主主義の過度の導入。このふたつの価値観の導入によって、それぞれの国が持つ文化の独自性が、津波のように押し流されてしまうのではないかという恐怖感は昔からずっとあった。極右政党のひとつの存在理由もそこにあったと思うんですね。

    西塚 極右政党があることによってギリギリの歯止めにもなっていた。

    ヤス まあ、そういうふうに言えると思う。ただ今回、ISの火に油を注ぐという大きな効果にはなったと思うけどね。

    トランプの再浮上

    西塚 何かで読みましたけどね、それなりに国が安定していて、国民の幸福度も高いというような国がいくつかあがってたんです。ひとつはアイスランドなんですね。あとブルガリア、あとは酔っぱらって忘れました(笑)。見ると一回破綻したり、経済的危機などでグローバル資本が抜けちゃって、自国で立て直したような国だったと思います。だから世界レベルで言えば貧しいかもしれないんだけども、わりと国が安定して幸福度も高いというのがけっこう象徴的と言うか、今後の国のあり方としても何かのラインを見せてるような気がするんですね。

    それと今回の国民戦線の第一党と、まあ一回目の投票でしょうけども、やっぱりアンチグローバリズムのラインのようなものが出てきたのかなあと漠然と思ったので、ちょっとお聞きしたかったんです。逆に日本に目を向けると、安保法制以降ですね、どんどん逆行してるという感じですね(笑)。報道管制はするわ、とんでもないです。グローバリゼーションにやられながら、さらに右傾化してるという。

    そこであの、12月の頭に訴えましたよね、例の日米合同委員会ですか? 議事録を開示しろと。議事録を見せられないって言うなら、その根拠となる文書なりを見せろという、賢い裁判だとも言われてるようですけども、あれもどうなるのか。いずれにしろ、わりと唯々諾々としたがってきたような国民の日本でも、安保法制以降自主的な動きがぽつぽつ出てきている。そういうことも合わせて考えると、やっぱり独自の文化を国民が守ると言うか、作り直そうという方向にいってるのはひとつあるかなと。

    あとひとつ、アメリカのトランプがまた出てきたんですか? 最初はガーンときましたけど、いずれ失速するだろうと言われて、実際失速したんだけども、またここにきてトランプが出てきた。ひょっとしたら本当に共和党の候補になるんじゃないかという…

    ヤス その可能性は高いとは言われてますね。

    西塚 冗談じゃなくなってきましたね。そのへんもヤスさんにおうかがいしたかったんですが。

    ヤス トランプの言っていることは過激なんですよ。過激でとんでもないことを言ってる。確かにとんでもないんですけど、何であのトランプが支持されるかと言うと、多くのアメリカ人の本音なんですね。本音を歯に衣着せずに言うんですよ。本音というのはある意味タブーの部分でもあるわけじゃないですか。そのタブーを取っ払って言ってしまうというタイプの人なんですね。

    今回もイスラム教徒全員をある一定期間、入国制限せよって言うわけです。それはアメリカの、特に中産階層以下の人たちが思っている一般的な意見だと思うんですね。ただ、それを社会生活の中で表立って自分の主張として言うことは、やはり憚られる。なぜかと言うと、アメリカの多様性と多元性という価値観に違反してきますから。自分の意見としては言えない。しかしながら、やっぱりイスラムイコールテロじゃないかという本音は、アメリカ国民、特に中産階層以下の国民に深く根づいてると思います。それを出してきてる。

    西塚 それは強いですよね。みなが共有してるものを発言してくれるという。しかもトランプの場合は、たとえば他の候補みたいに政治献金の問題とか、パトロンですね、いらないですからね。彼自身がもう大金持ちで、自分で選挙資金も出せるという。そのへんもあると思うんですけどね。じゃあこれ、ヒラリーとトランプの一騎打ちという形に、本当に来年7月…

    ヤス ヘタしたらなっちゃうかもしれませんよ。

    西塚 それでヘタすればトランプになるという…

    ヤス ヘタしたらね。

    西塚 そうだ、それで思い出した。ヤスさん、ジョセフ・ティテルでしたっけ? トランプが大統領になった場合、これはかなりいいんだといった話しがありましたね。世界的には。おそらくプーチンともうまくいくだろうという意味で、これは喜ばしいことだみたいな予言があったと思うんですね。

    そういった意味でも、トランプは候補にならないだろうなと思ってたらまた出てきたので、そういうラインもやはりあるのかと。そうするとあまりいいかげんなことは言えませんが、わりと言われてるほど実は、もちろん大変だけども、国際社会の未来は意外と明るい方向もあるという…これは甘いですか(笑)。

    ヤス 明るくはならないでしょうね。まあ、明るくなるかどうかは別問題として、トランプが象徴してるものというのは、アメリカの庶民の中に滞留してる巨大なストレスですよ。それを言語化して表現したって人だと思うんですね。それが高い支持率に結びついてる。ただそれが直接、政策になるということになると、現在のグローバリゼーションの全面的な否定になると思います。アメリカ版のルペンですね。国民戦線になると思いますよ。

    西塚 これはまた今度お聞きしたいんですけど、イギリスのジェレミー・コービンですね。

    ヤス ああ、労働党の党首ね。

    西塚 あの人も面白いなと思います。けっこう各主要先進国の中でいろいろ動きがあるんだけども、右寄りというよりは左的なリベラルなほうが出てきたこともちょっと印象に残りました。

    ヤス 実は極右と極左は意外に同じなんですよ。発想がね。たとえば極右ってどういうことか言うと一国資本主義です。移民を排斥して一国資本主義になる。どのような形で一国資本主義を実現するかと言うと、大きな政府なんですね。市場原理に経済をまかせない。そしてその国の文化の価値観を守るための政府を作らなくちゃならない。その政府は強権発動も可能なかなり大きな政府です。

    その大きな政府によっていわゆる移民を排斥し、それでたとえばドイツ的なもの、フランス的なもの、彼らから見て国民的な価値観と信じられるようなものを維持していく。国民的な文化に根ざしたような社会形態を維持していくと。そのために大きな政府が必要だし、フランスだったらフランス、ドイツだったらドイツの価値観を守れるように所得の再配分をしっかりやっていくということなんですね。

    これはね、言ってみれば極左もそうなんです。大きな政府と所得再配分政策なんですよ。つまり、この左右の環がぐるっとつながるということです。同じ社会モデルでね。

    西塚 以前、エリーティズムの話でも出ました。別の角度からですが、左右は同じなんだと。左右の交換も可能だし、要するに田吾作・土人ですね。国民を田吾作・土人として見るという意味では、エリートたちは左も右も一致している。要するにもうダメですね、極端なものは。

    アメリカのアングラカルチャーはロシアン!?

    ヤス 極端なものはけっこう厳しいと思いますよ。ただ、ひと言言っておくとね、Russia Today、またロシアのプロパカンダのいる位置が非常に面白いんですね。アメリカで誰がRTとかロシアのプロパカンダを見てるのか。あれはみんな英語で放送されてますから。

    実はアメリカの極右なんです(笑)。アメリカの極右とかリバタリアン。言ってみれば、多元主義で市場原理で民主主義ということを前面に押し出したアメリカの表の文化ではなくて、その背後にあるような文化。リバタリアンであるとか、キリスト教原理主義であるとか、もっと言えばいわゆる反逆性を持っているような文化。それらが実はRTに結集してるってことなんです。

    西塚 RTはアメリカで第2位の視聴率を誇っているわけだから、相当な人数が支持してるんだろうけれども、全部が極右とかリバタリアンではないですよね。他の層も包含してると思いますが、その中でもパーセンテージで言えば極右的な人たちが多いということなんでしょうか?

    ヤス 極右って言うと極端かもしれないけど、アレックス・ジョーンズっていますね。アレック・ジョーンズはアメリカの陰謀系サイトのトップですよ。

    西塚 「INFOWARS」ですね。

    ヤス そう。アレックス・ジョーンズはまさにトランプ万歳なんですね。アレックス・ジョーンがずっと言ってきたような理念をまさに代表して言っているのがトランプなんです。

    アレックス・ジョーンズは長年何を言ってきたかたと言うと、テロリストを排斥しなくちゃダメだとオバマ政権は言うけれども、イスラム教徒を認めるのはおかしいじゃないかと。イスラム教徒そのものがいいか悪いかではなくて、イスラム教徒の内部に圧倒的にテロリストが多いという現実を考えてみれば、われわれはイスラム教を信仰する特定のグループに対して、もう一回かなり厳しい姿勢をとるべきではないかと。

    そういうことをアレック・ジョーンズと「INFOWARS」はずっと言ってきてる。それがアメリカの右派の大きな賛同を得るわけですね。そして同じオーディエンスが、実はRTに万歳なんですよ(笑)。

    西塚 ああ、なるほど。そうなると、アレックス・ジョーンズがイスラム教を信じるような人たちに対して決然とした態度を持つべきだと言ったときに、つまり原理主義ですね、そのときに極右と言われてるような人も賛同してるとすると、天に吐いた唾じゃないですけども、いわゆるエヴァンジェリストたちみたいなキリスト教原理主義ですね、結局自分たちも不利になってくるんじゃないでしょうか。それともテロを起こすことにダメだと言ってるのであって、原理主義そのものは別に排撃しないと言うか…

    ヤス 原理主義そのものと言うよりも、アレックス・ジョーンズみたいな「INFOWAR」の人たちが、どのような価値観を象徴するかということですね。陰謀論であるということで片づけられているけど、彼のサイトは単純に陰謀論で割り切れるものじゃないんですよ。もう徹底的に実証的ですから。

    アレックス・ジョーンズがつかんで「INFOWARS」でニュースとして発表されたことが、2、3カ月後に公けになって、やっぱりそうだったねと証明されることが圧倒的に多い。スノーデンもそうだったですね。だから、とことん実証的に迫っていくというサイトで、これはなかなか無視できない。

    西塚 それってすごく面白い構図じゃないですか。RTは極右系の人たちがよく見ていて、そういう人たちがトランプを支持していると。アレックス・ジョーンズというのはいわゆる陰謀論系で、極右とかそういう人たちを批判する側なんだけども、トランプを支持していると。そうなると、潜在力を持っていると言うか、マイノリティーなんでしょうけれども、かなりのポテンシャルを秘めた層がトランプを支持している。これは本当に大統領になっちゃうかもしれませんね。

    ヤス まあ大統領になる可能性はありますよね。まだよくわからないけど。いずれにしろ今言ったように、RTのやり方は実にうまい。アメリカの中で排斥されている領域の不満層をターゲットにしてるんですね。表のアメリカの中でおいしい果実を食べてるような中産階層以上の人たちじゃないわけですよ。それとは別に中間層から低所得層の人たちがいて、この人たちというのは圧倒的に現代の社会システムに対する疑念が強いわけですね。いわゆる市場原理主義であるとか、民主主義が保障する平等性ということをまったく信じていない。

    それで彼らの目から見るとね、オバマ政権もそうだし、表の政治がやってることはまったくの偽善ではないかと。基本的にアメリカの政治はウォールストリートであるとか、軍産複合体であるとか、いくつかのパワーグループに完全に牛耳られている。初めから民主主義なんてものはアメリカには存在してないし、それをあたかも民主主義が存在しているかのように演技しているのが現在のアメリカの政治なんだと。とんでもないという発想なんです。そこをRTが突いてくるわけで。まさにそうだと言って(笑)。

    RTは、普通であれば、よほど予算を使って取材しないと出てこないような情報を彼らに与えるわけですね(笑)。そうしたら中産階層以下の、まあ所得で分けるのはよくないかもしれないけどね、アメリカの不満層というのはみんなRTにいくわけですよ。

    RTは何を言うかと言うと、われわれはロシアの文化を守ると。君たちも君たちの文化を守れと。君たちは実はグローバリストにやられてるんじゃないかって言うわけね。自らの文化に目覚めて立ち上がれ!と。われわれは立ち上がる(笑)。するとみんな、そうだ!RT万歳!ということになる(笑)。あれはすごい成功してる。

    西塚 RTをヤスさんに教えてもらって僕もときどきチェックしてますけど、情報が早いというのがひとつありますよね。取材力と早さというのは、やはりSNS。ヤスさんによれば、ツイッターにあがってきたものを全部検証して、本当だったら流す。記者もいるんでしょう、あちこちに。だからそれが一番早い。僕も例の3.11のときだって、何の情報が頼りだったかと言えばツイッターだったんですよ。電話とか回線が止まってぐちゃぐちゃになったときに、ツイッターだけにはいろいろ流れていて、けっこうみんな重宝したわけですね。

    だから、そういうメディアからRTが情報を吸い上げてニュースにする。それがまたSNSに流れていくという、いいか悪いかはともかく、情報が循環して拡大していきますよね。

    ヤス そうです。そのSNSで流れてるような情報と、SNSで流れてるような心情と言いますかね。現代のアメリカの民主主義とか、アメリカの政治的なフレームなんかをまったく信用していないような人たちですよ。それが圧倒的に多い。

    西塚 やっぱり、インフラとしてはすごくでかい話ですね。お金持ちはこれはよくわからないですけど、おそらくツイッターとかもやってるかもしれないけども、もうちょっと違うと言うか、もっと狭いコミュニティーの中でのやり取りじゃないかと思うんですね。口コミとか、あるいはホリエモンも今やってるようですが、サロン化して情報交換するというような、いわゆるツイッターとかのSNSではないところ。これはもう眼に見えて大衆のほうが強いわけですから。

    ヤス そうです。ホワイトハウスがRTを恐怖しているわけですね。だからひと言で言うと、アメリカのアングラ文化の代表が実はロシアだったってことなんですよ。

    西塚 本当ですよね(笑)。

    ヤス 今、そういうような状態ですよ。

    西塚 面白いですねえ、滑稽と言うか…

    ヤス だからプーチンというのはまさにアイドル的な存在なんです。RTの若い女性レポーターたちがいるわけですね。ひとりホープの女性リポーターがいて、ものすごい頭が切れる。これはホワイトハウスのね、ニューヨーク・タイムズとかワシントン・ポストがいるような記者会見の席に、RTですから、ロシアの国営メディアですからいけるわけですよ。そこで質問する内容が、アレックス・ジョーンズと同じような質問をするわけね(笑)。

    西塚 すごいな、それは。すばらしい。

    ヤス 陰謀論を前提にしなきゃ出てこないだろって質問をする。そしたら報道官がビビるわけ、こんな顔(驚愕の表情)をして(笑)。君たちは何でいつもそんなことばっかり質問するんだ!と苛立つ。苛立ってるのを見て、図星だったから苛立ったねって報道をするわけね(笑)。

    西塚 それは本当にすばらしいですね。プーチンには失脚しないでほしいし、あんまりそっちの話に持っていくとまずいけども、ひと言だけどうしても付け加えたいのは、第三次世界大戦のエノク預言の話ですけどね、エゼキエル書もそうですが、やっぱりプーチンは相当キーパーソンとしてありますね。あの人にはちょっと頑張ってもらわないといけないということ。

    あと眼を啓かされたのは、ヤスさんの中国の習近平の話なわけですよ。とんでもないヤツだと思ってたんだけど、もちろんとんでもないこともあるでしょうが、習近平がいないと中国が治まらない。中国の人口からいってもユーラシアにものすごい混沌をもたらす可能性もあるので、共産党が抑えてくれてるっていう言い方もできますね。だからプーチン、習近平にはある意味で頑張ってほしいなと。

    ヤス そうなんですよ。2010年にアナトール・カレツキーによって書かれた面白い本があるんです。ロイターのコラムニストでかなり有名なエコノミストなんですね。「資本主義4.0」という本で、その中で最後に意味深な預言をしているわけです。

    もし、このままチャイナモデルがずっと成功するとする。これは市場原理のモデルではないと。極めて中央集権色の強い一党独裁型のモデルなんだと。それによって経済成長が可能であるということが証明された場合はね、おそらく欧米は市場原理と民主主義というふたつの価値観を放棄せざるを得なくなるだろうと。

    今、そのような時期にきてるかもしれないですね。

    西塚 そうすると、ヤスさんが言うようにBRICs以下のですね、ASEAN諸国でこれからどこをモデルにしようかといったときに欧米じゃなくなりますよね。中ロの、中国式ロシア式の体制を目指すことになります。そうすると、これはもう資本主義の終焉ですね、ある種。

    ヤス そうです。それは今RTが代表しているような、アメリカのアンダーグラウンドカルチャーの向かってるところはどこかと言うと、まず中央集権的な大きな政府とはちょっと違ってね、独立戦争時代のいわゆるコミュニティーベースの自給自足型経済なんですね。そっちに戻ろうじゃないかと。それが一番ベストなんだと。

    西塚 なるほど。だからリバタリアンが見るわけですね。

    ヤス そうそう。それでRTでは、アメリカ人やれー!そっちの方向だ!って言うわけでしょ(笑)。

    トラウマの語り部の喪失

    西塚 いやあ、面白いお話ですが、最後に今週のことで、個人的には大きかったので言いますけど、野坂昭如が亡くなったんですよ。作家の野坂さんが死んだというのは、いずれはくると思ってましたが…あと「新潮45」にずっと連載してたんですけどね、最後の原稿を渡してるわけです。その中の一文にですね、正確な表現は忘れましたけども、この国に戦前がひたひたと迫っている、みたいなことが書かれてる。そういう文章が絶筆なわけです。

    でまあ、野坂さんと言えばいわゆる反戦、「火垂るの墓」に代表されるような反戦作家じゃないですか。それがこの時期になくなって、最後に戦争への危機感を持っていた。危ないと。一瞬にして戦争も終わったし平和にもなったんだけど、一瞬にして戦争にもなるというようなことも書いてるらしいんですけどもね。それがちょっと気になった。僕もわりと好きだった人なので。文学はあまり関係ないのかもしれませんけど、そのあたりヤスさんはどうかなと。

    ヤス いや、やっぱりロスはすごく大きいと思いますね。だから前回も喋ったように、やっぱり戦争の歯止めとなるようなリソースとして何が役割を果たしていたかと言うと、戦争の体験だったと。

    西塚 トラウマですね。

    ヤス トラウマです。そのトラウマを生に共有できるような世代の人たちがどんどん死んでいってる。その中で非常に大きな表現者を失ったってことですよね。トラウマを生々しく再現できるような語り部を失ったんですね。

    西塚 まったく的確な表現ですね。これまでの対談でも何度も出てるテーマですね。生の戦争体験のトラウマを語る世代が亡くなってきてて、リソースとしての戦争のストッパーがなくなってきた。野坂昭如の死が、その象徴的な例とも言えるということですね。なるほどなあ。

    ヤス だから野坂昭如の位置ですね。語り部だったということです。トラウマの語り部としての大きな表現者を失ったということは、すごく大きな損失ですね。

    西塚 おっしゃるとおりです。

    能力者のフォロワーになるな!

    ヤス そうすると、トラウマではない次のストッパーは何かと言うと、理性的なものしかないんですよ。感情に訴えるのではなく。じゃあ理性的なものをわれわれは構築してきたのか。いわゆる論理的な結論として、価値観としてね、戦争はダメなんだというものを構築したか。

    たとえばキッシンジャーの最後の本のように、論理的な結論として、30年戦争以降に出てきたウェストファリア的なバランスオブパワーの世界秩序じゃないとダメなんだと。国際関係は運営できないんだと。これは論理的な結論ですね。そのような論理的な結論として、日本国は戦争を避けるべきだというような論理的な判断、理性的な判断しかなくなるわけですよ。それをわれわれは構築してきたのかと言うと、まったくしてないということです。

    西塚 その必然性と言うか、その依拠する根本になるもの、プリンシプルみたいなものをどこに求めるかということで、ビリー・マイヤーの話が出てきてのだと思います。

    この対談は、1回目からいわゆるスピリチュアル的なものの周辺を探りながらきてますが、いきなりビリー・マイヤーにそのままいってもいいんですが、その前にワンクッションとして、いわゆる霊能者とか、サイキックというものは何なのか。ヤスさんはどんなふうに考えているのかとか、西塚はどう思ってるんだ、お前は、というのもあるかもしれないので、そのへん話しておいたほうがいいかなと思ったんですね。

    ヤス そうですね。

    西塚 あと30分くらいですが、そのあたりの話をしようかと思います。どこから入ってもいいですが、たとえばヤスさんのまわりなり、僕のまわりにもいわゆる霊能者と言われる人がいるし、本もいろんな人が出してますね。霊能者にもいろんなタイプがある。透視なのか予知なのか、病気を治すのかといろいろあるから一概には言えないんですけども、霊能者と言った場合、ヤスさんのご自分の体験とか、あるいはお考えとして何かお話がありますか?

    ヤス 特殊能力者ですよね。霊感の強い人もそうだし、全部ひっくるめて言うと特殊能力者。われわれはそういう特殊能力者の能力が、本物なのかニセ物なのかという枠組みで考えがちなんですね。ニセ者が多い中から自分は本物を選びたいといった形でアプローチしがちなんです。極端に言うと、本物かニセ者かという、こういう枠組みそのものが僕は無意味だと思いますね。

    どうしてかと言うと、おそらく特殊能力者はたくさんいるんですよ。ゴロゴロいる。パッと見てね、この人は過去にどういうことやってきたかとか、その人の体のどこが具合が悪いとかね、未来がどうなってるとか、一瞬で見抜けるような人たちばっかりなんです。ゴロゴロいるんです。

    問題は何かと言うと、僕はそういう人たちを否定する気はないんだけども、そういう人たちに依存するわれわれのほうに問題があるということです。フォロワーになっちゃいけない。なぜかと言うと、おそらくわれわれの内部に開拓しなくちゃならない能力がたくさんある。たとえばビリー・マイヤーのことをちょっとおっしゃいましたけど、人間は現実そのものを創る主体になれる能力を持っていると。そのためには、まず自らの内部にそのような能力があるってことに確実に気づかなくてはならない。その気づきの過程をですね、どんどん無限に遅延させていくのが能力者に依存するという状態ですよ。

    この能力者をずっと信じて、この人のアドバイスをもらっていれば私は大丈夫であるとか、何か問題があったらこの能力者に頼ろうとか、能力者に対するそういう依存心そのものが、われわれ自身が実は現実を創る潜在的な能力を持ってるのだと気づかせることを無限に遅延させていくわけです。それがスピリチュアル系の文化だとしたならば、それは間違ってると思いますね。

    西塚 そこなんですよね。さっき真偽とか正邪とかで分けるその枠組み自体がおかしいんじゃないかというお話がありましたが、それもまったくそのとおりだと思うんですけども、僕が気になるのはですね、たとえばいろいろいるわけですよ、その能力者にしても。

    要するに、ちょっと具合が悪そうだなと思えば、たとえばお酒はやめなさいとか、タバコを吸うのをちょっと控えなさいとか言うとする。それは自分に能力があって、このままいくとその人がおかしくなっちゃうことがわかるから言うわけですね。でも、そういう能力がなくてもですね、適当なことはいくらでも言えるわけですよ。それで実際に商売してる人もいるし、そういった意味でも、その能力が本物かニセ物かというのは、僕はわりと無視できないポイントかなと思うんですね。

    実際、霊能力者はいるし、大きなところで言えば、僕は霊能力とか超能力というのは、たとえば人より足が速い人はいますね。フィギュアスケートの羽生(結弦))にしても、最高点を出してしまうとか、ああいう能力の優れた人っていると思うんです。もともと向いていると言うか、人ができないことを軽々とやってしまうというスキルを持ってる人はいるわけです。あるいはある種の専門家であって、医者だったらパッと顔色を見て、あなたちょっと肝臓が悪いよと言えるのは、知識として学んでいるものだから、普通の人がわからないことでもパッと言えるわけです。

    それは能力と言えば能力ですね。僕はそういった意味での能力のひとつだと思うんですね、霊能力というものは。でも、ヤブ医者と良い医者がいるのと同じように、霊能者にもいろいろいるということです。だから、やっぱり本物かニセ物かということはきちっと話しておいたほうがいいかなって気がするんですよね。

    ヤス もっと言うと自分が本物になればいいってことですよ。自分が本物になるための方法論と言うかですね、どのようにわれわれ自身の意識を開拓していったらいいのかと。そういうことのほうがむしろ根本ではないかと思いますね。

    西塚 それは根本ですね。

    ヤス 根本。だからそれ以前にね、あの人は本物、あの人はウソだとかと言って関わっていくと、おそらくわれわれは軌道を逸らされるぞってことだと思う。

    西塚 じゃあ、むしろヤスさんのお考えとしては、いろいろな細かいことはあるだろうけども、いっさい霊能力は関係ないというところから始めたほうがまだいいという…

    ヤス おそらくいいでしょうね。いいんですよ、いても。いるのは当たり前なんだから、   ゴロゴロと。すごいものはすごいと認めていいんですよ。だからと言って依存しちゃあ、やっぱりわれわれの内面に潜む力、潜在力といったものを開拓するときの邪魔になるってことです。

    世界の「解釈」と「実感」

    西塚 僕もそれは賛成なんですけども、じゃあもっと違う、霊能力じゃないところ、サイキックとか、あるいは宇宙人とかですね、コンタクティーもありますが、まあビリー・マイヤーもそうですけど、コンタクティーはどうですか? われわれ地球人よりはるかに進んだところからある情報がもたらされると。それは人類の未来だったり、いろんな科学的な技術のこととかですね、体のことにしても、治癒能力がかなり進んでるらしいというようなこと。

    あれは霊能力と言うよりは、チャネリングかなんかで情報を伝えられるってことは、それはやはり外部に情報を伝える存在がいるということなのか、何なのか。そのへん、ヤスさんのお考えとしてはどうですか?

    ヤス いてもいいだろうし、いなくてもいいわけですね。少なくとも世の中にそのような現象はある。その現象をどのようにしてわれわれが理解できるのか、解釈できるのかということは別の問題だと思うんですね。現象があるということは、現象があるとおりに認めたほうがいいと思うんです、まずね。だからと言って、どういうものにしろ、自分が妄信したらダメだなと思いますね。

    西塚 僕もそこが歯がゆいところなんですけど、科学的な態度というのは現象をそのまま   認めるということですよね。じゃあ、それは何なんだということを解明していくと言うか、その原因なりをどういうことなんだろうと究明していく立場が科学なら科学にありますね。僕もそちらのほうと言いますか、それを知りたいわけです。現象はあるんだけれども、どうしてあるのかということなんですが。

    ヤス その答えというのは、どのような答えにわれわれが満足するのかなんですよ。われわれの三次元的なかなり小さな世界観がありますよね。すべてその小さな世界観の中にはめ込んでいかないと、われわれが理解したことにはならない場合もあるわけですね。逆にそうではなくて、われわれの意識そのものを広げてね、3次元的ではない宇宙も実はたくさんあり得るという形で、意識そのものを広げないとわからない現実も多々あるってことだと思いますね。これが真実だと言うことが、自分自身の限界なんですよ。これが真実だと思ってる自分自身が、どういう限界を持った存在なのかということだと思いますね。

    ちょっと話が複雑になりますけど、ひと言で言うと、おそらくわれわれは今、意識をどんどん拡大しなくちゃならないような時点に生きてる。拡大するための方法論に飢えているわけです。そしてそれを拡大したときに、どのような世界がわれわれを待っているのか。われわれはそこにひとつの光明を見出そうとしてるわけですね。それをひとつの基準としたときに、どのような知識が邪魔になり、どういう知識が利するものなのかという判断が、僕は重要なんじゃないかなと思います。

    西塚 まったくそう思います。それが今後ビリー・マイヤーの話にもつながっていくんですけども、たとえば高次元の存在がいて、それこそユニバースじゃなくてマルチバースであるとかですね、もしそれが事実だとすれば、そういうこともまだ確定できていないし、今はわからないじゃないですか。

    そういうものは知らなくてもいいし、私は死ぬまで健やかにすごせればいいという人もいていいと思うんですけども、そうじゃなくてもっと追及したい人とかですね、世の中の矛盾があるとすれば、現時点では解決できないことも、そういう知識とかを獲得することによって解決策が与えられるかもしれないといった意味で、やっぱり必要な知識はあると僕は思うんですね。

    だから結論は留保して、結論は最終的にはないと個人的には思ってるんですけど、やっぱりわれわれは進化と言うか進歩していくものであって、われわれは常にその過程にいるのではないかと思います。どこかで停滞するというのは、あまりよくないと言うか、つまらないかなと僕は勝手に思っているわけです。

    ヤス たとえばそのマルチバースという考え方、多世界解釈とも言われてるけど、それを学説として理解することは可能ですよ。それとわれわれがまさにそうだと実感することとは、次元が違うということなんです。全然、違うと。だから知識としてわれわれがそれを導入することと、それを実感することはまったく違う。一番重要なのはこの実感なんですよ。

    西塚 そこなんですね。その実感と言うのは、やっぱり武道だったら稽古、本を読むことであれば書籍と。たとえば若いときにマルクスの「資本論」をガンガン読んでるときに、わからないとしますね。でも、読みこなすことによってだんだんわかってきて、ある種パッと目が啓かれるわけじゃないですか。そういう実感ですね。それに似たような実感、体感、経験ですね、僕はすごく大事だと思うんですけど、それはやはり知識なら知識を検証したりとか、本なら本を読むという、そういう行動でしか得られないんじゃないかと思うんですよ。

    ヤス 確かにそう。それはまさにそうなんですね。ただ、単純な知識では無理なわけです。それをどうやって実感化するかですね。たとえばマルチバース的な発想というのは、おそらく何か特定の意識状態になっときに初めて見えてくるようなものだと思うんですよ。そのような意識状態にわれわれがなる。または、そのような意識状態になる潜在力をどうやって開発するのかというところにこそ、焦点をおくべきだと思いますね。

    西塚 そう思います。僕はそれはひとつは思考だと思います。考えるということです。考え続けるということですね。考えるというのは、たとえば禅問答のように考えてもいいんだけども、それよりはいろいろ知識を得てですね、そこで考えていく。

    その新しい知識という意味で、高次元からかもしれない情報とかですね、霊能関係のいわゆるスピリチュアル系なんかの話にも真実の欠片みたいのがあって、そのモザイクをどう組み合わせていくか。その緻密な思考運動の中で、ある日その実感というものを得られる人は得られるだろうし、そういう作業の中にしか僕は可能性がないような気がしてるんです。

    ヤス まあ、基本的に作業ですよね。ただ、おそらくそれは思考には限定されないんではないかなと思いますね。

    西塚 そうですね。何でもいいでしょう。草むしりでもいいかもしれない。

    ビリー・マイヤーの「純粋観察」

    ヤス たとえば去年、一昨年かな、ハンク・ウエスルマンという人類学者と、シャーマンなんだけど、彼と対談したときに、私は世界というのは実に多くの次元でできてるということはよくわかるんだと。われわれの脳波というのは、違った脳波というのを分泌可能でね。それぞれの異なった脳波に合わせた世界性があるんだって言うわけね。私が体験したのはθ波の脳波が見せてくれる世界なんだと。5ヘルツとか6ヘルツのかなりゆっくりした…

    西塚 眠るくらいですね。

    ヤス そうそう。入眠幻想を見るような感じ。あの脳波の世界にいくと全然違った生き物が存在していて、まったく別次元の世界だって言うわけです。

    西塚 それ、わかるなあ。

    ヤス そのような理解でいくならば、世界が多次元的にできているのは当たり前で、私はそれを実感すると。だから、おそらくわれわれには、そういう世界の多次元性を実感できる潜在力があるはずだと。この潜在力を開拓するために、まず何をしなくちゃならないか。これをやれば潜在力を開拓できるというところまでは、僕は結論を持ってないんですけど、ただ何をやっちゃダメなのかはわかる。それは何かと言うと、特殊能力者に依存することですよ。

    西塚 NG事項のトップにくることですね。

    ヤス トップにきます。それから、頭から入った特定の理論を信奉しないことですね。信じ込まないってことです、やっぱり。

    西塚 そうですね。その実感は、僕は武術とかにも絡んでくるんですけど、それはおいといたとしても、たとえば三島由紀夫がこういうことを言うわけですよ。能がありますよね。能は稽古をいろいろして、わけわからないんだけどいろいろ習って、最後に、よし、お前は大丈夫だというときに、何か巻物をわたされるらしいんですね。その巻物を見ても、月がどうしたとかそれしか書いてない。何の方法論もないわけです。でも、わかるらしいんですよ。あ、これだ!というのがわかる。

    それはやっぱり稽古を積んできて、そのお師匠さんがこいつはもう大丈夫だなあというときにそれを見せるわけですから、そこで免許皆伝とかになるんでしょう。それは普通の人たちが見てもわからない。月がどうしたこうしたって何じゃこりゃと。詩なのか俳句なのかわからない。けれどもわかる。これだ!と。そこにいたるまでは相当こう、ある種の努力なり…

    ヤス それは間違いないと思う。

    西塚 経験値を上げていくというね、ことがあるだろうと。それは比喩的に言ったわけですが、おそらく思考もそうで、いろいろなスピリチュアル的なもの、本とかもそうだけども、繰り返し読んだり、討論したりとか話したりということの果てにですね、何かつかむものがあって、それをつかみ続けていくということでしかないのかなと思うわけです。
      
    そうしたときに、ヤスさんがおっしゃったように、まず依存はダメだし、その最たるものが霊能者であるってことになると思うんですけども、そうすると単純に依存するな!で終わっちゃう話になりますね。だからダマすと言うか、霊能者のほうの問題も僕はあると思っていて、要するに自分が特殊能力を持ってると思い込んじゃう人っているじゃないですか。

    ヤス いるいる。

    西塚 私は霊能者、霊能力があると。たとえば普通の人もですよ、何か今日、イヤな感じがするとか、何かのサインを見て、それを結びつけちゃって今日は外に出ないほうがいいとか、あの人に会おうと思ったんだけども、こうこうこうだから止めると。あるいはお告げがきたとか何とかってあるじゃないですか。そういうことはどう思いますか?

    ヤス 感情と直感はちゃんと区別せねばならないと思うんですね。自分の内部からこみ上げてくるような思いをね、自分自身が信奉するってことは間違ってますよ。自分自身の内部からこみ上げてくるものに対してはね。

    ビリー・マイヤーの面白い本で「瞑想入門」という本があって、分厚い本なんですけど、そこに「純粋観察」という言葉があるんですね。要するにすべての感情を捨てるわけですよ。すべての感情を捨てて、自分の内部、自分の心の中で何が起こっているかをただ純粋に観察するんです。たとえば怒りであるとか、お告げを得てるという確信を私は思っている、とかね。心の中で起こっていることをすべて距離感をおいて観察するわけですね。そうすると、われわれの心はさまざまな心理的なプロセスででき上がってるということがよくわかってくる。きっとそれが第一歩なんだと思う。

    西塚 いみじくも18世紀にカントが「純粋理性批判」を出しましたけども、「純粋感情批判」みたいなものが求められていると言うか(笑)。

    ヤス まあ、言ってみればね。これをすでにやったのはフッサールなんです。フッサールは現象学的還元ということを言ってます。エポケーと言って、自分の感情も、たとえば目の前の物がここに存在するということも、すべてをクエスチョンマークにして括る。

    私はコップがあると思っていると。その思っているという自分自身の感情を観察するわけですね。バーッとね、かなり長距離で。そうすると、われわれの心というのはいろんな心のプロセスででき上がっている。まさにそのような心のプロセスによって、実は世界全体が構成されてるってことが見えてくると言うんです。

    西塚 そうですね。よくスピリチュアル系でも言われる最終的な目ですね。視点というものがあるわけで、たとえば幼いころの記憶はみんなあると思いますが、よみがえるわけですね、誰でも。あのときこうだったなとか、今でも誰でもすぐできますね。でも、それを見てる自分の目というのはずっと変わらないと。

    たとえばどこかにいく。新宿にいって、あのデパートにいってという想像もできるけども、それを考えてる自分は変わらないし、常にいる。その目が本来の自己であるというような、そういう言い方のスピリチュアル系の本がいくつかあって、僕はある種の真実をついていると思います。でも、その解釈の仕方とか、自分の理解の仕方によって全然変わってきますね。要するに、行動に反映されなかったりとか、あるいは間違ったことをやるとかね。

    じゃあどうしたらいいのかというときに、たとえばこの対談のような場で話されたことが、ひょっとしたら何かの参考になるかもしれないし、媒体物も発信していかなきゃいけないなと思うんですけども、それはさっきの霊能者がどうのこうのという話とも全部つながっている気がしています。

    じゃないと本当に、お前頑張れよとか、とにかく依存すんなよとか、依存は絶対ダメだから、あとは自分で自己を確立して、自分で体験するようにと。あなたが何をするかわからないけど、励んでください、で終わっちゃうじゃないですか。そこはもうちょっと生々しくと言うかですね、僕なんかもいろいろバカやってきてますから、自分の失敗談とかも含めてどんどんどんどん出していきたいなと。そっちのほうが僕はいいような気がするんですね。

    ヤス 確かにね。ビリー・マイヤーの純粋観察の過程で何がわかるかと言うと、もろもろ現在われわれが見ている世界といったものが、われわれの心のプロセスによって構成されてるのが見えるらしいんですね。そこで最終的に何を実感するかと言うと、ああ、なるほどと、私の生きている世界は私自身の心が構成しているのだってことを直に体験するわけですよ。実は私が現実の創造者なんだってことを体験する。その体験というのは、本来の基礎にあるべきような体験なんだろうなと思います。そこがビリー・マイヤーの面白さだと僕は思いますよ。

    西塚 面白さですよね。そこに確度と言うか、確信をしないと現実の創造がうまくいかないということもありますね。それを邪魔する最たるものが、僕は恐怖心だと思うんです。ひと言で言えば。その恐怖心は本当にまやかしであるというね。

    ヤスさんもこれまで何度か直感ってことをおっしゃってきたわけですね。何か自分が判断するときに、これは恐怖心から出ているものなのか、あるいは嫉妬、怒り、悲しみ、要するに余計なものから出てきてる場合は、もうほとんど100パーセントあてにならないから全部無視していくという。

    そうじゃないもの、もっとこみ上げてくるものって言うんですかね、そのへんの表現は難しいんでしょうけども…

    ヤス 非常に客観的な冷厳な判断。

    西塚 そう。これはこうなるというよりも、むしろ判断の結果としてしか出てこないようなもの。そのへんの見極めって、でも難しいですね。

    ヤス 難しいと言うか、客観的な基準はないわけですよ。

    西塚 ないですよね。実感しかない。

    ヤス 実感しかない。そのような実感が与えられるようなひとつの境地というのは、今言ったように純粋観察から得られる境地だと思いますよ。要するに世界全体をあるべきものとして構成しているのは、私の心の作用なんだと。そういうような形で自分自身の心に対して距離感をおいて眺められれば、それは極めて大きな確信の基準になると思います。

    西塚 まったくそうですね。僕もそんな広範囲に読んでいるわけじゃないんだけども、僕が腑に落ちると言うか、理解できるなという本もだいたいそういうことを言っています。だから今回、ヤスさんに訳していただいた「Web Bot」ですね、クリフ・ハイの。あれも最後がよかったですね。もうサーフィンしようぜ!って言うね。そろそろ僕のサイトもアップするのでヤスさんに訳してもらったものはお届けできると思うんですが、あれですよ。まさしく。

    サーフィンは、足もとの荒波と何もないきれい空間の、その狭間でバランスをとるわけですね。そのときにもう時間は消えるし、頭でも操作できないし、ある種の身体感覚にまかせるしかないという。その感覚なんだとクリフ・ハイは言うわけです。僕はクリフ・ハイってこういう人なんだと思ってびっくりしたんだけども、僕がよく言うゼランドと同じことを言ってるし、ヤスさんが言ったことにもつながる。そこの境地というのは、さきほどおっしゃっていた観察、全部客観視するということにもつながります。

    ヤス そうですね。ビリー・マイヤーの本では純粋観察と言ってますが、もう徹底的に論理的な、感情をすべて捨て切った観察ですよね。

    西塚 そうか。ビリー・マイヤーの本は僕も全部読んでないからわからないですけども、瞑想ひとつとっても、ヤスさんもメルマガで書かれてますけど、蝋燭の火とかね、あるいは別のものでも、具体的な方法論がありますからね。たぶんそういう本はなかなかないと思うんです。

    たとえば秘術として、ヤスさんも前に触れられたグノーシスとか、密教的なものの方法論はあると思うんです。でも、いわゆる秘伝とされていたりしてオープンではないし、危ないものもあるかもしれません。そのへんはまた検証されるべきでしょうけども、でもビリー・マイヤーの本にはわかりやすく書いてあるから、それをみなさんとも考えながらお話ししていきたいというのが趣旨なんですけどもね。

    ヤス そうですね。

    西塚 その前にもうちょっと、その霊能者とか何とかをやったほうがいいと思ったんですけど、いらないですかね、別に。

    ヤス いや、やってもいいですよ。

    西塚 でも、その話はすぐ終わっちゃいますもんね。それはいらないんだよってことで。

    ヤス いや、たとえば、われわれの世界が多次元的にできてるのであれば、恐ろしく邪悪な低い次元の世界とつながってる人たちもいるわけだしね。

    西塚 そうそう。僕はそういう話をちょっとしたほうがいいかなと思ったんですよね。

    ヤス いいですよ。たくさんいると思いますよ、そういう人は。非常に危険だしね。

    西塚 そういう情報自体がですね、ちょっと傲慢に聞こえちゃうといけないんですけども、ヤスさんもご経験があるし、僕もそれなりに経験があります。そういうことを出すことによって、あ、そういうこともあるんだと。これを読んだ人たちがもし似たような経験をされていて迷ってるとしたら、あ、こいつはこんなことを言ってるけれども、私もこれと同じ体験かもしれないぐらいのことは、わかるかもしれないじゃないですか。それぐらいの意味ですね。

    だから、もうちょっと自分の経験も含めて、こんなのがあったけどこうだったとか、俺はこう思うというものを、もうちょっとヤスさんと出したいかなとちょっと思ったんです。

    ヤス ええ、いいですよ。全然いいです。

    西塚 そうするともう、ブワーッと一時間終わっちゃうので、ちょっと分けながら、僕ももうちょっと構成を考えないといけないんだけども、そういうことも話していきたいなと思うんですね。ビリー・マイヤーのことだけでもいくらでも話はありますが、ちょっといくつか構成を分けて考えます。もう25回になりましたし、きちっとした文章でも出せるようにしたいなというところですね。

    もう時間もなくなりましたが、ヤスさん何かありますか?

    新しい世界認識とは?

    ヤス やっぱり21世紀になってインターネットの社会に入って、SNSがどんどん拡大している。これが違った世界性をわれわれに明示してくれると言うかね、違った世界に対する体験をわれわれにどんどん開示しているって側面があると思います。それはいろんな意味があるんだけども、やはり非常に示唆的な体験というのは、世界の多次元性の体験だと思いますよ。実は世界というのはかなり多次元的にでき上がっている。客観的にそうだというよりも、もともとはどうもわれわれの心のプロセスによってでき上がっているのではないかということです。

    西塚 そうですね。そういった意味では無限だと思います。

    ヤス 無限。実はその多次元的な世界をわれわれ自身が構成する能力があるってことね。そのような自らの潜在能力に対して、ある意味で体験的に目覚めるということ。それがインターネットの交流とともに進んでくるという側面が僕はあると思います。

    西塚 わかります。そこでひとつのパラドックスとして次回おうかがいしたいんですけども、世界は自分が創っていると言ったときにですね、他人も自分が作るというふうな考えありますね。だから人によっては全部俺の妄想なんだという話になっちゃうんだけども、そうではないという考えもあります。

    たとえばゼランドが言うには、それは傲慢な考え方であって、生きてる人たちにはちゃんとそれぞれの魂があって、それぞれ生きてるんだと。だからひとりの人間の頭の中で全部創られたものじゃないと言うわけですね。そのへんの兼ね合いはどうなってるのかということは、それこそマルチバースとパラレルワールドにも関わってくる話になるんだけども、僕はそうじゃないと思ってるんです。

    けっこう難しい話になってきますが、ビリー・マイヤーを軸にそのへんのことも話せると思うんですけどね。

    ヤス いいですよ。ただ最後にひと言言うと、われわれが今喋ってる次元ってね、20世紀の初めの議論なんですね。いや遅れてるってわけじゃないですよ。それは何かと言うと、フッサールの現象学ってありますでしょ? フッサールの現象学が最終的にぶち当たったアポリアがあるんですね。アポリアって大きな謎です。われわれが世界を創っている。ひとりひとりのわれわれの心のプロセスが世界を創ってるとしたならば、なぜわれわれは集団として同じ世界を見てるのかっていう問題なんですね。

    これはフッサールの現象学の非常に大きな難問としてある。その難問を脱する過程で「共同主観」という言葉を使った。実はわれわれの自我の一部というのはすべての人間と同じ形をしているんではないかと。だから同じプロセスで同じ世界を創り出しているのではないかというところいくわけです。共同主観ということで。そこまでいってフッサールは死んだんですよ、1938年にね。それ以降、現在までつながってくる現象学の歴史は、その共同主観というのは何なのかと。

    西塚 僕はフッサールは詳しくないので言えませんけども、ひとつの解答かもしれないことがゼランドにあって、たとえばわりと単純な話なんですよ。世界は確実に存在しているし、人もいろいろ存在しているんだけれども、それぞれが見る世界が違うだけであって、見る人間の数だけ層があるということです。

    単純にクリスマがきたと。それで街にジングルベルが流れてる。クリスマスの華やかな街のシーンでもいろんな人がいるわけですね。かたや浮浪者でゴミ箱をあさりながら見てる人がいる。かたや高級自動車でウィンドーを開けて眺めている人もいる。でも同じ世界なわけですよ。見る人が違う世界を見てるって言い方もできるわけですね、同じものでありながら。

    そこに僕はヒントがあるような気がしていて、ゼランドが言うには、そういう同じ世界なんだけれども、見る世界は自分で変えられるんだと。だから簡単に言っちゃえば、乞食にもなれるし金持ちにもなれるということです。そういう意味の多層観と言いますか、そういうものを提示してるんですね。共同主観とは全然違う話かもしれませんけども。

    ヤス 貧乏人もいる。金持ちもいる。世界の中でいろんな視点をとることで世界の見え方は違うんだけども、いろんな視点をとることができるような世界そのものはね、みんな同じような体験をしている。だから金持ちにとっての貧乏人は貧乏人だし、貧乏人にとっても貧乏人は貧乏人なんですよ。そのように金持ちも貧乏人もいるような、この世界全体をみんな同じように体験しているんだと。

    同じような体験を創り出しているような人間の心とは何なのかってことですから。そこで出てきたのが共同主観だってことです。

    西塚 たとえば地球があって、何も生物がいないと。そこに人間がポッと生まれるわけです。そこで世界が始まりますね。それでもうひとり人間が出てくると。そうすると、またそいつから見た世界が始まるというような形で、重層的に世界ができてるという言い方をするわけです。そうすると、人類がいなくなった時点で世界はあるのかという話にもなってくるわけで、ものすごく哲学的な話になります。

    ビリー・マイヤーはいわゆる高次元からのコンタクトということで、書籍の中に高次元の見方・考え方があるわけですね。そこには今僕みたいな者が話してる以上のロジックがあるわけです。それはもうちょっと出して、検討されるべきだなという。

    フッサールの共同主観についてはちょっと勉強しますね(笑)。

    ヤス フッサールは難しいですよ(笑)。

    西塚 本はあるんですけどね。くじけたんです、途中で(笑)。

    ヤス フッサールは共同主観ということを言って死んだんだけども、その共同主観がどういうものかという、ある意味で決着みたいな結論を出したのがメルロポンティですね。それはいわゆる自我ではないと。我々の身体であるということを言ったわけですよ。

    まあ、ちょっと説明してるとすごく長くなるので端折りますけどね。いずれにしろいくつかの簡単な結論はですね、世界をこのように創り上げているのは実は心の作用なんだと。第二に、すべての人間が同じような世界を仮に見てるとしたならば、心のどこかの部分というのはだいたい共通してるのではないかということね。

    大脳科学者が同じような共同主観の問題を大脳科学的に解釈するわけですよ。脳の神経学的なプロセスとして。このようなプロセスが世界を形成してるってことを探り当てるわけですよね。

    西塚 なるほど。いくつか軸が出てきましたのでそれをまた次回以降、僕の質問という形でやっていきたいと思いますけどもね。

    ヤス 現代のスピリチュアル系というのは、おそらくね、僕はかなりマイナス要因のほうが強いと思う。現代に生きているわれわれに要求されているのは、現実の形成者の主体になれるような自分自身というものを再発見することなんですよ。すなわち現実そのものを構成してる主体になっているのはわれわれなんだってことね。現実を創り変えられる潜在能力をわれわれが持っている。その潜在能力をわれわれの内部に発見するということが、一番大きな課題なんだと思いますね。

    一方、スピリチュアル系にいくとね、特殊能力者がたくさんいると。そういう特殊能力者は未来も当ててくれれば、健康問題でどこが具合が悪いかも言ってくれれば、過去もどんどん当てると。そのような能力に圧倒されてね、フォロワーになって依存してしまう。依存すればするほどね、現実を構成し、現実を変革することも可能だというわれわれ自身の主体の自覚化が、どんどん無限に遅延されるってことですね。これはやっぱりやっちゃいけない。

    西塚 それはもう、ビリー・マイヤーに伝えたとされる高次元の存在に言わせると宗教だということですね。依存の最たるものであると。大きな宗教が自分の主体性の自覚を延々と遅延化させる装置になってるということですよね。そういう話につながると思います。

    ヤス 人間の持っている潜在能力。これを開発するにはどのような方法論が必要かということを、体系的に語ったところがビリー・マイヤーの価値だということです。

    西塚 わかりました。どうしてもやっぱりそこにいくしかないな。では次回、もうちょっとそこは突っ込んでやりましょう。今日はどうもありがとうございました。酔っぱらっいました。二日酔いですけど。

    ヤス いえいえ、こちらこそ。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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    酔っぱらいオヤジの「Spiritual Meeting」第24回

    12月21日

    まぐまぐ大賞2015、政治経済・国際情報部門で第2位になりました。ご推薦いただきありがとうございます!

    まぐまぐ大賞2015 -政治経済・国際情報部門
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    ヤスの勉強会第20回の様子です。音が小さいので、音量を最大にしてご覧ください。



    次回の有料メルマガの予告

    12月25日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、アメリカがロシアに対して持つ常軌を逸した敵愾心の背景と源泉を見て見る。思っても見ない歴史の闇に埋もれたトラウマと怨念が存在する。この後半である。次に、2016年にも始まりそうな金融危機について解説する。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

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    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第22回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第21回のご案内

    ヤスの勉強会」の第21回を開催します。やはり、パリの同時テロ、ロシア軍機の撃墜など予想を越えた事件が相次ぎ、世界は一層混沌としてきました。今回は2016年を本格的に展望します。

    【主な内容】

    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・ロシアと欧米、そしてトルコとの対立の行方
    ・超社会主義に向かう道
    ・日本の今後と未来
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

    よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:12月26日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

    いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

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    メールアドレス
    参加人数
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    info@yasunoeigo.com

    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    1月16日、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第二回目のパートナーは前世リーディングの高橋善則さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
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    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第23回

    oyaspi23

    西塚 みなさん、こんにちは。「酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting」の今日は第24回ですね。よろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス どうもどうも。はい、カンパーイ!

    西塚 前回はビリー・マイヤーの件で、ヤスさんがどうやってビリー・マイヤーに出逢ったかという話も出たんですが、またそれは後ほどつなげていきたいと思います。最初に時事問題ですね。今週いくつか気になることもありまして。アメリカのテロがありましたよね。13人でしたっけ? 亡くなった。あと相変わらずトルコとロシアの仲が改善しないと言うか、プーチンは強気だし、ずっとトルコは後悔するだろうみたいなことを言って、まあ外相レベルでも何かやってましたが、結局は同じような主張をトルコが繰り返し、何の進展もないという。どうなるのかなあと。あのへんの仲が悪くなるとどうなるのか、あとでヤスさんにも解説していただきたいんですが。

    日本国内でも、たとえば流行語大賞なんかがあって、あの中に「アベ政治を許さない」とありましたよね。あれは僕はちっちゃいことですけど気に留まったと言うか、安倍政権に対する否定的な言葉がですね、流行語大賞みたいなものに一応ノミネートされる。まだ健全と言うほどのものでもないですが、少なくとも強権は発動されてないと感じたぐらいですが、ヤスさんはいかがですか、今週は? コメントしておきたいことなどありますか?

    第三次世界大戦への別れ道

    ヤス やっぱりトルコとロシアとEUの関係ですよね。これはメルマガにも詳しく書いたんですけど、やっぱり今ね、これからどちらの方向に進むのか。簡単に言うと、楽観的な明るい未来があるのか、そうではなくて真っ暗な、それこそ第三次世界大戦みたいなね、大きな戦争を予感させてもおかしくないような悲観的な未来になるのか。その別れ道に立ってるような気がするんですね。

    それで西塚さんも知ってるように、われわれというのは予言に興味があるじゃないですか。何で予言に興味があるかと言うと、予言というのは多くの人間が持ってる集合無意識に抑圧されたようなね、ある恐怖のシナリオが現われているものです。あともうひとつ予言に意味があるとしたら、特に宗教的な内容の予言ですね。旧約聖書もそうだし、新約聖書のヨハネの黙示録もそうだし、またコーランの中には三つの予言があるし、それからいわゆるムハンマドの言行録、ハディースと言うんですが、それに内在している予言もあると。

    宗教的な予言はだいたい神の降臨の前兆としての予言なので、予言の自己実現を目指すような集団がすごく多いわけですね。そうなってくると、予言のシナリオに合わせた行動をすると言うかな、予言を実現するために行動するという自己実現的な予言にならざるをえない方向性がある。そのふたつの意味から、いわゆる予言というものに興味を持っているということが、われわれのある意味で共通している了解なのかなと思うんです。

    それでですね、特に最近の予言を見てると、たとえばエゼキエル書というのがあります。エゼキエル書は旧約聖書の中にある予言なんですが、そこにはハルマゲドン予言があるわけですよ。ロシアと欧米との対立がですね、本当に修復不可能なところまで拡大するという。一方では、ロシアとイラン、それから北アフリカ諸国の一部ですね。この連合軍がイスラエルに攻め込むってことにもなってるんですね。そのイスラエルの背後には何があるかと言うと、トルコおよびEUなんですよ。これが血みどろの戦争になる。

    それからですね、ビリー・マイヤーのエノク予言というのがあって、1987年の2月28日に出されたものなんです。この予言の中にはですね、イスラム教の狂信者がヨーロッパ全土を、ある意味で長い間支配するような状態になるとある。テロも激増してヨーロッパを長い間支配する。それからロシア軍によるヨーロッパ侵攻ですね。そのモチーフがはっきり出てる。

    つまり第三次世界大戦に向かうような予言が複数あるんですね。アロイス・イルマイルとかね、いろいろあるんですが、だいたい共通しているモチーフというのは、ロシアによるヨーロッパ侵攻ということ。あとロシアによるイスラエルの攻撃が第三次世界大戦を起こすための引き金になるということなんですね。

    予言が実現するには、欧米とロシアが修復不可能な対立関係にならなくちゃいけないんですが、今そのような対立関係に入るかどうかのギリギリの転換点にきてるかなという感じがします。

    西塚 そのひとつとして、今のロシアとトルコの関係ですよね。現段階でのヤスさんの見立てで言うと方向性としてはどういう感じになりそうですか?

    ヤス いやあ、五分五分ですね。アメリカ国内からも軍人を中心に、ロシアと連合を組むのが当たり前だろうと。むしろアサド政権こそがね、イスラム国みたいなイスラム原理主義のテロ組織の歯止めになっているんだと。

    西塚 アメリカの軍部の中からもあると。

    ヤス 軍部の中からもあります。ロシアと協力するのがまっとうな方向なんだと。たとえば軍部出身の元NATO軍の司令官でね、ウェズリー・クラークという将軍がいるんですよ。この人はアメリカの軍事問題に対するいろんなニュースのコメンテーターとして出てますね。この人の主張と言うのはもうずっと一貫しています。とにかくロシアと共闘するべきなんだと。それでアサド政権を残すべきだと。なぜオバマがアサド政権を倒すことにあれだけ躍起になっているのか、まったく理解ができないと言ってオバマ政権を批判してるんですよね。

    これがおそらくですね、かなり多くのアメリカ人の一般的な見方かなって感じがします。でね、実はそれに大きな影響力を与えているのがRussia Today、RTのアメリカでの人気なんですね。ちょっと名前は忘れましたけど、ロシアのメディアのスプートニクに出てたんですが、アメリカの情報戦略の専門家がですね、結果的にロシアはプロパカンダ政策でアメリカを魅了しつつあると。成功してるんだって言ってるんですね(笑)。それは、RTの成功によるところがかなり大きいと僕は思います。

    西塚 実際、ニュースとしてもRTはかなり速いみたいですし、それで2位でしたっけ? 全米での視聴率が。

    ヤス RTそのものがプロパカンダのメディアであることは間違いないんです。相当内容がロシアよりだし、ロシアの主張を代弁しているようなメディアであることは間違いない。だからたとえばウクライナ紛争の場合、東部ウクライナの親ロシア派の人たちの主張をRTは主に代弁しているわけで、ウクライナのキエフ政権そのものを敵対視するわけですね。それはまあ一貫してる。

    ただアメリカ人の見方というのは面白くて、一般の主要メディアでだいたい西側よりの意見を確認したあとにRTを見るんですね。それでバランスをとってどっちが本物かなって見るわけです。ただ、ことシリア問題に関してはRTを見る前からね、やっぱりアメリカ全土でひとつの疑念があるわけですよ。何かと言うと、なぜアサド政権を倒すことにそんなに固執するのかと。むしろイスラム国みたいな凶暴な組織のイスラム原理主義運動の唯一の歯止めになっていたのがアサド政権ではないか。アサド政権をぶっ倒すということにどういう意味があるのかと。

    普通に見ててもそうした疑念があるわけですよ。その疑念にですね、きちんと状況証拠を集めて答えてくれたのがRTではないかなと、僕は思いますけどね。

    オバマの最後の抵抗?

    西塚 前もそういうお話が出ましたけど、オバマ自体は個人的にはプーチンの言ってることもわかるし、そっちに理があると。でも、ああいう政策をとらざるを得ないのは、僕も何なんだろうと。圧力なのか、脅かされてるのか、そのへんは何なんですかね。

    ヤス やっぱりパワーゲームで負けたんだと思いますよ。軍産複合体、ネオコン系、それからウォールストリート系が、もう圧倒的にオバマ政権の中で強いわけですよね。オバマさん自身というのはもともと市民運動の出身だったんですね。NPOとかNGOとか、むしろ公平な社会を目指している市民運動の出身者です。

    オバマ政権のブレーンになってるようなシンクタンクがいくつかありましてね。そういうシンクタンクはみんなどちらかと言うと民主党の左派系のシンクタンクです。大きな政府によって所得の再配分をして、矛盾のない、不公平性のより少ない社会を実現していこうという。そういうリベラルなシンクタンクが圧倒的に多いわけです。

    環境問題でもだいたい同じようなメンタリティーだと思いますけどね。本来それが、オバマさんの背後にあった思想だったと思うんだけども、それがね、パワーゲームに勝てなかったんですよ。

    西塚 もうじゃあ、苦渋の判断ですよね。本人はやりたくないんだけども、こういう発言をしなきゃいけないし、こういう政策をとらなければいけないという。特に中東に関してですけど。どういうふうな力学なのか、僕にはちょっと具体的にはわからないんですけども。

    ヤス 少なくとも、イケイケドンドンではなかったわけですね。シリアのアサド政権が悪いから、ほらやれーッ!と言ったような感じでは全然なかった。それは2013年の夏にですね、アサド政権が毒ガスを使ったと疑念を持たれたことがあって。アメリカは事前に、毒ガス兵器を使って一線を超えたならば介入するぞと言ってたではないかと。シリアを空爆してアサド政権を潰すという姿勢を鮮明にするわけですよね。でも、だからと言ってすぐにやらなかったわけです。そうではなくて、ちょっと猶予を与えるわけですね。アサド政権に自らの態度を変更すると弁明する猶予を与えた。

    猶予を与えているうちに、イギリスのほうからはわれわれは参加しないと。アメリカ軍のほうからもいろいろと、私は空爆には参加したくないというような反対意見が出てきた。結果的に反対意見に押し切られる形で、オバマ政権は2013年の夏に空爆を断念するわけですね。

    ここがポイントなんですけど、なぜあえて猶予を与えたのかなんですよ。普通、猶予なんか与えないです。議会にも相談しない。いきなり最高司令官である大統領が米軍に動員体制をとってですね、シリア空爆をもう翌日とか翌々日にいきなり始めるんですよ、普通ね。

    西塚 それはやはり情報として、アサド政権というよりは反対勢力が化学兵器を使ったというような証拠なり、かなりの確度の高い情報としてあったんじゃないんですかね。

    ヤス 当時はね。国連の報告からも上がってきた。毒ガスを使ったのは実はイスラム国側であるないだろうかと。ただ確証はなかった。当時、オバマ政権がですね、アサドに対して猶予を与えた時期は、本当にどちらが使ってるかわかんないっていう状態だった。

    西塚 じゃあ、何でですかね。

    ヤス そのような形で、最後にちょっとオバマが…

    西塚 抵抗した?

    ヤス オバマの抵抗だと思いますよ。

    西塚 卑近な言葉で言うと、駄々をこねたと。

    ヤス 駄々をこねた。と同時にちょっとね、アサドに余裕を与えると。どう弁明するのか。化学兵器をこれからどうするのか。数日間ですけど若干の余裕を与える。その余裕というのが、すべての情勢を異なった方向に動かしていくんですね。その余裕の中で何をやったかと言うと、まずプーチン大統領が、アサド政権こそがイスラム原理主義運動の歯止めになってるとして、空爆してはならないという長いエッセイをニューヨークタイムズに載せるわけですよ。

    これはすごくアメリカでインパクトを持った。オバマは何をやってるんだみたいなね。それに対してまたイギリスの議会では、シリア空爆にイギリスは参加しないということをはっきり明言する。それとほぼ同じタイミングで、今言ったように米軍の内部からですね、私はシリア空爆には参加しないんだといったような、言ってみれば命令拒否者みたいなのがたくさん出てきた。それで決定的に流れが変わるわけです。ただ僕はこれ、オバマが意図してやったと思うんですね。

    西塚 なるほど、最後の抵抗だったんですね。最後の抵抗であり、ひょっとしたら最大のよきことをしたかもしれない。

    ヤス そうだと思いますね。もしね、あそこで空爆してたら2013年の時点で、おそらくロシアとアメリカおよびNATOとの敵対関係というのは、修復できないくらいの決定的なものになっていた可能性がありますね。

    西塚 そう思うと何と言うか、寸止めと言うか、危なかったと言えますね。今から振り返れば。じゃあかなり重要なポイントですね、世界史の中でも。

    ヤス そうですね。今回もね、トルコによるロシアのスホーイ24の撃墜は歴史的な転換点だと思いますよ。もし、ロシアを主軸にしてイスラム国を叩くという国際的な包囲網ができた場合は、おそらく第三次世界大戦を避けるという方向に一気にいくと思いますね。

    西塚 アメリカがそれをよしとするかということですね

    ヤス 対イスラム国の国際的な包囲網の中には、当然アサド政権が入ると。だから国際的な包囲網ができたという段階で、アサド政権は潰す対象ではなくなるわけですよね。むしろ支援する対象になる。この国際的な協調路線ができたならば、おそらくですね、いわゆる第三次世界大戦みたいのは避けられると思います。

    西塚 そのとおりですね。論理的に言っても、それは本来は当たり前の帰結ですよね。ISがテロを起こす敵であって、それを封じ込めるという。本当は戦争とか暴力で解決しちゃいけないんだけども、封じ込めていくということで言えばもうロシアもアメリカもシリアもないわけで、有志でもないわけで、世界的なコンセンサスとして協調していくのは本来当たり前のことですね。

    ヤス 当たり前のことです。だから本来当たり前のことが当たり前のように行なわれればいいんですが、別に第三次世界大戦とか、欧米とロシアの敵対関係といったものは、ある意味で合理性がないわけですよ。どちらにとっても大損なわけですからね。その合理性のないような敵対関係そのものを解消するきっかけにはなりますね。

    トルコの思惑とは

    西塚 僕はヤスさんのメルマガで知って、その後プーチンが演説したからわかってきましたけど、例のロシア機の撃墜ですね。それはISを利するような、しかもエルドアン大統領の親族も絡んでいるような、要するに利権じゃないですか、簡単に言えば。そこを空爆したので、それは止めてくれって撃墜したって話が出てましたけど、それはプーチンも言い出してるんでたぶん事実でしょう。

    本人のエルドアンは、そんなことがあったら辞任するとか言ったみたいですけども、要するに私利私欲が邪魔をしてそういうコンセンサスにいたらないという。それはきっと日本の辺野古でもどこでもあるような構図で、いかにくだらないか。でも、それが人間の持つ性なのかわかりませんけども、当たり前のこと、こうすればよくなるってわかっていながら、個人なり特定の国なりその規模はともかく、その私利私欲が枷になってうまく進まないという。

    まあ、ままならないというのは同じなんだなという、ちょっと虚しさも感じますけどね。じゃあ強権発動してリーダシップをとっていく場合は、どうしても摩擦を起こさざるを得ないだろうから、それはそれでそれが発端になって戦争になっても困るので、そのへんは各国も難しいんでしょうね。いろんな要素がありすぎて。

    ヤス 今ね、プーチンも言っているように、トルコがイスラム国の石油を買ってて、それを現金化して日本に輸出していると。日本のどの石油会社が買ってるかと言うと、三井石油が買ってるんですね。日本まで原油を運ぶタンカーもですね、それからイスラム国が占拠している油田ですね、イラクとシリアの内部の油田を占拠して、そこから出てくる原油を盗んでるわけですけど。その原油をトルコまで運ぶタンクローリーの隊列ですよね。それを経営しているのはエルドアン大統領の長男の会社であると。BMGというね。それはよく知られていることで。

    まあこれから、どんどんそういうの出てくるでしょう。イスラム国にエルドアンファミリーが深く絡んでいるということはですね、これはおそらく疑いがない事実だと思うんです。しかしながら、トルコがイスラム国をなぜ支援しているのか。エルドアンファミリーの私利私欲だけなのかと言うと、おそらくそうではない。私利私欲もありますよ、ただそれはどちらかと言うとマイナーと言うか、あまり重要じゃないほうの理由なんではないかなと思いますね。

    西塚 トルコが支援してるというのは、じゃあどういうことなんですかね。アメリカが絡んでるんですか?

    ヤス アメリカとNATOが絡んでるんですね。EUのほうが絡んでるかな。これはメルマガに書いたんですけど、トルコには悲願があるんですね。それはEUの加盟なんです。トルコは1987年からEUの加盟申請をずっとやり続けていた。ただ全部拒否されてるんですね。

    なぜ拒否されてるかと言うと、たとえばクルド人の人権問題があるではないかと。さらに100年前のね、アルメニア人の虐殺をやったのはオスマントルコだけども、オスマントルコが行なったアルメニア人の100万人以上の虐殺、これを今のトルコは認めてないよねと。その歴史的な責任をどうするんだってこともあるし、それから最終的にですね、トルコのようなイスラム国が果たしてヨーロッパなのかどうかという疑念があるわけですね。

    そのようなことがネックとなってですね、87年からずっと加盟申請してるんだけど拒否され続けてるんですよ。

    西塚 トルコがEUに入りたいというのは、やっぱりロシアの脅威ですか? それとも欧米側にいきたいってことですかね。

    ヤス アイデンティティーとしては自分たちを欧米だと思ってるわけね(笑)。

    西塚 思ってるんだ。トルコがですか?

    ヤス トルコが。たとえば日本だってそうじゃないですか。自分たちをアジアだと思ってんのかと、日本で。むしろアメリカとかヨーロッパに対して極端な親近感を勝手に感じてる。一方的な片思いですけどね。

    西塚 ロシアがオスマントルコを滅ぼしたというその恨みとか恐怖で、ちょっと欧米側にっていう…

    ヤス それもひとつあると思う。ロシアの南下政策で、ロマノフ朝のときからずっとオスマントルコとロシアって仲悪いですから、いろんなところで局地紛争起こしてますから。それはひとつ背景にはあると思いますね。ただ、自立した近代国家として、やっぱり欧米に認めてもらうというのがEU加盟の非常に大きな背景なんではないかなと思いますね。

    西塚 そうなると今回のトルコとロシアの対立は、あれは認めない可能性が高いですね。本当はトルコが折れれば解決するんだけど、謝罪ひとつで済むじゃないですか。まあ済むかどうかはともかく、進むじゃないですか、一歩。

    ヤス だから今回の事件は、あれはやっぱり仕掛けられてたと思いますよね。初めからね。だってスホーイ24も国境線上スレスレに飛んでるわけで、これが国境侵犯があったとしてもですよ、17秒だって言うんですよ。トルコとギリシャって仲悪いんですね。だからお互いに国境線上スレスレにですね、お互いの軍用機がしょっちゅう飛んでる。トルコのギリシャに対する国境侵犯って、8600回とかそんなもんですよね。

    西塚 じゃまあ、よくある話だと。

    ヤス よくある話なんですね。そうすると、トルコには今言った悲願があるんだけれどもと。EUのほうでは、トルコがヨーロッパであるとは考えられないというような潜在的な意識が強くて、1987年からずっと排除されてきた。何度交渉してもダメであって。現在も交渉は頓挫したような形になってるんですよ。

    なぜ予言を実現しようしてしまうのか?

    西塚 そうですか。ちょっと話を戻すようですけども、じゃあそのいわゆるエゼキエル書とか、エノク予言の、エノクは中東のことは書いてないかもしれませんが、その第三次世界大戦にいくシナリオとして重要な別れ道と言うか、ロシアとトルコの関係が今後どうなるか。急転直下で何かよくなるようにはちょっと思えませんね。このままズルズルいくのか、何かそれともアクションが、おそらくロシア側から何かあるのかっていうことですよね。

    けっこうこれは怖いと言うか、あまり楽観できない。むしろネガティブな将来しか見えてこない。なぜこの話をしているかと言うと、やっぱりエゼキエル書とかのいわゆる予言ですね。それで僕はヤスさんのご指摘が重要だと思うんですが、予言があるとして、それを自己実現するかのようなことをしてしまうことが人間にはあるじゃないですか。予言書というのは世の中にいっぱいあるでしょうけども、ヨハネでもいいですよね、聖書関係のハルマゲドンでもいいんだけども、そこでいわゆる原理主義的な人たちは聖書の予言を実現していこうというメンタリティーを持つ傾向がある。

    僕が単純に思うのは、いくつも予言があっていいんですよ。でも、その予言をもし支配層なり、世の中をある方向に持っていきたい権力者がいるとすれば、予言を出してですね、それを民衆に実現させちゃえば一番楽じゃないですか。というような怖さが予言にはあるなという気がするんですね。予言に対する僕のイメージとしては、未来を先取りしてるという部分と、ある種意図的にですね、民衆なり世界を誘導していくという側面が両方あるという印象をずっと持ってたんです。ヤスさんは予言書とか、そういうものに対してどのようにお考えになりますか?

    ヤス いろんな予言があると思うんですけど、今言ったように整理するとふた通りだと思うんですね。ひとつは、いわゆる伝統的な宗教に内在してる予言ですよ。千年王国思想をキリスト教もユダヤ教もイスラム教も持ってますので、そのような神の降臨によって千年王国が創られる。その前に必ずハルマゲドン的な破滅的な現象がある。したがってですね、そういう破滅的な現象というのは、神が降臨して千年王国ができ上がるという最大の予兆なのであると。だとしたならば、その予兆を早期に起こすことによって、神の降臨と千年王国の実現を早めようといったタイプのメンタリティーがあるだろうし、そのような運動にもなってくるだろうと。

    もうひとつ、宗教性とほとんど関係ない予言があります。これは、ときおりいろんなところに出現するサイキックの述べた予言とかが、だいたい中心的なものなんですけども。これが当たるかどうかは別にして、それはやはりその当時の人間に広く共有されている集合無意識、その集合無意識は基本的に何かと言うと、恐怖の対象ですよ。ずっと無意識の中に抑圧されてるような恐怖の対象。それを具体的に象徴的に語ったというのが、第二の予言のカテゴリーなんではないかなと思いますね。

    西塚 そうなると、あるネガティブな怖い予言を読んだときに、あるいは聞いたときに心に残りますよね。嫌だから回避したいし忘れたいんだけども、一回聞いちゃうと、要するに取り込んじゃうと、そのネガティブなシナリオが存在し続けるわけです。そして、どういうメカニズムが働くかはちょっとおいといて、それが現実化していく。あるいは現実化させていくような方向に人は動くときがある。何と言うか、ものすごく矛盾してることなんですけども、避けたいものが、避ければ避けるほど強固に印象に残り、沈殿し、要するに消えないわけですね。避けたいものを自分で引き寄せるか、あるいは自分で作り出していってしまうという。

    個人ならともかくそれが集団になった場合、これはシャレにならなくなってくる。そういう意味では、予言はタチが悪いと言えばタチが悪いですね。特にネガティブな予言は。だから予言は嫌いだし、予言書を紹介したりしても、そんなネガティブなものを拡散するなという意見も確かに一部ではあります。

    でも、そんなことを言ったら、たとえばヨハネの黙示録などはキリスト教の中でも最大のネガティブな予言なわけであって(笑)。となるともう、全人類のほとんどが、かなりネガティブなシナリオのもとに日々生活しているってことになってしまう。

    ヤス そうですね。基本的にそうだと思いますよ。

    西塚 じゃあ、対抗していくのかどうなのかとなった場合に、予言とはそもそも何なのかと。そこからまず始めて整理していかないと、いたずらに怖がったり、真逆のことを言えばもうみんなハッピーになるんだと、日本は何も問題ないよとか、人間はアセンションするんだとかいったような、それも予言なので、そこでファンタジーの世界にどっぷりいくのか、どっちかしかなくなっちゃうじゃないですか。

    そうじゃなくて、その両方をちゃんと検証すると言うか、そういう立場って必要ですよね。それをヤスさんにもお聞きしたいし、今後も話していきたいことなんですね。

    ヤス 僕はユングが好きでよく読むんですけどね、第二次世界大戦に入るちょっとくらい前、1930年代の初めだと思うんですけども、人間自身が実は一番人間のことを理解していないと言うんですね。彼が理解してないと言った人間の側面は何かと言うと、それは集合無意識だと思うんです。

    われわれ自身ね、現実のかなりの部分をわれわれが構成している。作り上げている。ただそれは、引き寄せの法則で作り上げてる…まあそれもあるかもしれないけどね、そういうわけではなくてですね、やっぱり自らある特定のものに基づいて自分が未来をビジョンし、そのような未来の現実化に向かって決定的な形で動いてしまってると。そういった側面はやっぱり否定できないと思うんですね。本人が意識しているかどうかに関わらず。そうした未来のビジョンの源泉を探っていくと、意外にやっぱり宗教的な予言にいき着いたりするってことなんですよ。

    西塚 それは、意識的か無意識的かに関わらず、宗教的な予言みたいなものをどこかで聞きかじったりするってことですか?

    ヤス 文化の中にやっぱりありますから。たとえば学校で習う。学校で習わなくても誰かが言ってる。僕が子どものころ、小学校3年から中1くらいまでアメリカにいたんですけど、やはりですね、ある意味で教会といったものがコミュニティーの生活としてはなくてはならないものなんですね。信者であるかどうかは別にして。信者はだいたい毎週日曜日には礼拝にいくしね、日曜学校みたいのがあって聖書を教えてもらって帰ってくるわけだし。

    信者じゃなくても、たとえばコミュニティーの何かのPTAの会合があると言ったって、それは教会で行なわれたり。また教会のチャリティーのパーティーみたいなものもしょっちゅうあって、そこにいくと別に祈るわけでも何でもないんだけども、牧師や何かがきてて、親しく交流しながらバーベキュー食べたりするわけですよね。

    あらゆる意味で、コミュニティー運動の中心として教会というものが存在している。そのような中でキリスト教の倫理観や思想を信じるかどうかは別にして、そういったものに深く影響を受けるというのは当たり前になってくると思うんですね。たとえばヨハネの黙示録的なものをね、自分が本当に信じるかどうかというのは別問題なんですよ、本来ね。

    しかしながら、自分の文化に内在してて、日常生活の中で当たり前と思ってるようなそうした宗教的な予言のモチーフが、本当に現実性のあるものとして頭をもたげてくる瞬間あるんですね。どういう瞬間かと言うと、要するに予言のモチーフに合致した出来事が起こり続けるとそうなるんですよ。

    たとえばヨハネの黙示録の中に、ハルマゲドンまでにいたる7つのトランペットというのがあってね、そのうちのひとつとして、いわゆるユダヤの第三神殿が建築されるんだと。神殿の丘にね。現在その神殿の丘にはアルアクサ・モスクというイスラム教の寺院が建ってるんですけど、これが崩壊させられて、その跡地にですね、いわゆるユダヤ教の第三神殿が建つと。それは何番目のトランペットかは忘れましたけど、そのうちのひとつとしてあるわけですね。そのような自分の知識があって、それで今アルアクサ・モスクで何が起こってるのかを見たらね、場合によってはこれは予言の実現ではないかと思えてくるわけですよ。

    アルアクサ・モスクで今何が行なわれてるかと言うと、イスラエル国防軍とアルアクサ・モスクの中に立て籠ったパレスチナの若者たちとの、本当に血みどろの戦闘みたいのが起こってるわけでしょ? それが起こっているすぐ外ではシオニストの集団たちがですね、アルアクサ・モスクのところに第三神殿を建てようぜみたいなスローガンで運動をやってるわけですよ。そうした、アルアクサ・モスクがいかに混乱した状態なのかということを何度も見せられると、待てよと。これは場合によっては、第6番目か5番目かは忘れましたけど、これはトランペットではないのかと漠然と思ってくるわけですよね。

    それで本当に、たとえばアルアクサ・モスクを崩壊させるような運動がシオニストの中で起こってね、いわゆるユダヤ教の第三神殿を建てるんだっていうような運動が本格化した場合、これはもう間違いない、われわれはこの予言のモチーフの中にいるんだというような、ある意味で信じ込むような人間が増えてくるわけですよね。

    だから予言のモチーフといったものがもともと前提にあって、それとちょっとでも一致するような現象が多発した場合というのは、本来は別にそのような宗教心がないような人たちでもね、文化的にそのような予言のモチーフが共有されている場合、そのような予言のモチーフに対して極めて強い現実性を感じてしまうということだと思うんです。

    西塚 そうですね。それはあると思います。それはたぶん予言じゃなくてもですね、まあアニメとか普通の小説でも、思い込みの強い読者にとってはけっこうあることだと思いますね。そもそも、じゃあ予言とは何ぞやっていうことですね。そのヨハネならヨハネ様が書いたんでしょう、あるいは言ったということになるわけです。エゼキエルならエゼキエルさん、エノクならエノクさんということになるのかもしれませんけども、それはいったい何なのか。

    要するに、未来を見たっていうことなんでしょう、おそらく。一応、前提としてはそういうことでしょう。私は未来を見てきた。あるいは、未来を見てきたという人から教えてもらった。これはそういうふうに考えればいいでしょうか?

    ヤス うーん、難しいところですけどね。いろんな要素はあると思う。ただはっきりしてるのは、ある特定の文化圏というのは、特定の宗教による影響が大きいわけですよ。だからその特定の宗教が作り出す独特の心理構造というのがありますね。たとえば、ローマカトリックの一般的な文化圏であるならば、キリストを裏切ったユダヤの末裔として、ユダヤ人に憎しみを感じるのは当たり前の感性になってくるんですね。

    それから自分がたとえば他の男性、ないしは他の女性に対してね、よこしまな性欲を抱くと。やっぱりこれはキリスト教的な倫理からしてみれば、絶対に許しておくことができないとなる。そうなると、人間が本来、自然として持つような性欲であるとか、欲望といったものがどんどん排除されてですね、無意識の中に抑圧されるわけですね。暗い力としてね。そうなってくると、やはりキリスト教ならキリスト教独自の人間の独特の心理構造って存在すると思うんですよ。

    西塚 それでちょっと思い出しましたけどね、イスラムの場合は、あれはムハンマドか、ムハンマドが性欲を感じたらしいんですよ。そのときどうしたかって言うと、まあイスラム教自体はもともと何人も奥さんを持てるんだろうけども、外に出て、ムハンマドがムラッときたんでしょうね、それでどうしたかと言うと、家にかけ戻って奥さんと会ったって言うんですね(笑)。だから、そういうことはよくないことだという、何かそういったものがあったんでしょうね。だから人間くさいと言うか、印象に残ってるんですけどね。そのくせ一夫多妻制なので、またそれはキリスト教とは全然違うメンタリティーを醸成していくんでしょうけどもね。その性の問題はひとつありますよね。

    それと予言。予言というものはどう考えればいいのか。しかもそれが宇宙人だったり、要するに地球外知性的生命体か、未来からきた人なのか、過去の古文書にあるものなのか、いろんなパターンがありますよね。でもやっぱり、まことしやかに言われて残ってきてるものは限られてるわけであって、たぶん箸にも棒にもかからないものはゴマンとある気がします。それで、ビリー・マイヤーはまた先の話になりますけども、これまでもいろいろ淘汰されて淘汰されて、いくつかが残ってきてるという感じがするんですね。そのビリー・マイヤーにしろ、キリスト教の聖書でもいいんですけど、出逢う人は出逢って、そこで何かしらインスパイアされて自分自身に取り込んでいくわけですね。

    そのへんをあまり言うと哲学的文学的な話になって曖昧になっちゃいますけど、僕はそこは不思議な気がするんです。でも歴史を見れば、今の特に中東とか、ISのテロとかを見てると、無視できない事柄じゃないですか、予言なり何なりは。というところにまた結びついていくことで、やっぱり予言、プロフェシーというものはかなり重要なファクターであり、ないがしろにはできなくて、ちょっと真剣に考えたほうがいいんじゃないかなという。そんな感じが個人的にはしています。

    予言は集合無意識にある恐怖のシナリオ

    ヤス 今おっしゃったように、予言で残るものと残らないものがあると。確かにそうなんですよ。残るものというのは、その予言の読者にあたるような人々ですね、ある特定の文化圏に生きてるような人々の抑圧した恐怖値と言うか、集合無意識というのがね、それと一致したということ(笑)。だから残るんだと思います。リアリティーを感じてね。まったく一致しないものって残らないですよ、全然ね。

    西塚 となると、これは卵が先かニワトリかみたいになっちゃって、ひょっとしたら、どうなんですかね、われわれが作り出してるとも言えるんですか、予言自体を。

    ヤス おそらくそうでしょうね。その超越的なね、宇宙人か神かわからないけれども、まあ与えたというようなこともあるんだろうと思うけども、ただそれ以上にすごく重要なのは、残ってきた予言というのは、われわれが集合無意識に抑圧した多くの人たちが共通して感じる恐怖のシナリオですね。それを最も象徴的に表現しているから、それが生き残ったということだと思うんですね。それが予言のモチーフになっている。

    そのように予言を捉えると、別に宗教的なものだけではない。たとえばアメリカの予言ってありますでしょ? 「Web Bot」なんてそうだし、それはコンピューターによる感情値の分析ですよね。「Web Bot」の手法は、どちらかと言うとはるかに科学的な方法で、別に何かサイキックであるとか、神のお告げとかそんなことは全然関係ない。感情値と言って、言葉に込められた感情の量ですね。それを解析する特殊なソフトウェアを開発して、それでどのようなキーワードが感情値を持つのか。

    西塚 特にディスカッション的なサイトにスパイウェアを張りめぐらせて引っ張ってくる
    と。

    ヤス 引っ張ってくる。どのような言葉がどのような文脈で最大の感情値を持つのかを検出するんですね。その感情値の中身なんですけど、楽しい、ハッピーな感情値もありますが、ほとんどが恐怖値です。感情値の値が最大になりやすいのは恐怖値なんですよ。そうするとですね、「Web Bot」が表現しているのは、ほとんどの多くのアメリカ人が恐怖のシナリオとして共有しているものということになります。

    西塚 それはですね、僕がバカみたいにいつも言うゼランドに言わせると、恐怖は当たり前なんだと。要するに、恐怖があったからこそ人類は生き延びてきてるわけで、いろんな環境によって死んじゃえば子孫を残せないわけですよね。だから、とりあえず身の危険を感じたときに逃げるとかですね、たとえば自然現象とか、自分より強い相手、自分を殺そうとする相手とかですね、崖っぷちで落ちそうになるとか、まあいろんなシチュエーションがあるだろうけど、そのときに芽生える感情が恐怖であって、恐怖があるからこそ生物は生きてきている。だから恐怖が強いのは当たり前で、とにかく決定的に一番強いんですよ。だから僕は、恐怖値というのはある程度差っ引いて考えなきゃいけないって気がするわけです。

    どういう意味か言うと、普通に日常的な事柄、たとえば明日学校で苦手な徒競走があるとかですね、明日会議でプレゼンがあるとか何とかって言うようなときに、人間には遺伝子的に組み込まれた恐怖心があるから、やっぱりよくないことに反応するようになってるわけですね。自分でネガティブな想定をしてしまう。それはいらない恐怖心だったりするときもあると思うんです。僕が見る限り、ヤスさんはほとんどないんじゃないかと思うんだけど(笑)、自分の恐怖心で押しつぶされちゃう人もいるわけですよ。あるいは自分の力を発揮できない。

    それはもう組み込まれてるからであって、逆にそういうものだと意識すれば、それを取っ払うこともできるんでね。だから、おっしゃるように予言は、そういう恐怖という一番強い感情が凝縮されたようなものだと。だからこそまた力を持つんだろうけども、そこはもうちょっと客観視できるような術があってもいいのかなと思います。

    ヤス そうなんです。実はね、客観的に見るための術が予言だってことだと思いますよ。たとえば「Web Bot」というのは、アメリカ人がどのようなことに一番恐怖を感じているかってことですよね。ドルの暴落によってハイパーインフレが起こって誰も食えなくなると。それでアメリカ自体も第三世界化してくるといったようなね、ある意味で貧困の恐怖ですね。その結果、その過程の中から大きな革命が起こって、第二のアメリカ国家が生まれてくるといったような、これはまあある意味で希望のシナリオなんですけども。

    いずれにしろですね、「Web Bot」が表わしているものは、アメリカ人が一番避けたいと思ってるシナリオですよ。それは「Web Bot」のみならず、実はアメリカは将来的にはこういうことになるんだと言ったような、サイキックが行なってる予言とほぼ同じ内容なんですね。アメリカにもたくさんサイキックがいますからね。サイキックではなくてね、将来のアメリカはこうこうこういうふうになるんだ!といった、極めて恐怖値の高い未来のビジョンを喧伝しているような、言ってみれば予言者みたいな人はたくさんいるんですよね。ほとんど同じシナリオですよ。

    そのようなシナリオを見ると、まさにアメリカ人が集合無意識に一番恐怖の対象として抑圧してるようなシナリオなんだなと思いますよ。したがって、それを表わしたのが予言だろうなという感じがしますけどね。

    西塚 ちょっと話がはずれちゃうかもしれませんけど、ヤスさんに整理してもらおうかと。予言と予知は違うんですよね?

    ヤス 違うと思います。

    西塚 予想の予の予言と、預ける預言もまた違うでしょうし。

    ヤス 預ける予言は違う。明らかに。

    西塚 あらかじめの言葉の予言と、予告とか予知も違うんですよね? そのへんちょっと整理して…

    ヤス あんまり僕も整理されてないんですけど。ただちょっとね、この延長で話しますね。

    だからね、やっぱりサイキックの人たちはいると思う。ただそのサイキックの人が何を見てるかと言うと、やはりですね、多くの人たちの集合無意識の中身を考えてるんじゃないかと思いますね。そこに見えてるものというのは、恐怖のひとつのシナリオなので、それをひとつの予言という形で発表するってことだと思いますよ。またその予言という形で未来を予知するわけですね。

    西塚 それはヤスさんがメルマガとかブログで言ってらっしゃるようにね、ネガティブな予言が起きないというのは、予言を顕現させると言うか表に出すことによって、自分の恐怖の対象を見られると。意識できるというところで回避作用も働くということで、予言の功罪じゃないですが、別に怖がらせるという意味だけじゃなくて、むしろそういう負のシナリオを回避するような方向に持っていくという意味でも、予言がひとつ役割を果たしているんじゃないかという話がありますね。

    ヤス そうですね。だから言ってみれば、何か超越的な存在みたいのがね、未来はこうこうこうなってくるんだという形で提示してるんではなくて、それはまさにわれわれの内面を見てるんだということですね。

    それで、ちょっと予言が怖いのは、本来それはわれわれの内面で共有されているような共通の恐怖のシナリオであるにも関わらず、それを示唆するような現象が実際にいくつか起こってきた場合にね、今われわれは、逃れられない破滅に向かってるんだってことを信じる人間も多くなってくるわけですよ。そうすると、破滅するということを前提にして人間は活動するようになってくる。それは場合によっては、その活動自体がね、自己実現的な予言になってくるということだと思います。

    西塚 そういうことですよね。だからまた戻るようだけども、これまでのヤスさんの論旨の中には、予言はそういうものを回避するためにもあるんだという話があるじゃないですか。だから、そうなると僕もちょっとわからなくなってくるのは、予言の意味合いですよね。ひょっとしたらですよ、高次元か、あるいは自分たちで引っ張り出したものかはともかくですね、人類って言ってもいいでしょう、個人でもいいんだけども、ネガティブな方向にいかないようにさせるためのある種の可視化された負のシナリオであって、そっち言っちゃいかんぞというものを、あらかじめ見せてくれてるって言い方もできますよね。

    ヤス そうですね。

    西塚 それに、たとえば神とかインチキ宗教とか、何かのバイアスがかかってくると、これからはこうならなきゃいけない、しかもそのあげくの果てには千年王国がきたりとか、あるいはカルマが解消できたり、そういったハルマゲドンのようなガラガラポン!のあとにわれわれは、あるいは自分は救われるんだから、それはしょうがないんだというものを植えつけられちゃうと、自己実現的にその負を通り抜けようとしますよね。

    ヤス そう。だからむしろ早いうちにその否定的な恐怖のシナリオを実現することによって、つまりガラガラポンを早期に実現することによって千年王国にいくというようなね。

    西塚 ISのテロなんてのはそのショートバージョンと言うか、今そういう感じなんじゃないんですかね。

    ヤス だと思いますよ。イスラム国の戦闘要員がテロを起こすってそうだと思いますよ。

    西塚 ですよね。そのイスラムのそういったメンタリティーと言うか、ある種の希望をかけてるのかもしれないけど、でもガラガラポンを早めることによって社会的恐怖がまき散らされて、その社会的な恐怖をキリスト教の信者たちが見て、また自分たちのシナリオに合わせてガラガラポンをやり始めるというふうになってくると、みんなが負の予言を飲み込んでいってもう破滅しかなくなってくる(笑)。

    ヤス そうです。だから自ら破滅を招くんですね。なぜ自ら破滅を招くかと言うと、破滅すると思い込んで行動するからですよ。

    西塚 そこでね、そうじゃないだろうってことですよね。

    ヤス そうです。それは自分の内面から出てきてるってことをやっぱり見なくちゃならない。だから自分の内面のダークサイドを見るための鏡なんだと。予言というのは。

    超越的な力は個に内在している!

    西塚 たとえばエノク預言なんていうものは、前回もずっとお話してますけども、ビリー・マイヤーからもたされた。しかも1987年ですからね。そこに負のシナリオがあるんだけども、それはむしろ回避させるためのシナリオとして可視化されてるとも言える。だから、そもそも予言とはどういうものなのかということを考える意味でもね、やっぱりビリー・マイヤーに戻らざるを得ないと言うか、まずは軸に立てると。そこから検証していってもいいんじゃないかなということです。

    ヤス だから、これは何度も同じことをわれわれは喋ってるんだけども、要するに予言の実践や自己実現してしまうような心情っていうのは、極めて危険な意識ですよ。危険ですよね、これ本当にね。

    西塚 危険ですね。僕が今思うのは、まあシナリオがあるとしますよ。どんな予言にせよシナリオがあるんだけど、もうそのシナリオだけに則っていく人って、そういう純粋な人もいるだろうけど、あんまりいなくてですね、自分の今までのルサンチマンとかトラウマとか、ものすごくネガティブなものを全部そこに押しつけて一緒に晴らしていくと言うか、解消していくというようなマインドの人たちなんじゃないかなと。

    しかもひとりじゃないわけで、各自ひとつの予言に従っているように見えながら、実はそれぞれがオリジナルに抱えてるいろんなものを全部引っ張り出して、まとめて発散していく可能性もあるわけで、そうなったらもう止められないという。

    ヤス 止められない。だから予言のシナリオに則って自分が活動している場合、その予言のシナリオと言うのは世の中の破滅ですが、世の中の破滅を早期に実現すると神が降臨して千年王国に入る。それは自分自身が救われるということですよ。自分自身の救いを早めるがためにね、ハルマゲドンを早期に実現したいというメンタリティーになってくるわけですよね。

    だから自分のダークサイドを見てるわけです。全部ね。自分のダークサイドの自己実現をしようとするという努力は、ダークサイドの集合無意識の中に埋め込まれたシナリオを本当に現実化してしまうという結果にならざるを得ない。そのようなサイクルに一回入ってくると、ほとんどコントロールつかなくなってくるわけですね。おそらくね。

    そのようなわれわれの最もネガティブな意識状態から、われわれはどうやってそれを超克して脱することができるのかということね。

    西塚 やっぱりそれしかないし、その話しかしてこなかったと思います。先ほどおっしゃったように、予言に沿った行動を起こすことが、結局は自分が救われたい、自分の自己実現をしたいということだとすればですよ、その予言に従う方法というのは最悪な方法であって、他に違うやり方があるはずだし、あるんだぞと。

    そのひとつが、今のところはカッコつきですけどもビリー・マイヤーの書籍に著わされているような、ある種の思想、哲学、考え方というものの中に、少なくとも負の予言に従ったり宗教的なものに従っていくようなものではない、むしろ真逆の方法があるということをまず言いたいですね。それを打ち出していきたいと言うか、予言とか宗教だけじゃないよってことです。

    ヤス そうそう。だから、今言ったことを逆にパラフレーズすると、いかに人間が自分自身の内部のネガティビティーを乗り越えられるかってことですよ。だからそれを特に予言なんていう形で、その内部のネガティビティーを放出するとね、逆にむしろ内部のネガティビティーをどんどん放出して、それを拡大再生産するようなことになってしまうってことですよね。

    西塚 いろいろ巻き込みますしね。

    ヤス 巻き込みます。人間がどうやってその内部のネガティビティーを乗り越えていけるのか。また乗り越えていけるような意識状態とは何なのか、ということですよね。そうすると、われわれが準拠すべきだと思っているビリー・マイヤーが何を言ってるかと言うと、ひとりひとりが実はその内面に超越的な偉大な力を持っているんだと。それは宇宙そのものを創造した、創造的なエネルギーの一分化なんだと。それにどのようにアクセスするか。アクセスすることによってでき上がってくる新しいタイプの意識ですね。

    西塚 外部にはないということですよね。

    ヤス 外部にはない。外部にはないその意識ね。われわれひとりひとりに内在してる新たな力というのは、まさにその個の中にしか内在しないわけですよ。民族の中には内在してないわけですね。また国家の中にも内在してないわけですよ。それはひとりひとりの個の中にしか内在してないわけです。

    というふうに考えると、たとえば日本民族を非常に特殊な民族として持ち上げたりね、ある特定の国家を偉大な国家として持ち上げたり、そして持ち上げた民族とか国家の中に個を埋没させて組み込んでいく思想というのは、ほとんどすべて間違ってるってことになりますね。

    西塚 さらに言えば、あるスピリチュアル的な自給自足の自主共同体があったとしても、それもちょっと危ういかもしれませんね、そういった意味では。

    ヤス そうです。だからやっぱりね、立ち返るべきところは個なんだと思います。

    西塚 個であるということですよね。

    ヤス 個の中に内在しているようなこの力の源泉を発見するのは、これは個なんだということ。その個をですね、別な実体の中に埋め込んでいく。個の上位にあるような存在を実体化して、民族にしろ国家にしろ、何かの共同体でもいいんですけど、その中に個を解体して埋め込んでいくような思想の流れというのは、ことごとくマイナスなんだと思いますね。個の覚醒を遅らせるってことだと思いますよ。

    西塚 そうですね。本当にそこから核心に入っていくしかないんですけどもね。僕がこれまでに読んできたものの中に、やはりビリー・マイヤーに近いものがいくつかあるんですね。だから、それぞれを具体的に照らし合わせながら、そしてヤスさんに質問をぶつけながらですね、それは違うんじゃないかとか、要するに差異を検証することによって、逆にビリー・マイヤー的な思考があぶり出されると言うか、際立ってくると思うので、そのへん対話の仕方とか、キーワードの出し方も一週間またちょっと考えたいと思います。もっとより具体的にやっていきたいですね。また来週おつき合いいただければと思います。どうも今日はありがとうございました。

    ヤス こちらこそ。どうもどうも。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

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    また、私はいま日本で起こっている変化を以下のようにとらえております。もしよろしければこちらもどうぞ。

    12/17のツイートまとめ

    ytaka2013

    スタップ細胞は細胞を酸で刺激して幹細胞をつくるようだが、ネイチャーのこの論文は損傷を与えた細胞から幹細胞ができることを証明したようだ。
    12-17 17:33

    なんと、スタップ細胞と同じような細胞が発見された可能性がある。ネイチャーに掲載された論文だが、海外では大騒ぎになっている。日本ではまったく報道されていない。https://t.co/XUKhDvnJ3x
    12-17 15:38

    酔っぱらいオヤジの「Spiritual Meeting」第23回

    12月17日

    まぐまぐ大賞2015が始まりました!よろしかったらぜひ推薦を!

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    次回の有料メルマガの予告

    12月18日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、まずシェールオイルバブルが破綻する可能性を簡単に見て見る。次に、アメリカがロシアに対して持つ常軌を逸した敵愾心の背景と源泉をもて見る。思っても見ない歴史の闇に埋もれたトラウマと怨念が存在する。これを二回に分けて掲載する。今回はその前半である。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

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    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第22回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第21回のご案内

    ヤスの勉強会」の第21回を開催します。やはり、パリの同時テロ、ロシア軍機の撃墜など予想を越えた事件が相次ぎ、世界は一層混沌としてきました。今回は2016年を本格的に展望します。

    【主な内容】

    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・ロシアと欧米、そしてトルコとの対立の行方
    ・超社会主義に向かう道
    ・日本の今後と未来
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

    よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:12月26日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

    いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    1月16日、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第二回目のパートナーは前世リーディングの高橋善則さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
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    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第23回

    oyaspi23

    西塚 「酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting」の23回です。乾杯しましょう。よろしくお願いします。 

    ヤス どうも、よろしくお願いします。

    西塚 いや、雑談から流れてきてますけども、昨日は勉強会お疲れさまでした。

    ヤス いえいえ、こちらこそ。

    西塚 今月はパリのテロもありましたし、いろいろなお話が出たのでしょうが、先ほどの話に戻るようですけども、何かいきなりキツイと言いますか、日本は滅びると(笑)。あえて挑発的と言うか問題提起としておっしゃってるんでしょうけども、このままいけば間違いなく日本は滅ぶなと言う話をさっきまでしてまして、ちょっとそれをもう一度話していただけますか? まあ印象なんでしょうが。

    こままでは日本は滅ぶ!

    ヤス そうですね。印象をちょっとだけ超えた部分があるのは、たとえば60年代からずっと90年代ぐらいにかけて、日本国内で一般的に出てくる議論は何だったかと言うと、日本はいかにダメな国家か(笑)、いかにこの国には問題点が多いのかってことだったと思うんですね。自分の国がダメだと非難ばかりしてて、なぜわれわれ日本人は自分の国に誇りを持てないのかということが言われていた。

    でも今考えてみると、そういうメンタリティーというのは実にヘルシーなメンタリティーだったんじゃないかと思うんですね。なぜかと言うと、現実と向き合ってるからなんですね。かなり厳しい現実と向き合ってるから、乗り越えなくちゃいけない問題が多々あると認識しているという状態なんですね。あれも問題これも問題と。だからわれわれの国はダメなんだと。だからもっと努力しなくちゃダメだと言ったスタンスと言うか、メンタリティーだったんではないかとは思います。

    だから、それは自虐的でも何でもない。実にヘルシーなメンタリティーですね。特に日本という国にとってはそうだったと思います。それがですね、21世紀に入ってからどんどん日本が負け込んでくる。決定的になったのは3.11ですね。あの津波と福一の放射能漏れの事故は、僕はその後の日本人のメンタリティーが大きく変わるある意味で転換点だったのではないかと思います。

    現実に向き合ってそれをどう乗り越えてくかというようなメンタリティーではなくて、まずですね、自分の心地いいファンタジーを作ると。そのファンタジーは何かと言うと、自分の文化とか国がいかに偉大であるかといったようなもの。国の偉大性、文化の偉大性のファンタジーを作る。第二にですね、そのファンタジーの中に籠もるわけです。籠もることによって、第三に現実を直視しなくてもいいような状態を作ると。

    西塚 ダチョウが砂の中に頭を突っ込むというヤツですね。

    ヤス そうです。それから第四に、そのファンタジーと矛盾するような現実が出てくると、そうした現実は存在しないかのごとく現実そのものを報道しない。現実のそのものの存在を否認するという状態になるわけですね。

    西塚 なかったことにしちゃうわけですね。

    ヤス この4つの条件がすべてそろった段階というのは、歴史を見るとね、あらゆる文化、あらゆる国が衰退する最終局面なんですね。それは歴史上あらゆる文化の中で見られる局面だと思います。

    今、戦後に作り上げた豊かで非常に高度に経済が成長した、ある意味で先進資本主義国の完成系に近いこの日本が衰退する最終局面に入ったんだと思いますね。3.11で僕はそうなったと思う。最終局面に入る選択をわれわれはしてしまった。ファンタジーに籠もるぞ!と(笑)。幻想の中に籠もって現実をわれわれは見ないぞと。

    西塚 そうなると、第二次世界大戦を経てあんなバカなことはもうやりたくない、戦争は二度とゴメンだっていう人たちがまだ存命中で、生々しいトラウマがある限りは歯止めになったけれども、それが薄れたら危ないって話がありましたね。

    全世界的に国単位でもそうであって、個人でもそうであるという。キーワードはトラウマでしたが、トラウマということは現実ってことですよね。こういうことをしでかしてしまった! あるいは前回のユングの話でも、患者が昔、おとうちゃんにこんな目にあわされてしまった!ということをずっと封印はしてるんだけども、やはりそれは、トラウマという現実に向き合わない限りは解消できないということでしたね。

    となると、今のヤスさんのお話だと、日本人は「ジャパンアズナンバーワン」から引きずってるような、あるいはもっと遡ってですね、いろんな日本の歴史をほじくっていいことばかりを集めてきて、そこに立て籠ると。グローバルな世界の中で日本がいろいろ抱えてる現実問題を全部ネグレクットして、かつては理想の国家だったし、今もそうだというファンタジーを作り上げて、そこに入っていってるという。

    ヤス そうです。だから言ってみれば、北朝鮮のプロパカンダと同じような感じですよね。

    西塚 それは安倍がやってる云々じゃなくて、われわれがそれを選択してるということですか?

    ヤス われわれが選択した。選択しない限り安倍政権みたいのものはできないですよ。

    西塚 そういうことですねえ。

    ヤス いくつかの条件が作用した。第一に前回お話したようにトラウマがまずなくなった。トラウマを共有するような世代がどんどん亡くなってきた。経済的繁栄に埋没してね。どのような感情を持つことがどのような危険性をもたらすのか、また国粋主義、ナショナリズムに走ること、国粋主義という感情を持つことがどのような破壊にいたったのかという、身体的トラウマを共有している世代が亡くなったということね。トラウマが極めて薄くなってきたということが、ひとつ条件としてあると思う。

    トラウマが薄くなってきたので、特に3.11後の状況は、ファンタジーとしての偉大な日本の中に逃げ込むことによってね、現実を見ないようにするという選択をしやすくなったんだと思いますね。

    戦前の記憶を持つ人というのは、日本万歳的な、大和民族万歳的なファンタジーの中に籠るということが、最終的にどれだけの破壊をもたらしたかということをよく知ってるわけですよ。戦前、戦中もそうですね。戦況の記録が全部折り曲げられて大本営発表できますでしょ? さも日本軍が勝ってるかのような幻想を作り上げるわけです。そしてそうした幻想の中に籠るわけですね。われわれは八紘一宇の偉大な日本帝国を作っているんだと。神の国の日本帝国なんだと。だから世界を制覇することは当たり前なんだといったような、心地よいファンタジーの中に自分が籠ってしまう。

    籠ることがどれだけの破壊をもたらし、どれだけ自分たちの生活の糧が奪われる状態になったかをよく知ってるわけですよ。だからちょっとでもそのようなファンタジーに籠ろうものならね、それに対する身体的拒絶反応があった。そういう世代がいなくなったってことですね。だから簡単にファンタジーを選択する。

    日本人の傲り

    西塚 となると、あの2009年、10年の民主党というのはチャンスだったですね。

    ヤス チャンスだったですね。本当に。

    西塚 鳩山(由紀夫)さんも本当にくだらない政治献金問題あたりでケチがついて、まあ沖縄の問題もありましたけども、最低でも県外とか。あのへんからいろいろこう崩されていっちゃったんだろうけど。

    あのすぐあとに3.11ですからね。菅(直人)のわけわからないやり方でどんどん…今の安倍政権に代表される自民党はことあるごとにいかにもネガティブな言い方で、あのときの民主党がこうしたああしたというような負のイメージで語りますが、実は全然そうではなく、ある種よりよき方向へ向かう端緒をつかんだと言うか、可能性のひとつであったのに、今じゃ、そら見たことか的な、あの民主党に戻っちゃいけないみたいなすごいネガティブなことになってませんか? 前提として。

    ヤス いやいや、そうです。だから言ってみれば、偉大な日本を傷つけたみたいな感じで見られるわけですね。国賊民主党みたいな感じで見られるんですけど、ところがどっこい、別に僕は民主党支持者というわけではないんですが、視点を変えてみると全然そうではないと。

    当時の鳩山民主党が何をやろうとしていたか。鳩山さんもいっぱいミスは多いですよ。すごくミステイクが多い人なんですけど、基本的なコンセプトとして何をやろうとしたかと言うと、やはり現実と向きあった。現実と向き合った場合、日本というのはもはや成長限界を迎えた資本主義の成熟経済だと。それがどうやって今後、現在の日本国民の生活水準を失わないでね、持続できるかということを考えようとした人ですね。それに対するモデルを作ろうとした人ですよね。

    西塚 いわゆる地域分散型ですよね。

    ヤス 地域分散型。地域持久圏経済というのかな。そういうものを作ろうとした。

    西塚 僕も何と言うか、華やいだと言うと大げさかもしれないけど、わりと明るい気持ちになりましたよ。日本にもこういう政党がいて、そっちの方向を目指せるんだと。かなりのパーセンテージの国民がそう思ったと思うんですよね。

    ヤス 確かに。でもね、当時の国民の反応の仕方を見たら、たとえば鳩山さんの所信表明演説。「新しい公共」という概念を唱えるわけですね。新しい公共という概念こそですね、地域を主体とした自給圏経済の旗揚げみたいなものだったと思うんですけど、徹底的に日本国民がそれを叩きましたね。

    西塚 特に大企業系と言うかですね、僕も巷の飲み屋ですけどもね、あのころTPPも含めてものすごい大議論になるわけですよ。僕が否定されるんだけども、みんなだいたい大手のところに勤めてましたね。製造業とか、輸出産業。そのへんの人たちはもう話にならないですよね。どっちがいい悪いじゃなくて話がかみ合わないんですよ。まったく。あれは参ったなあって記憶がありますけどね。

    ヤス だからさっきの東芝とシャープあたりのね、日本の家電産業の衰退。サムソンとかLGにやられたその衰退というのがひとつの例なんですけど。日本の技術水準が偉大なんだと。これで売れないわけがないといったような、はっきり言ってどうしようもない幻想の中に入ってるわけですよ。現実を見ろと。

    西塚 その話は「videonews.com」で知ったのですが、かいつまんで言うと、東芝と日立はまあ世界一を誇る技術を持ってると。実際、テレビなら解像度とかね、いろいろな性能は抜群なんだろうけども、それにあぐらをかいて全然海外でのマーケティングをしてこなかった。その結果、海外市場では韓国のLGとかサムソンに全部やられちゃったと。なぜならば、サムソンとかLGは一年ぐらい社員を現地に派遣させて、そこに一緒に現地人と生活させて、そこでいろいろ調査させる。その国の国民には何が不足で何が求められているのか。

    たとえばインドであれば泥棒が多いから、冷蔵庫には鍵がかからなきゃいけない。あとテレビで言えば、インドの国民はみんなクリケットの競技を観ると。でも長くて6時間7時間もやると。ずっと見てるわけにはいかない。裏のチャンネルでは観たいドラマもある。でも気になってしょうがない。だから韓国企業は、画面の上にクリケットの現在の結果報告を映すようなテレビを開発する。そしたら当然みんなそっちのほうを買うわけですよね。

    だからマーケティングと言うか、要するに消費者側ユーザー側に立った視点ですよね、単純に。物売りの基本じゃないですか。それでその番組に出演してたコンサルタントが、東芝だかNECにそれを伝える。海外ではこうこうこうなっていると伝えて、その会議の場で御社のマーケティングはどうなってるんですかと聞くと、いや、われわれにはマーケティングの部署はないと。東芝もNECもそうだったらしんですが、ないと。何でないんですかと言うと、そんなものは必要ない。なぜですか? われわれが作ってるものは世界一のものだからだと(笑)。売れないはずがないんだという論理ですよ。

    ヤス いやあのね、世界一の技術ってオーバースペックなんですよね。市場のニーズに合ってないんですよ。あまりにも細かすぎてね。使わなくてもいい技術。なくてもいい技術なんです。

    最近、インドネシアの高速鉄道で新幹線をどんどん売り込んだわけですけど、最終的には中国の高速鉄道に負けましたよね。負けた一番大きな理由と言うのは、インドネシア政府はあまり予算を使いたくないと。高速鉄道を建てるのは民間企業なんですけども、民間鉄道の政府保証が必要になるかどうかがポイントだった。

    日本政府の場合は政府保証を要求したんだと。それに対して中国の場合は政府保証を要求しなかったというような政治的対立だって言うんですけど、よく見るとそうじゃないんですね。それもひとつありますよ。そうではなくて、明らかに新幹線がオーバースペックなんですね。そこまでのスペックって実はインドネシアの要求にあってなかったってことなんですよ。

    西塚 そうですね。しかも価格を下げなかったらしいですよ。単純に中国が下げたらしい。日本ほど優秀じゃないんだけど、あなたの予算に合わせますよと。安かっんですね。じゃあ、そっちにしましょうって言う、単純にそんだけの話みたいですよ。だから日本も下げればいいんだけども、下げない。プライドもあるし、確かに優秀らしいですよ。でも、オーバースペックだったっていう。

    そうなると80年前後のですね、ビクター対ソニー、VHSとベータですね。ビデオ戦争。当時僕も本を読んで面白かったんですけど、負けるわけないんですよ。僕もいくら読んでも絶対ソニーだろうと。全然、優秀なわけですね。それが一番でっかいマーケットのアメリカで何で負けたかと言うと、アメフトが録れなかったんですね。3時間とか4時間やるわけですね。ベータは2時間だったかな、ちょっと忘れましたがそのくらいですね。でもVHSは画質は落ちるんだけど、最大で6時間かそのくらい録れる。一発で録画できるのでアメリカ人はVHSを選んだと。

    さっきのインドの話と似てますね。ソニーは技術にすごく自信があったわけで、録画時間じゃないだろうと。画質だろうと。でもそうじゃなかった。録画時間なんです。ベータはかなり質がいいにもかかわらず、滅んでいくんですよね。今まったく同じことやってるんですね。

    ヤス マーケティングがなかったというのは、さっきのインドネシアに対する新幹線の売り込みにも通じるところがあってね。よくインドネシアにいってる日本人のコンサルタントがいろんな記事を書いてるんですよ。面白いのはね、ジョコ政権になったと、今年ね。ジョコ大統領の政権になってから、実は公共投資の大幅変更があった。

    今までのインドネシアと言うのは、いわゆる政府が大規模な投資を行なって国家の威信をかけたね、大規模プロジェクトが圧倒的に多かったんだと。それに対してジョコ大統領は何をやってるかと言うと、大規模プロジェクトを全部見直して、現地の住民のニーズに合うものだけを選定してるっていうんですね。そういう流れなんだと。

    それで、ジョコ大統領政権から見たときにね、現地のニーズに合わないような無駄な大規模プロジェクトは全部放棄されてて、その代わりにですね、都市インフラの整備であるとか、交通網の整備であるとか、現地の国民のニーズに合うプロジェクトがどんどん強化されてきてるという流れに入ってると。

    そのようなジョコ政権の政策を見るとね、新幹線が支持されないのは当たり前だろうと(笑)。それは初めからね、このプロジェクトに参加する前からわかってるはずだと言うわけね。それは言ってみれば、マーケティングができてないというのと同じことです。

    西塚 同じですね。なるほど。こう言っちゃ何ですけど、僕も一応日本人ですからね、贔屓するわけじゃないんだけど、そのへん本気になってマーケティングやれば日本人は優秀だと思うんですよ。

    ヤス いや、優秀ですよ。

    西塚 だからそれをやらないのは、やっぱり傲りですよねえ。

    ヤス 傲りです。それね、50年代、60年代、70年代、もっと言えば80年代までは日本人はやってたんですね。徹底的に。

    西塚 やってるし、日本に来て外人が驚くのは過剰なサービスですからね。徹底的にユーザーに過剰なぐらいに気を遣って、配慮して、電車の中ではアナウンスがバシバシあるじゃないですか。ホーム降りるときだってどうのこうの、イギリスだったら「Mind the gap」くらいのもんですよね。それをガンガン言うと。そういうものを持ってるんだから、本当はどんどん輸出でも何でも、製造業でもトップを走ってもいいはずなのに、やっぱりちょっと慢心したんですかね。何なんですかねえ。

    ヤス いや、今言ったように、ファンタジーの中に籠っちゃうんですね。単純な傲慢じゃないです。自分では傲慢って意識してないですよ。意識しないから怖いんですね。技術は一番優秀であると。日本がいかに優秀かというファンタジーを一回作り上げて、そのファンタジックな世界の中に籠ってしまったら日本人は怖いってことなんです。なかなか外に出てこない。たとえば「ピーピングライフ」という有名なテレビ番組がありますけど、日本人のオタク的な日常生活を集めた優秀なビデオですが、やっぱりね、日本人の一番突出したメンタリティーというのは、自分の作り上げたファンタジーの世界の中に籠ったら出てこないってことですね。

    西塚 まあ、オタクってことですね。

    ヤス オタクなんですね。あれ、ほんと怖い。

    西塚 それがエンターテインメントのソフトとしてパッケージ化されて、輸出されて楽しまれるぶんにはいいんだけども、国がらみとかですね、国際的なところでみんな競争しなきゃいけないのに…(笑)。

    ヤス やっちゃうと、もうヤバい。でも、すでにやってるわけで。一度籠ったら本当にね、最終的な破壊まで進むんですよ。

    西塚 それはどうなんですか。ちょっと冗談っぽい言い方になっちゃいますけど、じゃあ日本国自体がですね、世界のオタクだとするじゃないですか。国レベルで。そのときの日本国としての再生とか復活はないんですかね?

    ヤス ないですね。だから日本の歴史なんかを見てるとね、破壊と復活ですよ。だから籠ることが不可能だというところに追い込められないと無理だっていうことでしょうね。

    西塚 そう言った意味では、また違う言い方をしちゃえば、じゃあ日本はそれで破壊されても違う形で何か復活するだろうと。それが今の日本の姿と同じじゃないかもしれないんだけどってぐらいの話ですね。いずれにしろ滅びると。このままだと。

    ヤス このままダメになるでしょう。あらゆる意味で。だからアメリカのようにね、内部に籠ってダメになって、ダメになったからって、よし!みんな頑張ろう!俺が間違ってた!って言って復活するメンタリティーじゃないですね。ほんとに。

    現実逃避の装置としてのスピリチュアリズム

    西塚 この間ですね、まあすごいお疲れだったんでしょうけども、安倍さんが何かの会議で、たまたまTVで見たんですけど、何かちょっと遅れてきて、慌ててパッとこう席に着いて…

    ヤス ああ、プーチンのね。

    西塚 いや、あれではなくて、日本のどこかの小さな会合ですね。そのときの顔が虚ろで、大丈夫かなって感じだったんですよ。まあ相当疲れてたんだとは思うんだけども。何かね…

    ヤス 今の安倍さんは虚ろですね。顔変わった。

    西塚 自分で何やってるか、わかってらっしゃらないんじゃないかなと思いたくなるくらいの感じだったんですよ。心ここにあらずって感じですよね。ちょっと不安になったんですけども。

    ヤス 戦前の歴史、明治維新以降の歴史というのは、たとえば明治10年代、20年代、いわゆる日清日露の戦争で成功するわけです。成功してからですね、だんだんだんだん現実感覚を失ってくるわけですね。日清戦争が起こった1894年から95年。日露戦争は1904年から5年になるんですけど、日清日露の勝利と言いますかね、一応形ばっかりだったんだけどひとつの勝利をすると。それから第一次世界大戦で一応戦勝国の中に入れられる。その過程ですね、だんだんある意味で傲慢になってくる。自分たちの作り上げたファンタジーの中に籠るような傾向が出てきて、決定的に籠るような傾向が出てきたのは、面白いことに1923年。関東大震災以降ですね。

    西塚 同じですね、じゃあ。

    ヤス 極めて似た歴史を繰り返してると思いますよ。

    西塚 そうなると、このあと恐慌がくるわけで(笑)。

    ヤス そうです。恐慌がくるわけで、恐慌がくるとどうするかと言うともっとファンタジーの中に籠るんですよ。現実がなかったことにしようという状態になるんですね。なかったことにしようとするから、まともに恐慌という危機的な状態に対処できない。対処できないともっと悪化する状態になるんです。

    そのようなことを繰り返している結果どうなるかと言うと、ファンタジーに籠ることすらもうできないという状態に追い込まれていく。そこまでいったときに初めてね、俺は何をやっていたんだとシラフに返る。シラフに返ったときというのは1945年のあの敗戦だったと思うんですよ。あれだけの焼け野原を経験してシラフに返るんですけど、私はシラフに返ったというある意味「シラフ宣言」みたいなものが、たとえば坂口安吾の「堕落論」みたいな作品だったと思いますね。

    西塚 あれは感動的でした。堕ちよ、というヤツですね。

    ヤス 今までのすべてのファンタジーをそぎ落として、原点に戻ろうよってことですよね、
    あれね。

    西塚 田原総一郎も言ってましたが、敗戦を機に鬼畜米英から真逆になる。本当に大人はもう信用しなくなったって言ってますけども。あの感じですよね。まったく逆転してしまう。そのぐらいいいかげんなものだったっていう。そのトラウマがあの世代にはまだあるんですよね。でも大きな声にはなかなかなってこない。経済的な繁栄をバックにして声もかき消されつつあって、もうほとんど亡くなってきてる状況。

    ヤス まあそうね。爺さん、婆さんですね。どんどん亡くなってきてる人たちが多いので。

    西塚 メディアで力を持つ人も少なくなってくるし。安倍さんなんかは僕らよりちょっと上の世代ですよね。強引に結びつけるわけじゃないんだけども、そこでさっきヤスさんがね、前からずっと言ってるように、トラウマに向き合わなきゃいけないと。ユングの話も含めて出てきました。でも、それを向き合わないようにさせると言うか、意識的か無意識的かはわからないけども、ある種のスピリチュアリズムがあって、それは引き寄せの法則ですとか、アファメーションでもいいですが、要するに、こういうことをすれば現実に向き合わなくても済むというような装置がいくらでもある。それが今、隆盛を誇っている。

    ヤス そうですね。それが現在の日本のスピリチュアリズム文化の根幹にあるものですよ。日本に限ったことでもないのですが。いかに現実を直視することを回避できる装置を作り上げるかってことですね。

    西塚 たとえばそういった意味の自己啓発とかですね、あれはやっぱりご多分にもれずと言うか、欧米のほうが、特にアメリカが進んでるんわけじゃないですか。流行った時期も早いし。ということは、それだけ苦しんでた人もいたんでしょうけども、日本はあまり関係なかったと言うとへんですが、一部ありましたよ、オカルトブームとかもちろんあるんだけども、そこまでいかなかったと思うんですね。産業にしてもそんなに大きなものではなかったと思うんです。

    ここにきていきなり…まあオカルトブームみたいなものは、第一次とか二次とかって言われるようなものはありますけども、今は最大の産業になってるんじゃないでしょうか、おそらく。何でそうなったんだろうなと。アメリカで流行ったような形なのか、それともさっきヤスさんがおっしゃったようなね、ファンタジーに籠るという、一億総籠りみたいな、総オタク化したところとリンクしたのか。そのへんはどう思われますか?

    ヤス 僕は総オタク化したところとリンクしたと思いますね。やっぱりアメリカのスピリチュアリズムは、それは危険な面はあるんだけども、たとえば自己啓発であるとかね、それも全部スピリチュアリズムに含めるんだったら、ある意味の合理性があるんですよ。アメリカってとてつもない競争社会です。その中で日々サバイバルしてなくちゃダメなんですよね。実際、日々サバイバルする上で自分自身の持ってるあらゆる側面を強化せねばならない。コミュニケーション能力であったり、コンピューターのスキルであったり。その強化するためのひとつのトレーニングとしてスピリチュアリズムがあるという形なんですね。

    西塚 なるほど。スキルアップであったり、ある種ドーピングみたいなものですね。

    ヤス ドーピングみたいなものです。いわゆる自己啓発があるってことなんです。そうなってくると、そのような自己啓発というのは安易な漠然とした世界を取り戻すのではない。漠然とした心地いい幻想を作るのではなくて、自分を本当に啓発して、競争社会の中で実際に勝っていけるような人格を作り上げていく。そうすることによっていかに年収をアップしたか。そういう現実的な結果が問われるスピリチュアリズムなんですよ。

    西塚 ああ、合目的的なわけですね。

    ヤス すごい合目的的ね。それも健康的だとは言いませんけども、ただそこには合理性はあるでしょ? 理由はわかりやすいんですね。いい意味でコーチングというのもあれば、自己啓発セミナーみたいなものもあれば、相当多くあるんですね。ものすごい競争社会の中で生まれてくるだけにですね、最終的に厳密に結果が問われてくるというものだと思うんですね。

    西塚 そのスピリチュアルビジネス自体が競争になってて、やっぱり優秀なスキルをもってるコーチとかですね、メンタリストとか、そういうところは伸びていったりしているということでしょうね。

    ヤス まさにそうですね。

    西塚 それはすごくわかりやすいと言えば、確かにわかりやすいですね。

    ヤス だから、スピリチュアル業界そのものもすさまじい競争の中にあって、それで実際に、たとえば自己啓発だったら、年収を伸ばすことが本当に成功できたような人たちだけが残るわけです。

    西塚 現実は変えられると。「7つの習慣」とか、ナポレオン・ヒルとか、カーネギーとかいっぱいありますもんね。また日本の常で、それが輸入されてですね、一部のすごくマニアックな連中だけのものだったのが、本屋にいっても今は精神世界とかスピリチュアリズムの棚があって、ほとんどが欧米のテキストですよね。

    ヤス 欧米のテキストが全然違った文脈の中に移植されるわけですよ。どういう違った文脈かと言うと、いかに現実から逃避して、現実を見なくて済むような心地よいファンタジーを作るか。または、作りたい、そういうファンタジーに籠りたいという人たちの文脈の中に入ってくるわけでしょう。

    敗戦コンプレックスの反動

    西塚 そうそう。すごく雑駁な言い方をしちゃいますけどね、特に3.11以降にそういうものが増えて、僕もセミナーにいったり、いろいろ個人的な興味があって取材してきてますから、わかるんですね。それで今はですね、むしろ日本こそが実は本当のスピリチュアリズムと言うか、欧米のいろいろなハウツーとかノウハウは確かにそのとおりなんだけども、本当のものは日本にあった!的なことになってるじゃないですか(笑)。そっちが今ちょっと伸びてきているような気がして、それはそれで危ないという言い方をするとちょっと傲慢かもしれませんが、まあ気に食わないわけですよ(笑)。

    何かそれは違う気がします。別に日本は大したことはない。でもこれね、実を言うとヤスさんからけっこう学んだことも大きいんですよ。僕はどちらかと言うと日本大好きのほうなので、ヤクザ映画が好きだったりですね、落語も好きで。いろんな日本の文化は好きなんです。日本語自体もユニークだし、母音言語だとかですね、言霊にもつながっちゃうんだけど、かなり興味深いものはある。でもちょっと今、それがいきすぎと言うか、また新たな幻想を作りつつあるなとも思うんですね。

    ヤス そうです。だからやっぱり日本人の基本的なメンタリティーが作り出したものだと思いますよ。3.11以降のね。そのメンタリティーは何かと言うと、まず現実逃避して、自分の心地よいファンタジーの中に籠りたいんだと。そのファンタジーの大もとにあるようなものは、日本は偉大な国家だよね、われわれ日本人は世界に冠たる民族で偉大だよねと。その偉大さに酔いしれて、その心地よさの中にまどろんできたわけですね。

    西塚 以前はアメリカに憧れたときがあるわけじゃないですか、戦後から。そういうメンタリティーもあるんだけども、ここにきてそうなるってことはある種のコンプレックスもなんでしょうか。

    ヤス いやいや、すごいコンプレックスですよ。背後にコンプレックスがあるのは間違いないと思います。欧米よりもやっぱり日本なんだと。それはあるんですけど、まだアメリカに憧れてアメリカを目指してたときのほうが、はるかに精神的には僕は健康的だったと思いますね。現実を見ているわけですから。明らかにアメリカのほうが生活水準が高い。明らかにカッコいい文化があると。あれを目指すべきだと言って、やっぱり見てるわけですね。それもなくなったってことです。それもなくなって、本当に自分が偉大だという自己幻想の心地よさの中にまどろんでいたいということね。そうすることによって厳しい現実に直面することを全部回避したいんだと。

    西塚 かつて村上龍がアメリカ一辺倒だったじゃないですか。ピーター・フォンダを使ってスーパーマンの映画撮ったりしてましたね。佐世保時代の昔のトラウマ、あるいはコンプレックスなんだと思います。だから福生にも住んで、「限りなく透明に近いブルー」のような小説も書く。

    とにかく全然違うと言うんですね。佐世保でそばに住んでるアメリカ人の家を見ても、大きな芝生の庭があってですね、バカでかい冷蔵庫を開けてアメリカ人がビールをガバーっと飲むわけですよ。でも自分の家だかでは、おじいちゃんが浪花節を聞いて唸ってると。むちゃくちゃ暗いと(笑)。そのギャップがすごっかたらしいんです。強烈な印象としてあるというようなことを言ってました。それだけだと単純な話になりそうだけども、意外と僕は根が深くてですね、そういう日本人の心性がある日怨念となって、実は日本こそがと、そこに反転していくじゃないだろうかと。それは無駄なエネルギーというかですね…

    ヤス だから言ってみれば、自己幻想を作り出すためにコンプレックスが利用されるわけですよね。たとえば、敗戦後の日本人は何かと言うと、自己否定ですよ。日本を全体的に否定する。否定して、なぜわれわれはあんなバカなことをやったのかと反省する。二度とこのような状態にならずに豊かになるためにはどうしたらいいのかと真剣に考えるわけですね。ものすごい現実的な思考だと思いますね。それは外部から田吾作とか土人と批判されるぐらいの現実性です。現実的な流れがこっちのほうであれば、こっちのほうに乗るしかないという形のね、原理も原則もすべて捨て切るくらいの現実性ですよ。

    だから今は、現実に対するフレキシビリティーと言うか、現実を直視するという能力をなくしてるってことです。その村上龍の体験はよくわかりますよ。僕が最初にアメリカにいったのは昭和43年、1968年の1月なんですね。1968年って言ったらまだまだ日本ってそんなに豊かじゃないですよ。当時、僕が住んでたのが、うちの親父が勤めている北海道大学の官舎なんですね。きったねえ官舎でね。

    西塚 カッコいいですよ、官舎って。

    ヤス 官舎? いやいやボロボロですよ。ボロ家。

    西塚 でも何と言うか、今はマンションとかでしょうが。やっぱりいいですよね。

    ヤス いや、よくない。だってすごい家でしたよ(笑)。

    西塚 いやいや、まあ(笑)、内実はともかく響きとしては。

    ヤス ああ官舎ね。まあ官舎に住んでて、本当にちっちゃな家ですよ。そこからですね、昭和43年にいきなりアメリカにいくじゃないですか。はっきり言って、村上龍じゃないけど、別世界ですよ。その別世界の中で、お前はわれわれのメンバーなんだって組み込まれていくわけですよね(笑)。だから、その驚きはよくわかります。

    西塚 そこでヤスさんは、でも日本のほうがすばらしいんだと、そこにはいかないじゃないですか

    ヤス いかない、いかない。

    西塚 それは何なんだろうなって気もするし。

    ヤス いや、僕はいかなかったんだけど、まわりの友だちがいった。アメリカ人の。何人かいるんですね、日本ラバーみたいのが。俺はゼロがカッコいいと思うんだと。俺は日本の戦闘機が一番カッコいいと思うんだ!アメリカよりすごいよな!とかっていうヤツがいるのね、アメリカ人で(笑)。

    西塚 確かに(笑)。でもそれはちょっとマニアックでね。グラマンよりゼロ戦だとかね。それはわかるんですよ。

    ヤス そういうマニアックなヤツがいて、あのとき日本が勝ってたらどうなってたと思うかって言うヤツが出てくる。でも、やっぱり日本万歳にはいかなかったね。

    西塚 そこの差と言うか、いい悪いじゃないんですけどね、その差ですね。それは個人的な事情もあるんだろうけども。その最小公倍数みたいなものがやはり日本を形作っていくんだろうし、そういった意味で言うと、どうしてもルサンチマン的な籠る系になっていくというメンタリティーは何なんだろうな。やっぱり敗戦コンプレックスなのかなあ。

    ヤス 敗戦コンプレックスという日本独自のものがあるんですけど、やっぱり国家がどんどん衰退していくとみんな籠るんですよね、どの文化も。籠って、自らの偉大さを鼓舞する。自らの偉大な美意識が作り上げる幻想の中にどっぷり染まって、その中に逃げ込むってことをやります。だから今の北朝鮮ですよ。それがだいたいどの国でも見られるような、国が本当に衰退していく最終局面のひとつの現象ですよね。

    西塚 そこでまた突拍子もないかもしれないけど、三島由紀夫を思い浮かべるわけですね。まあ11月25日もすぎましたけども。彼は彼で最終的に完璧に自分の美学に籠って自決しますが、だから本当に籠ったときというのは、死が近いと言うか、滅びですよね。それは個人の問題だけど、何か僕は似てる気がして。

    ヤス いや、似てる似てる。言ってみれば美しく死ぬっていうことですよね。極端に言うと、死んだとしても俺は現実を直視しないぞという宣言ですね。

    西塚 究極の逃避と言うか。

    ヤス 究極の逃避ですよ。

    西塚 それで残された人、生きてる人がどう思うかはまた別なんだけども。その美学はわかるんだけども、僕自身はそこにあまり美学を感じませんね。

    ヤス いや、僕も感じない。

    西塚 やっぱりとことん、まあ寿命がいつ尽きるかはわかりませんが、それまでは現実を直視していきたいという(笑)。

    ヤス そっちのほうが面白いですね。ある意味、人間の創意で作り出したものというのは、別に大したことないんですよ(笑)、あんまりね。自己幻想みたいなもので、せいぜい共同幻想的なものでね。それは幻想であるということを脱することはできないので、そんな大したことじゃないと思います。

    ビリー・マイヤーにいたる必然性

    西塚 しかもその幻想のやり取りも、相対的なものだとこんなに虚しいものもないですよね。もうこの対話も23回目になってますけども、ヤスさんには近代的自我の発生からね、いろいろ語っていただきましたが、われわれ人間というのは、人間関係の取り結びとかやり取りの背景に何かこう、法則なり何かしらがあるのではないかとそのつど、その時代時代で追い求めてきたように思います。

    ヨーロッパの30年戦争ですとか、中国だったらアヘン戦争とかいろいろなことを乗り越えながら、反省もし、何か基準とか基軸のようなものを打ち立てて、バカなことをしないようにとしてきたんだけど、また同じことになっていく。それを繰り返してきている。

    じゃあ、どうするんだというところで今、ビリー・マイヤーの話が出てきているわけですけどもね。そこにいかざるを得ないと言うか、少なくとも僕が知る限り、これはヤスさんから教えてもらったビリー・マイヤーだけども、今のところそこに最大のヒントがあるように思う。まだまだ勉強しなくてはいけないことがあるし、もちろん全部読んでるわけでもないんだけども。

    ちょっとこれは、他のものとは違うのではないかと言うのは、僕もおそらく平均で言えば、いわゆるスピリチュアル的だと言われるものを多く読んできてるほうだと思うんです。それではっきり言えるのは、それらとは違うということなんですね。

    僕のことはともかく、ビリー・マイヤーに関してですね、どこでどういう形でヤスさんはお知りになったのか。そのへん、ビリー・マイヤーとの出逢いをちょっとお聞きしようと思うんですが…

    ヤス 出逢いと言うか、単純なものですよね。ビリー・マイヤーは日本でも矢追純一あたりが、テレビの「木曜スペシャル」で放送してたりしてた。UFO事件としてね。矢追純一が初めてビリー・マイヤーを報道したのは、確か1980年か81年ですね。

    西塚 80年前後ぐらいから、テレビではもうビリー・マイヤーの名前は出てたってことですね。

    ヤス 出てた。日本ではね。極めて鮮明なUFOの写真を撮ったり、UFOのコンタクティーとしてね。それくらいだったですよ。

    西塚 そのときに、ヤスさんはテレビでお知りになったと。

    ヤス 81年は僕はアメリカでしたけど、特別にそういうものに興味があったわけではなかく、一応名前だけは知ってたってくらいかな。

    西塚 じゃあ記憶をたどると、ビリー・マイヤーという名前を最初に聞いたのはテレビを通して80年ぐらいということですね。

    ヤス そうですね。81年ぐらいだと思いますね。テレビで見た覚えがある。

    西塚 そのときどう思いましたか?

    ヤス いや、すげえ鮮明な画像だなと。本当かよこれ!と思った。こんな鮮明な画像が撮ってあるのならば、異星人の存在って認めてもいいんではないかぐらいのね。

    西塚 ほお。そう思いました?

    ヤス 思いましたよ。非常に単純に。

    西塚 これはインチキだとはお思いませんでした?

    ヤス インチキである可能性もあるかなと思ったけど。ただもしね、本当にこのビリー・マイヤーという人物が真実を語ってるとしたならね、やっぱり異性人の存在を認めてもいいんではないかなという感じも受けた。

    西塚 最初の印象として?

    ヤス 最初の印象として。

    西塚 それは僕は決定的に重要だと思うんですよね。

    ヤス あ、そう?

    西塚 ええ。ビリー・マイヤーがコンタクトしているというセミヤーゼにしろプターにしろですね、ビリー・マイヤーは地球外生命体の存在を知らしめるというミッションを持ってるわけだから、それに対して証拠を与えると言うわけですね。自分たちの、まあUFOとは彼らは言いませんね、ビームシップを撮らせたわけです。結果的に1000枚近い写真になる。

    それを世の中に出すまでに、彼には葛藤があるわけじゃないですか。無名だし、お金もないし、どうしようというところで発表していく。それを見てもしヤスさんのように、こんな鮮明な写真が本当にあるなら、これは存在しているのかもしれないと思ったってことは、彼らが意図したとおりの効果をあげたということなので、理想的な形なわけですね。でも、いかんせん実はビリー・マイヤーの周辺とか、あるいは当時すでにアダムスキーがいましたからね。UFOの国際的な学会とか研究団体でも賛否両論があったでしょうし、ビリー・マイヤーは徹底的に否定されるということになっていくわけです。

    だからですね、僕は今、初めてヤスさんの話を聞いて面白いなと思ったんです。まず肯定から入っていったというところは、僕は大きいと思うんですよね。

    ヤス いや、あの当時から、僕は他の人間が何を言ってるかってあまり考慮しないほうで(笑)。すべてやっぱり自分中心なんですね。

    西塚 自分の考え。直感として。直感と言うのかな。

    ヤス 直感と言うより、何と言うかな、別にね、自分がこのように判断したってことを重要視してるわけでも何でもなくてね。特にUFOに興味があったわけじゃないので。テレビでチラチラ観てて、これはすげえなと思って。こんなのが本当だったら、認めてもいいんじゃないかなぐらいに、ただ漠然と思ったというだけです。

    西塚 僕は個人的には面白いんですよ。ちょっとね、個人的な話になってあれですが、だいたいヤスさんがね、他人の目というのがあるんだと最近気がついたという…(笑)、これはまた別の話だけど、それはほんとに面白すぎです。また別にお聞きしたいくらいですが…

    ヤス そうそう、他人の目が存在するって初めて気がついた(笑)。ああ、そうなんだと。

    西塚 面白すぎですよ(笑)。話を戻すと、それからちょっと切れるわけですね、ビリー・マイヤーに関しては。その次と言ったらへんですが、のちのちは実際にビリー・マイヤーのことをブログでも出されるわけですからね。それまで、今おっしゃった81年ぐらいにすげえなと思った以降、再びビリー・マイヤーの名を聞くのはどのあたりになるんですか?

    ヤス 別に自分の関心の焦点ではなかったというのが長かったんですね。それで2007年の5月に「ヤスの備忘録」ってブログを立ち上げるんですよ。

    西塚 あ、じゃあ2007年まできちゃうわけですか。それから?

    ヤス きちゃう。その間、別に何かどうっていうわけではない。UFOに関する興味はありましたよ。ただ興味があると言ったって一般的な興味だけでね。こういう異性人がいたら面白いなっていう程度ですよね。強烈なものでは全然ない。

    西塚 普通の一般の人たちが思うようなくらいの興味。

    ヤス そうですね。むしろ当時から自分の一番大きな関心は、社会がどうなるかということなので。そういうタイプの本をたくさん読んでいた。現実的なほうでね。

    2007年の5月に、「コルマンインデックス」のことを書き始めたんですよ。何でコルマンインデックスを書き始めたかと言うと、どうも何かよく当たってると。未来の表現がね。何でこんなに当たるのかなと。当たる根拠が何かあるはずだと。場合によってはコルマン博士が言ってるような、宇宙の意識の進化のカレンダーといったコンセプトが成立するのかもしれないと思ったわけですね。

    それでコルマンインデックスに興味を持って、それを翻訳をしてブログに初めて載せた。それでどんどんアクセス数が増えると。そうなってくるとコルマンインデックスがある意味の起点になって、やはり他の予言にも興味を持った。コルマンインデックスぐらいに的中してるように見える予言があるのかということで。

    西塚 コルマンインデックスにあまり入りすぎてもいけないんですが、最初なぜコルマンインデックスだったんですか?

    ヤス 「EARTH CHANGES MEDIA」というのがあるんですね、アメリカでね。これは気候変動専門のチャンネルだったんですよ。ネットラジオでもあって、いろんなゲストを招いて、そこで地球の気候変動のみならず、社会的政治的変化に関して面白いゲストを招いて話していた。まあ、言ってみれば「COAST TO COAST AM」のネット版みたいなやつだったんですね。そこにですね、コルマンインデックスのコルマン博士が初めて出てくるんです。2000年代の初めかな。2001年とか2002年くらいにコルマン博士が出てきた。

    このコルマン博士が言ってることは極めて論理的でわかりやすかった。それでコルマン博士のマヤカレンダーの解釈が面白かったんですね。これは面白いなと思って、この人の本を読もうと思って読んでみたんです。最初の本というのは確か1999年に書かれて2000年に出された本なんです。2000年に出された本を、僕は確か2005年か2006年くらいに読んだんですね。そうしたら、ことごとく当たってる。いわゆる歴史の見方と言うか、これからどういうことがあるかってことがことごとく当たってるわけです。

    なぜ当たるかと言うと、実はそのマヤカレンダーというのは、基本的に人間の意識の進化のカレンダーなんだと。そいいうような解釈をするわけですね。それに基づくと、今後このような方向で変化するはずだといった、ある意味で予言的な予定表を立てる。それが当たるわけですね。それから関心を持ったんです。僕は社内研修でも英語を教えてたんですけど、上級のクラスにそのコルマンインデックスとかを全部刷って持っていって、みんなどう思うかって読ませて聞いてたんですね(笑)。意見をね。ディスカッションをやってたんです。

    それで2007年に、ブログにコルマンインデックスを実際に書くようになる。アクセス数を伸ばす。それでコルマンさんと同じくらいに的中率が高い予言が、他にもあるのかどうかという興味を持った。それで調べていったんです。調べていったらビリー・マイヤーに偶然、出逢ったという感じですかね。

    西塚 そのとき、かつての80年のときに見たあのビリー・マイヤーだとわかったんですか?

    ヤス わかった。あのビリー・マイヤーだったのかと思って、あらためてビリー・マイヤーのコンタクト記録を見た。特に面白かったのは第215回のコンタクト。1987年2月28日に行なわれたコンタクト記録のエノク予言ですね。

    西塚 ああ、エノク予言ですね。

    ヤス エノク予言が出てきて、なかなか内容として面白かった。内容として面白かったんだけど、最初にそれを読んだときの印象は、やっぱりこれはファンタジーだろうと思いました。まさか、こんなような世の中になるわけがないだろうと思った。

    西塚 87年に書かれたものですしね。しかも読んだのも2007、8年。

    ヤス 最初にそれを読んだのはもうちょっと前なんですけど、いずれにしろそのぐらいですね。

    西塚 あれ、2007年にブログを始められて、コルマンインデックスを中心にアクセス数が増えて、それでビリー・マイヤーにいくんでしたよね?

    ヤス 実際はそうです。

    西塚 本はもっと前にお読みになっていた。

    ヤス 読んでいた。実は2007年にコルマンインデックスを発見して出したわけではなくて、はるかに前に読んでるんですね。

    西塚 コルマンインデックス自体を。

    ヤス コルマンインデックス自体は、最初は2002年くらいです。2001年か、2002年くらいに初めてコルマンインデックスを読んで、これは面白いなと思って。だからブログに反映するような作業は全部もっと前にやってたんです。

    西塚 ああ、そういうことでしたか。

    ヤス コルマンインデックスを読んで、これ当たってる、これ面白いなと思って、他に的中度が高いと言うか、ある程度の現実性を感じるような予言はないのかと。その予言の蒐集ははるかに前にやっていた。それでいろいろな予言を読んで、その予言に対する対策ということも前からやっていた。

    西塚 そういう下地があったわけですね。

    ヤス その下地があって、すでにエノク予言とか全部持っていた。その順序で書いていったってことですね、ブログにはね。

    西塚 それでブログにアップしたわけですが、それでもこんなことはないだろうと(笑)。

    ヤス まさかこんなバカなことはないだろうと思った。ただね、やっぱりどこかで記録に留めておいてもいいかなと。それは全部とことん外れてもいいかなと。

    西塚 エノク予言は強烈な予言なんで、強烈なインパクトがあったでしょうけども、それ以外のビリー。マイヤーの他のコンタクト記録とか思想とかですね、そっちのほうにはいかなかったんですか?

    ヤス いや、読んでた。そのときから。ただ英語のサイトもですね、2002年とか2003年はまだあんまり充実してなかったんですね。それが、僕がブログを書き始めた2007年ぐらいになってくると、コンタクト記録やなんかでもはるかに充実して大量に出てくるようになるんですよ。それはマイケル・ホーンという人なんですね。

    マイケル・ホーンがビリー・マイヤーのアメリカにおける正式な代理人になった。それがいつだったかちょっとわからないんだけど、やっぱり2007年か2008年ぐらいではないかなと思います。そのマイケル・ホーンの努力によって、英語の翻訳版がすごく充実して出てきたってことがありますね。

    西塚 日本で出たのって、あれはいつだったのかな。ビリー・マイヤーの本は出てましたよね。

    ヤス 前からありますね。僕が日本語でも出てるって発見したのは、だいぶあとになってからです。

    西塚 たぶん当時は、ほとんどマニアックな人しか買わなかったと思います。

    ヤス そのマイケル・ホーンがそれなりのクオリティーの高い文章でビリー・マイヤーの本を出してた。それでマイケル・ホーンがアメリカで評判になるんですよ。それでスピリチュアル系と言いますかね、やっぱり「COAST TO COAST AM」にも出るようになるし、「GAIAM TV」にも出るようになるし。

    西塚 今、どんな立場なんですか、マイケル・ホーンは。

    ヤス まったく変わってません。ビリー・マイヤーのスポークスマンとして。

    西塚 ちょっと広げて、スピリチュアリズムみたいなものを…

    ヤス 全然やってない。まったくスタンスは変わってないですね。

    西塚 なるほど。それこそFIGU JAPANの報告書と言うか、小冊子にときどき出てきますよね。わりと彼には誠実なものを感じるんですよ。何となくですけど(笑)。

    ヤス 僕も思う。非常に誠実ですよね。彼ね。

    西塚 そういう印象を持つんです。

    ヤス それでマイケル・ホーンがある意味でビリー・マイヤーのちょっとしたブームをアメリカで引き起こしたと思うんですね。

    西塚 それはいつごろなんですか?

    ヤス 2007年とか8年ですよ。

    西塚 そんなに昔じゃないんですね。

    ヤス 昔じゃない。やっぱりマイケル・ホーンの力ってすごく大きかったんじゃないかなと僕は思いますよ。彼ってね、コミュニケーション能力に極めて長けた人で、実にわかりやすくビリー・マイヤーのね、一番クオリティーの高い、まあティーチングと言いますかね、クオリティーの高い哲学みたいなものを要約的に説明するんです。ましてや「COAST TO COAST AM」には3000万人も聴取者がいるでしょ? そうすると、その番組にマイケル・ホーンが出ること自体が巨大な影響力ですよね。

    西塚 そうですね。それによってビリー・マイヤー自体が認知されていくという。

    ヤス そうです。それで認知されると同時に英語の文献もどんどん増えてくるわけですね。どんどん翻訳されて出てくるということで。それで僕も読めるようになる。読んでみると、やっぱりその内容のクオリティーの高さに愕然としますよね。何だこれはと(笑)。

    西塚 それから、大雑把に言うと今にいたる感じなんですかね。

    ヤス それで今にいたる。でね、僕はこの対談の文字起こしをブログに出してるんですけど、西塚さんは読んだかどうかわからないんだけど、手塚さんというハンドルネームの人が僕のブログにコメントを書いてきて、ビリー・マイヤーというのは糸を使ってUFOを吊るしたりしてね、インチキをやってると証明された人ではないかと。いかにコンテンツの高いものを書いたとしてもね、それだけ信用できない人物が言ってることは、やっぱり私は信用できません。ヤスさんはどうなんですかっていう。

    西塚 へえー。そういうコメントがあったんですか。それはちょっと見てないですね。コメントは返したんですか?

    ヤス 返した。そのような疑惑がビリー・マイヤーに対して持たれているのはよくわかってるし、証明されたと言い切ってる人もいますよねと。ただ僕は証明されたって言い切ってる人たちのインタビューも見たしね、彼らの言ってることをいろいろ読んだんだけれども、偏執狂的なヤツが多いんですよ、やっぱり。アメリカ人で(笑)。

    西塚 あまり調べてないから言っちゃいけないんだけども、僕が知る限りでは、証明はされてないと思いますよ。そもそも証明しようがないじゃないですか、まず(笑)。

    ヤス そうね。本当に偏執狂的な人が多い。ただ僕自身は、ビリー・マイヤーが実際にUFOのコンタクティーであるかどうかはあまり関心がないんだと。本来、関心を持ってるのは、ビリー・マイヤーの哲学的なコンテンツの高さなんだっていうふうに書いたのね。そうしたらその手塚さんという人はすごくいい人で、こういう面白いブログがありますよって僕に紹介してくれたんです。そのブログがですね、ビリー・マイヤーの翻訳者の書いたブログだったんです。

    西塚 明瀬(一裕)さんという方ですね。優秀な方ですよね。

    ヤス あの内容はすごく面白かったですよ。

    西塚 面白かったですね。

    ヤス 翻訳者として別にUFO云々にはまったく関心がないと。ただ、彼の持ってるコンテンツの高さに惹かれて書いてるわけですよね。

    西塚 僕もあの方は優秀な方だと思いました。ときどきちょっと翻訳の部分でわからないことがあるので、お聞きしたいぐらいなんだけども、極めて文章がうまいし、わかりやすい。あの彼のブログの文は、ビリー・マイヤーとの要するに謁見記ですよね。あれがまた実にいいんですよ。淡々と描写してて、ビリー・マイヤーがよくわかるし、なかなかいい文章だなあと。

    ヤス ですよね。だからビリー・マイヤーのいわゆるUFOコンタクティーとしての部分ではなく、ビリー・マイヤーの書いた極めて精神性の高いコンテンツ。そのブームが、これから静かに起ころうとしているのではないか。それは宗教以後の世界。

    西塚 本当にそうですね。それで、そのインチキだと証明されたではないかという根拠はね、もうちょっと探ってみてほしいと思いますね、個人的には。

    ヤス ただね、この手塚さんという方は実に良心的な人だと思ったし、返事を書いたらそのブログを送ってきて、ビリー・マイヤーを色眼鏡で見ていたので、そうではなくて私もヤスさんと同じような方向でもう一回見てますと言うんですね。すごくありがたいなあと僕は思いますね。

    西塚 ああ、なるほど。じゃあ、ますますもうちょっと掘り下げていきたいですね。

    ヤス 最後にもう一回言うと、これは前回言ったことと同じことなんだけれども、どんどんどんどんこれからですね、われわれは現実を無視したファンタジーの中に籠って衰退を迎えるわけですね。

    西塚 われわれというのは日本人ということですか。

    ヤス 特に日本人は衰退を迎えてる。これはわれわれのひとつの衰退の姿なんだけれども、ただ他の文化圏では別な衰退の姿があると。それはコントロールの利かない原理主義的なメンタリティーの噴出によってですね、社会秩序がバラバラに引き裂かれるといったような、抑圧されたものの噴出という流れです。そのような野獣のようなメンタリティーをどのように制御していったらいいのか。

    それから、われわれの持ってるオタクっぽいファンタジーの中に籠るということ。それは僕の目から見るとね、恐ろしい暴力性を感じる。そのオタク的なファンタジーに合わないものをすべて拒否して否定する。徹底的に拒否する。そのファンタジーのメンタリティーと相反することを言う相手をね、とことん破壊するという。

    西塚 ああ、なるほど。僕はまだ、特に日本人のオタクにそこまでは感じないんですよ。
    そこまでのね、パワーはないと思うんです(笑)。

    ヤス いやいやそうじゃなくてね。今の安倍にはある。

    西塚 ああ、そうかそうか。そういうことか。

    ヤス そういう意味では安倍はありますよね。だから、ただほっといてくれではないんですよ。自分たちの世界観を否定するような、あらゆるものを暴力的に否定してくる。そういう暴力性を内包してるんですね、この籠るということは。しかもその籠る暴力性といったものと、原理主義的なメンタリティーの孕む暴力性というのは、実はあまり変わってないかもしれないということなんです。そうすると、その暴力的なメンタリティーに対抗するための新しい意識を何が何でも必要とするってことです。

    西塚 そういうことですね。それを単純な図式で言うと、「籠る」「閉じる」ということではなく「開く」ってことですね。

    ヤス 開くってことです。そうそう。

    西塚 開いていく方向と言うんですかね。

    ヤス そうですね。それをもっと言うと、われわれの内面に本来内在している何ものかに対して開いていくってことです。

    西塚 読んでる方は、早く頭からビリー・マイヤーにいけよ!と言う人もいるかもしれませんけど、やっぱりその流れとかありますから。ビリー・マイヤーオタクではないので、やっぱりそのへんはいろいろ現実的な問題と関連させながらいきたいなと。まあ、これは僕のわがままかもしれないけど、そういう形でおつき合いできればと思うんです。

    ヤス 確かに。ビリー・マイヤーオタクになってもしょうがないですからね。
    ほんとそうです。

    西塚 じゃあ、次回またよろしくお願いします。今日もありがとうございました。

    ヤス どうもどうも。ありがとうございました。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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    また、私はいま日本で起こっている変化を以下のようにとらえております。もしよろしければこちらもどうぞ。

    12/15のツイートまとめ

    ytaka2013

    「ヤスの勉強会」第21回のご案内今回は2016年を本格的に展望します。日時:12月26日、土曜日時間:1時半から4時前後まで料金:4000円場所:都内(おそらく東横線沿線)名前(ふりがな)住所 〒info@yasunoeigo.com
    12-15 09:57

    12/11のツイートまとめ

    ytaka2013

    @drfrogger いつも非常に有益なコメント、ありがとうございます。このセルフの統合作用の活性化というところに本来のスピリチュアリズムがあるのではないかと思っています。そうした文化をこれから形成できるかどうかが問われますね。
    12-11 16:59

    酔っぱらいオヤジの「Spiritual Meeting」第22回

    12月6日

    まぐまぐ大賞2015が始まりました!よろしかったらぜひ推薦を!

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    次回の有料メルマガの予告

    12月11日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、前回は書き切れなかったイスラエルの不気味な動きを紹介する。もしかしたら、我々はいま第3次世界大戦に向かう方向にいるのかもしれない。そして、やはり焦点になるのはイスラエルだ。次に、人間の意識変化の歴史を概観する。いま、新たな個の意識の本格的な覚醒の過程にいるのかもしれない。これについて書く。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

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    shinkan.jpg

    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第22回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第21回のご案内

    ヤスの勉強会」の第21回を開催します。やはり、パリの同時テロ、ロシア軍機の撃墜など予想を越えた事件が相次ぎ、世界は一層混沌としてきました。今回は2016年を本格的に展望します。

    【主な内容】

    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・ロシアと欧米、そしてトルコとの対立の行方
    ・超社会主義に向かう道
    ・日本の今後と未来
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

    よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:12月26日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

     いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    12月6日と1月16日の2回、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第一回目のパートナーは有名ブログ「In Deep」の岡靖洋さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第22回

    spi151

    西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の22回です。またヤスさんにお出でいただきました。よろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス どうもどうも。カンパーイ!

    西塚 この対話は当初は、周波数とかちょっとスピリチュアルなことをお話ししてたのですが、それから時事問題を中心にいろいろとヤスさんに教えていただく形できたんですけど、そろそろと言いますか、前からずっと言ってるビリー・マイヤーのテーマに移りたいのですが、パリに始まるテロのことに触れたいと思います。前回の我々の対談のちょっと前に、いきなりパリでテロが起きたわけですが、エノク予言との類似性、関連性も含めて、その後何かありますか?

    エノク予言との無気味な類似性

    ヤス そうですね、前回も言いましたが、あのパリのテロは、これから起こる一連のことの出発点にあたるようなものだということですね。これが何かひとつの解決であるとか、何かの大きなエンディングと言うかな、ある歴史的なプロセスの終焉を見るような出来事ではなくて、まったく逆ですね。ある新しい歴史的なプロセスの始まり、その出発点にあたる出来事だと思いますね。

    これから出てくる歴史的なプロセスというのは、特にヨーロッパを中心としたテロの拡大です。現在もシリア難民に含まれて4000名ぐらいのイスラム国の戦闘員が、すでにヨーロッパの国内に入ってると言われてます。この4000名という数字は、パリの同時多発テロの起こるかなり前から出てきた数字なんです。フランスではなくて、たしかスウェーデンかどこかだと思います。全然違った国ですね、シリア難民を偽装したパスポートで入ろうとした人が逮捕された。そうしたら、膨大な数の、数千冊にのぼるシリアの偽造パスポートを持ってたんですね。

    それで、自分はイスラム国の戦闘員であると白状した。その戦闘員が言うには、現在すでに4000名ぐらい入ってると。このニュースが流れたのは、たしか8月の半ばぐらいですね。具体的な国名は忘れましたけど、たしかスウェーデンあたりだと思います。

    西塚 スウェーデンだとすればですね、僕はどうしてもエノク予言を思い出してしまいます。エノク予言では、フランスとスウェーデンのことを言ってますね。そこから戦端が開かれるのか、あるいは内乱でひどいことになるのかは忘れましたけども、けっこうそれらの国が中心となっておかしなことが起きるという。何で北欧のスウェーデンなんだろうと思ったんですが、今の話を聞いてちょっと思い出したんです。

    ヤス ちなみにエノク予言とは何なのかと言うと、1987年2月28日にですね、プレアデス星人とコンタクトしてると言われるビリー・マイヤーが、クウェッツァルというプレアデス星人から授かったもので、21世紀に何が起こるかに関する予言なんです。僕が最初に読んだのは、8年から9年ぐらい前だと思います。それを読んだときには、あまりにも荒唐無稽な内容だと思いました。これが現実化することはまずないだろうと。これは1999年に関するノストラダムス的な予言と同じようなレベルのファンタジーじゃないかと思ってたんです。

    西塚 僕もそう思いました。

    ヤス しかしながら、現在起こってることが、どんどんエノク予言のモチーフに近くなってきてるんですね。整理するとこんな感じなんですよ。まずですね、ヨーロッパ各地でイスラム原理主義のテロが起こるんですね。そのテロのひとつの拠点になるのがフランスなんです。どんどんテロが起きて、フランスのみならずヨーロッパ各地でですね、ものすごい強烈なナショナリズムの運動が起こってくると。それによって、それぞれのヨーロッパの政治が不安定化するんですね。社会不安が醸成される。その社会不安が次のテロを起こすための絶好の機会を提供する。

    その結果、テロが起こる→ナショナリズムが醸成されて社会不安になる→社会不安になるとまたそれが次のテロを引き起こす引き金になる、という形で、それこそ社会不安とテロが相乗関係になって、どんどんどんどん混乱が進んでいくという状態になるわけです。

    もう一方では、もうこれでは、ヨーロッパの国々単独では対応できないということになってくる。対応できないので、EUがそれぞれの国の主権に制限を加えて、EUが独裁化していくんですね。ある意味でEUが超国家的な共同体としての姿を現わしてくる。これが第2の問題です。EUが独裁化した共同体にどんどん変化していくという流れですね。ただ、この独裁化したEUの共同体は、ロシアとの関係が極めて悪い。最終的にですね、プーチン以降だと思うんですが、ロシアがヨーロッパに攻め込むという形で第三次世界大戦が起こるという流れなんです。

    西塚 東から巨大な軍が攻めてくるとエノク予言にはありますが、あれはもうロシアと考えていいですか?

    ヤス ロシアと考えていいですね。どこから攻め込むかと言うと、アルハンゲリスクっていう町なんですね。アルハンゲリスクはロシアのスウェーデン国境沿いにある町です。

    西塚 笑っちゃいけないですけど、あまりにも酷似してきているので、もう何とも言えない。

    ヤス そのようなシナリオで第三次世界大戦が始まると。だから第三次世界大戦というのは、ロシア軍によるヨーロッパ侵攻で始まるということですね。ただ、これがいつ起こるかは明示はされてませんが、これが起こるためのあるインジケーターと言うか、こういう事件が起こったならば、これがあるよ、といった指標となるものが示されている。

    3つあるんです。第1の指標は、ローマ法王がバチカンに住めなくなる。なぜ住めなくなるかという具体的な説明はエノク予言にはないんですが、どうも見てるとですね、イスラム原理主義のテロがあまりにもいきすぎて、コントロールが効かなくなる。それでローマ法王もバチカンには住めなくなるというのがひとつですね。

    第2の予兆は、今言ったようにEUの独裁化です。第3の予兆は、スイスのEU加盟ね。この3つのインジケーターがそろったときに、さきほどの事件が起こるというように読める。

    西塚 ローマ法王はまだバチカンにいるし、EUはたしかに超国家の道を今、歩み始めていると言っていいでしょう。もちろんスイスはまだEUには加盟していない、という段階にある。

    ヤス じゃあ、時期的にこれはいつぐらいに起こるのか。去年くらいかな、ビリー・マイヤーの公表されてるインタビューだと、2020年代にはもうこういう状態になると。だから今から言うと5年後ちょっとですね。

    西塚 ビリー・マイヤーのエノク予言自体は、これはビリー・マイヤーの書籍にしかない予言なんですか?

    ヤス ビリー・マイヤーの書籍にしかないですね。類似したものというのは、ほとんどないと思います。

    西塚 図らずもビリー・ジョエル…いやいや、ビリー・ジョエルじゃない(笑)。

    ヤス 大好きですよ(笑)、「ピアノ・マン」(笑)。

    西塚 ピアノ・マン(笑)…図らずも、ビリー・マイヤーの話には突入してるんですけども、似たようなシナリオ、たとえば「エゼキエル書」であるとかですね、いくつかヤスさんのメルマガとかブログでも過去に紹介されてましたね。

    ヤス そうですね。エゼキエル書がエリアが違う。中東なんですね。中東がどうなるかってことは、エノク予言では具体的には述べられていない。ただエゼキエル書は、最終的にはロシアがイスラエルを攻撃するということなんですね。ロシア軍がどんどん伸長してきて、中東までいって攻め込むといった感じの予言ですけども、それはエノク予言とほとんど矛盾はしないんです。

    西塚 しないですよね。そういういわゆる予言書じゃなくても、予言者とされてる人たちが見てる未来で、似たようなシナリオを言ってる人がいまね。

    ヤス たくさんいます。シナリオの類似性ということで言えばたくさんいます。

    西塚 ということは、その予言者たちに能力があるかどうかはちょっとわからないですが、大筋では同じような未来を見てるということですね。

    ヤス 見てるような感じはします。

    西塚 ロシアとヨーロッパを発端に、第三次世界大戦ってことですね…その端緒となるのが、今回のパリのテロだという。

    ヤス だいたいその流れができつつあるってことですね。これから我々が注視しなくてはならないのは、ヨーロッパの国内でテロが連鎖するかどうかがひとつ。ヨーロッパでテロが連鎖したら、次の第2の段階として、それに呼応するような極端なナショナリズムの運動が起こるかどうかということ。第3に、極端なナショナリズムの運動によって社会不安が醸成されますでしょ? そのような混乱状態というのは、次の大規模テロを起こすのに一番有利な状態なんですよ。

    西塚 そうですね。ヨーロッパが中心なんだろうけども、イスラム原理主義的なテロがですね、同時にアメリカであるとか、今ちょっと起こりつつあるアフリカであるとか、おそらく中国にも、ということで広がっていく。エノク予言によればヨーロッパのみならず、各地でヤバいことになるということですから。今はパリ以外、ヨーロッパ以外のところはあまり表立っては出てきてないようですが、今後はヨーロッパに限らず、どこも危なくなってくる。

    ヤス そうですね。どこでも危ない。ただやっぱりね、今回は集中するのはヨーロッパですね。ヨーロッパにイスラム国と言うかイスラム原理主義系のテロが集中してくるってことだと思いますよ。

    西塚 ビリー・マイヤーがクウェッツァルから聞いたエノク予言の趣旨と言うか、その意図ですね、なぜそういうことを伝えたのかという意図は、このままいくとこういうことが起こるんだから、回避せよということでしょうね。

    ヤス そうです。回避せよということです。

    西塚 そのためには、じゃあ意識を変えなきゃいけないとか、そういう話につながる。

    ヤス そうですね。基本的には。

    「憎しみは与えない」の効果は果たしてあるのか?

    西塚 その話のひとつとしてですね、ふたつくらい記事が出てて、たとえばジハーディ・ジョンによって殺された被害者の母親とか、あるいは今回のパリのテロで妻を亡くした夫のフェイスブックのコメントとかが、けっこう大きく取り上げられてますね。共通しているのは、要するにISには憎しみは与えないと。憎しみみたいな贈り物をお前らには簡単にあげないよってことです。それが全世界でものすごい感動を呼んでいる。

    あのような意識というのは、そこでキョトンとしてしまうのはISのほうであって、本来受けるべき憎しみを受けられないわけですから、自分がどうしていいのかわからなくなってしまう。特にISって、けっこうガキンチョが多かったりするじゃないですか。当然、学歴も高いインテリ層も相当取り込まれてるだろうけど、同時に少年たちもいて、勧善懲悪に分けたある大きな物語の中で、自分らが当然善なんですけども、苦しめるべき相手から憎しみを受けないとなると、ハタと困る。

    ヤフーにも出てたイギリスのブレイディみかこというライターの記事によると、ISに監禁された男から見た体験談ですね、事実だと思いますが、いろいろISの若いヤツらが脅してくるんだけども、本当に子どもじみてると。これでお前の首をチョン切って、ケツの穴に入れてYouTubeで公開するとかなんとかといった、ちょっと吹き出しちゃうぐらいにベタなことを言う。もちろん、それはやらないんだけども。それで、そいつらが一番びっくりしたのは、ドイツが難民を受け入れたときだったと。排除するのではなくて、受け入れたときに、ちょっと困惑してたと言うんですね。

    そのへんのマインドと言うのかな、さっきのエノク予言の話で言えば、意識を変えなきゃいけないということの、ひとつのヒントがあるような気がするんですね。そのへんはいかがですか?

    ヤス それはね、すごく重要なことだと思うんですね。ネットテレビやなんかでも宮台真司さんが同じようなことを言ってます。恐怖と復讐で反応すると思うツボなんだと。それはたしかにそうなんですよ。たしかにそうなんだけど、ただ僕はちょっと違う見方をしてます。それで本当にイスラム国がポカンとしちゃって、あてがはずれたという感じになったのか、ってことなんですね。僕はなってないと思うんですよ。

    西塚 一部の少年たちだけのことかもしれないという…

    ヤス 末端のレベルはそうなのかもしれない。ポカンとなったというような感情的な反応があったかもしれないけども、どうもイスラム国を見てて思うのは、こちらがこう出たから、それに合わせてこう出るといったような、こちら側の反応を考慮して動いているという集団じゃないように思うんですね。

    そうではなくて、彼らには彼らの確立されたある意味でカレンダーがあってね、そのカレンダーはまさに彼らが持ってる原理主義的な世界観を、いついつまでに実現するんだというカレンダーです。つまり彼らは、彼らが設定した予定表にしたがって、一方的にいろんな事件とかテロを引き起こしていくだけの存在で、こちらがどう考えているかなんていっさい考慮しないという感じがしますよ。

    西塚 そのISが考えたカレンダーというのは、たぶん日付じゃなくて段階でしょうね。ここをクリアしたら次はこっちの段階とか、たぶんそういうものだと思うんですけど、それは具体的にどんなものなのでしょうか?

    ヤス これはメルマガにも書いたんですけど、2001年が覚醒のときなんですね。9.11のテロがあって、それでテロをひとつの起点として、ジハディストが自らの使命に覚醒する時期なのだと。2003年のイラク侵略戦争のときが、ジハディストの拡大ということになってるんです。2003年以降、たしかにイラクの侵略戦争があってね、それでどんどんイスラム原理主義勢力が中東に拡大してるのは事実です。それから2014年かな、あといくつかあったと思うんですけど、2014年がカリフ国の設立の時期になってて、まさにそのカレンダーとおりに2014年の6月にですね、カリフ国の設立を宣言したんです。それで2016年が、いわゆるハルマゲドンの準備期。西洋とイスラムとの最終的な衝突があるのが2016年なんですね。

    西塚 来年じゃないですか。

    ヤス 来年が。それはシリアのダービクという町で行なわれると言う。それで最終的なハルマゲドンが2020年なんですよ。どうも見てると、単純にそのスケジュールに則って、ただ機械的に動いているという側面があるように思います。僕らが、つまり相手がどう反応するかなんていっさい関係ない(笑)。

    西塚 うーん、そうなると、それこそ殲滅するしかないって発想にもなってきますよね。

    ヤス 極端に言うとそうなんです。ただ、そのような状態になったときにね、ヨーロッパとかロシアとかアメリカが、それに対してどう反応するのか。彼らに有利な反応をするのか、不利な反応をするのか。反応の仕方によってはですね、そのスケジュールが遅れたり早まったりするということは、あるかもかもしれないですけどね。

    西塚 でもまあ、そのスケジュール自体を壊すことはなかなか難しいという。

    ヤス だと思いますね。だから、こうやれば向こうがこう振る舞うだろう、といったような見方そのものが、我々の幻想かもしれないっていうことなんですね。

    ISを変えるのか? 我々が違う現実を創造するのか?

    西塚 そうですね。となると、かつてのオウムとかですね、統一教会にハマッちゃった人を助けるような意味で、やっぱりその人たちの意識を変えない限りは無理だということになりますね、おそらく。

    ヤス まあ、基本的にそうですね。

    西塚 となると、ガチガチのイスラム原理主義にハマッてるISの人たちの意識を変えるしかない、ということになりますね。そうするにはどうしたらいいのか、ということになってきますよね。

    ヤス 簡単には変わらないでしょう。ただ、ハウツーでこうやれば変わるといったタイプのものではちょっとあり得ないと思うんですね。そうすると、我々に有利と言うか、このエノク予言的なものが実現しないような現実を、我々自身が積極的に創っていくしかないんだと。ただ我々の左脳中心の脳で考えてみた場合にね、どのような現実ならエノク予言を抑止できる現実になるのかということは、分析的な知性では限界があって予想ができないと思うんですね。

    西塚 お手上げ状態ということですか?

    ヤス いやそれは、我々が本来の我々に内在しているような、現実を創る能力というところにアクセスせねばならないということですね。

    西塚 そういうことになってきますね。たとえばアクセスしたとしたら、イスラム原理主義のカレンダーに則ってる人たちに何か影響を及ぼすことができるんでしょうか?

    ヤス 彼らがどうなるかはわからない。そうじゃなくてね、その実現を阻止するような違った現実ができる可能性がありますね。

    西塚 その違った現実のときには、彼らの存在はどういうふうなことになるんでしょうか?

    ヤス それは予想がつかない。

    西塚 どう変わるかはわからない。

    ヤス なぜ僕がこういうことを言うかと言うと、これから話すビリー・マイヤーに関することをちょっと先取りして言ってるからなんです。話をビリー・マイヤーに戻しますとですね、やっぱりビリー・マイヤーが述べてるような思想というのは、かなり重要なのではないかと。

    それで、ここではちょっとスピリチュアルという言葉は使わないほうがいいだろうなと思うんですね。あまりにもこれは手垢に染まった言葉なので。だから別の言葉で、「新しい精神性」とかですね、僕はそういうふうに呼んだほうがいいかなという感じがしてます。それでその新しい精神性といったものが、どうしても今は必要になってくるという状態なのではないかと思うんですね。

    それはどういうものかと言うと、これは前の対談の続きなんですけど、何度も言ってるように1618年から1648年の30年戦争があった。30年戦争でそれこそ死に物狂いの宗教対立があって、それで数千万人に及ぶような人々がヨーロッパで殺されてしまった。その結果ですね、宗教によらない普遍性を希求するという流れが出てきた。その流れの中で台頭してきたのがデカルトであり、「我思うゆえに我あり」といった認識主観を発見する。その認識主観は、どんな宗教に所属してたとしても、疑うことはできないだろうと。

    要するに、私が認識する限りにおいて、この世界が存在し得ると。認識している私がある、ということ自体は疑い得ないんだよということね。ここに、宗教を超越したひとつの原理性、ひとつのプリンシパルを求めるということだと思うんですね。それが同時に、新たな「個」の発見につながると。デカルトによって発見された個というのは、そのままカントを通じて、17、18世紀、19世紀とどんどん自我哲学として強化されていくわけですよ。

    一方、いろんな経済学のモデルとか、法学のモデルを通して、たとえばジャン・ジャック・ルソーの「一般意志」のモデルを通して、社会を構成する主体は実は個なんだと。個のやりとり、財の交換などによって、経済のネットワークができあがる。すべてを自立した個の活動を前提にして説明していく、といった感じの物事の見方がだんだん一般化してきます。

    それで19世紀から20世紀にかけて、個の存在がすべての物事の基礎となる絶対的な存在になるわけですね。それは長い目で見るならば、17世紀の宗教戦争が作り出した、ある意味で最終的な帰結だったのではないかという感じがするんです。

    西塚 アジアに先駆けてヨーロッパでは、17世紀の30年戦争によっていち早く近代的自我が芽生えて、個によっていろいろなものが決定され、運営されていくというような社会ができあがった。中国、韓国はちょっとわかりませんけども、日本においてはまだ個はなくてですね、お天道様とか、お蔭様と言われるようなものに個を溶け込ませていた。日常のいろんな取り結びに関しては、オレがとか、ワシがとかあったんだろうけど、いわゆるヨーロッパ型の近代的自我はなかったので、ある意味では無責任な、主体性のない、何だかわからない気分とか、大きなものに流されてしまう危険性も持っていた。

    それがここにきて、今度はその個の限界と言いますか、近代的自我の限界と言ってもいいようなものがおとずれている。そんなお話でしたよね、前回は。

    封印されてきた無意識

    ヤス そうです。近代的自我の限界にぶち当たったのは、20世紀の初めのほうなんですね。それは「無意識」の発見ってことですよ。個というのは、自分が思考する範囲でね、自分がどういう存在で、何者であるかってことをすべて把握できるんだと。明晰な思考で自分自身を全部把握できて、コントロールできると。基本的に人間というのは、自分の意識で全部コントロールできるんだというひとつの思想ですよね。これが自我哲学の根本にあったし、それが個を考えるための重要な前提と言うか、ビジョンだったと思うんですね。

    ただ20世紀の初頭で、フロイトとかユングが何を発見したかと言うと、実は人間の内部にまったくコントロール不可能な何ものかが存在していると。それは個の意識の埒外にある何かだってことですね。それを無意識と呼んだわけです。

    西塚 意識できない意識というものがあるぞと。そういう層があるということですね。そこでちょっとごちゃ混ぜになっちゃうかもしれませんけど、近代的な個というものが、いわゆる理性によって把握するものと、感覚によって、私は私だからとか、それはオレが感じたんだからオレだとかといった、同じ個でも理性的な判断による個と、感覚的なもので分かれてくると思うんです。でも、言ってることは同じ個である、個人である、自分である、自分の意識である、という言い方をして、そのへんの腑分けがないから、冷静で理性的で論理的な帰結による判断と、感覚的なものの判断は、同じ個から発してもですね、真逆になる可能性がある。

    そういう意味で僕は個人的には、個の危機という気がするんですね。僕は両方とも危険であって、論理だけになっても、前回の話でも言いましたが、大虐殺につながるような原理原則に従ってしまって、とんでもないことをやりかねないし、感覚に従っても間違いだらけで、雰囲気とか気分によって本当はやっちゃいけないこと、行ってはいけない方向にどんどん行ってしまうという危険性がある。だから中道をいくしかないということになる。その中道とは何かということで、やはりそれなりの原理原則、何かの機軸といったものが必要であると。

    そこで最大のヒントのひとつとして、ビリー・マイヤーの書籍があるというところで、前回は終わってるんですね。そしてパリのテロが起きて、まさにエノク予言に近づいているということですが、そのエノク予言自体がですね、ビリー・マイヤーの書籍からもたらされてるということを考えると、これはある種のシンクロであるし、ちょっと不気味なぐらいにビリー・マイヤーがクローズアップされてきた。本人自身がアピールしてるわけではなく、必然的に浮き彫りにされてきたという気がするわけです。僕はもともと興味があったのですが、また感覚的に言ってはいけないんだけども、ちょっと不気味なんですね。何でここにきてビリー・マイヤーなのかと。

    僕はヤスさんのブログを見て、ビリー・マイヤーとかエノク予言を初めて知り、そこから興味を持って入っていった人間で、たぶんそういう人たちは相当多いと思います。特に日本の場合は。あそこまで訳して詳しく紹介したものは、おそらく日本にはなかったのではないでしょうか。そういった意味では、コルマンインデックスもそうですけど、ネット社会になってからは、ビリー・マイヤーを最初に本格的に日本に紹介したのは、ヤスさんであることは間違いないと思います。本は以前から出てましたが。

    そのビリー・マイヤーが今、本当に浮き彫りになってきている。だからこの対話で取り上げるのは、ある種当然と言えば当然なんですよ。ビリー・マイヤーのどれをどうテーマにしようかということは、またこれから決めていかなきゃいけないんですが、あまりにも巨大すぎて、僕自身ちょっと手にあまりますね。そのあたりは、やはりヤスさんに整理していただかなければならない。

    だから、現実のパリのテロからビリー・マイヤーに直結してしまった、というのが今のところ僕の正直な感想なんですね。

    ヤス ビリー・マイヤーに直結するんですけど、その自我の歴史や個の歴史がどうやって展開されてきたのたか。デカルトからカント、カントは18世紀前半ですね、自我哲学はカントで完成を見るわけです。カント学派が相当強い隆盛を誇る。その間、いろんな哲学が生まれるんですが、次の自我哲学の大きなきっかけになったのは、現象学のフッサール、これが19世紀の後半ぐらいに出てくる。

    ホブズボームという歴史家がいるんですけど、彼は「短い20世紀」という時代概念を提唱しました。そして同時に「長い19世紀」ということも言うんですね。19世紀の歴史を見るとですね、18世紀の終わりから19世紀の初めにかけてナポレオン戦争があって、その大きな戦争の終結を見てね、ヨーロッパの秩序を取り戻す。どちらかと言うと、王侯貴族を中心とした秩序に戻っていくわけですが、それが行なわれたのが1815年のウィーン会議です。ウィーン会議で、ある意味でウェストファリア条約のような内容がもう一度確認されて、ヨーロッパの秩序がまたできあがる。

    1815年にある種の秩序ができてからは、巨大な戦争はヨーロッパにないんですよ。たたとえば1848年、ヨーロッパ各地で起こった社会主義革命といようなものはあります。でも19世紀は、17世紀、18世紀の、血で血を洗うような熾烈な民族間の紛争みたいものはないんですね。ある意味で、かなり安定した時期と言えます。そうすると、1815年から1914年の第一次世界大戦まで、たしかに1870年の晋仏戦争、プロシア=フランス戦争はありましたけど、局地戦争みたいなものですよ。局地戦争みたいなものを大きな戦争として数えなければ、ほとんど100年間近く戦争がないわけです。極めて安定している。

    その安定の中でですね、個を前提とした自我哲学が、個の活動性を前提として社会を見たり物事を説明してくということが、当たり前の状態になってくる。それから何が始まるか。そうした19世紀が終わったあとに何がやってくるのかと言うと、さきほど言ったフロイトとユングが発見したような、無意識が台頭してくるわけですよ。

    第一次世界大戦はなぜ起こったのか。理性の延長として起こったとはちょっと考えられない。第二次世界大戦はどうか。第二次世界大戦の極めて大きなきっかけになったのはヒットラーですが、ヒットラーが象徴していたものは、理性や自我や個だったのかと言うとそうではない。ヒットラーが当時強調してたのは、個の向こう側、彼岸にあるもの。民族であり、怨念であり、いわゆるアーリア人としての集合無意識みたいなものを訴えてくるわけですね。それはある意味で個の否定なわけですよ。

    そのようにして見ると、第一次とか第二次世界大戦のあのような破壊が起こる過程の中で、何が源泉としてあったのかと言うと、個が放逐した無意識の部分ですね。それがワーッと台頭し、席巻し、それが巨大な破壊を巻き起こしていった。そうなると、20世紀の第二次世界大戦以降に出てきた課題は、その無意識の部分の強烈な破壊性をどうするのか、ということです。第一次、第二次世界大戦で噴出された、想像を絶するような破壊性が、我々の個の内部に宿っている。強烈なエネルギーのレイヤーが、無意識として個の意識に統合されないまま、ずっと放逐されていたという状態ですね。これをどうするのか、という非常に大きな問いが出されてる。

    西塚 それが今あぶり出されてきたんですね。フロイトなどによる無意識の発見があって、個の違う側面、あるいは個ではないものの存在が認識された。そして、その存在を実際に証明するかのように戦争が起こるんですね。戦争が終わったあとは、我々はかつてのナショナリズムや民族主義というものに対する強烈なトラウマがあることによって、大きな戦争まではいかずにすんできたけれども、今そのトラウマが薄れてきているんだ、という話を前回しましたね。

    トラウマが薄れてきて、要するに直接的な体験の記憶ですね、体験談がなくなってきたときに、また今ちょっと右傾化しておかしなことになっている。しかもテロも起きているから、それに対する報復という意味もあって、さらにキナ臭いことになってきている。これまでは我々にトラウマがあったぶん、無意識とは直接に向き合わずにすんだ。回避してたんですね。それがここにきて、どうやら直面せざるを得なくなってきたということでしょう。この無意識のカタをつけなきゃいけない、という段階にきたということですね。

    ヤス そう。戦後70年間の我々の歯止めになってきたのは、そのトラウマなんです。だから無意識みたいなものを放逐した場合、どうなるかってことですよ。それはナショナリズムや民族主義という形で出てくるだろうし、往々にして強烈な破壊性をともなって出てくる。そのような我々の個に内在している無意識の力、これを解き放ったときに、どれだけの破壊につながったのか。それを体験したものだけが知る強烈なトラウマがあった。これが大きなブレーキになっていたのは間違いない。

    もうひとつのブレーキは、経済成長です。個の内部に沈滞している破壊性をとりあえず欲望に転化したと言うか、それと向き合わなくてもいいような状態が、経済成長の過程の中でずっと作られてたわけですね。ひとりひとりが日常生活の楽しみの中に溺れろと。

    西塚 埋没できるわけですね。

    ヤス 埋没できる。消費の楽しみの中にとりあえず溺れなさいと。そうすれば我々は、自分自身の持っている無意識の潜在的な破壊性と向き合わなくてすむ。そういった図式を内包していたものが消費社会だった。あるいは、内包していたがゆえに消費社会が成立していたのかもしれない。

    西塚 でも、戦争につながるような無意識とか怨念は当然なくなってはなかったわけで、ずっとそれは虎視眈々とと言いますか、向き合わないという形で温存されてきた。

    「転移」と「逆転移」

    ヤス まさにそうなんですよ。もうひとつ、ユングはこの無意識をどう手なずけるかということを真剣に考えた人だと思うんですね。それでユングの得た結論というのは、この無意識の強烈に荒れ狂う力をですね、人格の中に統合するということです。そうすることによって、無意識と意識のバランスがいい状態を作り上げる。そして、そこには自己といったものの元型があると唱えるわけです。

    自己とは何かと言うと、自分の内部にある超越的なものなんですね。これをやはり活性化するしかないんではないかと。活性化することによって、今までの無意識の強烈な破壊性と、意識のバランスをとるしかないんではないかということを、ユングは心理学の方面から捉えるわけですね。

    西塚 元型というのは形があるということですよね。アーキタイプ、それは何なんでしょうか?

    ヤス ユング派の国際学会のホームページがあるんですけど、僕はそこにときどきいって読むんですね。現代のユング派が書いているいろんな論文を読むとすごく面白いんです。そこでひとつ議論になってるのは、自己、「Self」という、大文字のセルフと言うんですけど、大文字のセルフという元型、アーキタイプが、人間の無意識の中に本当に存在してるのかどうかということ。

    ほとんど精神的な病というのは、このセルフという元型で全部説明されちゃうんですよ、トラウマとかね。このセルフが本当にあるのかどうなのかという議論がなされてる。その論文を読むと、かなり多数のユング派の深層心理学者が、あるとしか思えないと言うんですね。

    西塚 僕の雑駁な知識で言うと、実際にそのシンボルとして形が表わされてましたよね。たとえば、人間なら持っている本当に元型的なもの、具体的には忘れましたけど、シンボル化したものですよ。

    ヤス マンダラがそうですよね。

    西塚 マンダラもそうだし、星みたいな天体みたいのもあったかなあ、それがいくつかあって、具体的な形としてあるだろうということなんですね。幾何学と言うか、形象としてあるということに興味を持って、それがどう発動していくのかなということです。

    あまり話が飛んじゃいけませんけど、ビリー・マイヤーの書籍の中にもそのことが出てきて、いわゆるコンタクトしてくる高次元の存在は、やはり形で認識するということがあったと思います。宇宙の言葉は数字だという話も何かで読んだことがありますし、だから幾何学的なものなんだと思うんですよ。その形、意識の形と言うんですかね、それと理性がどう絡むのか、あるいはヤバい方向にいくときには、どう絡み合ってるのか、これは大問題になってくるので、とてもここでは今すぐ扱えない話なのでやめますけど、そのへんユングはどう言ってて、どう解決しているのか。

    ヤス 国際ユング学会のホームページで、彼らが自己が存在するとしか思えないと言うわけですが、その事例が面白いんですね。たとえば、精神カウンセリングをやるじゃないですか、ユング派の深層心理学者がね。そうすると「転移」と「逆転移」という現象が起こると言うんですね。これもよく知られている現象で、転移って何かと言うと、たとえば幼少期に父親に虐待された26歳の若い女性がいると。彼女はいろんな精神疾患を持ってるんだけども、だいたいの精神疾患の原因になってるのは、10歳のころに父親に虐待されたという経験であると。そうすると、心理学者というのは、彼女の持ってるトラウマの源泉に迫っていくわけですね、どんどん。催眠療法やなんかあらゆる手段を駆使しながら、トラウマの経験そのものをあぶり出していくわけですよ。

    そうするとですね、その26歳の女性が、目の前で10歳の女の子になるわけですね。そして目の前にいる心理学者を自分の父親だと思って錯覚する。これを転移と言うんです。それで「お父さん!何で私にこんなことしたの!」と泣き叫んで、恨みつらみを言うわけですよ。すると今度は、心理学者の中にも逆転移という現象が起こってくる。

    逆転移とは何かと言うと、自分にも娘があったと。10歳のときに娘が寝小便をして、せっかんをした。そのときに、娘が本当に悲しそうな顔をして自分を見つめたと。その記憶が、実はこの心理学者のトラウマとしてあった。それが蘇ってくるんですね。そして、自分が本当に彼女の父親であるかのように、心理学者が錯覚するんですよ。それで命がけでね、魂の奥底から「ごめん!申しわけない!やりたくてやったわけではないんだ!ごめん!」と言って本当に謝る。それこそそこで、トラウマを演じるわけですね。そして演じることによって治るんです。

    西塚 それは聞いたことがありますね。そうなると本当にトラウマというものは、直面して、向き合わないと取り除けないっていうことですね。

    ヤス そう。すごく面白かったのは、それを体験したユング派のどの心理学者も論文で書いているのは、転移と逆転移を経験すれば治ると、でもなぜ治るのかがわからないって言うんです。だから、自分たちが実感するのは、私たちの魂の奥底にあるもの、それから患者の奥底にあるもの、その両方が共調して何かが動き出すんだと。治癒に向かって動き出しているその超越的な何か、これを私は自己と呼ぶって言うんです。

    西塚 なるほど。面白いお話ですし、ある種感動的でもありますね。僕が感じるのは、それは日常的にもあるなあということなんです。たとえば、何か普通にケンカしちゃってですね、会社の同僚でもいいし、恋人同士でもいいんですけど、ケンカしちゃう。口ゲンカでも何でも。そうすると、ケンカして、お互いにいろいろ恨みもつらみもあって、わだかまるわけですね。わだかまって、ずっと考えて、忘れようとするんだけども思い出してですね、ことあるごとにムカついてきたり、悲しい思いをするんだけども、ずっとそのままですね。

    でも、普通によくあることだけど、また会って、あのときはごめんってどちらからともなく言ったり、私のほうこそ悪かったとかですね、そういうことがあると、そこでわだかまりが解消される。そこでハッピーになって、もっと仲よくなるかもしれないわけです。そういうものの無意識版という気がするんです。

    ヤス ただやっぱりね、心のわだかまりを解消したってことだと思うんですけど、その場合はね。ただユングの言う転移と逆転移という現象は、まさに血みどろの演じ合いですよね。今言ったようなこととは、ちょっと違うかなって感じがします。

    西塚 あまりに軽すぎますか?(笑)

    ヤス そんなに血みどろの演じ合いを必要としないので。

    西塚 しないですね。僕はどうしても構造として考えちゃって、それのひどい版っていう解釈をしちゃうわけですよ。さっき僕が言った軽いですね、日常の風景みたいなものの中にも、そこでフッとわだかまりがなくなるというのも、不思議と言えば不思議だと思うわけです。それのもうちょっと根深いものと言うか、バージョンが違うっていう意識なんですけども。それとは全然違うものなんでしょうか?

    ヤス いやいや、同じものかもしれない、もしかしたらね。ただ転移と逆転移で心理学者たちが言うには、自分の意識では抵抗できないんだそうです。自分の心の奥底で、自分がその彼女の父親であると本当に思い込んでしまう。それで患者のほうは、目の前にいる自分を本当の父親であるかのごとく思い込んでしまうと。この力はものすごく強烈で、抵抗できないと言うんですね。

    西塚 今の例では、たまたま心理学者のほうにも似たような娘がいたわけですね。そして、たまたませっかんした経験もあった。まったくそういうことがない場合でも、その女の人に「何で!」と責められたときに、その心理学者が隠してきたトラウマが出てくるのでしょうか? 娘をせっかんしたということがなくても、何かのトラウマに関連づけられちゃうということですか?

    ヤス 関連づけられて出てくる。一気にバーッと。

    西塚 ああ、それは面白いですね。

    ヤス そうなんです。心理学者の奥底にあるトラウマが出てくる。患者は患者で、そのままトラウマを出してるわけですね。お互いのトラウマが相克するような関係で演じるわけですよ。それでよくなる。

    西塚 心理学者側のほうも何かしらそれで解放される。

    ヤス 自分の持っているトラウマから解放されるわけです。心理学者たちが言うには、何か非常に高い次元の統合へと導くような力を感じるというふうに言うんですね。

    西塚 そういう話になるとわかりますね。その力は、何だかわからないと。

    ヤス わからない。それは自己としか言いようがないっていう言い方をするんですよ。

    西塚 だとすれば、自己というのは、よりよきものに統合しようとする力であり、むしろかつては神と言ったようなもの、創造ですね、そういうものが自分の中にあるとしか思えない、という話につながりますね。

    ヤス そうです。それで、ユング派の深層心理学者が口をそろえて言うのは、自己の力をいかに引き出してくるのかということが、治療の最終的な狙いだって言うんですね。自己の治癒作用をね、どうやって引き出すのかが最終的な狙い。それを引き出すことに成功したならば、絶対的に治癒すると。一番バランスのよい自己の形成へと向かって進むんだと言うんですよ。

    「引き寄せの法則」から「創造の法則」へ

    西塚 強烈なトラウマというのは、いくつもあるものなんでしょうか?

    ヤス いくつもあるでしょう、やっぱり。

    西塚 そのつど、それをそういう方法によって解消しなければ、なかなか人間は幸せになれないというか…

    ヤス そうですね。人間の内部に、ユングが自己と言ったような、無意識のものすごい荒れ狂う強烈な野蛮性と破壊性、それを意識に統合することによって、より高度な自己を作り上げていく。その統合機能というものが、我々の内部にあるってことだと思うんですね。自分の内面にあるということ。

    一方、フランスのパリのテロというのが、一番の象徴なんだと思いますけども、これからですね、我々が70年間、経済成長によって、または第一次、第二次世界大戦の強烈なトラウマというリソースによって、ある意味で抑止されてきた無意識の破壊的な力がどんどん表面化してくる。表面化してきた最初のケースが、実はイスラム国の原理主義という形をとって出てきた、ということだと思うんですね。

    そうするとイスラム国に限らずですね、抑圧されてるさまざまなトラウマ、無意識の破壊性といったものが、どんどん表出してくるような時期に我々は生きてるってことですね。この70年間、向き合わなくてよかったもの、それとどう向き合って、その破壊性をどのようにして乗り越えるかということが、すごく大きなテーマになってくる。

    西塚 まったくおっしゃるとおりですね。それは本当に面白い見方と言うか、大きな見方であって、第二次世界大戦以降、人類が向き合ってこなかったもの、忘れてきたものが、イスラム国としてまた立ち上がるわけですね。さっきの治療の話で言えば、たとえばイスラム国を患者と見立てたとするとですね、イスラム国ではない欧米側が、仮に心理学者だとすれば、逆転移が起きてですね、欧米社会の中でも何かのトラウマが出てくる。

    僕から見ると、それは消費社会によって出てきた搾取であるとか、管理されてしまって、自己実現とか自己の解放ができないといったようなトラウマであると。それらがイスラム国によってあぶり出されてきた。それらの演じ合いがどういうものになるのかはわかりませんが、いずれにしろ、お互いにトラウマを解消しない限りは、おそらく次の段階にはいけないでしょう。

    ただ、それが戦争だとあまりにも不幸なので、さっきの医者と患者ぐらいのレベルでですね、それをどうやって統合していくかということですね。人間の個人にあてはまるとすれば、たぶん集団にもあてはまると思うので。それのひとつの重要なカギとなるのが、ビリー・マイヤーだと思います。

    ヤス そうだと思いますね。この対談を読んでる人にとっては、ビリー・マイヤーと聞くとすごく唐突な感じがすると思うんですけど、実はそうでもない。この人間の心の中にある強烈な統合作用、それを呼び起こしていくしかないということです。ユングが自己と呼んだものとほぼ同じものだと思うんですね。

    それをビリー・マイヤーは、宇宙の創造の法則、普遍的な宇宙大の創造の法則と言った。我々ひとりひとりもその小断片であると。だから、その小断片である我々の内部に、創造そのものがね、非常に高度な精神性として宿っているということ。やっぱりそれを呼び起こすしかないんだろうなと思う。それは、おそらくユングの言う自己に限りなく近いのではないかという感じがするんですね。

    西塚 そうなると、ビリー・マイヤーの書籍の中には、その呼び戻す方法とかですね、瞑想の仕方から具体的に書いてありますよね。

    ヤス 具体的に書いてある。

    西塚 それを今度ひとつひとつ解き明かしながら、具体的にテーマにあげて見ていきましょう。そういうことをしばらく続けていくしかないですね。

    ヤス そうですね、それしかないと思う。

    西塚 だいぶ整理されてきたようですから、次回はもうちょっと具体的なテーマをあげてやっていきたいと思います。これは本を読んでない人にはちょっとわかりにくいかもしれませけれども、そうならないように努力します。

    ヤス 最後にひと言なんですけど、スピリチュアル界にはあまりにも多くのものがあって、それは混雑した道のような状態で、言ってみればいいかげんなものがほとんどだと思うんです、僕ね。ビリー・マイヤーの本を読むとですね、我々の内部に持ってるような創造性の力といったものが、現実的にどれほどのものなのかということがよくわかる。すごくそれは面白いですね、極めてね。

    ただここで重要なのは、たとえば「引き寄せの法則」ってあるじゃないですか。ビリー・マイヤーの本の中で、何度も創造といったものに焦点を当てて言ってることは、実は我々自身に現実を作る能力があると。あらゆる現実を、我々が自分自身の好きなように作る能力があるってことなんですね。その能力を感知することによって、たとえばイスラム国のテロが激増して、未来がとんでもないことになるということも、変更することが可能になるだろうと思う。

    ただそのときにですね、私たちはこういう未来がいいなといったような、特定の未来を想念としてビジョン化してね、それで願えばいいのかと言うと全然そうではない。実はその引き寄せの法則には、非常に大きな落とし穴があるということですね。

    西塚 そのへんも含めて、いろいろな事柄を具体的に参照しながらやっていきましょう。そのほうがきっとわかりやすいと思うので、そういう方向でやりたいと思います。

    ヤス そうですね、そうしましょう。

    西塚 じゃあ、次回もう少し詳しくやりたいと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。

    ヤス こちらこそ。どうもどうも。


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