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    2015-11

    酔っぱらいオヤジの「Spiritual Meeting」第21回

    11月29日

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    第19回の「ヤスの勉強会」の様子を一部アップロードしました。よろしかったらどうぞ!



    次回の有料メルマガの予告

    12月4日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、ロシアとトルコとのほとんど知られていない関係を解説する。本当に不気味な情勢になってきた。また、これも知られていないが、イスラエルとEUの外交関係がとても悪化している。最後に、日本が二期連続でマイナス成長になることで、国際的にはアベノミクスは失敗したと認定された。これから日本売りが加速するかもしれない。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

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    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第21回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第21回のご案内

    ヤスの勉強会」の第21回を開催します。やはり、パリの同時テロ、ロシア軍機の撃墜など予想を越えた事件が相次ぎ、世界は一層混沌としてきました。今回は2016年を本格的に展望します。

    【主な内容】

    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・ロシアと欧米、そしてトルコとの対立の行方
    ・超社会主義に向かう道
    ・日本の今後と未来
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

    よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:12月26日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

     いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    12月6日と1月16日の2回、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第一回目のパートナーは有名ブログ「In Deep」の岡靖洋さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第21回

    spi151

    西塚 こんにちは。「酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting」の第21回ですね。今回もヤスさんをお招きしております。よろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス カンパーイ! どうもどうも。21回。

    西塚 そうですね。20回を超えまして、ゲストもお招きしようかと思ってるんですが…。

    ヤス ゲストもたくさん呼んでください(笑)

    パリのテロ! 日本も予言されている!

    西塚 前回、ヤスさんとも、ビリー・マイヤーも含めてもうちょっとスピリチュアルな話を突っ込んでやろうって話になりましたが、やっぱりその前に金曜の、日本では昨日ですね、テロですね、フランスの。あれはまさしくエノク予言じゃないですけれども、ちょっとシャレにならないですね。

    ヤス シャレにならないね

    西塚 130人近くも亡くなって。一報をお聞きになってどうでした?

    ヤス あれはおそらく、メルマガにも書いたんですけど、今後ですね、ISがらみのテロというのが全世界的に拡散するなっていうことは、まあ見えていた。僕が見えていたというよりも、ある意味で道理としてわかりやすいと思うんですよ。予想しやすいと言うか。たとえば今、シリアを中心とした難民がかなりの数ヨーロッパに入ってるじゃないですか。もう2カ月前の記事で、4,000人のイスラム国の戦闘員がヨーロッパに入ってしまったとすでに確認されているわけですね。現在フランスのみならず、ドイツとかイギリスとか、シリア難民に混じってイスラム国のテロリストがかなり入ってると思いますよ。今回の事件というのは、フランスの非常に痛ましい事件ですけども、最初の事件でしょうね。

    西塚 ということは、続くぞと。

    ヤス 続くぞ、です。だからこの一回ではない。どんどん同じような事件が、ヨーロッパ各国で続いていくと思います。非常に残念ですけど。

    今、ニュースの一報が一番早いというのは、やはり「Russia Today(RT)」なんです。Russia Todayの報道ってものすごい早いです。アメリカのCNNとかってレベルじゃないんですよ、報道のスピードがね。なぜかと言うと、ツイッターとかSNSを丹念に見てて、SNSから上がってくるような情報をつかんで、それが実際にそうなのかどうかと記者が飛んでいって検証するわけですね。それが事実だったら、すぐに流すといった感じなんです。だからCNNとか、FOXニュースとか、あんなレベルじゃないですよ。SNSを実に効果的に利用する報道体制をとっているので、今回のフランスのテロ事件でもね、6カ所同時に起こるわけじゃないですか。

    西塚 同時多発テロですよね。

    ヤス 同時多発テロです、まさにね。ひとつはサッカースタジアムで、これはドイツとフランスの親善試合をやってるときに起こる。そうすると、中にいる人たちがバンバン、ツイッターするわけですよ。フランス語でツイッターして、ツイッターしたものをすぐにRussia Todayの取材記者がつかんでね、今こういうことになっているとすぐに発表するわけですよ。

    西塚 ああ、記者がいくわけですか。

    ヤス 記者がサッカースタジアムの外に構えていて、内部でこういうことが起こってるとバーッとそこで報道するわけですよ。それがえらいリアルなんですね。それから小さいコンサートホールで乱射が起こりました。そのときも、乱射をしている最中にツイッターで送ってくる。それがRussia Todayを通して、ちゃんと報道されるという形のリアルさですね。僕はずっと見てたんですけど、まあリアルでしたね。

    西塚 ちょっと前にも、エルサレムのアル・アクサ・モスクの襲撃の例がありましたね。
    あのときもRTは早かったですね。

    ヤス そうそう。

    西塚 もう即、ツイッターで上がってきたものを流すという。あんまりヘンなことを言っちゃいけないけど、日本もターゲットになってるって話ですね。

    ヤス 今回のテロを見ててギクッとしたのは、ジョセフ・ティテルという予言者がいるんですが、この人はだいたいその年の始めにね、たとえば2015年はこうなるであろう、2014年はこうなるといったような、非常に長い予言をするんですね。その予言の中で、たしか第55番目の予言だと思うんですけど、パリでテロがあるということを予言してるんですね。

    西塚 それはいつごろですか?

    ヤス 今年の1月1日です。元旦ですね。要するに、イスラム国がらみのテロが今年は急に増えると。それが世界的に行なわれる。そのテロが起こる地域をいくつか指定してるんですよ。ひとつはパリで、もうひとつは日本なんですね。あともうひとつはアメリカ。

    西塚 いやあ、ちょっと背筋が寒くなると言うか。パリの場合は一応厳戒態勢をとってたわけで、それでもやられた。日本だったらひとたまりもないですよね、そういった意味では。

    ヤス たしかに。今回のテロ事件は、これからどんどん続く可能性が大きいですけど、基本的には歴史を変えるってところまではいかないかもしれないけど、ある意味で世界情勢のひとつの結節点、潮目の変換になるような事件ですね。

    西塚 潮目とは、具体的に言うとどのようなことでしょうか?

    国際秩序の再形成、超社会主義へ

    ヤス ロシアを中心とした反テロ連合というのができつつあるってことだと思います。アメリカは何をやっていたのかと。ISに関して、1年半も空爆をしてきたフリをしてたんじゃないかと。いわゆるアサド政権憎しで、むしろISを応援してたのではないかってことが、欧米のメディアでもさんざん話題になっていて、それは多くのアメリカ人も知るところになってるわけですよね。

    ただ今回はっきりしたのは、ロシアが現在イスラム国をシリアで空爆しているわけですけども、ロシアを中心とした反イスラム、反テロ多国籍連合みたいなものができるという流れになってきたということですね。おそらくそのような流れができると思います。中東問題の解決のためのひとつの重要なカードとして、ロシアが現れてきた。アメリカではない。中東の全体的な秩序を作り上げ、それを維持していく主体として、ロシアを中心とした新たな国際秩序の形成主体が出てきたということだと思うんですね。これがひとつの大きな潮目の変換だと思います。

    もうひとつの潮目の変換は、ヨーロッパ国内でこれから起こるであろう極端なナショナリズムですね。今回のテロを機会として、やっぱり移民を受け入れては駄目だ。ヨーロッパはヨーロッパの価値観を守るべきだといったような、強烈なナショナリズムの嵐になって現れてくると思いますね。

    西塚 各国家が国の文化を含めたナショナリズムに目覚めるということですか?

    ヤス 目覚めると言うか、もう目覚めているんですけど、むしろ極端な極右の政党と言うか、極端なナショナリズムを標榜するような政治運動が、今までは一般的な中間層であるとか、普通の意識を持つ人たちの中には入っていけなかったわけですよ。でも今回のテロ事件がひとつのきっかけになってね、彼らの言うようなナショナリズムは正しいんではないか、我々の安全な社会を確保していくためには、何やかんや言っても最終的に排除せざるを得ないじゃないかといったような方向に、急速に世論が動いていくって可能性はありますよね。

    西塚 それは民族問題に関係ありますか? たとえばスペインだったらバスクとか、カタルーニャとか、いろいろありますよね、民族的な独立運動をみたいなものが。各国の中の、全部が全部じゃないでしょうけども、民族的なアイデンティティに根ざしたようなものが、逆に盛り上がってくるということですか?

    ヤス 盛り上がってくる。言ってみれば、今回のことが、図らずもある意味でスイッチを押してしまったってことです。それは民族主義ないしはナショナリズムを通り越した、いわゆる民族的なアイデンティティに目覚めて、それを強化していく、そしてそれを主張していくというようなひとつの流れに転化してしまったということです。

    西塚 そうなると、ちまたでよく言われてる陰謀論も含めてですね、超国家社会主義、ヤスさんメルマガでもよく書かれていますね、超階級社会、超格差社会という、それがヨーロッパを中心にこれからできていくという話がありますけど、そこにつながるひとつの事件だったということですね。

    ヤス 結局、そこにつながっていくと思うんですね。この極端なナショナリズムの高まり、極端な民族運動の高まりというのは、現存する国家の秩序、現存するEUの秩序、社会の秩序といったものをバラバラに引き裂くためのね、非常に大きなモメンタムみたいな力になってしまうわけですよ。

    今、スペインのカタルーニャの独立問題が話題になってますけど、あれに対してスペイン政府はものすごい強烈な抵抗を示している。国家の統合性を維持するという強固な意志ですね。それだけ地域の独立運動とか、民族運動ないしはその地域的なナショナリズムは、国家といったものを最終的に分裂させる非常に大きな力になり得る。それは、国家を超えたもっと高い統合性を主張しているEUみたいなところから見ると、やっぱり危機になるわけですよ。危機になるんだけども、この危機を利用してですね、より管理主義的な体制が作りやすい状態にもなるんです。

    西塚 ヤスさん自身はどう思われます? それは何かしらの力なり、どこかの少数のグループかどうかわからないですが、そこに向かってるという話がありますけども。

    ヤス 僕は、超社会主義の方向に向かってると思いますね。

    西塚 やっぱり向かってる…

    ヤス 国家を分裂させるようなひとつの動きといったものを、これはチャンスであると利用するような超社会主義の実現を目指す支配層、そういう集団がパワフルになっている。

    西塚 もっと言っちゃえば、そういう輩が演出したとも言えるわけですか? 可能性としては。

    ヤス うーん、どこまで関与してるかはわからないけども、これを好機として捉えてる集団があることは間違いない。

    西塚 いわゆる陰謀論となると、そのために演出して起こしているって話になるんですが、
    それに関してはヤスさんどのように思われてますか?

    ヤス 今、ちょうど情報を集めてるところで何とも言えないけども、イスラエルの関与がチラホラしてることは、ひとつあると思います。イスラム国そのものの結成にイスラエルが関与してるという疑いが十分ありますのでね。ただ問題は、単発の事件がどういう背後関係で引き起こされたかっていうことだけに終わらせるのではなくて、これがもっと古い歴史的な文脈の中でね、基本的にどういう流れに歴史を向かわせるのか、といったところを押さえることがすごく重要だと思うんですよ。

    向かう方向性があるとしたらふたつだと思うんです。ひとつは、地域ナショナリズム、民族主義というものをどんどん強化して、EUみたいな国家を超えた統合体がバラバラになって、最終的には民族主義によってヨーロッパのいろんな地域とか国が、お互いに争い合う状態になってくる。その流れがひとつあると思う。

    もうひとつ可能性としてあるのは、そのような危機を防止するためにね、むしろ超国家的な共同体を強化していくという流れがあり得る。EUの強化ですね。僕は、このふたつの流れがあるとしたら、後者のEU強化の流れに動くと思います。だから、いい口実になるわけです。

    たとえば今回のフランスの事件はオランド政権に対するすごい痛手ですよ。あれほど厳戒体制をしいてて、オランド大統領が観戦してるサッカー試合の最中に爆発が起こった。オランド政権は何をやってるんだと、フランス国内で声が上がってきてますけども、この議論はどこにいきつくかと言うと、やっぱり単一の政府だけでは、この危機に対応するのは無理なのではないかということですね。だったら、全EUのあらゆる政府が共闘を張って、より強固なセキュリティをシステムとして保障する体制を確保しないと駄目なんではないかというところにいく。それは明らかにEUの強化の方向だと思います。

    西塚 EUの強化は誰が望むということになるんでしょうか?

    ヤス EU全体を帝国主義化したいという主体でしょうね。

    西塚 そういう存在があるということですね。

    ヤス あると思います。間違いなくある。EU全体の超社会主義化をねらう勢力はあると思います。

    勘と直感は感情と分ける!

    西塚 なるほど。ちょっと話しが変わりますが、ヤスさんにおうかがいしたいのですが、   何となく怪しい感じがする、という感じがあるじゃないですか。その感じはあてにならないときもあるし、今回のパリのテロを見てもイヤな感じは誰でもすると思うんですけれども、その感じというものは何のか。

    たとえば、陰謀論系の超社会主義的な、NWOみたいなものと結びつける人もいれば、そうじゃない人もいる。同じNWOに結びつける人でも、ちゃんと順を追って論理的に過去のことを分析しながら、結論としてそうとしか考えられないと言うか、その可能性が強いよねという人と、感覚的に何かこれはヤバい!誰かがこれを仕組んでるんじゃないか、という感覚の人がありますよね。

    勘は正しいときもあれば、かなり間違えるときもある。ちょっと話しがずれていくかもしれませんけど、ニュースを見ても右から左に抜けちゃう人もいれば、何となく自分の知識で、これはヤバいぞ、世界はこうなってるぞ、というふうに思う人もいる。いわゆるスピリチュアル的にこれはこうこうこうで、次にこういうものが世界にくる前触れだという人もいる。いろいろな捉え方がある。その根幹にあるのは、論理をおくとすれば、おあおらく勘なわけですね。直感とか。

    何でこんなことをいきなり言い出すかと言うと、いろんなニュースで反応して、またさらに反応していく。そこには、どうしても各個人の勘とか直感が作用するわけですね。だから、直感というものはもっと精査されて、検証されてしかるべきだということなんですが、ちょっと話が飛びましたかね。

    ヤス 直感というのはあると思います。一般人である我々が抱く直感というのは、感情と密接に、不可分に結びついていると思います。感情の場合、ほとんどがノイズですよ。

    西塚 ノイズ? 感情がノイズであると。

    ヤス 喜怒哀楽ですから。感情は目の前の何か具体的なものに反応して起こってくると思うんです。あんたが嫌いであるとか、好きであるとか、基本的に感情というのは、怒りであるとか、悲しみであるとか、自分が生きる過程で経験する、何かの出来事に対するひとつの反応として沸き起こってくる。それに対して直感というのは、判断だと思いますね。非常に冷静な判断で、そこに感情はほとんど入っていない。

    西塚 論理もないですか?

    ヤス 論理もないですね。結論だけが先にくるという判断ですよ。こうなる、とかね。こうだ、とかといったような形。これは僕だけの分け方で、それがどこまで妥当性があるかどうかはわからないけども、本来の直感はほとんど感情をともなわない。非常に冷静な判断としてやってくる。しかしながらですね、どこまでが自分の感情をともなわない判断で、どこまでが感情なのか、区別がつかない状態でやってくるんですね。

    西塚 そうですね。そこがちょっと悩ましいところですね。

    ヤス そうです。だから多くの人たちが、直感、直感、と言ってるんだけど、基本的にはそれは感情にすぎないと思いますよ。

    西塚 そこなんですね、僕がおうかがいしたいことも。直感なのか、感情なのかという。都合のいい感情もあるでしょうから。僕もこれまでの対話の中で、スピリチュアルという言葉とか、直感とか、けっこういい加減に使ってたところもあるので、今日から徐々に、もうちょっとそのへんは厳密にしていきたいなと思ってるんですね。ヤスさんにおうかがいしながら、ひとつひとつ定義していきたいなと。今日は、感情なら感情、ちょっと徹底的におうかがいしたいなあと。

    ヤス 直感でも感情でも、判断という要素は必ず入ってると思うんですね。いいいとか悪いとか。僕は、いいとか悪いとかという判断にね、自分の感情が混じってるかどうか、すごく敏感になろうとしてるんですね。ああ、これは恐怖心から出てるなとか、これは何かの怒りから出てるとか。

    怒りといったような気持ちと一緒になって出てきた判断というのは、直感ではない。また恐怖心という怯えの感情とともにやってくる判断は、直感ではないですね。ひとつの感情的な判断にしかすぎない。だから無視してもかまわないんですよ。判断ではない。そうではなくて、いっさい感情をともなわずに、非常に自分の心の深いところから、間違いなくこうなるという確信として出てくるものは、直感ですね。

    西塚 なるほどなあ。それを検証する目はどこにありますか? 自分の感情が出てきて、ワッとなったときに、恐怖心だ、不安だ、嫉妬だ、怒りだとあるとして、それを判断する主体は何でしょうか?

    ヤス まあ、それは自分の思考で判断してるんですけど。ちょっとでも感情が入ってるならば、これはもう直感ではないと無視するようにしてます。ほとんどね。なぜかと言うと、時間が経ったら消えるしね。変質してくるし、判断の内容が変わるので、これはほとんど関係ないなと無視するようにしてる。

    西塚 すごいですね。それは昔からなんですか?

    ヤス 昔からですね。だから、そのような感情的な質をともなう判断というのは、ほとんど当たらないんですよ。間違ってるんです、たいていね。

    西塚 それはご自身の経験があって、ということですか?

    ヤス 僕の経験もありますよね。そのような感情的な判断を根拠に、自分が実際に行動した場合はたいてい間違う。

    西塚 その間違った判断というのは、結果によって判断するということですか?

    ヤス 結果によって判断する。あ、やらなければよかったなって、たいてい後悔の原因になりますね。

    西塚 そのときに、人間万事塞翁が馬じゃないですけども、そのときはそう思ったんだけども、結果的にあれはよかったということもありますよね。

    ヤス 未来ってずっと生きてるわけで、どの時点で捉えるかによって、よかったか悪かったかはわかりませんけどね。ただ多くの場合、自分の感情に基づいた判断というのはだいたいね、ネガティブな結果しかもたらさないですね。

    西塚 わかりますね。いきなりちょっと面倒くさい話になってきてるかもしれませんが、いろいろな判断があるんだけれども、感情的だったとしてもですよ、あるいは論理的な結果かもしれないですけど、僕は感情的なこともそうなんだけども、同じように論理的な思考もちょっと疑ってるわけですよ。むしろ直感のほうが正しいんじゃないかというときもあるという。

    いわゆる本来の直感はおいときますけども、今ヤスさんがおっしゃったものは本当に感情に近いものであって、そのときカッとして何か言っちゃうとか、そういう類の感情だと思うんですが、それはわかるんですけど、言っちゃったんだけど、逆にそれによって反省したりもして、結果がひどければそれこそ結果的には、よき方向へ持っていくという源泉にもなり得るという。

    ヤス 間違いを経験することによって、間違いを学ぶっていうのはあります。それはひとつあるかもしれない。そういう間違いを体験するのは大事だと思うんですよ。大事だと思うんだけども、だからと言って、感情に基づいた判断で動くべきだとはちょっと言えないですね。

    西塚 思わないですね。

    ヤス それは絶対にありえない。それを経験しないと、いかにそれが間違ってるかを学べないよってことは言える。

    現実を創造していく主体としての「霊」

    西塚 ビリー・マイヤーの話は、ずっと何回もしようとして止まってますから、とりあえずやっちゃいますけども、僕はヤスさんから紹介していただいて、ビリー・マイヤーの本を読んで、その感情のことも含めて、間違う経験がいかに大事かということが書いてあるわけですね。そうじゃないと進歩しないと。

    ビリー・マイヤーはヤスさんから説明してもらったほうがいいんだろうけども、僕が簡単に言っちゃうと、スイス人のビリー・マイヤーという人が、ある地球外生物なのか、高次元の存在なのかはわかりませんけども、コンタクトを受けて、そのコンタクト記録をずっと、いまだに書いてらっしゃる人ですね、簡単に言えば。

    それがビリー・マイヤーの文章かどうかは僕もわからないですけど、一応コンタクトしてきた存在が言っているという内容がずっと書かれる。それはヘタな哲学書よりも深淵であり、実践的であり、僕がその一端として思い出したのが、さっきの経験の話だったんです。順番があるのだと。我々は未来がわかったりするけども、それをいきなり教えるということはないのだと。経験を経ていかなければならないと。そうしないとわからない、あるんですね。それは僕はわりとわかりやすかった。自分で痛い目を見て、そこからステップアップしていくと言うか、広げていくことの重要性、必要性。経験に関して言えば、そういう感じですね。

    ヤス ビリー・マイヤーのことをおっしゃったので、それに絡めて言うとですね、ビリー・マイヤーの本の中で、僕がかなり説得的だなと思ったのは、意識の分類なんですね。ビリー・マイヤーが何度も言ってるように、意識にはまず物質的な意識があると。物質的な意識というのは、現在、生きるうえで必要になってる自我の意識ですよね。言ってみれば、我々が今感じている意識のことを物質的な意識という。

    西塚 まさに我々が今こうやって話している意識。

    ヤス 今こうやって話している意識が、物質的な意識ですよね。その物質的な意識のちょっと向こう側に、物質的潜在意識があると。それは、我々が無意識とか集合無意識と言っているようなものですね。それもやっぱり物質的な潜在意識。さらにですね、この物質的な意識と物質的な潜在意識というのは、死後すべてなくなってしまうんだと。残らないという。

    西塚 物質とともになくなる。

    ヤス ただ、死んでもずっと輪廻転生しながら生き続けている本体になっているのは、ビリー・マイヤーが「霊」と言うものですね。霊とは何かと言うと、宇宙全体を創り上げてるひとつの「創造」というものですね。いわゆる神ではない。神ではなくて、宇宙全体を創り上げている一種の生命的なエネルギー体なんですね。その一部分が分かれた、あるちっちゃなものが霊なんだと。だから基本的には、宇宙全体のこの生命体の一部なんだという言われ方をする。それが我々ひとりひとりの中に宿っていて、これが人間のいわゆる核心を作り上げていると。これを霊と言う。その霊というのは、ひとつの人格を持ったものなんですね。

    西塚 各個人に宿ったときに、人格を持つということですか?

    ヤス いや、もうすでに宿ってる、ひとりひとりに。まあ、どの時点で人格が宿るかはわからないんだけども、ただもともと我々の内部にあったその霊といったものが、ひとつの存在としてあるということですね。

    西塚 それぞれ、「分霊(わけみたま)」と言うとわかりやすくなるのかもしれませんけど、大きなものがあって、その一部がみんなに宿っていて、それぞれみんながユニークであるということですね。

    ヤス これね、ある意味で日蓮の発想と極めてよく似てるんですよ。天台宗もそうなんですけど、要するに人間ひとりひとりの生命というのは、実は宇宙的な生命から、本当にちょっと分かれた一分子と言うかな、そういうものなんだと。最終的には我々は、宇宙的な生命の一部なんだと。このちょっとした分かれ目、ビリー・マイヤーが霊と言ってるような存在を、たとえば日蓮的な仏法の中では、または天台的なものでは、「仏」ということですね。

    西塚 その話は本当に面白いですね。半田広宣という人がいるんですが、言ってみればビリー・マイヤーのような人です。その人も、日蓮と関係してますね。そういった意味で親和性があると言うか、親近性があるかもしれない。日蓮はキーワードの気がします。キーパーソンでもいいですけども。僕もかつてちょっとだけ勉強したことがありますが、日本人の中で言うと、日蓮は面白いなと思います。

    ヤス ビリ・マイヤーのこの対話と実によく似てますよね、日蓮は。

    西塚 そうですか。そこまでは僕はまだわからないのですが。

    ヤス そっくりですよ。

    西塚 対話として、日蓮は何か書物がありましたっけ? 

    ヤス 日蓮はいろんな文章を書いてます。経典やなんかも書いてる。それを読むと、実にもうビリー・マイヤーにそっくりですね。

    西塚 有名な何とか論…

    ヤス 「立正安国論」。

    西塚 そう、「立正安国論」ですね。あれもそういう感じですか?

    ヤス 「立正安国論」そのものではないですけどね。日蓮は、いろんな信者にお手紙みたいなものを遺してて、論文も書いてるし、その現代日本語訳みたいのが出てて、それを読むとですね、本当に仏の概念はビリー・マイヤーの霊の概念とそっくりです。

    西塚 あと、日蓮と言えば宮沢賢治ですね。「銀河鉄道の夜」などのいわゆる詩的な、芸術的な感性。それと法華経がどう結びついてるか当時はわかりませんでしたが、何かの親和性があるんですね。言ってみれば芸術で、ビリー・マイヤーの本の中でも、セミヤーゼかプターがですね、幾何学的な形とか、数学的、物理的な考え方を重視するような記述があったように記憶してます。

    ということは、やはり僕は芸術だと思うんですが、芸術的な感性というのは、言葉で論理的に追うことにもう限界があって、違う感性も合わせることが必要になってきたということではないか。そういう感性を持ち合わせたうえで、いろいろと判断なり、検証なりをするという。もうちょっとその部分を拡大しないといけない。そういう知性が必要になってきたと、すごく痛感するんですね。

    ヤス 基本的に日蓮のひとつのテーマとなってたのは、仏といったものをどうやって呼び覚ますかということですよ。これは、ビリー・マイヤーが持ってるようなテーマと同じです。どうやって霊にコンタクトをとって、本来の自分の生命、心の奥底にあるこの霊を呼び起こすかってことですね。僕はそういう意味で、直感というのは霊から出てくるひとつのメッセージみたいなものだと思います。

    西塚 僕もそれは思います。ただそれは、もちろん感情ではない。そのジャッジですね、それはその霊なり、仏なりにアクセスした人しかできない、ということなんでしょうか?

    ヤス そこまで神秘的なものじゃないと思うんです。おそらく、ビリー・マイヤーの本もそうなんですけど、絶えず霊はこちらにコンタクトしようとしてると。ただ我々が、そのコンタクトを捕まえるかどうかなんだということですね。普通、我々の物質的な意識というのは、ある意味で感情のルールの中に生きているわけですよ。感情というのは脳みそなんで、脳みその海の中に生きてるときにね、霊からいかに直観的なひとつのメッセージが加わったとしても、我々が捉えられないということなんだろうなと思う。

    西塚 ノイズが多すぎちゃって、聞こえないということですね。

    ヤス 聞こえないんです、全然。たとえばほとんど感情がないような状態で、湧き上がってくる判断ってたまにあるわけですね。それはですね、僕の場合ですけど、やっぱりものすごい強い確信として出てくるんです。間違いなくこうなる、とかね。こちらの方向だとか、これはこうだという、直感的な強い判断として出てくる。それが出てくる出どころって、ものすごい深いところから出てきてる感じがするんですね。そういう意味では、やっぱりそれは霊的なものかなというふうに思いますね。

    西塚 そこでちょっとわからなくなってくるのは、あらかじめあったものが根本から出てくるのか、あるいはこうしたい、こうすべきものだというものがあって、自分がそれを創造していくときの喜びなのかっていうのは、僕はちょっとわからないんですよ。

    たとえばですよ、時間軸で言えば何か未来があるとして、こうなるべきだというものに、魂の奥底からそれを見越してそっちにつなげていくのか、あるいはそれを自分で実現するときに確信を持つとして、その確信を持つということは、未来は決まっていて、そこにいくから確信を持つということなのか、僕はそのふたつだと思うんです。両方が結びついてるのかもしれませんけども。

    つまり、決められたラインがいくつもある中で、あるラインを自分はこうありたいと選んだ、つかんだということなのか、あるいは自分で創り上げられるということ自体を確信しているということなのか…ってちょっと伝わってないですね。僕は、クリエイトするほうだと思ってるわけですが。

    ヤス もっと言うとね、理屈はそこにはいっさいなくて、自分はこのような現実を創り上げるという確信ですよね。それしかない。自分が将来、こういう現実を創り上げるんだというものすごく強い確信ですよね。

    西塚 そこをもうちょっと細かく言うと、ある未来の現実があるとするじゃないですか。それはわかってるわけですよ、自分が。そのときにわかってる現実は、未来の自分を見たのか、あるいは自分がそういうことをやるという力があるから、その確信なのかが、ちょっとわからないんですね。

    ヤス いやいや、だから将来そういうふうにあるというような、客観的な現実ってもともとないんだと思いますよ。我々が創ってるんです。

    西塚 やっぱり、そういうことですね。

    ヤス そう。それは、そのような現実を私は創りますよという宣言なんです、その確信というのは。だから初めから決められているわけではなくて、感情をいっさいともなわない確信としての判断で、自分は将来的にそうなるということ。私はそういう現実を創り上げますというね、宣言です。

    西塚 そこなんです。もうちょっと突っ込んじゃいますけども、僕はゼランドをずっと読んでて、腑に落ちてるから言うんですけどね。未来のシナリオは無限にあるんだと言うんです。スライド写真のようにして無限にある。自分が創り上げるというより、すでに無限にある。自分のどの将来、将来じゃなくてもいいんだけど、シナリオは無限にあるから、それを選ぶだけだと言うんですね。自分が創り上げるというよりは、選ぶだけだと言う。ただ選べばいいだけだと言う。その選べばいいということと、創り上げるということは、僕は実は同等だと思っているんですが、そこの関係性がうまく解釈できないんですね。

    ヤス 創り上げるにはイメージがなくちゃいけないわけでしょ? イメージって有限だと思うんですよね。だからどのイメージを選ぶのかっていうこと。それは知ってるどの現実を創り上げるのかってことだと思うんですね。

    でも僕はね、おそらく客観性ってほとんどないと思う。客観的世界は、場合によってはないかもしれないということですよ。すべてのものは、実は自分が創り出してる。ということであれば、選ぶべきような対象が事前にあったかと言えば、それもない。だから自分がこうする、と思った段階でひとつの現実ができ始めるということだと思います。それが、ビリー・マイヤーの言うような、霊の持つ現実生成力でだと思います。

    西塚 すごく面白い話で、逆に言えばですよ、ただの表現の差であって、シナリオが無限にあるという言い方じゃなく、自分で何でもできる、という言い方にも変えられるわけですね。

    ヤス まあ、簡単に言うとそうですね。

    西塚 ちょっと、つまらない表現の仕方で悩んでただけかもしれないなあ(笑)。

    ヤス そうそう。だから、事前に何かがあって選べよ、じゃない。そんなものもないとい
    う。

    西塚 何でも可能なんだという世界。

    ヤス 何でも可能なんだということだと思います。

    西塚 ああ、そっちのほう能動的だし、ちょっとワクワクする話ですね、たしかにね。

    ヤス だから、現実そのものを創り出すような無限の生成力というのは、実は我々の心の深いところに存在してる霊の本来の力なんだと。

    スピリチュアリズムっていう言葉がありますでしょ? これは整理し直したほうがいいと思うんですね。

    西塚 そうですね。

    ヤス 我々が使ってるスピリチュアリズムって何かと言うと、人間の心の底にですね、宇宙的な生命の一分化と言うか、ひとつの分子が実は宿っているということね。それが我々の生命の根源にある実態なんだということ。これに気づくということが本来のスピリチュアリズムのあり方ではないかと思うんですね。だから、それ以外のものというのは、わりと枝葉末節のことかもしれないなという感じもしますね。

    西塚 だいたいこのミーティング自体が「酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting」というネーミングで、初回の冒頭で、人間のやることは全部スピリチュアルだって僕が勝手に言っちゃったんですけども。僕の考えだけで言うと、人間が関わるものは全部スピリチュアルだと思ってるわけですね。スピリチュアリズムは何かと言うと、要するに神秘であれ、心であれ、魂であれ、とにかくこの世に人間が生きている限り、そういうことはすべて関わってくるだろうということで、スピリチュアルと括ったんですけれども、それとは別にですね、そういうことすらも統制する原理原則とか法則みたいのがあって、実は僕はそれを探究しているんですけども、それとは違う話かもしれませんね。

    僕が勝手にスピリチュアリズムにそれも入れちゃって、いわゆる原理原則なり、宇宙の法則、自然の法則も取り入れちゃって、スピリチュアリズムと言ったものだから、けっこう混乱してしまった。ちょっと反省としてあります。それをヤスさんが整理してくれるとは思うんですけれども。

    ヤス いえいえ、だから今、西塚さんがおっしゃったことを僕なりの言葉で言うと、人間の行動のすべてがスピリチュアリズムだということですね。我々が関わっているあらゆる客観的な現実すべてのものを創り出しているのは、人間だっていうことです。それが本来のスピリチュアリズムで、西塚さんが言ったことを僕なりに言い換えるとおそらくそうなると思うんです。

    したがって、人間がどのような現実を創り出してきたのか。それは我々の根底にあるこの霊といったもの、仏といったもの、これが実は現実を創り出す本体にあるものだから、我々が創り上げてきたすべての現実というのは、実は我々の本体にあるものが創り上げている。そのゆく末と言うか、それをどのように創り上げているのか、それを見るのがスピリチュアリズムでしょう。基本的には。

    西塚 まさにそうですね。僕がこれもスピリチュアル、あれもスピリチュアルってんで、ちょっと曖昧になってたところを、見事に整理していただきました。今回21回目ですけども、よかったなあと(笑)。

    ヤス ちょっと話しておきたいと思うのは、ここでほら、ウェストファリア条約であるとか、30年戦争などの宗教戦争の血みどろのね、殺戮の中から「コギト・エルゴ・スム」といった自我哲学が生まれる。すなわち宗教によらない、普遍的に納得できるものは何なのかという探索の中から出てきたという話をしました。

    我々というのは今、30年戦争以来のですね、ものすごい不合理が荒れ狂う世界の中にこれから生きていくわけですよ。それはおそらく30年戦争という宗教戦争を上回る破壊性と不合理が出てくる世界ですね。

    西塚 パリがそうですね。

    ヤス 今、パリがそうです。このテロというのは、間違いなくそのひとつの現われだと思う。そうなってくると、ある意味でデカルトと同じような問いが、現在も問われねばならない。それは宗教によらない普遍性があるのかと。ただ今回は、それは自我ではないですね。それは何かと言うと、我々の心の中にある普遍的な霊性、普遍的な現実の生成力を持った霊性、仏といったもの。これを実感できるかどうかですよ。

    西塚 そうですね。デカルト以上にと言うか、それを超えた新しい意識を…

    ヤス 意識ですね。ただ、それを実感できるということ。実感するということを根底に共通したひとつの体験としてみんなが持つこと。それが新しい意識を生む前提になってくると思う。

    西塚 まったくその通りだと思います。それが問われているということですね。

    ヤス 問われてる。だから、どうやったらみんなそれを実感できるのか。それはビリー・マイヤーは瞑想とはっきり言うわけですけども。

    西塚 僕なんかに言わせると「合気」もそうなんです。今、サボってますけど(笑)。その話も今度したいと思います。

    ヤス そういうことで、じゃあ次回。

    西塚 ありがとうございました。

    ヤス こちらこそ。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第20

    11月21日

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    第19回の「ヤスの勉強会」の様子を一部アップロードしました。よろしかったらどうぞ!



    次回の有料メルマガの予告

    11月27日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、パリ同時多発テロの背後にあるイスラエルの関与について詳しく解説する。もちろんこうした情報が日本で紹介されることはない。実はイスラエルとEUの関係は悪化しており、イスラエルは大変に孤立化していた。どうもこれがパリ同時多発テロの背景のひとつになっていたようだ。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

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    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第20回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第20回のご案内

     「ヤスの勉強会」の第20回を開催します。やはり、「抑圧されたものの噴出」は勢いよく続き、世界各地でブラックスワンは発生しています。11月までに起こった変動を解析し、2016年の世界を展望します。

    【主な内容】
    ・パリ同時多発テロの隠された真実
    ・アメリカの本当の敵はロシア、中国ではない
    ・世界経済は本当に大丈夫なのか?危機の源泉
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

     よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:11月28日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

     いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    高松の講演会

    以下の日程で高松の講演会を行います。お近くの方はぜひどうぞ!毎回ディープな講演会をしています!

    日時  平成27年11月27日(金)18:30受付 19:00~22:00前後まで
    場所  高松生涯学習センター

    会場内の掲示板にて部屋の確認をお願いいたします。
    〒760-0040 高松市片原町11番地1
    電話:087-811-6222 FAX:087-821-8022
    会費   ¥5000/人

    講演会後、高島先生を囲んでの懇親会を予定しております。場所 未定ですが高松市内にて行う予定です。

    主 催  里坊会計事務所 里坊昌俊
    実行委員 有限会社ウエストフードプランニング小西啓介、ソニー生命保険株式会社 山下智幸、株式会社京蔵 京兼慎太郎、株式会社クリード インテグレーション平野伸英

    内容
    ・パリ同時多発テロの隠された真実
    ・アメリカの本当の敵はロシア、中国ではない
    ・中国が危機の引き金ではない?
    ・ロシアの隠された計画
    ・新しい意識を手に入れる


    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    12月6日と1月16日の2回、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第一回目のパートナーは有名ブログ「In Deep」の岡靖洋さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
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    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第18

    spi151

    西塚 今日は『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の第20回です。またヤスさんにお出でいただきました。今日もよろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス どうもどうも。カンパーイ!

    西塚 今日は缶じゃないんですよ。僕の合気柔術の先生は医師なんですが、アルミが溜まるということで、あまり缶ビールとか飲まないほうがいいという話がありまして。あまり気にしちゃいけないし、僕もガンガン飲んでますけど、一応聞いてしまったので、ヤスさんにアルミが溜まってもいけないかなと思いまして。ボトルからグラスで作ってます。

    ヤス いえいえ、さんざん溜まってるかもしれない(笑)。

    西塚 前回、最後にビリー・マイヤーの話になりましたが、その前に今週の気になるところをお聞きしたいなと思います。BPOのお話は知ってますか? 放送倫理関係ですが。

    ヤス ああ、文句つけたという。NHKにあまりにも政府が介入したといって。

    西塚 そうなんですよ。『クローズアップ現代』という番組でヤラセがあって、それに対する注意なんですが、自民党の人間がNHKの幹部を呼びつけて注意をしたと。それに対して不快感を表わしているわけです、BPOがですね。圧力だろうと。僕は、そのBPOを別の原稿でも触れたんですが、ちょっと気に食わなかったわけですよ。いろんな規制をしやがってと。しかし今回、BPOがそういう批判を思い切ってやった。僕は東京新聞ですけどね、結構大きく出てました。僕は、流れが微妙に変わったと言うか、そのことは何かの流れの一部のように感じているんですが、そのへんはあまり引っかからなかったですか、ヤスさんは。

    ヤス いや、引っかかりますよ。何かね、来年の参議院選挙は日本の歴史を変える結節点になりますね。どの勢力が政治の主導権を握るかによって、我々の生きてるこの日本という国家が、根本的に変わってくる結節点になると思いますね。安倍政権の背後にあるようなメンタリティは何かと言うと、ファシズムですよ。全体主義的なファシズムですね。国家こそ神聖なんだと。国家こそいわゆる万世一系の天皇に支えられた神聖な存在であって、その中に生きる国民は、実は住まわせてやってるんだと。

    西塚 この対談で何回も出ている田吾作、土人ですね。エリーティズム。

    ヤス そう。エリーティズムによる田吾作、土人ね。だから、田吾作、土人みたいな日本国民というのは、この神聖な万世一系の伝統的な国家の中に住まわせてやっているんだと。だからそれなりの義務を果たせ、といった感じしかないわけですよ。そのようなファシズム型の国家になっていくのか、そうでないような民主主義的な勢力が勝つのかといった、ある意味で結節点になると思いますよ。

    西塚 なるほど。そのひとつの現われが今回の安保法制に対するデモであり、ひょっとしたら、先ほどのBPOの幹部たちが、ちょっと関与しすぎだよと批判したっていう、そういう意識もそこに絡んでいる流れですね。

    「トラウマ」が戦争を回避させてきた

    ヤス 当然そうですね。やっぱりひとつの危機感ですよね。我々は、歴史の作り出したトラウマというのは、絶対無視できないと思うんです。たとえば、よく中国崩壊論が日本では喧伝されてますでしょ? 現在の中国は輸出主導型の経済から、内需依存型の経済へと構造転換しつつあると。これは相当、困難をともなう構造転換である。現在の中国のもともとの輸出型経済を担っていた企業は、いわゆる国営企業が中心ですよね。内需依存型の経済は、国営企業ではなくて、国民のちっちゃなニーズに応えられるような民間企業中心へとシフトしなくちゃならない。

    そうすると、国営企業の持っている既得権益を奪うことになる。国営企業は共産党幹部と深い汚職の関係で結び合って、ある意味で既得権益の集団を作り上げている。だから共産党の幹部のところまでいって、構造改革をやらねばならない。それはかなり困難がともなうと。その結果、中国経済はどんどんスローダウンする。スローダウンすると国民が反乱してくる。失業率も高くなる。国民がどんどん中国共産党に反乱を起こして、最終的には中国は分裂するんじゃないかといったような、中国崩壊論がまことしやかにささやかれてますけども、基本的にこれは全部日本人が作り上げた幻想です。まず、間違いなく外れるんですよ(笑)。僕は中国の専門家ではないですが、あまりにも中国の現状について知らなさすぎる。自分たちの作った幻想の中で、ただただ安住しているような人たちの作った論理だと思いますね。

    西塚 僕も目を啓かされました、ヤスさんによって。実はもっと習近平は合理的で、今の共産党をいかに維持していくか、それが中国の安定に関わってるということを冷静に見てるという話ですね。

    ヤス 中国共産党に対する反乱がなぜ起こらないのか。中国を分裂させるような政治的な反乱がなぜ起こらないのか。根底にあるのは、やっぱり中国人が抱えている歴史的なトラウマですよ。中国史は、1842年のアヘン戦争から1949年の中華人民共和国の独立までの107年間。107年間、植民地化であるとか、内戦であるとか、はっきり言って、ひとつの国の体裁をなしてないような状態におかれていた。その中で、1949年に中華人民共和国が独立して、一種の安定性を得るんだけども、ただ安定性を得てからもね、1950年代の毛沢東の失政によって三千万人ぐらいの餓死者が出る。それから1966年から文化大革命が始まって、極端な方向に走って国内が混乱する。本当に安定しないわけです。

    それでなおかつ中国が脅威であるということで、アメリカから封じ込め政策の対象にされるわけですね。国際社会から徹底的に孤立する。いつ中国が国際社会に復帰したかと言うと、1971年ですよ。そうすると、1842年から1971年までの長きにわたって、分裂だ、内戦だ、国際的な孤立化だってされてきてるわけですよ。その歴史的な共通体験が作り出すとんでもないトラウマというのは、中国の民衆に共有されてると思う。

    もし我々が強い中国政府をなくしたならば、我々の国というのは徹底的に分裂してしまうんだと。最終的にはいろんな国々の植民地になってしまうという、分裂に対するものすごいトラウマと怖れがあるわけですね。それは多くの中国人が、教育を通してもそうだし、おじいちゃんおばあちゃんの話を通してもそうだし、ずっと継続してきたトラウマだと思いますよ。このトラウマがある限りは、中国は分裂するはずがないんですよ、絶対。


    西塚 なるほど。僕は今のお話を聞きながら、ちょっと怖いなと思うことがひとつある。まず、ヨーロッパの30年戦争がありましたね。ものすごい悲惨な戦争のあとに、もう戦争はこりごりだということで、デカルトが出てきた。近代的な自我の萌芽ですね。それと中国では、アヘン戦争による民衆の疲弊感や恐怖感から、強い政府を求めるようになり、結果的にたしかに経済的には豊かになったので、みんなも一応納得している。あと、前回のスターリンとトロツキーの話もありますね。いわゆる世界共産主義革命をやるトロツキーと、スターリンの一国社会主義。それもヨーロッパとの戦争に疲れた民衆が、とにかく自分の国で安全、安定を求めたいということで、スターリンに落ち着いていく。

    そういうふうな大きな流れを見ると、今のヨーロッパが僕はちょっと怖いわけですよ。いわゆるISを中心に難民問題も含めて、右傾化している政府が多い。いろいろな国の選挙でもそっちに流れてるじゃないですか。そうすると、歴史の轍を踏むとすれば、ものすごい大きな戦争があって、そのあとに目覚めると言うか、安定するという流れに沿って言えば、これからヨーロッパででっかいことが起こるかもしれないわけです。そういう恐怖があるんですね。

    ヤス たしかにね。でも逆に言うと、トラウマがある限りはね、実は極端な社会変動というのはあまり起こらない。中国の国民の場合、長い間ずっとトラウマを共有しているわけです。だからトラウマを共有している限りはね、今言ったように中国が分裂するってことは、おそらくない。じゃあ、中国が将来ね、分裂したりすることはないかというと、そういうわけではない。ずっと遠い将来には、それはあり得る。それは、トラウマがなくなったときですよ。世代が変わって、トラウマの共有がなくなって、そしてなおかつ中国という国が経済的、政治的に絶頂期になったとき、そのときが一番ヤバい。

    西塚 何が出てきますか?

    ヤス 民主化要求運動であるとか、中国共産党そのものに敵対するような、極めて過激な政治運動が出てくる可能性がある。そういう過激な政治運動がどのような結果を招くのか。中国共産党を崩壊させてしまうと、場合によっては中国が分裂するといった、過去のトラウマのような悲惨な状態に陥ってしまうんじゃないか。そういった怖れがあるがゆえに、これまでは過激な政治運動ができなかったと思うんです。しかしもしね、経済的な成功によって、スーパー覇権大国として国際社会の中で認められて成功の頂点に立ったとしたならば、人々はトラウマを忘れていく。

    西塚 そうなるとまた違ったことになると。今、習近平が台湾総統と会談しましたね、馬英九ですか、まあ中国よりなので仲よくやりましたけども。でも民衆の中で強いのは、アンチと言うか、台湾はひとつの国の中華民国だっていうことですね。今日はまさしくミャンマーの総選挙ですが、どうなるかわからないけども、サン・スー・チーが勝つと言われてます。アジアのこうした流れは、ヨーロッパとはちょっと逆だと思います。右傾化してるヨーロッパの政府に比べると、むしろ民主化の方向じゃないですか。それは背景が違うんですかね。

    ヤス いや、そうなんですけどね、歴史のトラウマが何をもたらすかってことで見ると、面白いと思うんです。たとえば日本はどうだったのかと。我々はこの70年間、やはりあの太平洋戦争に負けて、原爆を落とされて、本当に国土が焦土と化したと。そのトラウマを共通体験として持ってるわけです。その共通体験のトラウマが前提にあったがゆえにね、何が何でも、どういうような状態になっても戦争はイヤだと。再軍備はイヤであると。だから、戦争とか、原爆とか、再軍備とかに対してのものすごい国民的なアレルギーがあったわけですね。そのアレルギーに抵触しない形で日本の政府が運営され、それが日本独特の平和主義をもたらしたんだと思います。

    その背後にあるのは、まさに歴史的なトラウマなんです。ただ、今日本で何が起こってるかと言うと、そのトラウマが消えつつあるということです。世代交代によって。戦争を知ってるような人たちが死んでいってる。どんどん亡くなっていく。太平洋戦争のトラウマというものを共有できる世代が、ものすごく少なくなってくるわけですよ。新しい世代というのは、全然そのトラウマを共有してないので、なぜ平和主義じゃないといけないのか、戦争になったっていいんじゃないか、日本が敗戦国だと言って、ずっと受け入れているのはおかしいのではないかと、トラウマというものをベースにしないね、さまざまな問いかけをするわけですよ。


    西塚 ある種、ブレーキと言うか、タガがはずれてくる。

    ヤス タガがはずれる。今どんどんどんどん、日本はタガがはずれてきてるわけですよ。タガがはずれた国家が一番怖いんですね。ヨーロッパもそうです。ヨーロッパの場合、やはりあの第二次世界大戦で焦土と化したトラウマがあるわけです。ヨーロッパの国に住んでるどの人たちにも、我々はナショナリズムに走った結果、あのような悲惨なことになったのだというトラウマがある。ナショナリズムがどれだけの破壊と戦争をもたらすかということを、身にしみてわかってるわけですね。だから、命がけでも何でもいいから、ナショナリズムを抜けなくちゃ駄目だと。それがいわゆるEUといったものが成功していく背景にあったのではないかと思います。非常に単純な言い方ですが。でも、おそらくですね、それがだんだん消え失せてきているところなんだと思います。

    西塚 今、EUもちょっと危ないですもんね。各国に還元されてきてるし、いわゆる難民問題が現実問題としてワッときたときに、やっぱり排除するってことで、ハタと自分の国とか、文化圏内というものを意識せざるを得なくて、もうEUがすっ飛ぶじゃないですか。そうすると、またさまざまなことが起こるんだろうけども。ということは、我々人類というものは、喉もとすぎればじゃないですが、結局同じことを繰り返していくという、そういうことなんでしょうか?

    ヤス そうですね。だから、トラウマといったものをきちんと精神的な傷としてね、精神的なひとつの遺産として受け継ぐしかないと思うんですね。

    勘に頼る危険性

    西塚 たとえば本に出すとか。トラウマは日本にもあって、生々しい記憶を持ってる人たちがだんだん亡くなってきた場合に、本には残りますけども、語る人がいなくなっていく。どうしても若い世代になるほど薄まっていく、感情移入できなくなっていくということですよね。それで、理屈だけで中国はとんでもないとか、韓国がとんでもないと言ったときに、アニメなんかもかぶせちゃえば、ひとつの物語が簡単にできちゃう。今、かなり危ないかなと思うんですけど。

    そのへんは、もうちょっと根本的な人間の勘とか、何かイヤな感じ? ヤスさんもおっしゃったように、今回の安保法制に対するデモの人たちが感じたような、何かヤな感じ、あの安倍のやり方はイヤだっていうような感覚のほうを信じたいんだけども、ヤスさんはおそらく、それをもうちょっと明文化したりとか、法則化したりとか、痛烈に認識するような、ある種のメソッドなりを確立しなきゃいけないんじゃないかというお立場かなと、勝手に思ってるんですけど。

    ヤス いや、お立場というか、何と言うかな、人の勘って一番あてにならない(笑)。

    西塚 それは面白いですね。僕は、勘が一番あてになると思うんですけどね、ただ危ういと…

    ヤス だったらね、現在の安倍政権に対する支持率が50%もいってない。やっぱり安倍政権のやってることを見てて、これが神国日本なんだと、美しい日本なんだと、この美しい日本という枠組みにお前らは従えと、上から目線でくるわけでしょ? それからNHKも全部コントロールすると。民放にもすごい圧力がかかると。我々が正しい美しい国家の枠組みを作ってやるという形ですよね。そのようなあり方に対して、おおッ!よくぞ言ってくれた!これぞオレの求めるものだという勘を持つ人が多いということですよ。

    西塚 勘なんですか。勘というのは、僕はわりと信頼をおいてるんですけれども。ヤスさんがいみじくもご指摘になさったね、全体主義に寄り添うこと、思考停止して依存するということは、実は気持ちがいいんだという見方がありますね。僕もそのとおりだと思うんです。だから僕の認識で言うと、自分の勘でこれはまずいなと、こんなことに従っちゃまずいとわかるときもあれば、思考停止して快楽に負けるときもあるな、というぐらいのことなんです。要するに快楽をとるか、勘にしたがってまずいと思うままでいられるか。でも、その勘自体はですね、それ以外に頼るところがないような気がするんです。

    ヤス 逆に、いわゆる全体主義の快楽の中に沈殿していく人はね、もう最初からこれは間違いないと思って沈殿していく人がたくさんいると思いますよ。勘で、ここだ!これは間違いない!と。オレの直感がそう言ってると。むしろ安倍的な全体主義に対して共鳴する人たちほどね、勘であるとか、直感を重要視するんだと思いますよ。理屈で考えない。

    西塚 ヤスさんのお立場とすれば、勘は狂いやすいんだから、むしろ強固な鉄のような論理に従ったほうが、まだギリギリ安全だというような感じですか?

    ヤス まあ、感性ということも信用できないんですよ。その場その場でガラガラ変わるので。自分が感性とか勘とかというものでつかんだものの内容を、一回やはり徹底的に理屈で精査しないと駄目ですね。

    西塚 疑う。

    ヤス 疑う。徹底的に疑わないと厳しいと思いますよ。

    西塚 それは同感ですね。よく言われるように、考えるな、感じろってありますね。考えなくていいという。それに対して、感じるのが一番まずいので、まず考えろと。まず思考だろうという立場もあります。でも、その「考えよう」の論理の危険性は、黒が白になるということなんですよ。いろいろ論理を展開していくと、本当に黒が白になっていくということが、理屈の世界では簡単に起こる。その危険性を僕は思っていたので、やっぱり直感というのは大事だなという言い方をしてたんですけど、前は。今のお話だと、その勘自体も実は危ないという…。

    ヤス 危ないですよ。勘とか直感が、そのままでパッと正しい結論に導くということはあり得ないと思うんですね。やっぱり思考というものを通してみないと。だから、どうやったら考えられるか。考えるってどういうこと?ということですが、これはいいか悪いか、まあ悪いんだけどもね、やはり日本の教育に一番欠けてる部分があるとしたら、考え方を学ばないということですね。

    たとえば、ひとついい例があるんですけど、絵の教育ってあるじゃないですか。日本の小学校でも中学校でも、みんなで美術館いったりする。いろんなところに絵画がある。先生がちょっと説明して、さあ、どう感じるかな?って、いきなり聞くわけですよ。どう思う?美しい?とか。どう思う?って聞かれたら、そりゃ、ああ、美しいとかね、ああ、なんか寂しい絵だとか、何か悲しいとかね、そういう感性的な表現にしかならないんですよ。

    西塚 あるいは、何も感じませんとか。

    ヤス 何も感じませんとかね。フランスって違うことやるんです。絵というのは文学と同じで、理解するものであって、解釈を学べと言うんです。だから、絵の中の意味をつかむための教育をやるわけですよ。絵の構図はこのようにできてて、実はこの絵の中に重要な配置がこうやってあると。この配置の構図は、こうこうこういう意味だと言ってね、意味を読み取る訓練をするわけですね。あなたはこの絵からどういう意味を読み取ったか、と言うわけです。それで、なぜそのような意味を読み取ったのかを説明せよ、って言うわけですね。それが、ある意味で考えるということの訓練になっていく。

    西塚 なるほど。それ面白いですね。僕なんかわりと正反対だったし、画家も完全に僕の趣味なんで、たとえばダリなんてのは嫌いなわけですよ。もう、あざとくて、僕なんか見てらんないんですね。天才なのかもしれないですけど。むしろ、分析できないもの。あるパワーみたいなもの。パワーなんて言うと、インチキくさいですけどね。とにかく圧倒されるもの…あ、絵で思い出しましたが、前も言ったかもしれませんけど、典型的な今の僕の話の例としては、ダ・ヴィンチの絵が上野の美術館にきたんですね。あれは「受胎告知」でした。天使ガブリエルが跪いて、マリアに受胎を告げるという、あれなんです。

    ものすごい混んでたし、アンビエントな音楽が流れてて、牛歩のように進んでいくんですよ、絵の前まで。薄暗い雰囲気で、ああ演出しやがってと、僕は斜めに見てるわけです。だんだん近づいてきて、まあパッと見て帰ろうぐらいな感じなんです。一応見ておこうかなと、せっかくきたんだからと。見た瞬間、パッと見たときに、ちょっと固まっちゃったわけですね。言葉では表現できないんだけれども、ものすごく感動した。感動と言うか、打たれたわけですよ。カミさんといたんですが、どうなったか自分でもわからないわけですね。

    それで、あまりこう言うと何ですが、ダ・ヴィンチの気持ちがわかったんですよ。「受胎告知」の天使の羽があるんですね。羽の上部に肉肉しいところがあるんですけど、ここが一番苦労したっていうのがわかったんです。ただ、それは僕の幻想だと思います。妄想なんだろうけども、まあそういう感受をしたわけですね。しばらく動けなかった。何だこれはと。それで茫然としてて、カミさんとあとで上野で飲んで、実はこうこうこうだったと、あれは何だかよくわからない、と言ったら、ひと言、それは感動したということなんじゃないのかと言われたんだけども、もしあれが感動だとすれば、僕は初めて感動したと思ったんですね。

    そういう、まあ絵で思い出したわけですが、先ほどの分析ということで言えば、たとえばダ・ヴィンチだったら、遠近法であるとか、いわゆる黄金分割とかありますね? そういう話ではなくて、バーンとくるほうの話なんですよね、それとはちょっと違う話ですか?

    ヤス ただ、感動するのはいいと思うんですね。ただ、いったい何に感動したのかという意味にこだわるべきだと思うんです。

    西塚 そこなんですよね、僕はわからないんですよね。

    ヤス それは、やっぱり一回、絵の構図とか何か、絵の意味を構築しているストラクチャーをちゃんと勉強して、それから、なるほどこの絵っていうのはこういうような構図でできてるのかと。そこまで分析して追いつめたときにね、自分が何に反応したのかということを具体的にわかってくると思うんですよ。

    西塚 なるほどなあ。そういう知的な作業が、やっぱり必要だってことですねえ。

    ヤス だからそれは、言ってみれば直感とか感性すべてに言える。だから自分が直感的に、感性的に反応したものというのは、まず、言い方悪いかもしれないけどね、たいてい信用できないんですよ。たいてい間違ってる(笑)。したがって、自分が反応したようなものを、なぜ反応したのかということを、やっぱりまず分析的に思考で考える。そうしたときに、雑居物、ノイズが排除できる。

    西塚 ヤスさんは今、間違ってるという言い方をしましたけども、僕の言い方に変えちゃうと、直感でいいんですけども、その判断が自分にとっていいものなのか、悪いものなのか、ある直感に従ってそっちの方向にいこうとするんだけど、そっちが果たして自分にとって本当にいいのか、どうなのか、っていう意味ですよね?

    ヤス もっと言うとね、思考という部分を通して精査しないと、自分が直感で感じたもの、自分は何に感じたのかっていうね、対象がよくわからないと思うんですね。直感だけでは漠然としてて、何となくって感じで。

    西塚 僕なんかまったく、さっきのダ・ヴィンチの話ではそうですね。全然わけわかんないですもん。何に打たれたのか、わからない。

    ヤス わからないでしょ? 興味ありません? 自分が何に打たれたのか。

    西塚 ありますね。

    ヤス 自分が打たれたものの核心をつかんでみたいと思いませんか? 

    西塚 つかんでみたいですね。

    ヤス 僕はつかんでみたい(笑)。

    西塚 つかんでみたい。それが何かの構図なのか、子どものころから持ってるトラウマ、自分ではもう無意識に抑圧したものが、そこに何か描かれてたのか、というような話にはなるかもしれない。

    ヤス そこで、ある意味で極めて大きな自己発見になるかもしれない。だから何か私見て感動しちゃった、だけではわからないんですよ。

    西塚 それで終わらせちゃいけないということですね。

    ヤス そうそう。やっぱり感性はすごく重要だし、直感も重要なんだけども、いろいろな論理とか思考とのバランスって極めて重要かなと。

    西塚 そこは、そのとおりだと思います。そのバランスなんですね。論理だけだと、またおかしなことになるじゃないですか。感情に裏打ちされた、あるいは感情を乗り越えたうえでの論理とかではなく、ひたすら教条主義的になっていくと、またこれはこれでものすごくひどいことになっていくわけで。理屈だけで虐殺につながる。感情ではなく、本当に僕は論理だけで人を殺せるんだと思うんですね。感情では逆に殺せなかったりとか、あるいは感情のほとばしりで殺すってことはあるかもしれないけど、論理による虐殺が一番怖くて、論理が大量殺人なり破壊をもたらすんだと、僕は勝手に思ってるんですけどね。

    トラウマの“タガ”がはずれて噴出するもの

    ヤス そうですよ。論理って何かと言うと、人間を抽象的に見るという眼差しですよね。具体的に生身を持ってる人間ではなくて、人間をある意味で抽象的に見るという眼差しだと思う。ちょっと、このことを含めてトラウマの話に戻りますけど、やっぱりヨーロッパは、ナショナリズムを生み出した苦しいトラウマを忘れつつあると思うんですね。トラウマを乗り越えたと思った成功体験が続く場合に、そのトラウマを多くの人間が忘れる。

    ヨーロッパに関しては、ある意味ではナショナリズムを乗り越えたEUの成功であって、まがりなりにも、今はそうでもないけど、EUによってかなりの程度、経済発展が確立されたんだと。そして現在のEUの枠組みというのは、超国家的な共同体が厳然として残っていて、ちゃんと機能するものであると証明された。そのような成功体験が長く続くと、人々はかつてのヨーロッパが持っていたナショナリズムの狂気を忘れるんですね。

    じゃ日本はどうだったのか。日本もそうですよ。1945年から70年ぐらい経ってて、高度経済成長もそうだし、バブル期の成功もそうです。それから、失われた20年なんて言っても、まがりなりにも経済大国の中の低成長ですよね。そのようなある意味安定した成功体験の中で、我々はかつての狂気が何を生み出したのかというトラウマを忘れ去った。そうするとね、過去の歴史と同じ轍を踏むんですね。

    そのようなトラウマという視点から中国とかロシアを見ると、中国のトラウマはまだまだ新しいんですね。1966年の文化大革命だし、その次のトラウマは1989年の天安門事件だし(笑)、かなりトラウマが新しいわけですよ。まだ国民が共有してる感情と認識に訴えかけることによって、ひとつの国家を統治できる。

    ロシアはどうだったかと言うと、ソビエトの崩壊ですよね。1991年じゃないですか。それによって、マイナス14%の逆成長をするわけですね。食えなくなる。それは大変なトラウマですよ。いわゆる強力な国家をなくした場合、我々は食えなくなるんだという、ものすごいトラウマですよね。現代の危機というのは、我々がリソースとして使えたような、歴史のトラウマを使い果たしつつあるということじゃないかなと思う。


    西塚 使い果たしてる…

    ヤス いや、ロシアとか中国に関してはいいんだけども、特に日本とかヨーロッパが過去に培った、第二次世界大戦以降のね、そのトラウマのリソースは、だんだん枯渇しつつあるということだと思うんですね。

    西塚 今のお話は、要するにトラウマはあるんだけども、むしろ徹底的に直面してですね、トラウマはトラウマとして見つめたうえで、みんな日本人なら日本人が乗り越えていかないといけないものなんだけども、経済的な繁栄によって忘れ去っていくと。それが高度経済成長期の場合は、逆にそれがジャンプの材料だったかもしれないけど、どんどん忘れちゃう。でもトラウマは残ってるわけじゃないですか。それが、何かの弾みでまたムクムクと盛り上がってきてですね、また同じことが繰り返されるよっていうことかと思うんですけど。違いますか?

    ヤス いや、そうじゃなくて、ムクムクとトラウマが盛り上がってくるならば、もう二度とあの戦争はイヤだというトラウマですよ。二度と原爆は落とされたくないと。もう二度と、戦争のせの字にも関わりたくないっていうトラウマですよね。

    西塚 ああ、そうかそうか。

    ヤス それが忘れ去られてきてると。

    西塚 ああ、なるほどなるほど。そういうことですね。要するに、日本も戦争せざるを得なかった。いろんな理屈はありますよ、アジアを守るとかいろいろありますけども、戦争にいかざるを得なかった大もとにある、感情なり何なり、戦争に駆り立てるものではない話ですよね、それは。戦争体験として、あれは二度とイヤだという人たちが、もうどんどん亡くなっていくということですね。そうか、そういう意味ですね。

    ヤス そうです。どんどん亡くなってきて、もう二度と戦争はイヤだという共通体験がだんだんなくなってくる。

    西塚 なるほど。そうした意味ではトラウマのリソースがなくなりますね。

    ヤス なくなる。そうなんです、トラウマというリソースがなくなる。

    西塚 そういう意味ですか。わかりました。

    ヤス そうすると、戦前の歴史といったものを美化してくるんですよね。すごくロマンチックなものにして、日本がアジアを解放するための戦争が太平洋戦争だったのではないかとかね。

    西塚 小林よしのりなんかもそういうこと言いますけどね、漫画家の。影響力もでかいわけですから。安倍なんかも、それ持ってきますかね、今後。

    ヤス 出てくるでしょう。

    西塚 憲法改正までいきたいんでしょうから。

    ヤス 参議院選挙で過半数をとった場合、憲法改正までいくと思いますよ。

    西塚 まあ、先のトラウマというのは、個人であれ、その集合体である国であれ、やっぱりかなり大きな原動力のひとつにはなると思うので、ヨーロッパはもうそのリソース、要するに第二次世界大戦、ヤスさんがおっしゃったように、戦争は二度とイヤだというものが、日本と同じでなくなってきていると。

    ヤス と思います。ナショナリズムがどれだけの狂気を巻き起こしたかというような悲惨な体験。それがやっぱりだいぶなくなりつつあると思いますね。

    西塚 それで今、一番危ないっていう。

    ヤス 一番危ない。ヨーロッパも日本も、かなり危ないと思いますね。そのトラウマがなくなって、リソースを使い果たしたときが危ないと思いますね。

    西塚 そのときは、何が必要でしょうか? 何か危ないぞ、このままだと危ないぞという危機感を持ったときに。

    ヤス トラウマがなくなってくると、今までトラウマによってせき止められてきた集合的な感情が、逆に吹き返してくる。その集合的な感情は何かと言うと、過去の歴史で大きな悲惨を招いた集合的な感情です。極端な民族主義であるとか、極端なナショナリズムとか、そういった極端なものに対する集合的な感情といったものが、一気にワーッと出てくると思うんですね。

    そのような極端な集合的な感情、極端なナショナリズム、極端な民族主義といったものに、あるブレーキをかけて防波堤になってきたのがトラウマなんですけども、そのトラウマがなくなってきたら、そういう極端なものが噴出してくる。集合的な津波のような感情となって出てきますよ。今、日本がそうですよね。

    西塚 ちょっと唐突かもしれませんが、宗教ってありますね。イスラム教でも仏教でもキリスト教でもいいんですが、各個人が、それぞれの理由はあるんだろうけども、あるトラウマがあるとするじゃないですか。男でも女でも、虐待されたとか、社会人になったんだけど、会社の中で挫折したとか、いろいろ傷つくと。それがトラウマになってなかなか生きづらくなったときに、ちょっと宗教とか、ある仲間とかですね、そこに救いを求めていくわけですね。あるいは極端にグールに帰依することによって、トラウマを忘れられる。そして自分の役割を見つけてしまうというようなことがありますよね。

    それは、かつてヤスさんがおっしゃったように、宗教がかなり大きな救いの装置として機能してたということですね。イスラム教もキリスト教もおそらくそうですよね。でもそれ自体が今、ものすごく危ない話になってきているわけです。そうすると、トラウマをどうやって救っていくのか。個人的にやるものなのか、あるいは仲間といろいろ解消しながら、克服して乗り越えていくのものなのか。そのあたりはいかがですか?

    ヤス ちょっとその歴史の話をすると、トラウマがあるがゆえに、実は肯定的なブレーキとして働いてたってことですよ。そのトラウマのリソースがだんだん使い果たされてきたので、歴史そのものに歯止めが効かなくなってくるってことなんですよ。

    何に歯止めが効かなくなってくるかというと、過去に大変な悲惨と破壊を巻き起こしたような感情の流れですね。極端なナショナリズムとか、民族主義。自分の民族がですね、世界のどの民族よりも一番優秀な民族であって、世界をリードする使命を持っているといったようなね。そのようなことをみんな信じたがってるわけです。

    自分の生まれた国こそが、まさに神によって選ばれた国であってね、我々こそが神に選ばれた民であるってことね。そのような選民思想って、どの文化にもあって、みんな信じたがってる。ただ、それを信じたときに、どれだけの破壊と悲惨を作り出してきたのか。そういうトラウマが現実にあったので、そのような感情に対しての歯止めになってたってことですね。

    西塚 僕の言い方がちょっと悪かったんですが、僕は個人のことを考えちゃうんですね。個人に還元していった場合、さっき僕が言ったようにいろんなトラウマがあって、それを乗り越えるための装置、宗教じゃなくてもいいんですけど、何かに入っていく。そしてトラウマを忘れていくわけですよ。

    本来はトラウマがあったんだけど、それを忘れて、ある宗教に入ったりとか、ある人に帰依した場合に、自分は本来こうだったんだと、要するにさっきヤスさんがおっしゃったように、国が突出していくように、個人もとんでもないところにいってしまう。そういうことを考えると、ヤスさんの話を僕なりに言い換えると、個人は、自分で抱えてるトラウマと直面してるほうが、まだ歯止めになるっていう話になりますよね。

    ヤス そうですね。

    西塚 どこかに帰依したり、何かの集団に吸収されるよりは、まだ安全という言い方もできるじゃないですか。

    ヤス できますね。

    西塚 すごく苦しいかもしれないんだけど、自分のトラウマとずっと向き合ってるほうが歯止めになってるんで、とんでもないほうへはいかないという話になりませんか?

    ヤス そうです。個人でもそうだと思う。ただ、社会、国家というものを考えてみると、もっとそうだと思いますよ。トラウマというのは当然、裏表と言うかな、いろんな意味がありますので。一方では極端なもの、過去に自分自身は極端に悲惨な歴史的な体験を引き起こしたというような感情に対する、ひとつの歯止めとしてのトラウマが働くと同時に、もうひとつは、過去に自分たちを苦しめたそのトラウマを作り出した、そうした対象に対する復讐心という形でも働きますよね。必ず復讐してやるというね。

    西塚 その解消の仕方として、自分が持ってるトラウマをもたらしたかに見える対象の殲滅ですよね。

    ヤス そうそう。対象の殲滅ですね。

    西塚 そいつがいなくなればオレのトラウマは解消するんだ、というような発想ですよね。おそらくそうではないと、僕は思いますけどね…

    ヤス そうね。だから「ヤヌスの鏡」じゃないけど、ある意味でふたつの側面があります。トラウマがあるがゆえに、ある意味で歴史の悲惨を繰り返すような極端な感情は抑制されてた。しかしながら、もう一方のほうのトラウマの果たす役割は、自分を傷つけたものに対する過剰な復讐心を同時に持ってるわけですね。

    西塚 そうなると、やっぱりどうしても中庸、中道という発想になってきて、自分のトラウマをちゃんと理解して、こちらにいけば復讐になるし、こちらにいくとそれを忘れて違うところに突っ走る、その両方があるということを、絶えずずっと認識し続けるという中道の道が重要になってくる。

    津波に飲み込まれない「個」であれ!

    ヤス 中道の道は重要だと思う。それから今、我々がどういうような歴史的な時代に生きているかというと、歯止めになっていたトラウマがだんだんと薄れてきている時代です。その結果ですね、極端な民族主義もいいんじゃないかとか、極端なナショナリズムの何が悪いのと。そしてもっと言うと、極端な復讐心もいいんではないかといったような、今までタブーとされてきたさまざまな感情に対するタガが、はずれ始めたってことなんですね。

    西塚 正当化し始める。

    ヤス そうするとヨーロッパでも日本でも、アメリカでもそうですけども、そういうタガがはずれて、極端な感情が集合的なレベルで出始めているってことですよ。それは恨みであるし、極端なナショナリズムであるし、極端な民族主義である。そういう感情は個人レベルで出てくるわけじゃないんですね。社会全体の集合的な感情として、津波のようにして出てくるわけです。津波ですよ、これ。ボーッと生きてると、その津波に流されるんですよ。

    西塚 巻き込まれるということですね。

    ヤス 巻き込まれないためにどうしたらいいかと言うと、やっぱり個人であるってこと。徹底的に個人であるということです。民族と一緒にならない。国家とは一緒にならない。ちょっとでも一緒になると、本当に津波に巻き込まれていきますからね、僕らはね。

    西塚 あと重要だと思うのは、情報とか、冷静な目と言うんですか、たとえば津波でも、海の水平線見てて、何かあそこがざわめいてるなとか、あれ何かヘンだぞ、だんだん大きくなってきたなという目があれば、これはヤバいかもしれないと高台に登れるじゃないですか。その水平線を見ないで、こっちでドンちゃん騒ぎをしてれば飲み込まれる、というようなイメージに近いですよね。

    ヤス そうですね。ただね、感性と勘だけに頼っていると簡単に流される。

    西塚 なるほど。僕はじゃあ流されるかもしれない(笑)。

    ヤス いや、朝起きたらいきなり変わってますよ、人間って。なんかテレビを見たら、あれなんか変わったな、これ大好き!ってスイッチが入っちゃったら、終わり(笑)。そのぐらい簡単なんです、人間の感情って。勘とかね。そうすると、その歯止めになる、自分は絶対に流されないぞ、という歯止めになるものは何かと言うと、個人としての意識の高さでしょうね。

    西塚 そうですね。そこが悩ましいところで、勘って言っちゃいけないかもしれないけど、違和感とか、要するにちょっとヘンだぞっていうね、理屈じゃない、論理的ではない何かが、自分に知らせてくれる何かがあるわけですよ。それを勘って言っちゃうと、ひとくくりになって危ないかもしれないですけど、でももう、そこに従うしかないようなものと言いますか。

    理屈ではこっちにいったほうがいいんだけど、でも何かイヤだという勘、感じでもいいですけど、それはヤスさんは危ないし、あてにならないとおっしゃいましたけどね。僕はまだね、そこにあてになるものもあったりすると思うんですよね。そうすると、勘でも何か当たるか当たらないかみたいなくだらない話になっちゃうと違うんですが、僕はうまく言えませんが、何かあると思うんですよ。


    ヤス ちょっと話しを変えるとね、個人の極めて高い意識を堅持してれば、それはあり得ると思う。ただそれは、個人としての意識を徹底して堅持してないと、正しいと言うかな、自分を守るような勘はなかなか働きにくいんじゃないかなって感じがする。

    面白い例があるんです。プリンストン大学かどこかの心理学の実験だったと思うんですけど、学生ボランティアを100名ぐらい募るんですよ。その学生ボランティアにはこういうことを言うんですね。君たちはこれから、心理学の学説を変えるための極めて重要な実験に参加するんだと。お金もちゃんと与える。私の実験に協力してくれるということは、歴史的偉業に参加するということなんだぞと言われる。

    どういう実験かと言うと、ひとりひとり学生がある部屋に通される。部屋には、1から10までのボタンがついた机がある。この装置から電源コードが向こうにいる裸の男の体についてるんです。1は弱い電流、10はすごく強い電流だと。そして、私が言うとおりにボタンを押してくれって言われるのね。中に男性がいるんですね。まず1のボタン押してと言われて、1のボタン押すと、微電流が流れて男性がウッて苦しんでる。2のボタンを押してって言われると、もっとワーッて苦しむんですよ。3のボタンを押すともっと苦しむわけね。

    西塚 拷問みたいですね。

    ヤス それでどこまでのボタンを押せるかっていうことで、君ね、じゃあ4のボタンを押して、5のボタンを押してと、だいたい4か5ぐらいにくると男性がワーッ!とすごく苦しみ始めるので、もう私は押せないと。そのときに、何で押せないんだと。君はね、この歴史的な実験に協力することを誓ったではないかと。金をもらったじゃないか。これは君の仕事で、君は押す責任があるんだって言われる。それで、何パーセントの学生が10まで押したかなんです……ほとんど全員です。

    10まで押すと、ウワーッ!!って苦しむわけですね。学生のほうは、さっきの勘っていうところから見たら、勘のレベルから言えば良心の呵責ですよ。もうたまらないと。これはとんでもないことをやってると、おそらく思ってると思う。でも押しちゃう。

    西塚 勘と言うか、感情ということですね。

    ヤス 押しちゃう。この実験の中身を種明かしすると、ケースの向こう側の男というのは役者。別に電流も何も流れてるわけじゃないんですね。調査の対象になってたのは、100人の学生なんです。どこまでボタンを押せるのかと。そこではっきりとした結論が出たのは、どうも責任と役割と役職、この3つを与えられれば、人間はあらゆる残虐なことができる。すなわち、個人を捨てるわけですよ。責任と、役割と、役職というのは、個人を捨てるわけです。

    西塚 すごくよくわかります。でもヤスさん、そうするとね、その役職、役割、義務を与えられた場合に、個人を捨てられると。要するに10を押しちゃう。だとすれば、逆に言えばね、感情的な個人であるほうが安全とも言えませんか?

    ヤス そうです。勘というのは何かと言うと、感情的な個人であり、普通の個人の中から出てくるわけですよ。ただ、その感情的な個人というのは、弱い。役職とか役割を与えられたら、簡単に個人なんてなくなってしまうんですね。ロボットのような、兵士のような状態になるわけですよ。

    たとえば、サラリーマンの人たちだってそうですよね。どこかの企業の課長になってリストラを命じられると。自分が本当に親しくしてきた同僚とか部下を切らねばならない。サラリーマンの美学じゃないですけど、自分の与えられた責任と役割においてこいつを切るんだ、これがオレの仕事だから切ると。でも個人的な感情ではやりたくない。しかし切らざるを得ないといって、実際切るわけですよね、ほとんどの人たちはね。

    組織の中の役割とか、立場とか、役職とかといったものによって、個人といったものは食われてしまって、崩されていくわけです。じゃあ、そうならないためにはどうしたらいいかと言うと、いっさいの役職を突き抜けるくらいの強烈な自己ですよ。

    西塚 個人ですね。個。

    ヤス 私はどんなところでも個でいると。

    西塚 さっきの話につなげちゃうと、そこまでの個である場合、そこまでの個人、自立した個人である場合は、勘はいいわけですね?

    ヤス いいですね。

    西塚 そういうことですね。わかりました。

    ヤス そうです。だから、勘だけというのは駄目ですね。そこまで強烈な自己意識といったものをはっきり持ってないと、勘ってのはあてにならないというか。

    西塚 全部自己責任で、全部自分で責任をとるという痛烈な認識があったうえでの勘だったら、まあいいって言うか、逆に言えば、勘は本来そうあるべきだって話ですね。

    ヤス そうですね。だからもっと言うと、自分は個人であって、たまたまお金を稼ぐためにそういう役職とかね、仕事をやってるけれども、最終的に決断を迫られたら、すべての役職と責任を全部自分は投げ捨てると。個人に生きるという覚悟ですね。

    西塚 そうですね。そう思います。

    ヤス だから問題は、かなり強固な個人としての意識が、極端な民族主義であるとか、ナショナリズムであるとか、集合的な感情の津波から、自分を守るってことになると思うんですね。

    自己の再実感

    西塚 そうなると、冒頭に申し上げたビリー・マイヤーの話がありましたが、彼の書籍は強烈に個であるということを徹底的に言ってますよね。僕はそれしか感じないわけです。とにかく個であれ、個人であれと。自分に降りかかる、おそらく人は死ぬんでしょうけども、それまでに関わってくる現実というのは、全部自分の責任であるからこそ、自分で現実をクリエイトしていくんだという、その痛烈な意識をとにかく持てと。すべてに関してですよね。というふうに僕は受け取ってるんです。そうすると、全部僕の中では話がつながってくるんですけども。

    ヤス ええ。そのような集合的な津波のような感情にね、どうやって抵抗したらいいのか。ちょっと話を戻すと、今我々が生きてるような時代というのは、トラウマというリソースがだんだん枯渇してきて、今まで多くの歴史の悲惨を繰り返したような、集合的な感情といったものが再活性化してくる。おそらくそれは極端な民族主義とか、ナショナリズムというタイプのものだと。じゃあ、それに対してどのようにして抵抗していったらいいのか。

    1930年代のまだヒットラー政権のとき、ユングは個性化という言葉を出したんですね。何かと言うと、人間とは個なんだと。人間というのは、人生の中でユニークな個人として生きることを、魂のひとつの衝動として持っているんだと。そのユニークな個人として生きたいという、その衝動に従って生きるのが一番いいんだってことを言うわけですよ。そのようにして、当時の極端なナショナリズム、極端な民族主義といった流れに抵抗しようとした人だと思うんですね。

    ある意味で我々は、これから同じような立場になるんだと思います。やっぱりどこかで抵抗線を張らねばならない。それは、自我なのかと。個人を支えるのは普通の自我なのか。あるいはユングの言うようにね、我々ひとりひとりの個性化と言うか、個人としてユニークに生きたいという衝動があるから、その衝動に従ってさえいれば大丈夫なのか。おそらくそんなものではない。もっと高度なものが求められる。


    西塚 だと思いますね。僕の浅はかな知識ではあまり言えませんけども、その自我というのは、要するに自分の外に絶対的な神なり、絶対的な存在があるということがないように、自我とか自分というものも孤立してあるとは思わないわけですね。とにかく相対的なもの、ある大きなエネルギーの中での相対的なものとしか捉えられない。要するに、連関してくるし、セパレートできないっていうことですよ。

    そういう認識で、じゃあどうやって生きていったらいいのか、あるいは社会生活を営んだり、人間関係を取り結んでいけばいいのか。それをみんなで考えていかないといけないし、それはむしろ僕は面白いと思うんですけどね。たぶん、昔からやってきたんだろうけども、結局はドンパチやっちゃって、おかしくなって、また忘れたころに新しくピュアなものが出てくるんだけど、今またおかしくなってきて。ある説によればこれで7回目だってことですが、実際じゃあ、それを延々と我々は繰り返すのか、というところに今きている。で、どうするんだ?って話ですね。

    ヤス そうです。だから、その歯止めになるのは、単純な自己意識ではないだろうと。単純な自我ではないだろう。おそらく自我だけではね、集合的な感情に飲まれたときって、ものすごい快感がありますから。その快感の中に簡単に持っていかれますよ。

    西塚 ヤスさんが前回おっしゃったように、要するに30年戦争を経て、それで自我を打ち立てたデカルトが出てきた。でも、今はデカルトじゃ駄目なんだと。

    ヤス 駄目なんです。そう。

    西塚 近代的な自我とか、個人であるとかでは駄目だと。その次のパラダイムシフトが必要なんだと。そこに今直面してるわけであって、どうやって模索するか。いろんな人たちがいます。ましてやある種、逆行するようなスピリチュアル的な集団も出てくるだろうし、個人も出てくるだろうけども、そういう中にあって何を試金石にしたり、基軸にしていくか、あるいは少なくとも基軸だと思って、みんなで考えていくのか。そういうものが必要になってきますね。そういう意味で、僕はビリー・マイヤーの書籍がそのひとつであると思っているわけです。

    ヤス 僕も同じ意見です。僕は本が好きでたくさん読むんですけども、やっぱりその中で僕はビリー・マイヤーってすごく大きな発見だと思うんですね。彼はプレアデス星人とのコンタクティーだということなんですが、そういう存在があるかどうかはわからない。あるかどうかはわからないんだけど、ビリー・マイヤーの本の哲学的な質の高さって際立ってますよね。

    西塚 いやあ、際立ってますね。

    ヤス 間違いなく際立っている。ビリー・マイヤーの本の中で力説してるのは、実は宇宙全体を創り出した創造的なエネルギーというのが存在すると。これは神ではない。これは自然法則、宇宙全体を創り出したいわゆる自然の法則であると。我々ひとりひとりの人間というのは、実は創造という巨大な宇宙的なエネルギーの、ある意味でちっちゃな小片みたいなもので、それが我々の本体を形成してる。それが本来的な自己なんだと。

    そのうえにですね、それとは相対的に分離したところで、物質的な自我、物質的な自己、物質的な意識がある。物質的な意識は、この世の中で自分のさまざまな傾向を作り出してきた自己意識なんだと。ただ本体である、いわゆる我々の本来の自己は、宇宙的な意味での創造のひとつの分離と言うか、分かれたひとつのちっちゃな小片であり、物質的な意識とは基本的に違う。

    その本体にある自己は、絶えず物質的な意識に語りかけてる。本来である自己、創造といったものに早く気づいてくれと、絶えず語りかけてきてる。言ってみれば、自我による個人の設定ではなくてね、本来的な自己、強烈なエネルギーを持つようなひとつの自己として、我々が我々自身といったものを、もう一回個人として実感し直さなければならない。

    西塚 まったくそうだと思いますね。だからデカルトであり、カントであり、たとえばカントは認識を限定したわけですね、空間と時間というもの以上に還元はできないと。でも、その還元できないということも、それは変わり得るというところに今きてる。

    すみません、僕の流れがいつも悪くて、ビリー・マイヤーからいきなりいきましょうと言いながら、時事問題の話をつい引っ張ってしまうんですけど。次はもう、時事問題は10分ぐらいにして、いきなりビリ・マイヤーの話にいったほうがいいですね。

    ヤス いいですよ。だから今、我々のパラダイムシフトって何かと言うと、自己の内部にある超越的な本来的な自己、それをいかに実感するかですね。それが、我々の持つ新しい精神性の本来あるべき道だと思いますよ。それが抵抗になる。

    西塚 わかりました。次回、またよろしくお願いします。どうもありがとうございました。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第19

    11月19日

    第19回の「ヤスの勉強会」の様子を一部アップロードしました。よろしかったらどうぞ!



    次回の有料メルマガの予告

    11月20日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、日本ではまったく報道されていない事実を紹介する。なぜ欧米はシリアのアサド政権の壊滅にこだわるのだろうか?またロシアはなぜアサド政権を支援しているのだろうか?「イスラム国」のパリ同時多発テロの背後にある真実がやっと見えてきた。これは、10月になってやっと公開された情報だった。次に、ビリー・マイヤーの「エノク予言」を改めて見て見る。不気味なほどいまの現実を描写している。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

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    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第19回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第20回のご案内

     「ヤスの勉強会」の第20回を開催します。やはり、「抑圧されたものの噴出」は勢いよく続き、世界各地でブラックスワンは発生しています。11月までに起こった変動を解析し、2016年の世界を展望します。

    【主な内容】
    ・パリ同時多発テロの隠された真実
    ・アメリカの本当の敵はロシア、中国ではない
    ・世界経済は本当に大丈夫なのか?危機の源泉
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

     よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:11月28日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

     いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    高松の講演会

    以下の日程で高松の講演会を行います。お近くの方はぜひどうぞ!毎回ディープな講演会をしています!

    日時  平成27年11月27日(金)18:30受付 19:00~22:00前後まで
    場所  高松生涯学習センター

    会場内の掲示板にて部屋の確認をお願いいたします。
    〒760-0040 高松市片原町11番地1
    電話:087-811-6222 FAX:087-821-8022
    会費   ¥5000/人

    講演会後、高島先生を囲んでの懇親会を予定しております。場所 未定ですが高松市内にて行う予定です。

    主 催  里坊会計事務所 里坊昌俊
    実行委員 有限会社ウエストフードプランニング小西啓介、ソニー生命保険株式会社 山下智幸、株式会社京蔵 京兼慎太郎、株式会社クリード インテグレーション平野伸英

    内容
    ・パリ同時多発テロの隠された真実
    ・アメリカの本当の敵はロシア、中国ではない
    ・中国が危機の引き金ではない?
    ・ロシアの隠された計画
    ・新しい意識を手に入れる


    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    12月6日と1月16日の2回、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第一回目のパートナーは有名ブログ「In Deep」の岡靖洋さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
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    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第18

    spi151

    西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpirtual Meeting』の今日(11月1日)は第19回になります。今日もヤスさんにお出でいただきました。よろしくお願いします。カンパイしましょう。

    ヤス カンパーイ! どうもどうも。
       
    西塚 また、相変わらず、もうすでに酔っぱらっちゃってます、すみません。

    ヤス いえいえ、いつものことで。

    アメリカが危険視した安倍政権

    西塚 ところで、真っ最中の日中韓の首脳会議。あれに関してはどんな結論になるんですか? やっぱり中韓は経済的なところでいろいろ結びつきを強めたという印象もありますけども。どんなところに落ち着くんですかね。

    ヤス 基本的に、アメリカがどう見るのかというのがポイントで、一応アメリカの基本的なスタンスとしては一貫してるものがある。これはアメリカのいろいろ外交雑誌やなんかに出てきてるようなポリシーなんですが、日中韓のいわゆる東アジア経済共同体の形成は絶対に避けねばならない。これが始まってしまうと、これに対してASEANもおそらく加入するだろう。そうするとアジア全域が日中韓の経済共同体によって、ほとんどの経済が実は回ってしまうという状態になる。なおかつですね、日中韓の軍事同盟、安全保障の何かの条約の締結まで一歩進んだ、ある意味でEU型の同盟みたいなことになってきた場合は、ほとんどアメリカの出る幕がなくなるということですね、完全にね。だからこの形成だけは、何が何でも阻止せねばならない。

    この10年ぐらい、ずっと同じ外交雑誌に何度も出てくる一般的なアメリカの見方だと思います。特に日中韓が仲よくなると困る。中韓がくっつくのは、これは阻止はなかなかできない。ただ日本と中国、日本と韓国はね、やっぱり仲違いする状況を絶えず作っておくことは、すごく重要なんだと。しかしながら作りすぎてしまうと、日米安全保障条約があるので、日本が中国に戦闘行為を働くぐらい敵対関係を悪化させてしまうと、アメリカが巻き込まれる。そこは一線を引かねばならない。ちょうどいいバランシングポイントのところに、ある程度の緊張関係を残しておきながら、紛争までに発展しない未然の状態においておくというのが、アメリカの理想としてる日中韓の関係の姿だと思います。

    西塚 南シナ海の今回のあの出来事は出来レースと言うか、お約束事と言うか、前もってわかっていた、根回しされてたという話ですよね。

    ヤス 根回しされてたと思いますよ、僕は。いろんな情報から見てそうなんですけど。日中韓の首脳会議をやってますけど、最終的に背景になってる大きなものは、去年の10月に、CSISというね、いわゆるジャパンハンドラーズが結集しているアメリカの一番中心的なシンクタンクがあるんですが、そこが出してきたレポートなんです。どういうレポートかと言うと、我々は今まで安倍政権を普通の日本の保守の政権だと思って放っておいたと。日本の保守政権、まあ極端な保守、右寄りの政権が右寄りの政策をとると国民から強い反発があってね、別な首相、もうちょっとリベラルな首相の政権に転換する。リベラルな政権がある程度続くと、ときおり右寄りな政権が出てくる。でも、やっぱり最終的には人気がなくなって、失速してね、普通の状態に落ち着くという、そのバランシングメカニズムがどうも日本の政治機構の中にあるようだと。

    だから我々は、安倍のいきすぎたナショナリズムの国粋主義も安心して見ていられた。しかしながら、最近変わってきたぞ、という論文なんですね。安倍はどうも特殊な例で、違うと。このままいったら本当にね、中国との戦闘も辞さないというくらいのナショナリズムの中に突入していくタイプの首相かもしれないと。これは何とかしなくちゃならないっていう論文だった。それでね、我々は安倍政権を引き降ろすことができると書いてある。しかしながら、それをやるともっと矛盾が大きくなるので、安倍政権を直接説得するべきだと。特に中国、韓国に対する敵対意識をもうちょっと緩和するように、説得するべきだと言ったのが、去年の10月なんです。論文が出たのがね。

    実は安倍が、中国の外相であるとか、韓国の外相であるとか、日本の政府の使節が対話を始めたというのは、だいたい去年の10月からなんですね。そのレポートが出た直後からなんですよ。だからそれは、緊張緩和の方向に動くというハッキリとしたメッセージをアメリカに向けて出さない限りは、安倍政権そのものの存続が危ぶまれるという事態だったんではないかと思います。それが今の日中韓の首脳会議に結びついていると思いますけどね。

    西塚 なるほどね。じゃあ安倍さんとしては、イヤイヤいくという感じに近いですね。

    ヤス ナショナリストですからね。かなり原理主義的なナショナリストだと思われます。ただ一方、今回南シナ海でラッセンが派遣されて問題が起こってますけど、あれはいろいろ複数のメッセージが入ってるんですね。そのうちのひとつは、日中が近くなりすぎないように楔を打つというメッセージです。

    安倍政権のほうとしては、同盟国周辺、オーストラリアであるとか、インド、ニュージーランドとか、ASEANの諸国、それと組んで中国をブロックするという、安全保障のダイヤモンド構想を持ってますから、それを実現する一番いい機会なわけですね。そういうような認識もあって、最初にアメリカの行為を支持すると表明するわけじゃないですか。しかしながら、これは中国に対する敵対行為です。したがって、日中韓の首脳会議で日本と中国があまりにも親しくなることに対する一種の楔として働いた、ということです。

    勧善懲悪しかない原理主義の世界観

    西塚 今、原理主義とおっしゃいましたけども、原理主義は僕は気になるところでして。やっぱり人間のマインドの話になってきて、いわゆるヨーロッパだったら難民問題ですね、どうしても右傾化して保守的になっていく。今、あの排除の仕方もすごいですよね。あれは実際見ててもかなり深刻で、何万人単位で国境を越えてくるということになれば、それなりに排除せざるを得ない。総選挙なども重なってる国もあるし、どうしても保守的な、右系の民族主義的な政党が票を取っていくという流れができつつあります。

    日本もそうだと。安倍さんを中心にして。安保法制あったので、反ナショナリズムのいわゆる民主化の流れに近いと見えるけども、実はその反動のほうが僕は怖い。もっとナショナリスティックな、日本は神の国であるとか、世界における日本の役割はこうだとかいうものを、安倍政権側がブレーンとつるんで、物語を強制し始めたときに、それこそ八紘一宇じゃないですが、戦前の物語に回収されちゃう可能性がある。その原理主義的なマインドと言いますか、みんな右ならえになってしまうという精神状況、精神状態はどういうことなのか。僕は個人的に興味があるわけです。

    当然、アンチもいるわけじゃないですか。そういうのはイヤだと。巻き込まれたくないと。俺は俺、私は私という人もいながらも、ほとんど大多数がどうしても巻き込まれていく。それはヤスさんが言ったキーワード、思考停止は気持ちがいいという話がありました。その話とも関係すると思いますが、思考停止はものを考えないってことですね。何かに依存して流されていくのは気持ちいい反面、結果として思考しなくなることに結びつく。そのへん、今の原理主義的な流れと、人間本来が持っている思考停止への快楽との絡みで、何かお話ないですか?

    ヤス 原理主義に陥る可能性は、誰しもが持ってるということです。日本の中にある嫌韓流とか、嫌中流をひとつのベースにした、神の国日本バンザイみたいなね、極端な日本のナショナリズムがひとつあります。たとえばアメリカのプロテスタンティズムにあるような、いわゆるキリスト教原理主義者の中にあるような原理主義的なメンタリティがある。それから今、世界を席巻しているイスラム国的なイスラム原理主義的なメンタリティもあるわけで、そうしたメンタリティにある共通しているものがある。思想の内実はそれぞれ違ったとしても、それがもたらすメンタリティはだいたい一致してる。それは第一に、勧善懲悪です。善と悪でものごとをすっきり分ける。勧善懲悪になってくると、間のグレーゾーンは存在しない。間のグレーゾーンが存在しないので、その枠組みから見ると問題がすっきり解決できるように見えるわけですね。

    西塚 善悪二元論とか二項対立的な考え方というのは、簡単に反転しますよね。そこが僕は怖いなと思う。

    ヤス そうなんですね。現実は善でもない悪でもない。だいたいグレーゾーンの中に普通の現実があるわけで、そのグレーゾーンをお互いに認め合ったうえで、さまざまな交渉とか妥協が可能になるんですよ。お互いの異なった立場に対する是認とか容認が可能になってくる。原理主義的なメンタリティというのは、そのグレーゾーンが存在しない世界です。まったくね。

    西塚 これまでのお話の中で、エリーティズムがありましたね。エリート主義が一番まずいんだと。戦後、右も左もエリーティズムということで言えば、田吾作とか土人をですね、国民を見下している連中は、左翼であろうが、右翼であろうが、そういうことでは一致するし、交換も可能だと。要するに下をバカにしている我々が一番正しいんだという考え方は、右も左も関係ないってことですね。

    ヤス そうです。エリーティズムに関することではね。しかし原理主義の場合は、ひとつの世界観です。

    西塚 ああ、世界観ですか、原理主義は。

    ヤス 世界観です、あきらかに。世界に対するひとつの見方を提示するわけですよ。世界というのは神と悪魔しかいないんだと。光と闇しかないんだと。それはたとえば、偉大な日本人とそうじゃない連中しかいないんだというような形で、極めて単純化して世界を把握するわけですね。そのように把握するとどういう精神状態になっていくかというと、ある意味で超越的な絶対感をもたらします。私はわかっちゃったと。私はもう世界がどういうもので、これから世界はどうすべきかっていう問題も、すべてわかってしまったとなる。

    西塚 原理主義ってそういうことなんですか…

    ヤス そういうことですね。このわかってしまったという感覚は、極めて強い満足感、興奮を生みます。それによって、もはや疑いを挟む余地がない勧善懲悪的な二分化した世界に自分が生きることで、本当に思考停止の快感を味わえるという、ひとつのメンタルな装置なんだろうと思いますよ。

    西塚 そこは僕、勉強不足と言うか、ちょっとヤスさんにおうかがいしたいんですけど、原理主義はある原理原則があって、そのもとに行動指針が決定され、それによって実際に行動していくというようなことだと思うんですね。その原理原則がみんな違うということが問題じゃないですか。イスラムもいれば、キリスト系のエヴァンジェリストたちもいるし、ひょっとしたら日本もそうかもしれない。国家神道は宗教じゃないですから、でもそうかもしれない、わからないところですけども、そこをですね、原理原則とか、絶対的なルールと言ってもいいですけども、その絶対的なものはおそらくひとつしかないのに、みんなが絶対的なものを持って争うわけですよね。

    そうなると、その原理原則というものはいったい何なのか。その人たちが持っているただの幻想かもしれないし、ヤスさんがおっしゃったように、何か全部わかってしまったということは、けっこう曖昧なことですよね。じゃ何がわかったの? 説明してって言ったときに、説明もするんだろうけど、宗教だったら経典とかあるだろうし、それでもわからないと言った場合に、どうなります? それは、わからないお前が駄目なんだということなのか、ヘタすりゃ悪魔にされちゃいますよね。

    ヤス そうですね。だから、ふたつのカテゴリーしかないわけですよ。自分が信じてる絶対的に善なる原理、それに従わない連中がいたとしたならば、それは悪か、または無知かのどっちかなんですね。無知であると彼らが認めれば、徹底的に教育してこっちの仲間に引き入れてやると。しかし、違った原理を信じると言うならば、それは壊滅するしかないわけですよ。

    西塚 排除する。

    ヤス 排除するしかない。原理主義的なメンタリティって何かと言うと、絶対的な善なるものと、絶対的に善なるもの同士の衝突ですよ。善と悪の衝突ではないんだということですね。

    西塚 そこで、ちょっと突拍子もないかもしれませんが、親鸞っていましたね。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。

    ヤス 悪人正機説ね。

    西塚 悪人正機説はどう思われます?

    ヤス 親鸞に関しては、意見がさまざまあると思うんですけど、僕はすごく面白いなと思うのは、吉本隆明の親鸞論ですね。あれは、僕はある意味ですごく言い当ててるんじゃないかと思ってるんですね。実は親鸞は、宗教を原理化するのをやめた人なんだと。宗教を原理化した場合、絶対的な善と絶対的な善の原理主義的な争いになることは目に見えている。だから自分は宗教を原理化することをやめる。その結果、特定の原理のビリーバーのもとに成り立っている宗教教団、そういうものの形成を諦めた人なんではないかと言うんですね。

    西塚 善人なおもて往生をとぐの、その往生という言葉の意味合いは、親鸞はどういうふうな意味合いで言ってたんですかね。

    ヤス 僕は浄土真宗は詳しくは知らないけども…

    西塚 あれ、親鸞はわりとお好きじゃなかったでしたっけ?

    ヤス いやいや、好きじゃない。

    西塚 あ、好きじゃない? すみません。

    ヤス いやいや、好きじゃないというのは、別に詳しくはないということですね。好きでも嫌いでもないんですけど(笑)。親鸞の言った悪人正機説ですけどね、その往生というのは、浄土真宗では死ですよ。

    西塚 単純に死ぬということと考えていいんですね。

    ヤス そうそう。

    西塚 要するに、あの悪人正機説はみんないろいろ言うじゃないですか。ある種の試金石じゃないけど、いろんな言い方があって面白い。先ほどの原理主義につながると思うので言ったのですが、ヤスさんはどういうふうに解釈してらっしゃるのかなあと。

    ヤス 親鸞の悪人正機説自体を解釈すると、すごく長い時間がかかると思うんですけど、ちょっと原理主義の話と絡めて言うとですね、原理主義がなぜ気持ちいいか、まず第一にわかっちゃうということですね。世界が全部もうグレーゾーンがなくて、善か悪か。

    西塚 クリアになる。

    ヤス クリアになって、目ウロコ状態になるわけですよ。まず原理を学んで、その原理を適用して世界を説明した場合、目ウロコ状態になって、俺はわかってしまったと。そうだったのか!ってことになるわけですね。それがもたらす快感と歓喜って、すごいものがあります。もうひとつは、自分がその原理を通じて、この世に生きている自分自身を対象化できる、相対化できるってことになるんですよ。俯瞰する目ですね。この対談で何度も言っているように。そうすると、今の自分自身がどんなにみじめで、大きな悩みを抱えていたとしてもね、自分の信じた原理を土台にして俯瞰した場合、今現在、生きてる自分自身というのは、実はほとんど意味のない存在のように見えてくる。現実の問題に悩む苦しみから解放されるわけですよ。これが原理主義のもたらす非常に強い快感だと思います。

    誰の中にもある原理主義的なメンタリティ

    西塚 今、おっしゃったように、オレはわかっちゃった、というのがあるとするじゃない   ですか。もし原理主義に傾くと言うか、なびくようなメンタリティの典型的なひとつとして、“俺わかっちゃった感”があるとすれば、僕なんてあの、しょっちゅうわかっちゃった感があるわけですね。

    ヤス ああ、そうね(笑)、なんて(笑)。

    西塚 いや(笑)、たとえば何かの本を読んだりとか、普通にそのへんを日常的に歩いてるときとか、電車の中のおばあちゃんを見た瞬間とか、何かわかっちゃった感と言うか、ああそっか、そういうことだったんだ的なことは、いろいろあるんですけども、もっと深い、根本的なわかっちゃった感なんでしょうか?

    ヤス そうですね。仏教的にいろんな悟りもあるけども、極端に言うと、その悟りに近いくらい深いものだと思いますよ。悪い意味で深い(笑)。その原理主義的な世界観に対してわかっちゃって、本来の自分自身が何のために生まれてきたかもわかっちゃうわけです。そうすると本来、自分が何のために死ぬかもわかっちゃうわけですね、全部ね。

    西塚 そこに譲歩とか、留保はないんでしょうか。もう、そこにいっちゃう人が原理主義ってことなんですかね。

    ヤス そうです。

    西塚 そういう性癖ということですか?

    ヤス 性癖って、いやそうじゃない。すべての人間にそうなる可能性があります。ただしね、そういう原理主義の中にあえて入っていくうような人たちというのは、やはりいくつかの条件がある。日常生活が絶対的に不満足だという人ですね。満足してない。自分の日常生活が幸福に満ちていて、幸福な家庭があって、それなりに自分が安定した、満足のできる仕事があって、なおかつ自分が持っている知的好奇心を満足させるだけの知的な刺激もある。そういう日常生活があったならば、ほとんど日常生活の中で充足してるわけですね。だから、わかっちゃおうという欲望もないわけです。

    西塚 そうですね。そこは難しいところで、それこそいろんなレイヤーがあってですね、誰がどこでどう満足するかというのはバラバラだと思うんですよ。たとえば、お金持ちになっているだけで満足してる人もいれば、ましてやそれを目指している人いる。あるいは、家族があって子どもがいて、それだけで満足だっていう人もいれば、ひとりで畑を耕して自給自足して、本当に仙人みたいなんだけど満足だと。いろいろあると思うんです。何をもって満足するかは、人によって違うということになりますね。

    ヤス いや、あんまり複雑な問題ではないんじゃないかと思うんですね。簡単に、生きる意味ですよ。生きる意味を見出してるか、見出してないかです。ただその一点だと思う。たとえば、普通に日常生活に満足してる人って、日常生活の中に生きる意味を絶えず確認して、見出してるわけですよ。家に帰る、自分の奥さんの顔を見る、子どもの顔を見る、子どもを抱きしめる、それだけでハッピーになるわけですよね。

    西塚 その人は、それが満足なわけですね。

    ヤス で、ハッピーになるでしょ? それで職場にいく。職場にいったら自分の営業成績がよかったって褒められる。やっぱり満足もするわけですよ。それで、何かに関して知的好奇心を持ったりすると、たとえば園芸でも何でもいいんですけどね、そして園芸サークルみたいなものに関わっていったら、どんどん園芸に対する知識が豊かになって、それで自分が満足してるとかね、そういうようなこと。そのひとつひとつの満足感、満足と充実を繰り返す家庭の中でね、その連続の中で生きる意味といったものが踏み固められていく。ああ、オレは家族にとって重要な存在なんだと、オレはやっぱりこの仕事にめぐり合えてよかったなとかね、オレはこのようにして自分の愛する娘、息子、これをどんどん育てて、彼なりに次の世代へバトンタッチして、オレは消えてくんだと。オレの人生は結局、充実してるだろうというような実感ですよね。生きる意味って、そういったタイプのものですよ。そういう普通の日常の満足感から得られるような生きる意味から、疎外された人々だと。

    西塚 ということは、いわゆる原理主義に走りやすい人たちというのは、そういったいろんなパターンがある生きる意味を、これは僕はわりとすばらしい表現だなと思うんだけど、日々踏み固めていくようなことがない人たちが、ちょっと飛びつきやすいということですね。

    ヤス そうです。そうするとひとつの条件として、所得が不安定、やっぱり貧困層になっていく。日常生活を生きるという行為そのものが、実は生きる意味を踏み固めるんではなくて、苦しみを踏み固める行為になる。そうなると、なぜ俺は苦しまなくちゃいけないのか、なぜ自分だけなのか、あいつはあんなに豊かなのに、なぜ俺だけこうなんだと。

    西塚 貧困層もありますけど、もちろん衣食住も含めて比較しちゃえば、自分は何でこんなに低いレベルでやっていかなきゃいけないんだってことになるんだろうけども。僕はですね、最近、高円寺とかで若い人たちを見ると、所得なんか低くても、けっこう楽しんでる人たちがいっぱいいるじゃないですか。まあガキだからしょうがないって話もあるかもしれないけど、僕はそこを考えちゃうんですね。かなり満足そうなんですよ。それとはまた違う話ですか?

    ヤス いやいや、所得が実際に高いか低いかというわけじゃないんですね。高円寺で満足そうに過ごしている若い人たちを見てて、僕はメンタル的にすごく合うんですけど(笑)。

    西塚 お好きですもんね、高円寺(笑)。

    ヤス うん、そういう若い人たちのメンタルとすごく合うんですけどね。ただ話してみるとね、日常は安定してるんですよ、どうにか。安定しているっていうのは、安定した収入がどこかにあるんですね、低くても。まったく不安定というわけじゃない。派遣社員でも何でもいいんですけど、そんなに高い所得ではないんだけど、ちゃんと安定してて、そして自分が依存できる仲間がまわりにいて、仲間のネットワークの中で安定した日常を生きてる人たちですよね。

    西塚 安定した収入と仲間、というキーワードが出てきました。

    ヤス そうそう。仲間がいない、所得が不安定であると。そうすると、かなり貧困な状態におかれる。そういう人たちの日常というのは、苦しみの連鎖になってくるわけですね。

    西塚 そういう人たちがいるとしてですね、どうしてそうなったか、という発想は出てこないんですか?

    ヤス いや、おそらく出てくると思います。何度も何度もそれを考え続けながら生きていくと思いますよ。ただし、それを何度考えたとしても、やっぱりなかなか答えが出るものではない。なぜかと言うと、多くの人たちの場合、もともとの生い立ちがそうだったからという場合があるんですね。環境とか、条件が徹底的に悪くて、たとえば自分はシカゴの黒人で、本当にスラム街に生まれたと。もしオレの親がそういう親ではなかったら、違う条件のもとに生まれただろうといったように、やはり生い立ち的に条件づけられた貧困さは十分あるわけですよ。

    アメリカの原理主義者たちというのは、かなり多くの人たちがそういう人たちですね。もともとある文化として、いわゆる日常生活の充実感から排除された、苦しみの連鎖の中にいる人というのが、やっぱり原理主義に飛びつきやすいというメンタリティを持ってる。

    西塚 ちょっと端折っちゃうかもしれませんけど、その原理主義に飛びつきやすいってことで言うと、ひとつ宗教もありますよね。宗教にいくということもあるだろうし、あるいは何かの運動でもいいんですけどね。何かの原理原則のもとにいろんな仲間が複数多数集まって、それに関してはみな同等と言うか、平等であるというような仲間意識と言いますか、そういうことだと思うんだけども。

    僕なんか、そういった仲間意識が何と言うか、天邪鬼かもしれないけど、ちょっと気持ち悪いっていうのもあるわけですね。僕の話はおくとしても、それはどうなります? ある種、組織化もされるだろうし、誰かがグル化もするかもしれない、というところにいきますよね? いかないですか? 要するに組織化されていくってことですが。

    ヤス そうそう。たとえば、そういうような人たち、まあ普通の日常生活の積み重ねの中で、生きる意味を感じられないというタイプの人たち。それは放っておいたら、いわゆる宗教的な教団や、何かの組織のアプローチがなかった場合、みんな集まってストレスをいろんなところで、暴動とかね、デモであるとか、ストリートギャングであるとか、いろんな暴力的な形で発散するというだけになると思うんです。そういう層にキリスト教原理主義的なものというのは全然違ったアプローチをする。

    それだけ苦しんでいる原因を君はわかっているのか? というようなアプローチをするわけですね。それは、あなた自身が神から与えられている生きる意味を見てないからだと。生きる意味はこうなんだと言って、いわゆる原理主義を土台にした生きる意味を上からバンと与えるわけですよ。

    西塚 意味が与えられるわけですね。

    ヤス 意味が与えられる。我々と一緒にやってみないかと。それで意味を感じることができると。そのやり方で聖書を読む。彼らと一緒にある程度活動した場合、本当のオレの人生の生きる意味は、神が私のために与えてくれた生きる意味とはこれだったのか!と悟るわけですね。

    西塚 それは悟ることになるんですか?

    ヤス 我々の言う“悟る”というより、彼らには“気づき”になるわけですね、ひとつのね。

    西塚 “悟る”って、英語であるんですか? 

    ヤス enlightenと言います。

    西塚 ああ、enlightenか、そうかそうか。

    ヤス いずれにしろですね、そういうような原理主義的な思想によって、生きる意味を一気にパッケージ化して与えられるっていう状態だと思いますよ。それは、神が自分のために用意してくれた。自分のみに与えられた生きる意味を発見する。それと同時に、世界がわかっちゃうわけですね。勧善懲悪の、グレーゾーンのない極めてわかりやすい世界ということでわかっちゃう。そうすると、そうか、オレを苦しめているのは悪魔なんだ(笑)。

    西塚 僕は、そこが相対的、あるいは絶対的なのかもしれないけど、テーマになってくると思うんです。たとえば今言ったような人たちが、どこかの組織に植えつけられて、あるいは諭されてですね、そうなのか、オレはこうだったんだというときに、生きる力が沸いてくるとするじゃないですか。それは違う言い方をすると、現実で創造していく力をもらったということですね。あるきっかけによって。その人たちが、力がみなぎって、生命力が溢れたような感じで、生きる希望も湧いてきたとするならば、それはそのきっかけによって自分の中から湧き上がってきたってことですね。だから、本来そういうものが自分の中にあるということです。

    ヤス そうです。人間、みんな持ってます。

    西塚 持ってるということですね。それがたまたま、エヴァンジェリストたちの言葉かもしれないし、ひょっとしたらISに参加することになるかもしれないけど、もともとは自分の中にそういうパワーがあるというとで、僕は何が言いたいかというと、外から与えられたものじゃなくて、生きる力とか、現実を創造する力はもともと自分たちの中にあるということなんですよ。だから、先ほどおっしゃったようなことは、いわゆるビリー・マイヤーの話にもつながると思うんです。現実を創造するということはどういうことかと。

    ヤス そこに入る前に、この原理主義の話の延長で言うと、たとえばジハディストっているじゃないですか。いわゆる自爆テロをやる人間たち。そういう人たちを見てると、本当に教育水準が低くて、貧困層である、ということではない場合があるんですね。たとえばパレスチナ出身、まあパレスチナとは限りませんけども、サウジアラビアの中産階級の上のほうの出身で、それこそ欧米の教育を受けてると。ヨーロッパの大学院の博士過程ぐらいまでいってる。そういう人がたまたまジハディストになる場合もけっこうある。その理由は、やっぱり彼らから見ると、同じイスラム教徒が、パレスチナにしろイラクにしろね、本当に西洋によって痛めつけられてるわけですよ。それが、オレだけがのうのうと生活してていいのかと。こんな人生に意味があるのか、と思うわけです。それで悶々と悩む。

    そういう人のところに、原理主義的なイスラム教の哲学が響くわけです。キミは欧米で教育を受けて、いわゆる敵のキリスト教圏で教育を受けてね、それでのうのうと中産階級で生活してると。キミは悪魔に魂を奪われたのか、と言われるわけですね(笑)。本来の自分の生き方を徹底的にはずされてると。改めろと。アラーの神の使命のもとに生まれてきた、本来のお前の生きる意味を自覚せよ。その生きる意味は何かと言うと、魂をジハードに捧げることだったりするんですね。

    西塚 今のお話だと、17、8歳から20代ぐらいに欧米の文化の中で教育を受けた、十分知的なたちですよ。イスラムの人たちがそうなるというのは、根本は何なんでしょうか。たとえば、自分はイスラム教の国に生まれたし、家族も仲間もみんなそうだという同胞意識からくる罪悪感なのか、あるいはある種の強制、お前の本当にやりたいことは、イスラム教に基づいたものではないのか、お前は堕落したんじゃないかという、強制的に自覚させられたものなのか。そこで言われたほうが、ハタとして、もしジハディストになるとすると、良心の呵責なり罪悪感が根本的にあるってことですね。

    ヤス そうです。根本的に良心の罪悪感に訴えかけるわけです。だから、ジハディストというのはテロリスト扱いされてるけど、ある意味でやさしい。いわゆる虐げられているという情報を、自分の苦しみとして感じるぐらいのやさしさは持っている。たとえばね、我々も友だちたくさんいるけども、友だちの中に、あるカテゴリーに入るような人たちがいたとします。なかなかそのカテゴリーはうまく言えないけどもね。日本では、イデオロギーによる極端な差別とか人種差別はあまりないですから。

    たとえば、我々のまわりで、そうですね、在日朝鮮人の人がいたとします。僕の友だちにもいるけど、ある程度の割合でいたとする。我々の友人の在日の人たちだけが、極端な差別と弾圧を食らっていたと。どうします? 日本社会が大きく変質して、仲のいい在日の友だちがね、社会制度からも差別されるし、役所からも差別される。日本国籍まで奪われるくらいの徹底的な差別をされる。弾圧をされると。そうしたときに、西塚さんはどんな思いに駆られる?

    西塚 それはやっぱり救いたいと言うか、助けますよね。助けるような方向で動きますね。

    ヤス ですよね。どうやって助けるのか?

    西塚 ひとりではできないこともいっぱいあるだろうから、同じような思いの人を見つけながら、やっていくしかないと思いますけどね。

    ヤス そうですね。そうすると、相手の弾圧側、差別する側、これがものすごく強大な権力を持った組織であり、機関だとしたら、それに対してどう戦う?

    西塚 状況によりますけどね。効率的な案を模索するでしょうね。

    ヤス そうでしょうね、やっぱり模索するんですよ。言って見れば、彼らも模索した。模索した結果が、ある意味であのジハード。

    西塚 これしかない、ということですか?

    ヤス そうですね。それによって私自身が神の世界に召されて、そこで最終的な絶対的な幸福を味わうことができる。

    西塚 それは、僕は否定しないと言うか、わかるんですよ。たとえば三島由紀夫がそうだと思うんですね。あれも勝手な思想的なものかもしれないけど、最終的には自分が行動で示して、後に続くものに訴えかけるということが、ひとつの究極としてあるわけです。いろいろネゴシエーションしながらですね、法律を作ったりするということができない場合、問答無用が出てくるわけでよ。殺しちゃうとか、それこそテロが起きるわけで、それはよくわかりますけども、テロは一番不幸な形ですね。だとすれば、今のジハディストたちは、相当不幸な形に追い込まれていると考えたほうがいいのかもしれない。

    ヤス そうです。だから原理主義的なものに入ってくるには、条件があると。第一に、毎日の日常生活に生きる意味を確認することが難しいという状態。毎日の日常生活の連鎖が苦しみをともなっていて、はっきりとした生きる意味のね、充実した確認を毎日の日常生活で拒絶されているような人々ですね。それから第二に、自分の同胞が大変な苦しみを味わっている。それを救いたいという思いが極めて強い。これにですね、原理主義的な声というのは確実に響いてくる。まさにお前は、神から与えられた本来の自分の生き方を自覚していない。自覚せよと。本来の神から与えられた生き方、お前の意味というのは、こうこうこういうような意味なんだと言って、その意味を知った段階で、目ウロコ状態になるわけです。

    それと同時に、その原理主義的なフィルターを通して世界を見ると、勧善懲悪的にはっきり二分化して見えるわけですよ。世界ってやっぱりそうだったのかと。オレは今まで知らなかった。オレのすべての生き方は今まで間違っていた。そのようにして、今までの普通に生きている自分自身を相対化して見ることができる。それによって、今の自分自身のリアルタイムの苦しみから、ある意味で自分が相対的に引き離されて、救われるわけですよ。

    西塚 僕そこで、ちょっとわからないと言いますか、詰めたいのですが、差別されてると、ある異国の宗教というだけで。そこで、あからさまな暴力が振るわれているとなると、わりと闘いやすいと思うんです。たとえば、アメリカは僕はよくわかりませんけども、ある州にいたら、全員が敵であるということはなかなか考えにくいですね、今の世の中に差別があるとしてもですね。だから、そういうのではないという気がするんです。

    要するに、細かい闘いは無駄だな、あるいは無理だなという人たちが、究極の肉弾戦にいくと思うんですけども、それはあからさまな暴力じゃなくても、じわじわっとした空気だったりもすると思うんですが、だとすれば僕は、それはわりと解決しやすいんじゃないかと思うんですね。たとえば、だいたい三種類いるじゃないですか、いじめる人、いじめられる人、それを見て見ぬふりをする人という。見て見ぬふりをする人たちが何とかすれば、解決することはできるんじゃないか。だから究極なジハディスト、ジハードするというところまでいくのは、もっと違う原因、もっと先導された、ある種の絶望感に裏打ちされたような、皆殺しにしてやるというような…

    ヤス そうですね、恨みですよね。だから出てくるのは、同胞に対する愛情の裏側にある恨みですよ。これだけ苦しめてきたという。

    西塚 あと、自分は具体的な迫害を受けてないんだけれども、シンパシーを感じて、同じ民族であるがゆえに、自分はわりと普通の生活をしているけども、何となくシケた感じを解消するために、そっちのほうに飛び込んでいって一生を捧げる。死んでもいいと。彼らのために闘うと。いわゆる特攻隊に近いものも出てくるのではないかと思うんです、どんどんどんどん。その負の連鎖と言うのか、何と言うのか、まあ、もうちょっと冷静に、と言うとあまりにも甘い言い方かもしれませんが…

    ヤス いやいや、ひとつやはり認めなくちゃいけないのは、どんな人間でもこの原理主義的なメンタリティを持ってるということですね。

    西塚 そうですね。それはあります。

    ヤス ある社会的な条件ができた場合、その原理主義的なメンタリティが、多くの人たちがONにされるってことです。もしね、そういう原理主義的なメンタリティを多くの人間が持っているということに、ひとりひとりの人間が自覚的であれば、ONになるスイッチを外すことができるわけです。そうではない場合が多いわけだ。そのまま原理主義的なメンタリティがオンONになって、ウワーッって走っていくということですね。

    西塚 僕はいろんなこと言いますが、僕のメンタリティはそこに近いんですよ(笑)。

    ヤス 原理主義ですね(笑)。

    西塚 自分でわかるわけです。原理主義と言うかですね、ウワッってなるという…。ヤスさんとの対話の中でもわかるんですね。自分はやっぱりカッとなる、熱くなっちゃうということがあって。そこで、絶えずヤスさんの冷静な目があるというところで、クールダウンされるわけですね。それがいかに必要かということが、へんな言い方ですが、身をもってわかるわけですよ。

    僕はたまたまヤスさんとお話できてるからわかるんだろうし、あるいはヤスさんの本も含めて、本を読むからわかる部分もあるんだろうし、だからますますそういうメディアというものが、今までとは違う意味で、エンターテインメントするというのとはまた違う意味で重要であるし、なおかつエンターテインメントして人口に膾炙する形で普及させるということが、すごく大事なのだなとあらためて思ったわけです。話がそれましたが。

    現代の原理主義に対抗する現代の意識とは?

    ヤス ちょっと話を続けると、その原理主義的なメンタリティはこれからどんどん主流化してくる、世界各地で。それに対するブレーキがだんだんなくなってきたということなんですね。たとえばね、それが20年ぐらい前であるならば、まだ原理主義的なメンタリティに対するある意味でのブレーキが効いた。なぜ効いたかと言うと、原理主義的なメンタリティがどれほどの破壊をもたらしたのかということを、実感した世代が生きてたわけですね。

    たとえば、太平洋戦争というのがね、国民の支持を支えたのは原理主義的なメンタリティですよ。勧善懲悪的な原理主義のメンタリティですよね。それがどのような破壊をもたらすかいうことを、もう骨身にしみた世代があったので、それが大きなブレーキ役を果たしてきた。今の世代というのは、そういうブレーキ役を果たすような世代がいなくなるわけですね。

    西塚 みんな死んじゃってきてますからね。

    ヤス 死んじゃってる。戦後70年経ってきてね。そうすると、やっぱり世界各地で原理主義的なメンタリティがどんどん、今も強まってるし、これからもっと強まる。たとえばヨーロッパのほうでは、シリアを中心とした中東諸国から入ってくる膨大な数の難民によって民族主義が刺激されて、原理主義的な民族主義的なメンタリティになってくるでしょう。じゃあアメリカはどうなのかと言うと、グローバリゼーションによる格差社会がどんどん進行してね、その中で生きる意味を見出せなくなったような膨大な層が出てきている。この中にキリスト教の原理主義的なメンタリティが浸透していくでしょう。もう浸透してますけどね。じゃ、イスラムはどうなのかと言うと、はるか前からそのような原理主義的なメンタリティが、イスラム諸国のいろいろな層で浸透している。日本はどうなのかと言うと、やっぱり日本もですね、非常にナショナリスティックな、戦前の原理主義的なメンタリティがもう一回復活してるわけですよね。

    そうすると、世界各地で民族主義、原理主義的なメンタリティが、ひとつの主流になってくる。問題はここなんですね。どうやって阻止するかなんですよ。僕はいつもそれを考えて思うのは、やっぱり30年戦争の例を思うんですね。1618年から1648年まで、ドイツを中心とした30年戦争があった。これは、ルター派のプロテスタンティズム対カトリックの凄惨な争いですよ。それで数千万人、まあどのくらいの数かわからないけど、一千万人を超えたぐらいの数が死んでるんじゃないかって言われてる。それはそれこそ宗教的な原理主義の争い。本当にね。絶対的な善と絶対的な善がお互いに闘うわけだから。自分の原理に所属しない連中は全員、殲滅してもかまわない悪魔になるわけです。それはもう、妥協のない闘いになる。

    妥協のない闘いになったあと、1648年にウェストファリア条約ができる。ウェストファリア条約は、現代の国際的な秩序の原点になっている。それはまず、それぞれの国家は主権を持つと。第二に、主権国家の国内問題にいっさい介入しないということ。彼らがどんなに我々と異なった価値観で国を運営してようが、その主権国家の価値観に他の国は介入することが許されない。そのように、お互いに独立した主権を持った国が形成するのが国際秩序である。したがってこの国際秩序は、バランスオブパワーによって運営されなければならないということなんですね。お互いの、普段の原理に基づいたら殺し合うのでね。とにかく普段の交渉と対話によって、バランスオブパワーを維持していくというのが、ウェストファリア条約だった。これが、30年戦争が生み出した大きな知恵なんですね。現代にも続いている。

    キッシンジャーがですね、最近面白い本を書いたんですよ。これが最後の本じゃないかって言われてるんですが、そこで言われてるのは、私が原点にしているのはウェストファリア条約だったと。私が何をやろうとしているかと言うと、ウェストファリア条約のバランスオブパワー、それによって異なる価値観を持ったさまざまな国をバランスよくね、統治する方法を私は模索したんだと。それをやろうとしたんだと言うわけね。

    それは、かなりの長い間機能したと。戦後70年ぐらいは機能した。それは絶対的に正しい原理の主張ということを諦めたもとに成り立っていた。それがキッシンジャーの言っていることなんですね。キッシンジャーがなぜその本を書いたかと言うと、ウェストファリア条約の持つバランスオブパワー、すなわち絶対的に正しいという原理に依拠しないということね。依拠しないで、それぞれのさまざまな価値観を持ってる主権のグループが、お互いの利害調整をやってバランスを保っていくという秩序。どうもそのバランスオブパワーというものが、今の原理主義の進展によってボロボロになってきてるという本だったんですね。

    まず30年戦争が生み出したひとつの利点はこれです。あと、もうひとつ大きなものを生み出した。それは現代科学です。前にちょっとお話したかもしれないけども、やはり宗教的な原理に依拠したならば、最終的に殺し合いになる。宗教的な原理ではない、何かの別の世界観を構築できる原理性が必要になる。それが科学だったということですよ。その科学というものを作り出していくための世界観が必要になってくる。世界に対する見方。その世界に対する見方を宗教的な原理に依拠したならば、それはもう科学でも何でもない。また原理主義の争いになるわけですよね。そうすると、どんな宗教に所属していても、誰もがみんな納得する統一された原理はどこにあるんだと。

    西塚 それは誰が言ったのですか?

    ヤス デカルトです。

    西塚 デカルトがそう言ったんですか?

    ヤス デカルトじゃないけど、これは歴史学の普通の解釈なんですね。

    西塚 興味深いですね。

    ヤス 言ってみれば、デカルトがやろうとしたことはそれなんです。どんな宗教、イスラム教でも、仏教でも、ユダヤ教でもいいし、またはキリスト教でも、プロテスタンティズムでもカトリックでもいい。どんな宗教に所属しても、これだけは納得せざるを得ないという、究極的な原則はあるのかってことからスタートしたんですね、デカルトは。それで、思い立った究極的な原理は、我思うゆえに我あり、あれなんですよ。

    西塚 じゃ、いわゆる科学というのは、人類のある種のプリンシパルだと。

    ヤス そうです。

    西塚 デカルトはそれを意図したわけじゃないだろうけども…

    ヤス デカルトはそれを意図した。

    西塚 意図した?

    ヤス 意図した。デカルトは科学を作ろうと思ってるわけじゃないんですよ。そうじゃなくて、宗教によらない普遍的な原理原則を確立しないと、我々は殺し合って終わるぞという感じですね。

    西塚 デカルトは、近代的自我を打ち立てたということで僕は認識してるんですけど、科学ということでは、僕はアリストテレスになっちゃうわけですよ。

    ヤス 科学的な現実性ではそうですね。しかしながら、アリストテレスそのものは科学的な世界観とまでは言えないと思います。いろいろ科学的原則はあるんだけども。やはりデカルトの求めたのは、宗教によらない基本的な普遍的な原理とは何か。

    西塚 明確な意志があった。

    ヤス 明確が意志があった。『方法序説』がそうでしょ。あれは大ヒット作になったんですね。ベストセラーになった。何でヒット作になったかと言うと、みんなそれを求めてたからなんです。それを読むことによって、宗教的な宗教戦争に疲れてるような人たちがハッとさせられた。これが普遍的な原理だと。この普遍的な原理に基づいていれば、我々は宗教的な非合理なね、ファナティックな熱情から自由になれると。

    西塚 なるほど。30年戦争の末に疲弊した民衆が、それを支持したと言うか、求めてた。

    ヤス 求めてた。そうするとですね、ここからある異なった意識が生まれてくる。たとえばそれは、宗教的な原理に依存した原理主義的な意識とは全然違う。宗教的な原理主義に依存する意識とは何かと言うと、私は神の使命のもとに生まれてきたと。私を作り上げたのは神である。超越的な存在によって私は作り上げられた。私が生きる意味も死ぬ意味もすべて神という超越的な存在から与えられる。神の僕であるといったようなね。そういう自己意識が出てくるわけですね。

    そのような自己意識のもとで生きるとはどういうことかと言うと、聖書なら聖書であるとか、イスラム教ならイスラム教でも何でもいいんですけど、いわゆる神から与えられた原理を基準にして、自分自身をコントロールしていくわけです。やっぱりキリスト教的な原理に合わないような欲望を持ったら、その欲望を持った自分自身を罪ある人間として罪悪感を持つ。だから告白せねばならない。たとえば町に出て、いいオネーチャンを見たと。おお、つき合いたいな、一発ヤリたいなと思ったと、そうしたらそれは、神の原理に違反する邪な欲望であると言って、その人間は自分自身を責めるわけですね。責めて、教会にいって告白をすると。その連鎖の中で生きていくわけですね。そういう自己意識です。

    西塚 懺悔するわけですね。

    ヤス 懺悔するわけです。それに対して、デカルトの『方法序説』が何を保障したかと言うと、近代的な自我ですよ。いわゆる世界そのものがこのようにして見えて、世界そのものを認識しているのは私なんだと。私という存在は絶対疑いようがない。この私という存在の大もとにあるものは何か。自我である。自己意識てすね。そうすると、この自己意識は神が創ったかどうかなんて関係なしにね、私は私であるという確固たる意識、個であるという確固たる意識。これが、私の根本にあるんだと。これは自我意識と言えると思うんですけど、神を主体とした意識から自我意識への、強烈な意識の転換ですね。

    西塚 今の話を聞いて気になったのは、要するに30年戦争の結果、疲弊しちゃった民衆がですね、ある種デカルト的な科学というもの、絶対的なプリンシバルみたいなものが新たに出てきたことによって、その通りだと。宗教じゃないものが出てきたと。それはわかるんです。そうなると、突拍子もないかもしれないですけど、ソビエトのときのスターリンとトロツキーの話でもいいですが、トロツキーは原理原則にこだわった。世界共産主義革命までいかなきゃいけないんだという。でもスターリンは、一国共産主義で一国でまとめていくというときに、トロツキーが負けたのは、ドイツも含めた戦争で疲弊した民衆が、もういいよ戦争は、もう一国でちゃんとまとまってやっていこうと。そっちのほうに意識がいった結果じゃないかと思います。

    僕は全然、共産主義者でも何でもないんだけれども、トロツキーの気持ちもわかる気がするわけですね。トロツキーのほうではなくて、マジョリティが何につくかというのは、そのときの生活観とか、面倒くささとかも含めて、わりと安易にこっちのほうがいいよってなびく。そうすると、それは上部のほうの思想の対立の意味が無化される。上部も民衆を味方につけなきゃいけないからですが、その民衆というのは意外と生活とか日常レベルのものに支配されてて、それでかなり動かされてるじゃないですか。ここを見誤ると、上では権力闘争に敗れる。

    そうなると、この間のマルチチュードではない、いわゆる一般大衆の動きというのはかなり大きいし、危険だっていう気がするんです。でも僕のこの言い方を敷衍させて危なくすると、エリート主義になっちゃう。大衆はバカだ、愚かだ、田吾作だと言って、だから我々がコントロールしていかなければいけないという、官僚とか左翼が出てくる。

    その微妙な加減なんだけども、結論的に言えば、やっぱりヤスさんが言った「カオスの縁」を意識して、今、じゃあどういう状況に世の中がなっているのか、どういう感じで、日本だったら日本人の連中の気持ちが動いているのかということを見なきゃいけない。そのときに一番必要なのは日本国内外の情報であって、それでしかおそらく判断できないでしょう。自分の意見がそこに加味されて、ましてやこうしてヤスさんなどと情報交換していくということしかないのかなと思うんです。それしかないなと。絶えず頭の中を動いていく。

    ヤス たしかに。どういう方向に動いていくかと言うと、今の話を総合していくと、デカルトの『方法序説』がウケたというのは、当時の民衆一般がですね、やっぱり原理主義的な戦争に疲れてた。それは、宗教的な原理性によらないような普遍的な原理に対する希求が、普通に存在していたがゆえにベストセラーになったということだと思います。じゃあ今は、どのような状態にあるかと言うと、結論から言うとね、デカルト並の意識の転換が必要だということなんですよ。

    今またあらためて出てきてるのは、30年戦争どころではない。もっと極めてグローバルな意味での原理主義化がどんどん始まってるわけです。その原理主義化の流れといったもの、たとえばイスラム圏の原理主義化、キリスト教のような一神教の原理主義化、ユダヤ教の中の原理主義化、それから日本のような国家神道的なものの原理主義化といったメンタリティが、どんどんどんどん強化されてるわけですね。そうするとですね、これがものすごい破壊に至る前に、我々は新しい意識を獲得せねばならないということです。僕はそこで一番鍵になるのは、ビリー・マイヤーなんではないかと思う。


    西塚 まさしくおっしゃるとおりですね。前回、一向一揆の話をちょっとしましたね。日本において一向一揆ほど、ヨーロッパの30年戦争並みのものはないんですよ。あのときは浄土真宗ですけども、中でも一向宗の一揆がものすごい力を持ってですね、それで自治権を持って、もう自分たちで全部やるんだと。それで加賀から始まってやるんだけれども、最終的に織田信長に徹底的にやられるわけです、子どもから何から根絶やしにされるじゃないですか。なぜかと言うと、宗教だからですね。ちょっと根っこがあると、いつまた復活するかわからない。そういう争いになりますよね。何万という、おそらく日本最大の虐殺です、日本人が日本人を殺した唯一の大虐殺だと思いますが、そういうものを日本人は持ってるじゃないですか。

    ヤス 持ってますね。

    西塚 世界的にも、もちろんあり得る。僕が怖いなと思うのは、原理原則の話になるんですが、彼らは理想を求めてたわけですよ。ある信仰のもとにまとまるというだけの話なんだけども。でも、あそこまでいってしまう。そうなると、簡単な算数の話で言えば、じゃあ地球の人類がひとつにまとまる、宗教なり、原理原則があれば一番いいって話になりますね。と言うことで、各宗教はいろんなものを目指すってことになるかもしれないわけですが…目指してないのかな? 自分のところだけよければいいのか。

    ヤス だから、自分のところが世界的な原理であると主張してるわけです。それ以外はあ
    り得ない。

    ビリー・マイヤーの重要性

    西塚 あり得ないということですね。そこで僕は、まさしく今おっしゃったビリー・マイヤーの書籍が主張することは、ひとつの可能性を秘めているような気がちょっとするわけですね。要するにひとつにまとまれるような、みんなが納得できるような原理原則に近いものを提案しているという意味において、稀有な書物かなという見方をしていますけども。ヤスさんにちょっと解説していただいたほうがいいと思うんですが。

    ヤス ビリ・マイヤーは、UFOのコンタクティーであるということで、みんなに知られるようになった。それでいろんな予言とかね、プレアデス星人がいるかどうかわからないけども、まあコンタクトの記録を読むとね、極めて高度で、何と言うかな、思想の内容としてのクオリティーが高いので、面白いと思ったんですね。それで読んでいったんだけど、基本的にはUFOのコンタクティーというような、本当にちっちゃな、どちらかと言うとトンデモ系のカテゴリーで理解すべきような人間ではないということがよくわかった。

    彼は膨大な書物を出していて、ほとんどが哲学書に近いんですね。原理は極めてシンプルなものなんです。人間の中には物質的な意識があると。その物質的な意識の  向こう側に本来の霊性、ソウルがあって、それは宇宙的に生命そのものを作り出している、根源的な、宇宙的な創造というものが人間の体に宿ったものだと。そういう超越的な霊性がある。その説明をどんどん読んでいくとですね、たとえば日蓮の言う仏教の中の仏という概念にかなり近かったり、グノーシスといったようなユダヤ教の密教的な部分ですね。西洋の中でもあるような密教の言ってる、いわゆる神の部分、すなわち人間自身の内部に存在する神という概念にかなり近いということなんですね。


    西塚 もう今日は時間も過ぎましたが、次回からはそのへんからいきなり入って…

    ヤス 入ったほうがいいですね。ユングが最終的にこういうことを言ってるわけです。何度も同じようなことを本には書いてるんですけど、要するに我々自身の内部に超越的な霊性と言うか、超越的な意識をいかに発見するか。それにアクセスすることによって、実は我々自身が現実を形成することができるのだと。30年戦争のときの原理主義を乗り越えるには自我の発見でよかったんですよ。今は無理です。自我の発見でね、デカルトに戻ることによって、現代の原理主義を乗り越えるというのは無理です。今は現代的な原理主義ですから。そのデカルトであるとか、科学主義をはるかに超越したところにあるような、最もモダンな原理主義ですからね。そのような原理主義に対抗するためには、やっぱり個の内部にひとつの超越性を確実なものとして発見するといったような、その発見に基づいた新たな意識性が絶対に必要になるということです。

    西塚 最大のと言うか、何回目かわかりませんけども、人類のある種のパラダイムシフトが必要であると。

    ヤス パラダイムシフト。これが、本来あるべきスピリチュアリズムの流れだと思いますよ。

    西塚 おっしゃるとおりです。じゃあ、次は時事問題をちょっとやってからいきなりそっちにいきますか?

    ヤス いきなりそっちにいきましょう。そっちのほうがいいですね。

    西塚 ありがとうございました。また次回よろしくお願いします。

    ヤス いやいや、こちらこそ。どうもどうも。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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    ヤスの英語

    11/11のツイートまとめ

    ytaka2013

    「ヤスの勉強会」の第20回を開催します。ぜひどうぞ!日時:11月28日、土曜日時間:1時半から4時前後まで料金:4000円場所:東横線沿線記載必要事項名前(ふりがな)住所 〒メールアドレス参加人数懇親会の参加の有無info@yasunoeigo.com
    11-11 22:06

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第18

    11月10日

    第19回の「ヤスの勉強会」の様子を一部アップロードしました。よろしかったらどうぞ!



    次回の有料メルマガの予告

    11月13日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、中国が主導するAIIBの裏の動きについて書く。かなり重要な動きだが、日本ではまったく報道されていない。。最後に、ビリー・マイヤーが提唱する未来を変えるための瞑想法について書く。自己の内面に眠っている偉大な力を覚醒する瞑想の方法についてだ。

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

    amazonで注文

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    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第17回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第20回のご案内

     「ヤスの勉強会」の第20回を開催します。やはり、「抑圧されたものの噴出」は勢いよく続き、世界各地でブラックスワンは発生しています。11月までに起こった変動を解析し、2016年の世界を展望します。

    【主な内容】
    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・中国とアメリカの衝突の可能性は?
    ・世界経済は本当に大丈夫なのか?危機の源泉
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

     よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:11月28日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

     いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    高松の講演会

    以下の日程で高松の講演会を行います。お近くの方はぜひどうぞ!毎回ディープな講演会をしています!

    日時  平成27年11月27日(金)18:30受付 19:00~22:00前後まで
    場所  高松生涯学習センター

    会場内の掲示板にて部屋の確認をお願いいたします。
    〒760-0040 高松市片原町11番地1
    電話:087-811-6222 FAX:087-821-8022
    会費   ¥5000/人

    講演会後、高島先生を囲んでの懇親会を予定しております。場所 未定ですが高松市内にて行う予定です。

    主 催  里坊会計事務所 里坊昌俊
    実行委員 有限会社ウエストフードプランニング小西啓介、ソニー生命保険株式会社 山下智幸、株式会社京蔵 京兼慎太郎、株式会社クリード インテグレーション平野伸英

    内容
    ・見えてきた集団的自衛権の招待
    ・あまりに多い経済危機の引き金
    ・中国が危機の引き金ではない?
    ・ロシアの隠された計画
    ・新しい意識を手に入れる


    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    12月6日と1月16日の2回、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第一回目のパートナーは有名ブログ「In Deep」の岡靖洋さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第18

    spi151

    西塚 皆さんこんにちは、『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の18回(10月25日)ですね。また今日もヤスさんにお越しいただきました。よろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス どうもどうも、カンパーイ! 

    西塚 今週は、ここは気になるといったものは、何かございましたか?

    日本の景気減退、ロシアのデフォルト!?

    ヤス 前回のときも話しましたが、引き続き世界の経済が気になりますね。やっぱりね、安倍政権がNHKを牛耳ったというのは、すごくでかいと思いますね。日本の今のアベノミクスのヤバさであるとか、危険性であるとか、当然そういったニュースは全然伝わってこないし、世界経済が今、本当にどこまでうまくいってるのか、特にそのヤバさの面に関しては、ほとんど伝わってこないというのが、日本の現状なんだと思います。

    西塚 そうですね、いわゆる「新3本の矢」とか、すごく抽象的で具体的な根拠がないというか、妄想というか幻想は出てきてますが、要するに具体的な見通しは持てない感じですか?

    ヤス とても持てない。最近、細かな数値であきらかになってくるんです。たとえば今、機械受注がどのくらい落ち込んでるのか、設備投資率がどれくらい落ち込んでるかとか、そういう財務省からあがってくるような統計を全部綜合すると、おそらく4月から6月期の成長はマイナスだったんですね。で、7月から9月期にもマイナス成長が予想されているので、マイナス成長が2期続く可能性が高いのですよ、たしか。マイナス成長が2期続いた段階で、実は景気後退に入ったという基準になってるんですね(笑)。

    だから場合によっては、日本経済は成長してるどころか、また足踏みどころか、逆に縮小傾向にあるというか、景気の後退局面に入ったと言ってもおかしくない状況にあると思います。

    西塚 じゃあ、ほとんどアベノミクスは大失敗だし、景気は後退してるんだということを本当は言うべきなのに、言わない。それは、今の政権を持たせたいとか、そういうことですか?

    ヤス そうですね。今の政権の支持基盤の重要な源泉になってるのは、経済成長率が高いということなんですね。安倍さんになってから、日本経済が再生し続けてるということが、政権の支持基盤のひとつになっているので、これは絶対崩すわけにはいかない。

    首相官邸にですね、株価を表示するボードがあるらしいんですよ。今までは、日本の株価は1万5000円を突破して、1万8000円になって、2万円を突破してということで、安倍政権になってからかなり短期間のうちに、日本の株価は急激に伸びました。株価が急激に伸びると、その経済効果はけっこうでかいものがあります。どの企業も株を持ってますから、その企業の資産価値が非常に高まる。それから富裕層の消費がどんどん進むわけですね。株で儲けて、富裕層の消費が進む。それから、年金基金のようなGPIFというところが、それで莫大な利益を上げる。まあ一応、高株価そのもののが、けっこう大きな景気の浮揚効果を持ってるんですね。

    高株価によって富裕層がたくさんお金を使いますから、その結果、小売業、特に百貨店なんかの小売業がどんどん業績を伸ばす。そのサービス産業に牽引されてですね、かなり大きな雇用効果を生む。それだけ失業率が下がるわけですから、非常に景気がいいという状態は作られます。株価が上がってるときはね、高株価の影響によって、これだけ景気がよくなったと報道する。逆にですね、8月24日、25日に株が暴落しました。日本でも30%近い暴落だった。それからもとの数値に戻ってないわけですよ。400円とか500円とか、ずっと株価が乱高下してるわけですね。

    西塚 24日、25日というのは、上海のことですか。

    ヤス 上海のことですね。世界同時株安になって、それで日本でも株が30%近く下がる。2万円の株がそれこそ1万7000円くらいになるわけですよ。これだけ大きく株価が乱高下するということは、ロスもあるわけじゃないですか。マイナス効果もあるわけです。みんなお金を使わなくなる。富裕層を中心に使わなくなる。そうすると、小売業、サービス産業がちょっと縮小傾向に出てきて、雇用も伸び悩むという、逆の循環になってくる。逆の循環のことはいっさい報道されない。たとえば、GPIFという年金基金なんて、今回10兆円損してんですよ。

    西塚 10兆円ですか。

    ヤス 10兆円です。今回の株の乱高下で大損してる投資家とか、大損してる富裕層がたくさんいるわけですよ。それがもたらす逆の消費効果と言うか、消費が冷え込む効果というのはいっさい報道されない。

    西塚 それは完全に規制されていると言うか、報道するなということですか?

    ヤス そうですね。報道するなということですね。NHKも報道しないですしね、本当に。

    西塚 民放も右へならえと。経済的にマイナスのことは、もういっさい報道できなくなってるということですね。

    ヤス 報道できなくなってますね。

    西塚 でも、日本の金持ちなり、それなりに情報を集めてる資産家とかは知ってるんですよね?

    ヤス 資産家の友だちは僕もいるんですよ。すごいお金持ちがいる、投資家で。ただね、日本の投資家は全体的に見るとひとつの特徴があるんです。英語ができない。日本の資産家ほど英語ができない人たちっていないですよ、世界の資産家と比べると。本当に英語ができなくて、投資しにくるんです。あれ怖いですよね。ほんと怖いですよ、たくさん会いましたけど。

    西塚 じゃあ要するに、日本の国内でうまいことやってこれた人たちということなんですかね。

    ヤス そうですね。

    西塚 まあ、不動産投資とか、いろいろ回して。海外じゃないですね。

    ヤス 海外でも、中国とか、まあいくつかの投資で当たったという人たちが多いんですけど。ほんと英語できないですよ、みんな。

    西塚 資産をどこかにまかせて、運用させてるというくらいで、自分では調べない。

    ヤス そうですね、自分で調べることはない。今言ったように、日本で成功した人が圧倒的に多いですね。それで海外でちょっと投資をして、一部当たったという人もいる。もっと言うと、相場ってありますでしょ? FXにしろ、株式相場にしろ、英語できる人はいないんですね、あまりね。だってデイトレなんて、株の上下、一日の株の変動でサーフィンしてお金を設けていくわけですから、景気に対する理解もいらないし、経済に対する知識もいらないし、言ってみれば本当にその波に乗るということだけではないかと思います。

    西塚 じゃあ、ほとんどギャンブルと言うか、パチンコみたいなものに近いですね。

    ヤス だと思いますよ。

    西塚 直感とかがたまたま優れていれば、大儲けする人もいるだろうし。

    ヤス いわゆる投資家の人たちって、英語が弱い。

    西塚 関心がもう、世界情勢がどうとか、この要素があるから危ないぞとか、資金を引き揚げてこっちに移すとか、そういうことじゃないんでしょね。

    ヤス おそらくね。周りの人がそういうような流れになってるから、自分も一緒に乗って移ってくる。

    西塚 僕なんかに言わせると、幸福な人たちだなあと(笑)。でも、このままいって、こぞって何かなくす場合もあるんじゃないですか?

    ヤス まあ、なくなるでしょう。なくす人はなくすと思いますよ、やっぱり。情報を集めてないと。世界経済全体は、それこそ第三の危機の直前のところにきてると思うんです。何がきっかけになるのかがわからないし、いつそれが起こるのかがわからないというだけ。それは、あらゆる政府機関、国際機関、世界的な金融機関の警告レポートの形でさんざん発表されてます。それは脅しではなくてね。

    きっかけになりそうなのものは、いくつかあることはあるんですよ。たとえば、トルコの建設産業であるとかね、ブラジルのフランチャイズチェーンの一部であるとか、いくつかのきっかけになりそうな産業がある。

    西塚 そのへん、ちょっと危なそうなところは記事にもなってるわけですね。

    ヤス どの金融機関も必死になって、何がきっかけになるかを探ってるんです。あそこがヤバい、ここがヤバいと。

    西塚 でも、ブラックッスワン理論じゃないですけども、みんなが思ってもみないところから火がつく可能性もありますね。

    ヤス 多くの場合、そうなんですよ。目に見えてるようなところからはこないんです。手当されてしまって。

    西塚 そうなると、勘に頼っちゃうといけないんだけども、ヤバいと言われてるところに集中するんではなく、それを見ながら大きなところで何かを感じ取るというのも、別にスピリチュアル的な意味ではなくてですね、必要でしょうね。何となくここらへんがヘンだぞ、という感覚。

    ヤス そうそう。逆に、裏を読むという読み方ですね。彼らはこれとこれがヤバいと言ったと。ヤバくないと彼らが感じてるものは何なのかと見る。

    西塚 なるほどなあ。

    ヤス だから、その逆を読む、裏を読むという発想はすごい大事ですね。ブラックスワンを読むうえで大事なんだなと思います。

    それから、ロシアの経済企画省にあたる組織があるんですが、そこの長官がですね、プーチン大統領に対して提案書を出してきて、ロシアは戦略的にデフォルトするべきだと言うんです。西洋の経済制裁に対する対抗路線を考えなくてはならないと。欧米がロシアの金融機関に対する制裁を行なってる。それに対抗する新たな対抗処置として一番効果的なものは何かと言うと、戦略的にロシアがデフォルトすることだと言うんですね。戦略的に破産をして(笑)、ロシアが欧米の金融機関に持ってるさまざまな借金がありますでしょ? あれをすべて踏み倒すことができるんだと。

    西塚 棒引きになりますもんね。いや、怖いな、それは。

    ヤス それをこちらがやる、というのもひとつの手だぞ、という報告書を出してきた。

    西塚 脅しにもなりますね。

    ヤス ロシアは困らないんですよ、別に。

    西塚 困らないですよね。広大な領土を持って、自給自足もできて、エンルギーはあるし。

    ヤス なおかつ、今までもずっと、欧米の金融機関からアクセスを排除されてますからね。今ここでデフォルトしたとしてもね(笑)、ロシアそのものの金融機関にかかる負荷は、極めて少ないというふうに読んでる。

    西塚 何となくの感じで言いますけど、プーチンがかなり主導権を握ってきていて、ロシアの方向がいいかどうかはともかく、中東におけるわけのわからないアメリカの軍産複合体のおかしな動きも抑えるし、やってることがまだマシな気がするんです。

    ヤス いや、マシですよね。

    西塚 オバマもそれほど、いや口では言ってますけどね、シリア空爆は許されべきではない、もとのロシアには戻れないとか言ってますけど、実はそうでもないんだろうなという気がしますしね。

    ヤス いや、やってることはまともですよ、ロシアは。

    西塚 そう思います。根回しもちゃんとやってるみたいじゃないですか。

    ヤス そう。イスラム国の壊滅であるとかね。

    西塚 しかも、あまり話を広げてもいけないですが、来年大統領選挙があるので、アメリカはそっちのほうでもまたゴチャゴチャ大変なんだろうけれども、何と言うか、アメリカの覇権はもう終わっているのは間違いないんでしょうね。

    ヤス そうそう。

    西塚 そうなると、プーチンが失脚しないことを僕は望みますけども、前にヤスさんが話されたアレクサンドル・ドゥーギンですか? 逆にあっちにいくと、また違うナショナリズムが出てきて、それこそエノク予言みたいな話になっていくんじゃないか。そういう火種は、ちょっと残ってるじゃないですか。僕は、そのへんも見ていかなきゃいけないのかなと思いました。すみません、ちょっと話が飛びましたが。

    ヤス 今のオバマ、イスラム国とかプーチン、そっちのほうの絡みで言うとね、プーチンがイスラム国を叩くってすごく重要なのね。ある意味で象徴的な意味を持つと思います。オバマとかプーチンの路線で、いろいろ交渉したり、話し合いをしたり、妥協したり、まあ敵対関係に陥ったりする。あの路線で交渉が成立してる限りは、大きな戦争とか紛争はあまり起きないんですね。アメリカにもこういう事情がある、ロシアにもこういう事情があるからと説明できる、つまり合理性で説明できる世界なんですよ。

    プーチンとオバマは違った価値観、違ったイデオロギーの持ち主です。でもね、決定的に共有してるものがある。それは、合理的な世界観なんですね。プーチンもオバマも、世界というのは、異なった政治的・経済的な利害関心を持つような、さまざまなグループのパワーゲームでできてると見るわけです。パワーゲームでできてる世界の中でね、どうやってこちらが自分自身の利害を貫徹させるのかというところで、話し合いができるわけですね。そのような同じ見方をしてるから、じゃあ、ここで折り合おうというような、ひとつの妥協が可能なわけです。

    西塚 最低限のルールのような共通認識があるわけですね。そこに則って妥協する。

    ヤス それに対して、イスラム国との交渉は無理なわけです。なぜかと言うと、世の中はアラーの神が創り出したものでね、我々はアラーの神が創り出したウンマ、イスラム共同体、カリフ制国家を創り出すために生きているのだ、それ以外のすべてのものは悪だと。善か悪かしかないわけですね、すべて。

    中国は覇権を求めていない?

    西塚 イスラムなら僕はわかるんですよ、宗教的な問題として。中国はどうですか? 拡大するしかないという、中華思想ってありますよね。あれは宗教ではないけども、似たものを感じるんですが。

    ヤス たしかに、中国の利害関心を非常に色濃く反映したイデオロギーですね。

    西塚 そうか、利害でいいのか。もっと覇権主義的な、浸食していくしかないような感じがしてました。

    ヤス たとえばね、初期のソビエトは極めて強いイデオロギーを持っていた。ソビエトの社会主義は、世界中にどんどん広がっていった。初期のソビエトは、スターリンとトロツキーが争ってたような時代。1920年代、30年代。一国社会主義なのか、世界共産主義革命を目指すべきなのか、という争いがあった。スターリン主義は一国社会主義のほうへいく。トロツキーはもっとイデオロギー的で、いわゆる世界共産主義革命をするべきだなんだと。その世界観の背後には、資本主義は絶対的な悪なので、根底からぶっ潰すしかないという思想があるわけです。

    じゃあ中華思想もそうなのか(笑)。おそらく、そういったイデオロギーとは違う。中国に関してはいろいろなことが言われます。覇権ではないか、とかね。しかし、いろいろな論文とか本を読むと、中国共産党の真意はどうもそうではない。中国共産党の一党独裁をできるだけ永続させたい、というのが単純に最大の目的なんだと。

    西塚 異論があるかもしれませんが、ある評論家に言わせると、中国というのは、太子党に代表されるようなエリートたちが人民を支配して、奴隷のように働かせて、そしてお金を吸い上げて、いかに貯蓄して資産を増やしていくか、それしかないと。国はそのためのツールでしかないと言うんですね。その証拠に、まず家族、血族を海外に移住させて、最後まで搾り取れるだけ搾り取ってから、自分たちが亡命する、というのが当たり前の目的であって、国に対する忠誠とかナショナリズムみたいなものは、まったくないんだと。

    そもそもが多民族国家であるし、要するにベトナムとか日本とは違うわけです。国民国家ではないということなんです。実際、共産主義だし、主権在民ではなく、住民とか人民はいるけど、国民がいない。つまり国ではない。少なくとも、国民国家ではない、という話があって、僕はそれは一理あると思います。戦争したらおそらく、あれだけの軍事大国かもしれないけど、負けるだろうと。と言うのは、ベトナムはあんな小っちゃい国だけど、国民国家なので、まとまったパワーを発揮する。戦争であんなに手こずった国はないと。アメリカも逃げたし、中国も逃げた、適わなかったわけです。日本にしても、ある種国民国家という意味で怖がられているじゃないですか。

    ヤス あえて言えば、中国は日本に似てるかもしれないけどね(笑)。

    西塚 それは面白いですね。

    ヤス 何をもって国とするかということですね。多くのアジア、アフリカの国々が、植民地状態からどんどん独立して、ひとつの国家を形成していきますよね。まあ、日本もそうですが、明治維新以前というのは、国という概念はいわゆる国民の頭の中にはないわけです。それは中国も、ほかのアジア、アフリカの諸国もみんな同じような状態なんですね。国という概念がまったくないところから、国を創り出していく。国を創り出していく前提になるのは、まずは国民の存在ですね。今までまったく違った部族であるとか、共同体であるとか、民族的に異なった集団の中に生きてる人たちが、国という大きな単位に、どうやったらまとまることができるのか。そもそも、そういう問題がある。

    そこで一番必要になってくるのは、共通体験です。共通な歴史的体験ですね。そういう歴史的・共通的な体験があったかなかったか。現実に存在してるかどうかはどうでもよくてね、そのような共通的・歴史的な体験を共有している、ひとつのまとまった集団なんだということを、でき上がってきた政府がさんざん喧伝するわけですよ。

    西塚 なるほど…

    ヤス たとえば明治政府は、国家神道というものを作り上げることによって、我々自身に同じ宗教、彼らは国家神道を宗教とは絶対に言わないけれども、いわゆる同じ民族宗教をずっと共有してきた民族的な共同体、万世一系の天皇というものにつながってきた民族的な共同体なんだと言うわけです。

    西塚 そうか、そういうことですね。

    ヤス それはフィクションなんですよ。基本的にフィクションなんです。

    西塚 前々回、ヤスさんがいみじくもおっしゃったように、紀元2600年祭ですね。神武天皇以来の、我々は万世一系の天皇のもとにまとめられた、日本国民なんだというヤツ。

    ヤス そうそう。

    西塚 それで、1940年の11月10日の何時かに、みんな宮中に向かって万歳をする、というところまでいっちゃう。まあ、たしかに中国共産党も反日を喧伝して、国民をまとめ上げてるという構図。同じというのはそういう意味ですね。

    ヤス 中国は非常に長い間、1842年のアヘン戦争から始まる半植民地化、内戦の状態を経ながら、1949年に初めて独立するわけですよ。その長い苦難の歴史の中でですね、中国人が中国人という強固なアイデンティティがあったか。ちょっと危ういわけですよね。ただ、この長い苦難の歴史の中での共通体験がある。何かと言うと、我々はものすごい苦労をしたねと。我々が中央の政府を持たなかったがゆえにね、外部の勢力に侵略され、内戦の状態になって、半植民地の状態になって、非常に苦難な歴史を歩んでこざるを得なかった、共通した体験を持つ民族なんだと。

    ここで初めて、いわゆる中華民族といったもののまとまりができ上がるわけです。現在、中華民族という民族のまとまりと、日本民族のまとまりとどっちが強いかと言えば、中華民族のほうが強いんですね。それだけ苦難の歴史の背景があるからだと思います。

    西塚 たしかに植民地の連続でしたからね、歴史的にも。多民族だし、よく日本人のネトウヨ的な発言で、今の中国が清とか元に戻ると言ったって、清も元もモンゴル人なんだから、漢民族とは違うだろと、みんな揚げ足とって言うけれども、結局同じですね、日本も。たしかにそんなにまとまってたわけではない。

    ヤス そうなんです。だから批判するわけじゃないんですけど、今の中国は国民国家ではないから弱いかと言うと、そうではないということです。中国共産党政府は、中華民族を民族としてまとめるために、さまざまな歴史的な共通体験を喧伝して作り上げる。その中には、まさに国民が共感する苦難の体験もあれば、中国共産党がかなり大げさに演出して作り上げた、むしろファンタジックな体験もあるわけです。国民の心を打つような、具体的な現実の歴史に根差した体験にしても、ファンタジーにしても、目指す方向は一緒なんですね。我々は共通体験を持ったひとつの集団なんだ、ということです。その集団とは何か? 中華民族です。

    西塚 そうなると安倍さんがですね、「美しい日本」ということで、神道かどうかわかりませんが、いろんなブレーンと作り上げたものを日本人に強制し始めたとき、日本人は右へならえするメンタリティを持ってますね。怖いですね。

    ヤス 怖いですよ。でも今の日本は、安倍さんの「美しい日本」についてくる人間もいたんだけど、真っ向から反撃する人間も多くなってるわけです、根幹の部分でね。中国では、我々は長い苦難の歴史を闘い抜いてきて、やっと今ね、新しい近代化に乗りつつ、最終的にはこれだけ経済的に成功した偉大な中華民族であるのだと。この認識をね、拒否する中国人はあまりいないと思うんですね。

    今の共産党に関して、もうとにかくあれは駄目だというのはたくさんありますよ。やっぱり中国共産党に対する批判は、ものすごく強いものがある。しかしながら、中国人が民族として味わってきた、この苦難と成功の長い歴史に対してはですね、拒否するう人は僕は少ないと思う。

    西塚 以前テレビで、まだ元気だったころの加藤紘一が出てたんですね。あの人は中国専門で中国語も話せるようですが、その当時の中国のことを言ってました。要するに、何だかんだ言っても、我々は食えるようになった、と言うらしいんですね。だから、その経済的な安心感は、いかに大事かということですね。

    そういった意味では、ちょっと話が飛ぶようですが、今の習近平がやってること、腐敗撲滅は、地方の役人ですよね。今、みんながチクり合って、べンツも乗れなくなっていると。高級料理も食べられなくなっている。市民がみんな中国のツイッター、ウェイボーに上げちゃう。そうするともう、すぐ上からやられる。毎日、400、500人やられてるって話ですから。みんな嫉妬の塊りで、あいつムカつくとなれば、みんながウェイボーに上げますから。それで溜飲を下げる。だから習近平万歳で、今共産党はむしろ求心力が高まってるという(笑)。

    ヤス そうですよ。共産党の求心力はどんどん高まってますよ。

    西塚 まあ、習近平のやり方がうまいんでしょうけども。

    ヤス 異論があるかもしれないけどね、中国が国民国家じゃないと言うけど、そうじゃない。ものすごく強烈な国民国家です。

    西塚 あれだけの多民族でもですか? 共産党が近代になってから植えつけたまとまり感と言うか、フィクションを含めながらでしょうが、そういうものが功を奏したという…

    ヤス 中国共産党は極めて強権的な政権ですからね、自分たちの言うことを聞かないところには当然、人権弾圧をさんざんやるしね。

    西塚 天安門だって、学生を戦車で轢き殺しちゃうわけですから。

    ヤス そうそう。すごい強権的な政権ですよ。独裁政権であることは間違いないんだけど、ただ我々が見間違うのは、独裁政権だから国民が反抗したがってるだろうと思うのは間違いだってことなんです。そうではない。今、中国で56の民族があるんですよ。一番でかいのは漢民族ですよね。56の民族がいて、中国共産党に対して民族レベルで反抗してる人たちというのは、チベットであるとか、新疆ウイグル自治区ぐらいなんです。人口の割合でいくと1%もいかない人たちなんですね。彼らは彼らで非常に苦難の経験をしていますけども、あれが中国の一般的な状況かと言うと、僕は全然そうじゃないと思う。見間違えるんだと思うんですね。

    おそらくですね、中国共産党を突き動かしているのはイデオロギーではない。中華民族が覇権を取るべきだと思っているかと言えば、いろんな本を読んだんですが、どうも思っていない。さっきも言いましたが、もっと単純で、共産党の一党独裁の統治をどれだけ長く持続できるかがポイントなわけです。共産党の中枢にいるようなエリートたちが、国民を奴隷として使役する既得権益の源泉を失いたくないからだというのも、ひとつあります。あるんだけど、どうもそれはマイナーな理由ですね。今、習近平政権の中では、そういう人たちは粛清されていなくなってる(笑)。もっとナショナリスティックな理由です。我々が長い間苦難の歴史を歩まざるを得なかったのは、強い中央集権的な政権がなかったからなんだと。民族をまとめるような政権がなかったからだ。だから中央集権的な政権が何が何でも必要なのだ、という理解なんですね。

    西塚 逆説的な言い方になりますけど、中国は今、国民国家を目指している最中だということになりますね。

    ヤス いえ、もう十分に強固な国民国家ですよ。日本以上に強固な国民国家ですね。

    西塚 じゃあ、もっと買いかぶって言っちゃえば、習近平はアジアとかユーラシアに秩序と安寧をもたらすためには、中国には強権を持った中央政府が必要であって、そのパワーを絶やしていけないと考えている、ということになりませんか。

    ヤス そう。単純にそうです。

    西塚 えー、じゃあ、すごいヤツじゃないですか、習近平は(笑)。

    ヤス けっこう重要なことです。だからね、価値観で見ないということは重要だと思うんですね。それは、ひとつの合理性なんです。

    西塚 合理性ですね。すみません、僕もいい悪いで言ったつもりではないんです(笑)。

    ヤス ええ、ええ(笑)。

    西塚 パワーバランンスとしては必要であるという。

    ヤス それは、実はプーチンとも共有してるんですよ。ソビエトが分解してなくなって、エリツィン政権になった。エリツィン政権は極めて弱い。欧米の大資本家に操られるよう政権だったんです。

    西塚 酔っぱらいだったし(笑)。

    ヤス マイナス14%という逆成長で、ソビエト経済がどんどん縮小して、経済が全部奪わられるような体たらくだった。あのトラウマは巨大です。二度とあの状態になってはならない。そのためには、欧米に対抗できるだけの極めて強固な中央集権的な政権に持っていかなくちゃならない。

    西塚 いや、僕は目を啓かれたと言いますか、ユーラシアに中ロという広大な国家が近代以降できましたね。前のお話にあった複雑系・複雑性の理論の「カオスの縁」じゃないですが、微妙な均衡ですね、先ほどのご指摘のように、価値観とか好き嫌いではなく、大きな混乱で人民が苦しまないようなバランス感覚が必要だと。すごく合理的なバランスを睨んだうえのカオスの縁をですね、ひょっとしたら習近平とプーチンはそのへんのある程度の共通認識を持ちながら、対欧米としてのバランスを取り始めようとしているということかもしれないですね。

    ヤス 言ってみればそうですね。習近平政権が代表しているメンタリティは、まず共産党政権を長続きさせねばならない。そうしないと、統一中国はなくなるかもしれない。ヘタに民主化したら、すさまじい混乱と内乱と半植民地の時代に逆戻りする可能性が高いと。だからそうならないように、中華民族としての強烈な中央集権的な政権がなくちゃいけない。それをやっていくのは共産党政権しかないんだと。そのような共産党政権を存続させるための最大の条件は何か? 経済成長である。経済成長を確実に約束している限りは、国民の支持が得られる。だから我々は国民を食わすこと、経済成長をして豊かにすることに全力を投入するんだといったような、基本的に非常に単純と言うか、わかりやすいロジックだと思いますね。

    西塚 なるほどなあ。

    ヤス そのロジックから考えると、たとえばAIIB(アジアインフラ投資銀行)ってありますでしょ? あれは中国の覇権と言うけど、覇権ではなくて、簡単に言うと2009年からずっと経済成長してきて、中国は今、過剰生産の状態にあるんですね。ほっとくと過剰生産恐慌に陥るかもしれない。過剰生産の政策のはけ口になるような、新しい市場を作り出さなければ駄目だと。それで、アジアインフラ投資銀行ということで、鉄道は建設するわ、中国商品のための新しい市場を中国政府が自ら開発することによって、過剰生産の圧力を減らしていこうということですね。だから今回、習近平がイギリスにいった。イギリスにいって金をばらまくわけです。 

    西塚 7兆円とかですよね、原発もそうだし。

    ヤス すさまじい金額をばらまくわけですよ。それによって中国製品を売り込んでくるわけですね。新しい市場の獲得です。それだけ過剰生産の圧力を減らすことになるわけです。だから中国の拡大は何かと言うと、国内で過剰生産恐慌に陥らないように、中国製品の新しい市場をどんどん開拓しているというだけの話で、ここに政治的な野心はあまりない(笑)。ただ単純にそれをやってると見えるんです、僕にはね。

    プーチンも言ってみればそうですよ。市場原理ではなく、またちょっと別なんですが。ただね、大きな転換点は転換点なんですが、プーチンのロシアは中央集権的な体制ですね。習近平の中国、これも中央集権的な共産党一党の独裁的なピラミッド型の体制です。このふたつのモデルがうまくいった場合、特に中国はうまくいってるわけですけども、これがアメリカよりもうまくいった、イギリスよりうまくいった、また日本よりもうまくいった場合は、市場原理と民主主義を根幹とした、いわゆる自由社会の資本主義よりもうまくいくモデルの定義ということになってきます。あっちのほうがうまくいくと。そうすると、あきらかにこれからは歴史の主流の流れが変わってくるわけです。グンッとギアチェンジがね。

    多くの新興諸国は、たとえばトルコにしろブラジルにしろ、場合によってはインドにしろ、南アフリカにしろ、マレーシアにしろ、またこれから経済発展していくようなカンボジア、ベトナムにしろ、やっぱり見るべきものは、中国経済のみならず、中国的な体制になってくると思うんですね。経済成長したければ、実は民主主義と市場原理に基づいた、経済的に開放された欧米流の資本主義ではなくて、強い中央集権的な政権によって統制された、いわゆる中国型、ロシア型の資本主義ということになってくる。

    西塚 中央がかなり強くコントロールするんだけども、市場は開放しているということですね。

    ヤス 基本的には中央がコントロールするけれども、中央が許す範囲で自由だということですね。

    西塚 それは、いっときの日本もそうだったんじゃないですか?

    ヤス 日本もそうですよ。日本はもっと緩いんだけど、いわゆる高度経済成長期の日本はそうですね。

    西塚 まだ民営化されていない電電公社とか、JRとかない時代には、ある程度政府がコントロールする中で、経済を発展させていったという。

    ヤス そうです。あのときはジャパンモデルということでね、いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ということで、さんざん喧伝されてるときですね。

    西塚 中曽根、小泉によってどんどん民営化されて今にいたるという感じ。

    ヤス そうですね。今は、高度成長の日本型資本主義のなれの果てといった感じですね。

    西塚 もっと、なれの果てはアメリカなんでしょうけど。

    ヤス そう。ジャパンモデルとしてさんざん喧伝されましたが、それと同じような意味で今、中国モデルとして喧伝されてしかるべきと言うか、喧伝されてるんですね。

    西塚 たしか鄧小平は、日本型モデルでいけばいいと言ってませんでした?

    ヤス おっしゃる通り。中国の経済成長は特に鄧小平以降なんですが、ふたつの時期に分かれるんです。まず1978年から天安門事件の1989年までの時期。この時期はまさにジャパンモデルです。中国政府が基本的に経済成長のエンジンを握った、日本型のシステムだった。天安門事件で駄目になって、1990年代の初めから現代までは、安い労働力を開放するということでやってきた。でも、基本的には中央集権的な政府が経済を管理することによって、高度経済成長を達成するというタイプのモデルですね。

    安倍的なものの気持ち悪さに象徴される非合理性

    西塚 ちょっと話が変わりますが、ひとつだけお聞きしたいことがあるんです。僕は新聞で読んでちょっとビックリしたことがあって、北海道だったかな、要するに何かのポスターで、安倍さんの顔にチョビ髭を描いて逮捕された人がいるわけです。現行犯で逮捕されたんですね、警官によって。

    ヤス あ、ほんと? とんでもないね。

    西塚 本来だったら、ちょっと止めなさいとか、警告ぐらいですむ話じゃないですか。それを現行犯逮捕したんです。それは過剰だろという記事で、もちろん安倍さんの指示じゃないでしょう。そんなことはないけれども、自主的にやり始めたということだと思うんです、末端が。そいつらが中央をうかがって、こうやれば喜ばれるだろうというメンタリティですね。これは完全に戦時中と同じだというような内容の記事でした。僕はゾーッとしたわけです。それだけじゃないんですよ。いくつかの似た例があって、要するに末端が勝手に公務員である権限を利用して、過剰反応し始めたということなんですね。メディアもそうです。政府が禁止もしてないのに、これはちょっと言わないほうがいいだろう、やらないほうがいだろうという、自主規制がメディでも始まってる。最悪じゃないですか。これは大本営発表前の、何と言うか、2600年祭でみんながハハーッとなるようなメンタリティが、まだ残っているというんですかね…

    ヤス まあ、いい意味でも悪い意味でも、それはフレキシビリティの現われなんですね。

    西塚 ああ、そうか。

    ヤス 時代がこうこう、こうなんだから、積極的に時代の流れのほうに乗るという。

    西塚 前回、その話をしましたね。

    ヤス そうそう。だから田吾作のいい面でもあるんですけど、現われ方によってはとんでもない。

    西塚 土人になるっていう…(笑)、フレキシビリティのひとつと考えれば、その通りですね。そうか。

    ヤス 安倍的なものに話を戻しますと、安倍さんに対して極めて強い違和感を持って反対する人は多いと思うんですね。それは、たしかに安保法制という形で前面に出たのは間違いない。集団的自衛権によって我々が戦争にいく可能性をオープンにしてしまうのではないか、これはヤバいなということでもあった。しかしながら、それだけはなくて、我々のこのユルい生活を守っていたのは、基本的に憲法のおかげだったのではないかと。憲法によって人権が守られていたがゆえにね、戦後の日本の自由でユルい環境が守られていたという事実に初めて気づいた。それからもうひとつ、安倍的なものに対する直感的な反応だと思うんですが、とにかく肌合いがイヤだと。僕はそれに近いんですけどね。もう、とにかく気持ちが悪い。キモい。美しい国であるとかね、いわゆるナショナリスティックな天皇制国家であるとか、あれはとにかくキモいしヤダってヤツね。

    西塚 前にヤスさんがおっしゃったように、民主主義の目覚めであるだろうし、マルチチュードの覚醒だろうと。今まで空気のように味わってきた、憲法で保障された安定性、要するに人権に気づいたということもありますが、それ以上に今回のあのデモは、とにかく安倍のやり方はイヤだと、全体主義に近いような、生理的にあれだけは絶対にイヤだということが強かったんじゃないか、というのがヤスさんの見立てでした。僕はすごく共感したし、なるほどと思いました。難しいことではなく、皮膚感覚、生理的にヤだと。

    ヤス そうそう。キモいという感じですね。だからね、その源泉にある感覚は何なのかということなんです。それをどんどん追っていくとね、非合理なものの台頭に対する拒否反応ですよ。安倍が代表するものというのは、ある特定の肌触りを持った感性を強要してくるわけですよ。日本って美しいよねとか。それで、自分の感性を共有しない者を強権的に排除していくという。

    西塚 同調性バイアス。

    ヤス 極端な同調性を迫ってくる。そういった安倍的なものの手触りとか、感性、触感と言うのかな、そうしたものに対する非常に強い拒否反応が、僕は間接的なレベルであったと思う。

    西塚 だとすれば、これからはもうちょっとクリアで、誰もがわかるような論理であり、ルールであり、感情的な雰囲気とかニュアンスではないところに依拠したものを模索しなくてはならない。でもそれはイデオロギーではなくて、何か違うもの。

    ヤス 何を言いたいかというと、安倍的なものに対して我々が感じたものというのは、気持ち悪さ。その気持ち悪さの根源は何かと言うと、説明できないような不合理な不気味さ。

    西塚 これは共感できるよね、という以外に、これはイヤだろ、というところで一致していくというのも大事ですね。

    ヤス 大事です。多くの人が共感したのはそれだと思うんですね。不気味さに対するものです。それを言葉にしたら、いろいろな言葉になりますよ。あの安倍のやり方は民主的ではないとか、天皇制国家などというアナクロニズムを我々に強制しやがってとかね。あの強権的な体制は戦前への逆戻りだとか、いろんな言い方があります。でもね、どう言ったとしても、なかなか我々の感性の核心にあることは言葉になりにくいんですよ。それはやっぱりね、安倍的なもの、非合理なものに対する不気味さ、気持ち悪さです。とんでもなく非合理なものが台頭してきたという、理屈では説明できないような。

    西塚 そこがまた面白いというか、深いところで、ヤスさんも言うように、全体性にからめとられちゃった場合、思考停止がまた気持ちがいいという。

    ヤス そうそう。

    西塚 そこの見極めですね。ヘタすればそっちにいっちゃう。

    ヤス そう。気持ち悪さをちょっと乗り越えてしまえば、向こうにいっちゃえば楽なんだというのはりますけどね。

    西塚 じゃあ、我々は今、カオスの縁にいるんですか?

    ヤス カオスの縁にいると思いますよ。我々が今回の大きな反対運動の中で経験したのは、安倍的なものに対するひとつの気持ち悪さ。不合理なものに対する不気味さですね。説明つかないような不気味さですよ。その対極としてあるのは、合理的でわかるもの。反対はするけども、合理的だよねというのはあります。
     
    言ってみれば、習近平の中国は、我々は全然それを支持するわけでもないし、当然反対をするんだけども、習近平の共産党政権が何をやりたいのか、その根幹にある論理はわかるわけです。不気味かというと、そうではない。じゃあ、オバマ政権はどうなのか。不気味かというとそうではなくて、わかるわけですよ。とんでもないと思うけど、わかる。プーチンはどうなのか。不気味ではない。極めて合理的で、何をやりたいのかよくわかるわけですね。合理性の範囲内で収まっている限りは、交渉もできれば妥協もできるわけです。

    西塚 わからない不気味さは何かと言うと、人間が抱えている無意識とか、パンドラの箱に眠っているものですね。何が出てくるかわからない。それを強い知性とか論理で抑えているぶんには、いくらでも手なずけることができる。そうではなく、潜在的に抑圧されているもの、何となくわかるよねって言ったときに、そこにバンッと出てくるものは、それこそポルポトの大虐殺とか何とかにつながるようなことになってしまうのかもしれないわけで。

    ヤス そうです。その不気味さですね。じゃあね、イスラム国って不気味かと言えば、不気味でしょ?

    西塚 不気味ですね、たしかに。でも、ある種わかりやすいって言えば、わかりやすいんだけども、そういった意味では。徹底した思想というか。

    ヤス たえばね、今、アルアクサ・モスクが非常に大きな問題になっていて、ヨハネの黙示録も関係してくるんですけど、アメリカのキリスト教原理主義者、神が降臨してくるぞというキリスト教原理主義ね、彼らは不気味かって言えば、我々から見れば不気味ですよ。そういう不気味なもの、イスラム国、キリスト教原理主義者、安倍的なもの、不気味なものって非合理なんですよ。

    何が言いたいかというと、プーチンのロシアがイスラム国を徹底的に殲滅するというのはすごく重要なことで、合理性による非合理性の殲滅だということなんですね。今、我々が入ってきた時代は、非合理なもの、非合理な不気味さ、我々がまさに抑圧してきたような非合理な力のさまざまな諸悪、ざまざまな力、それによって今までの合理的な世界が引き裂かれるというような時代です。非合理性との闘いだということなんです。

    認識主観を超える新しい意識のヒントはB・マイヤーにある!

    西塚 どんな合理的な社会にいてもですね、個人のレベルに還元していくと、問答無用ということがありますよね。とにかくムカつくから殺すという。法律とかは関係ないと。俺はあいつがムカつくからという意味の、昔から日本で言う問答無用ですね。その最たるものがイスラム国であって、自分たちはこういう考えなんだから関係ないと、テロでも何でも問答無用でやるわけです。そういうことは、おそらく昔からあったでしょう。そういうものが少なかった時代もきっとあるんでしょうが、何が抑えていたかというと、ひょっとしたら、合理性もあったかもしれないけれど、もっと違うもの、それは超越的なものとのつながりかもしれない。

    ヤスさんも前におっしゃったような、大いなるものとのつながり、超越的なもの、自分を俯瞰する目というものへの共通の認識、共有してる感覚、そういうものが抑えていた、フタをしていた、ということにもなるかもしれません。個人を超えた超越的なものがあるという共通認識を、合理的にですね、構築するという話になると、いわゆる宗教的なことになりますが、その宗教を超えた意味で、それこそ宇宙の法則という話になってくるかもしれませんが、そういうものがない限りは治まらないんじゃないでしょうか。あっても治まらないものなのか…

    ヤス 極端に言うと、究極的な合理性の根拠に何があるかってことですよね。1618年から1648年まで30年間続いたヨーロッパの30年戦争がありますが、非常に凄惨な戦争で数千万人が死んでるんですけど、直後にデカルトが自らね、問うた問いと同じようなものだと思うんですよ。やっぱり宗教的な非合理さですよね。宗教的な絶対性が内包するような極端な非合理さ、不気味さ。それに対抗していくのは、ものすごく明晰な合理性が必要であると。その普遍的な合理性の基準になるものは何なのかってことだった。そこでデカルトが至った結論というのは「我思う、ゆえに我あり」という。

    西塚 そうですね。僕の勝手な解釈ですけど、前にも話題になりましたが、たとえばアダム・スミスにしろ、ジャン・ジャック・ルソーにしろ、同じような時期じゃないですか。そこで、やっぱり個人にまかせろと。それで、「神の見えざる手」という発想も出てくるわけですね。その結果、今は格差社会とかになってるんだろうけども、要するにルソーなりアダム・スミスなり、ひょっとしたらもっと前のデカルトあたりからぶち当たってきた問題が、時代が進んでいるものだとすれば、同じような問題が、今新たにまたでかい問題としてぶち当たっているということなんだろうと思います。

    ヤス だと思う。デカルトであるとかカントであるとか、何を発見したのか言うと、認識主観というものですね。ちょっと詳しく敷衍させるとね、超越的な存在を否定するわけですよ。超越的な存在といったものを前提にして考えてみた場合、宗教とかを見ても、誰が主張する絶対的な存在が絶対なのか、ということになってくる。私の神が絶対的な真理であるのか、あなたの神が絶対的な真理であるのか。絶対的な真理と真理との闘争になってしまって、これは殺し合いにしかならないわけですね。そうすると、そのように人間を超越した絶対的な真理といったものを前提にした思考をまずやめようよと。真理の基準をそういった超越的なものではなくてね、ものすごく身近なところに持ってこようと。

    よく考えてみると、私がね、これがあるとかないとか言って、我々がこの世界を認識できてる根拠は何かと言うと、自分に自我があるということだけだと。私が意識を持つという存在だから、この世界が存在するんだと。私に意識がなかったら、この世界は存在しない。場合によっては、この世界そのものをこのような世界として認識させているのは、我々の意識なのではないかと、そこにいくわけですね。そこから認識主観を発見する。認識主観がない世界というのは、実は世界として存在してるかどうかわからないんだと。その認識主観という存在がないと、実は世界を認識することができない。世界が存在することができない。だから、認識主観は誰しもが納得せざるを得ない。

    西塚 そこなんですね。難しい話になってきましたけど、カントは「もの自体」として、それをわからないものとしたわけですね。要するに、我々の世界は五感を通してこのように見えるんだけれども、実体はわからない。映画の『マトリックス』もそうですが、現象は脳の電気信号としてインタープレットされたものを見てるだけであって、実はわからないという認識をもとにしています。その先はわからない。外部はわからない。そういう考え方はできると思います。

    一方で、外部にあるものも実はあるんだよという話は、また違いますね。要するに、意識が変わると認識も変わる。五感にしてもですね、むしろ五感を通してわかったものなんてごく一部です。それに縛られるているほうがおかしいのであって、メルロポンティの『見えるものと見えないもの』じゃないですが、見えないもののほうがはるかに多い。それはある種、認めるべきだろうし、僕は論理的にもですね、合理的だと思うんです。当然、我々にはわからないものがあるだろうと、想定はできるわけです。認識はできないけども、認識外のものもあるという認識はできるわけですね。その認識の進化に、人類の意識はきっと関わっているのだろうと思うわけです。

    ヤス なるほどね。ちょっと別の言い方をするとね、認識主観といったものは、30年戦争以降に出てきた普遍的な基盤だったと思うんです。これはもう、誰しもが納得せざるを得ない。認識主観が存在しないということは、人間の否定になるわけですから。認識主観が存在してるがゆえにね、この世界が存在し得るんだと。これが、人間の意識の発見、自我の発見だと思います。僕は、どう思うかと言うと、今ね、そうではない意識を発見しつつあるなということです(笑)。

    西塚 僕もそう思うんです。

    ヤス それは、30年戦争以降のデカルト、カントの時代以来のね、大発見の時期ですよ。

    西塚 そう思いますね。

    ヤス 大発見とはどういうことかと言うと、おそらく認識主観を超えた向こう側に、違った自己を発見できるかどうかということですね。

    西塚 そうなんですね。今度やりたいですが、合気がそうなんです。武道の話をして申し訳ないですけども、今おっしゃったデカルト以降の近代的意識だけでは、絶対相手は倒れない。そうじゃない意識につながったときに、先生方はそれができてるわけですが、そこにつながった瞬間にいろいろできてしまう。おそらく、そういうものはあるだろう。僕は、周波数も含めてそういう話もしたいんですが、これはかなりスピリチュアリズムの範囲内に入ってくるんです。

    ヤス もっと言うとね、ひとつは自我を超えた意識、現在の我々の水準の認識主観という意識を超えた、向こう側にあるものという発見は一番重要です。自我を前提にして出てくるのが、合理的な世界観です。そうした合理的な世界の理解によって、イスラム国であるとか、キリスト教原理主義であるとか、また安倍的なものであるとか(笑)、そういう非合理な世界のもたらす残虐性というものを抑えられるのか。抑えられないでしょう、おそらく。どんどんこれから発散される非合理性をですね、自我によって、意識によってコントロールして、抑えることができるのかどうかってことですね。

    西塚 何でも僕はありだとは思うんですが、何かが出てくるときに、エゴがある限りエゴに沿った形でしか出てこなくなる。それはものすごい残虐性も含むと思うんですね。

    ヤス たとえばイスラム国は、西欧に蹂躙されてきたイスラムの、ある意味怨念の塊りみたいなものですよ。それは本来は平和的な宗教かもしれない。それを極端に解釈して、自分たちを合理化して、やたらめったらに宗教的な熱情の中に入っていくわけです。キリスト教原理主義者、福音派であるとか、再洗礼派とかありますけども、同じような心理的な傾向だし、シオニストと言われてるような、ユダヤ教の原理主義者たちも同じような傾向です、基本的にはね。そういったものというのは、少なくとも戦後70年の間、合理的な世界観によって管理可能であると考えられていたわけですね。それは狂った現象なんだと。アンナチュラルな狂った現象で、それは合理的な世界観の中で徹底的にコントロール可能だし、治癒が可能だし、治療が可能なんだと長い間考えらえてきた。

    政治的な領域で言うならば、非合理なイスラム国の連中だって、基本的には政治・経済的な利害という合理性に突き動かされてるだろうという前提で、アプローチして交渉しようとするわけです。ことごとく失敗するわけですよ、それはね。全然、そういうものではない。そうすると、我々が持ってきたような前提、いわゆる意識が作り上げた合理的な世界観、世界性で、すべてが説明できて、すべてコントロール可能なのかというと、全然そうではなくなってきた。その外部にあるものは、まったくわけのわからない非合理なものですよ。僕は、安倍的なものはその象徴だと思うんですね、日本ではね。戦後70年間にわたってね、戦前を象徴するようなあの気持ち悪いものが出てくるなんて、誰も思わなかったわけです。日本会議だ?(笑)

    西塚 名前からして気持ち悪いですね(笑)。

    ヤス 日本は神の国だ? 徹底的に我々が克服したと思った非合理なものがですね、いきなり我々の目の前に出てくるとは思わなかった。それでやっぱりとまどったわけですね。現代の多くの人間が、それこそ非合理なものの出現を目の前にしてとまどってるわけです、本当に。とまどってるからといって、じゃあ我々の合理的な世界観によってそれを説明しつくし、コントロール可能なのかと。説明しつくすとはどういうことかと言うと、安倍の非合理性をどんどんあげつらうということですね。それによって、安倍的なものがすべて説明できるのかというと、おそらく無理でしょう。

    西塚 無理でしょうね。むしろ今、それこそネグリ&ハートじゃないですけども、またヒゲの隊長を茶化したビデオじゃないですけども、もうちょっと感性に訴えるような方法がたくさんありますから、もちろん文章も必要なんだろうけども、そこをちょっとヤスさんがおっしゃるようにズラして、ガクッとくるようなことができるわけですね、いろんなセンスで。

    ヤス そうそう。

    西塚 そこに期待するというか、そういうもののほうが効果的かもしれない。

    ヤス 効果的だと思いますよ、現実的に闘うためにはね。ただね、我々は今後、18世紀的、19世紀的、20世紀と言ってもいいんだけども、その自我とか意識が作り出した合理的な世界観が滅びつつあるような状況に生きてると思うんですね。そうすると、その非合理的なもの、抑圧されたものの噴出などと僕は呼んでますが、徹底的に非合理的なもの、不合理的なもの、不気味なもの、気味の悪いものといったものが、どんどん表面に出てきて、それが現代の我々のさまざまな秩序を撹乱してくるわけですよ。そのようなものを今後、どのようにしてコントロールしていったらいいのかと言うと、普通の意識とか自我ではおそらく無理だと。その向こう側に我々自身も進化しなくちゃ駄目だ。それはじゃあ、何か超越的な存在が作り出した絶対的な法則かというと、そういうわけではない。

    西塚 僕はそのへんはちょっとわかりません。わからないんだけども、僕の感覚で言うと、その超越的なものに触れるものだと思うんですね。

    ヤス それは触れるものだと思います、僕も。

    西塚 たとえば、すごく細い平均台の上でバランスをとるようなもので、これも論理でこうやればいいということではできません。自分の感覚しかない。その感覚をそのつどそのつど、ある種磨くのか、叩かれながら鍛えていくのか、さきほどのカオスの縁なり、明と暗、光と闇の境、せめぎ合いのところですよね、そこを歩いていくしかないと思うんです。そのときのバランス感覚しかないかなと。

    ヤス たしかに。バランス感覚、当分の間は。ただ僕ね、そこに至る本来の意識のあり方は、実はビリー・マイヤーの本に非常に重要なヒントがあると思います。

    西塚 僕もそう思いますね。じゃ、次はちょっとビリー・マイヤーの話をしましょうか。

    ヤス だからね、我々は次回から、相当ディープにスピリチュアルの方向で話さざるを得ない。ビリー・マイヤーとそのプレアデスのコンタクト(笑)。

    西塚 そっちのほうへちょっとシフトしていきましょう。

    ヤス 今までの我々の対話は外堀だったと思うんです。ビリー・マイヤー的なもの、ビリー・マイヤーが主張してるような、いわゆる新しい意識のあり方といったものを語る場合、やはり文脈が必要で、文脈を形成するためには相当深く外堀を埋めなくては駄目だったということですね。今ひとつのテーマが出てきました。現在我々が生きているような世界というのは、非合理なものが噴出する世界だろうと。第二に、その非合理なものというのは、18世紀から20世紀までの、いわゆる合理的な意識であるとか、合理的な世界観によってコントロールして、説明しつくすことは到底できない。したがって第三に、我々の合理的な意識とか、合理的な世界観そのものが、やはりもっと進化していかなくては駄目だと。進化型の知識じゃないと、非合理なものに対抗できないだろうということですね。

    じゃあ、その進化型の知識がどういうものになるのか。それは宗教的なものではない。あってはならない。しかしながら、精神性が非常に高いものでなくてはならない。それがどういうものであるかということの、ひとつの重要なヒントになるのが、僕はビリー・マイヤーの本だと思います。

    西塚 そうですね。じゃあ、次回からビリー・マイヤーの書籍を軸にしながら、そのへん突っ込んでいきたいと思います。では次回、楽しみにしております。今日はありがとうございました。

    ヤス こちらこそ、どうもどうも。


    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

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    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第17

    11月3日

    第19回の「ヤスの勉強会」の様子を一部アップロードしました。よろしかったらどうぞ!



    次回の有料メルマガの予告

    11月6日、午前0時10分に配信する次回のメルマガでは、次の金融危機の引き金になりそうな国について書く。それはだれも注目していないカナダであった。それとともに、アメリカのシェールオイルブームの現状についても書く。最後に、ビリー・マイヤーが提唱する未来を変えるための瞑想法について書く。前回の続きである

    新しい本

    新刊本が出ます。面白い本になったと思います。よろしかったらどうぞ!

    「資本主義2.0」と「イミーバ」で見た衝撃の未来
    世界の政治・経済はこれからこう動く
    著者:高島 康司

    amazonで注文

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    今回もいつものペース更新ができた。いつも記事を読んでくださっている方々に感謝する。

    今回の記事

    今回はいつもの対談の第17回である。興味深い内容だと思う。

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。7日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    「ヤスの勉強会」第20回のご案内

     「ヤスの勉強会」の第20回を開催します。やはり、「抑圧されたものの噴出」は勢いよく続き、世界各地でブラックスワンは発生しています。11月までに起こった変動を解析し、2016年の世界を展望します。

    【主な内容】
    ・2015年末から2016年初頭になにが起こるのか?
    ・中国とアメリカの衝突の可能性は?
    ・世界経済は本当に大丈夫なのか?危機の源泉
    ・新しい意識の獲得、新しい精神性を目指して

     よろしかったらぜひご参加ください。

    日時:11月28日、土曜日
    時間:1時半から4時前後まで
    料金:4000円
    場所:都内(おそらく東横線沿線)

     いまのところ場所は未定ですが、申し込みいただいた方に直接お伝えいたします。以下のメルアドから申し込んでください。

    記載必要事項
    名前(ふりがな)
    住所 〒
    メールアドレス
    参加人数
    懇親会の参加の有無

    info@yasunoeigo.com

    高松の講演会

    以下の日程で高松の講演会を行います。お近くの方はぜひどうぞ!毎回ディープな講演会をしています!

    日時  平成27年11月27日(金)18:30受付 19:00~22:00前後まで
    場所  高松生涯学習センター

    会場内の掲示板にて部屋の確認をお願いいたします。
    〒760-0040 高松市片原町11番地1
    電話:087-811-6222 FAX:087-821-8022
    会費   ¥5000/人

    講演会後、高島先生を囲んでの懇親会を予定しております。場所 未定ですが高松市内にて行う予定です。

    主 催  里坊会計事務所 里坊昌俊
    実行委員 有限会社ウエストフードプランニング小西啓介、ソニー生命保険株式会社 山下智幸、株式会社京蔵 京兼慎太郎、株式会社クリード インテグレーション平野伸英

    内容
    ・見えてきた集団的自衛権の招待
    ・あまりに多い経済危機の引き金
    ・中国が危機の引き金ではない?
    ・ロシアの隠された計画
    ・新しい意識を手に入れる


    『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナー  講師:高島康司 12/6、1/16

    12月6日と1月16日の2回、『「資本主義2.0」と「イミーバ」でみた衝撃の未来』出版記念ジョイントセミナーを行います!第一回目のパートナーは有名ブログ「In Deep」の岡靖洋さんです。よろしかったらどうぞ!

    申し込みリンク

    ツイッターに書き込むことにしました。よろしかったらフォローをどうぞ。日々情報を発信します。
    https://twitter.com/ytaka2013/

    船井幸雄.comに筆者のページが出来ました。月一回のペースで更新します。ぜひご覧ください!

    船井幸雄.com
    ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

    むちゃくちゃうまい醤油!

    筆者は、隔月で高松の経済団体で講演会を行っている。そのとき、高松で評判になっているおいしい醤油のことを教えられた。小豆島の醤油である。早速、注文して見たが濃厚な味でものすごくうまかった!世の中にはうまいものがあるののだと思った。よろしかったらどうぞ。

    金両醤油

    酔っ払いオヤジのspiritual meeting 第17

    spi151

    西塚 皆さんこんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の、えーと17回(10月18日)になりますねえ。いつものとおりヤスさんにお越しいただきました。よろしくお願いします。カンパーイ!

    ヤス カンパーイ! どうも。

    西塚 何か今週は、気になることありましたか?

    BRICs諸国とアメリカの国債の下落が加速する

    ヤス いや、いっぱいありますね。まだ報道されてないけど、経済がちょっとヤバくて。メルマガに詳しく書くつもりなんですけど、新興国からの資本逃避が激しいんですよ。これは、資源価格の低落、新興国の多くは資源産出国なんです。特にBRICsなんかではね。BRICsの中でも資源産出国から資本の逃避が激しくなってる。その一番大きな理由は、世界経済全体の減速にともなう商品価格の低落ということなんです。

    西塚 デフレってことですか?

    ヤス デフレですね、一応。商品価格がどんどん安くなってくると、資源輸出に依存した新興国はかなり大きな余波を食らいます。その結果、経済の先行き不安が生まれて、どんどん新興国から資金の流出が図られる。それで、ちょっと怖いなと言われてるのが、ブラジルとマレーシアと南アフリカなんですね。これから資本の流出が相次ぐと政府困ってくる。そういう新興国の政府はですね、国債を発行しながら、財政をまかなってるわけです。各国が発行した国債は償還しなければならない。償還しなくちゃならない資金は、新規国債発行によって償還すると。その国債が売れなくなってきてるんですね。新興国からの資本がどんどん逃避することによって、売れなくなってる。もし本当に新規国債を発行しても売れないとなってくると、過去に発行した国債の償還ができなくなるわけですから、極端なことを言えば、デフォルトにもなりかねないんです。

    最近ですね、IMFが特別専門家会議を開催した。新興国が相当ヤバくなってきてると。もし新興国のどこか破綻した場合、デフォルトを起こした場合は、もうIMFしか実質的に資金援助して助ける団体がいない。しかしながら、ここまで新興国がたくさんね、危機的状態になると、IMFの資金が尽きることにもなった。じゃあ、IMFはどうやって対処していけばいいかということを話し合う。そういう会議を開いてるんですね。ある意味で、けっこう厳しい状態にあると。

    西塚 BRICs関係の危なそうな国は、中央銀行がお金を刷ることができない国が多いんですか?

    ヤス いや、お金は刷ることはできる。

    西塚 たとえば日本の場合、自国通貨建ての国債なので破綻はありえないという話がありますね。中央銀行が、日本なら日銀がお金を刷ればいいだけなので、まったく問題はないと言うんです。そうじゃない場合は危ないと言うか、ほかに買ってもらわないといけないので。新興国はみんな中央銀行をちゃんと持っていて、自国の通貨は刷れるというのであれば…

    ヤス はい。ですが、ほとんどの新興国はドル建てで国債を発行しているのですよ。ドル建ての国債だと国際市場から国外の投資家に販売できるのでいいのです。もちろん、自国通貨建ての国債も多くの新興国は販売しています。二本立てですね。しかし自国通貨建てだと、投資家はその国の通貨で国債を買わなければならないので、自国通貨の価値が上昇するんですよ。これは輸出に依存する新興国にはマイナスです。また、ドル建て国債の金利は米国債の低い金利が基準になりますが、自国通貨建て国債だとドルのような信用度がないので、金利は高くせざるを得なくなるんですよ。すると、新興国の金利負担が増えてしまうんですね。というような理由で、どの新興国もドル建て国債の依存度が高いんですよ。

    西塚 なるほど。僕は経済オンチですけど、中央銀行があれば、中央銀行が買いますよね、国債を。   買い支える。民間銀行が買ってもいいんだけど、それを中央銀行が買うみたいな感じですね。日本の場合、そうじゃないですか。だから、どういうことなのか…やっぱり、信用の問題なのか…

    ヤス こういうことなんです。たとえば、日本ではなく新興国の状態だとしましょう、ブラジルでもどこでもね、政府が国債を発行している。それを中央銀行がだいたい買うと。それで市中に現金をばらまくということはやる。また、中央銀行が買った現金によってですね、政府が財政を何とか切り盛りするという関係にあることは事実なんですね。それは日本のみならず、どの国でもやってることです。

    ただね、日本と大きく違うのは新興国の発行している国債のかなりの部分はドル建てだということなんですよ。これを中央銀行が買い支えるためには中央銀行が十分なドルを保有していなければなりません。自分でドルを刷るわけにはゆきませんからね。ところが、多くの新興国の中央銀行は買い支えるだけの潤沢のドルは持っていないんですよ。

    もちろん新興国は自国通貨建てでも国債を発行していますから、この部分は中央銀行が買い支えることができます。ただ、日本のようにほとんどの国債が日本国内で買われているのとは異なり、新興国の国債は、国際市場で販売されている。おそらく国債の過半数の保有者は、外国人投資家なんです。

    そうするとまず、海外で国債を販売するでしょ、販売したときもし、これからの経済の先行きが不安だとなったときに、国債が売れないわけですね。ドル建て国債は中央銀行が買い支えることはできないので、価格は大きく下がる。すると国債は売れない。売りが売りを呼ぶ。

    また自国通貨建て国債にしたって、海外の投資家が売り浴びせると中央銀行でも十分意対応できなくなる。もちろん、自分の国の通貨があるんだから、自分の国の通貨を発行して払えばいいだろうと。理論的には可能なんですよ。可能なんですが、大変なリスクを負う。もしそれをやった場合、大変なインフレになります。インフレになるし、国債を販売によって払うのではなくて、通貨を印刷機でプリンティングして払ったとなってくると、その通貨に対する信用力がいきなりなくなるわけですね。だから、中央銀行による自国通貨建て国債の買い支えには限界があるんです。やたらめったらに出来るものではない。

    一番健全な方法は、新規に国債を発行して販売し、その代金で過去の国債を償還するという方法なんですが、国債が売れなくなるとそれが出来なくなるのですね。

    西塚 そうですね。

    ヤス こんな状況だと、政府も中央銀行にも資金がなくなってくる。経済がどんどん悪化するのに、それを阻止するだけの政策を実行することができない。すると、通貨がどんどん安くなる。安くなってどうなるかと言うと、国内がすごいインフレになってくるわけですね。このインフレがクセ者で怖い。たとえばインフレ率が利益率を越えると、まあ我々は資本主義経済にいますから、資本主義経済のもっとも重要なものは利益率です。企業の利益率よりも、銀行の利子率のほうが高かったら、誰も投資なんかしないわけですよ。

    もっと言うと、インフレ率が利益率よりも高い状態というのは、物を買い占めてですね、それを3ヶ月間くらい倉庫に寝かして売ったほうが儲かるということになるわけです。そしたら経済全体の循環がストップしちゃうんですよ。すごいインフレになってくるとね。そうするともっと資本が逃避する。もっとインフレになる。資本がどんどん逃避して、もっと通貨価値が下がる。通貨価値が下がると、もっとインフレになると、手がつけられない状態になる。

    西塚 そうなると戦後の日本みたいに、物の価値がものすごく上がって、物々交換、まあ社会不安ですね。内乱までいっちゃう可能性もある。

    ヤス 実はね、これが破綻という状態なんです。このときは政府にもお金がないので財政破綻している。

    西塚 なるほど、そうなる可能性が相当ある。

    ヤス IMFによると、将来的にそういう可能性を見越した上で、現在も専門家会議を開いているということです。

    西塚 そういうことですか。その報道は海外メディアですか?

    ヤス 『ブルームバーグ』とかね、『フィナンシャル・タイムズ』とか、もう平気で出てますけど。日本国内ではほとんど出てないんじゃないですかね(笑)。あともうひとつね、今日のニュースですけど、アメリカ国債が史上最大の売り(笑)。

    西塚 ヤバそうですね。なんでそうなっちゃったんですか? きっかけと言うか。

    ヤス ひとつはですね、米国債の売りを仕掛けたのは中国なんですよ。実は日本国債の売りを仕掛けてるのも中国。

    西塚 仕掛けてる…要するに弱体化させようってことですか?

    ヤス いやいや、そういう政治的な意図じゃなくて、もっと経済的な、合理的な理由から売ってるんです。どういうことかと言うと、中国経済が減速しています。中国経済というのは、2009年にですね、2008年のリーマンショックがあってから、長い間金融危機が続きますね。その金融危機が続いたときに中国が何をやったかと言うと、大経済刺激策をとるんです。50兆円ぐらいですかね、日本円に換算すると、それぐらいの財政出動をして、企業の倒産を防ぐわけです。それでほとんどゼロ金利状態にして、どんな企業でも銀行から自由にお金を借りやすい状態にする。それで企業の倒産を防ぐことによって、失業率を低く抑えたんです。

    西塚 あれはある種成功と言うか、よかったですね。

    ヤス よかった。その結果失業率が低く抑えられて、中国経済は実はスローダウンしながらも、10%近い経済成長率を維持できた。それによって、世界経済が牽引されたという、まあ2008年、2009年、2010年ぐらいの時期ってそうだったんですね。ただ今、その余波に困ってるわけです。本来、それで倒産すべきような企業がほとんど救済されてしまったので、今の中国というのは、そうした企業による過剰生産の状態にあるんです。莫大な商品が市場に溢れている状態。その過剰生産された製品の圧力によって、中国がデフレ下にあるという状態なんです。それがスローダウンのひとつの大きな原因でもあるんですけど。

    いずれにしろ中国は、経済がだんだんスローダウンします。今度は人民元が、普通にほっとくと下がってくるわけですよ、ガーっと。人民元安に一回火がつくと、これは中国経済の先行きがヤバいねとなって、もっと人民元が安くなってくる。人民元というのは、基本的に中国政府がある範囲内に収まるようにレートを管理してる。ドルのレートの変動幅の2%の変動幅に収まるように管理しているわけです。だからそれ以上下がらないんですよ。

    実際は、市場では人民元をどんどん売る。売る圧力が強い。しかし中国政府は、何が何でも2%の範囲内に管理しなくちゃならない。そうすると、ドルを売って元を買うわけですね。ドル売り元買いの操作をするわけです、中国の人民銀行は。そのドルの資金をどこから得るかと言うと、米国債を売ってドルの資金を得て、得た資金で人民元を買う。そうやって人民元を買い支えて、いわゆる人民元を2%の幅のレートの範囲に収めようとしてる。

    西塚 難しい話ですが、僕の理解で言うと、要するに元が下がっていくので、ドルも下げて、人民元も2%幅に抑えていくというようにも聞こえるんですが…

    ヤス ドルを下げると言うか、ドルの価値というのは、国際的な市場、外国為替市場での需要と供給で決まりますでしょ? ドルに対する元の価値というのは、需要と供給がどれくらいあるかで決まってくるんですね。

    西塚 米国債を最大に持ってるのは中国ですね。その中国が売っちゃうと、全体的に下がるじゃないですか、アメリカ国債の国際的な価値が。

    ヤス そうです。

    西塚 そういうことで、ドルも信用をなくしていくのかなと思ったのですが…

    ヤス そこまで直接的ではないですけど、今中国がやってるやり方、すなわち人民元を買い支えるためのドル資金を得るために、米国債を売ってドルを得て、そしてそのドルを売って人民元を買うという操作ですね。この操作はやはり相当続く可能性があるんです。そうするとこれからは、米国債は下げの圧力が加わりますよね。市場の方向としては。どんどん米国債はこれから下がるようなことになって、下げが下げを呼ぶといった循環になってくると。

    西塚 それが、ふたつ目の経済的な懸念材料ですね。

    エリート主義の官僚と土人の日本国民

    ヤス まあ、ほかにもいっぱいありますけどね。アベノミクスに関しては、ストラトフォという、これも僕のメルマガに詳しく書こうと思うんですけど、CIA系のシンクタンクですね。そこはめったに大胆な予測しないんです。非常に控えめな保守的な予測しかしないんですけど、そこがですね、アベノミクスは2017年で終わりだろうという予測をハッキリ出してきた(笑)。アベノミクスに対する評価は、極めて低いですね、海外的に見るとね。

    西塚 僕なんかの素人でも、今回の安保法制が通ったあとに「新3本の矢」と言いましたけども、それでGDP600兆円、3%成長ですか? 何の根拠もないと言うか、何なんだろうなと。もう駄目ですね。

    ヤス 1億総活躍社会(笑)。

    西塚 何を言ってるかよくわからないし、前回の話じゃないですけど、安倍さんがね、よ   くわからないと言うか、ときどきそういう疑問が出てきて、ヤスさんにもお聞きするんですが、官僚の描いた絵なのか、本人の思ってることなのかが、よくわからないんですね。安倍さんがよくわからない。幼児性とかナルシズムとか、違う側面の話はこの間もしましたけ、何を考えているのかが、よくわからないんです。美しい日本はわかりますけども、天皇を上においた、要するに立憲君主制の国をちゃんと作りたいのか、何なのか。

    ヤスさんもずいぶん前に簡単におっしゃってましたが、戦前の日本に持っていきたいんだというな話ですよね。それもちょっと、緻密じゃないというか、漠然としてるじゃないですか、安倍さんの頭の中がおそらく。だから、何をしたいのかよくわからないんです、正直ね。

    ヤス 何をしたいか、端的に言うとね、自分たちの支配層の既得権益の維持ですよ。

    西塚 それだけですか? 

    ヤス うん。

    西塚 それだけなんですか…

    ヤス ただ、その既得権益の維持ということの中身は、現代の支配層が日本国民を統治する、統治機構そのものを維持するってことですよ。

    西塚 じゃあ前回みたいに、田吾作とか土人とかの話につながってくる話しですか?

    ヤス そうです。田吾作と土人ですよ。

    西塚 …にしておきたいという。

    ヤス しておきたいし、彼らの目線って、やっぱり日本のエリート主義者の目線とだいたい同じだと思うんです。たとえば東大法学部とか出ますでしょ。東大の法学部を出た人たちが、それこそ左系のリベラルにいこうが、官僚になって、どちらかと言うと右寄りの思想的な傾向にいこうが、または政治家になってね、たとえば安倍さん的な感じのイデオロギーの志向へいこうが、基本的には共有している前提の認識があるってことです。それは、国民は土人であり、田吾作であるという認識です。そのようなバカな国民を管理するためには、やはりそれなりの統治機構を上から押し付けねばならないと。そのような統治機構によって日本国が統治されない限り、この国家は存亡の危機に陥るのだ、という認識ですね。

    主権在民というのは、国民にすべての決定権を預けるということですね。あらゆる権力の上に国民をおくという。これはとんでもないアイデアなんだと。これは、西洋民主主義という特殊な条件下で可能になる。しかし、欧米人のようにね、成熟した精神構造ではないんだと、日本国民というのは。もともと田吾作なんだと。土人なんだと。感情のおもむくまま、感情が露出した思考力のない国民なんだと。この国民に、ある程度幸福感を享受させて、それで矛盾なく国を統治していくためにはね、やはり我々が絶対的な統治の権限を担わなくちゃいけない、という認識ですよ。

    西塚 なるほど。わかりました。今のお話でいくと、自分たちは絶対正しいだろうし、バカな国民なので、それを導くためには優秀な我々がちゃんとしなきゃ駄目だと。そういうふうに安倍さんは思ってるんですね。

    ヤス 安倍さんは思ってると思いますよ。

    西塚 官僚ではなく。

    ヤス 官僚とやっぱり同じような意識だと思いますね。要するに今までは、天皇制国家であるとか、そういうイデオロギー的なことを出さなくても、それは可能だったんです。いわゆる戦後の民主主義として与えられた体制を、うまい具合に骨抜きにしながらね、最終的には官僚層と自民党を中心とした支配権力が、上からの統治を行なうことができた。それで問題なかった。

    ある程度の経済成長が十分達成できて、多くの国民が未来にね、より高い自分の生活水準を享受できるという確信、またそのような現実がちゃんと見えてるときというのは、国民は誰も文句を言わない。したがって、民主主義という体裁を守りながら、基本的には全部骨抜きにして、上からの統治権力を維持することができたという状況だったんです。

    西塚 今回のあの、ヒゲの隊長とあかりちゃんじゃないですけど、安保法制に対してみんな声を上げたことは、ある種想定外だったんでしょうが、でもなおかつ、やっぱりあいつらはバカなんだ、わかってないんだ、と思ってるわけですね。

    ヤス そうです。中には物知りな国民がいて、彼らの先導によってね、バカな国民が実は操られることがあると。それでとんでもない方向にいくと。

    西塚 という認識ということですか。自分たちの政策なり何なり、それが間違っているという方向には頭がいかないんですかね。

    ヤス 我々は当然、統治権力者として間違うことがある。間違った方向に国民を導くこともあるかもしれない。しかしながら、バカな国民に対しては、優越した統治権力が必要なのだと。我々が統治するという、この体制そのものが間違ってるはずがないんだと。

    西塚 システムとしてそうだと。あくまでもエスタブリッシュメントとバカな国民、というその構造は変わらないということですか。

    ヤス そうです。日本の場合、すごく怖いのは、最近だいぶ変わってきたと思いますが、そうした政府に対するリベラルな側も、同じ考え方のエリートに率いられてきたということです。我々が啓蒙してやるんだと。我々がこの国民を教育してやるということですよ。

    西塚 朝日新聞みたいなものですね。

    ヤス だから、結果的にいくとこ同じだったということなんですよ。左右のエリートは、相互に互換性があったということですね。

    西塚 本当ですね。今思いましたけど、そうすると一見対立しているような右と左のエリートたちは、目線が同じなので、バカな大衆バカな国民という目線だから、簡単に結託しますよね。

    ヤス そうです。簡単に結託するし、今まで右だったヤツが左にもいくわ、左のヤツが右になり得る。

    西塚 それはもう最悪の構図ですね。大衆がたまったもんじゃないという意味でも最悪なんですが、その誤謬性というんですか、上の人たちは、自分個人は間違うかもしれないけれども、このシステムは完全なんだという。これはどう解釈したらいいのか。自分は駄目だけども、宗教で言えば、この何とか教は偉大なんだという、そういう話しかもしれない。

    ヤス ある意味で、日本というものに対する非常にクールな見方が、僕は全体にあるんじゃないかと思いますね。じゃあ国民で何かできたのかと、今まで。大きな国民運動が下からせり上がってね、それで何か実現ができたということが、この国の歴史としてあったのかということですね。

    西塚 中沢新一さんなんかに言わせると、一向一揆くらいだという話がありますね。一向一揆の蜂起は革命的なものだったかもしれませんが、ほかはないでしょう。明治維新という話もあるけど、あれはちょっと違いますからね。

    ヤス 細かく見るとけっこうあってね、自由民権運動なんかもそうですよ。下から上がってくる革命の契機は、たくさんあるんですね。ただポイントは、そのような革命とか大きな運動が下から上がってくる契機はたくさんあったんだけれども、それがいったんですね、エリート的な思想の主導者に率いられると、本来の改革の力というのがだいぶ薄まってしまう、ということなのではないかと思いますね。

    だから今まで、日本の市民運動と言われているもの、いろんな運動があって、僕は評価すべきものがたくさんあると思うんですけど、ただそういう市民運動の中にも一部ね、やっぱりエリート主義的な運動が必ずあるし、そのエリート主義的な運動は、まず成功しないのではないかと思いますね。

    西塚 僕は、このヤスさんとのミーティングの中でもけっこう言ってたと思いますが、どうも感情的なところに目がいって、エリート主義でも、仲間になったときに排外的になったり、排除するわけですよ。そういう精神的な、構造までいかないかもしれませんが、感情的な流れがどうしてもあるというふうに思うわけです。たとえば連合赤軍のリンチとかですね、あれは見てると、別にエリートがゆえのどうのこうのではなくて、感情じゃないですか、嫉妬とか。それは何か規律があるんでしょう、その組織内では。でも、それを持ってきて気に入らないヤツを処分するに近いですよね。

    そういうものは、原理原則ではなく、ひょっとしたらイスラムのですね、ジハディストたちが持ってるものよりも、もっと幼稚で、イジメにつながるような、下らない感情だと思うんですね。それは、国家の体制に対抗しようとしているような組織でも、そういった幼稚な精神構造に支配されてて、殺人まで犯してしまう。本末転倒と言うか、それは自滅していく。その根本には、幼稚性、個が確立してもないし、お互いに共依存にある関係、おそらく精神医学上の病理的なものに近いような構造があるのではないかと、ちょっと思っちゃうわけです。そっちのほうに興味があるんですね。

    要するに、ヤスさんが言ったような、そんな立派なものじゃないという感じなんです(笑)。エリーティズムというよりは、感情的な幼さなのかなと。僕は、自分のことと照らし合わせても、そう思います。そこが問題なような気がする。スピリチュアリズムまでいかないにしても、そこに関係してると思うんです。また散漫になりましたけど。

    ヤス おそらく、その感情の問題というのは誰にでもあると思うし、特に日本の中で、感情が露出した人ってすごく多いと思うんですね。

    西塚 いわゆる感情的な人ってことですか?

    ヤス 感情的な人。喜怒哀楽が露出するという。その自分の喜怒哀楽と言うかね、自分の感情ですべてのものを決定するというタイプって、すごく多いと思うんです。論理的な思考であるとか、論理的な判断というのが、なかなか成立しにくいタイプの人たち。情に流されやすい、情で判断するというような、まあ日本人の一般的な気質の一部なのかもしれないという感じはします。それはある意味で、官僚層にとっても同じなのかもしれない。官僚でも政治家でも、日本人であればどの水準の、どの社会システムの中のどのレベルの日本人とっても、みんな同じような特質を示すんじゃないかと思うんですよ。

    西塚 そうか。前の福田(康夫)総理にしてもですね、新聞記者でしたっけ? 突っ込まれて、私はあなたとは違うんです!という発言がありましたね。あれも子どもっぽいですし。

    ヤス だから、それは日本人であればみんな同じく持っているような幼稚性で、それがひ   とりひとりがおかれた様々な社会的な文脈で発揮されると思うんです。ただ問題は、それとね、それが発揮される社会的な文脈というものは、やっぱりちょっと違ってると思います。社会的文脈というのはシステムです。

    たとえば、あるエリート主義の世界観を共有してる日本の支配層がいて、日本人というのは田吾作だからね、上から自分たちこそが日本人を統治すべきなんだと作り上げた統治権力の構造がありますでしょ。民主的じゃない統治権力の構造がある。そのような統治権力の構造の中で、細かく個人の単位で見たときにね、お互いに感情の諍いとか、たくさんあると思うんですよ。ただ、そのシステム自体は、感情的なものが作り上げたものとはちょっと違うということなんです。

    西塚 なるほど、見えてきました。前回、安保法制を絡めたお話がありました。僕はどうしても感情的で、それこそ僕が幼いのかもしれないですけど、ヤスさんが強調したのは、日本の戦後70年間において、西洋的な自我があったかと言えばそれはないだろうと。でもそういうことではない。

    今おっしゃったような、システム自体の問題ですね。まずは、守られていたんだと。今回の安保法制に反対することにしてもですよ、天安門みたいにいきなり戦車がきて、みんなを潰したりはしないわけですね。それは憲法で保障されているからで、要するにできないことになっている。まず、そうした憲法が一応あるという。今、踏み躙られようとしてるかもしれないけど、とにかくあると。それによって実は支えられてきていて、アメリカの庇護だろうが何だろうが、そういうことではなく、基本的なシステム、大前提として、社会的に個人が尊重されてきただろうと。その前提で享受してきた平和があった。

    今回のアンチのアクションは、単純に戦争反対とかですね、我々が戦争に狩り立てられるというようなことではなくて、今までたしかに安穏と生きてきたかもしれない国民たちが、どうしてそれができてきたのかということを考え始めたということ。頭パッパラパーでも、とにかく安全で何とか食えて、くだらないことを言って過ごしてこれたじゃん、その大もとは何だったのか、ということですね。

    実は憲法だったんじゃないか。だとすればそれを守って、自分たちでこの楽さ、ユルさを続けていきたいなら、どうしたらいいのか、今回ヤバいかもしれないと言っても、それを考える好機にはなった、それもかなりでっかい好機だということを、ヤスさんおっしゃりたかったのかなと。今さらのようにそがわかってきて、なるほどなと思いました。今のお話でも、そのエリート主義、まあエリートたちの間にもいろいろあるかもしれないけれども、システムの問題だという、そういうお話なんですね。

    ヤス そうです。要するにね、日本のエリートたちというのは、今の我々のユルい国民の生活を守ることができた。その前提にあるのは憲法であることは間違いないんですが、そのエリートたちのひとつの視点から見たときにはね、そうした憲法の大枠を守りながらも、国民の主権在民を徹底的に骨抜きにすることよって、上からの統治権力を現行の憲法の範囲内で推し進めようとしてきた人たちではあると思うんですね。

    問題はですね、どうも経済成長もだんだんかつてのようにはいかなくなってきたし、我々国民もですね、将来に明るい生活が待ってるというふうには思えなくなってきた。そうすると、だんだん文句を言い始めるわけですよ、多くの人たちがね。それからシステムそのものが何でこんなにうまくいってないのかと、システムの根拠を問い始めるわけです。

    今までの憲法の枠組みを守って、それで高い経済成長の保障を探りながらね、なおかつ上からの統治権力をずっと維持していくという、これまでの統治権力構造を維持できなくなってきたときにですね、彼らの上からの統治権力を維持するために、別の憲法の枠組みが必要になってきたということなんですよ。

    西塚 今回、その憲法自体も解釈改憲みたいなことができちゃうという危険性も出てきて、憲法自体も意味がなくなってきだして、どこそこの昔の第三国みたいな独裁政治になってしまうんじゃないかという不安もありますけどもね。だから、システムを変えれば、全部変わっちゃうということに気がついてきた。じゃあ、我々がユルいまんまいけるような、確固としたシステムを作っていく、どこに穴があるかも含めて、考えていこうということですね。

    ヤス だと思うんですよ。基本的にはやっぱりそういう流れだと思います。今、西塚さんがおっしゃったように、前回喋ったことの続きですけど、いわゆる戦争を起こさせないようにということもひとつありますけれども、戦争法案だってこともひとつありますけども、それ以上にですね、我々のこのユルい、大好きな日本ですよ(笑)、このユルさがいいんですよね、競争もあんまりしなくてもいいしね、このユルくて何となくボーッと生きられた日本の前提とは何だったのかと。前提ってよくよく見てみると、実は憲法の存在だったということだと思います。

    システム温存のために何でも利用する官僚たち

    西塚 僕もウカツと言うか、浅はかだったなと思いますね。空気と同じようなもので、普段享受してるとわからないんですね、存在がね。脅かされたときに初めてわかる。たとえば空気がなくなると言われたら、みんなアワ食うわけで。ちょっと大げさな例えですけど、憲法がおかしくなるよってときに、みんな皮膚感覚で、今言ったように空気がなくなるに近いような感覚で、何かヤバいぞ感じた。あらためてそう思いましたね。

    そこで強引に結びつけるわけじゃないんですが、いわゆるスピリチュアル文化が片やありますね。別に今に始まったことじゃなくて、ずっとあった。70年代のユリ・ゲラーのときもあったけど、ときどきブームになって、本が売れたりするということが今までもあったけれども、僕は今回はどうもそうじゃないのではないかと思います。いわゆる3.11の震災、2011年あたりからその流れが強まってきて、ある種の傾向とか、いくつかの流れ、日本大好きだとか、あるいは自己改造型とかですね、僕に言わせればいくつかあるのですが、わりと太い感じの流れになってきてて、ここにきて商売とかビジネスにも絡んでくると思うんですね。

    そこで僕は、何かわけわかんないことにならなければいいなと、浅知恵で考えてはいたんですけど。今のお話、憲法がおかしくなるかもしれないという安保法制の問題とも絡んで、スピリチュアリズムが絡んでくる可能性とか、危険性って何かありますか?

    ヤス 危険性はあると思います。僕は可能性も危険性も両方あると思いますね。ひとつの危険性は何かと言うと、スピリチュアル系の流れとしてね、日本という国家を神聖視するというひとつの流れがあるわけです。それは日本にもともとある、たとえば日月神示であるとか、伝統的とまでは言わないけれども、日本にずっと存在するような、神国日本を讃えるような日本独特のスピリチュアリズムがあるわけですね。それがだんだん強くなってきたような気がしますね。そのような日本独特のスピリチュアリズムに関わっいくと、まさに日本こそがね、世界を救う使命を担った特殊な国であるといった、そのような事実に対して覚醒することこそが、まさにスピリチュアリズムの眼目であるというようなことを喧伝する流れがひとつあると。そういうことがどんどん強くなってくると思います。

    西塚 先ほどのエリート主義の、国家版みたいなものですよね。危ないですね。

    ヤス 基本的に同じです。ただ、おそらくですね、安倍の背後にいる官僚たちのエリート主義というのは、日本を特殊だとは思っていない。あまりにも日本人は田吾作である、アホなんだと、日本の特殊性をそこに見出していると思う。だからと言って、じゃあ日本がすばらしい国かと言うと、そういうわけではない。

    西塚 ああ、そこは決定的で、僕はそこをちょっと確認したいんですけども、ということは僕の理解で言うと、エリート主義の人たちは、自分が優秀だと思っている。だからみんな大衆はバカだと。自分が優秀、あるいは我々、たとえば東大法学部を出た我々が優秀なんであって、あとはバカなんだ。だから我々に任せておけと。自分は間違うかもしれないけど、ほかの同僚は大丈夫だと。このシステムは間違いないと言ったとすればですよ、そうやって敷衍させていくと、日本は大丈夫だ、ほかの国はバカだということにつながりませんか? そういう意味では、僕はすごく似てると思うんですよね。

    ヤス ほかの国はバカだ、日本は偉大だというのは、それはナショナリズムですね。それは、ちょっとうまく言えませんけどね、エリート主義の場合どこに向けられるかというと、それは日本国民に向けられるわけですよ。日本国民に対して我々は極めて優秀なんだと。そしてバカな国民がいるがゆえにね、彼らを率いてね、豊かにさせて、幸福な生活を享受できるようにするのは、我々なんだと。だから我々にすべて任せて、我々こそにすべての統治権力を集中させるきなんだと。それと、日本そのものがすばらしい国であるということは、ある意味で対立した考え方なんですね。彼らのエリート主義の中から見ると、日本そのものが偉大な国で、神の国かというと、彼らはそう思っていない。

    西塚 あ、そのエリートからは出てこないんですか、その発想は。

    ヤス 出てこない。

    西塚 そこ、面白いなあ。

    ヤス 戦前がそうだったんです。日本の戦前の憲法からいくとね、国家神道は宗教ではないとされてたわけですよ。宗教ではないので、国家神道、いわゆる天照大神を祀るであるとか、伊勢神宮にお参りにいくであるとか、あれは宗教行為ではないと。宗教行為ではないがゆえに全国民が強制されたわけですね。

    西塚 なるほど。

    ヤス ここがポイントだよね。宗教行為でないがゆえに全国民が強制されると。それで一応、建前として信教の自由を保つ。いわゆる国家神道に対して礼拝をする。国家神道を敬っていればね、個人個人がほかにどんな宗教をやってても自由だという建前の明治憲法だったんですね。

    西塚 明治憲法は信教の自由は謳ってましたか?

    ヤス 謳ってます。当時、明治憲法がかなり意識したのはヨーロッパの憲法なんですよ。ヨーロッパの憲法の中で、まあヨーロッパおよびアメリカの憲法ですね、そこで言論の自由、信教の自由というのはひとつの骨子になってますから。その中である程度許された。ある程度とは何かと言うと、国家神道をまず敬ったという前提のもとで、個人個人はどんな宗教に入っても自由ですよってことなんです。

    国家神道は宗教ではないということなんです。じゃあ、国家神道そのものは、内容はどんなもんだったかというと、それこそ天孫降臨の神話ですよ。いわゆる神武天皇からの万世一系のね、天皇によって創られた神聖国家であるということです。どこまでいっても日本は神によって創られた神聖国家であるというところが、国家神道の中心に据えられている中身ですね。

    じゃあ、当時の国家エリートがそれを信じていたのかなんですよ。たとえば一等兵、二等兵だとか、戦場の現場にいってるような将兵は、それを信じていたのかもしれない。神の国であると。天皇がまさに神の子であると信じていたのかもしれないし、それは国民の多くが強制された信仰だったかもしれない。じゃあ、たとえば海軍大学とか陸軍大学とか、それから東大の法学部であるとか、その官僚たちがそれを信じていたのかですよ。これっぽっちも信じていない。彼らの理解の中では、国家神道というのは、国家を統治して経営するための、実は都合のいいイデオロギーにしかすぎない。ツールなんだと思ってるわけです。天皇自身がひとつのツールなんだと思ってるわけです。

    ツールと思っているがゆえに、当時の美濃部達吉の「天皇機関説」というのがあるんですが、いわゆる天皇は機関であるという、それに対して、特に軍部の非常に大きな反発もありましたけど、天皇機関説がエリートたちにすんなり受け入れらていくというのは、そういう背景があったからだと思います。だからエリートたちが日本を神の国だと信じているかと言えば、まったく信じていない。偉大な国とかではない。それは国を統治して、富国強兵でね、将来欧米と列すべき強国になっていくために、この国の持っている国民のリソースをすべて出して、そしてなおかつ国を統治していくための、これはイデオロギーなのだ、というような見方だと思います。

    西塚 あくまで、いい言い方というかですね、彼らに対してよく判断すれば、頭がいいがゆえにですね、その宗教とか、わけのわからないオカルトチックなものには引きずられないで、すごく冷徹な、冷静な判断をした結果、我々がこの愚かな国民を導いていくしかないし、戦後のシステムは我々が構築していくべきだというようなことを、本当に信じ込んでいる、しかもそれが日本のためになると、本気で思っているということですね。

    ヤス そうですね。そうするとね、彼らから見て、日本国といったものをうまく統治するために、ナショナリズムが必要であれば、ナショナリズムをとことん利用したい。

    西塚 そこには、この国が好きだからというのはないんですか? それとも自分の既得権益のためだけなんですかね。

    ヤス この国が好きかどうかはよくわからないですね。おそらくね、そういう感情では動いていないと思う。

    西塚 もちろん、家族がいたりもするでしょうから、少なくとも安寧で、安全で、平和的に過ごすためには、我々が必要だし、知恵と力が必要なんだと。家族もそれで、ずっと安泰なのだ、そのために我々官僚がちゃんとして…ということですかね。

    ヤス 我々がやはり官僚としてこの国を率いて、田吾作をね、バカな国民を導いて、どんなバカな国民であっても、それなりに幸福な生活を送れるように、我々がそのシステムチェックをきちんとやって、この国を導いていくと。

    西塚 こんな話も聞きました。かつてはですね、官僚の既得権益を守るために、官僚が描いた絵があるわけですね、それに逆らう総理大臣もいるわけですが、それはアメリカなんかと結託して、その総理大臣を追い出すとか、失脚させるなんてこともあったぐらいだけど、今はかなり密接に安倍さんとやっている。それはなぜかと言うと、人事権を握ったからだと言うんです。内閣人事局ができたからだと。

    要するに官僚自体もですね、派閥とかあって、目指すは事務次官ですよね、基本的に事務次官なんだけども、もう自分は無理だと、そのラインはないと。外務省なら外務省で、あのグループでこの人が次の事務次官で、次はこの人この人というふうにある程度わかっている。でも今はそうではなくて、安倍さん自体が人事権を強い形で持ってるので、自分が安倍さんに取り入ったら、いきなりポッと一本釣りで事務次官なっちゃうかもしれないという可能性が出てきたらしい。そういう期待が官僚たちの間で蔓延し始めた。そうすると、安倍さんを支えようとするわけですね。

    どうしても人間の性として、安倍さんがやりたいようなことを最初に感知して、それを差し出していくということになる。こんなものあります、あんなものありますと。その結果として、安保法制もできあがったという話も一部あるくらいですが、となると、僕に言わせれば、それってただの出世主義じゃんとなるわけですよ。日本のためでも何でもなく、エリートの我々が優秀だからというものでもなく、単純に出世したいがために、政府に擦り寄っていく。だとすれば、今の官僚自体も劣化したのかなということです。

    ヤス ああ、なるほどね、たしかにね。ただ、そのエリート主義とは何かと言うと、安倍さんも含め、現在の自民党の政治家もそうだし、名だたる官僚、主たる官僚もそうだし、官僚システムそのものにね、内在化された制度の意識だと思いますよ。そのような意識の持ち主じゃないと、官僚にもともとならないということだと思います。

    西塚 なるほど、そういう話ですか(笑)。

    ヤス そうそう。そこの、同じ意識を持ってる連中の間の競争なわけです。だから、官僚が出世競争をやるにしろやらないにしろ、官僚の眼差しと安倍さん眼差しは、そのエリート主義という前提ではね、ほとんど違いがないんだろうなと思いますね。

    土人たちの戦略的な迎合主義

    西塚 前回、土人の話がありましたね。浅田彰が最初に言ったそうです。昭和昭和天皇が崩御したときに、みんな皇居前にいって頭を垂れる。それを見て浅田彰が評した表現だそうです。日本人は土人だと。酋長が死んで、あるいは王様が死んで、そこにいって頭を垂れる、これは土人の国だと。それで大塚英志はさすがに土人はないだろう、これはひどいな、それは言いすぎだよ浅田さんと思ったんだけど、ここにきて、ああやっぱり日本人は土人だって言い方をしたのが、宮台真司との対談のこの間の話なんです。

    先日、身近なところで、カミさんは違うわよと言うんですが、洪水がありましたでしょ、ものすごい洪水。あのときに、僕は東京新聞をとってるんですが、最終面に「東京どんぶらこ」という特集があるんですね、これは面白いんです。東京のあちこちのいろんなテーマを取り上げる。僕は東京新聞は好きなので、とってるんですけどね。その「東京どんぶらこ」が一時休載したんです。それは、何かの都合か、緊急ニュースが入ったからかもしれませんが、僕の感覚だとおそらく自主規制、自粛だろうと。東京どんぶらこ…たしかにまあ、わかりますよね。

    昭和天皇のとき、下血が報道されてマスコミも自粛ムードになった。有名な話で、トヨタ・セフィーロのCMに井上陽水が出ていて、「お元気ですか?」というフレーズが口パクになってしまうという。そういう自主規制、自粛をわりと日本中で共有してましたね。華美なことは慎もうとか。僕はそういうことは、今はあまりなくなってきたんだろうなと思ってましたが、「東京どんぶらこ」の休載告知を見た瞬間に、それを思い出したんです。

    その心の性はどういうものなのか。それは、奥ゆかしい日本人の気の遣い方だという言い方もできます。あまりことを荒立てなかったり、ちょっと控えましょうっていう、いい美意識の表れなのか、あるいは過剰なのかというのは、難しいじゃないですか。僕は基本的に過剰だと思ってるわけです。ヤスさんは個人的なご感想として、どう思われますか?

    ヤス 今のは、浅田さん、宮台さんの例ですね、昭和天皇崩御のときの。またもうひとつ、その土人の例としてよく使われるのは、マッカーサーに対する例があるんですよ。たしかね、約50万通の手紙がマッカーサーに送られた。『拝啓マッカーサー元帥様』という本が出てますけど、それからジョン・ダワーというアメリカの有名な歴史学者が書いた『敗北を抱きしめて』という本の中にもですね、44万5千通ぐらいのマッカーサーに対する賛美のレターばかりが送られたと書いてある。その内容を紹介してるんですが、マッカーサーのことを曼荼羅に描いて、毎日拝んでますというの
    があるんですね(笑)。

    西塚 要するに、日本を救ってくれた人みたいな感じですか? ありがとう、感謝という。

    ヤス 感謝して、拝むわけですよ。今までね、日本に原爆を落として、東京大空襲で首都を全部焼いて、日本の都市という都市のほとんどが空爆されてね、そこまでされた相手に対して拝むというのは、これは土人だろうという(笑)。

    西塚 僕は個人的にはそう思いますね。ヤスさんはどんなふうに思われますか?

    ヤス 僕はちょっと違った見方をしています。たとえばアメリカでね、9.11になったときに、アメリカ人は頭がおかしくなるわけですよ。みんな国家の一部になってしまって、どこにいっても、「USA! USA! USA!」と怒鳴りまくるわけですね。

    西塚 メディアも先導する。

    ヤス メディアも先導する。『ニューヨーク・タイムズ』みたいな知的なメディアも一面全部、星条旗ばっかりになるわけですね。もう一日でそういうふうになるわけですよ。それが土人じゃないのかということです。

    西塚 ああ、なるほど。9.11のときに、どこだったかなあ、いいかげんなことは言えないけど、3大ネットワークがありますよね、『ABC』だったかな? 意外と追随はしないで、大量破壊兵器があるかどうかも含めて、検証したほうがいい的な…

    ヤス そうそう。ABCですね。

    西塚 要するに、中立的な意見をちょっと言っただけなんだけども、ものすごく叩かれて。しかも親会社のディズニーかなんかまでいっちゃって、ディズニーのボイコットまでいくんで、これはもう無視できないということで、追随したという話を聞いたことあります。

    ヤス そうそう。そうです。

    西塚 と言うことは、それだけの圧力があって、そうなっちゃうわけじゃないですか。これはちょっと別のテーマで、今日はやりませんけども、ヤスさんの言うところの、そうなるともう止まらない、渦でもいいんですけども…

    ヤス そう、止まらない。

    西塚 津波でもいいんですが、それでいっちゃったという、9.11は。だから、そこの話なのかな。

    ヤス まさにそうです。アメリカなんて言っても、9.11なんてその典型的な例で、まあ、ああやって一気にスイッチが入ると、集合無意識の津波と化してしまうわけですよ。

    西塚 日本人に限らないわけですね。

    ヤス 限らない。だから、それは土人じゃないのか、ということなんですよ。

    西塚 そうか。じゃあ、今は違うかもしれませんけど、宮台さんとか大塚英志とか浅田彰の当時の見方というのは、やっぱりどちらかと言うと自虐史観に近くて、日本人に対して、世界に対する逆コンプレックスみたいなものがあって、だからむしろそれを証明している、つまり西洋を崇めてたんでしょうね、彼らはおそらく。

    ヤス そうね。だから言ってみれば、西洋がね、自我が自立した個人によってでき上がってるとか、理性によって管理されてる民主主義なんてやってんのか、なんですよね。じゃあ中身見てみろと、アメリカで何が起こってるのか(笑)。

    西塚 9.11のときでもう、それは語るに落ちましたね。そのとおりですね。みんな右へならえだったわけだから。同じですね、日本とね。

    ヤス 職場でね、僕の友だちが何人かいましたけど、当時ブッシュ大統領のことをちょっと批判したら、いや批判でもない、私は民主党支持だからと、それでクビですよ。

    西塚 本当ですか? 解雇ですか?

    ヤス うん、クビです。自分の上司がそれを聞いててね、もう君はこの国の国民としてふさわくないって言ってクビですよ。

    西塚 要するに、非国民ってことですよね。

    ヤス 非国民ですよ。そんな雰囲気ですね。

    西塚 そうか。アメリカでもそうなるのか。

    ヤス そうですよ。日本のほうが、むしろ過激じゃなかったということだと思いますよ。だからね、日本人のやり方ってこうなんですね。たとえば、その天皇陛下の崩御のときにね、土人に見えたかもしれないけれども、まあこのぐらいやっておけばみんなから責められないから、このぐらいやっておこうかって程度のものなんですよ。たとえばね、金正日が死んだときに、ウワーッて泣くでしょあれ(笑)。演技かなんか知らないけどね。ああいうことを日本人がやったかと言うと、やってないわけです。じゃあ、天皇陛下が崩御したから悲しいと言いますが、あんまり悲しいとみんな思ってないわけですよ。ただ一応、このぐらいやっておいても、まあ世間的に失礼とも見なされないからいいだろう、という程度なんですね。

    西塚 当時、『朝まで生テレビ』があって、テレビが叩かれて、西部(邁)あたりが、みんなもう金太郎アメみたいに取ってつけたような、お葬式みたいな番組ばかりやりやがってと言って、テレビが叩かれたんですよ。そこに出てきたTBSとか各局の代表的なキャスターたちは、やっぱりそれはほかの局を見てね、自主規制をすると。それはどういう意味かと言うと、お葬式にいってみんな黒いネクタイをしてるのに、自分だけ赤いネクタイはできないだろうと、そのぐらいのもんだというようなことを言ったんですね。だから、それはある種当たってたのかもしれない。

    ヤス だと思う。だからね、そのぐらいに抑えてるってことが、僕はそれこそ健康だと思いますよ。はるかに健康だと思う。

    西塚 なるほど。それはちょっと恐れ入りました。僕もちょっとまだ過激と言うか、偏向がありましたね。

    ヤス だからね、今回「東京どんぶらこ」でもそうだと思うんですね。このぐらいに抑えておくと非難を受けないだろうなっていう、やっぱり日本人特有の感情に対する適応力の豊かさだと思うんですね。

    西塚 むしろ冷静な判断とも言えるという。

    ヤス 冷静な判断です。

    西塚 なるほど、すみませんでした、それは僕はやられたなあ(笑)。僕はちょっとカーッときて、何なんだよ、東京新聞まで自主規制しやがって、と思うこれがヤバいですね(笑)。

    ヤス いや、そんなことない(笑)。たとえば、マッカーサーの手紙に関しても、僕は同じような感じなんですよ。マッカーサーに手紙を出してね、曼荼羅に描いてね(笑)、それを拝むっていうのは極端なんだけど、マッカーサーに対してたくさん感謝の手紙を出すと。それね、自分の心からの感謝であるかどうかってわかりませんよ。このぐらいのことを日本国民としてやっといたら、まあ悪いことはねえだろうなっていう程度。占領軍って何者かわかからないわけですから。占領軍という恐ろしいものに関してね、自分たちが極めてマイナスを被るというリスク、弾圧されるかもしれない、そのようなリスクをできるだけ緩和するための、事前の措置としてやってるということだと思いますよ。

    西塚 可能性はあるかもしれないですね。まあ一部には、熱狂的に頭がパッパラパーになっちゃって、ありがとうになったかも知れないけど、一応そうやって様子を見るって言ったら何ですけど、とりあえずは戦略的な迎合、おもねり、いざとなったら本当に竹ヤリを持っていくかもしれないですしね。

    ヤス そうです。だから、戦略的な迎合ですよね。そこに、何かのプリンシプルと言うか、原理性がないと言ったって、原理そのものを見出すこと自体が間違ってますよ。なぜかと言うと、だって(笑)、ひとつの感情に対する適応、必死の適応のやりかたなんだから。

    西塚 ある種のフレキシビリティも言えるわけですね。

    ヤス フレキシビリティですよ、それ。

    西塚 わりとあの、ヤスさんの、ときどきですけど、日本人として、大衆というふうにくくっちゃうと、わりとこう非難と言うか、批判という側面が強いのかなと僕は勝手に思ってたんですけど、両方見てらっしゃるというのがわかりました。

    ヤス いや、そうなんです。

    西塚 僕のほうが、ネトウヨっぽいなあ(笑)。

    フレキシビリティをなくした現代日本

    ヤス いや、そんなことない、そんなことない(笑)。だから、僕は一番注意しなくちゃならないのは、エリート主義だと思うんですね。それは、左右、リベラル、どこにしろそのエリート主義がはびこってますので。エリート主義にもっていくと、何か本質を見誤るわけですね。だから日本人というのはね、いい意味でも悪い意味でも、極めて冷静な判断のもとで行動していくという側面があるんですね。それは、有利か不利かですよ、基本的には。

    西塚 それは、損か得かとは違うんですか。

    ヤス 同じですね。損か得か、有利が不利かで判断するわけです。このように自分たちが行動してくと一番得である、有利であると。一番有利な合理性のもとにスッと動くわけです。

    西塚 それ自体は、善悪を言ってもしょうがないけども、ヤスさんどう思われますか?

    ヤス たとえばね、何かの強烈なプリンシプルがある場合、ひとつの原理性があって、その原理性のもとにね、反抗したり、迎合したりという、批判的な精神のもとに批判しようとする場合は、一応カッコよく見えるんですけど、場合によってはものすごいリスクを負うわけですよ。

    今、我々は、原理で闘ってるような人たち、フランスの労働者であるとか、フランスの人権活動家であるとか、メルケル政権にね、国是となってる原発政策を転換させて、反原発に歩み出させたいわゆるドイツの国内の反原発運動であるとかね、ヨーロッパ、またはアメリカの人権闘争であるとか、そういったものをたくさん見てるわけです。その原理による闘争っていうものを。間違ってるものは間違ってると。我々の原理からしてみれば、必ずそれは是正せねばならないと闘うわけです。しかしながら、同じ原理に基づく闘争というのは、いろんなところにあるわけですよ。イスラム原理主義だってそうです。まさに原理に基づく闘争じゃないですか。北朝鮮は一番原理主義的な国家ですよ(笑)。原理で物事を判断する人たちが多いわけですよね。

    原理で物事を闘うことは、まさに原理に合わないものを是正してく上で、大変な闘いとリスクを強いられるわけです。命がけの闘いになるかもしれない。それはすごく大事なんです、局面としてはね。しかしながら、その原理性の根底が、たとえば宗教的な原理性である場合は、泥沼の闘いの中にに入っていくことになる。キリスト教だってそうだしね、イスラム教のイスラム原理主義だってそうだし、宗教的な原理性というのは、大変な闘いになっていく。言ってみれば、原理で闘うということ、その根本の原理が何なのかということ。それをよく見ないと、原理で闘うことすべてがいいかというと、そういうわけではないということですね。

    西塚 よくオポチュニスト、機会主義者というのは、わりと揶揄される対象だったじゃないですか、ずっと。何だ、それってただの機会主義じゃないか、とかですね、わりと揶揄されるような言葉、ネガティブな言葉だったと思うんです。要するに、ご都合主義ですよね。ということが、あたかも悪いかのように言われたけども、ある面、原理主義、何かこう筋が通ったことを通すということは、いいときもあるけど、もちろん危険性もある。ご都合主義とか機会主義でも、いい加減でその場逃れのこともあるけども、場合によってはものすごくフレキシビリティを発揮した、すごく実用的な、実践的な、効率のいい、有効的な手段とも言えるってことですね。

    ヤス そうです。だから我々、日本人の一般的な特性として、そのフレキシビリティですね。そのフレキシビリティを日本人が発揮してるときって、国が一番発展してきてるんではないかなと思います。

    西塚 なるほど。それは何でもモノマネしちゃうとか、何かやられちゃっても忘れちゃって、迎合してると言うけども、今ヤスさんがおっしゃったようなことで言えばそうですよね。全部取り入れて、融通無碍に取り入れて、それをまた、すごく実践的な、その時代に合ったものとして、加工なり発展させて、みんなを幸せにする。

    ヤス そうですね。だから、戦後の日本が発展してるときにね、日本人が発揮してたフレキシビリティって大変なものがありますよ。今まで敵だったアメリカの植民地になるわけですから。ある意味で、植民地になりながら、最大限の経済発展をするというね、最大限の経済発展が可能になるように適合していくわけです。原理にこだわってたらそのような適合ってできないわけですよ。

    西塚 詳しいことはわからないけど、生物学的な意味で全生物、地球上の生物がもし生き残っていくとすれば、やっぱりフレキシビリティのはずであって、そういった意味では、日本人の対処の仕方というのは、ひょっとしたら世界200カ国近くある中で、ある種のモデルとしては、かなり研究されるべき面白い国民であり、国であるかもしれませんね、そういった意味では。

    ヤス 今、ちょっと面白い本を読んでて、『愛国の技法』と言うんですね。戦前のポスター集なんですよ。戦前、ビジュアルでね、どんなふうに愛国心を盛り上げていったか、たくさん見れるんです。ここまで鬼畜米兵って叫んでたのに、戦争が終わったら、一気にワッと変わるわけじゃないですか。それはね(笑)、ある視点から見たら田吾作だし、土人なわけですよ。原理がいっさいない。こいつは何だ?と思うわけですけど、逆に原理に囚われたときのリスクを考えて適応してるわけですよね。それはね、冷酷なと言うか、非常にクールなリスク判断がないとできないわけです。

    西塚 逆に庶民も含めて、そういう明確なリスク判断なり視点があったかというと怪しいかもしれませんが、皮膚感覚とか無意識のうちにそういう行動ができるような人が多いってことですかね。

    ヤス まあ、そうですね。そのようなことが、基本的な原理となっている。だから我々がよく「時代」とか言いますね、時代なんて言葉がありますでしょ? 時代って何かと言うと、何に適合すべきかというのを表すための基準線、そういう言葉です。時代という言葉にはそういうことが込められてる。今はそういう時代じゃないから、とかね。

    西塚 たとえば、僕はやはり人間はそんなに変わらないと思うので、日本人だけじゃないだろうと思うんですね。日本人が、わりとそういうことをほかの国と比べてできてきたということは、おそらくヤスさんがおっしゃるように、何かシステムがある気がします。アーキテクチャがある。日本人がアプリオリな形でフレキシビリティを発揮させるような、とたえば遺伝子を持っているとかということではなくて、それでもいいんですよ、結果的にそうだったということでもいいんだけど、その前に、日本独特の何か構造なりシステムがあるのかもしれません。

    ヤス そうですね。知の維持の仕方だと思うんです。日本でよく哲学がないと言われてますけども、抽象的な世界観をことごとく拒否してきた民族ですよね。どうも日本独自の抽象的な世界観ってなかなかない。たとえば朱子学、江戸の国学の時代ですけど、朱子学と儒教がどんどん入ってくる。特に朱子学は極めて原理主義的な世界観ですよ。世界とはこうあるものだと体系的に説明する。それに対して、当時の国学者たちは、真っ向から否定するわけですね。

    その結果、たとえばでき上がってくるのは、本居宣長的な直感主義ですよね。世界観なんかないと。物事の本質なんかないんだと。見てるままがそのままなんだと言うわけです。見てるものはみんな滅びていく、どんなものでも、やっぱりなくなっていく、それをね、自分が滅びゆくものを見て楽しんでいく、というのが心なんだという形で、目に見えるものそのものの中にしか本質性がない、その裏側に理念なんかないと否定していくわけですね、全部。言ってみれば、高みの論理から考えないというある知の態度、知の持ち方がひとつあったと思います。僕はそれは極めてユニークだと思う。なぜ我々はそのような知の持ち方、知の態度を選んだのか。これは極めて興味深い問題だと思うんです。

    西塚 ひょっとしたら、プリンシプルがあるように思われている極右的な作家に三島由紀夫がいましたね。彼の最後の四部作は、結局は最後はポツンと庭があるだけなんですよ。空虚で終わるわけですね、僕の読み方だと。何もなかったという終わり方じゃないですか。そこにも通じるような気がして、個人的にもそれは面白いテーマだと思いますね。スピリチュアリズムまでちょっといかなかったですね、今日も。

    ヤス 今の日本というのは、プリンシプルがないこと、原理がないこと、田吾作であることが危機なのではないんですよ。田吾作じゃなくなってきてるってことなんですね。考えなくなってきたか言うと、そういうわけじゃない。フレキシビリティをなくしてきたんです。

    西塚 逆にね。硬直してきた。

    ヤス 硬直してきた。

    西塚 それが一番危ない。

    ヤス 一番危ない。

    西塚 それは一部、安倍とか官僚であって…

    ヤス 日本国民全体がフレキシビリティをなくしてきたということですね。

    西塚 ああ、じゃあ反旗を翻したデモにしても、あれもある種のプリンシプル…

    ヤス あれはいいんです。あれは、我々みんなが本当に考えるようになった。このまま流れに任せておいたらヤバいので、やっぱり変換させなくちゃならないという、ひとつのフレキシビリティだと思いますよ。我々がフレキシビリティをなくしてきたことは何にかと言うと、世界認識です。たとえばね、第二次世界大戦の戦時中、アメリカは鬼畜米兵、敵だったわけじゃないですか。その敵にやっぱり負けたと。それから次の主人はアメリカになった。アメリカになったという現実、ああ、これからの世界はアメリカねっていうことで、簡単にそこで折れて全面的に受け入れて適合していくわけです。一気にこっちだッ!と言って適合していく。すごいフレキシビリティ。それで発展していく。

    今は何かと言うと、実はアメリカじゃないね、なんですよ、世界はね。もう中国だね、なんです。もしかしたら韓国だね、中国だね、アジアだね、なんですよ。徹底的に日本はそれを拒否するわけです。かつての、いまだ30年前の硬直した世界観の中に、ワーッとしがみついてる日本人がいかに多いかということですね。それはね、怖いことだと思います。

    西塚 ああ、そういう意味ですね。だからもっと我々は、アメリカに原発を2発も打ち込まれて、やられちゃったにもかかわらず、フレキシビリティを発揮してですね、発展してきたあのときを取り戻すというか、むしろあれでアジアに戦略的に迎合してですね、戦略敵にリーダーシップをとっていくべきだって話ですね。

    ヤス そうそう。そうするべきです。中国のほうに主軸が移ってきて、明らかに世界経済、世界政治の中心点になりつつある。ロシアもそうだと。嫌韓とか嫌中とかね、クダラないことを言うのは、あれはフレキシビリティをなくしたっていうことの証拠ですよ。

    西塚 おっしゃるとおりですね。中国には洗国があります、洗う国ですね。だから逆にこっちが戦略的におもねって、いい気持ちにさせて、何だか知らないけど日本文化で、昔の満州みたいなもので、だんだんこっちから侵食して(笑)、むしろ乗っ取っちゃうと言うと言葉が悪いけども、染めちゃえばいいんですよ、日本文化で(笑)。

    ヤス そうそう、そういうことをいくらでもできるわけですよ。そういうようなフレキシビリティをなくしてしまったということ。ある意味でナショナリスティックな原理主義的硬直性でいく、これは今我々が滅びに向かっているという証ですね。

    西塚 だとすれば、神道を中心としたある種の、まあカルトと僕は言いたいんだけども、言わないにしてもスピリチュアル系の集団なり、傾向というのはかなり危ないですね。

    ヤス 危ない。

    西塚 足を引っ張る方向ですね。次回そのへん突っ込んでいいですか?

    ヤス いいですよ、突っ込んでください。

    西塚 今日はもう時間もあれなんで、どうもありがとうございました。

    ヤス いえいえ、こちらこそ、どうもどうも。


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    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書いていたが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

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