2011-09

    第9サイクルでいったいなにが起こるのか?15

    9月24日

    今週はコルマン博士のコズミックコンバージェンスというイベントが行われる。なんとかこの開催期間に間に合うように更新できた。いつもブログを読んでいただいている読者には感謝する。

    投稿欄で有益なディスカッションが行われている。あらゆる多様な意見が交差するディスカッションの場でこそ、新しい思想やアイデアが生まれてくるのだと思う。これこそコルマン博士の言うような、階層秩序にはよらないフラットなネットワークを形成する場なのではないかと感じる。

    コルマンインデックス終了勉強会のお知らせ

    今年の10月28日にコルマンインデックスが終了します。日本時間では29日になります。29日に開催予定でしたが、場所が取れなかったため、23日の日曜日に変更しました。

    ヤスの備忘録では、これまでコルマンインデックスのほか、多くの予言や予測を紹介してきました。コルマンインデックスとともに、それらを一度すべて整理し、何が的中し何が外れたのか明確にして、これからさらになにが起こるのか、最新情報を使いながらみんなで予測したいと思っています。

    料金は4000円にしました。参加ご希望の方は事前に筆者までメールをください。

    info@yasunoeigo.com

    日時:10月23日(日)、午後2時から午後5時くらいまで
    料金:4000円(資料代込み)
    場所:てくのかわさき
    川崎市高津区溝口1-6-10
    JR南武線武蔵溝ノ口駅、東急東横線溝口駅徒歩3分


    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。3日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    予言解説書18の有料配信

    最新版 「予言解説書18」が完成しました。これは、ウェブボット最新報告書、「来るべき未来の形0巻9号」の詳細な要約です。今回は内容が濃く、普段の1.5倍の分量があります。新しい磁極の出現、「ドルの死」の過程などいよいよかと思わせる内容です。入手を希望する方は筆者まで直接メールください。

    info@yasunoeigo.com

    新しい本の紹介

    今度、また講談社から英語の本を出した。筆者も強く感じているが、やはり英語は仕事では必須となりつつある。しかし、実際に英語を使う相手は欧米人とは限らない。中国や韓国なのどのアジア出身の人々も多い。そのような状況のなか、この本では普遍的なコミュニケーションの手段としてのグロービッシュに注目し、これをマスターする方法を解説した。英語に関心がある方にはぜひお勧めしたい!

    日本人が「英語ペラペラ」を本当に実現できる本 (講談社+α文庫)

    eigohon

    講演会のご案内

    コルマンインデックスの終了にともない、講演会をたくさん依頼されました。よろしかったどうぞ。内容は「コルマンインデックス終了勉強会」とは大きく異なります。

    高島康司先生講演会「マヤの予言とコルマンインデックス」
    日 時:2011年10月8日(土)
       ●13:30~16:30(開場13:15)
    講 師:高島康司先生
    会 場:JR新橋駅、三田線内幸町徒歩5分 (お申込みの方に別途ご連絡)
    定 員:55名
    参加費:4000円 


    10月29日(土)
    にんげんクラブ北海道主催講演会
    第1部 『アクエリアス革命!三女神、降臨!~いよいよ始まる女性性の時代~』
    第2部 『10/29コルマン・インデックス終了と「未来から考える新しい生き方」』
    場所:ガーデンシティ札幌 カンファレンスルームN-1
    (北海道札幌市中央区北4条西1丁目 共済ビル4階 TEL011-252-3165)
    札幌駅南口より徒歩5分

    【地図】

    11月3日(木・祝)
    にんげんクラブ大阪主催
    『これからの日本~コルマン・インデックス後の世界と日本人の天命~』
    日時:2011年11月3日(木・祝) 11:00
    開場、11:30 開演、20:10 終了予定
    (懇親会20:30~同施設内にて)
    会場:新大阪ココプラザ 2階 エクスプレス・ココ
    大阪市東淀川区東中島1-13-13 TEL.06-6370-5421
    JRまたは地下鉄御堂筋 新大阪駅より徒歩6分

    【地図】

    有料メルマガのご紹介

    長い間、メルマガの紹介を怠ってきた。今回から再開する。

    今週は3つの話題について詳しく解説した。ひとつはエレニンすい星のその後についてである。この部分は今回のブログに転載した。

    次に、ユーロ危機の全体像について解説した。もともとEUが東ヨーロッパの安い労働力で外資を引き付け、それによりヨーロッパが世界の製造業の中心となり、再度発展するためのプランであったこと、それが中国の国内の労働力の開放政策への変更であてが外れてしまったこと、そして製造業に投資できなきなくなったヨーロッパ域内の金融機関の資金が国債の投資に活路を見いだしたことなどを解説した。いまの危機を解決するためには、EU諸国が独自の財政政策を放棄した超国家的なまとまりとなるように再統合する必要性があることなどを解説した。

    最後に、コルマン博士の最新のインタビューを掲載した。コルマン博士は、9月13日と16日、それぞれ異なったネットラジオに出演し、1時間のインタビューを受けた。メルマガにはその16日のインタビューの詳しい要約を掲載した。ブログの今回の記事には、13日のインタビューの内容を掲載する。

    以上のような内容であった。

    今回の記事

    今回は3つのテーマについて詳しく解説する。ひとつはメルマガにも書いたエレニンすい星に関してだ。相当にオカルト度が高い内容だが面白いと思う。

    次に、著名な金融占星術師、ウィリアム・スティックエバース氏の実に興味深い予言の数々を紹介する。

    最後に、9月13日に行われたコルマン博士の最新インタビューの詳細な要約を掲載する。16日の分はメルマガにも掲載した。両者は重なる部分もあるが、内容は相当に異なっている。両方を読むとよいだろう。

    エレニンすい星のその後

    このブログで何度も紹介したように、地球への接近で地震などの大きな災害の引き金になると予想されていたエレニンすい星は、8月29日、オーストラリアのアマチュア天文学者によって消滅しかかっていることが確認された。これは後にNASAによって確認された。

    8月19日ころ、エレニンはおりしも発生した太陽フレアに直撃され、分解しつつあるとのことであった。以下がオーストラリアのアマチュア天文家が撮影し、NASA関連のサイト、スペースウェザードットコムが公開した8月19日と29日の画像だ。19日には輝いていたエレニンは29日には消えかかっている。

    elenindis

    しかし、その後もエレニンはいまだに存在しているとの情報はネットを駆け巡っていた。そのため、エレニンの行方を巡る議論は続いている。

    人口の飛行物体である可能性

    そのようななか、非常に注目されている情報がある。エレニンの分解が発表された同じ8月29日、アメリカでもっとも著名な深夜ラジオ番組、「Coast to Coast AM」に、NASAの元コンサルタントで番組に宇宙関連の技術情報を提供しているリチャード・ホグランド氏が出演し、エレニンについて次のように解説したのだ。

    「8月19日、エレニンは太陽が放出したCME(コロナ質量放射)に直撃された。この直後の様子はNASAが打ち上げた「ステレオーB衛星」に搭載されたカメラが撮影した。画像は見えやすくするため解像度に処理され公開された。

    三角の形をした物体がエレニンである。

    elenin01

    下がこれを拡大した画像だ。

    elenin02

    一見して分かるように、エレニンは正4面体の物体なのだ。このような形の物体が自然のすい星とは考えられない。エレニンは人工の物体である。

    私は、この正4面体の各辺の長さを計測してみた。すると、その長さはなんと地球と月の距離の1.5倍もあるのだ!エレニンは巨大な物体であることは間違いない。私は、この正4面体は太陽フレアやCMEの直撃から内部にあるエレニンを保護するためのシールドの役割を果たしているのではないかと思う。

    私は個人的には、エレニンは、未来の地球人が時間軸を超えて我々に向けて送ってきた超次元的な物体なのではないかと思う。」

    以上である。

    たしかに、NASAの「ステレオーB衛星」に搭載されたカメラが撮影した8月19日のエレニンは公開されており、ユーチューブで見ることができる。はっきりと正4面体の形が映っている。



    ただ、これが目の錯覚なのか、それともエレニンの本当の姿なのかは判別がつかない。

    エレニンから受信した音声信号

    さらに、同じ8月29日、地球外知的生命体探査プロジェクト(SETI)がカリフォルニア大学バークレー校にある電波望遠鏡をエレニンの方向に向けたところ、主に音声信号に使用されるGパルス(適応的差分パルス符号変調)と呼ばれる信号の電波を受信した。以下のユーチューブのアドレスで聴くことができる。



    人間の声と同じ周波数の音ではあるが、特に意味のある言葉は聞くことはできない。唸るような音だけである。また、SETIという機関が電波望遠で地球外の電波を受信していることは確かだが、エレニンから受信したとされるこの音をどうやって入手したのか明かされていない。これをユーチューブにアップロードした作者が作ったものである可能性も否定できない。

    これをアップロードした人物は、エレニンが人口の飛行物体であり、エレニンから人類に向けてなんらかのメッセージが送信されていると言いたいようである。確実な証拠がないとなんとも言えないが、はたしてどうだろうか?

    筆者の信頼する霊能力者のリーディング

    筆者は、このエレニンから受信したとする音声信号のあるゆる可能性を考慮した上で、筆者のもっとも信頼する霊能力者にこの音声を聞いてもらい、どのように感じるか話してもらった。この霊能力者は、多くの著名な経営者の相談を受けている方だ。以下がその内容だ。

    「これは明らかに人類に向けられたメッセージだと思う。私にははっきりと聞こえるが、内容は断片的にしか聞き取れない。次のような内容だ。

    我々はかつて人工太陽を作ろうとしていた。我々は高度に発達した文明だ。人工太陽は意識を持った存在だ。いま地球はねらわれている。気をつけろ、気をつけろ。

    このような内容のように聞こえる。これが実際に何を意味しているのか私には具体的には分からない。」


    これをどのように解釈するかは読者の判断にゆだねたいと思う。

    エレニンの接近

    このように、エレニンが分解しておらず、存在しているとする主張は多い。しかし、それらのどの情報も確実に証明できるかと言えばそうではない。もちろん、思い込みと錯覚である可能性もある。

    いずれにせよ、エレニンは9月26日から27日にかけて、地球と太陽と直列する。これは3月11日と同様の配置なので、地震の可能性が高まると考えられている。さらに、10月17日から20日には地球に最も接近する。これらの期間になにもないことを祈る。

    ウィリアム・スティックエバース氏の占星術師と予測

    次のテーマに行く。筆者もなんどもお会いしたことのあるウィリアム・スティックエバース氏だが、これはコンピューターをフルに活用した予想を提供している。個人的な交流もあり、ここ数年氏の予想を追ってきたが、非常に精度が高いことが明らかになった。今回はそれがどのようなものであるのか解説したい。

    スティックエバース氏の占星術の特徴は、フランスの著名な占星術師が発見したボーボルドサイクルをもとにしているということだ。これは以前の記事に詳しく書いたが、氏の予測を知る上で重要なので一部を再度掲載する。

    スクエアとTスクエア

    占星術にはいくつか否定的な星の配置が存在している。ひとつはスクエアと呼ばれる配置である。これはいくつかの星が90度を形成する配置で、不調和、不安定、障害、失敗を表すとされる。

    さらに、最も否定的な意味合いを持つのがTスクエアと呼ばれる配置である。Tスクエアとは、ホロスコープ上で3つ以上の惑星がT字型の位置関係で配列しているものを指す。

    困難なアスペクトとされ、強力な否定的な作用をもたらすが、うまくのりきれば逆にプラスの効果を与えるとされている。

    ボーボルドサイクル、惑星配置の収縮局面と拡大局面

    このようなスクエアやTスクエアのアスペクトをいっそう詳しく解析し、その動きをグラフ上で上昇と下降の運動として分かりやすく表示することに成功したのがフランスの著名な占星術師、アンドレ・ボーボルトである。

    第二次大戦中、グーションという占星術師が、木星から冥王星までの外側の5つの惑星が形成する10通りのサイクルの黄道上の距離を計算した。グーションはこの計算を毎年3月21日に行い、10通りの黄道上の距離を合計してグラフに表した。この方法は、60年代半ばにアンドレ・ボーボルトによってさらに体系化され、ボーボルドサイクルとして発表された。

    グラフでは、上昇と下降を繰り返す変動の波が出現した。下降局面は惑星同士が180度から0度に接近する収縮局面を表し、谷は惑星がもっとも集中し0度で一列に並ぶ時期を示す。逆に上昇局面は、0度から180度に向かって惑星が相互に離れる拡大局面を表す。この180度から0度に向かう収縮と、0度から180度に向かう拡大を交互に繰り返すというのがボーボルドサイクルである。

    ボーボルドサイクルは、ソルボンヌ大学パリ校のスーゼル・フューズ・ブランチ博士らによって研究され、かなりの確率でサイクルの波動と実際に起こった歴史的な出来事が一致していることが確認された。

    経済収縮と危機の下降局面と経済成長と発展の上昇局面

    ボーボルドサイクルの下降と上昇の局面は、それぞれ社会変動の異なった過程と一致しているという。

    下降局面
    経済収縮や危機、悲観主義、不安定、混乱、退行、全体的な混乱および破壊的戦争

    上昇局面
    経済成長や発展、楽観主義、安定、科学的発明や無制限の創造性、そして軍備拡張


    スティックエバース氏の手法、ブラック・ボックス分析

    スティックエバース氏はこのボーボルドサイクルを詳しく解析する独自のプログラムを開発し、運勢の変化がグラフで細かく現れようにした。その結果、だいたいどのくらいの時期に運勢がどうなるのか相当に細かく分かるようになった。

    氏はこのグラフによる詳細分析をブラック・ボックス分析と呼んでいる。

    個人にも当てはなるボーボルトサイクル

    ボーボルトサイクルによるブラック・ボックス分析は社会や国の運勢だけを表すものではない。個人にも適用できる。下は氏のサイトで公開されている米国の有名な役者、ジョニー・デップの運勢だ。運勢の変動の時期が非常に詳細に分かるようになっている。

    johnny

    個人コンサルティングを受けたとき筆者の運勢の見てもらったが、非常に正確だったので驚いている。

    また、それだけではなく、自分が活躍する地域まで詳しき出てきたのには驚いた。いつ、どこの地域にいるとどのようなことが期待できるのか詳細に示される。筆者の過去に関しては的中していた。

    日本の運勢グラフ

    今回は詳しい解説を省く。グラフを見ると一目瞭然だからだ。まず、日本の運勢グラフだ。以下がそうである。日本経済は、2012年4月の初旬からいっそう大きな落ち込みの時期に入り、その後変動はありながらも、2014年2月が底になるのが分かる。

    japan black

    中国

    中国は2011年8月第1週に経済成長が限界に達し、その結果として10月第3週あたりに社会不安が増大し、政治的な危機を向かえるという。政治的な危機の時期が終わった後、中国はこれまで以上に発展するようだ。

    chinafu

    アメリカ経済

    8月の末が底であったことが示されている。その後は弱いが少し上昇に転じている。

    usecono

    ドル

    ドルのグラフは面白い。2012年1月が底になっている。その後、運勢はこの水準に止まり回復することがない。

    usdollar

    EU

    EU全体の運勢グラフである。雇用、金融、総合運勢とも2012年11月が底になっている。

    euall

    銀の価格

    2011年9月に頂点に達するが、それから下落し、2011年末には相当に下がる。だが、2012年第4週には急騰する。

    silver

    イラン

    2011年12月から2012年5月に市民革命が広がり、イスラム共和国が終焉の危機を向かえる。

    iran01

    スペイン

    いま財政危機が叫ばれているPIIGS諸国のポルトガルだが、スペインは変動はありながらも、2011年第3週まで厳しい状態が続く。

    spain

    ポルトガル

    一方、ポルトガルだが、2012年7月から11月の半ばまでに危機が増大し、社会保障費の削減に怒った市民によって政権が転覆されるようだ。

    port

    エジプト

    ムバラク政権の崩壊以降も政治的に安定したとは必ずしも言えないエジプトだが、2012年2月の始めに底に入る。だがその後は安定し、発展するようである。

    egy

    シリア

    いまアサド政権による弾圧で多くの市民が殺害されてりるシリアだが、やはり運勢グラフでも2011年6月から9月にかけてがもっとも厳しい時期になることが示されている。

    syria

    リビア

    先頃、NATO軍の空爆でカダフィ政権が転覆され市民側が勝利したかっこうになったリビアだが、グラフを見ると2011年8月第2週から9月第4週にかけて運勢が上昇しているのが分かる。しかし10月に入ると運勢は下降を始め、厳しい時期に突入する。勝利をした市民側の分裂による新たな内戦か?

    libya

    以上である。

    非常に興味深い。どんなに正確に見えようともこれらは占星術の予測である。これに100%依存してしまってはならないだろうが、興味深い参考にはなるはずだ。

    コルマン博士の最新インタビュー

    最後のテーマに行く。最近コルマン博士は。9月13日にキンバレー・イエーガーという人物が主催するネットラジオ、そして16日には「レッドアイスラジオ」というスエーデンの著名なネットラジオの2つのインタビューにこたえた。9月16日のインタビューは有料メルマガに詳しく要約した。ブログでは13日のインタビューの要約を紹介する。

    自分の生い立ちとマヤカレンダー

    私は1950年5月15日に生まれた。発癌性物質の研究者として訓練を受けたが、29歳のとき所属していたストックホルム大学から中南米に行ってスペイン語を学ぶ機会が与えられた。いま思えば、これはいわばマヤの地から呼ばれたような感じだった。

    このときの体験は私に非常に大きな影響を与えた。現地で出会った人々は私を仲間として迎え入れ、この地に私は何かの使命があると強く実感した。しかしこのときは人生のコースを変えたわけではなく、研究者としての道を歩んだ。

    私はアメリカ西海岸、シアトルのワシントン大学で研究者としてのキャリアを歩んでいた。しかし1993年、私はマヤカレンダーの研究に専念するため、科学者としてのキャリアから全面的に撤退することにした。それ以来、マヤカレンダーの研究者として活動している。

    コズミックコンバージェンスについて

    マヤカレンダーにはいくつかの意味がある。ひとつはマヤカレンダーを適用して自分の周囲の出来事の意味を知るということだ。だが重要なのはもう一つの側面である。マヤカレンダーは意識の進化の壮大な予定表なのだ。私はこれを発見してから、これを世に伝えなければならないと強く感じた。

    コズミックコンバージェンスにはいくつかの意味がある。過去に2度同じような儀式があった。ひとつは1987年のハーモニックコンバージェンスである。これは新しい意識の誕生を祝うイベントであった。そして次は昨年のコンシャスコンバージェンスである。これは今回のコズミックコンバージェンスの準備をするようなイベントであった。このどちらの儀式もマヤカレンダーに基づいたものだ。

    コズミックコンバージェンスのコンバージェンスとは「収斂」という意味だ。つまり、統合意識をもたらすエネルギーはコズミックコンバージェンスのイベントに集中するということだ。これは、10月28日に終わるマヤカレンダーの最後の夜の期間となる第6の夜の開始日に行われる。これはとても重要なのは時期なのだ。

    エレニンすい星について

    マヤカレンダーの終わりにはエレニンすい星が近づいている。私は個人的には、これはホピの予言が伝えるブルー・カチナだと思う。

    いまネットではエレニンの話題でもちきりだ。エレニンの存在に関してさまざまな億則が飛び交っている。ただ私は、今回のコズミックコンバージェンスの儀式でエレニンの存在そのものが大きな役割を果たしているとは思わない。コズミックコンバージェンスが行われている9月26日には、エレニンは太陽と地球と直列する。エレニンの出現は、マヤカレンダーが予測している統合意識の現れが、まさに宇宙的な広がりをもつ事象であることを我々に実感させてくれる重要な象徴なのである。

    マヤカレンダーとは、地球だとか太陽系だとか狭い範囲の変化を表すものではない。マヤカレンダーは宇宙全体を貫くエネルギーの発現であり、エレニンはこれを伝えるためにやってきたメッセンジャーのような役割を担っているのではないかと思う。

    コズミックコンバージェンスの時期と決意について

    コズミックコンバージェンスが第6の夜の期間に行われるというのはとても重要なことだ。マヤカレンダーでは、昼の期間に大きな出来事が発現し、夜の期間には潜在するというリズムになる。夜の期間は、起こった出来事の意味を内省するには絶好の期間だ。そして第9サイクルの第6の夜は、マヤカレンダーの最後の夜の期間になる。つまり、我々が内省し反省する最後の機会になるということだ。この期間に我々は統合意識を呼び込み、その一部となる決意をしなければならないのだ。

    もちろん、コズミックコンバージェンスの4日間に統合意識へと一気にシフトするというようなことはない。統合意識の発現はゆっくると進む。だが、この期間に統合意識をもたらす決意をしっかりと固めることが重要なのだ。決意した段階で神的なエネルギーはすぐに動き始めるのだ。だから、主体的な決意こそもっとも重要だ。

    否定的な感情とコズミックコンバージェンスについて

    ところで、人間であればだれしも暗い側面をもっている。この暗い側面から出てくる相手の否定的な感情が自分に向けられることはよくあることだ。このようなとき、決して否定的な感情に同じような否定的な感情で反応してはならないのだ。コズミックコンバージェンスでは、このような反応はしないと決意することがとても重要なのだ。

    コズミックコンバージェンスの期間には、決意することがとても大事になると思う。実は私自身、決意の重要性に最近になって気づいたのだ。私はこれまで、何かに導かれるようにマヤカレンダーを研究し、いまのような立場になった。なので、意識進化の過程で、主体的な決意が重要になるとは思っていなかった。しかしいまは、統合意識をもたらすと決めた強い決意こそもっとも重要なものである確信している。

    決意すべき内容について

    決意するべき具体的な内容は2つある。

    ひとつは、自分の人生を自我で決定するのではなく、神性によって導かれるようにすると決意することだ。

    そして2つ目は、相手がどんなに否定的な感情をこちらに向けようとも、同じような否定的な反応はしないという決意だ。一度否定的な感情に否定性で反応してしまうと、どんどん否定的な感情が拡大し、取り返しがつかない状態となる。


    これらのことを、個人でも集団でもよいからしっかりと決意するイベントがコズミックコンバージェンスのイベントなのだ。

    第7の昼について

    10月11日からいよいよ第9サイクルの最後となり、マヤカレンダーの最終期間となる第7の昼に入る。10月28日でマヤカレンダーのすべてのサイクルが終了する。これはこれまで人類の意識進化を主導してきたサイクル全体が終わる。つまり、進化の段階が頂点に達し、統合意識がはっきりとした形をとって誕生するのがこの期間だ。

    もちろん、統合意識が一気に出現し、すべてが一気に変わるなどということはない。これから統合意識の力が次第に強まり、個人のみならず社会や経済のあらゆる側面に強い影響を与え始める。もちろんこの過程で、既存の自我や階層構造、そして権力構造に基づいた古いシステムは全面的に崩壊しなければならない。

    マヤカレンダー終了後の変化について

    マヤカレンダーの終了後には、時間の感覚が大きく変化するはずだ。

    これまでの人類の歴史には明らかに意識進化のはっきりとした方向性が明示されていた。たとえば、第6サイクルの期間には、左脳の圧倒的な優勢に基づく自我の強化や分析的な知の台頭、そしてそれらを前提とした階層構造や国家が出現し、また第7サイクルでは現代の科学や新しい通信手段が現れて世界をひとつに結び付けるというように、人間の歴史はマヤカレンダーの進化の予定表に引っ張られるように進化してきた。我々が時間を、一方方向に流れる単線的なものとして体験していた理由は、私はマヤカレンダーが説き明かしたような、はっきりとした進化の目標をもった時間が存在していたからだと思う。

    マヤカレンダーの終了で人間を引っ張るいわば強制力のようなものはなくなると思う。この結果、我々は特定の目的のある方向へと引っ張られながら生きて行くということは希薄になるのではないかと思う。ある目的を実現するために生きるという目的合理的な生き方ではなく、生きている一瞬一瞬を心の底から楽しむ、いわば「いまを生きる」ような生き方に変化するはずだ。

    以上である。

    コズミックコンバージェンスは23日から26日の期間である。日本時間では24日から27日だろうから、ちょうど今日からコズミックコンバージェンスは始まったことになる。コルマン博士とともに統合意識を呼び込むための「決意」をするとよいだろう。

    続く

    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書かせてもらっているが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

    筆者のいとこのブログ

    筆者にいとこがスピリチュアル系のカウンセラーになっていたのを最近知ることとなった。以下にリンクする。よろしかったらどうぞ。

    ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

    本の出版のお知らせ

    また本が出ます。前著の続編にあたる本です。今度は今のシステムのつっこんだ解説と将来の予測です。よろしかったらどうぞ。

    「支配ー被支配の従来型経済システム」の完全放棄で 日本はこう変わる コルマンインデックス未来予測[2020年までの歩み] (ヒカルランド)

    nihonn

    筆者の友人の作家のブログ

    茶房ちよちよ
    駒村吉重のブログ。いつもの飯、酒、より道、脱線、思いごと


    また本を出版しました。今度は徳間書店からです。今回は、このブログの内容を大幅に加筆修正し、未来予測を行った本です。よろしければぜひどうぞ!

    未来予測コルマンインデックスで見えた 日本と経済はこうなる(徳間書店)

    koru

    今回、講談社から英語本を出版しました。通勤途中に電車の中で軽く読める本です。ちょっと英語に興味がある人はぜひどうぞ!

    通じる英語 笑われる英語

    eigo

    「いったい世の中どうなっているんだ!こんな時はマルクスに聞け」(道出版)

    体裁としては「資本論」の解説書のような本だが、マルクス礼讚の本ではない。われわれはこれからなんとしてでもサバイバルして行かねばならない。そのための状況認識のための書として有効だと思う。よろしかったらぜひどうぞ!

    marx

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    意味産出の現場としてのBBSやブログ

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    テーマ:歴史と予言 - ジャンル:学問・文化・芸術

    番外編 言語の使用による意識の覚醒2、新しいシステムを目指して

    9月8日
    9月13日後半追加

    入院中の長い文書が書きにくい制限された環境で記事を書いていたこともあり、言葉が足りず十分に意図が伝わらなかったような気がしているので、一部書き換えることにした。後半の「価値観や意見を共有しない他者の存在」から大幅に書き直した。また、この記事は思索中の試論にしかすぎない。将来、全面的に変更するかもしれない。

    今回はいつもより早く更新できた。実は「いいかげん痩せたらどうだ!」と医師に恫喝され、ダイエットのために教育入院している。病院に一週間監禁され、徹底したカロリー制限はもちろんだが、精密検査で健康状態をチェックしてくれる。筆者のような中年のおじさんにはお勧めだと思う。

    お陰で普段の仕事から解放されたので、ブログを早く更新することができた。

    コルマンインデックス終了勉強会のお知らせ

    今年の10月28日にコルマンインデックスが終了します。日本時間では29日になります。29日に開催予定でしたが、場所が取れなかったため、23日の日曜日に変更しました。

    ヤスの備忘録では、これまでコルマンインデックスのほか、多くの予言や予測を紹介してきました。コルマンインデックスとともに、それらを一度すべて整理し、何が的中し何が外れたのか明確にして、これからさらになにが起こるのか、最新情報を使いながらみんなで予測したいと思っています。

    料金は4000円にしました。参加ご希望の方は事前に筆者までメールをください。

    info@yasunoeigo.com

    日時:10月23日(日)、午後2時から午後5時くらいまで
    料金:4000円(資料代込み)
    場所:てくのかわさき
    川崎市高津区溝口1-6-10
    JR南武線武蔵溝ノ口駅、東急東横線溝口駅徒歩3分


    新しい本の紹介

    今度、また講談社から英語の本を出した。筆者も強く感じているが、やはり英語は仕事では必須となりつつある。しかし、実際に英語を使う相手は欧米人とは限らない。中国や韓国なのどのアジア出身の人々も多い。そのような状況のなか、この本では普遍的なコミュニケーションの手段としてのグロービッシュに注目し、これをマスターする方法を解説した。英語に関心がある方にはぜひお勧めしたい!

    日本人が「英語ペラペラ」を本当に実現できる本 (講談社+α文庫)

    eigohon

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    予言解説書18の有料配信

    最新版 「予言解説書18」が完成しました。これは、ウェブボット最新報告書、「来るべき未来の形0巻9号」の詳細な要約です。今回は内容が濃く、普段の1.5倍の分量があります。新しい磁極の出現、「ドルの死」の過程などいよいよかと思わせる内容です。入手を希望する方は筆者まで直接メールください。

    info@yasunoeigo.com

    今回の記事

    今回は前回の記事の続きである。これで完結したいと思う。

    活発なディスカッション

    前回の記事では投稿欄で活発なディスカッションが続いている。ブログの記事には賛否両論あるだろうが、とにかく異なった意見を出し合い、問題に対するさまざまな見方や意見を交換することこそもっとも重要なことである。このような過程を通して、かならず多くの人が賛同できる共通了解の基盤のようなものが出て来るはずだ。

    こうした共通了解の基盤こそ、さらに多くの人々が結集するための機軸になるのではないかと思う。

    前回の記事は少し分かりにくい

    何回か読んで見て、前回の記事は少し分かりにくいかもしれないと感じた。実際、投稿欄でもそのような意見がいくつかある。そこで今回は、日本がおかれている現在の危機という視点から、再度考え方を分かりやすく整理する。

    前回の記事とは少し違った視点から書いたが、結論はまったく同じである。

    現在の日本の危機

    いまの日本の危機を一言で要約すると、これまでの日本の発展を支えて来た官僚主導の中央集権的システムが機能不全を起こし、新興国の台頭やIT産業の興隆など、新しい環境に適応できなくなったことにある。

    この適応不全の状態に大きな一撃となったのは、今回の東日本大震災と福島第一原発の放射能漏れだ。これらの出来事、特にいつ収まるとも知れない放射能漏れは、政府の意思決定はもはや機能しておらず、また、これまでの官僚主導の中央集権的な体制がどれほど役に立たなくなっているのか、我々の目の前に見せつけた。

    つまり、官僚主導の中央集権的体制という、これまで日本が保持していた国のあり方(国のかたち)では、もはや発展どころか、長期的な破綻の道を余儀なくされているということだ。

    以前の記事の視点

    約一年前の昨年の9月、このブログに「日本に関して」と題する3つの連続記事を掲載した。この時の視点から見ると、現在日本が遭遇している危機の内容が一層鮮明になるはずだ。これは、拙著にも書いた視点だ。長くなるが、再度掲載する。

    国のシステムと公共圏

    国際社会の中で国が生き残って行くためは、以下のような充足しなければ基本原則が存在する。これらの基本原則の領域を公共圏と呼ぶ。

    1)経済システムの整備
    2)社会の安全の確保
    3)エネルギーの安定的な確保
    4)社会的安定性の保証
    5)教育の整備

    これらの条件の充足に失敗すると、戦争や侵略、または内乱や革命などの危機が発生しやすくなり、国の存続が脅かされる。国家と社会が存続するためには、これらの基本原則はなんとしてでも充足しなければならない。

    歴史的に見ると、この条件を充足させるには以下のような方法があった。

    A)官僚主導の中央集権的システム
    B)需要と供給の市場原理にゆだねるシステム
    C)地方自治と地域共同体にゆだねるシステム

    これらのどの方法を採用するかによって、国のかたちが決まってくる。戦後の日本は、政府の全責任で先の5つの原則を充足するという中央集権的システムであった。

    日本型の安定したシステム

    80年代の終わりに全盛期を迎えた日本型資本主義のシステムは、以下の特徴によって支えられていた。

    1)終身雇用と年功序列を機軸とする日本型雇用システム

    2)メインバンクとの金融的な結びつきを背景にした長期的な信用関係

    3)ケインズ的経済政策を主体とした官僚主導の旺盛な公共投資

    4)地域と政治家とのインフォーマルな関係によって決定される公共投資を通した富の再配分システム

    1)によって労働者に雇用の安定を約束した企業は、2)のメインバンクとの長期的な信用関係の構築によって息の長い設備投資が可能となり、さらに3)の政府・官僚主導の公共投資によって国内の有効需要が保証されたため、巨額な設備投資の危険度が低く押さえられ、一定の利潤が保証された。

    このようなシステムは、労働力の外部市場から必要な労働力を雇い入れ、必要がなくなればこれを解雇するという、絶えず変化する市場への対応が迫られる競争型のアングロサクソン型の資本主義にくらべ、はるかに長期的な経営、投資戦略を可能としたため、企業の安定成長を保証した。

    さらに、公共投資が経済の牽引力になることは、国内景気を刺激するだけではなく、投資が行われる地域を選別することで、政府自らが地場産業を強化する地域を選択することができるようになった。これは、所得の低い地域に投資を配分し所得を引き上げるという効果をもたらしたため、日本型の所得再配分システムを作り上げた。

    しかしながら、公共投資の地域別の配分は、明白なルールに基づいた機構を介して行われるのではなく、政治家や官僚のインフォーマルな人間関係を通して決定されたため、投資の決定に関与する人間たちがそこから利益をかすめ取るという、腐敗した関係を恒常化することにもなった。

    しかし、政治的には腐敗の構造を抱えながらも、総じて日本社会はこうしたシステムがうまく機能している限り、完全雇用とまでは行かなくてもかなりの高水準の雇用が保証され、また、市場や世界経済の変化にかかわらず、どのような状況においても一定程度の成長率を確保することに成功した。それは安定した社会であった。

    いま日本は、中国やインドなどの新興国の台頭による世界経済の変化で低迷し、コストのかかる中央集権的システムの維持ができなくなっている状態だ。

    2001年に登場した小泉政権は、A)の中央集権的システムをB)の市場原理にゆだねるシステムに変更しようとしたが、基本的に失敗した。小泉政権は、国民の鬱積したストレスと不満を利用して改革への熱狂を作り出し、市場原理を広範に導入しようとした。しかし、社会的なセイフティネットのほころび、派遣労働の解禁、そしてこれらの結果として格差がこれまでになく拡大し、一億総中流と呼ばれた安定した日本社会は解体した。

    2009年に成立した民主党鳩山政権

    そして2009年夏、市場原理にゆだねるシステムが引き起こした社会矛盾の拡大に嫌気を感じた国民は、自民党の長期政権を選挙で葬り去り、戦後始まって以来の本格的な政権交替となる民主党鳩山政権を誕生させた。

    鳩山政権は、A)の中央集権的システムやB)の市場原理にゆだねるシステムのどちらでもないC)の地域共同体にゆだねるシステムへの移行を目標とした。

    ぞれぞれの地域の住民が、地産地消の地域密着型の産業やサービスで生活ができるような「定住自立経済圏」の形成を目指した。中央の官僚や市場の原理に代わり、地域ごとに自立した「定住自立経済圏」が基本原則の多くの部分を担うことになる構想である。

    このため鳩山政権は、B)の市場原理にゆだねるシステムに強い影響力を持っている経団連などの経済団体の介入を排除すると同時に、A)の中央集権的システムを牛耳っている中央官僚を排除するために、政策の立案と実施の権限を大幅に政府に移す「政治主導」を実行した。

    頓挫した鳩山政権と中途半端な菅政権

    しかしながら、鳩山政権は普天間の移設問題などで国民の支持を失い、2010年9月には菅政権に移行した。

    菅政権は鳩山政権の「定住自立経済圏」構想や「政治主導」を堅持しながらも、国民が求める即効性のある成長戦略の実行に翻弄されてしまい、結果的には官僚への依存を強化する方向に向かってしまった。

    この結果、民主党がもともと目指したC)の地域共同体にゆだねるシステムの実現はどっちつかずの状態になってしまった。

    3.11で露呈したこと

    そのような状況で起こったのが3.11である。3.11がさまざまな契機となって、A)の官僚主導の中央集権的システムの実態とその裏側を、これまで以上にはっきりと暴き出した。

    原子力に限っても、官僚と電力会社、政治家が作った原子力安全神話の大ウソ、天下りポストを提供する電力会社と経済産業省の癒着、原発の監督機関であるはずの原子力安全・保安院における経済産業省の官僚支配、報道機関に役員を送り込む電力会社の支配などがその典型だ。これらは、これまで明確にはなっていなかった裏の構造であり、3.11を契機としてその本来の実態が一斉に暴き出された結果となった。

    それだけではない。この構造は原発に止まらず、実は多くの公的機関や公共のプロジェクトが既得権益を貪る集団の草狩場と化すという、この国の政治と行政のあらゆる側面を侵食している普遍的な裏の構造を、もっとも象徴的に暴き出したのだ。あらゆる方面に張り巡らされた規制の網の目、行政指導の名目で既得権益を維持する官僚組織、行政官僚の天下り、公共投資の地域配分と産業の癒着などはそうした構造の典型だったのだ。

    こうした構造では、官僚組織をはじめ、既得権益をむさぼる多くの集団が存在する。すべての意思決定はそうした集団の利害調整で行われていた。放射能の管理や住民の避難など、国民の健康にかかわるもっとも緊急な問題でさえも、官僚と原子力産業の既得権益の維持が最優先された。

    このような状況を抱えながら、A)の官僚主導の中央集権的システムは、公共圏を維持し、国のサバイバルの条件を確保する機構としてはもはや機能しないことが明らかとなった。

    今回登場した野田政権

    では、今回新しく誕生した野田政権はどうなのだろうか?

    2009年夏に政権を取った民主党政権の目標は政治主導である。政治主導とは、既得権益を持った官僚組織と政治を切り離し、あくまで政治が官僚組織を主導することを目指した。そうすることで、国の基本的なシステムを、これまでのA)の官僚主導の中央集権的システムから、C)の地方自治と地域共同体にゆだねるシステムに変えて行くことを目標にした政権だった。

    最初の鳩山政権ではこの目標ははっきりとしていたが、次の菅政権ではかなり後退した。だが、目標そのものはぎりぎり堅持されていた。

    しかし、野田首相が政権に就いて最初に行ったことは、官僚と改めて協力関係を強化し、鳩山と菅政権では意思決定から排除されていた官僚を意思決定に参加させることだった。つまり、政治主導の断念である。

    この結果、民主党がもともと改革しようとしたA)の官僚主導の中央集権的システムは逆に強化され、これからもこの国のかたちを決定することになってしまうだろう。

    もちろん、このシステムが機能しないことははっきりしている。どう転んでも、既得権益集団の利害の維持が最優先される結果となるだろう。原発問題と放射能汚染の問題への対応に見られたように、普通の人々の利益はないがしろにされることだろう。

    待ったなしの状況

    これからの日本には、C)の地方自治と地域共同体にゆだねるシステムしか選択肢は残されていないことははっきりしている。官僚主導の中央集権的システムでは、もはや絶対に不可能な状況になっている。

    一方、このシステムへの転換を実現しようとした民主党政権の歴代内閣は失敗し、目標を放棄しつつある。

    このまま行くと、朽ち果てた官僚主導の体制とともに、日本全体が破綻へと向かう結果にもなるだろう。

    ではどうやってC)を実現するのか?

    これから日本が向かわなければならない方向性ははっきりしている。しかし、政治も機能停止しつつあるときに、C)の地方自治と地域共同体にゆだねるシステムへの転換はできるのだろうか?

    あるとすればそれは、これまで官僚組織が主導していたさまざまな制度や枠組みの決定権を、我々のような普通の人々が取り戻し、地域共同体で管理する動きを我々自らが起こすこと以外にないだろう。それ以外に方法はないように思われる。

    はたしていまの我々は国を担えるのか?

    だが、実は本当の問題はここから始まる。

    官僚組織や政府が社会の機能を担うことができなければ、これからは我々ひとりひとりが必要となるさまざまなシステムを組織し、下から社会を自らの手で形成して行く以外に選択肢はない。これは、社会のシステムや制度の一部を担う当事者に自分がなることである。果たしてそれがいまの我々にできるのだろうか。

    いま、これまで日本を支えてきたさまざまな中央集権的なシステムが目に前で機能不全を起こし、多くの市民のネットワークによる分散型システムへと移行せざるを得なくなっている。

    たとえば、電力を筆頭とするエネルギー分野はそのもっとも顕著な例だ。

    放射能漏れは二度といやなので、完全な脱原発を望むのなら、ドイツ国民がやったように、我々がはっきりと脱原発の意志を表明し、原子力産業に連なる議員を落選させなければならない。そして、現在の東電のような地域独占企業が電力供給を担う中央集権的システムを破棄し、これに変わるクリーンエネルギーを中心とした分散型ネットワークを我々が自らが提案しなければならない。

    また、これから続く円高で、多くの日本の輸出企業は海外に生産の拠点を移すことだろう。これに伴い、多くの職が失われ、失業は悪化する可能性がある。

    これをなんとか回避するためには、地域ごとに産業を起こし、地産地消型の経済を構築して、地域で自立できる経済を形成して行かなければならない。

    さらに、いまの日本の自殺率は深刻な状況に達している。年間3万人を越える自殺者の数は、フランスの3倍、アメリカの2倍である。死因が自殺であったかどうかは、日本の場合、状況から見て明らかな場合以外、家族などの近親者の自己申告で決まる。当然、死因を自殺と申告するのははばかれる。なので、実際の自殺者の数はかなり低く見積もられていると考えられている。実際の自殺者数は、7万人前後なのではないかとも言われている。

    これほどの自殺率の高まりの背景には、地域の共同体が荒廃してしまい、人々の急速な孤立化が進んでいることが上げられている。

    こうした状況をなんとか立て直すためには、我々自らが地域の共同体を再建し、人々が孤立しない状況を作ってゆかなければならない。

    また、荒廃した公立学校は多い。こうした学校では崩壊した家庭の子供が多く、家庭教育は実質的に行われていないに近い状況だ。教師の負担はあまりに重い。

    昭和30年代にはそうであったように、学校を地域社会に埋め込み、地域全体で子供のめんどうを見ることのできるシステムを住民の手で作ってゆかなければ立ち行かない。

    こうしたことをなんとかして実現することが、我々に課せられているのだ。

    有料メルマガで紹介したが、放射能の健康への影響は極めて深刻な状況になりつつある。放射能の健康被害から身を守るためには、汚染地帯からの一刻も早い避難が必要であろうし、せめて子供の疎開だけでも実現しなければならないだろう。

    しかし、ICRPのモデルに固執する政府は、福島などの高度な汚染地帯から、子供の疎開や住民の一時的な避難を実施することはない。また実施してもはるかに先の話になることは間違いない。

    そのような状況では、もはや政府には依存できない。一時避難や疎開は自分たちで決定し、自分たちの安全は自分たちで守らなければならない状況になっている。

    こうした自主的な動きは、福島ではすでには始まっているが、これから関東など全国のさまざまな地域で必要になる可能性がある。

    このように、社会のあらゆる分野で官僚主導の中央集権的システムは機能しなくなっている。既得権益の維持を前提にしたその決定に依存している限り、国民の利益をまったく無視したとんでもない決定を行い、国や社会そのものを解体へと引っ張る可能性が大きい。

    だから、市民が政府や官僚の決定に依存するのではなく、市民自らが自己判断して自分たちで計画を練り、自分たちで行動して新しいシステムを作って行かなければならないのである。

    「らしく」振る舞い、空気を読んでいる場合ではない

    自己決定と自己判断が要求されるそうした差し迫った状況にあるとき、周囲から受け入れられるように「らしく」振る舞い、相手の感情を害さないよいうに空気を読んでいる場合ではない。全員で空気を読み合っているうちに、差し迫った状況に対処できず、我々は最悪の状況に突き進んで行く可能性がある。

    また、政治家や官僚に文句を言い、政府や官僚が動くことをだだひたすらに待っていることはもはやできない。官僚組織は自分たちの責任が問われる都合の悪い情報はひた隠しにし、政府の対応は信じられないくらいに遅い。やっと対応したときには、問題は手がつけられないほど悪化してしまっている。

    これから先、我々が滅びたくなければ、多くの人達とネットワークを組織し、自分たちで判断し、自分たちで行動し、必要となるシステムを自分たちの手で下から作って行くほかはない。

    ディスカッションによる問題の共有からすべてが始まる

    そのような、市民自らの手による自己判断や自己決定が可能になる条件こそ、ディスカッションなのだ。自己判断と自己決定を行うためには、まずはあらゆる立場の人々とネットワークを組むことから始めなければならない。ひとりひとりが孤立している状況では、対処できない問題がほとんどだからだ。ネットワークを組織することを可能にするものこそ、ディスカッションである。

    ネットワークが組織できれば、次に重要となるのは問題の共有である。問題の認識を共有していなければ、判断も行動もできないからだ。

    そして次の段階は行動計画の立案だろう。これを実施するためにも、ディスカッションは絶対になくてはならない。

    ディスカッションとは、気持ちや感情の表現とは異なる

    前回の記事にも書いたように、ディスカッション的なコミュニケーションとは、気持ちや感情の表現とはあまり関係がない。なぜなら、自己判断と自己決定をするためには、感情の共有ではなく、問題の理解の共有こそが重要となるからだ。

    そのためには、自分がどのように問題を理解しているのか相手に伝える説明力がもっとも重要になる。自分がどのように問題を理解し、だからどのようにすべきだと思っているのか、多くの人々に伝えて行かなければならないのだ。

    感情から説明力へ

    そのためには、感情や気持ちだけの表現から、多くの人と問題の認識を共有できる説明的なコミュニケーションへと移行しなければならない。

    つまり、「冷たい」「暖かい」「柔らかい」「悲しい」「うれしい」などの情意とイメージの表現から、具体的で明確で、そして論理的な説明力への移行である。前回の記事でも説明したが、それは以下のような表現である。

    「多くの子供が放射能でこれから苦しむなんてなんと悲しいことなのだろう。これは絶対に許しておいてはだめだ。あまりに悲しすぎる。事故を起こした東電はきちんと責任を取り、みんなを元の生活に戻してほしい。」

    この表現になにか問題があるわけではない。それほどの悲惨な事態に直面したのである。これは誰しも感じる感情だろう。

    ただこうした感情表現では、問題を解決するための具体的な行動や計画にはなかなか結び付かないのである。せいぜい、「元の生活を返せ!」と叫ぶような政府や東電に叫ぶようなことにしかならない。

    たしかに、それも重要だろう。だが、そのように要求することだけでは、逆に政府や官僚に対する我々の依存を深め、官僚や政治家にいいように利用されてしまうのも事実だ。彼らは、保証と称して利益をばらまきながら、結局は原発でもなんでも自分たちの計画を容認させてしまうことだろう。我々が依存している限り、これは避けられない結果だ。

    それに対して、次のような説明的な表現はまったく別の結果になる。

    「政府は、経済産業省、電力会社、そして御用学者が形成するいわゆる原子力村の結束を突破できず、正確な情報が彼らに握られてしまったため、迅速な対応がまったくできなかった。この結果、放射能汚染は拡大し、特に多くの子供たちが影響を受けるはずだ。まずは東電に圧力をかけて、現状がどうなっているのか情報の公開を迫るべきだ。」

    こうした判断を多くの人が共有すると、たとえば東電に情報公開を要求するというような、目標の明確な行動となって現れる。これは、「私達の生活を元に戻せ!」と叫ぶのとは根本的に異なっている。

    この2つの例を見ると、前者は「この悲しい気持ちと状況をなんとかしろ!生活を元に戻せ!」と受動的な要求に終始するのに対し、後者では、「情報公開のために東電に圧力をかける」という具体的な目標を持つ行動となって現れる。自己判断し、自己決定するこうした具体的な行動こそ、状況を変化させることができるはずだ。

    そのためには、まずはあらゆる人々とのディスカッションを通して、問題意識を共有することこそ前提になる。

    どうしたら説明力は養成できるのか?

    いまの状況では、このような説明力の養成は、いますぐに行わなければならない重要な条件となる。

    だが、そうは言っても説明力はすぐに養成できるものではない。ある程度の時間はかかる。

    価値観や意見を共有しない他者の存在

    前回の記事にも書いたように、説明力のもっとも効果的な養成方法は、価値観や意見を共有しない他者とのコミュニケーションである。

    そのような他者はこちらの言っていることを理解できない。こちらにとって説明する必要がない常識や価値観を共有していないからだ。そして彼らは、空気をまったく読まない。空気という概念すら分からないに違いない。

    このような他者に向かって相手が理解できるように説明するための方法はひとつしかない。それは、具体的に、細かく、そして論理的に丁寧に説明することである。

    英語はひとつの訓練の手段かもしれない

    だが、そのような他者は日本のどこにいるのだろうか?日常ではめったに出会うことはない。

    実は説明力を訓練するための絶好の道具こそ、英語ではないかと思う。日本語でコミュニケーションすると、どんな人とでも価値観や常識を共有するふりをしてしまうため、空気を読むような、感情表現中心のコミュニケーションになってしまう。

    それが、言語を英語に切り替えると、日本人同士であっても、感情や気持ちがすんなりと通じて行かないため、言いたいことははじめから全部説明しなければならなくなる。

    筆者は、長い間日本語の能力の養成こそがもっとも重要であり、英語の早期の導入には強く反対していた。

    しかかし、3.11以降の日本の状況を見て意見を全面的に変えた。説明力を要求するディスカッション的なコミュニケーションは日本語では非常に育ちにくい。もしディスカッション的なコミュニケーションが今後非常に重要になるとするなら、英語を早期に導入し、説明力を育てるしかない。

    別にネイティブになろうとしているわけではない。説明力養成のための英語である。1年もあれば十分に目標は達成できる。

    今回、講談社から英語の本を出したが、これはこのような思いから書いた本だ。本の宣伝をするつもりはないが、英語にはまったく興味がなくても、ぜひ一度手にとって読んで見てほしい。ディスカッションにつながる説明とはどのようなものなのか分かっていただけると思う。

    自立した個人こそ新しいシステムの担い手

    そして、ディスカッション的なコミュニケーションを養成する過程で、「依存」ではなく、多くの人々と問題意識を共有しながら、自己判断し、自己決定できるような自立した個人がかならず多数出現するはずだ。

    自立した個人こそ、我々に残された唯一の道である、C)の地方自治と地域共同体にゆだねる社会を実質的に担うことのできるのはこうした個人である。

    自立した個人は西欧的な自我の強化なのか?

    だが、ここにきて当然の疑問が沸いてくる。自立した個人の出現とは、西欧的な自我のことではないのかという疑問だ。

    我々は西欧的な自我には、相当にマイナスのイメージを持っているはずだ。強烈な自己主張で他者を圧倒し、あくまで自分の個人的な利益を優先して行動するというイメージだ。つまり、エゴの強化である。

    しかし、日本的な文化の背景で出現してくる自立した個人は、そのようなエゴイスティックな存在とは一線を画した存在になる可能性の方が大きい。少なくとも、エゴの強化とは本質的に異なる方向に誘導できる可能性はある。

    日本の文化にもともと内在している自立した個人

    なぜなら、日本の文化には、自立した個人の概念が始めから思想として息づき、流れているからだ。鎌倉期に始まった日本の大乗仏教はそうしたものの典型だろう。それは、自我やエゴの強化とは本質的に異なった自立した個人への明確な道である。

    日本文化の独自性と固有性を認識することが重要

    これはひとつの独立した日本文化論になる。それを書くとあまりに長くなるので、いずれに機会に譲る。

    日本の文化はたぐいまれな独自性とユニークさを備えていることは間違いない。実に多様な思想が内在している豊かな文化だ。だが、結論から言うと、こうした日本文化に流れる偉大な思想や価値を我々が改めて認識するためには、ディスカッション的なコミュニケーションの手法を通して、意識を高めて自分を取り巻く世界を具体的に認識した、覚醒したまなざしで自分の文化のエッセンスを掘り起こすことが必要になるように思う。

    こうしたときに初めて、自我の強化ではない自立した個人のあり方をはっきりと提起できるようになるのではないだろうか?それこそが、おそらく日本文化の復活への大きな一歩になると思う。

    そうのようなことができるためには、まずは「空気」を読み、「らしく」振る舞い、他人の感情と同調するだけの現在の感情的なコミュニケーションのスタイルから抜け出さなければならないのではないだろうか?

    具体的な例

    それはたとえばこういうことである。

    ジョン・レノンが好きだった言葉に「お陰様」がある。筆者のネイティブの友人もそうだが、「お陰様」とは何者なのか大変に気になると言う。日本人の「お陰様で元気になりました」のような言葉の使い方をみていると、「お陰様」とは個人を超えた存在であることは確かだけれども、一神教の神ではないようだというのだ。なぜなら、「お陰様で元気になりました」と言うとき、これを聞いている相手も「お陰様」の一部に入っているからだ。

    どの文化でも、個を超えた存在の概念がない文化はないだろうと言われている。それは「神」として表現される場合がほとんどなのだが、それを「唯一神」として表現してしまうと、結局、多くの「唯一神」の間の死闘、つまり絶対善と絶対善の闘争になってしまう。なぜなら、「唯一神」は絶対的な一者なので、他の神を受け入れる余地はないからだ。

    一方、個人を超えたなんらかの全体的な存在につながることなくして、人間はそもそも生きる意味を見出すことはできないはずだとも言われている。孤立した個人は、自我や欲望のやり場に困り、自分の生きる意味を見失ってゆくだろう。男性がある年齢になるとものすごく結婚したくなるのは、自分のやり場に困り、個人を超えた家族という存在に繋がり、生きる意味を見出したいからではないかとも言われている。このように、個人を超えた存在に繋がるということは、人間にとって恐ろしく重要なことだと思う。

    しかしこれを「絶対的な唯一神」として存在論化した場合、さきほどの絶対善と絶対善との闘争に陥ることにもなりかねない。

    このように見ると、「お陰様」という言葉は、個を超えた全体的な存在を「唯一神」として存在論化することを避けながらも、人間を超えた大いなる存在がたしかに「ある」ことをリマインドする言葉であることに気付く。「お天道さまに恥ずかしいことはするな」の「お天道さま」も同じ意味だろう。

    このような、人間を超えた超越的な存在の提示の仕方は日本文化のあらゆる側面に共通した特徴であり、日本の文化に独自なもっとも洗練された方法ではないかと考える。

    価値を意識化してないと

    もし我々が日本文化に内在するこうした価値を意識することがないとしたらどうなるだろうか?「お陰様」の例で言うなら、日常的ななんとなく使っている言葉としてしか意識化できず、「お陰様」という言葉に内在している日本の独自な思想性は表現できないのではないかと思う。

    日本の文化の価値を意識化してこそ価値を提示できる

    これはひとつの例にしかすぎないが、このようなやり方で自分の文化に内在する普遍的な価値を提示するためには、やはりどうしても一度は異なった言語を媒介して見ないと、日本文化に内在する思想や文化の本来的な価値は見えにくいのではないだろうか?

    明治以降の歴史では、日本の文化に内在している価値と思想を掘り起こし、その価値を高らかに主張することに成功した試みがいくつも存在している。それらは、岡倉天心の「茶の本」であったり、新渡戸稲造の「武士道」、西田幾太郎の「善の研究」、鈴木大拙の「禅とは何か」をはじめとする数々の著作だったりするだろう。

    では、こうした人物が日本文化に内在する価値を主張することができたのはどうしてなのだろううか?さまざまな条件はあるだろうが、そのひとつは、やはり異なる言語に接し、日本文化を意識化し、その価値を改めて見直すことができたからではないかと思う。

    英語でなくてもよい

    そして、日本文化の価値と思想性を改めて自覚し認識するためには、やはり一度自分の文化と距離をとり、いわばこれを「外側」から見てみるまなざしがどうしても必要になるのではないだろうか?

    では「外側」とは何なのか?それは、以前の記事に書いたような、価値観と常識をほとんど共有することのない他者の存在である。そのような他者に向かって、自分の文化の価値をとことん説明する過程で日本の文化が本来的な内在している価値と独自性を認識できるのではないだろうか?


    先ほどの「お陰様」の例で言えば、「「お陰様」とは何のことなの?}と突拍子もない質問をしてくる他者に向かって相手が分かるように説明する過程で、「これこそ唯一神では日本独自の超越的な存在の提示の方法だ」と自分で発見するのではないかと思う。

    ではそのような突拍子もない質問をしてくる他者はどこにいるのだろうか?そのような他者こそ、異なる言語で話す人々ではないかと思う。ある一定期間、異なる言語でコミュニケーションをしたことのある人であれば体験していると思うが、やはり異言語のコミュニケーションを通して自分の文化の独自性を意識せざるをえなくなるはずだ。

    ただ、その言語が英語でなければならないかというとそうではない。他の異言語であってもよいが、公教育ですでに教えられていて行き渡っているという点で英語が手っ取り早いだけである。

    日本人同士が他者になり合う

    そして、英語で話す相手は外国人である必要すらないように思う。いまの我々に必要なことは、C)のひな型となるような新しいシステムを下から構築することだ。

    そのためには、それぞれ異なった意見や見方を交換して多くの人々が参集する結集軸を形成してゆかねばらならい。それを実現する上でも、「らしさ」を尊重した「空気を読む」同調性の圧力から自由になることがどうしても必要なのだと思う。

    英語の効果は、日本人同士が英語で話すことで、これまでは「らしさ」を尊重し、空気を読んでいた我々が、分からないことがあれば立場に関係なく平気で「なぜ?」、「どうして?」、「分からないので説明して?」と相手に聞くことができるようになることだ。そして不思議と英語で聞かれると腹が立たないのだ。

    このような質問に答える過程で、我々ひとりひとりが、自分がどのような価値観を信じ、何をどのように考えているのかはるかに意識的になり、周囲の空気の圧力には左右されず、自分で合理的に判断し決定できるような存在になってゆくことができるのではないかと思う。これが「自立した個人」のひとつの意味ではないかと思う。

    もちろん、こうしたことが日本語でできるのであれば、特に英語の必要はないだろう。英語は、若い人たちが「空気」を読んで「らしく」振る舞う行動の形式を身につける前に、自立した個人としての在り方をトレーニングする早期の訓練ツールとして限定的に使ってもよいだろう。

    いずれにせよ、英語であっても日本語であっても、空気を読む同調性圧力から解放され、他者とのディスカッションを通した自立した個人となる過程で、おそらく我々は、本来の自分の価値や日本文化が内在する深遠な思想性を意識化してゆくのではないかと思う。

    抜け出すまで日本の苦難は続く?

    いままさに、空気を読むだけではなく、このような自立した個人になることが、いまの日本人には要求されていることなのではないだろうか?これを達成しないと、残されたC)の地方自治と地域共同体にゆだねるシステムの実現は難しくなるのではないかと思う。これが実現しないと、日本の苦難は続くのではないだろうか?

    それ以上に、筆者が強く直観的に感じることは、日本の苦難と自然災害は連動しており、こうした自立した個人になる方向に我々ができるだけ早く歩み出さないと、自然災害の連鎖はこれからも延々と続くのではないかということだ。

    選択は我々にかかっている。

    続く

    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書かせてもらっているが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

    筆者のいとこのブログ

    筆者にいとこがスピリチュアル系のカウンセラーになっていたのを最近知ることとなった。以下にリンクする。よろしかったらどうぞ。

    ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

    本の出版のお知らせ

    また本が出ます。前著の続編にあたる本です。今度は今のシステムのつっこんだ解説と将来の予測です。よろしかったらどうぞ。

    「支配ー被支配の従来型経済システム」の完全放棄で 日本はこう変わる コルマンインデックス未来予測[2020年までの歩み] (ヒカルランド)

    nihonn

    筆者の友人の作家のブログ

    茶房ちよちよ
    駒村吉重のブログ。いつもの飯、酒、より道、脱線、思いごと


    また本を出版しました。今度は徳間書店からです。今回は、このブログの内容を大幅に加筆修正し、未来予測を行った本です。よろしければぜひどうぞ!

    未来予測コルマンインデックスで見えた 日本と経済はこうなる(徳間書店)

    koru

    今回、講談社から英語本を出版しました。通勤途中に電車の中で軽く読める本です。ちょっと英語に興味がある人はぜひどうぞ!

    通じる英語 笑われる英語

    eigo

    「いったい世の中どうなっているんだ!こんな時はマルクスに聞け」(道出版)

    体裁としては「資本論」の解説書のような本だが、マルクス礼讚の本ではない。われわれはこれからなんとしてでもサバイバルして行かねばならない。そのための状況認識のための書として有効だと思う。よろしかったらぜひどうぞ!

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    テーマ:歴史と予言 - ジャンル:学問・文化・芸術

    番外編 言語の使用による意識の覚醒1、日本人はなぜ怒らないのか?

    9月1日

    今回は6日で更新できた。いつもブログを読んでくださっている読者の方に感謝する。

    今回の記事

    今回はすでに何回か先送りにした「日本人はなぜ怒らないのか?」の記事を掲載したい。おそらくいま、我々は変化することが要求されており、変化の方向を見いだす上でも、ひとつの指標になるのではないかと思う。

    ただ、これはまだ試論の段階だ。まだまだ再考する余地があると思う。一時的な結論として読んでいただけたら幸いである。

    9月の講演会のご案内

    またビオマガジンから講演会を依頼された。以下の日時で実施するそうである。金融システムの大転換が予測されている第5の夜が終わる。これから何が起こるのか最新情報を紹介しながら分析する。

    日 時
    2011年9月4日(日)
    14:00~16:00(開場13:30)
    会 場 東織厚生年金会館 3階 第1会議室 
    東京都中央区東日本橋3-6-20
    ■JR総武線「馬喰町駅」1番出口より徒歩7分
    ■都営新宿線「馬喰横山町駅」A3 出口より徒歩3分
    ■都営浅草線「東日本橋駅」A3、B2 出口より徒歩3分
    ■日比谷線「小伝馬町駅」1番出口より徒歩7分、
     「人形町駅」A4 出口より徒歩7分
    料 金 前売3,000円/当日4,000円(各税込)

    時間があればぜひどうぞ!

    コルマンインデックス終了勉強会のお知らせ

    今年の10月28日にコルマンインデックスが終了します。日本時間では29日になります。29日に開催予定でしたが、場所が取れなかったため、23日の日曜日に変更しました。

    ヤスの備忘録では、これまでコルマンインデックスのほか、多くの予言や予測を紹介してきました。コルマンインデックスとともに、それらを一度すべて整理し、何が的中し何が外れたのか明確にして、これからさらになにが起こるのか、最新情報を使いながらみんなで予測したいと思っています。

    料金は4000円にしました。参加ご希望の方は事前に筆者までメールをください。

    info@yasunoeigo.com

    日時:10月23日(日)、午後2時から午後5時くらいまで
    料金:4000円(資料代込み)
    場所:てくのかわさき
    川崎市高津区溝口1-6-10
    JR南武線武蔵溝ノ口駅、東急東横線溝口駅徒歩3分


    新しい本の紹介

    今度、また講談社から英語の本を出した。筆者も強く感じているが、やはり英語は仕事では必須となりつつある。しかし、実際に英語を使う相手は欧米人とは限らない。中国や韓国なのどのアジア出身の人々も多い。そのような状況のなか、この本では普遍的なコミュニケーションの手段としてのグロービッシュに注目し、これをマスターする方法を解説した。英語に関心がある方にはぜひお勧めしたい!

    日本人が「英語ペラペラ」を本当に実現できる本 (講談社+α文庫)

    eigohon

    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。3日で削除されますので、お早めにどうぞ。

    音声ファイル

    予言解説書18の有料配信

    最新版 「予言解説書18」が完成しました。これは、ウェブボット最新報告書、「来るべき未来の形0巻9号」の詳細な要約です。今回は内容が濃く、普段の1.5倍の分量があります。新しい磁極の出現、「ドルの死」の過程などいよいよかと思わせる内容です。入手を希望する方は筆者まで直接メールください。

    info@yasunoeigo.com

    なぜ日本人は起こらないのか?

    間が空いてしまったので、まず前回の記事の内容のおさらいと要約から始める。

    怒らない日本人

    現在、日本は大変な状況にある。対応が遅い東日本大震災の復興、いまだに収まることのない福島第一原発の放射能漏れ、意思決定能力を喪失し迷走する政府、対応のあまりの遅さから拡大しつつある放射能の健康被害など、他の国であれば国民がとっくに切れて怒り出してもおかしくない状況にある。

    だが多くの日本人は、東日本大震災や放射能漏れが過去の出来事であり、何事もなかったようにいつもの日常に復帰しつつある。震災直後には、混乱を起こすことなく、組織的に行動していた日本人を称賛してやまなかった外国メディアも、本来怒るべき状況なのに怒らない日本人に対していぶかがる報道が多くなっている。

    韓国、台湾、フランス、ドイツ、アメリカ、イギリスなどの民主主義を政体とする国家では、政府の政策を修正したい場合、国民が直接的な抗議行動を実施し、意思を政治に反映させることは、民主主義の当たり前の手続きと考えられている。その点から見るならば、意志の決定能力を失い、まともな判断ができなくなっている政府に対して、強く抗議することは当然なのだ。

    確かに、東電や政府に対する抗議行動は日本でも起っている。筆者もそのうちのいくつかに参加した。しかし、起っていることの重大さから見ると、はるかに大規模で激しい抗議運動、それこそ60年安保や、現在のアメリカの茶会派やフランスや韓国の抗議に匹敵する運動が起っていてもなんら不思議ではない。

    「ただちに健康被害はないので安全だ」を繰り返し、事実をとことん隠蔽する政府。土壌汚染の実態を細かく把握しながらも公表を拒む文部科学省。経産省、原子力保安院、御用学者が一体となった原子力村の既得権益集団による事実の隠蔽。年間100ミリシーベルトまで安全だと平気で宣言する御用学者。規制値をはるかに上回る可能性のある食品を平気で給食に混ぜる地方自治体など、これまでの日本の常識ではもはや考えることのできない出来事が相次いでいる。その規模は、戦後のどの時期をも凌駕している。

    なぜ、このような状態に至ってもなお、我々は本格的に怒ることができないのだろうか?いぶかしがる外国メディアの報道もそれなりに理解できる。

    他の文化では盛んなディスカッション

    「怒り」が抗議行動を呼び起こし、責任者を追求し、具体的な変革を実現するためには、単純な感情的な反応として「怒り」を感ずるだけではまったく十分ではない。

    「怒り」はどんな人間でも持つ感情だ。それが具体的な行動に確実に結び付くためには、現実に起っていることを正確に認識し、だれが意志の決定を行い、だれが責任を取るべきなのか、そして何をどのように変えたいのか明確で具体的な認識を持つ必要がある。こうした具体的な認識を持てない場合、たとえ「怒った」としても、その怒りは個人的な感情の枠を出ず、せいぜい飲み屋でよく聞く愚痴のレベルに止まるほかはない。

    怒りがこのレベルに止まっている限り、それは単なるガス抜きとしての怒りに表現にしかならない。具体的な抗議行動に結び付くことなどない。

    しかし他の国の状況を見ると、日本とはまるで様子が違うことがすぐ分かる。人々が広場や盛り場に集まると、すぐに始まるのは、現状に対する見方や意見を交換する盛んな対話(ディスカッション)である。

    教会、学校、公民館、公園、そして個人の自宅が解放されて、社会的地位や年齢、そして性別が異なるさまざまな人達が広範な対話に参加する。アメリカ、フランス、ドイツ、韓国、台湾などの国々では、そのような対話が行われる拠点が、あらゆる地域に当たり前のように存在している。

    ディスカッションには特にルールは存在しない。誰しも社会的な立場ではなく、あくまで個人としての見解を話すことが要求されるのだ。個人の意見を拘束する集団的なルールがまったく存在しないのが特徴だ。


    ディスカッションでは、個人と個人の意見や現状認識がときとしてぶつかりあいながらも、多様な意見の交換から、明確な現状認識と行動の計画が出てくることが非常に多い。

    このようなディスカッションを経過してはじめて、単なる怒りの感情や状況に対する憤りでしかなかった感情が、なにが基本的に問題なのか理解する明確な現状認識へと昇華され、はっきりした実現目標を持つ具体的な行動へと転化することが可能になる。

    こうしたディスカッションの場は社会のあちこちに存在している。多くの人がディスカッションに参加することで、現実に起っていることに覚醒し、現状に対する怒りを確実に行動に結びつけることができる。このような状況の国が多い。

    いまアメリカを政治的に席巻している茶会派の運動も、全米各地のあらゆる拠点で行われているこうしたディスカッションの集まりをネットワークでつなぐことで拡大した運動だ。

    単なるガス抜きとしての怒りのぶちまけ

    では日本の状況はどうだろうか?どの飲み屋に行っても、同じ愚痴と文句が聞こえてくるはずだ。それは、「政治家は国民のことなど考えていない」、「総理を変えるしかない」、「官僚こそが諸悪の根源だ」など聞き慣れた政治批判の大合唱である。もちろん、そうした愚痴と批判は行動の契機にはならない。

    そうした感情としての怒りの表現はいつも同じパターンを繰り返す。まず、なんらかの政治スキャンダルや政治的な問題が明らかとなる。それは、政治家の不祥事、談合、癒着、公共組織の私物化などであったりする。

    そして、マスメディアの追求などで、問題の背後には原因となる構造が発見される。それらは、省庁の省益拡大と天下り先の確保を意図した官僚の暗躍、政務を官僚に依存し官僚に支配される政治家のあり方、そして公共の利益そっちのけで党利党略に奔走する政治家の行動などである。

    裏の事実が明らかになると、観客である国民の対応も決まっている。「待ってました!」、「中村屋」、「橘屋」のような歌舞伎の観衆の掛け声ならぬ、決まり切ったブーイングの嵐である。「いまの総理じゃだめだ」、「国民のことを考えるリーダーに変えるべきだ」、「官僚機構の改革こそ必要だ」、「政治利権を根絶しないとだめだ」、「党利党略の政治家は去れ」などである。どの野次も耳にタコができるほど聞いたものだ。どこの飲み屋でも聞ける。

    そして、こうしたブーイングが国民の間から激しく起こるたびに、謝罪とともに何人かの当事者が処分される。その後は「政治改革」、「制度改革」などあらゆるタイプの改革がスローガンとして掲げられ、その実行を約束する政治家の決意の発言が相次ぐ。「私は身命にかけて実行して見せます!」、「改革はかならず実行します!」などと連呼する声が聞こえる。

    そして1カ月もすると、我々は同じ演目の上演に飽きてしまいブーイングの嵐も改革の連呼もピタッと収まる。すると、なにごともなかったように事態は進行し、だいぶ後になってから結果的には状況は何も変わっていないことが明らかになる。そのときには新しい演目が上演され、観衆は同じブーイングを繰り返し、政治家も同じ決意を連呼しているというわけだ。

    これが、一切の抗議行動には結びつかない、単なる怒りの感情のぶちまけがもたらす循環だ。そこには、抗議行動や責任者の追求を求める具体的な行動を呼び起こすディスカッションの契機はまったく存在しない。

    自立した個人の必要性

    では他の国のように、ディスカッションを通して意見を総合し、怒りを具体的な抗議行動に結び付けるためにはなにが必要なのだろうか?

    その答えはいたって簡単だ。社会的な立場や性別、また年齢の違いを捨て、考え、判断し、行動することのできる自立した個人の存在である。そうした個人こそ、抗議行動の前提となるディスカッションを担える主体となるはずだ。

    集団から突出することの恐怖

    そうした自立した個人は日本では成立しにくい。いたとしてもかなりの少数派であろう。ディスカッションを担える個人は限定されるはずだ。

    ではなぜそうした個人が少ないのだろうか?その原因は、集団から突出することを極端に嫌う、我々自身の恐怖心にある。

    この恐怖心は、どんな状況でも周囲の人の期待を裏切らないように行動し、また発言するということを我々が徹底して教え込まれ訓練されてきたことで形成されたものだ。中学までの義務教育の大きな目標は、これであったと言っても過言ではないかもしれない。

    これは、それぞれの場面で作用している厳格なルールをしっかり覚え込み、それを徹底的に身体に刻み付けることを必要とする。

    われわれの日常は、「交渉の場面」「友人との飲み会の場面」「結婚式の場面」など、さまざまな場面でできているとされる。それぞれの場面には、人の振る舞いや行動を決定するルールがあった。どの場面にも以下の要素がかならず存在した。

    1)立場
    その場面における人の立場

    2)言葉遣い
    立場にあった言葉のふさわしい使い方

    3)振る舞いの原則
    立場にあったふさわしい振る舞い

    4)服装の原則
    立場にあったふさわしい服装

    これらの原則に則って振る舞うと、おのずから「中学生らしさ」「営業マンらしさ」「サラリ-マンらしさ」などの「らしさ」がかもし出されてくる。「らしさ」を醸し出すことは、その人が社会的に信頼できる存在であることの証だ。なぜなら、「らしい」存在は社会のルールをよく知っているので、予想外の行動や突飛な行動はとらないことを意味するからだ。

    こうしたルールを徹底して身につけると、どこに行っても一人前として尊重され、受け入れられる。特に、企業ではそうであった。

    特に、企業のような組織では、社会的なルールをとことん身体化させ、どんな場面においても相手の期待感を絶対にはずさない行動を取れることは、その人間のパーフォーマンスを評価する重要な項目でもあった。「らしい」人ほど信頼性は高まったのだ。

    つまり、こういうことだ。場面のルールを守り、どんな状況でも自分の立場をわきまえて「らしく」振る舞い、他者の期待感に沿った行動をしていれば、集団から受け入れられ、身分が保証されたということだ。

    三つの「らしさ」

    もちろん、このような状況では、集団の「らしさ」のルールを無視し、集団から突出すると、集団で確保された身分の保証はすべて失うことを意味した。

    だが、集団から突出するとは具体的にどのようなことを言うのだろうか?周囲の人々の感情を無視して自己主張することなのだろうか?それとも、他人の気持ちを察しないことなのだろうか?

    そうしたことを意味しているのは間違いない。しかし、「らしく」振る舞うということがどういうことなのか、その意味をもう少し追求すると集団から突出しないことの意味がもっとはっきりするはずだ。

    それは、日本の場面ルールから出てくる三つの「らしさ」だ。以下にそれを見て見よう。

    第一の「らしさ」

    社会的な信頼性を高めるためには、限りなく「らしく」なることがとても重要になる。社会の場面ルールは、「サラリーマンらしさ」「営業マンらしさ」「中学生らしさ」などの大まかな分類をさらに超えて、「住友マンらしさ」「トヨタマンらしさ」など個別の企業の場面ルールにまでさらに際限なく細分化されていった。組織や企業のメンバーは、組織の一員である限り、振る舞いや話し方、そして服装にいたるまで、その組織の正規のメンバーである印を身体に刻印していなければならなかった。だいたいどの組織や企業もこのようなカルチャーのようなものをしっかりもっていた。ここではこれを第一の「らしさ」と呼ぶことにする。

    この第一の「らしさ」は、個人がもともと持っている個性を抑制することで出てくるものだ。営業マンはあくまで営業マンとして振る舞い、客に接することを徹底して訓練されることで社会的に信頼される「らしさ」が出てくる。

    一方、どの個人も、それなりの人生経験で培われた個性がかならずある。ということは、この「らしさ」は、個人がその人生経験でできあがった個性を「くせ」として抑制し、型にはまった「らしい」人格へと組み入れられることで出来上がるものといってもよい。言い換えるとこれは、組織の場面ルールに個人が完全に埋め込まれることで生まれてくるのがこの「らしさ」であるということだ。

    ということは、この「らしくある」ことは、個人にとっては決して快適な行為ではなかったはずだ。ではなぜ多くの人は、このような第一の「らしさ」を積極的に受け入れ、過剰なまでに一体化したのだろうか。それは、規範に一体化し、与えられた「らしさ」を身につければつけるほど、所属する組織の信頼できるメンバーとして受け入れられ、安定と安全を手に入れられたからだ。一言で言えば、どんな人もひたすら我慢して耐え、とにかく「らしく」しているなら最後には報われたというのが比較的に最近までの日本だった。

    第二の「らしさ」

    一方、個性を抑制する第一の「らしさ」でも許された個人の「らしさ」が存在していた。これは、一度社会の規範に組み入れられた個人が、与えられた役割を演じ、それを幾度と無く繰り返す過程でかもし出されてくるズレとしての「らしさ」だ。45度の角度のお辞儀や「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の掛け声はどんな接客業でも徹底して訓練するが、それぞれの個人がそれを繰り返すことで、最初はみんなほとんど同じだった振る舞いにも、個人の間のちょっとした違いが出てくるようになる。それが個人の「らしさ」になってくる。これは第二の「らしさ」と呼ぶことができるだろう。

    これは、平均的な振る舞いや行動からのズレとして生じてくるものだ。個人のちょっとした歩き方や話し方の相違、それにしぐさや癖に人はその人らしさが現われ、その人独特の「らしさ」が出てくる。「山本君らしい」とか「三浦さんらしい」、または「矢部君らしくない」というのは、個人のそうした本来の「らしさ」からのちょっとしたズレを個人の手触りとしてわれわれが感じているからにほかならない。これは、先に説明した第一の「らしさ」とは根本的に異なる「らしさ」のあり方だ。でも、それが第一の「らしさ」から出てくるズレであるということでは、「らしさ」のルールの脅威とはならない。これは組織では問題なく許容される。

    第三の「らしさ」

    このように、第二の「らしさ」でも個人がもっている本来の個性とユニークさは抑制される。

    一方、ユニークな自立した個人として自分の人生を生きる個性的な「らしさ」は確実に存在する。

    本来自分の人生の意味は、自分で見出すべきものだ。自分の所属する組織や仕事はとても重要であることは間違いない。

    でも自分の人生の目標や生きがいは自分で決めるしかないものだ。こうしたことには、組織や他人によって与えられるあらかじめ準備された答えなどは存在しない。

    人生の「意味」は個人の手に完全にゆだねられており、その「意味」は各人でまちまちだ。とにかく金をもうけることに最大の「意味」を感じる人もいれば、人助けに人生の「意味」を感じる人もいる。一方、仕事が生きがいの人もいれば、仕事はそこそこにして家族が生きがいの人もいるだろう。

    このように、ひとりひとりが人生に見出す「意味」はそれぞれ違っている。こうした人生の「意味」がそれぞれ一人一人の人間としての「らしさ」の原点にあるものだ。だとするなら、この「らしさ」は「個の積極的なユニークさ」と呼べるものだろう。

    おそらく、人生に大きな意義を見出し、個人としてその人にしかできないユニークな人生を歩むことは誰しも持っている普遍的な欲望だ。それはみんな持ち合わせているもっとも基本的な欲望なのかもしれない。これを第三の「らしさ」と呼ぶことにする。

    当然だが、自分の人生の目標や意味が異なっていると、それを実現しようとする行動には大きな違いが出てくるはずだ。金儲けが第一の目標とする人と、人助けに人生の意味を見出している人とでは、おのずから行動に本質的な違いが生じてくるはずなのだ。前者の人はとにかく儲けになるビジネスチャンスを探すだろうし、後者の人は様々なNPOなどに積極的に関わってゆくことだろう。こうしてそれぞれの個人が自分流の行動をとるようになるのだ。

    だが、「らしさ」を強調する現代の日本にあっては、個人が自分の流儀にしたがって行動すると、それは「わがまま」とみなされ、規範からの逸脱行為として排斥されたり、「半人前」としてまともな扱いを受けないかのいずれだった。

    このように見ると、集団から突出するとは、個人のユニークさを追求する生き方のことであった。これは日本では受け入れられなかったのだ。

    そうはいっても、「個のユニークさ」を希求す欲望は普遍的なものだ。どんなに抑制されても、この欲望はそう簡単には消滅しないはずだ。

    ユニークな生き方をしたいという欲望は、個人の心の地下水脈のように、決して実現されない見果てぬ夢のようなものとなっていた。人々は、生活の安定のために自由を犠牲にしていたと言えるだろう。

    「立場」と「らしさ」を優先する文化、内容はどうでもよい

    「怒り」を個人的な愚痴や感情に止めず、集合的な抗議行動へと昇華させるためには、社会的な立場や性別、年齢にはこだわらない活発なディスカッションを通して多くの意見を総合し、多くの人が共有できる現実認識と行動計画を作り出して行かねばならない。これがどうしても必要になる。

    そしてそうしたディスカッションを実現するためには、「立場」や「らしさ」にはとらわれない自立した個人の存在がどうしても必要になる。いわば、第三の「らしさ」が必要になるということだ。

    だが、「立場」と「らしさ」を優先する現代の日本の状況では、こうした自立した主体は育ちぬくい。

    しかしそれだけではない。「立場」と「らしさ」を優先する状況では、ディスカッションで必要になる内容のある意見が形成されにくい状況にある。

    それというのも、この状況では、個人が話している内容よりも、「立場」に合致した話し方の形式がより重要視されるようになるからだ。つまり、話している内容よりも、どう話しているのかが日本語の文化では重視されるということだ。

    極端なことを言えば、結婚式のスピーチのように、たとえ話しそのものには内容がなくても、「立場」をわきまえた適切な話し方をしていさえすれば、会話として受け入れられてしまうということになる。内容はどうでもよいことになる。

    勢い、このような状況では、話の内容ではなく、怒っているのか、悲しんでいるのか、喜んでいるのかなど、気持ちの表現こそが重要になってしまう。話の中身ではない。

    一方、建設的なディスカッションが成立するためには、自分独自のものの見方や価値観を表現できることがカギになる。ディスカッションでは、「立場」や「らしさ」、そして気持ちはあまり重要ではない。何が言いたいのか意味の構築こそがものを言う。一貫しており、分かりやすい意見こそ、もっとも尊重されるし、多くの人が共有できるものの見方の形成を促すものだ。

    残念ながら、「立場」と「らしさ」、そして話の中身ではなく、話の形式を重んじるいまの日本の状況では、内容と意味のあるこうした話は成立しにくい。残念ながら、これが現在の日本の状況だ。

    待ったなしの状況

    3.11以降、日本が危機的な状況にあることはだれの目にも明らかだ。日本の社会システムを担っているさまざまな組織の中枢が崩壊し、まともな意思決定が不能になった状況だ。代りにそのような組織や機関では、既得権益を持った複数の集団の利害調整で意志が決定されている有り様だ。

    既得権益を持つ集団以外、組織をコントロールできる権力を持った集団は存在しない。そのため、組織や機関が機能不全を起こしているからといって、外部からそれを改革したり廃止したりすることが基本的にできなくなっているのだ。現在の政府、また経済産業省などの省庁や東電などの巨大企業はその典型だろう。

    この状況を本格的に変え、新しい環境に現実的に適応できるシステムを作り出して行かない限り、おそらく我々の国は絶対的な終着点まで行き着くほかなくなってしまう。その後はさらなる自己崩壊を待つしかない。改革するのは待ったなしの状況だ。

    我々の本格的な怒りに基づく抗議行動

    そのような状況を打破し、新しいシステムの形成へと向かう流れを作るものがあるとしたら、それはひとつしかない。これまで書いてきたように、我々の本格的な怒りに基づく一貫した抗議行動だけであろう。

    筆者は決して考え方に賛同するわけではないが、アメリカの茶会派の国民運動は、2009年頃に始まり、まだ2年の歴史しかないにもかかわらず、巨大な国民運動に成長し、オバマ政権を脅かす存在になっている。いまの日本の危機的な状況では、このくらいの規模の運動は起ってもおかしくはない。

    新しいリーダーを待望しても土台無理

    新しいリーダーの待望論はもう何年も前から存在している。危機を打開し、変革を成し遂げられる能力のあるリーダーが必要だということだ。そのようなリーダーを探して、2007年くらいから一年に一人の割合で総理を変えてきた。

    しかし、新しいリーダーなぞ出現するわけがないことは誰しも百も承知だ。上に書いたように、日本の中枢を握っているどの組織や機関も、既得権益を持つ集団の間の利害調整で意志が決定されている。中心のリーダーの位置は絶えず存在するのは空白なのだ。その意味では、戦前の大本営とほとんど状況は変っていない。

    リーダーは組織を象徴的に代表する神輿にすぎない。小回りの効く中小企業やNPOは異なるが、大きな組織では官僚組織であろうが巨大企業であろうが、現在の日本型の組織はすべてそうだと言ってもよい。

    既得権益を持つ集団の間の利害調整にリーダーが介入し、リーダー自らが組織を変えようとすれば、リーダーはたちどころに既得権益の集団に包囲され、完全に動きが取れなくなる。

    このような状況だ。リーダーを期待しても基本的には無理なのだ。

    民衆の怒りの抗議運動が唯一の希望

    ではこのような状況で本当に意味の変革を実現する可能性があるのはなんなのか?それは、我々の激しい抗議行動を通して政治家に働きかけ、政治家をこちらが支持することで彼らに十分な力を与え、既得権益の集団の包囲を突破してゆくことだろう。

    60年の安保反対運動、70年代の公害反対運動、90年代の反エイズ運動やハンセン氏病運動などは、国民の直接行動が政治を大きく動かした近年の歴史の好例だ。運動の盛り上がりで、状況は根本的に変ったのだ。あれほど日本で騒がれた70年代の公害は、もはやいまでは存在しない。

    日本は、おそらくもう待ったなしの危機的な状況に来ているはずだ。いま、我々が本格的な抗議運動を始めなければ、おそらくこの国は崩壊点まで行き着くだろう。

    ではどうしたらよいのか?

    まずは、怒りを個人的な感情に止めることなく、これを多くの人が共有できる現状認識や価値観へと昇華し、抗議行動へと結び付けられるような対話を実践しなければならないだろう。それを、自立した個人が希薄な現代の状況で実行しなければならない。そうして、飲み屋の次元の愚痴の循環から、解放されなければならないのだ。

    ディスカッションで自立した個の出現

    では、自立した個人が希薄な状況でこれは本当に実現できるのだろか?筆者はできると考える。先にディスカッションの手法をマスターすることで、個の自立が促されるという逆の方向をとることも可能なはずだ。それがどういうことなのか、順を追って説明しよう。

    説明力の養成

    ディスカッション的な対話は、感情や気持ちの表現とは基本的に異なる。自分の意見を組み立て、相手に分かりやすく説明する説明的なコミュニケーションを要求する。自分の意見や現状認識がきちんと説明できてこそ、それぞれの異なった考え方や意見の交流から、多くの人が共有できる、より一般的な考え方や現状認識を導くことができる。

    どのような抗議行動も、現状認識や考え方のこうした共有がなければ成立しない。その共有を実現するものこそ、単なる感情の表現とは異なる、相手に向けた意見の分かりやすい説明なのだ。

    価値観や意見を共有しない他者の存在

    では、そのような説明力はどのように養成できるのだろうか?価値観や意見を共有している人々が相手なら、説明力の養成にはならない。なぜなら、考えを共有しているので一言言えば分かってしまい、意見を分かりやすく説明する必要がないからである。

    ディスカッションのために必要となる説明力を養成するためには、価値観や意見を共有しない他者の存在がどうしても必要になる。

    そのような他者はこちらの言っていることを理解できない。こちらにとって説明する必要がない常識や価値観を共有していないからだ。たとえば次のような感じの会話になる。

    A:新しい課長はどう?
    B:かなり自己中よ。締め切りで部下はみんな残業しているのに、自分の仕事が終わると一人だけさっさと帰ってしまうのよ。
    A:でも自分の仕事は終わったんでしょう?だったら帰っていいんじゃない?
    B:でも上司なのよ。部下のめんどうを見なくていいの?
    A:なぜめんどうを見なくちゃ行けないの?指示だけだしていればいいんじゃないの?


    こんな感じの会話だ。ここでBは、「上司は部下のめんどうを見る責任があるので、最後に帰るのが当たり前」と考えている。Bにとってはこれは常識だろう。

    だがAはこの常識をまったく共有していないのだ。共有していないので、AはBがなぜそのように考えるのかが分からない。

    これが他者との会話である。互いの相違を乗り越えるためには、Bは自分が「当たり前」と信じている自明の常識を説明しなければならない。

    説明は具体的で論理的

    そして、説明は常識を共有しない相手でも分かるように、とことん具体的で論理的でなければならない。説明が少しでも漠然としていては、相手には理解されない。たとえば次のような例だ。

    A:なぜめんどうを見なくちゃ行けないの?指示だけだしていればいいんじゃないの?
    B:え?上司が部下のめんどうを見るのは当たり前でしょ。そんな常識も知らないの?
    A:どうしてそれが常識なの?ぜんぜん分からない。


    これではディスカッションにはならない。相手が分かるように説明するためには、次のように具体的で論理的に説明することがどうしても必要なる。たとえば次のような例だ。

    A:なぜめんどうを見なくちゃ行けないの?指示だけ出していればいいんじゃないの?
    B:私の部署は設計でしょ。ひとつの機械をみんなで手分けして設計しているのよ。そして、毎月の納期は絶対に守らなければならないのよ。だから、部下の仕事を手伝って納期に間に合わせるのは上司の責任として考えられているのよ。そんなとき、自分の仕事が終わったらさっさと帰ってしまうというのは、上司の責任を果たしていないことになるのよね。

    ここまで説明すると、常識を共有しない相手にも確実に伝わるはずだ。

    具体的で論理的な説明は自己発見を促す

    さらに、このような具体的で論理的な説明は、これまで自分では意識できていなかった考えや価値観に、説明をしている本人自身が気づく、いわば覚醒を促す。

    その結果、自分がどのような価値観を持ち、なにをどのように考えているのか明確に意識するようになる。「そうなのか。私はいままでこのように考えていたのか!」という、いわば自己の新しい側面を改めて意識的に見いだす自己発見だ。

    意識されていなかった部分に意識の光りが当たる覚醒

    このような自己発見とは、これまで意識することがなかった自分の側面に意識の光があたり、これを意識化することで、自分が本来どのような存在なのか自己意識が高まる過程を意味する。

    たとえば、次のような自己イメージを持った女性がいたとする。

    私は結構おっとりしていたりもする。そして少しおっちょこちょいのところもあるのでたまにミスするけど、基本はまじめで頑張り屋だから人から信頼される。

    ここにある「おっとり」「おっちょこちょい」「まじめで頑張り屋」などの用語がすべて具体的に説明され、さらに話の内容が論理的にまとめられると次のようになる。

    ちなみに論理的な説明とは、前提となっている原則を現実の出来事に適用し、結論を導く三段論法の方法である。

    原則
    両親の愛情をいっぱい受けた家庭で育つと、子供は深い幸福感を感じる言われる。こうした子供は、楽観的な性格を持ち、細かな失敗をあまり気にせず、自分のペーズで生きて行くことを好むそうだ。

    事実
    私は両親の愛情を一杯与えられて育った。

    結論
    だから、私は人との激しい競争の関係に入ることは苦手で、自分のペーズで生きることのほうを好むほうだ。だが、ものごとの全体像を捕らえることは得意だけど、細部を見落としてしまうのでたまにミスを犯すことがある。でも、与えられた仕事は真剣に努力してやり遂げるので、人からは信頼される。


    意識が拡大し、異なった世界に住む

    このような具体的で論理的な自己意識は、前者の「私は結構おっとりしていたりもする」の意識とは根本的に異なった世界の見方をもたらす。

    前者の漠然とした意識では、周囲の世界は「冷たい」「暖かい」「柔らかい」「悲しい」「うれしい」などの情意とイメージで受け取られる。

    それに対し後者の、自分の細部まで意識化された世界は、出来事やものごとの因果関係がはっきりし、なぜそうなったのか明確な世界である。

    このような意識のしかたの違いを、福島第一原発の放射能漏れ事故に当てはめて見よう。世界の見方がいかに異なるかが分かるはずだ。

    漠然とした世界の見方

    多くの子供が放射能でこれから苦しむなんてなんと悲しいことなのだろう。これは絶対に許しておいてはだめだ。あまりに悲しすぎる。事故を起こした東電はきちんと責任を取り、みんなを元の生活に戻してほしい。

    明確な意識


    政府は、経済産業省、電力会社、そして御用学者が形成するいわゆる原子力村の結束を突破できず、正確な情報が彼らに握られてしまったため、迅速な対応がまったくできなかった。この結果、放射能汚染は拡大し、特に多くの子供たちが影響を受けるはずだ。まずは東電に圧力をかけて、現状がどうなっているのか情報の公開を迫るべきだ。

    この2つの例を見ると、前者は「この悲しい気持ちと状況をなんとかしろ!生活を元に戻せ!」と受動的な要求に終始するのに対し、後者の意識では、「情報公開のために東電に圧力をかける」という具体的な目標を持つ行動となって現れる。

    あまりに長くなるのでいったんここで記事を止める。できるだけ間が空かないように、数日以内に更新するつもりだ。

    これから、説明的な言語使用とディスカッションによる、個の覚醒の過程を具体的に解説する。おそらくいまの我々に必要なのは、こうした意識の覚醒であろう。

    むちゃくちゃおもしろかった講談

    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書かせてもらっているが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。

    田辺鶴瑛

    筆者のいとこのブログ

    筆者にいとこがスピリチュアル系のカウンセラーになっていたのを最近知ることとなった。以下にリンクする。よろしかったらどうぞ。

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